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40.吐露(※エデル視点)

 まったく、クレストも最低なら、愚弟もダメ男だこと。

 わたくしは馬車の中で苛立ちを隠しもせずに、向かいに座る愚弟を睨みつけた。

 マリーが強いですって?

 まだ多角的に物事を判断できないのかしら。

 確かに、カルルから聞いたマリーの話を総合すれば「強い」と言う評価に繋がるのかもしれない。でもそれは、生活力という一面だけのこと。

 騎士団の訓練を見学した日、わたくしの前で涙をはらはらと流したマリーは、とても強いとは言えなかったわ。他人に頼ること、心の内を曝して軽くすることも知らない、危なっかしくて脆い子。それがわたくしの中のマリーのイメージ。

 そうなってしまったのは、クレストにも一因があると考えているわ。強い執着と重い束縛が過ぎて、他の誰かを頼ることがその人の迷惑に繋がるという意識を植え付けてしまっているのだもの。


「えぇと、姉上? もう少し、闘争心を隠してくれると助かるんですけど」

「……そうね。クレストはともかく、使用人は悪くなさそうだものね」


 主の意図に反して、カルルに状況を説明した点については誉めるべきね。色々と対応に苦慮し、思い詰めていたことも窺えるし。

 カタン、と馬車が揺れ、目的地に到着したことを知らせる御者の声が届いた。

 先に下りたカルルの手を取り、わたくしはゆっくりと馬車を降りる。すると、黒い服を着た白髪交じりの家令が、わたくし達を歓迎するように立っているのが見えたわ。

 クレストの非番の日に合わせて、愚弟に休みを取らせたのは、他ならぬわたくし。聞けば、一週間に一日ないし二日ある非番の日には、ずっと部屋でマリーから離れないとか。考えただけで、精神的にくるものがあるわね。


「ようこそ、おいでくださいました」

「礼は不要でしてよ。それよりも、案内してくださる?」


 わたくしの言葉に、家令の目配せを受けたメイド――おそらく、彼女がマリー付きのメイドなのだろう――が「こちらへ」と頭を下げた。


「わたくし達が入ったら、お茶に―――をたっぷり入れて持って来て頂戴」

「……は、はい」


 多少の戸惑いを見せたものの、きちんと了解の返事をしたメイドに満足したわたくしは、大様に頷いて見せた。逆に愚弟の方が眉根に皺を寄せた。だが、反論は口にはしない。分かっているじゃないの。


「失礼いたします。クレスト様。お客様がお見えです」

「―――追い返せ」


 取り付く島もないとはこのことね。わたくしはメイドに手を振って戻らせ、隣の愚弟に目線だけで「やれ」と命令した。

 愚弟はやけに大きなため息をついたけれど、ドアノブに手をかけた。


「ひっどいなぁ、クレスト! せっかくオレがいい話を持って来たのにさぁ!」


 陽気に振舞いながら、愚弟が部屋に突入する。


「お前の話はろくでもない物が多い。帰れ」


 人を凍りつかせるような不機嫌な声で言い放つクレストだけど、その顔はきっと無表情のままよね。


「そんなつれないこと言うなよ。――やぁ、女神様。今日のお加減はどう?」

「……カルルさん。お久しぶりです」


 今にも消えそうな声がわたくしの耳に届いた。「消えろ」と不機嫌に言い放つクレストの声にほとんど遮られてしまったけれど。


「今日はマリーに話し相手を連れて来たんだよ」

「カルル! いい加減に―――」


 わたくしは、ここでようやく彼の私室に足を踏み入れた。


「いい加減にするのはあなたの方でしてよ、クレスト」


 最初に見たのは、不機嫌オーラを隠そうともしない美貌の青年。そして、次に目に飛び込んで来たのは、彼の隣でソファの背もたれに身体を預けきっている顔色の悪い少女。

 わたくしは、予想をはるかに上回るマリーの様子に、手にした扇を握り締めることしかできなかった。


「愚弟。クレストをこの部屋から追い出して」

「うぇぇ?」

「エデル嬢。俺の部屋から俺自身を追い出すと?」

「えぇ、そう言っておりますわ。だって、マリーをこの部屋から出すことを禁じているのでしょう? マリーと二人っきりで会話を楽しみたいなら、あなたを追い出すしかないんじゃなくて?」


 わたくしはにこりと微笑んで見せた。残念ながら、クレストの美貌によろめくほど初心ではないし、凍りつくような眼差しで射られてもそよ風ほどにも感じない。社交界を渡る子爵令嬢を舐めないでいただきたいわ。


