3話 幽霊と吊り橋効果
彼女がいなくなった世界はとても空虚なものだった。彼女のいない世界はすべての水分が失われた世界と言っても過言ではない。それだけ僕の心の中に彼女はいた。だけどそんな彼女は僕の前からいなくなった。どこに行ったかは知っている。けれど13歳の少年少女が簡単に出会えるような距離ではない。
「また、会えるよね・・・?」
独り言をボソッと呟く。誰もいないこの公園で。もちろん誰も僕の言葉に答えてくれる人はいない。
僕たちはこうして離れ離れになっていくのだろうか。あの夕焼け空、伸びる飛行機雲が僕たちを引き裂いているように見えた。
「そういえばお前飯食わないと死んだりする?」
普通の人間なら飯を食わなければ死んでしまう。それは世界の理。だけど眼前にいる女の子は世界の常識からは逸脱している。彼女の名前は結菜、幽霊だ。トラックとの衝突事故によって死亡したらしい。死後3年が経過していて、3年間もこの世界を彷徨っている。そして結菜は俺にしか見ることができないようだ。
そんな結菜が俺の家に現れて、一日が経った。昼食をどうしようか悩んでいた時にふと、幽霊って飯は食うのだろうか?と疑問に思ったのだ。でもさっきコーヒー飲んでたぞ・・・。
「死にはしないんだけど・・・というかもう死んでるし。けど食べた方がなんか元気は出る」
結菜はゆっくりとした、かつはっきりとした口調で言葉を発する。非常に聞き取りやすい。
コーヒーも飲めるし、やっぱ飯も食えるのか。幽霊ってほんと不思議だよな。でも冷静に考えれば世の中不思議なことだらけだ。
例えば秘密結社フリーメイソン、その実情は一般人には到底わからない。あるいはオーパーツ、その時代の技術では作れないようなものが発見されている。などなど地球には不思議なことがたくさんある。ていうか地球そのものを地球に住んでいる人間は把握してないし。だって地球がいつ誕生したのか分からない。この世界はほんの5分前に出来たのかもしれない。そんな不思議なことだらけな地球で俺の前にも不思議なことが起きてしまったというわけだ。
そして俺は決意したんだ。結菜を幸せにして、成仏させてやるって。なぜなら結菜は俺にしか見えない。俺がしなければいけないんだ。そのためには結菜と青春をしなければいけない。でも20歳の俺に今さら青春なんて出来るのかという一抹の不安を抱えている。
「食べた方が元気出るって言われてもなぁ・・・結局お金がかかってしまうしなぁ」
「・・・・・・そうだよね」
結菜は申し訳なさそうに呟く。
でも俺は結菜を幸せにしないといけないんだし、飯を食べさせないと・・・結菜は幸せになってくれないんじゃないか?だけど俺には自分の飯を買うだけの金で精いっぱいだぞ。どうしようもないなぁ。
結菜は俺の部屋をぐるりと見まわしている。俺の部屋は汚い。女の子を入れるような部屋ではない、と断言できるほどに汚いのだが・・・既に結菜が入ってしまっている。というか結菜は自分からこの部屋に入って来た。
何日前のものかわからない空のコンビニ弁当の容器が当たり前のように周りに何個も放置してある。そのほかにも缶ビールや缶チューハイの空き缶や、食べ終わった後のお菓子の袋、飲みかけのペットボトルなどなど・・・改めてみると本当に汚い部屋だ。まさに汚部屋。
そして女の子がみてはいけないようなエッチな漫画だったり、ゲームだったりなんかもそこら中に散らばっている。閉じてあるものばかりだが・・・それでも表紙からは圧倒的な異彩を放っている。
まだ表紙までならいい・・・中には俺のお気に入りのシーンで開かれているものもある。これだと俺の性癖がバレてしまうじゃないか。
「ねぇ・・・本当にこんなところでするの?恥ずかしいよ」
「・・・・・・?」
「私の口で竜司くんのモノを気持ちよくさせてあげるんだからっ」
「ちょちょちょっと待ってくれ!」
結菜が何を言いだしたのか最初は分からなかった。けど結菜を見たら答えが分かった。エロ漫画の開かれていたページの文章を口に出して読んでいたのだ。なんちゅうことを・・・。いや片付けない俺が悪いのかな。
すぐさま結菜が読んでいたエロ漫画を取り上げる。はぁ・・・心臓に悪いわ、これ。
「男の子って、みんなこういうのが好きなの?」
「なかなか答えづらい質問ですね・・・まっまぁ健全な男の子はみんなエッチなことに興味があるお年頃ですし・・・」
「そうじゃなくて、口でされるのが好きなの?」
「・・・はっ!?」
なにを言いだすんだ、この子は!?
