4.人生の先輩に、相談
「あら、本当にアムちゃんだわ」
その人は、にっこり笑って手を振ってきた。
「ご無沙汰しています」
ぺこり、と頭を下げると、何故か頭を柔らかく撫でられた。
昼食と夕食の間の、客が少ない時間帯を指定したのは私の方だったが、ウォルドストウの食堂は、カウンターの向こうに立っているおかみさんの他は、その人しかいなかった。
「今日は常連さん、いないんですね」
カウンターに座る彼女の隣へ腰掛けると、「マーゴットが来た途端、みんな逃げちまったよ」とおかみさんが教えてくれた。
あぁ、と納得した私は、おかみさんが入れてくれたお茶に手をつける。何故か、彼女と同年代のお客さん(男性のみ)は、マーゴットさんを恐れているのだ。私の中では、色々な至言をくれる金物屋の奥さん、でしかないのだけど。
「本当に、何て言えばいいのか、―――意気地なしよねぇ?」
おっとりと微笑むマーゴットさんは、外見だけなら三十路に見えるが、おかみさんや常連さんたちと同世代のはずだ。年齢を確かめたわけではないが、そう聞いた気がする。
「それで? アムちゃんは恋愛相談がしたいって、アンナから聞いたのだけど?」
そうなのだ。
この旅の目的は、もちろん『クリス』のスペア作成や薬屋の引継ぎもあるけれど、義兄から投げられた質問の答えを見つけることだった。その、私が、クレスト様の……どういうところが好きか、っていう。
「お付き合いするって聞いたけど、結婚も決まっているの?」
「はい。婚約しているんです」
婚約までのあれやこれやを思い出すと、何だか恥ずかしい。
「ただ、その、先日、……婚約相手の、友人から『どこが好きなの?』って尋ねられて、そこに上手く答えられなくて、ですね、そもそも自分でもどこが好きなんだろうって思ってしまって」
改めて婚約相手とか口にすると、照れる。なんだかくすぐったい気持ちになるのだ。
「―――そのあたり、人生の先輩かつ既婚者のお二人に相談に乗っていただきたいと、思って……?」
マーゴットさんがニコニコと私のことを見つめる横で、おかみさんがヤレヤレって私に視線を向けていた。全く異なる反応に、つい語尾がしぼみがちになる。
マーゴットさんが、ちらりとおかみさんを見て「わたしが話してもいい?」と伺うと、おかみさんは顎だけで「どうぞ」と答える。それだけで仲の良さが分かる遣り取りだった。
「そうねぇ。アムちゃん、その人といるとドキドキする?」
「えっと、ドキドキすることもありますし、ヒヤヒヤすることも、あります」
「ヒヤヒヤ?」
「その、突拍子もないことをする時があるので」
監禁とか軟禁とか束縛とか氷の眼差しとか。
「ドキドキするのはどんな時?」
「どんな……って」
ヒヤヒヤしないドキドキのことだろう、と記憶を掘り起こし……蘇った記憶に頬が火照るのを感じた。
「その、抱き寄せられて、顔が近かったりしたりすると、その、ドキドキします」
「身体の関係は? チューぐらいはしてるわよね?」
「……っ、して、ませんっ! そりゃ、その、キスは、しましたけど」
うわぁ、ピュアねぇ、と呟くマーゴットさんは、カウンターの向こうのおかみさんに「苦いお茶が欲しいわ」と注文する。
「アムちゃんの婚約者って、どんな人なの? 外見は? 性格は?」
「えっと、顔は整っている方です。金髪に緑の瞳をしていて、ちょっと、表情は少ないんですけど。―――性格は、うーん、どうなんでしょう。あ、でも以前、部下の方から真面目で面倒見が良いと聞きました」
正直に言って、クレスト様の性格をどう現したら良いか分からない。どうも私に対するものと、それ以外の人に対するものが随分と違うみたいだし。ただ、婚約お披露目の際に聞いた印象なら間違いないだろう。
「どっちから付き合うことになったの? それともお見合い?」
「相手、からです。その、猛烈なアプローチがありまして……」
