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11.下準備

 祭の後、私の生活は随分と変わった。

 これまで、部屋で何度も読み返した本をさらに隅々まで読むか、庭を散歩するかの二択しかなかった行動が、刺繍という大きな暇つぶしと、書斎で自由に読書という素晴らしい選択肢が増えたのだ。

 いや、それでも十分不自由なんだけれど、これまでを考えると格段に素晴らしい待遇だ。


 さらに過ごすこと一週間。サアラさんとエルミナさんという二人の護衛がその任を解かれることになった。解雇後に知らされたので、お別れの挨拶はできなかったが、きっと彼女たちも、もっと腕の揮い甲斐のある仕事に就きたかっただろう。

 私は日毎に秋の色を深める庭園を眺めながら、せっせと刺繍に励んでいた。

 相変わらず私の世話をしてくれているアマリエさんに対し、刺繍をする布を用意してもらうのは心苦しい、という話を持ちかけてみたら、スカートの下に履くスリップの裾に施してみてはどうかと言われ、見えないお洒落って大事ですよね、とか適当な理由で採用してみた。

 下着については、さすがのクレスト様もチェックは入れないだろう。というのが本当の理由である。

 そんなわけで、私はせっせと一般的な刺繍の模様の合間に魔術陣を刺し込んでいた。


 はっきり言おう。

 これぐらいの自由で満足できるわけがないじゃないか、と。


 行動の制限はもちろん、使用人との会話にだって話題の制限がかかったままだ。

 私はせっかく習得した付与魔術を使って生計を立てたいのだ。

 お師さまの小間使いのままだったと誤解されているなら、魔術陣を使った脱出はノーマークのはず。何とか手立てを講じたい。

 そのためならば、諸悪の根源である過保護な美青年にだって媚を売ってやるともさ!


 祭でのこと? ナンノハナシデスカ?

 あれは事故です。顔の一部と一部が接触しただけの単なる事故なのです!

 決してファースト・キスなんかじゃありませんとも!



 ◇  ◆  ◇



「装飾品を手元に置きたいと聞いたが」


 夕食の席で、優雅に食べるのが難しいキドニーパイと格闘していた私は、同じ食卓に座る彼の言葉に顔を上げた。


「はい。雷王祭以降、身につけることもありませんし、それならばせめて、自由に鑑賞できたらな、と」


 今日、アマリアさんにあの日身につけたダイヤのイヤリングとお揃いのネックレスの三点セットをいつでも見られるようにしたい、と頼んでみたのだ。まぁ、高価過ぎる物だけに、彼女の判断でどうこうして良いものでもなく、こうして主人へ伺いを立てたのだろう。


「宝石類は好まないと思っていたが、そんなに気に入ったか?」


 確かに、あんな高品質のダイヤモンド、祭の日だってイヤリング落としたらどうしようとか思って、ちょくちょく耳を触って確かめたりするぐらい、怖くてたまりませんでしたが。

 他に都合の良い宝石がなかったんだもの。……魔力を貯めておくのに。

 なんて、正直なことを言えるわけでもないので、私は事前に組み立てておいた理論武装を披露するわけです。


「せっかく贈っていただきましたし、装飾も精緻で見事なものだったので、刺繍に写し取れないかと思ったんです」


 ナイフとフォークで崩れやすいキドニーパイに挑みながら、なんでもないことのように理由を口にして様子をうかがう。


「……」


 何も返答がないと困るんですけど。

 えぇい、第二陣、出撃!


「それに、あの日の楽しかった記憶を偲ぶよすがになれば、と思いまして」


 何とか切り分けたパイをぱくり、と頬張って相手を見ると、渋い顔をしている……ような気がする。

 相変わらず、表情に乏しい人だ。でも、あまり良い傾向ではなさそうなので、ダメ元の第三撃を繰り出す。


「……そうですよね。あれほど高価なものですから、持ち出して何かあれば困りますよね。こんなことになるんだったら、遠慮せずにお祭の時に売っていた綺麗なリボンを買っていただければ良かった」


 できるだけ無念そうな口ぶりで、手にしたフォークを置く。胸が一杯でこれ以上は喉を通りませんアピールだ。っていうかこのパイ食べにくい。いっそ手掴みで食べられたらいいのに。

 ついでにこれ見よがしにため息をつく。


―――さぁ、どうなる?

