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43.大博打

 私は緊張を表に出さないよう、刺繍に集中しているふりを続けていた。

 初霜も降り、季節は冬に向かっている。ソファに腰掛け、毛織のひざ掛けで寒さをしのぎながら、手元では季節に逆らうように大輪のバラを刺していた。額縁に飾るタイプの中でも上級編のこの図案は、咲き零れる花々と緑の生垣いけがきに舞う蝶を模したもので、一刺し間違えれば台無しになりかねないぐらいだった。

 一刺し一刺しを図案と見比べながら丁寧に針を動かす私の隣では、クレスト様が読書をしている。

 そんないつもの非番の風景―――を装わなければならなかった。

 ずっと根回しをしていたことの、決行日は今日。

 クレスト様がいない日は、せっせと室内を意味もなくうろつき回り、少しでも体力を戻そうと運動に励んでいた。最初は室内散歩に否定的だったアマリアさん(を筆頭とする使用人の人達)も、食欲が戻って来たのを見て、色々と協力してくれた。まぁ、協力と言っても部屋の中だけのこと、同じことの繰り返しで飽きてしまわないように曲を奏でてくれたり、本を朗読してくれたりといったものだったけれど、随分助かったと思う。


(本当にありがとう)


 今はこの部屋にいない彼らに、そっと感謝の言葉を呟く。



 今日、私、マリーツィア・クリスチャーニンは一世一代の大博打に出ます!



 予想外の誘拐事件の後、監禁されてから、ずっと気になっていたことがある。

 魔術封じのために付けられていた銀環のことだ。

 結局、あれは魔力の流れを絶つだけで、いくつかの点に気をつければ、魔術を使うことはできる代物だった。

 それを知った時、私はこんな所を見落としているなんて、とクレスト様の魔術への理解不足に喜んだ。

 でも、監禁中に考える時間はたっぷりあって、……気付いてしまった。

 デヴェンティオからお邸に移ってすぐに、覗き見防止の陣を私室と書斎に設置した。常時発動型の魔術陣で、魔力を込めた宝石を糧にすれば発動すると、クレスト様に説明したのは私だ。魔力を込めるのは私でなくとも良いから、とその時は思っていた。まぁ、結局、唾液経由で私の魔力を込めることになったんだけど。


 あの時点で、クレスト様は気付いていたんじゃないだろうか。

 私の身体に魔力は巡り続けていること。私の頭に魔術陣についての知識があること。この二つがあれば、私は今まで通りとはいかないまでも魔術を使える、と。

 もし、本当に私に魔術を使わせないようにするんだったら、私がまた逃げないようにするんだったら、きっとクレスト様は他に様々な手を打てる状態だった。


―――じゃぁ、どうしてそうしなかったのか。


 もしかしたら、気付いた私が逃げようとするのを待っていたんじゃないだろうか。

 もしかしたら、気付いた私が逃げるのか、それとも逃げないのかを見届けたかったんじゃないだろうか。


 そんなことを考えていたら、逃げたところでどうなるのか、そもそも私自身が本当に逃げたいのか分からなくなって、何だか下方向に思い詰めてしまった。

 正直、クレスト様に対して、モヤモヤしたものを抱えている自覚はある。束縛を鬱陶しいと思う反面、周囲の人間関係に対する同情か、長い時間共に過ごしたことで絆されたのか、よく分からない感情。突き詰めて行けば、それは決して名前をつけて明確にしてはいけない感情なんだと気付いた。


 それでも、その名前をつけたいと思う私がいて。


 その名前をつけてしまえば、傷ついてしまうと脅える私がいて。


 自分を守るためには、その名前を忘れた方が良いと目を逸らす私がいて。


 色々と考えた結果、前向きな一歩を踏み出したい自分が勝利を収めたのは、一週間前のことだった。

 もし、どんな状況でも私を選んでくれるのなら、この感情に名前を付けよう。

 でも、私でなくても良いのなら、この感情は心の奥底に封じこめて、今度こそ二度と彼の手の届かない所に逃げ出す算段をつけよう。海を渡って国外に出たっていい。


 私はもう一つの視界がお邸を見つけたことに、こくり、と小さく喉を鳴らした。

 同伴者に手を引かれ、馬車を降りる。

 玄関で応対に出たのはハールさんだ。


「……誰か来たのか?」


 本を置いたクレスト様が立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

 私も刺繍道具をテーブルに置き、ソファから腰を上げる。


(さぁ、動き出そう)


 私は駆け足で部屋を出た。

 視界の端で、クレスト様のがエメラルドの瞳が驚愕で見開かれたのが見えた。

 だけど、そんなことにいちいち動揺している暇はない。追いつかれるより先に、客人に会うんだ。

 私は転びそうな勢いで階段を駆け下りると、ぎょっとしたハールさんの隣でにこやかに笑う栗色のくせっけの青年……ではなく、その隣に居た、外套がいとうですっぽりと全身を覆い隠した小柄な影に抱きついた。


