第二十四話 謎の美少女
駆けてくるリリィに気付き、少女が振り返った。
リリィと千尋を見ると、彼女は驚いたように目を見開いた。
「待ちなさいよ! リリィ」
リリィは全速力で少女の足元まで走り寄り、キャンキャンと吠えながら彼女の足元で飛び跳ねる。
「ごめんなさい。こら、リリィ」
目を丸くしている少女に千尋は頭を下げ、リリィのリードを引っ張った。
公園の外灯に照らし出された少女は、細面で睫が長く綺麗な顔立ちをしている。
スラリとした体型。細く長いであろう足は、少し流行遅れのロングスカートの中に隠れていた。
「あれ……?」
千尋は、彼女の美しい顔を見つめながら首を傾げる。
「どこかで会ったことあったっけ?」
彼女の顔には、見覚えがあった。直ぐに名前は浮かんでこないが、確かにどこかで会った気がする。家が近所だから、知らないうちに何度か会っているのだろうか?
少女は戸惑いがちに首を振った。
「初めてだと思う」
顔に似合わず、低くてハスキーな声だった。
千尋が少し驚いてリリィのリードを弛めた拍子に、リリィは勢いよく少女の膝に飛び乗った。
「あっ、リリィ!」
満足気に少女の膝に座るリリィ。
少女も嫌がらず、微笑んでリリィの体を撫でた。
「リリィは初めての人には警戒しちゃうんだけどねぇ」
「犬、好きだから」
「ふ〜ん」
千尋は改めて、少女の姿を見つめ直す。
華奢な体型をしているが、身長は随分高そうだ。
まるでモデルのよう。
彼女なら、少女向けファッション雑誌の表紙を飾ってもおかしくないと思う。
「ね、隣りに座っていい?」
なんとなく少女に興味がわき、千尋は彼女に微笑みかける。
「うん」
こくりと頷く彼女の隣りに、千尋は腰を下ろす。
「家はここの近く?」
「うん」
「名前はなんていうの?」
「名前……?」
千尋と顔を見合わせ、彼女は口をつぐんだ。
「聞いちゃまずい?」
口ごもる少女を千尋は意外そうに見つめる。
特に名前を言いたくない理由が分からない。
もしかして、本当にモデルをしているのかも。それも、割りに有名な。
「……翔子」
千尋が想像を張り巡らせていると、彼女はボソッと呟いた。
「翔子?」
『翔子』と名乗る少女と顔を見合わせながら、千尋の頭に翔太や学校のことが思い浮かんできた。
「あっ……」
出てきそうで出てこなかった答えが急に閃いたみたいに、頭のもやもやが消えていく。
「……証拠じゃなくて翔子」
口で言っただけでは、分かりにくい説明。
別に面白いことを言おうとした訳でもなさそうに、翔子は真顔で答えた。
「分かった! 翔子さんの名字あてていい?」
「う、うん」
目を泳がせながら彼女は頷いた。
「望月翔子でしょ!」
目を輝かせ、自信ありげに千尋は言い放った。
「……う、うん」
「やっぱり。どっかで見たことある顔だなぁって思った。年はいくつ?」
「えっと……十六」
名前を答えた時みたいに、彼女は一呼吸おいて言った。
年も言えなかったりする? 首を傾げながら、千尋は続ける。
「じゃ、大輔君の妹? それとも双子だったりする?」
「や……妹」
長いまつげを瞬かせながら、翔子は短く答えた。
「そっか、大輔君の妹なんだ。あたしは、大輔君のクラスメイト。事情があって、ただ今停学処分中なんだ」
千尋はペロッと舌を出して笑った。
「大輔君に話し聞いた?」
「ううん」
「そっか、もちろん高校は別だよね?」
「うん」
翔子は最低限の短い返事で切り返してくる。
「やっぱ、大輔君と似てるね」
翔子を見ながら、千尋はクスッと笑った。
「すっごく綺麗でクールで、口数は少ないけど、本当は優しくて。あたし、停学処分が決まった時は、かなり凹んだけど、大輔君が鞄届けに来てくれたり、翔子ちゃんと会えて、なんだか元気になってきた」
それから、翔太も。千尋は心の中で付け加えた。
「気にすることないよ」
突然、翔子が声を強めて言った。
「え?」
「停学処分なんて。一週間の休暇だと思えばいいし」
「……そうだよね」
千尋は翔子を見て笑う。