 そっと相手の様子をうかがえば、何故かあちらも食事の手を止めて口元を押さえていた。

 何か固いものでも引っかかったんだろうか。軟骨でも混ざっていたとか?

 私の脇に控えるアマリアさんが、信じられないものを見るように目を大きく開いていた。ついでに、クレスト様の斜め後ろの黒尽くめの家令、ハールさんが私に感謝するような視線を送る。

 まったくわけがわからない。


「鍵の付いた宝石箱を贈ろう」


 その声はやたらと使用人から注目されていたクレスト様のものだった。


「数日中に用意させる」


 彼の言葉の意味を理解した私は、慌てて顔を上げた。


「本当ですか? ありがとうございます!」


 私の感謝の言葉に、何故かクレスト様は口元を押さえて俯き、またも食堂内に生暖かい奇妙な空気が流れた。


―――後日、やたらと細かい装飾の施された小さな小箱をアマリアさんから受け取った私は、その中身に目を輝かせた。

 そこにあったのは、見覚えのあるイヤリングとネックレス。

 ……というか、高品質な金剛石。


 その日から私は装飾品に施された精緻な細工を布に写し取ることに熱中すると見せかけ、ちくりちくりと自分の指に針を刺しては流れる血を垂らし、魔力を鉱石に貯めることに努めたのであった。

 脱出計画を何度も練り直し、ちくりちくりと刺繍に励み、ぶすりたらりと魔力を貯める。

 今の生活に満足している態度を装いつつ、時折、賄賂のようにアルージェ伯の家紋や、騎士団の紋章をチーフに刺し込み差し出してみる。

 相変わらず、使用人以外とは話す機会もなく、外にも出られない生活を送りながら、冬が近づくことに焦りを覚えていた。


「あれ、久しぶりに会えた」


 書斎で王都や国内の地図を頭に叩き込んでいた私に声を掛けてきたのは、数少ない私の知り合いかつクレスト様の友人だった。「数少ない」というのは、もちろん、「私の知り合い」と「クレスト様の友人」の両方にかかる。色々と難儀なことだ。