「えーと・・・俺経験ないですし、わからないです・・・」
「へぇ・・・ないんだ。私もないから。だからそういうことまったく知らなくて」
はぁ・・・なんだこれ。すごく疲れるぞ。精神を削られている。結菜は見た目の清楚系通り、性交の経験はないようだが、確かにエッチなことに興味があるのは俺たちの年頃だと男も女もかわらないのかもしれない。けれど・・・それを女の子から男に訊くって言うのはなんか・・・本当に勘弁してほしい。答えに困る。
しかしこれでは俺のダメ人間っぷりが露呈しているなぁ。まぁ事実ダメ人間だからしょうがないか。これと言って勉強ができるわけでもない。スポーツは・・・出来ないし。生活態度だって悪い。面倒くさがり屋で、やらなければいけないことがあっても後回しにしてしまう性格だ。これと言って、将来の夢もあるわけではない。
「あーそうだなぁ。掃除しようか。こんな部屋に女の子が住むなんて耐えられないだろうし」
結菜に幸せになってほしいと決意したのに、こんなゴミ屋敷に住まわせるのは幸せとは言えないだろう。俺1人だったら掃除なんてしないんだけど、女の子がいるんじゃ、しょうがない。
「住めば都なんて言うけどね」
結菜はことわざを呟く。それはつまりこの環境を受け入れようと考えていたのだろうか?実際に昨日1日はこの中で過ごしてきたわけだから、慣れてきたのだろうか?
「でもあなたが掃除するって言うなら掃除しようよ。せっかくの土曜日なんだから本格的に。今日頑張っても明日1日はゆっくりできるでしょ?」
たしかに・・・この惨状では大掃除を敢行した方がいいのかもしれない。単純にゴミが散乱しているだけではなく、テレビや机の上なんかも埃がかぶっていたり、洗濯物が放置されていたり、トイレも最近は洗ってないなぁ。シンクだって汚れが目立つ・・・こんなところじゃ洗い物も洗えないだろう。
「そうだな・・・じゃあ昼食を摂り次第、大掃除をしよう!」
「うん」
「ところで、昼食はどうしようか・・・?」
俺にはコンビニ弁当を2つ買うほどのお金はない。カップラーメンだったら2つ買ってもコンビニ弁当1つ分ぐらいの金額で収まるか。
「なんでもいいよ」
「なんでもいいならカップラーメンだなぁ」
そんなことを口にしつつ、買い置きのカップラーメンが部屋にあったか考える。けれどなさそうだ。しょうがなく、財布を持って家を出ようとしたら・・・結菜が「私も行くよ?」と言ったので2人でコンビニまで行くことにした。
ほんの10分ほど留守にするだけだが、アパートの自室にはちゃんと鍵をかけておく。別に盗られて困るものも特にないけど。
アパートを出ると心地よい空気が俺の鼻孔をくすぐる。外の空気は澄んでいて美味しい。青空とお日様と木々と草花の匂いだ。ただ俺の部屋の空気が濁っているから外の空気が美味いと感じるのかもしれないけど・・・。
今日はそれなりに暖かいな。照り付ける太陽というほどではないが、太陽は俺の背中に熱を注いでいた。長袖のパーカーだと若干暑い。
そういえば吸血鬼なんかが日光を浴びると死んでしまう、なんていう弱点が存在するけど、幽霊は日光って大丈夫なんだな、と隣を歩く結菜をみて思った。
結菜は普通の人間のように2本の足を地につけて歩を進めている。たしか俺の部屋にはドアを通り抜けて入ったんだっけか。幽霊だと空中浮遊なんかができそうな気もするけど、どうなんだろうか。
「なあ、幽霊って空中に浮いたり、浮きながら移動したりすることって出来るのか?」
「幽霊もピンキリだと思うけど、私は出来た」
「出来た?」
「それが、昨日からできなくなってるみたい。幽霊になってから使えたあらゆる力が消えてるの」
えっ・・・昨日を境に力がなくなった?昨日と言えばもちろん俺と結菜が初めて会話をした日になる。幽霊が人間と会話をした日だ。
「例えば、どんな力が消えてるんだ?人間に入り込んだり、呪術が使えたりするのか?」
「といってもそんなに力なんてないんだけど。さっきも言った空中に浮くことはできないってことと、壁をすり抜けることもできなくなってる。それぐらい。だから乗り移ったり、呪いが使えたりってことはもとからできなかったわ」
「昨日を境に力がなくなったのなら考えられる可能性ってのは1つだけある。俺と会話をしたから。人間と会話をしたから。けどなんで俺と会話をしたから力がなくなったのかはさっぱりわからないな」
「あなたと会話をしたから?」
「そう、今まで人間と会話をしたことがなかっただろ?だけど人間と会話をした。それがなにかの引き金なのかもしれない」
