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重たい執着男から逃げる方法  作者: 長野 雪
3度目の逃亡編
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12.迅速な協力体制

 無心。

 必要なのは、ただひたすらに集中することだ。

 工房の隅でクレスト様がこっちを向いているなんて、これっぽっちも思っちゃいけない。


 私は組み立てた『クリス』を前に、手元のチェックリスト片手に一つずつ動作確認を繰り返していた。


 朝は散々だった。

 昨晩は夜遅くまで『クリス』のパーツに一心に陣を刻み込んでいて、眠い目をこすりながら、予定していた陣をすべて描き終えたか確認をしていたところまでは覚えている。

 朝、目を覚ましたら、クレスト様に抱きかかえられるようにして一つの毛布にくるまっていた。昨日に引き続き羞恥で死ねる。呼びに来たミルティルさんに微笑ましい目を向けられるし、逆に朝一で作業しに来たホルトさんからは意図的に視界から外されてた。……穴掘って埋まりたい。


「次は左腕。手首、肘、肩の可動は問題なし。指関節は、親指第一、第二、人差し指第一、第二、第三……」


 チェック項目を読み上げながら、目の前の『クリス』を動かし、その動きを確かめる。足先はもっと大雑把な作りになっているけど、指なんて他人からよく見られる場所だから、違和感のない動きができるかとても重要だ。

 全ての関節が動くことを確認できたら、次は何かを掴む、歩く、なんていう部分的な仕草をチェックする。最終的には床に落ちているものを屈んで拾ったり、ワルツを踊ったり、と全身を使う動作をして確認終了となる。せっかくだからダンスの相手をクレスト様に、と思ったのに「人形と踊るつもりはない」なんて断られてしまった。それは予想の範囲内だけど。


「随分と念入りに行うものだな」

「そうですか? 一度離れてしまうと不調があってもすぐに駆けつけることができないので、慎重にしないと。それに、人形だなんてバレるのも困りますし」


 たとえクレスト様の許可が下りたとしても、乗合馬車を使って一日、乗継によってはそれ以上かかる場所だ。動作不良はないにこしたことはない。


「とりあえず問題はなかったので、お昼を食べたら『クリス』を店まで運びます。その後、町の顔役の方に挨拶をする予定ですけど、クレスト様は―――」

「もちろん、マリーと一緒に行く」


 あれ、おかしいな。一瞬、母親から離れない幼児の幻影が。

 いやいや、何を考えているの。目の前にいるのはクレスト様よ? 私よりも二つも上で、もう二十になってるんだってば!


「……そう、ですよね。それならミルティルさんとホルトさんに挨拶に行きましょう。お昼食べたらすぐ出発できるよう、荷物もまとめておかないと」


 あれ、何か妙にクレスト様が嬉しそう。やっぱり、山小屋で寝泊まりは窮屈だったのかな。……ホルトさんと同じ屋根の下で寝ているのが気に食わない、なんて言わないよね。怖いから聞かないけど。

 私は着替えの入ったバッグから『ニコル』用の黒いローブを取り出しながら一人慄いていた。



 ◇  ◆  ◇



「クレスト様、あの、腰に手を回さなくても大丈夫です」

「だが―――」

「手を引いてもらうだけで十分ですから!」


 思わず語気が荒くなり「すみません」と呟く。私は厚底ブーツに黒ローブという『ニコル』の姿で、ホルトさんから借りた旅行用竹行李(たけごうり)を背負っている状態なのに、クレスト様が腰あたりに腕を回そうとしてくるのが悪いんだと思う。

 ……緊急事態なのに。


 作業場所を借りたり、陶土を融通してもらったり、クレスト様ともども泊めてもらったお礼をミルティルさんとホルトさんに、それはもう丁寧に頭を下げた私は、今、早足で山道を歩いている。

 竹行李の中では屈葬状態で『クリス』が入っている。クレスト様が「俺が背負う」と言って聞かなかったけど、「魔術で軽量化しているから」「私が触れていないと魔術が切れる」と半分嘘の事情を説明して今は無事に私が背負っている。いや、それはいい。問題はそこじゃない。

 とある事情により急いで町に下りないといけなくなった私は、ローブに刺繍された身体強化の陣を使って、それこそ体力資本な騎士であるクレスト様と同じスピードで駆け下りている状態だ。


 理由?

 あれだ。放蕩息子のリヒターだ。

 兄である『ニコル』がいないことを勘付いたのだろう。昨日とは打って変わって強引な手口で『クリス』を夕食に誘って来ている。レックスが何とか引きはがそうとしてくれているが、相手は大人の男だし、逆上されたら何をされるか分からないという恐怖もあってか、なかなかうまくいかない。『クリス』は頑丈だけれど、一応病弱設定もあるから、どこまで力任せにしていいものかどうか。


 そんなわけで、私は『クリス』をのらりくらりと逃げさせながら、せっせと自前の脚を動かしている状態だ。もちろん、どうしても周囲への注意が疎かになるので、何度も転びかけた。見兼ねたクレスト様が私を抱き上げようとするのを必死に思いとどまらせて(だって『ニコル』の姿だし)、せめて周囲や進行方向への気配りだけでも減らそうと、一歩前を行くクレスト様の腕に捕まって早足で駆けている。


