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重たい執着男から逃げる方法  作者: 長野 雪
3度目の逃亡編
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11.彼女へ続く道(※クレスト視点)

 その時に湧き上がった感情を、どう名づければよいのか分からなかった。


「ハール。もう一度説明を」

「―――何度、お伺いになられても、答えは変わりません。マリーツィア様はおよそ二週間の行程で旅行に向かわれました」


 ハールには悪いが、その事実を認めるのに時間がかかった。

 マリーツィアが、また、俺の元から飛び立ってしまった。戻ると手紙を残していても、詳しい旅程を知らせていても、心にじわり、と滲むのは冷たい不安に他ならない。


 道理でカルルが仕事中に妙な顔でこちらを見ていたわけだ。

 強盗団の情報を掴んだ別働隊と遣り取りをしていた時だっただろうか。あいつはこれを知っていたんだろう。だからこそ、時間を作って邸に戻ると言った俺を引き留めるようなことまでした。


 マリーツィアの報告を見て、決意したことはただ一つだった。


 騎士団の自室にとって帰れば、驚いた顔の部下に遭遇する。


「中隊長? 休息に戻られたのではなかったのですか?」

「気が変わった。あんなやからをのうのうとのさばらせておくわけにはいかない」

「中隊長……っ!」


 何故か涙をにじませる部下を捨て置き、俺は机に広げられた王都の地図を眺めながら、強盗団をどうやって迅速に殲滅せんめつさせるかを考える。速やかに。全てを。

 お前たちさえいなければ、俺はマリーを追っていけるのだから。



 ◇  ◆  ◇



「クレスト・アルージェ中隊長」


 声を掛けられたのは、強盗団のアジト数か所を同時多発的に急襲し、その大半を無力化した後のことだった。


「大隊ちょ、いえ、失礼いたしました、騎士団長」

「お互い、新しい肩書にまだ慣れませんね」


 掃討作戦を終えたばかりだというのに、ラウシュニング騎士団長はおっとりとその細い目を俺に向けている。


「今回のことでは、随分と力を尽くしていたようですが、何かありましたか? ……と言っても、君が積極的に動くときは、大抵が婚約者殿に関わることでしょうけれど」


 なぜ、こうも人の心を見透かすような発言をするのか。それとも、俺の考えはそこまで分かりやすいものなのか。

 いや、マリーに関することだけは、カルルや部下の一部、そして眼前の大隊長にとっては分かりやすいものなのだろう。それは、認めなければならない。


「大したことではありません。ただ、一人で旅行に出てしまったので、俺が邸へ戻る意味がなかっただけです」

「君は、そういうところは相変わらずですね」


 相変わらず、と指摘され、何をいまさら、と思う。

 俺がマリーに対する優先順位を変えることなど、あるわけがない。俺はマリーの隣に座り、笑うマリーを眺め、マリーの声を聞き、マリーの体温を感じる。それだけで十分なのだから。何かとわずらわしい騎士団の仕事でさえ、マリーツィアを俺の傍におくためのものに過ぎない。


「休暇、欲しいですか?」

「……はぁ?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 中隊長という責任ある立場になってしまった俺は、早々簡単に休暇など取れるわけもない。


「いいですよ。今回の君の働きは素晴らしいものでした。君の部下の中から二人ほど選んで代役を任せなさい」

「しかし―――」

「別に中隊長が休みを取ってはいけない、なんて規則はありませんよ。そんなことをしていたら、わたしだって休みを取れないじゃないですか」


 まるで、マリーについた嘘を見透かすようなセリフに、俺の肩がぴくりと動いてしまう。


「あそこまで大々的に夜会で発表したんです。婚前旅行ぐらい大目にみてもらえるでしょう」


 俺は大隊長に頭を下げると、俺は急ぎ自室へと歩き出した。後を任せられる人間を頭の中で弾き出す。一人はカルルだ。今回のことを事前に知っていたのなら、その償いぐらいしてもらおう。そして、もう一人は―――