人間と会話をしたから人間に近づいた?けれど俺からみたら結菜は昨日と変わらず半透明に見えている。ちょっと目を離したら見失ってしまいそうなほどに。
そんな不可思議なことを話していると、もうコンビニに着いていた。コンビニに入るとお馴染みの入店音が聴こえ、女性店員が「いらっしゃいませー」と、ちょっと面倒くさそうな、間延びした感じで口にした。
それは俺たちの来店を歓迎するものではなく、あくまでも言わなければいけない、決まり事だから言った、という風に聞き取れてしまう。けれどアルバイトだろうし、面倒くさいのは事実なんだろうなぁ。
「カップラーメンで大丈夫なんだよな?」
「うん、いいよ」
結菜は二つ返事で答える。・・・はっ!?今の俺ってもしかして、他人からは虚空に語りかけているように見えるんじゃないのか?結菜は俺以外の人間には見ることはできない。つまり俺が結菜の方を向いて訊いた今の言葉は、他人にとっては俺が何もないところに話しかけているように見えているはずだ。完全なる中二病の痛い子じゃないか。
だが今の時間、幸い客は俺たち以外にいないようだ。でも店員はいるからなぁ・・・。店員さんには今のみられてしまっただろうか。そういうのを見られてしまうと今度からこのコンビニ使いづらくなっちゃうなぁ・・・。せっかくアパートから一番近いコンビニなのに。
とりあえず自分のカップラーメンは選んでおこう。コンビニだとスーパーと違ってタイアップしたカップラーメンとかもあって選択肢が増えるよなぁ。けれど安くておいしい金様ヌードルでいいか。
「私はこれでいいよ」
結菜が手に持っていたものはインスタントのおしるこだった。でも店員さんからすればそのおしるこって浮いて見えてるんじゃないか?そもそも結菜が着ている学生服も、他人からはどうなって見えてるんだろう。学生服も見えなくなっているのか?あるいは学生服が浮いているように見えているのか?
謎ばかりだ。謎が尽きない。本当に結菜は宇宙の縮図のようだ。
「おしるこか。まぁ値段的にはカップラーメンと変わらないけど、こんなんでいいのか?」
「いいの。好きだから」
俺が持っている買い物かごの中にインスタントのおしるこを入れる結菜の顔はどことなく嬉しそうで、そんな結菜の顔を見ると俺もなぜか嬉しくなってしまう。
あとは飲み物を買っておこう。2Lサイズのものがいいだろうな。コンビニとスーパーだと値段がかなり違うけど・・・近くて便利なスーパーでついつい買ってしまう。ここはシンプルに緑茶でいいか。
とりあえず買うものはすべて買い物かごの中に入れたし、レジへと行こうか。俺の後ろを結菜はついて歩く。
入店時に面倒くさそうに来客対応をしていた若い女性店員がレジで対応してくれた。この店員さんは結構前からいる店員さんで、俺もほぼ毎日このコンビニを利用しているから顔だけは知っているし、向こうも俺の顔はさすがに覚えているだろう。変なあだ名をつけられているのかもしれない。このコンビニでエロ漫画をよく買っていくからエッチマンとかそんなあだ名をつけられているのかも。・・・ってエッチマンってどんなセンスだ・・・自分を疑いたくなる。
「650円でーす」
「はい」
すっと1000円札を渡す。
「350円のお返しでーす」
手渡された袋を手に取り、レジから店の出入り口に向かおうとしたその時だった。
「ッチマ・・・じゃなくて・・・。お客さん、彼女いたんすね」
「・・・えっ!?」
一瞬、俺は何を言われたのか理解が出来なかった。えっ・・・?彼女って・・・結菜のことか?結菜は俺の彼女じゃないぞ・・・ってことを言いたいわけじゃない。
「みっ・・・見えるのか?」
「はぁ?見えてるに決まってんじゃん」
女性店員の目はしっかりと結菜のいる場所を向いていた。どうなっているんだ・・・?結菜は俺だけにしか見えないんじゃないのか?俺も結菜を見る。結菜は相変わらず半透明に見える。俺の中でこの子は幽霊なんだ、と強く思わされる。
そしてこの女性店員にはおそらく半透明には見えていない。何故なら半透明に見えているのなら、俺が結菜と初めて会った時のような驚き方をするからだ。それなのに彼女は平然とした態度で結菜を見ている。おそらく彼女からは結菜は普通の人間として見えている。
でも・・・なんでこの女性店員は結菜を見ることができるんだ?俺だけが見えるんじゃないのか?いやでも・・・俺が見えてるんだからほかの人が見えてもおかしくはないだろう。けど俺からは結菜は半透明に見えてるし、女性店員からは結菜は普通の人間として見えているはず。
