3.新商品開発の裏側
「うぅ、足りない……っ」
私は自分の部屋で、一人、頭を抱えていた。
机に広げられているのは、何枚もの紙。そこに書かれているのは二重、三重の円の中にいくつもの文様がびっしり書き込まれた図形。知る人が見れば魔術陣だとすぐに看破できるだろう。
「まさか、こんな壁があるなんて……」
描き散らしているのは、鉱物を細かくより分ける魔術陣と、それらを指定の割合で混ぜて加熱し、一定時間後冷却して固める魔術陣だ。
とある鉱石の加工について、試しに加工後のものを見せながらバルトーヴ子爵(義父)とカルルさん(義兄)に説明したのは、ほんの三日前のこと。
この方向で進めて良いと言われたものの、いきなり行き詰ってしまった……。
どうしよう、このペースじゃ、いつまでかかるか分からない。
私は勢い良く立ち上がると、部屋を出た。途中、出くわしたイザベッタさんに「気分転換のために庭に行ってます」と言うと、何故か慌てた様子だった。忙しい時に声をかけちゃったからかな。後で謝っておかないと。
少し曇っているせいか、外は吐く息が白くなるほど寒かった。上着を重ねずに出て来たのは迂闊だったかと、少しだけ後悔する。
でも、過熱した頭を冷やすのには丁度良い。
花一つない庭を歩き、何度も通った東屋で一息つく。
「魔術師に大事なのは、考え続けること」
お師さまに何度も言われたことを繰り返す。
失敗したっていい。試して、反省して、改良して、また試して、それを続けて、自分の望む結果をもたらす魔術を創生させていくんだ。
だから、考えなきゃいけない。このままの路線で進めていくのか。一度、戻って根本的に見直すのか。
「お嬢様!」
慌てて立ち上がって周囲を見回すと、何やらいくつもの荷物を持ったイザベッタさんが走って来るのが見えた。
「イザベッタさん、何かあったんですか? そんなに急いで―――」
「何かあったじゃないですよ、お嬢様!」
イザベッタさんは私の五つ年上のメイドさんだけど、そそっかしくて、よくアマリアさんに叱られているのを知っている。今回もそんなことだろうと思っていたら、なぜか私が叱られてしまった。
「こんな寒い日に、そんな恰好で出る人がありますか。風邪を引いてしまいます」
言うなり茜色のショールを私に掛けたイザベッタさんの目は吊り上がっていた。
「すみません……」
頭を冷やすことしか考えていなかったと謝ると「もう冬なんですから、気をつけてください」と怒られた。
しょぼん、と座った私の膝が、今度はもこもこした膝掛けで覆われる。さらに東屋のテーブルに温かいジンジャーティーとクッキーが並べられたのを見て、私は目を丸くした。
「? どうなさったんですか、お嬢様。変な顔になってますよ」
「す……」
「す?」
「すごいです、イザベッタさん。さっき通りすがりに声掛けただけなのに、ここまで準備できるなんて……!」
だって、私、居場所が分からなくなると使用人さんたちが心配するかな、としか思ってなかった。そう思って声を掛けたのに、ここまで至れり尽くせりな対応してくれるなんて!
「誉めていただいてありがたいのですが、元々、お茶をお運びしようと思っていたところでしたので、大したことはしておりません」
「それでも、部屋に出すのとここに出すのとでは、全然違うでしょう? 本当にすごいです!」
私の言葉に、イザベッタさんは照れたように俯いて何かを呟いた。「あぁ、こういう所にクレスト様はやられたんですね」というその内容は、私の耳には届かなかったけれど。
「おいしいです。ジンジャーティーって、本当に身体があったまりますよね」
私はせっかくだからとお茶を頂くことにして、再び考えを巡らせる。
障害は、魔力不足だ。
私の考えた魔術陣を、『クリス』に描かせて発動させる。
そうして作成したいくつかのサンプルを並べて、どれが一番良い商品になるかを検討したかった。
サンプルは小指の先ほどの大きさしかないので、それほど長い間、魔術陣に魔力を流す必要はない。
問題は、サンプルの数だ。
材料となる鉱物の割合を変えたり、加える熱の温度を変えたり、冷やす時間を変えたり、数十、いや、百パターンぐらいは試したい。商売に関しては妥協を許さない家だ。私だって、その一員として迎えられるからには、その考えに従わないと。
そうすると、用意してもらった鉱物から、必要な材料だけをより分ける魔法陣も、何度も動かす必要がある。結果、さらに魔力が足りなくなる。
婚約および結婚の準備という名目で、定期的にお邸に来てもらってるバルトーヴ家の使用人にダイヤのイヤリングを託し、『クリス』を動かすのに必要な魔力を確保しているけれど、こう研究に魔力を使ってしまっては……。
いざというときのための予備として持たせている、ネックレスのダイヤも使ってしまうとか? でも、あれこそ危急の際の予備だから、手はつけたくない。
「お嬢様?」
「あ、すみません。少し、考えに没頭してしまって」
だめだ。考えれば考えるほど、どんどん袋小路に入って行っちゃう。
「イザベッタさん。離れた場所にいる人(『クリス』)に、大事なもの(=魔力)を直接すぐに渡したい場合、どうしたらいいんでしょうかね」
「え、離れた場所にいる人(クレスト様)に、ですか?」
何故かイザベッタは僅かに顔を赤らめた。
あれ、私変なこと言ったっけ?