「マリーツィア!」


 久しぶりにクレスト様の大声を聞いた。


「やぁ、クレスト。君に知らせたいことがあって、挨拶に来たんだ。ここじゃなんだから、どこか部屋で落ち着いて話そうか」


 少し視線が泳いでいる青年――カルルさんの顔色が悪いのは、クレスト様の冷気を帯びた怒りの視線を受け止めてしまったからか。

 私はカルルさんの小柄な同伴者=『マリー』への仕込みを終えてホッとしていた。『マリー』が自分の胸元に描いた魔術陣を発動させること。ずっと身につけていたネックレスを渡すこと。そして『マリー』に描かせた魔術陣を受け取ること。この三つだ。

 『マリー』に抱きついたままなのは、まぁ、クレストさまの視線が怖いからという情けない理由なんだけど。


「マリーツィア」


 肩と掴まれた私は、『マリー』から引き離された。


「君は部屋に戻れ。―――カルル、何の用か知らないが」

「うん、オレに新しく妹ができることになったんだ」


 ありがとうございます、カルルさん。この凍りつきそうな絶対零度の雰囲気の中で、明るい声を出せるのは、本当にすごいことだと思います!


「そっちの女神様にも紹介したいし、サロンでいいから案内してもらえるかな?」

「カルルさんの妹ということは、エデルさんの妹にもなるんですね、素敵です」


 私が目を輝かせて手を叩けば、クレスト様の不機嫌な視線を感じた。


「分かった。話を聞こう。―――ハール。マリーを部屋に戻してくれ」

「でも、私もその人と話してみたいです。クレスト様……」


 私の腕を掴んで離さない彼を見上げて懇願しても、首が縦に振られることはなかった。


「俺がその女性の人となりを見極めてからだ」


 私は渋々とハールさんに連れられてクレスト様の私室に戻った。最初の衝撃を余すところなく観察したかったのだけど、そう簡単には行かないみたいだ。

 サロンに向かうクレスト様の、カルルさんを挟んで後ろを歩く『マリー』が、彼に気付かれないようにあのネックレスを首に提げた。これで仕込みは完了。

 私の方も『マリー』から受け取った魔術陣を、ドレスの胸元をくつろげる振りをして自分の胸に押し当てるように隠した。


 もう、後戻りはできない。

 心臓が軋むほどの緊張を感じながら、私はソファに寝そべった。



 ◇  ◆  ◇



「最近、前触れのない訪問が多い」

「いやぁ、ごめんね。妹が可愛すぎて自慢したくてたまらなくってさ」

「―――そう言うくせに、その出で立ちか?」


 ちらり、と外套に包まれたままの『マリー』を見る目は果てしなく冷たかった。


「うん、あまり顔を見せちゃうと、面倒なことになるからね。―――ということで、席を外してもらえるかな」


 お茶を三人の前に給仕し終えたイザベッタさんは、ちらりとクレスト様をうかがう。


「仕方ない。下がれ」


 私はほっと息をついた。

 今の『マリー』の姿を色々な人に見られるのは避けたい。『マリー』の顔を見るのは、できるだけ少ない方がいいのだ。


(どうか、きちんと発動していてくれますように……)


 『マリー』の胸元に描いた魔法陣は、一度使ったことのあるものだから大丈夫だと思うけど―――


「じゃ、クレストに顔を見せてやってよ」

「はい、にいさま」


 私は『マリー』を通してクレスト様の様子をうかがいながら、そっと外套のフードを下ろした。


「……っ」


 動揺か驚愕か混乱か。彼の顔が、感情も露わに歪んだ。これほどまでに表情に出るのは珍しい。

 それと同時に、私の胸が心苦しさにちくりと痛む。


「どういう、ことだっ……!」

「彼女の名前はマリー。我がバルトーヴ子爵家に養女として迎え入れ、近々、とある伯爵家の息子に婚約を持ちかける予定なんだ」


 ね、と問いかけるカルルさんに『マリー』が頷く。婚約の件は初耳で、すぐにでも聞き返したかったけど、動揺をクレスト様に見せずに事を運びたい気持ちが勝った。

 ガタン、とクレスト様が立ち上がった。その目は射殺さんばかりにカルルさんを睨みつけている。


「……さっき部屋に戻らせたマリーの様子を、見て来たらいいと思うよ」


 視線をカルルさんと『マリー』に向け、黙り込んでいたクレスト様は、足音も荒々しくサロンを出て行った。

 途端に、『マリー』の隣に座っていたカルルさんが、ふぃーと息を吐く。


「あー、怖かった」

「ありがとうございました。カルルさん」


 『マリー』がぺこりと頭を下げる。


「うん、そっちも頑張って、マリー」


―――仕掛けはこういうことだ。

 いつ魔力切れを起こすか分からなかった『マリー』に、私はエデルさんへの結婚祝いに紛れさせてイヤリングの片割れを贈った。華やかな刺繍を施したポーチの裏地に縫い付けるという手段で、クレスト様のチェックの目を欺いて。

