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20.逸る心(※クレスト視点)

 俺は自分の中で沸き立つ苛立ちを振り払うかのように、一心不乱に訓練用の木剣を振っていた。


 夏に向かう王都は、じわじわと不快な暑さが日増しに高まり、町の巡回中に熱中症で倒れる人を救護することも増えた。

 巡回のたびに、オレは黒髪の少女を探しているが、彼女を見つけることはできていなかった。


(マリーツィア)


 久しく舌に乗せていない名前を、心の中で呟く。

 半年前、本格的に冬が来る前に姿を消してしまった彼女は、どこにいるのだろうか。

 つらい思いをしていないだろうか。

 彼女を探し出せない自分への苛立いらだちは日を追うごとに増していく。


(どうして、出て行った……?)


 そう、認めたくはないが、認めなければならない。

 彼女は、自らの意思で、邸を飛び出したのだ。


 それを確信したのは、追跡のために協会魔術師を邸に呼びつけた時のことだった。


「クレスト殿。残念ながら、あのダイヤモンドの行方を追うことはできません」


 墨色のローブに身を包んだ魔術師に言われた時、思わず「この役立たずが!」と怒鳴りつけるところだった。

 高価な宝石類に探査の術を施すことは珍しくない。

 マリーツィアが姿を消した時、同じく持ち去られた装飾品を探査すれば、手がかりが得られるはずだと思っていた。

 ところが、追跡の術を行使していた魔術師は、何故か目を見開き、二度、三度と同じ魔術を行使して、首を横に振ったのだ。


「事前に仕掛けた探査の術に、問題があったのか。それとも別の魔術師に解かれたのか」

「いいえ、どちらも違います。探査の術には問題ありませんでした。我が不肖ふしょうの弟子が行ったとは言え、その出来を確認した私が保証します」


 俺は鷹揚おうように頷いた。協会に属する魔術師の中でも高位の者だ。何度か仕事がらみでその腕前を目の当たりにしているし、人格的にも問題のある魔術師ではない。某貴族の落胤らくいんと噂される、弟子の人品は残念なものだが。


「もし、術が解かれた場合、すぐに分かるようになっています。ですが、これは―――」


 魔術師は、一度、言葉を切った。


「探査の糸口となる術が、焼かれた、いや、溶かされたと言った方が近いでしょう。力ずくで破られたのです。どれほどの魔力を込めればこのようになるのか、私には想像がつきません」


 力ずく?

 あの外法魔術師の仕業だろうか。

 俺は魔術師に礼を言い、マリーツィアの部屋から下がらせた。室内には、心配そうに俺を見守るアマリアだけが残る。

 マリーツィアは何を考えていたのだろう。

 この部屋で、何を。


 俺はテーブルに近寄り、出しっぱなしになっていた刺繍用の裁縫箱に触れた。四年前に買い与えたものだ。何気なく開けると、針山に針がいくつも刺さっている。そこから伸びる糸は何故か白い物が多い。あまり色糸を使わなかったのだろうか。


「アマリア。マリーはどんなものを刺繍していた?」

「は、はい。最近は布が勿体ないからとスリップ、えぇ、スカートの下に履く下着に刺繍を施していらっしゃいました。あまり目立たず、隠れたお洒落しゃれだからと、同じ白糸で」


 なるほど、その合間に俺のイニシャルや家紋を刺したチーフを作ってくれていたのか。

 裁縫箱についている引き出しを開けると、何種類もの色糸が出て来た。ほとんど使われていないのが一目で分かる。

 下段の引き出しを開けたところで、俺はその布をつまみ上げた。真っ白なチーフに、同じく白糸で精緻せいちな模様が刺しこまれている。円の中に、何やら文字のようなものがびっしりと書き込まれているモチーフは、見たことがなかった。


「アマリア、これは何を刺したものか分かるか?」


 俺の手の中の布を覗き込んだアマリアは、一瞥いちべつするなり首を横に振った。


「円の中に細かい模様を刺しているのは、何度もお見掛けしました。一度、何を刺しているのか伺ったことがありましたが、その時は『何となく適当に』と答えていらっしゃいました」


 円。

 刺繍でよく使っている木枠は円形だから、その中に、心の赴くままに幾何学模様を刺し込んだのだろうか。

 俺は手の中の布を、もう一度眺めてみる。

 幾何学? 適当?

 俺には何かの文字のようにも見える。


「まさか……」


 閃いた答えを一度は否定する。

 だが、もし、そうなら?

 俺はチーフを握り締めたまま、邸の玄関へと駆け出した。


「クレスト様?」


 邸を取り仕切るハールが怪訝な声を上げる。

 金を受け取った魔術師が、今まさに玄関の外へ消えようという所だった。


「待ってくれ」


 何事かと魔術師が振り返る。


「貴方の目に、このモチーフはどう見える」


 握り締められ、少しシワのついたチーフを広げた魔術師は、目をすがめた。


「これは……」


 記憶を掘り起こすように瞑目めいもくした魔術師は、一つの解を導き出した。


「私は付与魔術にはあまり明るくありませんが、おそらく幻惑の魔術陣でしょう」

「付与、魔術」


 喉の奥がカラカラに乾いていた。

 魔術。

 魔術が。刺繍で。マリーが?


