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25.悪縁契り深し

「お嬢様。失礼しますね」


 柔らかな女性の声とともに、私の顔に温かく気持ち良いものが押し当てられた。

 温かいのはお湯を絞ったタオルなのだと気づく。

 されるがままに、顔をぬぐわれていた私は、タオルが首元に移動したあたりで、目をぱっちりと開けた。


 どこだここ。

 目の前には三十代ぐらいの優しそうな女性。上等な白木の壁の部屋には、私とその女性しかいない。

 どこか身体がだるいのは何でだろう。


「あの……」

「あら、お目覚めですか?」

「ここ、どこですか?」

「ごめんなさいね。お連れ様から、質問に答えてはいけないと言われているの。何かステキなサプライズでも仕掛けられたのかしら?」


 ステキ?

 サプライズ?

 夜明け前に襲撃を受けて、無理やり拉致らちされましたが?

 それって『ステキなサプライズ』って言葉でまとめて良いですかね? 良いわけないですよね?


「質問には答えてはいけないと、そう言われたんですか?」

「ふふ、それも質問ですね」


 優しそうな顔のご婦人が、私の腕を拭いながら笑みを浮かべる。天然なのか性格が悪いのか、どっちだろう、この人。


「質問には答えてはいけないと言われたんですね、と質問ではなく確認をとっています」


 揚げ足を取るように言葉を重ねてみれば、少しだけ目を丸くした彼女は、また柔らかな微笑みを浮かべた。


「確認なら大丈夫ですね。えぇ、その通りです」


 その言葉に、私はホッとため息をついた。

 どうやら私に害意があるわけでもなく、ただ単に「お連れ様」から言われたから従っているだけに過ぎないようだった。


「私の『お連れ様』は見目の良い男性でしたでしょう。やわらかい金髪に緑の瞳の。……同意を求めてるだけですよ?」


 私の言葉遊びが分かったのだろう、彼女は「えぇ、そうですわね」と笑って頷いてくれた。いい人だ。

 全部事情を話してみれば、力になってくれるかもしれない。そう思いついて口を開きかけたけど、やっぱり止めることにした。

 一方的にこの人を巻き込むのは申し訳ない。それに、この人を味方につけたところで、きっと勝ち目は薄い。


「お嬢様の身を清めて、服を着替えさせた上で個室にお連れするよう言いつかってます」


 自分でやるから、とタオルを奪い取った私にイヤな顔をせず、今後の予定を教えてくれた。

 用意されていたのはクリーム色の柔らかそうな生地のワンピースと、山歩きにはとても不向きな華奢きゃしゃな靴だ。

 私の着ていた『ニコル』の服は、処分されてしまうのだという。首から提げていたダイヤも見当たらないが、あれは処分ではなく没収だろう。ローブだけは返して欲しいと「お願い」したら、それは見ていないと首を横に振られた。

 もしかして、魔術陣がびっしり刺繍されているから彼が自分で始末してしまったのだろうか。


「髪の毛も、少し切り揃えた方がいいですね」


 鏡台に座らされた私は、そこでハッとした。

 魔力の強い私の身体は、たとえ髪の毛や爪の先であっても魔力を帯びている。何かに使えるかもしれない。


「あの、切り揃えるのはいいんですが、その、切り落とした髪や櫛にからんだ髪を全て持ち帰りたいんです」


 予想もしない話だったのだろう。私の背後に立つ彼女が首を傾げたのが見えた。


「紙袋でもジャムの空き瓶でも何でもいいので、お願いします」


 私の真剣な表情に、思うところがあったのか「分かりました」と快諾してくれた。


「それでは、素人仕事で申し訳ありませんけど、見苦しくないようにハサミを入れますね」


 素人仕事、という割には手馴れた様子で私のサイドの髪の長さを合わせるように切り落とし、前髪も綺麗に揃えてくれた。聞けば、年の離れた弟の髪をよく揃えていたことがあるんだそうだ。

 四半刻も経たずに、鏡の中の私は普通の女性の姿を取り戻していた。前髪は眉のあたりでパツンと揃えられ、サイドの髪は顎にかかるよう内巻きにされている。後ろに流された黒髪は三つ編みのクセを取るのに苦労していたが、今はまっすぐにさらりと腰に流れる。


「どうぞ、こちらへ。お嬢様」


 私は案内されるがままに邸内の一室へ足を踏み入れた。

 そこで待っていたのは、『お連れ様』一人である。


「マリー。ようやく本来の姿に戻ったね」


 座っていたソファから立ち上がると、両手を広げて私を迎え入れる。


「すぐにお食事をお持ちいたします」


 私の世話をしてくれた彼女が出て行くと、彼は私にイスに座るよう勧める。もちろん、断ることもできたけど、あまり拒絶が過ぎると目の前の彼は何をするか分からない人だ。

 一年前に喉を潰されそうになったことも覚えているし、さきほど薬を使われたことだって忘れちゃいない。さっきから身体がだるいのもそのせいだ、きっと。


「私のローブはどこにやったんですか」

「燃やした。魔術師が物欲しそうにしていたが、お前を包んでいた服を渡すわけがない」


 あの魔術師、『マリー』だけでは飽き足らず、ローブの魔術陣まで食指を動かしていたのか!