「大丈夫か、マリー」

「だい、じょうぶ、ですっ、まだ、何とか、かわせて、ますっ」


 どうしてクレスト様は息一つ乱していないんだろう。日ごろの鍛錬の成果なんだろうか。そして、やっぱり魔術で強化していても息切れしている私は、……運動不足なんだろうなぁ。


「そうじゃない。君の息が上がっているから―――。やはり、俺が抱き上げて」

「です、からっ! 誰かに、見られたら、火消しが、大変、なのっでっ、遠慮、します」


 町の薬屋の『ニコル』がどこぞの騎士に抱えられていた、なんて医者の不養生にもほどがある。売上に関わってしまうじゃないか。


 私が木の根につまずきかけるたびに、全くと言っていいほど同じ提案を繰り返すクレスト様にお断りをしていたら、いつの間にか山道は終わっていた。

 本当は急いでいる姿を町の人に見られたくはないんだけど、仕方ない。ここは緊急事態ということで見逃してもらおう。

 私は後で客に突っ込んで尋ねられた時にどう答えるか台本を作ってレックスに渡そう、なんて考えながら店への道を急ぐ。大通りから一本裏道に入れば、愛着の湧く店構えが視界に入り、ちょっとだけホッとする。


「クレスト様、ややこしいことになるので、口は出さないでくださいね」

「しかし」

「本当に、お願いします!」


 渋々うなずいたクレスト様を後ろに従えて、私は息を整えてから店の扉を開ける。


 そこには『クリス』視界で確認していた通り、困りきったレックスと、うっとうしいリヒターの顔があった。


「また、お前か」


 フードをかぶった私は、喉を絞ってギリギリまで低い声を出す。


「客でないなら、帰れ」

「ぼ、ぼくは、……そうだ、母の胃痛の相談に」

「それならオレが聞こう」

「い、いや、戻ったばかりで疲れているんじゃ」

「マリー、これを奥の部屋へ戻してもらえるか。店番ご苦労だったな」

「はい、兄さん」


 私は背負っていた竹行李を『クリス』に渡すと、リヒターに向き直った。


「さて、詳しく話を聞かせてもらおうか」


 根性なしなリヒターは、母親の病状を詳しく聞いてからまた来るともごもごと呟いて店の外に出て行った。入れ替わるように入って来たクレスト様はどこか呆れたような表情を浮かべている気がする。


「母親はいいのか」

「いいんですよ、クレスト様。リヒターがまともな人間になれば、あそこのお母さんの胃痛はなくなりますから」


 つまりはそういうことだ。

 真面目に働かず、しっかり者の嫁のアテもないドラ息子が胃痛を引き起こしているだけなんだから。一度、息子から聞いたのか『クリス』を見に来たことがあるけれど、病弱でとてもリヒターの手綱を握れそうにもないと落胆していらっしゃったので、せめてもとリラックスできるハーブティーをお譲りしたのを覚えている。


「ごめんなさい、マリーさん。ボク、役に立てなくって」

「いいのよ、レックス。ただ、あまり続くようなら、最後の手段『体調を悪くして店先で倒れる』シナリオの実行も近いわね」

「うん、そーだねー」

「―――それには及ばない」


 師弟の会話に口を挟んで来たのは、クレスト様だった。


「マリーツィア。この後、町の顔役だという人間の所へ挨拶に行くのだろう?」

「あ、はい」

「早く行くぞ」

「え、あの、ちょっと待ってください。その、せめて息が整うまで……」


 それもそうだな、と頷いてくれたクレスト様にホッと息を吐いた私は、食卓に腰を下ろして思わず突っ伏した。

 本当に疲れた。それもこれもあのリヒターのせいだ。やっぱり根本的な対策を考えないとなぁ。


 体力不足・運動不足を痛感しながら思考の海に潜った私は、レックスとクレスト様が何故か友好的に会話しているのを、みすみすと見逃してしまったのだった。とてつもなく後悔するとは知らずに。



 ◇  ◆  ◇



「うーん、こんなもの、かしら?」


 私は最終確認も兼ねて『クリス』を厨房に立たせていた。レックスから肉料理をリクエストされたけれど、これで足りるだろうか。レックスはたまにびっくりするぐらいの量を食べるから、用意するこっちはハラハラする。今日もお腹が空いているという話をしていたし、三人前近く用意してみた。たぶん完食されるだろうけど。

 外を見れば日も沈もうかという頃合いだ。まだ戻って来ないレックスがちょっと心配だった。

 クレスト様は宿に戻っている。最初にこの町に到着したときに、前払いで宿を取っておいたとか言っていた。荷物の大半もそこにあるということで、意外と旅慣れているんだということを初めて知った。騎士としての任務で王都を出ることもあるだろうから、必要な知識なんだろう。

