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45.ぬくもり

「ねぇ、クレスト。君さ、ずっと王都に、騎士団にいるつもりかい?」

「どういう意味だ?」

「アルージェ伯の三男坊は、領地に帰って次期たる長男の補佐をする予定があったりするかい?」


 そういえば、そんな話を聞いたことがあったっけ、と私を捕らえている彼を見るが、その無表情から読み取れるものはなかった。


「騎士団に正式に入る際に、多くの領民の為でなくただ一人のために命を使いたいと告げている。父も兄達も了承済みだ。だからこそ俺はここに一人、住んでいるんだから」


 あぁ、随分前に耳に挟んだ話は本当だったんだ。

 王様のために命を、なんてそうそう言えることじゃないのに。やっぱりすごい人だ。


「マリーに新商品開発に集中させるために、辺境を領地に持つ貴族に嫁がせるか、それとも手元に置くために王都住まいの商才ある次男・三男以下を婿にするのかは知らないが、俺が阻止しないとでも思っているのか?」


 これ以上ないくらいの脅しなのに、カルルさんはまるでそよ風でも受けているかのように平然としていた。


「……残念ながら、お前が阻止するような相手じゃないよ」


 するとクレスト様は「大隊長か副長あたりか?」と口の中で呟いた。


「それじゃ、マリー。君の婚約者なんだけどね」

「は、はい」


 いきなり話を振られ、私はお腹にぐっと力を込めて返事をした。


「騎士団の有望株ってこともあって、結構、競走相手が多いんだ。あ、年齢はね、そんなに離れてないから安心して?」

「は、はぁ」

「姉上殿の結婚相手は中央に食い込んでる貴族でさ、うちとしちゃ騎士団の方にも人脈は作っておきたいわけさ。オレもそれなりに頑張ってるけど、そろそろ辞めるわけだし?」

「あ、辞めてしまうんですか」

「うん、家業に専念しなきゃならない頃合だしね。ってことで、相手は騎士なわけだけど、マリーなら万が一理不尽な暴力を振るわれても、魔術で対抗できるから大丈夫でしょ」

「あ、あの、そんなに乱暴な方、なんですか?」

「うーん。時と場合によるのかな。まぁ、騎士なんて多少の凶暴性を持ち合わせてるもんだし」

「はぁ……」


 うーん、身体強化の魔術陣を、いつでも発動できるよう身につけておいた方がいいってことなのかな。

 それよりも黙ったままのクレスト様が怖い。


「ま、そんなに心配しなくても、一度懐に入ってしまえば、ちゃんと大事にしてくれる人だよ。顔は、マリーも見たことあるね。君が見学しに来た時に、訓練所にいたから」

「え?」


 突然、そんなことを言われても、あの時はクレスト様の訓練風景しか見ていなかったし―――ってことは、もしかしてクレスト様の部下の人? 愛玩犬みたいなフィンさんのことは覚えているけど、同じ稽古受けてた中に銀髪の人がいた、ぐらいしか憶えてない。