「マリー」

「なんでしょう」

「あんな風に自分を傷つけるのはやめろ」


 何を言っているのかと反論しかけ、親指の付け根に赤黒い瘡蓋かさぶたがあるのを思い出した。

 ついでに久しぶりに半袖のワンピースなんていうものを着た私の腕には、いくつもの傷があらわになっている。

 それらは全て、自分で傷つけたものだった。


「では、こんな風に私の意志を無視して拘束するのはやめてください」


 ずっと考えていた。

 この人にどう接すればいいのかと。

 怒ると何をする人か分からないけれど、一年前のように脅えて従順を装っても何も変わらない。


 それならば、いっそ。


 思い切り刃向かってやろうじゃないか!

 こっちは王都の陶器だか陶磁器だかのギルドを相手に一歩も引かなかった女だ! 客のあしらい方だって食堂や薬屋で十分経験を積んでいる。

 やってやろうじゃないか!


「拘束などしていない。ただ保護しているだけだ」

「まぁ、早朝にいきなり押し入って力ずくで馬車に押し込んだ挙句、薬で眠らせることを『保護』というんですか?」

「君が俺の話を聞いてくれれば、それで済んだ」


 思わず口元が引きつり、視界がブレる。


コンコン


「お食事をお持ちしました」


 さっき、私の世話をしてくれた人が、ワゴンを押してやってくる。テーブルの上にはおいしそうな食事が並んだ。

 そういえば、朝食抜きだったっけ。

 平行線を辿る不毛な会話を切り上げ、私は料理に関心を向けた。


「では、ごゆっくりどうぞ」


 彼女が出て行くと、彼も私の真向かいに座った。


「午後もまた馬車の旅になる。しっかり食べておけ」

「そうですね。遠慮なくいただきます」


 私はまだ重い頭を小さく振り、スプーンを手に取った。空っぽのお腹にあたたかい塩味の利いたスープが染み渡る。

 おいしい。

 空腹は最高のスパイスだと言うけど、本当にその通りだ。

 これで身体がだるくなければ、もっと美味しく食べられたんだけど。

 美味しいと思う反面、重い身体と頭と格闘しながら、一口ずつ咀嚼そしゃくして飲み込んでいく。

 食べなければ、この先とても持たないと分かっているのに、飲み込むのにとても苦労した。


「マリー?」

「……なんでしょう」


 食べるのに集中しているんだから、話しかけないでよ。


「顔色が悪い。馬車に酔ったか?」

「薬が残っているんじゃないですか? 少しだるいだけです」

「だが、……っ!」


 目の前に座っていた彼が、視界から消えた。

 あれ、どうしてだろう。料理も目の前から消えている。

 いったいこれはどういうことだ、と考えた途端、左肩に強い衝撃を受けた。


「マリー!」


 自分がイスから落ちたのに気づいたのは、彼に抱き上げられてからだった。

 無駄に整った顔が私を覗き込む。


「体調が悪いのはいつからだ?」

「……さぁ?」


 あぁ、目を開けているのも億劫になってきた。


「マリー」


 ゆさゆさと身体を強く揺さぶられて、私は無理やりにまぶたを押し上げた。


「身支度を整えている時から、少し、だるかったんですけど、これほどでは、ありませんでした」


 ちゃんと答えたでしょ? だから寝かせてほしい。だるいんだから。

 少し待っていろ!という声の後に、遠ざかっていく足音を聞きながら、私は彼が寄りかからせてくれたソファからずるずると滑り落ちた。

 そのまま睡魔に誘われて行こうとすると「早く来い!」と苛立たった声とともに、また足音が近づいてくる。


「これは、魔術封じの副作用に見えます。ですが、時間差で症状が出ることなど考えられない。……何か身につけていた魔道具があったのでは?」

「魔道具?」

「その方は付与魔術に長けています。これまで魔道具によって副作用を抑えていたものが、外れたか、壊れたか―――」


 副作用?

 重い頭でも、その言葉は拾うことができた。

 だけど、会話の意味をきちんと理解することができない。頭は眠りの淵に沈もうとしている。


「まさか、あのローブか? いや、あれは馬車に乗ってすぐに外した。……それなら」

「そ、……それは」

「お前の目にはどう見える?」

「信じられません。ダイヤモンドにそれほどの魔力を貯めるなど、何年かければそんなことが」

「そんなことはどうでもいい。これがその魔道具である可能性を聞いている」

「確かに、それほど魔力を秘めているものであれば、おそらく―――」


 私の頬に、何か冷たいものが当たる。

 まるで清浄な空気を放つように、それは私の頭にかかっていた霧を吹き飛ばしていった。


「……っ?」


 ゆっくりと目を開けると、エメラルドの瞳が飛び込んで来て、思わずたじろいだ。


「マリー。これは君が身につけていろ」


 頬に押し当てられていたのは、かつて彼が贈ってくれたダイヤモンドのネックレス。とはいえ、華奢な鎖では身につけるのに不自由で、銀の鎖から外して革紐にくくってしまったので、非常にちぐはぐな印象を受ける。


