第二十三話 友達以上恋人未満
「あれ? 千尋ちゃんちって、俺の家に近いんだなぁ」
翔太に案内されてついてきた大輔は、二階建ての千尋の家を見上げる。
自分の家とは、歩いて行ける範囲の距離だった。
「て、ことは、僕の家にも近いってことか。なんか、今まで気付かなかったのが不思議だね」
翔太はフッと笑った。
二年に進級し、大輔が転校してきて、一月半くらいになる。
その間に、随分と色々な出来事が起こった。
順調にいっていれば、今も翔太と千尋はラブラブな仲で、大輔とは親友になっていたはずだ。
「俺んち、二丁目のさくら幼稚園の裏」
「へぇ、さくら幼稚園? あそこは僕と千尋の出身幼稚園なんだ」
「ホント?」
さくら幼稚園の桜の木も、今は葉桜になり、新緑の季節を迎えていることだろう。
桜の木に誓った言葉は、実現不可能になりかけているが、あの頃の思い出は大人になってもずっと忘れないと思う。
「あ……」
翔太は大輔ともっと語り合いたい気分になっていたが、二階の千尋の部屋のカーテンが揺れるのに気付き、言葉を飲み込んだ。
「そんじゃ、後は宜しく」
「千尋ちゃんに会ってけばいいのに」
そそくさと帰ろうとする翔太に、大輔は声をかけた。
「あの、俺と千尋ちゃんって、別に付き合ってる訳じゃないし……彼女とか彼氏とか、そんなんじゃないから、えっと」
大輔は前髪をかき上げて、口元を弛ませる。
「ただの友達っていうか」
「今の僕は千尋の友達でもないからさ」
ゆっくりと言葉を選びながら話す大輔に、翔太はポツリと言った。
「とにかく、今日のところは頼むよ。それじゃ、また明日」
早口でそう言うと、翔太は踵を返し足早に去って行った。
「千尋ー! 望月大輔君が鞄を届けに来てくれたわよ!」
階段の下から母親の声が聞こえてくる。
家で飼っているヨークシャーテリアのリリィの吠え声もする。
愛犬もお客さんを出迎えに行ったようだ。
「降りてらっしゃい!」
「誰にも会いたくないの! 鞄もらってて」
窓辺に立っていた千尋は、顔だけ階段の方に向けて叫んだ。
「しょうがないわねぇ」
母親が大輔に謝っている声が小さく聞こえた。
千尋は、窓に顔をくっつけカーテンの隙間から通りを見下ろしていた。
小走りに通りを去っていく翔太の背中が、次第に小さくなっていく。
千尋はその後ろ姿をじっと目で追っていた。
角を曲がって行った翔太が、千尋の視界から消えてしばらく経った頃、
勉強机の上に置いていたケータイが鳴った。
メールの着信音。
ケータイを手にして、メールを開いて見る。
無題、発信者に見覚えのあるメールアドレス。
『あんまし、気にするなよ』
短い言葉と笑顔の顔文字。
翔太からの久しぶりのメールだった。
喧嘩した後、怒りにまかせて、ケータイから翔太の登録は抹消していた。
付き合っていた頃は、発信者の欄にはハートマークで飾った『翔太』の文字が出ていた。
翔太の短いメールの文字が、次第ににじんで見えてくる。
急に緊張感が解けたみたいに、千尋の瞳にじわじわと熱いものがこみ上げてきた。
千尋は片手でケータイを握りしめ、人差し指で目をこすった。
ケータイをブレザーの胸ポケットにしまうと同時に、翔太の胸が振動し始めた。
千尋のことが気になって、家に帰り着く前にメールを送ったばかりだ。
しばらくぶりに送るメールを、戸惑いながら打ち込んだ。
翔太は直ぐにケータイを取りだしてみる。
『ごめんね。ありがと』
千尋からの短いメール。
千尋にしては何の飾りもない、ただのメールだった。絵文字さえない。
けれど、短い言葉のなかには、千尋の精一杯の気持ちが込められていた。
その言葉を、何度も何度も繰り返し読んだ。
「ヘヘ、地味だな千尋のメール」
翔太は微笑むと、そっとケータイを閉じた。
翌日の夕方。
千尋は愛犬を連れて散歩に出かけた。
停学中は自宅謹慎だが、近所か親と同伴の外出は許されていた。
小さなヨークシャーテリアのリリィは、ちょこちょことよく走り回るが、そんなに遠くまでは散歩しない。
今まで、犬の散歩は母親任せだったが、一日中家の中にいた千尋には、愛犬との散歩は良い気分転換になった。
日が暮れて薄暗くなってきた通りを歩き、近所の公園までやって来た時、
リリィが突然尻尾を振って吠えだし、公園に向かって走った。
「リリィ、待って」
グイグイとリードを引っ張るリリィに連れられるように、千尋は公園に入って行く。
リリィはまっしぐらに、公園のベンチに座っている人物目がけて走って行った。
薄暗くてはっきり分からないが、千尋の目に、髪の長いスラリとした女性の後ろ姿が映った。