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44.見目より心

 サロンに戻って来たクレスト様の表情を見て、『マリー』の身体を少しおおげさに震わせた。

 艶のある金色の髪を少しだけ乱し、無表情ながら見ているこちらの血を凍りつかせるような緑柱石の眼差しは、さながら罪深き人間を断罪する神の御使いのようだった。整い過ぎた美貌というものは、本当に迫力がある。

 その瞳に灯る炎は、怒りの感情だろうか。

 耐性のない人が見たら、それこそ裸足で逃げてしまうような姿だけど、残念ながら私には、そしてカルルさんにも耐性はある。


(怖いのは否定しないけど、ね)


 冷めた頭で考えながら、『マリー』は動揺を表に出した。

 そう、何としてもこの賭けだけはしくじらない。私自身が動揺してしまえば、魔術にも影響が出るし、何より腕の中の私の身体が反応してしまう。それじゃだめなんだ。


 クレスト様は、私の身体を抱いたまま、『マリー』とカルルさんの向かいのソファに腰を落ち着けた。


「そっちのマリーの様子はどうだい?」


 カルルさんが笑顔を浮かべて尋ねた。本当にこの人すごいな! こんなに怖いクレスト様を目の前にして、笑えるなんてどんな神経してるんだろう。


「……その前に、聞いておきたいことがある」

「なんだろう?」

「本当に、そのマリーを養女にするつもりか?」

「どういうことかな」


 クレスト様は壊れ物を扱うように、私の身体を自分の隣に座らせた。力を抜ききっている私の身体が横に倒れそうになるのを、自分の方にもたれさせた。

 なんだか、気恥ずかしくなって、自分の身体を『マリー』の視界から外す。ちょうどカルルさんを気遣わしげに見る形になったので、結果オーライだろう。


「お前がどれほど理解しているのか知らないが、俺のマリーツィアは隣にいる。そっちのマリーは、俺にとって大した価値はない」


 その言葉に、私は『マリー』の身体を立ち上がらせた。


「どうして、そんなことを言うんですか? あなたは、私ではなく、その人形が居ればそれでいいってことなんですか?」


 浮かべるのは哀しい顔と悔しい顔を混ぜた表情。

 そんな風にきちんと『マリー』を動かしながら、私は心のどこかで「何やってるんだろう」と疑問を投げかける自分の声を聞いた。


 彼はちゃんと私を選んだ。それなのに意地を張るの?

―――もしかしたら、人形でいいと思っているかもしれないじゃない。

 そんなことはない。ちゃんと彼は見分けている。

―――ううん。彼のことだから、揺さぶりをかけて、私がボロを出すのを待ってるに違いない。


「マリーツィア」


 クレスト様の瞳が、真っ直ぐに『マリー』を見つめる。

 まるで、『マリー』を通して私自身を見られているようで、落ち着かない。


 そんな目で見ないで。 / 私を見つけて。


 相反する心がせめぎ合う。


「マリーツィア、よく聞け」


 クレスト様は、もたれかかる私の黒髪を、さらりとくように撫でた。

 その行動を恥ずかしいと思う以前に、どっちのマリーに言い聞かせているのかよく分からない。


「以前、君にも話したな。例え変装していても、一緒に暮らしていた人間を見間違えるわけがないだろう、と」


 聞き覚えのあるそのセリフは、デヴェンティオからの馬車の中で、ニコルが私だと分かった理由を聞いた時の答え。


「魔術ごときで、俺が唯一の『祈り』を見間違えると思ったか?」


 そのエメラルドの瞳に灯るのは、間違いなく怒りの感情。でも、その意味が大きく違っていたのだと気付かされた。

 俺を見くびるな、と言われた気がした。

 気付けば『マリー』は、すとん、と再びソファに腰を下ろしていて、クレスト様にもたれかかったマリーの目尻から、つぅっと涙が流れ落ちていた。

 あぁ。

 なんでこの人は。

 ちゃんと、私を、こんなにも、……見て、くれるんだろう。

 もう、賭けの結果は明らかだ。

 諦めて、このモヤモヤした不明瞭な感情に名前をつけよう。


「……クレスト様」


 私は、私自身の瞼を持ち上げた。首を動かし、隣に座る彼の顔を見つめる。


「ちゃんと、見つけてくださって、ありがとうございます」


 自分の声が、僅かに震えていた。


「それと、試すようなことをしてしまって、ごめんなさい」


 感謝の言葉にも、謝罪の言葉にも、彼の表情は変わらない。すべて、お見通しだったということなんだろうか。


「クレスト様……?」

「なんだ」


 その声は、まだどこか不機嫌で。

 目元は険しさを失っていなくて。

 こんなことをしてしまった以上、どれほど謝っても許してはもらえないかもしれないと、それだけのことをしてしまったと恐れおののきながら、でも、後悔だけはしていなかった。