訳の分からないまま、コンビニを後にした。結菜に訊いても「わからない」と、首をかしげられた。
なんだかもやもやする・・・けど考えても埒があかない。とりあえずアパートに戻って昼食を摂って、大掃除をしてから悩もう。
「なぁあの後ろ姿一瀬だろ」
「おう、そうだろうな。けど隣に女子校生がいるじゃねーか。誰だあれは?彼女か?」
「一瀬って彼女いたのかー。あんまパッとしない奴だけどヤることヤッてんだなぁ」
後ろの方から男二人の話し声が聞こえてきた。見知った声が俺の名前を口にした。専門学校のクラスメイトの二人だ。
だけど・・・なぜ、結菜が見えている?なんでさっきの女性店員といい、クラスメイトといい、結菜の姿が見えているんだ?しかも結菜の姿を見て驚かない。
「危ない!」
ハッと我に返る。自分でも何が起きたのか分からなかった。信号のない交差点。猛スピードで走る車が横から来ているにも関わらず、俺は道路を渡ろうとしていた。結菜が俺の手を取ってくれなかったら、俺は車と衝突していただろう。最悪死んでた。
「私のことをいろいろ考えてるのはわかるけど、自分をもっと大事にしてよ」
「うん、今のは・・・俺の不注意だった・・・気をつける」
本当は歩行者を見つけたら車が止まらないといけないルールなんだが・・・。そういえば結菜も交通事故で死んだんだっけか。その辺りも敏感なんだろうな。
結菜の左の手は、俺の右の手をずっと握っている。俺の心臓がドクンドクンと強く脈打つ。これは事故死していたかもという恐怖からのドキドキなのか?あるいは異性に手を握られているという恋愛がらみのドキドキなのか?これが吊り橋効果ってやつなのか?自分の手のひらが汗ばんでいくのを感じる。
「あなたの手、おっきい」
極めつけにそんな言葉を言ってくる。それはなんか、エロい・・・。
「それでいつまで握ってんの?」
ドキドキが収まらないのと、汗ばんできた自分の手を相手に悟られるのが嫌で、離してほしいという旨の言葉を言った。
「アパートに着くまで」
だが、返ってきた言葉は俺のドキドキをさらに高揚させる一言だった。といってもアパートまでは3分ほどで着く。手を繋ぎながら俺たちはアパートまでの帰路を歩く。これじゃあ本当に彼氏彼女みたいじゃないか!
いつもは1人で歩くこの道を、今日は結菜と手を繋いで歩く。今まで見ていた景色が何だか違うように見える。凸凹した、整備が不十分な道も、シャッターのしまったお店も、何もかもがいつもより素敵に見える。
長いようであっという間に着いてしまった。3分ってそんなもんか。階段を上って、3階の自室を目指す。自分の部屋の前に着くと、ちょうど隣の部屋の住人が部屋から出ていくところだった。
「こんにちは」
と社交的なあいさつをしておく。
「こんにちは。一瀬くん、それと彼女さんかな」
「こっ・・・こんにちは」
結菜は慌ててあいさつをした。
アパートの隣の住人まで結菜のことを見ることができている。結菜は全員が認識できる状態になったのでは・・・?
「いちおう彼女じゃないです・・・」
結菜は俺と彼氏彼女の関係ではないと、否定した。それはそれでショックだけど・・・まあ実際に付き合っているわけではないんだから、しょうがないことだ。むしろ俺は何を期待してるんだ!
けど、姿を認識できるだけじゃなくて、コミュニケーションをとることもできるのか。もう結菜は普通の人間だな、他人からは。けど俺からみれば結菜は身体が半透明の幽霊だ。
「そうかぁ。彼女じゃないのか。まあ一瀬くん、頑張ってねー」
そう言うとアパートの隣の住人は俺にウィンクしてから、階段を下っていった。なんというお節介だ・・・。
しかも20代後半の普通の会社員がウィンクってなんかちょっと引くわ・・・。今までの俺のドキドキがウィンクによって消し飛ばされた気が
した。
今までサブタイトルはなにも書かない方がよいのでは?(考えるのがめんどうくさいだけ)と思いサブタイトルをつけていませんでしたが、1話からサブタイトルをしっかりつけてみました。
1話のサブタイトル「俺と幽霊」は元々この作品そのもののタイトルでした。
けど「俺と幽霊」って地味だろ、と思いなにかかっこいいタイトルをつけたいといろいろ考えていたのですがいいのが思い浮かびませんでしたね・・・。
そのタイトルが「あのヴァーミリオンの向こうに」ということで、そんな「あのヴァーミリオンの向こうに」をよろしくお願いします。