第十六話 先輩、好きなんです!
「あ、小笠原──」
翔太に気づき、手を挙げ、翔太の名を呼ぼうとした大輔。
千尋は、とっさに彼の口を手で塞いだ。
片手で大輔の腕を引っ張り、翔太に見えないよう身を屈める。
『どうしたの?』と目で訴えている大輔に、千尋は首を横に振って目で合図する。
翔太のことを好きな女の子と翔太が、昼休みの屋上に二人きり。
千尋は、一瞬にして、これから繰り広げられる展開を予想した。
──翔太が女の子に告白される。
そんな展開、今まで考えてもみなかった。
千尋と翔太の前に現れる第三者の存在なんて。
いや、大輔の存在のことを考えると、第四者になるのだろうか?
女の子に告白されて、翔太がどんな反応を示すのか、
千尋は固唾を呑んで見守った。
翔太はキョロキョロと屋上を見渡し、『河合茜』の姿を探した。
自分に何の用があるのか、全く見当も付かない。
曇った空からは、今にも雨が降り出しそうだ。
屋上を吹く風は冷たい。
身震いした翔太の目に、フェンスにもたれかかる少女の姿が映った。
翔太が見る限り、屋上には彼女しか見あたらなかった。
多分、あの子が『河合茜』だろう。
そう思い、翔太は彼女に近づいて行った。
「河合茜さん?」
ぼーっとフェンスにもたれかかっている茜に、翔太は声をかけた。
名前を呼ばれた茜は、ゆっくりとふり返る。
「……!?」
茜の数十センチ先には、翔太の顔がある。
手を伸ばせば届きそうなほど、近い距離。
茜は大きく目を見開き、大きく口を開ける。
興奮のあまり、今にも叫びだしてしまいそうだ。
けれど、声は出ず、口がパクパク動くだけだった。
「君、河合茜さんじゃないの……?」
──小笠原先輩ったら、この前図書館で会ってるのに、とぼけちゃって……照れてるのかな?
自分のことを翔太が全く覚えていない、とは茜は解釈しない。
──もしかして、先輩も私のことを……! どうしよう、ますます緊張しちゃう!
火を吹きそうになるくらい顔を赤くしながらも、茜は喜びに顔をほころばせる。
「は、はい! 河合茜です!」
予想以上に大きな声が出る。
「靴箱にメモ置いたよね。僕に何の用?」
「えっと、あの……」
茜の心臓がドクンドクンと大きな音を立て始める。
告白の瞬間までを、カウントダウンしてるみたいだ。
「私、あの……」
すぐ目の前で、憧れの先輩が茜を見つめている。
茜の言葉を待っている。
期待を込めた眼差し。
何度も何度もシミュレーションし、夢にまで出てきた告白の場面。
心臓の音が響く。
五、四、三、二、一!
「私、小笠原先輩のことが──」
突然、ビュンと突風が吹き抜け、茜の言葉がかき消される。
「ん?」
翔太が首を傾げた瞬間、短く縫い直した茜のスカートが、ハラリと翻る。
「わ……」
大きくめくれ上がったスカート、翔太は目のやり場に困る。
茜は深呼吸すると、もう一度、精一杯の大声を張り上げた。
「小笠原先輩のことが好きなんです!」
屋上中、いや学校中に響き渡りそうなくらいの、腹からの大声だった。
「……えっ?」
地響きのような茜の声に耳を痛くしながら、翔太は口をポカンと開ける。
意味を理解するのに、数秒かかった。
「好き……?」
──や、やだ! もう、三回も言えない! 先輩、私に言わせたいの〜!?
スカートがめくれショーツを見られたことなど気付かないくらい、茜は舞い上がる。そんなことより、告白の言葉を言う方が、何十倍も恥ずかしい。
見知らぬ一年生に、突然『好き』と言われた。
顔を真っ赤にして、円らな瞳でじっと自分を見つめている。
今まで、告白などされたことのない翔太にとっては、衝撃的な出来事だった。
──小笠原先輩、かぁ……。
『先輩』という響きが、なんとなく耳に心地良い。
潤んだ瞳で、真っ直ぐに見つめられると、こっちまで照れてくる。
「あの、あの、あの……」
茜は次の言葉を探して俯いた。
「ただ、それだけ伝えたくて……」
「はぁ」
「先輩、私のこと嫌いですか?」
「え? 嫌いっていうより」
翔太は頭をかく。
──好き、嫌いっていうより、会ったばかりだし……。
「嫌いじゃないかなぁ……」
「じゃ、先輩も私のこと好きなんですね!」
もじもじしていた茜は、パッと上げる。
「……うーん」
茜の勢いに押され、翔太は返事を返す。
「あ、ありがとうございます!」
喜びに満ちた眼差しで翔太を見つめ、茜はぺこりと頭を下げる。
「じゃ、じゃあ、また!」
「……」
茜はそれだけ言うと、踵を返しダッシュして行く。
「あ、あの走り……」
昨日、靴箱で目にした光景と同じだ。
猛烈な勢いで走り去って行った女の子の後ろ姿を、翔太は思い出す。
──あの子だったのか。それにしても、何だったんだろ、今の……?
翔太は呆気にとられながら、茜の後ろ姿を見送る。
茜は、アッという間に屋上の扉の中に消えて行った。
茜の印象より、告白の時のめくれたスカートが印象に残った。
──や、あれは、見えても良いパンツだ。千尋もミニスカートの下にはいてるやつ……。
翔太が、ポッと頬を染めた瞬間、
ガチャン! という何かの音が耳に響いた。
「……あ?」
音のする方に目をやると、コンクリートの上に見覚えのある弁当箱が転がっていた。
千尋がいつも使っているキャラクターのお弁当箱。
視線を上げると、そこには千尋と大輔の姿があった。
ポツリ、ポツリ。
怪しげな曇り空から、ついに雨が落ちてきた。