 宿屋、というものを利用したことのないレックスが、そこに食いついたのは、私とクレスト様が町の顔役ゲインさんの所から帰って来た後のことだった。宿に行くというクレスト様に、レックスが「せっかくだから中を見てみたい」と言ったのだ。たった一日でレックスがそこまでフレンドリーにできるのはすごいと思う。相手があのクレスト様だし。後でクレスト様の表情の動きに気づいているのか聞いてみよう。


「ゲインさんのところでも、ちょっと奥さんにビビられてたし」


 私は、町を去る挨拶に行ったときのことを思い出して、くすりと笑った。


 ゲインさんには、クレスト様のことを、今王都でお世話になっている騎士だと説明をした。一応、自分が女性であることは話したけれど、婚約者だとか細かいところまで話すとなんだか長くなりそうで割愛した。クレスト様は不満そうだったけど、そこは頑張ってスルーした。

 今後は『クリス』にレックスをフォローさせる形で店を譲るので、何かあったら力になって欲しいこと、もし手に負えない事態になったら、バルトーヴ商会に連絡をくれれば駆けつけられると話を通した。バルトーヴ商会は、陶器による町おこし以後、何かと世話を続けているらしく、連絡するのは簡単なんだとか。

 とまぁ、ゲインさんへ伝えたいことを一通り話したところで、それまで沈黙を保っていたクレスト様が口を開いたのにはびっくりした。


「リヒター、という貸し馬屋の男について、話をしたいのだが」


 ゲインさんも苦情という形でリヒターの名前を何度も聞いていたので、なんだまたか、とあきれ顔を浮かべた。


「あの男は、大した用もないのに薬屋に入り浸っていると聞いた。あまりにしつこく、薬の調合や、新しい釉薬ゆうやく開発の時間が削られているとか。深刻な営業妨害にならないうちに、対策が必要と思われる」


 そこまでだったら、ゲインさんもよくある苦情ということで、流したのだろう。


「聞けば、随分な放蕩息子のようだ。『ニコル』もあれでは心配だろう。遠く離れた王都にある騎士団の、中隊長程度の肩書では脅しにならないかもしれないが、本人と親の方へ正式に書状を送ろうかと思うがどうだろう。何もしないよりは良いのでは?」


 ゲインさんは目を丸くして、ぱちりぱちりと瞬いた。私も隣のクレスト様を見上げて口をぽかんと開けてしまった。

 淡々と、いつもの無表情で口にした提案だけど、そんな手段を考えたこともなかった。何よりも、権威ある騎士団の中隊長職を「程度」なんて言うクレスト様が信じられない。

 と、そこまで考えて、私もハッと自分の身分に思い至った。


「確かにクレスト様のおっしゃる通りです。私も王都へ戻ったらバルトーヴ子爵に掛け合ってみましょう。釉薬開発に影響が出るのは、商会としても望ましくないはずですから」


 あの義理父を説得するなら材料を揃える必要はあるけど、リヒターに時間を取られるよりは全然いいはずだ。


 あまりに事を大きくすると、町の管理体制が疑われかねないと、とりあえず商会経由で抗議をするのは見送るようにゲインさんに言われてしまったので、とりあえずクレスト様が抗議の書状を先方に送りつけて様子見することになったけど、ゲインさん宅からの帰り道、そんな手段を思いつかなかったと絶賛した私に、クレスト様は僅かながら口の端を持ち上げた。うっすらとしたものだけど、その微笑みにちょっとドキリとしてしまったのは、クレスト様に隠し通せていたと思う。たぶん。


 あの表情を思い出して、顔に熱が上がって来てしまった私は、『クリス』の水仕事用の手袋を外し、普段、調合に使っている奥の部屋の片隅に休ませた。一応、『クリス』の中の動力源=ダイヤのイヤリングを見て、魔力の残量が十分あることだけ確認しておく。


 ぐるりと室内を見渡すと、ここともお別れなのだ、とあちこち触って回った。

 あちこちに乾燥させたハーブがぶらさがる壁。薬の材料を密封できるよう並んだビンは、トロンタンさん作の棚に並んでいる。……トロンタンさん、本当に器用だからなぁ。欲しいものは自分で作る、がモットーだって言っていたし。ただ、寄る年波には勝てないのか、先日、息子さんのお嫁さんが湿布を買い求めて来てたけど。


 ガタン、と店の方から物音がした。ようやくレックスが帰って来たんだろう。レックスのことだから、はしゃいで宿の中を見まくっていたのかな。クレスト様にあまり迷惑をかけていないといいんだけど。


「お帰り、レックス。初めて見た宿の中はどうだ……った?」


 ポカンと口を開けた私は、さぞや間抜けな表情をしていたんだと思う。

 え、わけがわからない。なんで?


「今晩はレックスが宿に泊まる。初めてだとはしゃいでいたぞ」

「え、と、お帰りなさい、クレスト、様?」


 今までにないくらい、朗らかなオーラを放つクレスト様がかえって怖い。


「今夜は俺が泊めてもらう。君の作る手料理が楽しみで仕方がない」


 え、と、それは、つまり?


「二人きりだな、マリーツィア」


 ようやく私は、レックスとクレスト様に謀られたことに気づいて、絶叫した。あくまで心の中で。


 今夜は、いつになく長い夜になりそうだった。


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