逃亡して連れ戻されて監禁されて、というのは正直に伝えにくい。いや、でも相談だから、ちゃんと話した方がいいのかな。でも、全てを話すのは、すごく勇気がいる。
「でも、アムちゃんはそれを受け入れたのよね? 外堀埋められて渋々? それとも絆されちゃった? 何か琴線に触れるものがあった?」
「……うーん、全部、でしょうか?」
ハールさんとアマリアさんに外堀を埋められた気もするし、クレスト様の熱意に絆されてしまったと思ったこともある。琴線に触れたというのは、どんな私でも、ちゃんと見つけ出してくれること。
私の解答がどっちつかずだったのに、マーゴットさんは「あらあら、うふふ」とニンマリ微笑むと、「若いっていいわよね」とおかみさんに同意を求めていた。
今の遣り取りのどこにそんな要素があったのか分からず、小首を傾げる。
「アムちゃんはいくつだっけ?」
「一八になったところです」
「それなら、まだ、結婚に夢とか希望とか持っちゃっている年頃よね。―――そうでなかったら、自分が相手のどこが好きか、なんて悩んだりしないもの」
「そういうものなんですか?」
結婚というのは、好き同士が、もしくは政略によって結ばれるものではないんだろうか。
そんな疑問を素直に口にすると、何故か頭を撫でられた。
「もう少し年齢を重ねるとね、打算とか妥協とか出てくるから」
「打算、と、妥協?」
「分かりやすいのが経済力かしら? この人は生活に苦労させずに自分を養ってくれるか、とか。あとは性格の一致とかね。一緒に居ることがつらい人との共同生活は、とても負担になるから。―――そのあたりはどう?」
あのお邸で働く人たちは、実は伯爵家本邸からの出向という形を取っているのだと、以前、ハールさんから教えてもらった。給金もそちらから出ているのだとか。ただ、私との結婚と同時に、クレスト様が直接雇用する形になるらしいけれど。
騎士団の給与については詳しくないけれど、それぐらいの金額は出ているのだろう。ついでに言えば、子爵家から渡されている商品のアイディア料がそれなりのものなので、万が一のことがあっても、私の方で何とかできるし。
一緒に居ることがつらいかと聞かれれば、まぁ、色々と重くてつらいと感じることもある。でも、裏返せばそれはクレスト様の愛情の発露なのだから、そこは許容するべきものだろう。もちろん、やり過ぎなら止めるけど。
「経済力は、定職についていることもありますし、大丈夫だと思います。それに、私の方にも収入はありますから、生活に困ることはありません。一緒にいるのは、つらくはないんですけど、その、煩わしいと感じてしまうことはあります」
「アムちゃん。愛されて望まれて結婚するなら、それは目を瞑ってもよいと思うわ」
……本当に、目を瞑っても良いんだろうか?
自分のこと以外、特に魔術のことを考えると不機嫌を露わにし、自分から離れることをよしとせず、下手な場所を刺激してしまえば首を絞めてくる行動を?
「経済力があって、浮気もしないなら十分、そう考える人だっているのよ? あぁ、そうだわ、婚約が決まってからも、贈り物をくれたりするの?」
「……」
思わず遠く、遥か彼方を見つめてしまった。
「あら、やだ。釣った魚にエサをやらない人なの?」
「いえ、その、いただいてます。はい」
勿体無いと思うほどのドレスとアクセサリーを頂いてる、と告げると「あらあら、愛されてるわね」なんて言われてしまった。
そう、外出もしないのに夜会用か?と思われるドレスとか、魔術の素材にはしないように、と言い含められているアクセサリーとか、素直に喜べないプレゼントをどうしてくれようか。
「結婚することそのものが、不安なのかもしれないわね」
「結婚相手が、ではなくて、ですか?」
「マリッジブルー、なんて言葉があるのよ。一生を決める大事なことだもの、不安になるのは仕方がないわ。この人の伴侶になって自分は本当に幸せになれるかしらって」
