星天大戦40
悪神が同化した異質なる空間。
其処に飛び込んだ光流を待っていたのはーーー何処まで墜ちても変わることなく漆黒の闇のみが支配する、黒一色の世界だった。
其処には彼の落下を止めてくれる様なもの等一切在る訳がなく・・・まさしく純黒の底無し沼とも呼べる空間の中を、一人真っ逆さまに墜ち続ける光流。
先程まで彼の背中で輝いていた炎の羽根も、この空間に入った瞬間、まるで悪戯な子供がバースデーケーキの蝋燭を吹き消す様にかき消されーーーおまけに、この闇の空間には光流が掴まって落下を止められる様な僅かな取っ掛かりすら全く存在しない為、今の光流は成す術なく、ただ落下するのみであった。
(・・・もう、どれ位落ちただろう?一体、何時になったら最下層に着くんだ・・・?)
墜落しながらも、そんな不安に駆られた光流は、ふと自分の胸ポケットから十円玉を取り出すと、ぴんっと指で弾く様に空間に放り投げてみる。
光流の手を離れるとみるみる内に速度を上げ、いつの間にやら光流を追い越して落下していく十円玉。
如何やら、この空間では、通常の空間と落下速度が異なるらしい。
そして、十円玉は直ぐに小さくなると、やがて周囲の闇に溶け込み見えなくなる。
だが、せめて・・・それが絨毯敷きの床か、或いは固い地面なのかは分からないが、しかしあの十円玉が一番下まで落ちれば何かしらの音はする筈だろう。
その音で、大体の底までの距離と、底の材質を考えれば良い。
光流はそう考えると、どんな小さな音も聞き逃さない様じっと耳を澄ます。
けれど、彼の耳に聞こえて来たのは硬貨が床にぶつかる音等ではなくーーー。
『まだ死にたくなかったよぉー・・・!』
『痛いよ!助けて、お父さん!お母さん!』
『苦しい・・・悲しい・・・!何で私がこんな目に・・・!』
生命半ばで非業の死を遂げ、悪神に取り込まれた無数の魂達の嘆きと怨嗟の叫び声だった。
その声は、まさに老若男女・・・老いから若きまで男女を問わず、様々な声が入り乱れる様に我先にと光流の耳に怨みや悲しみの言葉を響かせていく。
『・・・もっと生きたかったよ』
『ああ・・・せめて、子供が一人立ちするまでは・・・』
『何故俺を・・・畜生!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!』
生への未練、家族への断ち切れぬ思慕の情、そして・・・自身の生を身勝手に摘み取った者に対する苛烈なまでの憤怒と呪詛。
それらの全てが光流の耳から彼の内に入り込むや、まるでさる高名な英雄叙事詩に出てきた邪竜の血の様に・・・彼の思考を、心を、彼を形作るその全てを支配していく様に、甘く強い毒となってじわりじわりと蝕んでいく。
その甘美な毒は、やがて、植物が根を張る様に光流の全身を巡ると、彼自身ですら忘れかけていた、自身の内に宿る深い恨みを、消せない嘆きを、そしてーーーどす黒い負の感情を、激しく揺さぶり、呼び起こした。
まるで溢れ出すマグマの様に、尽きることを知らず噴き出す光流の昏い感情。
自分から遺産だけではなく、両親との最期の懐かしい思い出と温もりの宿る家を奪った親族が。
自身から最愛の家族を奪ったあの事故が。
いや、あの事故に関わった全ての者がーーー。
(ーーー憎い!!!)
瞬間、まるで周囲の闇と同化したかの様に漆黒に染まり始める光流の瞳。
その瞳には最早先程までの希望の光は既になく、ただ尽きることのない憎しみの炎だけがぎらぎらと熱く燃え滾っていた。
「・・・憎い、憎い、憎い。父さんと母さんを殺した全てが・・・二人を奪ったこの世界が、憎い!!!」
心のーーー魂の奥底から、そう叫ぶ光流。
だが
「全く・・・よもやこんなに簡単に取り込まれるとは。失望しましたよ、焼肉」
周囲に響き渡る怨嗟の声より尚通る、澄んだ美しい声が辺りに響き渡ると同時、光流の目の前に葉麗が姿を現した。
しかも、一体いつの間に着替えたのやら。
ご丁寧にも彼女は、どんなにドレスコードの厳しい一流店でもすんなり通してくれそうな程美しいカクテルドレスをその身に纏っていたのだ。
「結城・・・って、焼肉?!お前、さっき僕のこと焼肉って呼んだろ!それに何だよ、その格好。もうお前何処に行きたいのかが迷子過ぎるって。それじゃ焼肉じゃなくて舞踏会だよ。王子様来ちゃうやつだよ」
彼女に出逢えて安心したのも束の間、自身に対する葉麗の余りな呼び方や有り得ないその服装に、ついつい突っ込みを入れる光流。
しかし、彼女の言葉が光流の心を憎しみから逸らしたことで、ほんの僅かだが彼の瞳に光が戻る。
けれど、自分の姿など確認する術を持たない光流は、残念ながらそれには全く気付くことはなくーーーただ、彼女のお陰でやや冷静さを取り戻した思考を巡らせながら、話しかけ始めた。
「って言うか、お前、これ如何したら良いと思うよ?このままじゃ悪神を倒して焼肉どころか、暗い闇の中に永遠に捕らわれたままで終わりだぜ?」
未だ落下を続けたまま、光流はそう葉麗に問い掛ける。
葉麗が通常通りというか・・・頭を上にした、人間としては正しい状態でふわふわと浮かんでいるのに対し、頭を真下にし、止まることなく下へ下へとただひたすら落ちていくだけの光流。
そんな、全く正反対の位置関係にいる二人が、至極真面目な顔をして話し合っているその光景は、実にこの上なくシュールだった。
しかも、葉麗は光流が話しやすい様、落下する彼に合わせて高度を下げながら話してくれている為ーーー落下の反動で揺らめくドレスの隙間から、ときたま、見えそうになるのだ・・・達郎くんの大好物である、下着が。
葉麗とこれから如何するべきか話はしたい、だが、流石に目のやり場に困った光流は、あからさまな位視線を逸らすとーーー最早誰も居ない闇を見つめながら彼女と会話を進める。
が、誰も居ない空間を見つめて話す光流のその姿は如何見ても不自然且つ不気味な為、葉麗は直ぐに彼がわざと自身から目を逸らして話していることに気が付いた。
すると、かなり不機嫌そうな表情になった葉麗が、光流の頭に向けてやおら両手を伸ばし始める。
「ちょっと貴方、人と話している時はちゃんと目を見て話しなさい、と教わりませんでしたか?」
そう告げるが早いか、光流の頭をむんずと掴むと、無理矢理ぐるんっと力ずくで自分の方に向かせる葉麗。
同時に、光流の首から響くぐきっという嫌な音。
「っ~~~~~??!」
(く、首が千切れたかと思った・・・・・・)
光流は若干涙目になりながら、ちゃんと自分の首が繋がっているかぺたぺたと触り、確かめる。
そうして、自身の首が無事なのを確かめると逆さまになったまま、深い溜め息を吐いた。
(・・・まさか味方に殺されそうになるとは・・・)




