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(下)

 一方、場面はいきなり変わる。

 小日向姉妹は、自宅の茶の間に勢ぞろいしていた。

 が、

 何か雰囲気が違う。

 確かに小日向家の茶の間だが、全てが灰色なのだ。

 より正確には、時間が止まっている、という雰囲気。

 その中で、らえるが上座に位置し、両脇にあやみとほむら、かのんとめぐみがいる。

 鼻に乗せるあのメガネがあるじゃないですか?

 そのめがねも似合っちゃうらえるは軽く咳払いをし、

「こほん。それでは、第2万3872回、小日向姉妹会議を行います」

「もう…、一々、今日の夕ご飯を何にするかで会議しなくても…」

 あやみが疲れ気味でツッコむが、らえるは静かに、

「今回は『本来の話』です」

 あやみの表情が硬くなる。

「それって、まさか…」

「状況を。かのんちゃん?」

「へーい」

 一見、某有名な37型地デジの液晶テレビ(よく見れば世界の亀山モデルのそれ!)だが、リモコンを操作すると、オシロスコープのような走査線がグラフ上に展画されていく。

 その一点を指差し、

「昨日、観測装置が軸歪曲を感知してる。多分、監察官の捜査軌道だと、思う。いや、ほぼ、間違いない」

「なんでよ!? この世界に逃避してから目立った行動はしてないはずじゃない!」

 あやみが怒鳴るが、かのんはテンション変わらずに、

「推測だけど、ここ」

 別の走査線を一点指し、

「半年くらい前に、『力』の痕跡、多分、時空転移か高速言語使った人がいるね。ほんの僅かだけど痕跡が残っている。普通なら自然界の観測誤差内だけど、監察官は何か気づいた可能性もあるかな」

 めぐみはほむらを指差し、

「ほむらですわ! この時、現地人に何かを施していたのですわ!」

「跳躍してきたのはめぐ姉」

「説明を。二人」

 『命令文』を受けためぐみとほむらは、らえるに当時の説明をした。

 ハセベさんに人語知能を授けた事、『事実』を話した事、ほむら検索中にめぐみが現地まで跳躍を使った事、などをかいつまんで話す。

「なるほど…。そうですか」

 理解したらしいらえる。あやみはバン! とお膳を叩き、

「これは重大な『姉妹の約束』違反だわ! 逃避検索に引っかからないように力は使わない、二級階層である現地人と必要以外の接触はしないと決めているはずだもの!」

 らえるが指を鳴らすと、あやみの動きが止まる。

「『守護者』の一時行動制限を発動。『先駆者』に対し、更なる説明を求めます」

 らえるはほむらを優しい顔で見て、

「ほむらちゃんは、ハセベさんを喋らせたり、時極因果律を改変させることを、何故またやろうとしたの?」

「必要だから」

「必要?」

 首を傾げるらえる。ほむらはまっすぐ正面を見つめ、

「未来は確定しない。そう思えるのは『時を彷徨う者』が見てきただけの一面だから」

「つまり、ほむっちは『困ってる人を見捨てない』って線で動きたいわけ?」

 かのんが聞く。こっくり頷くほむら。

「でも、あの鉄道が廃止される因果は変わらないんでしょ?」

 状況が戻ったあやみがらえるに聞く。

「ええ。現状から最良のフラグを通過したとしても、42年後には周辺地域の完全過疎化によって、居住人口そのものが集落維持の限界分岐点を越えるから…」

「でも、それはあくまでも現状の推移」

「ほむらも強情ですわね! 遅いか早いかの違いなら、現状に介入するのはわたし達の発見危機そのものにリンクするじゃないですの!」

 めぐみが睨みながら叫ぶ。

「『交渉人』の危惧は判ります。それでも行動を確定させたい『先駆者』の、真意は?」

「むー。えと、遣らぬ善よりする偽善。あと、上の兄な人にお菓子もらったから」

 チョいコケの皆。

「そんな理由かよ!」

 あやみの切れのいいツッコミが炸裂。

「『技術者』としてはどうですか?」

 らえるはかのんに向かう。

「ボクは現地じ…クロハと同級生って『設定』だから。現時空を離れちゃえば無関係だけどね。でも『友達』としては何とかしてあげたいと思うかなァ。頑張ってる人を応援するってのも『姉妹の約束』のはずだし」

「それは曲解のし過ぎだってば」

 あやみがツッコむ。更にめぐみが

「そうですわ。第一、既定線上の事例を逸脱するレベルで改ざんすることは、明確な違反行為ですもの。今度は時空流浪の刑だけでは済まないかも…」

「そしたらまた旅すればいい。この生活、結構楽しいから」

「…」

 ほむらの笑みに、全員が黙る。更に話が続き、

「ほむらの知っている人が悲しんだら、ほむらは悲しい。みんなは、悲しくないの?」

「そ、それは…」

 ほむらに真正面で見つめられ、言葉に詰まるあやみ。

「でも、『歴史を改ざん』するのは実質無理ですわ。『ずらす』事は出来るでしょうけど。早いか遅いかの違いはあっても、結末は変えることが出来ないのは、歴史心理学で証明されている『公式』ですわ」

 めぐみが諭すように言う。が、

「だから『慣性』で『揺り戻し』させる」

「つまり、社会組織の母集団、この場合はみどりかぜ鉄道を存続させたいと思う人を出来るだけたくさんとるって事か。因果律に影響を与えるくらいに…、まあ『先駆者』の考えそうなことだわね」