そういうもの、なんだろうか。
でも、それ以前に、私の疑問はあくまで「自分はクレスト様のどこが好きか」だったんだけど。
「あの、マーゴットさん、おかみさん」
「なに?」
「なんだい?」
「その、お二人は旦那様のどこがよくて結婚したんでしょう? 参考までに教えてもらえませんか?」
すると、マーゴットさんとおかみさんがカウンター越しに顔を見合わせた。そのまま目線だけで、どちらが先に話すのかと譲り合い(押し付け合い)をした結果、口を開いたのは、おかみさんの方だった。
「アム。アンタはウチの旦那に会ったことなかったっけね」
「はい。常連さんから話は聞いたことがありましたけど」
おかみさんの旦那さんは、行商人だ。春から秋にかけて各地を回り、寄る町々で商品の仕入れと売り込みを繰り返しているんだとか。
「アレは、近所のドラ息子の腐れ縁だったのさ。口だけ達者で中身の伴わない、最低男でね」
「え、それなのに結婚したんですか?」
意外だ。おかみさん、たまに耳に挟む『ダメ男好き』だったのかな。
「アンナ? 照れ臭いのは分かるけど、ちゃんと話してあげなさいよ」
「……アンタに言われたかないよ」
おかみさんは、ふぅ、とため息をこぼした。
「アレの兄がデキた人でね、劣等感もあったんだろうさ。――その兄が亡くなるまでは、ね」
「え?」
「元々、身体が丈夫じゃなかったんだよ。流行り病であっさりポックリさ。親同士の口約束とは言え、婚約者も置いて、ね」
おかみさんの話しぶりは、まるでその婚約者が―――
「アンナが婚約者だったのよ。で、お兄さんが亡くなったことで、自動的に繰り上がって次男だった人が新たな婚約者になったの」
予想通りでも、補足説明してくれたマーゴットさんの言葉に、私は目を丸くした。そんなことがあるんだろうか、と。
「―――で、そのまま結婚に至るってわけさ」
「え? そのまま、ですか?」
「アンナ! 言葉が足りないわよ。ギュンターの努力とか全部すっ飛ばしてるじゃない」
マーゴットさんの指摘に、おかみさんが「そこまで詳しく話せるもんかい」と厨房に引っ込んでしまった。まだ、夜の仕込みには早い時間だと思うんだけど、……逃げたのか。
「ギュンター、あ、アンナの旦那はね、ずっとアンナのことが好きだったの」
―――だから、アンナが兄嫁になるのを受け入れられずに、ずっと反抗してたのよ。
口元に人差し指をつけ、声を抑えて教えてくれたマーゴットさんは、どこか遠いものを見るように視線をあさっての方向へ逸らした。
「お兄さんが亡くなったことで、思うところがあったのね。アンナは自分の許婚になったわけだけど、お兄さんに対するモヤモヤはまだ残っているんじゃない? 結局、家業自体は、さらに下の三男さんに譲っちゃって、自分は行商しながら新しい商品の仕入れを模索する道を選んだのよ」
「アンナさんは、それを知って……?」
「アンナにとってギュンターはどうしようもない弟分、ってやつかしら? でも、ある意味、ギュンターの最高の理解者なのよ」
マーゴットさんは、ギュンターさんが弟に家業を譲り、自分はその助けとなるべく行商をすることに決めた時の話をしてくれた。
ギュンターさんは、弟が家業を継ぐのなら、おかみさんも弟の奥さんになるべきだと考えていたらしい。
普通なら、好きだった人が自分の許婚になるんだから、そのまま受け入れてしまえばいいと思うんだけど、お兄さんが亡くなったことを、どこか自分の責任のように感じてしまっていたんだそうだ。自分があれこれやらかしたことが、お兄さんの心労になっていたんじゃないかって。
マーゴットさんが言うには、そんなことは有り得ないらしい。身体は弱かったものの、とても強かな考え方をする人だったんだそうだ。
え、どうしてマーゴットさんが断言できるのかって?