 最後に、あの感情に名前を付けて、告げる。この名前で間違いないはずだから。


「―――私、クレスト様のことが、……好き、です」


 それこそ人生を賭けた博打の末に、一大決心をして告げた心だったのに、驚きを隠さず目を見開いたクレスト様は、きっちり三秒後、口元を覆って立ち上がり、壁に拳を打ちつけた。



 ◇  ◆  ◇



「あはははははっ!」


 私の想いは迷惑だったのか、それとも彼を試したことが逆鱗に触れたのかと涙をこぼしていた私の耳に、これ以上ないぐらいの爆笑が届いた。


「ごめ、ちょ、ほんと、腹痛いっ……つか、拷問?」


 途切れ途切れに聞こえる言葉は、さっぱり意味が分からない。

 すると、壁を殴っていたクレスト様が、すたすたと戻って来るなり、笑い続けるカルルさんの胸倉を掴んだ。


「ちょ、ま、待って、いや、ほんと、ごめん? いや、オレも、笑わないよう、腹筋っ、限界まで、酷使し、てっ」


 笑いが治まらないのか、弾むカルルさんの声の合間に、ひゅーひゅーと息が漏れる。

 私はびっくりして引っ込んだ涙を拭い、立ち上がるとそっと『マリー』の胸元に手を添える。魔術陣の効果を断ち切ったことで、私とは似ても似つかない赤茶の髪を持った『マリー』の姿に戻った。ちなみに私自身にかけた幻術は、賭けの結果を見届けると同時に切っている。

 きちんと『マリー』の姿が戻ったことを確認した私が、その隣を見ると、笑いのせいか、クレスト様のせいか、呼吸困難に陥ったカルルさんの青い顔が見えたので、慌ててクレスト様を止めに入った。


「だめです。カルルさんが死んでしまいますっ」


 クレスト様の手首のあたりを掴もうと思っていたはずなのに、何故か私が手首を掴まれて、ぐいっと大きく引っ張られた。勢いそのまま、私の身体はクレスト様の腕の中に閉じ込められてしまった。

 ぜーはーぜーはーと苦しげな呼吸音がするので、カルルさんの様子を見ようと思うものの、抱き込まれてしまった私は視界を自由にできない。

 仕方なく『マリー』の視界を借りると、手を離されたカルルさんが、自分の胸を押さえて呼吸を整えているのが見えた。


「あー、君ら、本当に見てて面白過ぎだよ」


 どかり、とソファに身を静めたのを見たクレスト様は、私を抱いたまま、自分も向かいのソファに戻った。私は身動きすら許されず、仕方がないので『マリー』の視界を借りて傍観する。


「うるさい。―――それで、そっちのマリーを養女にする気か?」


 ちらり、と『マリー』を見るクレスト様の目は、とても冷たい。やはり、彼の中では私と『マリー』の扱いは全然違うのだろう。


「いいや? 俺、というか、うちが養女にするのは、マリー本人だよ?」

「オレがそれを許すと思うのか」

「うーん。そう言われてもね。本人との取引の結果だから」


 その言葉に、動揺を隠せずに私の身体がぴくりと震えてしまった。


「マリー?」


 耳に落とされるのは、怒気をはらんだ声。

 でも、彼の胸に密着したまま声を出すのは恥ずかしくて、私は『マリー』の口を借りることにした。


「クレスト様。私は、自分の判断でその取引をしました。今回の件に、協力してもらう見返りに」

「自分の口で話せ」


 『マリー』を睨みつけたクレスト様を見て、カルルさんが「その体勢じゃ話しにくいでしょ」と助け舟を出してくれた。


 ようやく腕を緩めてくれたのはいいけれど、距離が近い。

 いや、至近距離に慣れてはいるけど、後ろめたいことを告白するには難易度高くありませんか? しかも、よく考えれば、私、クレスト様の膝の上に乗ってる状態なんですけど……?