「あの、その方の、お名前とか教えていただけるとありがたいんですけど……」


 おずおずと申し出れば、にっこりと笑顔で返された。

 なんだろう。その質問を待ってました、って顔。


「ようやく興味を持ってくれた? うん、アルージェ伯爵の三男だよ?」


 どこかで聞いた名前だな、と考えた私は、はたと気付いて思わず斜め後ろのクレスト様の顔を振り仰いだ。

 カルルさんの説明の途中から察していたのか、そこには動揺は微塵たりとも感じられない。


「それで、クレスト。オレのかわいい妹をもらってくれるよな?」

「……それで、あの『報酬』か」


 はぁ、とクレスト様が大きなため息をついた。


「そう。同い年のお前に義兄とか呼ばれたくない。いや、こんなかわいくないお前を義弟とか呼びたくないし」


 何の話だろう、と首を傾げる私に、カルルさんが「マリーが誘拐された時、協力する見返りがね」と教えてくれた。


「俺が受けると思っているのか」

「あれれ? そしたらオレ、他の相手を騎士団から見繕うだけの話だよ? だって、マリーはもうオレの妹ちゃんなんだから」


 ピキリ、とクレスト様の額に青筋が浮かんだ。


「いいだろう。持参金はふんだくる。あと、婚約者の行儀見習い名目で、これまで通りマリーはここで生活する」

「えー。横暴だなぁ、クレスト。まぁ、予想してたけど。それじゃ『マリー』、帰ろうか」

「待て」


 『マリー』の手を引いたカルルさんを、クレスト様が止めた。


「なに? だってこっちの『マリー』はいらないんだろ?」

「その名前は不愉快だ」


 ふぅん、と私と『マリー』を見比べて「似てないのにねぇ」と呟いたカルルさんは、

「それじゃ『クリス』って呼ぶよ」

と、いきなり提案した。


「マリーツィア・クリスチャーニン、もとい、マリーツィア・バルトーヴは一人だけ。それなら姓を取って『クリス』ちゃん。これでいいだろ?」


 頷くクレスト様の隣で私も勢いに負けて頷き、ついでに『マリー』改め『クリス』にも頷かせた。


「それじゃ、オレは帰るよ。あ、クレスト。マリーに誤解されてるから気をつけろよ」


 ひらひらと手を振り、『クリス』の手を引いてカルルさんはサロンを出て行った。


「あの、誤解って何のことでしょう?」


 『クリス』が尋ねると、カルルさんはにっこりと「イイ笑顔」を浮かべた。


「それは内緒。さ、魔力節約のために、今日はもう『クリス』を動かさないように」


 『クリス』の身体を抱き上げると、カルルさんは廊下で行き会ったアマリアさんに馬車を用意させるよう告げた。

 『クリス』が目で伺っても、答えてくれる様子はない。私は仕方なく『クリス』の操作を止めて、目の前のクレスト様に集中することにした。



 ◇  ◆  ◇



「あの、……クレスト様、その、すみません。いきなり婚約だなんて、とんだ迷惑を―――」

「黙れ」


 クレスト様はひょいっと私を抱き上げると、サロンを出て階段を上がって行く。途中、イザベッタさんが私に少し羨ましそうな視線を向けるのが見えて、顔が赤くなった。

 すっかり見慣れたクレスト様の私室に着くと、彼は私をそっとソファに座らせる。

 テーブルには、クレスト様の読みかけの本と、私の刺しかけの刺繍が置いてある。結局、何もなかったように元の監禁生活に戻れということなんだろうか。

 だけど、クレスト様は隣に座ってくるでもなく、じっと私を見下ろしている。


「えっと、わ、私、クレスト様と結婚しても、別に我侭に振る舞うわけではありませんし、心配しないでください」

「黙れと言ったはずだ」


 ぴしゃり、と言われて、私は思わず俯いた。


 やっぱり迷惑だったんだ、と思うと、視界が涙で滲む。

 私なんかを奥さんにしても、カルルさんの言う通りに引く手数多のクレスト様だし、むしろ邪魔って思われているのかもしれない。

 ぽたり、と溢れた涙がこぼれ落ちた。


「……ぃっく」


 殺しきれない嗚咽おえつが、喉の奥を突いて出る。


 クレスト様はきちんと私を見分けてくれたけど、だからって、私を奥さんにしたかったわけじゃない。

 やっぱり私は誰からも―――


「なぜ、泣く」


