第十一話 初恋〜恋に恋する乙女〜
勉強机の上に、借りた本を置いたまま、茜は眠れない夜を過ごしていた。
勉強はおろか、大好きな読書さえする気にはなれない。
部屋のベッドに仰向けに寝ころび、虚ろな眼差しで天井を見上げている。
頭の中に浮かぶのは、学校の図書室で出会った翔太のことだけ。
茜に向けられた、彼の優しい笑顔が浮かんでくる。
茜は今まで、一度も恋をしたことがなかった。
理想の彼の姿を頭に描いては、ただ恋に恋するだけ。
茜の恋は、恋愛小説を読むように、空想の世界だけの出来事だった。
──これが、恋する気持ち……? 好きな人のことを考えるだけで、幸せな気分になれるって、小説に書いていたけれど……。
茜はそっと瞳を閉じ、顔をほころばせる。
──本当ね。心の中に薄桃色の桜の花が咲いたみたい。
花は散り始め、桜の季節は終わろうとしていたが、茜の心の桜の花は、今ようやく咲き始めたばかり。
大きく膨らんだ蕾が、次々に花開いていく。
──とっても幸せ。
茜はとろけるような笑顔になり、抑えようとしても、自然と口元が弛んでくる。
──これが、恋なんだ。これが、私の初恋……。
茜は、頭の中に翔太の顔をズームアップさせ、にやける。
が、次の瞬間、茜は突然、真顔になる。
──待って! でも、私、彼のこと何も知らない……。
名前も学年もクラスも分からない。
分かっているのは、同じ学校の生徒だということだけ。
頭の中に顔を思い浮かべて幸せな気分に浸るだけでは、もう満足出来ない。
──彼のこと探し出さなきゃ! 彼のこともっともっと知りたい!
『恋』は勇気を与え、人を変える。
退屈な学校が、楽園にさえ思えてくる。
「必ず、彼を見つけてみせる!」
茜はガバッとベッドから身を起こすと、声に出して叫んでいた。
心の中に、闘志がみなぎってくる。
茜の眠っていた恋心は走り出し、ブレーキのきかない車のように加速し始める。
ただひたすら、まっしぐらに突き進んでいくのみ。
翌朝。
茜は夜が明けないうちに起きると、まっしぐらに洗面所に走った。
昨夜は翔太のことが頭から離れなくて、ほとんど眠れなかった。
バシャバシャッと冷たい水で顔を洗い、鏡に映る自分の顔を眺めてみる。
寝不足気味のややはれぼったい目。
黒いセミロングの重たそうな髪。
近視の茜には、自分の顔がぼんやりと映って見える。
タオルで顔の雫を拭い、メガネをかける。
黒縁のメガネは、黒い髪を一層重たくさせ、やぼったい印象にする。
メガネを片手で持ち上げ、
茜は穴のあくほど、自分の顔をじっと見つめた。
髪型もメガネも、今まで気にしたことはなかった。
少々寝癖がついていようと、平気で学校に行っていた。
おしゃれする時間があれば、本を読んだ方が良い。
それなのに、
今朝は、髪の毛一本はねているだけでも気になる。
整髪剤をスプレーし、何度も何度もブラッシングした後、
唇が乾燥した時にしか使わなかった、薄く色づくリップクリームを何度も塗り重ねた。
──この前行った美容院、もう一度行ってみようかなぁ……。
茜は、高校入学前に行った人気美容院のことを思い出す。
──カット上手かったし、あの店長さん感じ良かった。あの時は、カラーリング断ったけど、やっぱりちょっとカラー入れた方が良いよね。で、シャギー入れたら軽くなりそうだし。
茜は真っ黒な髪の毛をいじる。
──店長さん大人で素敵だったけど。
彼はまさに、茜の理想の年上の男性だった。
だが、時に理想と現実は大きく食い違ったりする。
──あの時のは社交辞令だし。私はイケメンちょっと苦手かも……。
茜はクスッと笑う。
──でも、髪に関しては、店長さんに言われた通りにしとけば良かったかなぁ。
鏡に向かってニコリと微笑み、メガネを外す。
──で、メガネやめて、コンタクトにするの。
コンタクトレンズは面倒だと、ずっとメガネを通してきた茜だが、急に気が変わり始めた。
──それから、ちょっとお化粧もしてみようか。
茜は楽しそうに鼻歌を歌う。
『恋』をすると、女は綺麗になる。
外見も内面も。
茜は、まさにそのことを証明する女の子。
茜にも、少し遅れて春がやってきたようだ。
今回、風海南都さんの「Shorty!〜僕の彼女〜」その25 初めての行ってきます、で茜が美容院に行った話がチラッと出てきます。
風海さん、茜を出してもらってありがとうございました! 近々もう一度、美容院に行く予定です。 店長さんの腕前で、茜も大変身すると思います〜