 同時並行で、カルルさんのお邸に身を寄せた『マリー』の手で幻術の陣を二種類描かせた。一つは私自身の姿を投影する魔術陣で、『マリー』の胸元に描いた。もう一つは、私の関節をマリーと同じように人形の関節に見せるもので、紙に描いてもらったものを、今、私自身の胸元に潜ませている。

 幻術に使う魔力は、『マリー』はネックレスのダイヤモンドから、そして私のは自前の魔力で。


 早い話が、『マリー』は私そっくりに見えていて、私の身体には人形の関節が見えている、ということになる。

 この博打について説明したところ、「随分とクレストに厳しい内容だけど、マリーがこのまま自由なく過ごすことを考えれば妥当じゃない?」と軽い反応が返って来た。

 普通、絶対無理だと断じておかしくない賭けの筈なんだけど、カルルさんはそうは思わなかったらしい。


―――ソファに寝そべったままの私の耳に、動揺を隠しきれない足音が届いた。


(さぁ、悲劇になっても喜劇になっても、一世一代の大舞台よ!)


 目を閉じて身体中の力を抜く。そして、呼吸をできるだけ密やかに留め、胸に隠した魔術陣を発動させる。こうなったら、徹底的に『人形役』を演じてみせよう。


「マリーツィア!」


 いつになく悲痛な声。驚いたハールさんの声もした。

 真っ直ぐに近づいてきた足音。そして、息を飲む音がした。

 長袖の服を着ていても、手は露出している。その指の関節は人形のように見えているはずだ。

 ぴたり、と私の頬に何かが添えられた。

 柔らかい中にゴツゴツした手触り。少し汗に濡れたそれはクレスト様の手だろうか。


「マリーツィア……?」


 ぺちりぺちりと頬を軽く叩かれる。だけど、私の感覚はほぼ『マリー』の方に集中させていて反応をしない。『マリー』の操作に慣れない頃は自分の身体をおろそかかにして色々な失敗もしたけれど、こういう時だけは集中し過ぎるのも悪くない。最低限の呼吸と幻術の陣だけに気を遣い、あとは『マリー』に感覚を預けた。


「クレスト様、マリーツィア様は―――」


 ほとんど機能していない私の耳が、ハールさんの慌てたような声をかろうじて拾った。あぁ、この人も私の手を見てしまったんだな。と思う。

 私の膝裏に何か温かいものが差し込まれた……と思った瞬間、ゆさっと身体が揺れた。


(持ち上げられた?)


 いや、抱き上げられたんだろうか?

 残念ながら目を閉じた私には、周囲を把握することができない。下手に目を開ければ、クレスト様に勘付かれてしまうかもしれないと思うと、それもできない。


「あの、カルルさん。私の身体を抱えて、クレスト様がここに戻ってくるかもしれません」

「あ、並べて見比べるつもりなのかな。分かったよ。―――マリー、君は大丈夫かい?」


 隣に座る『マリー』の頭を撫でたカルルさんは、その藍色の瞳を細めて見つめて来た。


「えぇと、大丈夫です。ここまで来たら、ちゃんとやり通します。―――でも、一つだけ。私、どなたかと婚約するんですか?」

「あぁ、そのつもりだよ。君の知識や能力を使ってうちの家業を手伝ってもらいたいとは思うけど、養女にするからには、それなりに使わせてもらう。……イヤかい?」


 イヤかと言われても、子爵家の養女になることと引き換えに、私の要求を飲んでもらっているのだから、拒否できる立場にないんじゃないかな、と思う。


「正直、よく分かりません」

「それもそうか。まぁ、後で婚約相手のことを説明するから、今はこっちに集中しよう」

「……はい」


 カルルさんの耳にも近づいて来る足音が聞こえたらしい。

 うん、やっぱり私の身体を抱えたクレスト様は、真っ直ぐにこの部屋に向かっているようだ。

 そして、廊下で控えていたイザベッタさんが、慌てた様子でサロンの扉を開けた。

 予想通り、私の身体を姫だっこしたクレスト様が姿を現した。


 クレスト様がどう判断するのか。それを考えただけでも、私の心臓がきゅうっと雑巾のように絞られるような痛みを感じた。


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