「……中隊長殿? 私の空耳でしょうか?」

「ならばもう一度言おう。ベリル・マルセウス小隊長。カルル・バルトーヴ小隊長とともに俺の留守を任せたい」


 ベリル・マルセウスは、俺などより随分と「貴族らしい」男だ。武芸を好まず、できるだけ上手く立ち回って美味しい汁だけを吸おうとする傾向がある。気の合う人間を集めて派閥を作り、そのお山の大将を気取っている。それだけに、自らに媚びない人間や、考え方そのものが合わない人間に対し辛辣な言葉を浴びせることも多い。

 だが、それもまた処世術の一つだ。

 贔屓が激しいからこそ中隊長の昇進を逃したが、そこに一定の節度さえわきまえることができれば、次にポストが空いたときに真っ先に名が上がるだろうに。


「……アンタ馬鹿ですか」


 ぼそりと呟いた悪態は聞き逃してやることにする。くだらない嫉妬に付き合って時間を無駄にする気はなかった。


「私用で王都を離れることとなった。先の盗賊団の一件も落ち着き、そうそう事件が続くこともないと思われる。今後を見据えれば中隊長代理経験があることは、メリットはあれどデメリットはそれほどないと思うが、どうだろう」


 年功序列よりその地位が物を言うこの職場では、たとえ年上であっても部下に対し敬語を使う必要はない。同じ小隊長同士であれば、年上のベリル・マルセウスに敬語を使っていたが、今はそんなものは不要だ。

 それにしても、と考える。

 このベリル・マルセウスと話していると、不快で仕方がない。考え方が長兄にそっくりなのはもちろんだが、その髪色だ。


 こんな輩がマリーツィアと同じ黒髪を持つなど、許しがたい。


 もちろん、目の前の男の髪など、やたらとぱさついていて、マリーツィアのつややかな輝きを秘めた闇夜やみよとばりとは似ても似つかない。それでも腹立たしいものは腹立たしい。


「……かい、しました」

「ベリル・マルセウス小隊長?」

「了解しましたっ」


 吐き捨てるように返事をしたベリル・マルセウスはくるりときびすを返すと俺に背を向けてつかつかと去って行った。斜め後ろに控えていたカルルがぶひゃっと妙な音を立てて吹き出す。


「まーったく、どうせ拒否権ないんだから唯々諾々(いいだくだく)と従ってればいいのにねぇ」


 有事の際の指揮系統に混乱がないように、その地位は絶対であり、部下が上司を差し置いて何かをするということはありえない。ましてや、命令違反など。それでも、俺に従うことは業腹なのだろう。


