第四話 遅れてきた転校生
「昨日の『日九』観た〜!?」
「観た、観た! ○☆超格好かったぁ!」
斜め前の席で、クラスメイト達がはしゃいでいる。
千尋は、教室に着くやいなや、トイレにダッシュして行った翔太を待っていた。
「『日九』? ○☆?」
目を点にして彼女達を眺めていると、瞬間冷凍しそうなほど冷たい視線が、千尋に返ってくる。
「やだ、マジ? ○☆を知らないって……」
「もしかして、『日九』観てないの……?」
「うん」
こくりと頷く千尋の鼻先に、クラスメイトはティーン向けの雑誌をつきだした。
カラフルな色使いの表紙に、クールな笑みを浮かべて佇む少年。
「彼が○☆!」
「観たことあるでしょ」
「ううん、ないよ」
千尋は、おっとりした笑顔で首を横に振る。
「信じらんない!」
「超イケメンタレントの○☆を知らない女がいるなんて!」
「そうなの? でも、あたし、観たことないし」
千尋は、クラスメイトが指し示す、イケメンの顔をマジマジと見つめる。
「ふ〜ん、これがイケメンタレント? あたしは、翔太の方が良いなぁ〜」
「……!」
今度は、クラスメイト達が目を点にして、呆れた顔をする。
「で、『日九』って何?」
追い打ちをかけるように、千尋は聞き返した。
「……日曜九時の高視聴率ドラマのことよ。○☆が主演してるの……」
諦めモードでクラスメイトは呟いた。
「昨日の九時? だったら、あたし観てないよ。だって、その時間はず〜っと、翔太と電話してたもん!」
重いため息をついているクラスメイト達の前で、千尋は夢見るようなうっとりした笑顔を見せる。
好きな人気タレントなど、千尋も翔太も今までいたことがない。
テレビの中のどんな美男美女も、お互いと比べたらただの通行人と一緒。
主演はいつも翔太と千尋。
どんな人気タレントも脇役でしかない。
「千尋ー! お待たせー!」
教室中に響き渡るような声と共に、翔太が戻って来た。
また一年、クラスメイト達は、二人のらぶらぶ攻撃を見せつけられることになる。
どんよりとした重い空気がクラス中に流れるが、翔太も千尋も全く気付きはしない。
その時、シンとした教室の中に始業を告げるチャイムの音が響き、翔太と千尋のバカに明るい笑い声と重なった。
これから始まる翔太と千尋中心の一年に、クラスの誰もが意気消沈していた。
やがて、二年二組のクラス担任が教室に現れた。
三十代半ばの独身女教師。
髪をきちんとアップにまとめ、ややつり上がったキツイ目つきで生徒達を見渡す彼女は、数学担当の教師だった。
新しい担任の教師に、僅かながら期待を寄せていた男子生徒も女子生徒も、その期待の芽を一気に摘み取られた。
テキパキとクラス名簿を見ながら生徒達の名を呼び上げた後、彼女はザッと教室中を見渡した。
「後一人、転校生がいるはずですが、まだ来てません。初日から遅刻ですね」
教師は無表情で、名簿の遅刻欄にチェックを入れる。
『転校生』という、どことなく魅力的に感じる言葉も、そっけなく言い渡されると、どうでも良くなる。
毎日見飽きるほど顔を合わせているクラスメイトが、風邪で一日休んだくらいのレベルまで落とされ、クラスの皆もさほど興味を示さなかった。
「これから体育館で始業式行いますが、その前に前期のクラス委員を決めたいと思います」
淡々とした口調で話しは続く。
「前期の委員は私が適当に選びたいと思います。では──」
「先生!」
教師の話は途中で折られ、クラス中に元気な声が響く。
翔太が、ピカピカの小学一年生並に、真っ直ぐ手を挙げていた。
「僕にクラス委員やらせて下さい!」
ガタッと椅子を引くと、彼は勢いよく立ち上がった。
シラッとしていた教室が、余計にシーンと水を打ったように静かになる。
「小笠原君……あなた、クラス委員をやりたいの?」
教師は上目遣いに冷めた視線で翔太を見る。
「はい! 僕が男子のクラス委員で、千尋が女子のクラス委員をします!」
翔太は隣りに座る千尋を笑顔で見つめた。
「いいよね、千尋。僕ら二人でクラスをまとめていこうよ!」
「うん!」
千尋も元気良く椅子から立ち上がる。
「あたしも翔太と一緒にクラス委員やる! 二人なら寂しくないよね〜」
手を取り合い、笑いながら見つめ合う二人。
教室中が、試験中かと思うくらいに静まりかえる。
鉛筆をなぞる音、消しゴムを消す音まで聞こえてきそうだった。
「……」
さすがの女教師も言葉を失い、口をポカンと開けて固まった。
カチカチと動く乾いた時計の針の音。
身じろぎさえ出来なくなってしまった妙な空気。
と、時計の針がちょうど九時を指した時、教室の扉がガラガラッと開いた。
翔太と千尋を除くクラス中の者が、みんな救われたような顔をして扉に注目した。
「あの……」
気後れしながら、後ろ手で扉を閉めると、彼は軽く頭を下げた。
「すみません。母は仕事が間に合わなくなるって言って、先に帰りました……」
視線を泳がせつつ、彼は続ける。
「えっと……転校生の望月大輔です」
いたたまれなくなり、大輔は片手で頭を掻きながら俯いた。
その時、既に、クラス中の女生徒達が、大輔に燃えるように熱い視線を送っていた。
担任の女教師でさえ、我を忘れて大輔の顔に見入っていたくらいだ。
──またか……。
ナイフで刺されるような鋭い視線を避けながら、大輔はふうっと息を吐いた。