「エデル嬢。招かれざる客とは言え、女性に無体は働きたくはない。出て行ってもらおうか」

「あら、暴力でも揮われるのかしら? あまりこういう言い方はしたくないのだけれど、わたくしの婚約者を知った上で同じことが言えて?」


 脅迫に脅迫で返せば、クレストは黙った。


「何も難しいことを要求してはいないわ。わたくしは、お友達のマリーと会話を楽しみたいだけでしてよ」

「それなら、俺が出て行く必要はないだろう」

「そうするとマリーが気を遣ってしまうでしょう?」


 わたくしは、ちらりと愚弟に目配せをする。小さく頷いたカルルはクレストの耳元で何か囁いた。


「わたくしは、マリーを心配しているだけですの」


 再びにこりと微笑んで見せれば、今までわたくし達のやりとりを眺めるだけだったマリーが、ようやく口を動かした。


「……私も、エデルさんとお話したいです。ダメでしょうか、……クレスト様?」


 本人は意図していないだろうけれど、ばっちり上目遣いで懇願することで、クレストも渋々承諾した。まぁ、カルルが囁いた内容も後押ししたんでしょうけれど。

 タイミングよくノックの音がして、メイドがお茶を乗せたワゴンを押して来る。


「ねぇ、マリー。そちら側だと、窓からの光でお顔が見えなくなってしまうわ。わたくしと一緒に、こちら側に座りましょう?」


 窓の外の景色を見ながらの方が、きっと会話も弾むわ、という誘いに小さく頷いたマリーは、クレストに助けられるようにして、ドアを背にしたソファに移動した。わたくしはその隣に座る。


「さぁ、ここから先は女同士の内緒話でしてよ。殿方は遠慮なさって」


 パンパン、と両手を叩けば、アマリアが一礼して部屋を出て行く。男二人は、カルルが囁いた通り、出て行くふりをしてドアの傍に身を屈めた。

 最初から、クレストが大人しく二人きりにしてくれるなんて思ってはいない。けれど、マリーに話してもらうためには、「クレストが居ない」と思わせる必要があった。


(ごめんなさい、マリー)


 目の前に置かれたティーカップからは、紅茶とは違う芳醇な香りがする。あのメイドも言いつけた通りにしてくれたようだ。


「マリー、特別なお茶を淹れてもらったの。きっと身体が温まるわ」


 わたくしの言葉に小さく頷いたマリーは、躊躇うことなく口をつけた。こくり、こくりと喉が動くのを確認し、少しだけ後ろめたい気持ちになる。

 お茶に入れてもらったのは、心を軽くする薬――ブランデーだ。


「甘い、香りがします」

「えぇ、美味しいでしょう? もう一杯いかが?」


 頷いたマリーに、ついでに、とテーブルの上の茶菓子を勧めてみるけれど、そちらは断られてしまった。食欲がないというのは本当なのだと実感する。


「エデルさん、結婚を控えていると、聞きました。その、おめでとうございます……」


 小さな声で祝福の言葉を伝えて来るマリーは、貴族の政略結婚のことなど頭にないのだろう。そのあたりは平民の価値観を持っているこの子らしい。


「ありがとう、マリー。先日、式に着るドレスのデザインがようやく決まったばかりなの。ドレスだけではなく、ベールやアクセサリーのデザインまで揉めてしまって大変だったのよ」

「きっと、素敵なデザインなんでしょうね。エデルさん、とても綺麗ですし、皆さんに憧れの視線で見られますね」


 か細い声ながら、きちんと会話が成立することにホッとする。どうやら、すっかりやつれた外見よりは精神的に追い込まれていないらしい。


「やっぱり、マリーも花嫁さんに憧れているのかしら?」


 わたくしの問い掛けに、マリーはちぐはぐな笑みを浮かべた。口元は微笑んでいるのに、目元は哀しげだ。


「ねぇ、マリー。わたくし、貴方のことが心配よ。このままでは幸せな花嫁になんてなれないわ」

「そ……んな、こと」


 わたくしは、弱々しく首を振ろうとする彼女の頬を撫でた。危ない。そんな風に視線を動かしてしまえば、部屋の隅で静かにしている男二人が視界に入ってしまう。


「こんなこと、突然言ってしまっても、迷惑かもしれないけれど、わたくし、あなたのことを妹のように思っているの。ねえさま、そう呼んでみて?」

「迷惑、なんかじゃありません。嬉しい、です。……ねえさま?」


 小首を傾げる様は、とても愛らしかった。

 それと同時に、あまり警戒することなく「ねえさま」を受け入れたマリーが、それなりに酔いが回っているんじゃないかとあたりをつける。お腹が空いている時には酒精は回りやすいと言うけれど、マリー自身も、そもそもお酒を嗜んでいないせいもあるんだろう。


「ありがとう、マリー。何か思い詰めていることがあるなら、遠慮なく言ってみて? ねえさまに、相談して?」


 わたくしの提案に、マリーのアメジストの瞳が彷徨うように揺れた。


「見学の後に、内緒話を打ち明けてくれたこと、とても嬉しかったの。わたくしに「ねえさま」らしいこと、させてもらえないかしら?」


 優しい声音で促せば、二度、三度と瞬きをする。


「こんなこと、話したら……きっと、ねえさまに軽蔑されてしまうかもしれません」

「そんなこと、ないわ。―――ねぇ、マリー。この部屋に、ずっと居ることは、つらい?」


 わたくしは、ずっと気になっていた疑問を投げかけた。視線の端でクレストが動こうとするのを、カルルが止めたのが見えた。愚弟、いい動きするじゃないの。


「……分かりません。でも、クレスト様がそう望むなら、それでいいと、思うんです。だって―――」


 マリーは、悲しげに俯いた。


「だって、私を必要としてくれるのは、クレスト様だけですから」


 ……はぁ?