「簡単ですよ。会いに行けばいいんです。クレスト様に怒られるでしょうけど、どうしてもすぐに(クレスト様に会いたくて)必要だったって言えば、あのクレスト様でも、きっと―――、いえ、お嬢様の説得なら通じるのではないでしょうか?」
説得……か。
それは無理、かな。うん。無理。
ついでに、子爵邸まで馬車を出してもらうために、まずハールさんを説得することから始めないといけないし。
私の顔色から察したのか、イザベッタが慌てて慰めてくれる。
「あの、直接お渡しするのが無理でも、バレないうちに顔だけ見て帰って来るぐらいなら、大丈夫ではないでしょうか」
……バレないうちに?
慌てたせいか、くだけた表現を使ったイザベッタの顔をまじまじと見つめてしまった。
「あ、あの、お嬢様?」
「ありがとう、イザベッタ。そうと決まればすぐに『クリス』の所に行かなくちゃ!」
私は膝掛けを畳んでイザベッタに渡すと、ショールを引っ掛けたまま自分の部屋に駆け戻った。
思いつけば、単純なことだったんだ。
このお邸からバルトーヴ子爵邸までの直線距離は、大したことない。まして『クリス』という私の杖たる半身がそこにいる。着地点の固定には十分だ。
それなら転移の魔術陣を使って、あちらに飛べば済む話じゃないか。幸い、『クリス』の様子を見に来る人なんて、あちらにはいないし。
部屋に戻った私は、迷うことなく転移の魔術陣を描き上げると、『クリス』にも着地の目印となる対の魔術陣を描かせ、善は急げとばかりに発動のための魔力を込めた。
◇ ◆ ◇
私、致命的に頭が悪いんだろうか……。
魔力温存のために動かすのをやめた『クリス』の隣で、私はがっくりと膝を落としていた。
もうちょっと、後先考えて行動しようよ、私。
クリスのために割り当てられた部屋は、部屋の端に小さいベッドが置かれていることを除けば、まさに研究室だった。
部屋の真ん中に、ででん、と置かれているのは、樫で作られた大きな正方形のテーブルだ。その上には魔術陣を書いた紙が何枚も並べられ、陶器の白い小さな皿に乗せられた色の異なる粉がいくつも山を作っている。
一方、壁に沿うように設置された長机には、親指の長さほどの方眼に区切られた黒い布が広げられていて、その布を避けるように研究メモ用のノートと筆記具が置かれていた。
また別の隅には、木箱に無造作に入れられたゴツゴツした鉱物が頭を覗かせている。
(と、室内を見回して現実逃避してみたけど……)
浮かれてた自覚はある。
イザベッタの話を聞いて、すぐにここに転移して来た。
そして、計七十八通りの商品サンプルを作り上げた。『クリス』を通してではなく、自前の魔力で自分の目の前の魔術陣を使うことが、どれほど楽かを再認識した。
もう一度反省しよう。浮かれてたんだ。
考えていたサンプルをすべて作り上げて、さぁ帰ろうか、と思ったところで、ようやく気付いた。
―――帰れない。
行きは良かったんだ。
だって『クリス』がここにいるんだから。
それじゃ、帰りは? 目印となるものがない。行きに使った魔術陣だけでは心もとない。帰りのことも考えて準備しておくんだったと、後悔したってもう遅い。
(後悔先に立たず、なんて本当にその通りね)
邸で『クリス』とマリーツィアのことをちゃんと知ってるのは、子爵とカルルさんだけ。その二人に連絡を取って、事態を説明し―――
(あぁぁぁ、だめだよ、それ)
ここんちのルール忘れてた。便宜を望むなら相応の対価が必要なんだよ。家族でも容赦ないんだよ。
ただでさえ養女や婚約の件で借りっぱなしなんだから、これ以上の借金増やしてどうするの。
それなら、自力で何とかできる?