「カルル、面倒だろうが引き受けてくれるな」

「まぁ、かわいい義妹のためだし? ついでに親友のためでもあるし?」

「……カルル・バルトーヴ小隊長」

「了解しました、クレスト・アルージェ中隊長。ベリル・マルセウスと共に中隊長の代役を務めさせていただきます!」


 びしっと了解の意を示したカルルだったが、その一瞬後に「あー、それにしてもベリル殿と一緒かよ」とぼやく。


「それが一番楽な布陣だ。分かっているだろう」

「まぁね」


 俺やカルルに従う騎士と、ベリルに従う騎士を合わせれば俺が見ている中隊の7割を占める。代役に立てたカルルとベリルが上手く調整し合えれば面倒事はそう起きない。


「あーあ、またマリーは連れ戻されるわけだ」

「なぜだ?」

「え? 休みを取るってことは、連れ戻すってことだろ?」

「……お前は、義理の兄になったというのに、まだマリーのことが分かっていないらしいな」

「は?」


 ぽかん、と阿呆のように口を開けるカルル。


「いやだって、クレスト、お前さ、マリーのいない生活に耐えられないから、わざわざ休みをもぎ取って迎えに行くんだろ?」


 俺は心底不思議そうに首を傾げたカルルを置いて、とっとと歩き出した。

 確かに、俺がマリーツィアのいない邸に価値を見いだせないというのは正しい。

 だが、俺は心配しているだけだ。寂しがりのマリーツィアが、俺のいない場所で泣いてやしないかと。



 ◇  ◆  ◇



 後を任せる二人への引き継ぎを終えた俺は、邸に戻ると旅の支度をして夜を待った。マリーツィアの残した旅程表を手に、じっと書斎でその時を待つ。


 どれほど待っただろうか。少なくともハールが二度ほど夜の出発を思いとどまるように言ってくるぐらいには待った。

 ぼんやりと淡い光がペンを包んだ瞬間、俺の胸には歓喜の潮騒が響きわたる。このペンの向こうにマリーツィアが居る。


 書かれた報告は、今日も人形のパーツを作ったこと、燻製の作り方を知ったこと、という大して問題のない文面だった。

 だが、予定ではデヴェンティオの薬屋には例の弟子が詰めているはずだ。マリー自身は山の中腹にあるという小屋にいるかもしれないが、『クリス』を通して常にその弟子と交流をしているに違いない。

 俺のはらわたが、ぐらり、と音を立てて煮え立った。


 馬で駆けている時のことは、あまり記憶にない。どのみち、馬と呼吸を合わせてひたすらに街道を進むだけだ。夜道を駆けさせて馬には悪かったと思うが、これも一刻も早くマリーツィアに会うためだ。仕方がない。


 デヴェンティオに到着した俺は、以前、仕事で利用した貸し馬屋に寄って馬を預けると、そこから徒歩で薬屋を目指す。

 この町をこうして歩いていると、あの時を思い出す。

 騎士団の仕事でやってきたこの街で、マリーツィアの操る人形に妙に惹きつけられたこと。あの時は、どうして赤茶の髪を持つマリーツィアに似ても似つかない相手が気になってしまうのか、不思議でならなかった。その疑問の答えは、不審者の追跡中にあったアクシデントで判明した。

 あの時、負傷した(実際は部分的に壊れた)人形を迎えに来たローブ姿の「兄」を見た瞬間、俺は叫び出したくなるのを必死で堪えた。マリーが逃げるなら、慎重に迎えに行かなければならない、と。

 準備万端で迎えた早朝、驚きに満ちた目で俺を見た、あの瞳は忘れることはないだろう。裏口から逃げようとした彼女を、慌てて押しとどめた俺を見つめたのは、神秘的なアメジスト。朝日も顔を出さない暁闇の中、カンテラの明かりに照らし上げられた瞳は、可憐な花を咲かせるすみれが朝露に濡れるように潤んで―――


 気付けば、問題の薬屋の前までやって来ていた。


コンコン


「はい、どうぞー」


 その声は覚えがなかった。マリーツィアの声でもなければ、『クリス』の声でもない。まるで少年のような澄んだ高い声。

 店の扉を開ければ、そこに立っていたのは―――


「どんな薬をお探しですかー?」


 白いエプロンは、この店に所属している証だろう。赤毛はクセが強く、後ろで一まとめにしているが、あちこちはねて見苦しい印象だ。ハシバミ色の目は困惑の色をたたえてこちらをうかがっている。


「まさか、お前が『レックス』か……?」


 どう見ても、十代前半の、少女だった。


 奥から顔を出した『クリス』の姿に、マリーはやはり山の中腹にある小屋にいるのだと確信し、俺は店を出た。

 男に違いないと思っていた弟子が女だったことに驚いたが、マリーの時間を掠め取る人間には違いない。早々に独り立ちしてもらいたいものだ。

 そんなことを考えながら手入れのされた山道を登れば、ほどなく細くたなびく煙が見えた。心臓が高鳴る。あの下にマリーが居ると思うだけで、足が弾むように先へ先へと動いた。