「刺繍で魔術陣を象るというのは初めて見ました。ただ、おそらく失敗作でしょう」

「失敗作?」

「通常、幻惑の魔術は特定の人物に幻を見せるものです。だが、これは違う。魔術陣の効果を付与された『何か』を見た人全てに幻を見せるよう設定されている。これでは幻を見せる対象が多過ぎて、すぐに魔力が枯渇してしまう」


 ドクドクと心臓が跳ねていた。

 玄関まで走ってきたことも一因だろう。

 だが、背筋を流れる汗が妙に冷たかった。


「魔術師殿。一つ、お聞きしたい」


 もう四年も前に見た光景がまざまざと蘇る。


「貴方がたは、石に血を垂らすことがあるだろう?」


 思いもよらない質問だったのか、魔術師が困惑した表情を浮かべた。


「確かに、私たちは宝石に魔力を蓄積させて使うことがあります。血を使うのは最も容易な魔力の蓄積方法です」


 自分の鼓動がうるさい。まるで耳鳴りのようだ。


「ダイヤ、も、使うのか」

「使う魔術師もいるやもしれません。もしや、あれを素材として使ったと考えていますか? あのダイヤは高品質過ぎてとても使い勝手の悪いものです。使う人間の気が知れない。例えるなら、大きな池にコップ一杯の水を汲み入れるようなものです」


 彼女の血に魔力があることは知っていた。

 だからこそ、あの外法魔術師に良いように血を使われていたのだ。


「もし、あのダイヤの容量の半分でも魔力を貯めることができたのなら、探査の糸が焼き切れたのも納得できます。ですが、私でさえ、それは難しい。数人の魔術師の力を合わせれば可能かもしれませんが、異なる魔力を一つの石に貯め込むことはできません。現実的に無理な話なのです」

「そうか……」


 俺は魔術師に引き止めたことを詫びると、そのまま見送った。

 もし、マリーツィアが桁外れに強い魔力の持ち主だったら?

 そうだとしても、いったい、どれほどの血をダイヤに吸わせたというのだろう。

 姿を消す前、体調を崩したりはしていなかっただろうか。

 考えれば考えるほど、暗い闇がぽっかりと口を開けている。

 何も分からない。

 分かっているのは、あの少女が、今、自分の隣にいないことだけだった。



 ◇  ◆  ◇



「やぁ、クレスト。こんなに暑いのに訓練に精が出るね」


 声を掛けてきたのは、やたらと鬱陶うっとうしい悪友だった。


「冬からこっち、随分と食が細くなって顔色も悪くなったと思ってたけど、そんなに早死にしたいのかい?」


 うるさい。

 マリーツィアがいなくなってから、睡眠も食欲もまったく落ち込んでいるのを知っているだろうに。こういうのが鬱陶しいところだ。


「うわー、冷たい目線。これで多少は涼しくなったかな」


 おどけてみせるカルルを、ちらり、と見た。

 人の顔色が悪いと言っているクセに、珍しく疲れている表情だ。


「休み明けの割に疲れた顔だな。修羅場でも演じたか」


 既婚未婚問わず、やたらと色々な令嬢に声をかけているヤツだ、今更修羅場をこなしたぐらいでへこたれないのは知っている。


「うーん、姉上殿の無茶振りと、親父殿の無茶振りで休みが潰れちゃった感じなんだよねー。勘弁して欲しいよ」


 カルルは聞いてもいないのに、姉に押し付けられた旅先で思いのほか良い商品を見つけたこと、父親からその商品の売り出し・展開方法を詰めろと言われたことなどをベラベラと喋り倒してくる。

 うるさい。木剣で頭をかち割ってやろうか。

 商家上がりなのは十分に承知しているが、その伝を使ってマリーを探し出せと言ってやりたい。


「……っていう感じでね。もはや町おこしだよ、これ」


 カルルは俺の隣で剣を構えるものの、振る様子は全くない。どうやら、格好だけで訓練する気は全くないようだ。

 とっととどっかへ行け。

 そんな俺の睨みを、平然と受け流しながら、「そういえば」と話題を変えた。


「マリーちゃん、まだ見つかってないんだよね」

「そうだ」

「ずっと聞いてみたかったんだけどさ。マリーちゃん見つけたらどうするの?」

「連れ戻すに決まっているだろう」


 そうだ。マリーツィアが俺の目の届く範囲にいないのはおかしい。


「……聞き方が悪かったみたいだね。オレが聞きたいのはさ、この先の話だよ。真剣に答えて欲しいな。奥さんとしてめとるの? 使用人として雇うの? 愛人として囲うの?」


 一定のリズムで振り下ろしていた俺の木剣の動きが止まった。

 今更、何を聞いているんだ。

 こいつと話すようになって随分と経つが、まだ理解していないのか。


「俺は、あいつを守る。娶っても貴族のしがらみがあいつを傷付けるだろう。使用人などもっての他だ。愛人? ふざけるな」


 俺は剣先をカルルに突きつけた。


「アレは俺の隣にあるべきものだ。唯一の、決して傷付けてはいけない俺の『祈り』だ」


 すると、目を丸くして俺を見ていたカルルは、やおら肩をすくめ「ダメだこりゃ」と呟いた。

 もちろん、人を舐めきったその態度に、タイマンを申し込んだのは言うまでもない。

 訓練の一環とは言え、カルルをボコボコにしたことで、多少は気が晴れた。


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