「ずっと、持っていたのか。それを」

「……えぇ」


 魔力の蓄積にはもってこいの素材だったので。


 私はずいぶんと軽くなった身体で、首に下げたダイヤを服の中にしまいこんだ。


「対の耳飾りは売ってしまったのか?」

「いいえ? 『マリー』の、人形の中に」


 私の言葉に、彼の後ろに控えていた墨色ローブの魔術師がびくっと身体を震わせた。

 ……もしかして、もう見つけていたのかな。アレ。


「人形はともかく、それは返してもらおうか。一介の魔術師が持つには高価過ぎる代物だ」

「た、大変僭越(せんえつ)なお願いとは承知していますが、お貸しいただけませんか。七日、いえ、三日で良いのです」


 その言葉に、私は一気に頭が冷えるのを感じた。

 あの耳飾りの価値は、同じ魔術師である私がよく知っている。


「その三日で『マリー』を構成する魔術陣を書き写し、さらに耳飾りに貯められた魔力も、別の石に移そうというのですか」


 私の喉から搾り出されるような低い声が漏れた。


「本当に、王都で何らかのギルドに属している方は、他人の試行錯誤の結果を掠め取るのがお好きなようですね」


 今のマリーの完成形を作り上げるまで、一体、どれほどの魔力を費やし、睡眠を削り、何度粘土を捏ねたことか。

 私はまだふらつく足を叱咤しったし、勢いよく立ち上がった。


「私はあなたに『マリー』をお貸しした覚えもお譲りした覚えもありません。耳飾りについては、元々この方から頂いたものですから、返却を求められれば譲歩いたしますが、何の縁もないあなたに盗られるいわれはありません」


 まだ霞む目を、私はしっかりと魔術師に向けた。


「だ、だが、あのような動きをする人形は、そう作れるものではない! どうせ、お前の師から譲られたのだろうが、陣を構成した魔術師でもないのに、そのような―――!」

「お前も、マリーを害するのか?」


 いつの間にか、彼の手にした剣が魔術師の喉に向けられていた。

 速い。というか怖い。

 エメラルドの双眸に瞋恚しんいの炎を宿らせたその姿は、まるで断罪する神の遣いのようだった。


「私が構成したと言っても信じてもらえそうにありませんね。では、耳飾りだけでも返してください」


 いきなり暴力的な行為に及んだ彼を、私は止めない。

 だって、自分にその矛先が向かなければどうでもいいし。この魔術師嫌いだし。

 これ以上の譲歩はないと悟ったか、魔術師は「石、だけで良いなら返そう」と頷いた。まぁ、単に彼の迫力にビビっただけかもしれないけど。


「今すぐに、ですよね」


 私の言葉に、魔術師は舌打ちした。うわ、感じわるっ!

 苦々しい顔を貼り付けた魔術師は、私たちを二つ隣の部屋へ案内した。そこには、服を全て脱がされた『マリー』がある。と言ってもなまめかしいというより、球体関節などが剥き出しになっているため、気味が悪いと言ったところか。

 まだ本調子ではない私を支えるようにしていた彼の手を払い、私は『マリー』の前に膝をついた。

 胸をパカリと開けると、そこにイヤリングを乗せた台座がある。おそらく、色々といじくり回してここの扉を見つけたのだろう。この魔術師がもっと大胆なら、腕や足の関節もいくつか外されていたかもしれない。


(ごめんね。そして、ありがとう)


 魔術陣を発動させるエネルギーは、イヤリングのダイヤモンドに貯められた魔力だ。つまり、これが枯渇するまでは強化の陣も有効だから、うっかり落としても割れたりしない。

 つまり、この石が台座にあれば、『キーワード』で発動する魔術陣を使うことができるわけだ。付与魔術師が自分の開発した陣に組み込むべき最初の魔術陣を。


「マリー、それが耳飾りだな」

「えぇ」


 私は頷いて、すぅっと息を吸い込んだ。


「お前の役目は終わったわ。もうお帰りなさい」


 その言葉こそが、崩壊の魔術陣を発動させるキーワード。


ピシリ


「なっ!」


ピシ、ピシピシピシッ


 驚愕に声も出ない魔術師の目の前で、『マリー』は土に還った。文字通り粉々だ。


「それでは、返してもらいますね」


 『マリー』の残骸から、まったく無傷な耳飾りを拾い上げると、呆然とする魔術師に小さく頭を下げる。

 そう簡単に私の苦労の結晶を渡してたまるか。


「な、なんということを!」

「耳飾りを取るのに、必要な処置をしたまでです」

「そのようだな」


 珍しく賛同する彼に手を取られて、私はその部屋を後にした。

 軽く土を払って耳飾りを彼に返すと、彼は私の耳にそれを飾った。


「もう片方は?」

「店にしまってあります」

「そうか」


 回収させよう、と呟く彼に、どうせ見つからないだろうと私は心の中で舌を出した。

 床下のスペアの中にあるなど、夢にも思っていないだろうから。


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