うかうかとサンプル作りに励んでいたせいで、結構な時間が経ってしまっていた。早く帰らないと、クレスト様の帰りに間に合わない。
私は何かないかと室内を見回して……
「あぁ、そうか。それしかないじゃない」
そこには赤茶の髪を持つ『クリス』が横たわっていた。
胸の中のイヤリングを確認すると、少しだけ魔力が物足りなかったので、えいや、と左の薬指の先に軽く傷を作って血を絞りだす。
私自身は寝台に寝そべり、『クリス』の操作に集中した。
久しぶりにほとんどの意識を『クリス』の方に持っていくことができた。まぁ、表情の動きも気をつけなきゃいけないから、これがベストなんだけど。
カチャリ、と音を立てて『クリス』が久しぶりに部屋の外に出る。以前、カルルさんに仕立ててもらった外套一式が役に立つとは思わなかった。
「まぁ、クリス様。何かご用事でもございましたか」
私を見つけたメイドさんが、声を掛けて来る。クレスト様のお邸に比べて、ここは使用人さんが多い。こっちの方が普通なのかな。
普段は声を掛けてくることもないんだけど、外套を羽織っているからか。一応、建前上は商品開発のために雇われているわけだし、行き先は明確にしておかないとだめかな。
「急遽、マリーツィア様に確認したいことができましたので、出掛けて来ます」
「いけません。マリーツィア様は婚約中とはいえ他家にいらっしゃる身です。突然にご訪問なさるなど―――」
「お気になさらず、何度もあちらには伺ってますし、すぐ戻って来ますから」
詳しい貴族のあれこれについての知識が薄かったのが災いしたのか、メイドさんは逃げるように駆け出した私を追ってくる。
うぅ、こんなことなら馬鹿正直に言わなければよかった。
それでも、『クリス』の人並外れた駆け足については来られなかったようで、私は無事に子爵邸を出ることができた。
(初手からつまずいたわー……)
あとで謝らないといけないかも、と思うけど、とりあえずクレスト様だ。
私は人にぶつからないように気を遣いながら、お邸への道を駆け抜けて行った。
「ちょ、『クリス』っ?」
なんだか名前を呼ばれたような気が……いや、気のせい。
私はスピードを落とさずにそのまま駆けて行く。
「『クリス』、止まって!」
声とともに、足が空回りした。
ブレる視界をさまよわせ、腕と腰を掴まれたと気付いたのは一秒後。
そこには、驚きを隠せない藍色の双眸があった。
「か、カルル様……?」
「やっぱり『クリス』だ。何があったのさ」
「あ、あの、私、急いでお邸に行かないといけないので、放してもらえませんか? 子爵邸にもその後すぐ戻りますから」
「まさか、女神様に何かあったの?」
「いえ、そうではないんですけど、クレスト様が帰宅される前に―――」
「俺が、何だって?」
……何だか、とても聞きなれた声がしたような?
しかも、既に冷気を放っていらっしゃるような……?
人形らしく、ギギィと音が鳴りそうなほどゆっくりと視線を動かせば、そこには怒れる天使の彫像が。
(終わった―――)
もちろん、嘘を並べ立ててごまかす考えすら浮かばず、私はしおしおと神妙な口調で経緯を説明することになったのだった。
◇ ◆ ◇
「マリーツィア」
「はい、すみません」
その顔を自分の瞳に映すなり、私は思い切り頭を下げた。
帰路の二人と出くわした後、事情を聞いたクレスト様は怒り、カルルさんは笑い、私はひたすら謝った。
結局、クレスト様の手紙持参で『クリス』は当初の予定通りにお邸に向かい、逆にクレスト様とカルルさんは子爵邸へと足を向けた。
で、この状況です。
二人がこちらへ着く前に、あちらのお邸に到着した『クリス』は、顔を青くして心配していたアマリアさんに、クレスト様と合流しているから大丈夫だと伝えた。その後で、転移の目印となる魔術陣と、万が一にも失敗しないための保険として私の血を存分に吸った(注:そのままの意味)ダイヤのネックレスを私の部屋の寝台に設置した。
今は、せっせと来た道をまた戻って来ている。たぶん、そう時間はかからずにこちらに到着できるだろう。
「マリーツィア。それは何に対する謝罪だ?」
「……えぇと、ご心配とご足労をおかけしたことに対して、です」
答えるなり、ぐいっと顔を両手で挟んで持ち上げられた。
近い近い! 目の前にその整い過ぎた顔と怒りに燃える瞳があるのは、さすがに怖いです!
