第七話 離れていく心
ピンク色の桜のフレームの中に並ぶ、千尋と翔太と大輔。
千尋は、撮ったばかりのプリクラの写真を、部屋で眺めていた。
ピースサインをして、少し下がり気味の目を細め、満面笑顔の翔太。
それとは対照的に、無表情なままポーズも作らず、じっとカメラを見つめている大輔。
二人の間で千尋は、軽く微笑んでいる。
写真を撮った時間は、ほんの数十秒。
だけど、その間、千尋はかなり緊張していた。
いつもははしゃいで、おどけたポーズを取ったりするのに、笑顔を作るだけで精一杯だった。
左の肩が大輔に触れて、ずっと心臓がドキドキしていた。
この後、ハートのフレームで大輔とツーショットを撮った時、心臓の鼓動は最高潮に達し、その音が外まで聞こえるんじゃないかとさえ思った。
写真では分からないが、千尋の顔は紅潮していた。
笑顔さえ作れず、大きな瞳を開いてじっとカメラを見つめてる。
大輔はどの写真も同じ顔。
もちろん、翔太とのツーショットも何枚も撮った。
千尋は、側に置いていたケータイを手にすると、今まで貼ってあった翔太との写真を剥がした。
そして、その場所に大輔とのツーショットの写真を貼る。
「別にいいよね。他の子との写真を貼ったって」
言い聞かせるようにして、剥がした写真を指で丸めた。
その時、ケータイが光り、賑やかな着歌が響く。
翔太からのコールだ。
千尋は何故かビクッとして、慌てて電話を取った。
『千尋〜』
翔太の元気な声が響く。
毎晩定時にかかってくる翔太からのラブコール。
千尋はいつも心待ちしていた。
とりとめのない話に、時間を忘れるくらい夢中になる。
だけど、今夜は、翔太の電話がわずらわしい。
一方的に喋る翔太に、千尋は相づちをうち続ける。
その間も、千尋が見つめていたのは、プリクラの大輔の顔。
千尋の心は、大輔で一杯で、翔太の入ってくる余地はなかった。
「どうかしたの? 千尋、元気ないね」
翌朝、千尋を迎えに来た翔太は、心配そうな顔で言う。
昨日の嵐は過ぎ去って、また春の穏やかな日差しが戻ってきた。
そのうららかな天気とは裏腹に、千尋の心は沈んでいる。
「ううん、何でもない」
千尋は首を振った。
「ほんと? なんか昨日の電話の声、元気なかったよね」
「そう……?」
いつもは軽く一時間を超える電話が、昨日は三十分もかからなかった。
喋ったのは翔太だけで、千尋はほとんど話してない。
いつもなら、千尋の方が話の主導権を握っているのに。
翔太が心配するのも無理はなかった。
「何でもないって」
じっと見つめる翔太に、千尋は言う。
「女の子には、デリケートな日があるの」
「……あぁ、そうか」
しばらく考えていた翔太は、ヘヘッと笑って納得する。
「でも、千尋はお腹とか痛くならないよね? 僕の姉さんなんか、毎月薬飲んでるよ」
「もう! そういうことじゃないの」
千尋は少しムッとし、翔太を残し先に歩いて行く。
「待って」
翔太は千尋を追いかけ、その手を繋ぐ。
二人で歩く時、いつも繋いでいる翔太の手。
今朝は何故か、その手の温もりが気になる。
「千尋、今日はまだだよ」
翔太はギュッと、握る手に力を込めて、微笑む。
「何?」
歩きながら、千尋は顔を横に向ける。
「おはようのキス!」
翔太も顔を横に向け、二人は顔を見合わせた。
「……」
翔太と千尋は、道の真ん中で立ち止まる。
いつものように、まわりは、通勤、通学の人々が行き来している。
どんなに人が大勢いようが、学校だろうが電車内だろうが、キスをするのは気にならなかった。
なのに、こんなに人の視線が気になるのは何故だろう?
千尋は不思議に思う。
側を歩いている人全員が、自分のことを見ている気がする。
「やめようよ。みんな見てるし、人前でキスするなんて恥ずかしくない?」
「でも、今まではずっとそうしてきたじゃないか」
「今日からやめるの」
千尋は、握っていた翔太の手をサッと放す。
「いつもずっと一緒にいることはないよ。たまには別々に行動してもいいでしょ」
「……」
戸惑う翔太を残し、千尋はサッサと先を歩いていく。
──翔太のこと、嫌いになった訳じゃないよ。でも、なんか、今日は一緒にいたくない。
千尋自身も自分の気持ちの変化に戸惑っていた。
その原因が、大輔であることは間違いない。
今だって、千尋の心はときめいている。
もうすぐ大輔に会える、そう思うだけで心が熱くなっていく。
早く、彼に会いたい。
──千尋、どうしたんだろ? 何だか人が変わったみたい。
一人残された翔太は、先を歩いて行く千尋の後ろ姿を見つめていた。
二人の距離は、どんどん離れていく。
それはまるで、二人の心の距離のようだった。
嵐の後の風の冷たさが、翔太の身に染みる。
「ヘックション!」
大きくくしゃみして、翔太は歩き始めた。