「なんか、今、大輔君の声に似てた。翔子ちゃんって顔に似合わない低い声だもん」
「そ、そう?」
翔子は急にどぎまぎしながら、長い髪をいじった。
「ホント、良かった。翔子ちゃんに会えて」
翔子の膝の上のリリィは、すっかり翔子になつき安心しきって抱かれている。
そんなリリィに目をやりながら、千尋は言った。
「翔子ちゃんとは仲良くなれそうな気がする。ね、また会える?」
「うん、多分……」
翔子は口元を弛め、こくりと頷いた。
「茜ちゃん、話って何?」
お昼休みの屋上で、翔太と茜はフェンスにもたれかかり、横に並んで立っていた。
五月も終わりに近づき、日差しはすっかり初夏になってきた。
降りそそぐ太陽を浴びていると、次第に汗ばんでくる。
『小笠原先輩、大事な話があるんです。お昼休み屋上に来て下さい』と、今朝茜に言われ、翔太は屋上にやってきた。
茜に初告白された時のような、軽い緊張感がはしる。
ずっと並んで立っているが、茜はなかなか話しを始めようとしない。
「あの……」
茜は俯いたまま口ごもる。
頭の怪我はたいしたことなくて、包帯ももうとれている。
表面上の傷は治っているが、心の傷は大きかったようで、あの事件以来茜は元気がない。
「茜ちゃん?」
茜の瞳から涙がポタポタと流れ出るのを見て、翔太は驚いた。
「どうしたの?」
「……私、やっぱり先輩の彼女にはなれないと思います」
そう言うと、茜は肩を震わせて泣き出した。
「なんで……?」
「だって……千尋さんは、今でもスゴク先輩のこと好きだし。先輩だって、あたしより千尋さんの方が好きなんだと思います」
「……」
翔太は茜の肩にかけようとした手を途中で止める。
茜と付き合うことに決めたけれど、千尋のことを嫌いになった訳ではなかった。
今でも、翔太の心の中には千尋がいる。
けれど、自分のことを思い、心を痛めて泣いてる茜を目にすると、気持ちは大きく揺らいだ。
「だっ、だから、私……先輩のこと諦めます!」
ようやくそれだけ言うと、茜は声を出して大泣きし始める。
「茜ちゃん……」
空中に浮いていた手を、翔太は茜の肩にかけた。
「僕は千尋と別れたばかりで、まだ千尋のことキッパリ忘れてないのは確かだと思う。これからも千尋とは友達でいたいと思うし……けど、千尋はもう僕の彼女じゃないよ」
翔太は言葉を切り、大きく息を吸った。
「僕の彼女は茜ちゃんさ」
「……」
大泣きしていた茜は、泣くのをやめ、おずおずと顔を上げた。
「……本当ですか?」
「うん」
翔太は茜を見つめ、頬を弛めた。
「私、先輩の彼女になっていいんですね?」
念を押して聞く茜に向かって、翔太は頷いた。
茜のことは好きだ。今はまだ、『彼女』と呼ぶには、二人の距離は縮まっていないような気もするけれど……。
茜は両手で頬の涙を拭い、翔太を見て嬉しそうに微笑む。
そんな茜を見つめながら、翔太は彼女に顔を近づける。
茜との心の距離も、もう少し近づけてみようと思う。
「あ……!」
驚いている茜の唇に、翔太はフワッとキスをした。
「……キ、キス! キスなんて!」
茜は軽く翔太を押しのける。
見る見る彼女の顔は赤く染まり、心の動揺を紛らすみたいに絶叫した。
「キャー! 先輩ってば、いきなり!」
「あ、あの、ごめん」
翔太は茜の驚きように戸惑い、ポリポリと頭をかいた。
千尋とは、どこでもかしこでもキスしていた。翔太と千尋の間では、フランス人のようにキスは挨拶代わりなのだった。
そんな習性がつい出てしまった。
「謝らなくていいんです。私、初めてで緊張して! でも、スゴク嬉しいんです! 先輩!」
いきなり、突進するように、茜は翔太に抱きついた。その拍子に、翔太は倒れるようにフェンスにぶつかった。
「わっ」
翔太がドキリとするくらい、茜は力を込めてギュッと翔太を抱きしめる。
「大好きです……でも」
茜は上目遣いに翔太を見上げる。
「浮気、しないで下さいね」
「は、はい……」
彼女の体をどうにか支えながら、翔太は声をうわずらせて答えた。