第二十五話 隠せない気持ち
さわさわと校庭の木々を揺らす初夏の風を受けながら、千尋は目の前の校舎を見上げる。
一週間ぶりに来た学校は、何にも変わっていないようで、それでもどこか新鮮に見えた。
長いようで短かった一週間。
学校になんか行きたくない日の方が多かったけれど、
今は、翔太や大輔のいるクラスで、授業を受けたい気分がする。
停学期間中、一度も翔太や大輔とは会わなかった。
あの大輔の妹の翔子にも……。
千尋は、いつもより、少し早く登校した。
二年二組のクラスに直行したかったが、
その前に、言っておかなければならない事がある。
千尋は、ギュッと鞄を握りしめ、校舎に向かって歩いていった。
「茜ちゃん」
一年一組の前の廊下に佇んでいた千尋は、ゆっくりとした足取りで歩いて来る茜に、軽く手を振った。
茜は目を細めて怪訝な顔をすると、千尋の方を見ながら近づいて来る。
「あ……千尋さん」
千尋にかなり接近して、茜はようやく千尋だと気付いた。
「すっすいません!」
焦った様子で、茜はペコリとお辞儀した。
「あの、よく見えなくて……コンタクトもメガネもしてないから」
メガネは千尋に壊されたことを思い出し、茜は余計に焦る。
「謝ることないわよ」
頭を下げたままの茜の背を見つめながら、千尋は口元を弛める。
「謝らなきゃならないのは、私の方。ホントにごめんなさい!」
茜が頭を上げると、茜より深く、千尋は頭を下げた。
「あっ、いえ……」
「それで、茜ちゃんのメガネの件なんだけど。新しいメガネ、まだ買ってないみたいね」
千尋は頭を上げながら、チラリと茜の顔を見る。
「あぁ、はい」
「ママがね、茜ちゃんと一緒にメガネを買って来なさいって、お金預かってるの。今度の土曜、良かったら買いにいかない?」
「えっ、そんな、良いんですか?」
「当たり前よ。あたしが壊したんだから、ちゃんと弁償しなきゃ」
「あ、でも……」
茜は口ごもる。
恋敵のような千尋と一緒に買い物……。
茜にはかなり抵抗があった。
「何か予定入ってる?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
「あたし、翔太のことは、もう諦めたから」
「はぁ」
「翔太は茜ちゃんに譲る」
「……」
キッパリと言いきる千尋の顔を、茜は戸惑いがちに見つめた。
「じゃ、また後で買い物のこと連絡するね」
「……はい」
小さく返事する茜を残し、千尋は廊下を歩いて行く。
──そう、翔太のことは諦める。
それは、この一週間の間に千尋が出した答え。
悩みながら迷いながら、ずっと考え続けていた。
──翔太とは幼なじみで、ずっと仲の良い友達。
ずっとずっと、友達でいられるの?
恋人でもなく、アカの他人でもない友達。
自分で自分に聞いてみても、まだ、その答えは千尋にも分からない。
けれど、今は、そう決めた。
──翔太とは、ただの友達。
「あ……」
廊下を曲がったところで、こちらに向かって来る翔太に会った。
お互い、一瞬、戸惑いの表情を浮かべて、立ち止まる。
「なんか、久々だね」
千尋は笑顔を作る。
翔太の顔を見るのは、一週間ぶりだ。
こんなに長い間、翔太と顔を合わせなかったことは一度もない。
「茜ちゃんとこに行くの?」
「うん、まぁ」
翔太は頭を掻きながら、意味もなく咳払いする。
「今度の土曜、茜ちゃんと買い物に行くから」
「買い物?」
「茜ちゃんのメガネを買うの。だから、彼女借りるね」
「あ、うん……」
「じゃ、また教室で」
笑顔のままそう言って、千尋は翔太の脇をすり抜けて行く。
そのまま、二階に続く階段を、足早に駆け上がった。
何故か心臓がドキドキした。
翔太の顔を見るまでは、固く決心していたのに……。
何度も何度も考えて、答えは出したはずなのに……。
今更、翔太にときめくなんて、ありえない。
──やば、走り過ぎちゃった。
胸のドキドキを走ったせいにして、千尋は二年二組のクラスの扉を勢いよく開ける。
「おっはよー!」
ありったけの笑顔と明るい声で、千尋はクラスに飛び込んだ。