「相談なく、勝手な判断をしてすみません。……でも、こうでもしないと、私、ちゃんと自分の気持ちに向き合えなかったというか」


 自分の気持ち、と口にしたところで、何故かまた顔を逸らされてしまった。

 やっぱり、迷惑だったんだろうか。この気持ち。


「クレスト。お前が自分の部屋に閉じ込めて自由を奪うから、マリーだって思い詰めちゃったんだって、そろそろ気付けよ」

「―――お前に言われるようなことじゃない」


 カルルさんは肩をすくめて、クレスト様の氷の眼差しを受け流した。


「だいたい、バルトーヴ子爵が許可したのか?」

「そりゃもちろん。オレがきちんと、マリーが如何に金のなる木か説明したからさ」


 その言葉に、サロンの室温がぐっと下がった気がした。


「貴様、マリーを何だと―――」

「お前にも見せただろ? デヴェンティオの陶器。あれはマリーが開発した釉薬ゆうやくで、今じゃデヴェンティオの深藍色こきあいいろって呼ばれて人気が出てる」


 あの釉薬、そんな名前で定着しちゃったのか。


「マリーは他の色の製法も抱えてる。既存の枠に囚われない、新しいものを作れる人材だ。親父殿も、マリーの事情を知る前からニコルを欲しがってた」


 カルルさんの説明に、クレスト様の口元から舌打ちが漏れた。

 え、この人の舌打ち? 初めて聞いたかも。


「そんなに怖い顔するなって。子爵家令嬢の地位を得れば、魔術師協会への抑止力になる。少なくともお前の女神様が、定期的に血を抜かれ続ける道具になるのは避けられる。いくら考えなしのあいつらも、うちには手を出さないだろ」


 え、そんなこと考えてたんだ。

 私は初めてカルルさんの意図を知って、びっくりした。


「だが、逆に貴族のしがらみができるだろう」


 私の腰を支えるクレスト様の腕に、ぐっと力が入ったのを感じた。


「そうだね。だから、とっとと婿をあてがうつもりだよ」


 その言葉に、再び室温が下がった気がした。

 もう氷点下なんじゃないだろうか。いくら霜の降りる季節になったからって、昼間からこれは寒すぎる。


 私は小さく身を震わせた。すると、クレスト様が「心配ない」とでも言うように、私の手を取り、握り締めた。


 いや、別に婿云々については覚悟ができているのだけど。自分の気持ちを明確にして告げられただけで、もう満足なんだから。

 むしろクレスト様の放つ冷気もとい怒気が問題なのだけど。


「あの、クレスト様。私はすべて納得した上で取引をしています。ですから―――」

「マリーツィア。君は俺のものだ。五年前からそれは変わらない」


 きっぱりと断言するクレスト様は、どうやら納得してはくれない様子。そして、色々覚悟して告げた私の気持ちについては、さっきから完全にスルーされてる。

 困った挙句、視線をカルルさんに向けてみれば、なぜかニマニマと生温かい笑みを浮かべている。藍色の瞳はきらっきらと面白そうに輝いていた。

 なんだか、イヤな予感しかしない。


「近々、婚約を持ちかける予定、そう言ったのを覚えているかい?」


 カルルさんの言葉に、クレスト様が頷く。


「どこのどいつだろうと、取り潰すのは変わらない」


 よその家のことなのに、そんなことができるんだろうか? と首を傾げた。いや、でも、クレスト様ならやりかねないか。


「うわぁ、怖いな。でも、その婚約者の名前を言っても、同じことが言えるかな」

「勿体付けるな。早く言え。どうせ俺に教えて、反応を見る気なんだろう」


 あぁ、なんだかんだと付き合いが長いだけあって、クレスト様もカルルさんのこと、分かってるんだな。

 クレスト様と話をしていると、私のことしか興味ないように見えてしまって怖かったけれど、そんなことはないんだと知って胸を撫で下ろした。

 うん、大丈夫。

 私がどっかの貴族に嫁いでも、きっと何とかなる。カルルさんの言葉だと、嫁入りじゃなく婿取りみたいだけど。


「そうまで言われると、逆に話す気がなくなるね」


 ここぞとばかりに焦らす気満々のカルルさんの瞳は、やっぱりキラキラと輝いている。

 なんだか、この人に相談を持ちかけた私が悪かったような気分になってくるから不思議だ。でも、この人以外にうまく立ち回れそうな人がいなかったから仕方ない。だって、クレスト様って友達いないし。


「……お前を殺して、すべてをなかったことにするか」


 地獄の底から響くような声、というものを初めて耳にした。

 カルルさんもぎょっとしている所を見ると、このセリフは掛け値なしの本気だ。間違いない。


「クレスト様、殺人はだめですっ」


 慌てて握られたままの手に、ぎゅぅっと力を込めれば、何故か優しい眼差しで見つめられた。


「マリー。心配することはない。君は絶対に守るから」


 いや、そうじゃなくてっ!

 どう説得したらいいか、わたわたとする私の耳に、ふふっと小さく笑う声が聞こえた。


「あぁ、本当に君は女神様だね。かわいい女神様に免じて教えてあげるよ」


 そのいたずらっ子のような笑みに、私はこの上ない嫌な予感を抱いた。


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