 猫のように溢れる好奇心を湛えた彼は、雨のせいか、いつもより毛先が奔放になっている栗色の髪を持て余している様子だった。


「クレスト様のところで、お話をしていたんじゃなかったんですか?」

「それがね、まぁ、急なお使いが来て、ちょっと遠慮したってわけ。暇つぶしに付き合ってよ」


 カルルさんは、何度クレスト様に怒られてもめげずに私に話しかけてくる珍しい人だ。


「何? 地図を見てるの?」

「あ、はい。私、よく考えてみたら王都のことも、この国のこともあまり知らないなぁ、って思いまして」


 軟禁されていては都の地理に詳しくなるはずもないし、修行中も篭もりっきりだったので国の地理を知る機会もなかった。

 まさか、逃走ルートを検討しています、と正直に話すことはできないので、嘘ではないが真実全てではないことを述べるに留める。


「まぁ、クレストが放してくれないもんね。でも、旅行に出てみたいってマリーが言えばイチコロじゃないかな」

「そうは、思えませんけど……」


 護衛一つ、刺繍一つのことでも、あれだけの労力を費やしてようやく叶ったものなのに、お邸どころか王都を離れるとなると、どれだけ媚びれば良いのやら。

 下手に出て見せれば、譲歩を引き出せることは分かったけれど、それにしたって私には屈辱だ。自分を閉じ込める相手に媚びるなんて、プライドの切り売りに近い。


「たとえば、このロシェトルは温泉で有名なんだ。この時期は山の木々が綺麗な黄色や赤で色づいて、とても綺麗なんだよ」


 カルルさんは国内の地図に指を滑らせ、西の方にある山間の町について教えてくれる。


「こっちのカルトカダッシュは海の玄関口だね。海産物が豊富な上に貿易も盛んだから、珍しい品々が見られる。まぁ、潮の香りが苦手な人にはオススメできないけど」


 北東の海沿いの町を指差したカルルさんは、私に丁寧に説明してくれた。


「詳しいんですね」

「そう? 普通だよ。騎士見習いのときに誰もが勉強することさ。実際、仕事に役に立つ情報だしね」

「巡回のときに、ですか?」

「そうだね。新米騎士の面倒な役回りの一つ、巡回のために役立つ情報だ。でも、今度はその巡回の経験が、その後の仕事に生きて来るんだってさ」


 先輩騎士の受け売りだけどね。とカルルさんは肩を竦めておどけて見せた。

 クレスト様と違って、身振り手振りも交えてくるくると表情を変えて見せてくれるので、私としても非常に接しやすい。

 次に彼の指が止まった町の名前に、私は身体を硬くした。


「ウォルドストウ。ここで君を見つけたんだったね」


 つきり、と胸が痛んだ。

 眼光鋭いアンナさん。話好きのベイカーさん。酒癖の悪いハンクさん。恐妻家のベルカさん。女の艶のなんたるかを教えてくれた金物屋のマーゴットさん。

 懐かしい人たちの顔が次々と浮かんで来る。


「そういえば、食堂の人たちに挨拶もせずにこちらへ来てしまいました……」


 正確に言えば、挨拶どころか完全に拉致された状態だったのだけど、心配させてしまっているのだろうか。


「あぁ、あの時は魔術師の目を欺くために偽名を使って働いていたんだっけね。クレストも追っ手を気にして強引に連れて来たみたいだし」


 私は、思わずカルルさんをガン見してしまった。

 知らない内に一八〇度見解の違う理由付けがされている。

 偽名を使ったのはクレスト様の目を欺くためだし。

 強引に連れて来たというか、寝ている間に有無を言わさず誘拐されてきたんですけど?


「ん? 何かオレ変なこと言った?」

「い、いえ……」


 味方になってくれるかもしれないと思ったが、どうやらすっかりクレスト様に騙されているようだ。

 私はがっかりして俯いた。


「確か、君を雇ってくれていた店主には、誘拐されていた君を匿ってくれたから、って十分なお礼をしたって聞いたよ。そんなに心配することないって」


 つまり、アンナさんは、私のことを貴族のお邸から連れ去られたかわいそうな令嬢と思っている、と。


「あ、そうだ。クレストに頼んでみたら? ウォルドストウでお世話になった人達に直接お礼を言いに行きたいって」


 変な設定がついてしまった所に、いったいどんな顔して会いに行けというのだ。何だか、いたたまれない。


コンコン


 ノックの音にカルルさんが許可を出すと、そこから顔を見せたのは、諸悪の根源だった。

 何やら不機嫌そうな無表情が、私の顔を見るなりより一層険しくなる。

 だが、その怒りの矛先はどうやら私ではなかったようだ。


「カルル。マリーに近づくなと言ったはずだが」

「えー? 心狭いよクレスト。オレはただ暇つぶしに本を読もうとここへ来て、先客のマリーにこの国の観光名所を教えてただけだって」


 突き刺すような視線に慣れているのか、飄々と肩を竦めるカルルさんは何気に大物だと思う。よく怖くないな。


「話はもう終わったのかい? あれはピア卿の所の使者だろう?」

「よく分かったな」

「うん、オレの所にも来たことあるしー? いや、でも最近は来ないか。やっぱりお前んところが本命って絞ったんじゃね? マルグリット嬢の結婚相手」


 あぁ、なるほど。急な使者というのは、そういう相手だったのか。

 よく考えてみれば、もう十八歳になる貴族の子息に決まった相手がいないのもおかしい話なのだろう。将来有望&美貌で引く手数多だとも聞いたし。


「カルル。マリーにそんな話を聞かせるな」

「え? マリーだって気になるんじゃない? 他ならぬクレストの縁談話だよ?」


 何故か、言い合っていた二人の視線がこちらに集まる。


「えぇと、クレスト様のことをきちんと理解して、支えてくれるような令嬢に巡り会えるといいですね」


 この無表情で思考回路不明な人を理解してくれる令嬢が、果たして存在するのかは分からないが。

 私の精一杯の好意的な回答に、何故かクレスト様はその美貌を激しく翳らせた。自分の難解な性格を自覚しているんだろう、そんな令嬢がいるわけないと落ち込ませてしまったのだろうか。悪いことをした。


「え、マリー? それ本気? あれ、雷王祭でリボンが欲しかったとか言ってなかった?」


 何故か慌てた様子のカルルさんに「何のことでしょう?」と首を傾げながら、私はそそくさと地図を書棚に戻し、友人同士の語らいに邪魔をしてはいけないと書斎を背にした。


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