 山小屋の主らしき女性に声をかければ、すんなりと裏のかまへ続く道へ案内された。妙に観察された気もするが、どうでもいい。

 この先に、マリーツィアが。


 逸る心に急き立てられ、足を動かした先で、俺の心臓が止まる。

 マリーツィアの横顔が見えた。

 窯を見つめる横顔は真剣そのもので、まさか無機物に嫉妬する日が来ようとは思わなかった。

 声を掛けるべきか、どんな言葉を紡げばいいか分からないまま、彼女の隣に立ち、「マリー」と名前を舌に乗せるだけで歓喜が体中を駆け巡った。

 粗末な木の椅子に座ったままの彼女は、驚いた様子で俺を見上げる。紫暗の瞳は少し潤み、目の下がうっすらと黒ずんでクマを作っている。だが、ぬばたまの黒髪がさらりと横に流れる様子は、天女の羽衣が風に揺れるようでもあり、愛らしいさくらんぼのような唇が俺の名前を呼ぼうと開かれるに至って、俺の中の歯止めがバキリと壊れた。


 結果、俺は愛しい愛しい唯一無二の俺だけの女神をこの両腕に閉じ込めた。


「あ、のクレスト様っ!」

「……なんだ」

「その、私、汗かいているので、あまり―――」

「問題ない」


 なんと可愛らしいことを口にするのだろう。腕の中でもじもじと恥ずかしそうにするマリーは本当に愛らし過ぎて困る。俺の忍耐を試しているのか。



 ◇  ◆  ◇



 我ながら、不思議なものだと思う。

 マリーツィアが俺の前から自主的に姿をくらませるのは、今回で三度目だ。

 それでも、一度目や二度目のような焦燥は感じなかった。望んで俺の傍に居ると言ったマリーが、何も言わずに俺から離れるなど考えられない。現に、彼女はしっかりと自分の居場所を教えてくれているではないか。

 マリーがいなければ、俺は真の意味で安らぐことはない。だが、それは些末な問題だ。

 本当に問題なのは、彼女がつらい思いをしていないか、寂しがっていないか、それに尽きる。


 夜、窯が心配だからと外で寝るマリーに、俺は付き添うことにした。

 今後、テヴェンティオで暮らす『クリス』のスペアを作るためとはいえ、そこまでマリーツィアの時間を奪うこの窯が憎らしくてならない。だが、同時にマリー自身が俺の傍にいるためには仕方のないことだと、拳を強く握って耐える。


「そんなに見ても、何も出ませんよ」

「……あぁ」


 マリーツィアの声に、それでも俺は窯から目を離せないでいた。この窯を破壊し尽くしたいという衝動と、『クリス』のスペア作成さえ終われば、という理性がせめぎ合う。


「昨晩からずっとここに居て、朝方、少しだけ仮眠をとったのですけど、やっぱりまだ眠いです」

「……あぁ」


 やはり、目の下にあった黒ずみはクマだったか。マリーに害をもたらす窯に憎しみが燃える。拳を握りしめ過ぎて、手のひらが傷ついた感触がした。

 なんとか窯から自分の視線を引きはがすと、マリーツィアが野外に作られたベッドに寝転がるのが視界に入った。うなじにかかる黒髪に自然と目を奪われる。

 ベッドの隣に空けられたスペースを見た瞬間に浮かんだのは、果たして自制がきくだろうか、という危惧だ。一週間もマリーツィアから離れていた俺は、久々に彼女の体温を感じて昂揚している。昼にマリーを抱きしめて十分な休養を取った身だ。言い換えれば心身ともに充実している。正式に夫婦となるまでは手を出さないと誓っているが、それを守れる自信はない。