マーゴットさん、そのお兄さんと『お付き合い』をしていたことがあるらしいです。ついでに言うと、お兄さんだけではなく、町に居る同じ世代の男性の大半と『お付き合い』をしていたんだとか。……マーゴットさん。年齢を感じさせない美熟女っぷりですが、若い頃からぶいぶいやっちゃっていたらしいです。それもあって、同年代の男性からは敬遠されがちなんだそうだ。ふしだらとか軽蔑とかそういう意味ではなく、吹聴されたくないあれやこれやを『お付き合い』の間に握られてしまった、という意味で。
―――まぁ、マーゴットさんの話は置いておこう。
まぁ、おかみさんの話に戻ると、弟に婚約を譲るという話を聞いたおかみさんが激怒したとか。死んでもいないのに、コロコロ変えるなとギュンターさんを怒鳴りつけたらしい。
両家関係者を交えた話し合いの結果、予定通り、ギュンターさんと結婚することになったおかみさんだけど、行商にはついていかなかった。自分は無愛想だから行商の邪魔をする、というのが表向きの理由だけど、本当は堪え性のないギュンターさんが行商をいつ辞めてもいいように、帰って来られる場所を作ろうとしたんだって。
行商に飽きたら、食堂を手伝えばいい。
結婚して数年経って、それを聞かされたギュンターさんが大泣きしたということだ。
あ、ちなみに、ギュンターさんはマーゴットさんと『お付き合い』はしていない。それだけギュンターさんはおかみさん一筋だったってことだ。
「なんだか、お互い想い合ってるって感じなんですね」
「そうね。こういう形もあるのよ。まぁ、アンナのところは姐さん女房の典型よね。ギュンターはアンナに頭が上がらないもの」
ふふ、と口の端を引き上げてティーカップを持つマーゴットさんに、私は素朴な疑問をぶつけた。
「マーゴットさんのところはどうだったんですか?」
「わたし? 至って普通よ?」
普通って、町のほとんどの男性と『お付き合い』する人が普通だとは思えないんだけど。
そんな私の疑念を汲み取ってくれたのは、厨房に引っ込んでいたおかみさんだった。
「アンタが普通なもんかい。まったく、アタシの話をペラペラとしゃべりくさって」
「あら、嘘は言ってないわよ?」
「じゃぁ、アタシも嘘は言わないことにするよ。アンタの男性遍歴とその目的も全部洗いざらいしゃべってやるさ」
「そんなことしてたら、夜遅くなるじゃない? アムちゃんは夜は帰るんでしょ?」
「……で、でも、マーゴットさんの話も気になりますし」
私の言葉に、それ見たことか、とおかみさんが胸を張った。
「うーん、十八の子に聞かせるには、ちょっと刺激が強いんじゃないかしら?」
「バカを言うんじゃないよ。アンタが男漁りを始めたのは十三の頃だろうに」
「男漁りって言わないでよ。お試しよ、お・た・め・し」
仕込みの時間もあるからと、おかみさんが掻い摘んで教えてくれた話は、確かにちょっと刺激が強かった。
結局は、より自分の理想に近い伴侶を探すために、色々な人と『お試し』の『お付き合い』を繰り返していただけ、という主張で締めくくられてしまったけれど、こなした修羅場の数だけマーゴットさん自身が強くなっていったらしい。
いくつか印象的なエピソードを聞いただけの私でも、「男はいい気にさせて、奢らせて貢がせてナンボだ」「女は度胸!」という名言が出てくるわけだ、と納得できた。
「結局、今の金物屋さんのご主人になった決め手はなんだったんですか?」
「経済的にも精神的にも包容力がダントツだったのよ。見た目はパッとしないとか、へらへら笑ってる、とか過去にお付き合いした人から散々に言われてしまったけれど、あの人、ここぞというときは、本当に強くて頼りになるのよ」
最後にとんでもない惚気を吐かれた気がする。
もちろん、金物屋さんのご主人に会ったことはある。たしかにいつも穏やかな表情を浮かべている人だけど、頭髪がちょっと寂しくて胴回りもふっくらしていたので、隣に並ぶと美熟女なマーゴットさんとは悪いけれど夫婦に見えなかった。
結局、当初から随分と話が逸れてしまって、旅の発端となった疑問の答えも出なかったし、途中で出て来た『マリッジブルー』のことも聞けなかったけれど、一つだけ分かったことがある。
まぁ、夫婦なんて、人によってそれぞれっていうことだ。
「? アムちゃん、どうしたの?」
何とはなしに食堂の入り口に視線をやっていた私に、軽い果実酒を手にしていたマーゴットさんが尋ねてきた。
「今日は、何度も入り口の方を見てたけど、面白いものでもあったのかしら?」
「え? そんなに見てました? 別に、何かを見ていたわけじゃないんですけど」
とりあえず曖昧にごまかすと、「ふぅん?」と探るようにじろじろと見られてしまった。マーゴットさんの目が怖い。
ただ、王都を出てから四日目の今日は、いつあの人が姿を見せてもおかしくないんだな、と思っていただけなのに。