 一瞬、自分の耳を疑ってしまった。

 もし、ここまで言わせるほどに、クレストが意図して外堀を埋めて追い詰めていったのだとしたら、わたくしは例え愚弟の友人といえど許せないと思う。


「うち、すごく、子沢山の農家だったんです。お兄ちゃんもお姉ちゃんもいました。でも、やっぱり全員を食べさせていくのが難しくなって、兄弟の誰かが売られることになったんです」


 いきなりの過去話に、わたくしは驚いた。そんな話、聞いたこともない。視線をちらりとドアの方に向ければ、クレストすら初耳だったようで、邪魔をしようとするのを止めて、集中して耳を傾けていた。


「その時、売るのに丁度いい年頃の兄弟は、私と双子の妹だったんです。農作業をするにはまだ幼いけれど、家の手伝いはできる、そのぐらいでした。……お父さんは、妹じゃなくて、私を売りました」


 泣いているのかと顔を覗き込めば、また目と口元がちぐはぐな笑みを浮かべていた。


「結局、お師さまに引き取っていただいたんですけど、私、行使魔術の適性はなかったんです。お師さまは、すぐに行使魔術の適性がある弟子を取りました」


 お師さまというのは、マリーを連れていたというはぐれ魔術師のことなんだろう。カルルから話を聞いたことがある。


「ウォルドストウで食堂の給仕もしましたし、デヴェンティオでは薬屋で生計を立てました。でも、私がいなくっても、みんな、何とか上手くやっていけるんです。私は、いなくってもいいんです」


 表情はそのままに、深いスミレ色の瞳が露に濡れた。


「私がいないとダメって、クレスト様だけが、言ってくれるんです……」


 はらはらと涙を流す様は、まるで幼子のようだった。拭うこともせず、ただひたすら流れるに任せるのを見ていられずに、わたくしは、レースのハンカチでその頬を押さえる。


「マリー、そういうことを、ずっと考えていたの?」


 わたくしの問い掛けに、彼女はこくん、と首を揺らした。


「でも、ちゃんとクレスト様の傍にいるのに、私……、何もすることがなくて、何をやればいいのかも分からなくて、それが、つ、つらくて……っ」


 とうとう嗚咽を洩らし始めたマリーを、わたくしはそっと抱き寄せた。ドレスの胸元が湿るのを感じながら、素直に泣けるって羨ましいわ、と思う。

 何やら視線が痛くて、ちらりとそちらに目をやれば、射殺しそうな目線でこちらを睨むクレストの姿があった。何に対する怒りなのかしら。今の体勢? それともマリーを泣かせたこと?


(泣かせてるのは、あなたじゃなくて?)


 マリーから見えないのをいいことに、口の動きだけで伝えてみれば、さらに怒りが強くなった気がする。ということは、今、わたくしの胸で泣いているこの体勢に苛立っているということかしら。まったく、付き合ってられないわ。


「マリー、自分のやりたいことをそんな風に我慢するのは良くないわ。別にクレストみたいな心の狭い男にこだわらなくても、マリーのことを必要だと言ってくれる人はいるわよ。世界は広いんだもの」


 思うことそのままを言ってやると、クレストが殺気立つより先に、マリーがふるふると首を振った。


「クレ、スト様は、……優しいです」

「えぇ?」


 わたくしの胸から顔を上げたマリーは、赤くなった目を隠そうともせずに、まっすぐわたくしを見つめた。


「マリー、本気でそれ、言っていて?」

「はい」


 何かしら。クレストったら、妙な洗脳でも施しているのかしら。


「今、この部屋から出るのを許されていなくても、そう言えるの?」

「……はい。私を、危険から遠ざけるため、ですから」


 はぁぁぁぁぁぁ、と思わずため息が漏れた。


「あ、の、……ねえさま?」


 戸惑うマリーが首を傾げると、まだ止まっていない涙が、ほろり、と目尻から流れ落ちた。


「いっそマリーの身体が二つあれば、一つをここにもう一つをどこか自由にできたのかもしれないわね」


 ありえない仮定を口にして、涙を拭い、頬を撫でると、少しだけくすぐったそうにしたマリーは、当たり前のように口にする。


「でも、そうしたら、クレスト様に必要とされない私ができてしまいます」


 その言葉に、再び大きなため息をついたわたくしは、これ以上彼女を説得することを諦め、「泣いて疲れたでしょう、少し、寝るといいわ」と囁いて、そっと抱き寄せた。

 素直にころん、と預けて来た身体は、心配になるほど軽かった。


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