 ぽつりと、落とされた問い掛け。


「だ、だって、クレスト様に、わた、わたし、ご迷惑、を……っ」


 嗚咽も殺せず、涙も止められず、感情のままに取り留めなく言葉を紡ぐ。


 自分勝手な賭けに、クレスト様を巻き込んで、

 ちゃんと自分を見てくれたことが嬉しかったのに、

 クレスト様は私を譲り受けた以上、責任感から守ってくれただけなのに、傍にあればいいと思っていただけなのに、


「わ、たし……、奥さん、なんて、余計な、ことにっ、なってしまっ、て」


 もう何がなんだか分からない。

 涙は止まらないし、喉の奥も痛い。

 何より胸の奥がずきずきと悲鳴を上げている。


「マリーツィア」


 顎に手を添えられ、つい、と持ち上げられた。

 目の前には見慣れたとは言え、心臓に悪い美貌。その薄い唇からも、緑の瞳からも感情は読めない。

 私はひどい顔をしている自覚はあったけど、こうなった以上、こんな至近距離で顔を拝める機会も減るんじゃないかと、じっと彼を見つめた。

 何を思っているか知らないが、無表情なその顔がゆっくりと近づいてきて、


「ひゃんっ!」


 喉の奥から悲鳴が漏れた。まるで子犬の鳴き声だ。

 っていうか、今、ほっぺ、舐めてきた。……どっちが子犬?

 あまりの衝撃に瞬きを繰り返す私を、目を細めて見つめた彼は、反対側の頬まで舐める。いや、子犬なんかじゃない、大型犬だ。


「―――甘い」


 そんな、涙が甘いわけが、と反論しかけた私の唇に、何かが押し付けられた。

 口内に侵入して来た温かく濡れたものが、中を蹂躙する。なんだかしょっぱい。


(……じゃ、なくて)


 今、何をされているのかを理解しようとするも、呼吸できない苦しさが先に立つ。

 あぁ、そうか。

 私は大型犬に食いつかれているのか。

 ぼんやりとした頭でそんなことを考えていると、ふいに呼吸ができるようになった。慌てて、はふはふと息を整える。


「お前はどこもかしこも甘い」


 そんな言葉を紡ぐ彼の瞳に宿るのは、今まで見たことのない炎。


「女は砂糖菓子が好きだが、なるほど、ここまで甘ければ溺れるのも納得できる」


 いきなり何を言っているんだろう、この人。


「君を迷惑だと思ったことはない」


 再び近づいて来た顔に、慌ててぎゅっと目を閉じれば、そのまぶたに柔らかい感触があった。唇を落とされたのだと理解はできる。


「マリーツィア。俺の唯一の『祈り』」


 厚い皮の手のひらが、私の頬を撫でる。

 そろり、と瞼を持ち上げれば、まだ近くにクレスト様の顔があった。


「俺がお前をどう思っているか、一度きちんと答えたはずだろう。忘れたのか? それとも聞き流したのか?」


 ねるような口調で、それでも表情はどこか楽しげで。

 乏しい感情表現の中から、些細な声のトーン、眉の動きで気持ちを拾い出すのにも慣れた自分が、それでも拾いきれない彼の心の奥底を教えて欲しいのだと声に出して告げれば、彼の口の端が僅かに持ち上がった。


「君には、俺の隣で、常に俺のことを考えていて欲しい」


 珍しい。

 告げられた内容は目新しいものではなかったけれど、いつもは命令形で、「欲しい」なんて言葉は聞いたことがなかった。


「君はそのたおやかな声で俺を起こし、向かい合い、隣り合って食事をして、笑顔を俺に見せ、そして共に眠る。そういう生活を俺は望んでいる」


 その内容を理解した私の顔が、じわじわと熱を帯びてくる。


「妻としてめとるのが手っ取り早いと理解していたが、君に余計な敵を作ることは避けたかった。貴族の交際は非常に厄介だからな」


 め、めと、娶るのが手っ取り早いって……本当にそういう意味だったの?


「だが、こうなった以上、俺は君を妻として迎える」


 何かを言いたいのに、言葉にならなくて、私の口がはくはくと意味もなく開閉する。

 すると少しだけ困ったように首を傾げられた。


「君と同じ言葉で返した方がいいか。―――マリーツィア。好きだ。愛している」


 その言葉は、私の感情を収めたガラス瓶をあっけなくぶち壊した。


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