「マリーツィア。邸の外に出ることは許可していない」
んぐ、そこからか!
ちらり、と部屋の入り口近くに立つカルルさんを窺えば、ニヤニヤとこちらを見るだけで助けてくれる雰囲気はない。
「マリーツィア?」
私が余所見をしているのに気が付いたのか、クレスト様の声が一段と冷たさを増す。
怖い。怖いのに、視線を逸らせない。視線を他に移そうものなら、さらに怒り狂うのが目に見えている。
「ただいま戻りました、カルル様!」
文字通り駆け戻って来た『クリス』に声を弾ませても、部屋の温度は変わらない。クレスト様はぴくりとも動かなかった。
「お帰り『クリス』」
カルルさんは反応してくれたが、何故か『クリス』の腰を引き寄せた。『クリス』の手を借りて力尽くでこの体勢から逃れようとしているのがバレてるんだろうか。
「……いけないことをした、という自覚はあります。だから、この部屋で誰にも見られないように閉じこもってました」
「マリー。俺が言いたいのはそういうことじゃない」
えぇ、えぇ、分かってますとも。勝手に外出するなって言いたいんでしょうとも!
でもね、私は早く子爵家へ恩返ししたいんですよ!
これまで何度クレスト様に言っても、ダメだの一点張りだった。やっぱり、クレスト様の意思を無視して進められている養女の件も婚約の件も、納得していないんだろう。
もう、何を言えば理解してくれるのか分からずに、私はぎゅっと下唇を噛み締めた。
「ねぇ、女神様?」
そんな私の耳に届いたのは、カルルさんの声。クレスト様に聞こえないようにと『クリス』にそっと耳打ちをしてきた。
その言葉に『クリス』を小さく頷かせて承諾の合図をし、私は自分の口を開いた。
「クレスト様は、私を信用してくださらないんですか?」
「何?」
「私、子どもじゃないんですから、どこに行っても、ちゃんと帰って来ます」
いきなりの「子どもじゃない」発言に虚を突かれたように、エメラルドの瞳が僅かに見開かれた。
「私の帰る場所は、その、……いつだって、クレスト様の隣、って考えてても、いいんですよ、ね?」
本当は、「あなたの隣が私の帰る場所よ」って言えとか仕向けられたけど、そこまで厚かましくはなれない。たとえ、愛してるとか言われたことはあっても、クレスト様のことだ。お気に入りの抱き人形が逃げることのないように、私の望むような言葉を選んだという可能性も、まだ捨てきれない。
クレスト様は、じっと私を見下ろすと、いきなりがばっと抱きしめてきた。っていうか苦しい!
「帰るぞ」
「……はい」
そのまま、二人で転移の魔術陣で帰宅したものの、クレスト様は到着地点の私の寝台でなかなか抱きしめた腕を放してくれなかったり、心配かけたアマリアさんやイザベッタさんに謝罪しようにも生暖かい目で見守られてしまったり、ということになった記憶は、思い出したくもない黒歴史の箱に仕舞いこんだ。
さらに、カルルさんからも、ちくちくと『クリス』が怒られる羽目になり、二度と考え無しに動かないと固く誓った。
ちなみに、カルルさんとバルトーヴ子爵にお見せした商品サンプルは好評だった。
僅かずつしか違わないサンプル群の中から、陽の光や蝋燭の灯に照らしたり、透かしたりしてアレコレ話し合い、宝石商を営む子爵家懇意の商人まで招いて品評した結果、二十一番目のサンプルが商品化されることになった。
ガラスとは思えないその透明度と輝きの深みに「嘘のダイヤ」を意味する「リューゲ・ディアマント」という商品名で売り出されることになるのは、翌春の話。最初のお披露目が、エデルさんの結婚式になると聞かされ、驚かされたのはその一月前のことだった。