 だが、マリーツィアの隣で、彼女の呼吸を、鼓動を感じて眠るという甘美な誘惑に勝つことはできなかった。

 俺はベッドの空けられたスペースに潜り込むと、自らの劣情と戦いながら、そっと彼女を囲むように腕を回した。鼻腔をくすぐる彼女の香りに、幸福感に酔いしれて酩酊する。


「……クレスト様?」

「なんだ」


 疲れているのだろう。まぶたの落ちかかったマリーツィアの声は甘くまろやかだった。


「昨日も、こうやってきれいな星空を、見上げてたんです」

「あぁ」


 妙なる調べに耳を傾ける。マリーツィアの奏でる声以上に優美な音楽を俺は知らない。幸せなひと時に、俺の口元も無様に緩んでいることだろう。


「なんか、星が……とても、きれい、で。どうして、……どうして、こんなときだけ、となりにクレスト様がいないのかな、なんて考えちゃいました」


 ガギンッと鈍い音がした。いや、現実の音ではない。

 情動の歯車に噛ませた棒が、軋んでいるのだ。

 甘えるような柔らかい声音で、俺がいなくて淋しかったと吐露するマリーツィアは、ふふ、と小さく笑みをこぼした。

 理性を打ち倒しつつある感情が、俺の右手を彼女の白く滑らかな頬へ導く。


「マリーツィア。君はどうしてこんなにも―――」


 彼女は既に眠りの蔦に絡め取られてしまっている。だが、無意識なのか、触れた手に頬を摺り寄せて来た。俺の体温が上がる。だが、それを受け止める存在は、その瞼を閉じたまま。


「―――こんなにも、俺を殺すようなことを言うんだ」


 夜は長くなりそうだった。



 ◇  ◆  ◇



 苦難の夜も明け、目を覚ましたマリーは、俺の腕の中でもぞもぞと動く。昨晩のことを忘れていたのか、俺の顔を見た途端に目を丸くした。その綺麗な紫水晶がこぼれてしまったらどうする、と頬に添えた俺の手は、なぜかやんわりとのけられた。

 頬が赤みを帯び、寝起き特有の少し潤んだ瞳で俺を見つめると、何かを口の中で呟いた。


「マリーツィア?」

「……おはよう、ございます」

「あぁ、いい朝だな」

「そうですね」


 本当に久しぶりのいい朝だ。

 マリーツィアのぬくもりを感じ、マリーツィアの鼓動が伝わるほどの距離で、マリーツィアが目覚めて最初に言葉を交わすのが他ならぬ俺自身。


 太陽が中点へと向かう頃、例の弟子が山小屋まで足を運んできた。改めて挨拶をさせようとマリーが呼んだらしい。別にその必要はないが、マリーツィアのことだ、何か変に気を回しているんだろう。

 農村の出身と言っていたが、元気だけが取り柄のように見える。だが、マリーの報告を見る限り、頭の回転は悪くないんだろう。


「改めて紹介します。この子が、あの薬屋を引き継いでくれるレックス、えぇと、アレクシアです」

「マリーさんのイイ人のクレストさんですよね。よろしくお願いしますー」


 思わず、口元が緩みそうになった。

 この少女は『クリス』と共に過ごしていると聞いている。『クリス』の中身はマリーに他ならない。

 マリーツィア。君はいったいこの弟子に俺のことをどう話しているんだ。言うに事欠いて『イイ人』というのは……


 指先で口の端を押さえると、俺は目線だけでレックスに挨拶を返した。

 心の中に淡い光が灯る。マリーツィアは俺から逃げたわけじゃない。マリーは俺をきちんと受け入れている、と。


 その後の昼食の席で、不思議なことがあった。

 テーブルに並べられた料理のうち、酢漬けと、そしてローストされた肉が妙に美味しく感じられたのだ。マリーツィアと食卓を同じくするときは、料理もおいしく感じられるのだが、それだけではない気がした。

 酢漬けはレックスが持って来たものだというから、マリーツィアに尋ねれば製法は分かるだろう。肉については、後で山小屋の女主人に聞いてみればいいか。

 俺にとって料理は、単なる栄養摂取の手段でしかない。美味しいと感じることなど稀だ。だが、この二つについては、他の料理とは違う何かを感じる。その何かが分かれば、邸にあっても美味しい料理を食べられるのだろう。


 その二つの料理の共通項が、他ならぬ「マリーツィア」だと知ったのは、この旅行も終わりに近づく頃だった。


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