第二十七話 秘密
正午を過ぎて、アスファルトに照りつける日差しは、益々きつくなってきた。
翔太は、額から流れ出る汗を手で拭う。
「腹減った……」
図書館に行った後、茜とどこかでランチしようと思っていたのだが、茜は急用が出来て帰ってしまった。
『先輩、ごめんなさい! 入院しているおばあちゃんの具合が急に悪くなったって、お母さんから連絡あって……』
茜は涙目になりながら、すまなさそうに翔太に言った。
『良いよ、良いよ。早く行ってあげなよ』
翔太の言葉に、茜は頭を下げつつダッシュで帰って行った。
緊急事態だったとは言え、初デートが中止になったのは残念だった。
それよりも、翔太は茜の家族のことを何も知らなかったことに、今更ながら気付く。
家族もそうだが、茜自身のことさえ、まだ分からないことはたくさんある。
──まぁ、付き合い始めたばかりだしな。
千尋のことなら、何でも知ってる。家族構成、両親の実家、好きな物、嫌いな物……。
もしかしたら、千尋以上に知っていたりするかもしれない。
また千尋のことを考えていた。
茜との初デートだったのに、さっきから千尋のことばかり頭に浮かんでくる。
千尋のことを頭から追い出そうと、軽く頭を振って歩いていると、通りにハンバーガーショップが見えてきた。
千尋とよく行く店だ。
千尋はいつも、チーズバーガーにジンジャーエール。ポテトはエルを注文して、二人で食べていた。
「腹減った」
迷わずその店に入ろうとした時、店の中からスラリと背が高く、髪の長い少女が足早に出てきた。
「彼女〜待ちなよ」
続けて派手目な若者が、彼女を追いかけるようにして出てくる。
「なぁ、暇なんだろ?」
少女は迷惑そうな目で若者を見ると、逃げるように先を歩く。
ハッとするほど、整った美しい顔立ちとスタイルの少女。
「あれ……?」
翔太は彼女の横顔を見て、立ち止まる。
どこかで見た顔だった。
少女の方も一瞬翔太を見て、驚いたように目を瞬かせていた。
「一人だろ? 俺とつき合えよ」
若者はしつこく付きまとう。
彼を振りきって行ことした少女は、自分のロングスカートの裾を踏み、一瞬よろける。
その隙に、若者は彼女の腕を掴んだ。
「もっと良い店、行こうぜ」
嫌がる少女の手を、彼はグイッと引っ張った。
「やがってるんだから、やめなよ」
翔太はとっさに若者の手を掴む。
「なんだ、てめぇ!」
若者は少女の手を放し、翔太の胸ぐらを掴んだ。
「だから、やだっ──」
若者とは同じような体型。喧嘩になってもやり合えるだろう、と思っていた翔太は、いきなり顔に強烈なパンチを浴びせられる。
不意をつかれ、翔太は大きく後ろに尻餅をついた。
「フン、弱いな」
ヘラヘラ笑い、若者は少女の方に顔を向ける。
「ざけんなっ! てめぇ!」
男のようなドスの利いた声。
若者の目の先には、怒り狂った美少女の顔があった。
いや、美少女というより……。
彼女は手に持っていた鞄を持ち上げると、若者目がけ一気に振り下ろした。
「いてーっ!」
よろける若者に、今度はスカートから伸びた長い足で、強烈なキックを浴びせる。
若者は悲鳴を上げながら、路に吹っ飛んだ。
「くっ、くそー、覚えてろっ」
弱者の捨てぜりふを吐き、彼はよろめきながら慌てて逃げていった。
その一部始終を、翔太は目を点にして見守っていた。
「……」
路に座り込んだまま、翔太は背の高い彼女を見上げる。
若者が去った後、我に返った少女は、なんとなく違和感のある自分の髪に手をやった。
少しウェーブした長い髪が、中心から少しずれている。
「あ……れ?」
彼女は慌てて髪をなおそうとするが、引っ張りすぎて、長い髪ごと頭から取れてしまった。
「あーっ!」
帽子のように取れたウィッグと少女の顔を交互に見ながら、翔太は悲鳴のような驚きの声を上げた。
「望月君……!?」
「……あ、や、やぁ……」
ウィッグを手にしたまま、大輔は苦し紛れに笑った。
「何で、何で、何で?」
大輔とバーガーショップに入り、冷たいタオルで殴られた頬を冷やしつつ、翔太はじっと大輔を見つめる。
「望月君、女装してんの……?」
目はじっと大輔に向けたまま、翔太は片手でハンバーガーにかぶりつく。
「楽かな? と、思って」
ウィッグをうちわ代わりにして扇ぎながら、大輔はポツリと言った。
「これ、全部母さんのなんだ。けど、ウィッグは暑いし、そんな楽でもなかった」
「や、そういう問題じゃない気がする」
翔太は、口いっぱい頬張ったハンバーガーを、せわしく噛んで飲み込む。
「女になれば、女の子から逃げられると思ったけど……」
大輔は、軽く息を吐いた。
「今度は男に迫られるし。スカートって涼しいけどさ、なんか歩きにくい」
「は、はぁ……」
「けど、まぁ、自分以外の別人になるってさ。これが、結構楽しいんだ」
大輔はテーブルに頬杖をついて笑った。
「や、そっか。僕は、てっきり、大輔君がその、そういう趣味あるのかなぁと……」
女装していることは事実なのだから、そういう趣味はあるのか? と思いつつ、翔太は言いにくそうに言った。
「小笠原君もやってみる?」
「は……?」
「女装。結構、似合うかもな」
「や、僕はっ」
のどにつっかえそうになったハンバーガーを、慌てて飲み込みながら、翔太は咳き込む。
「……でも、望月君にも色々悩みあるんだ。女の子にモテすぎるのも大変だね」
「女嫌いになりそう」
大輔は長いまつげを瞬かせつつ笑った。
大輔は確かに綺麗た。男って分からなかったら、惹かれそうになったかも……。
と、翔太は大輔を見つつ、頭に浮かんだその考えを無理やり否定した。
「このことは、小笠原君と俺の秘密だよ」
フッと笑って、大輔は翔太に言った。
「実はさ、この前、この姿の時公園で千尋ちゃんに会って。千尋ちゃんは俺のこと、妹だと信じてたけど」
「へ、へぇ、そうなんだ」
「俺、女の時は翔子だから」
「はっ? 翔子?」
「『大輔』から女の子の名前は浮かばなくてさ。とっさに翔子って言った」
翔太の顔を見つつ、大輔は笑う。
口の中のハンバーガーを思わず吹きだし、翔太は自分の胸をパンパンと叩いた。
「大丈夫?」
慌てて水をゴクゴクと飲みながら、翔太はやっとの思いで頷いた。
「これから、俺、小笠原君のこと、翔太って呼ぶよ。俺のことは、大輔で良いから」
「わかった」
ようやく一息ついて、翔太は言った。
「千尋ちゃんとも翔太とも、仲良くやってけそう。だからさ、千尋ちゃんとよりを戻しなよ。俺は、千尋ちゃんの親友。翔太は千尋ちゃんの恋人。それが、一番さ」
「……あ、あぁ」
翔太は曖昧に返事した。
元通り、それが一番いいポジションなのかもしれない。
しかし、同時に無邪気な茜の顔が、クローズアップして、頭の中に浮かんでくる。
『先輩! 浮気しないでくださいね!』
リフレインする、茜の言葉。
「あぁー! 僕は優柔不断だよなぁ! はっきり決めることなんか出来ないよ!」
驚く大輔を後目に、翔太は残りのハンバーガーを一気に口に押し込んだ。