 かのんが呟く。

「でも、そこまで遣るとなると、多次元因果律崩壊するだろうから、監察官の捜査網に引っ掛かって、多分見つかるなあ。捕まったら『執行猶予』貰えなくなるしねえ」

「そしたら、また逃げればいい。別の世界に」

 あっけらかんと、無表情で淡々と言うほむら。

 らえるは思案に耽りながら、

「例えば、現状で最大限の『援護』をしたとして、監察官がこの現地で行動を起こすまでにどの位のタイムラグを設けられるのかしら?」

「時空特異点に『錘』を置いてあるし、その突破での時間稼ぎが出来るから…」

 かのんは計算尺をいじくり、

「現状の時差を入れて、現時間から8380万8000秒くらい」

「つまり、2年8ヶ月後にはわたし達自身に対して何らかの行動をする必要がある、と」

「もちろん、ボク達の『正体』が現地人にバレないって前提だね。異文明や異生命体が衝突する事例を『公式』に挿入されちゃうと、積算がオーバーフローしちゃうから」

 すっと顔を上げたらえる、全員を見て、

「まとめた上で決を採ります」

 全員の視線がらえるに集まる。

「みどりかぜ高原鉄道存続に関わる皆さんに力を貸すという『行為』に関し、わたし達の現時空での逃避が不

可能になる可能性とを『天秤』にかけたいと思います」

 深く一呼吸し、

「行動を是とする人」

 かのんとほむらが挙手。

「行動を否とする人」

 あやみとめぐみが挙手。

 らえるはそれぞれに視線を移した後、静かに、

「『天秤』は釣り合いました。『裁定者』に判断を委ねますか?」

 全員が、

「委ねます」

 暫くの静寂。

 軽く一息ついたらえるはメガネを外し、口元に軽い笑みを浮かべ、


「わたし達姉妹は、その『原罪』から、定住を許されない宿命を負っています。

 それは、心から想う人と命を潰えるまで居ることは叶わない運命。

 だからこそ、その時間の赦されるまで、想う人の一片を担うことに喜びを。

 気高き強さを。思い続ける優しさを。悲しみを共にし楽しさを分かち合うことを。

 わたし達の『能力』は唯一無二存在するその想いの為に行使することを誓います」

 

 静寂が支配する。

 らえるはすっと顔を上げ、

「以上です。『裁定者』小日向らえるの名において、現時空における事象介入を承認します」

 ぽん☆

 世界に色がつく。

 そう。時間が動き出したという雰囲気。

 だーっと、足を投げ出したりテーブルにつっぷくしたり。

「あーあ。またいつか逃げるのかあ。この世界、のんびりして好きだったんだけどなあ」

 あやみがため息。

「ぼやかないぼやかない。冒険三昧の『あいのり』だと思えば」

 かのんが軽くいなす。

 そんなとき、らえるは軽く咳払いをし、

「こほん。それでは引き続き、第2万3873回、小日向姉妹会議を行います。今日の夕食のおかずは何にしましょう?」

「結局やるのかよ!」

 あやみにツッコまれオチ(苦笑)

 こうして、小日向姉妹はこの世界での役割が終わったら、また別の世界(作品)へ彷徨う運命の娘たちと言うことになるわけなのだが。


 そして、

「どーもお、お呼び立てしてソーリーね」

 JTR本社ビルに程近い所にある雑居ビルの一室。

 応接セットしかない寂し過ぎる室内でキハ社長が出迎えたのは、コソコソとやってきた吉祥寺だ。

「…どうも」

 何故か雰囲気が暗い気が。明らかに不機嫌だ。

「社交辞令はメンドクサイので抜きマース。今日は、これを貴女に」

 差し出したのはかなり厚めの封筒。

 美多佳が封筒を開くと、『部外秘』と書かれた書類と、「車代」と書かれた小さい封筒に入っている札束。

「…ひとつ、聞いていいかしら?」

「何かな?」

「…この二千円札の札束は、何かのイヤミ?」

「まーまーま、細かいことは気にしないネ!」「気にするわい!」

 美多佳の切れのいいツッコミを無視し、

「珍しいもので揃えてみようかと思いましてネー」

 逆に万札より貴重だと思うが(苦笑)

 ともあれ、社長はゆったり腰掛け、美多佳にも席をすすめる。

「不機嫌なのは、察するに南北新聞にポイントを奪われているからかネ?」

 美多佳はどん! とテーブルを叩き、

「そんなことはない!」

 悔しさで口元を滲ませながら、

「他マスコミやメディア媒体もあたしが書いた記事の後追いをしている。貴方の思う世論誘導は完璧に出来ているわ!」

「だが、中々に意見が大勢を占めない。世論が割れているのは何故かね?」

「…あいつよ。あいつが、またあたしの手柄を横取りしようとしてるんだわ」

 多分石勝のことを言っているのだろうと思うが、

「そこで!」

 先ほど渡した書類を捲って、改めて突きつけ、

「情報をひとつ、リークして差し上げまショー」

 その部分を食い入るように見つめる美多佳。

 顔を上げ、ニヤリと笑い、

「…助け舟は気がすすまないけど、利用させてもらうわ」


 そして、数日後の大東京日報の一面、それもかなりのスペースを使い、


【JTR天南線廃止へ。巨額赤字に悩む】

  JTR(大日本鉄道公社)は経営合理化対策として、旧国営鉄道再建法に

  基づく廃止路線としては廃止を免れていた路線の抜本的対策の第一弾と

  して、天南線の廃止を決定した、と関係筋が速報として明らかにした。

  巨額赤字に悩む路線整理の第一弾として名が挙がり、同じく赤字や巨額

  債務に悩む他路線や第三セクター鉄道への波及は免れない。

  『JTR天南線(解説)』

  JTR北海道支社が運輸営業をしている路線で、声威子府―北稚内間

  148.9キロを結ぶ地方交通線である。

  冬季の豪雪時による運休で代替交通機関の確保が難しいことやJTR営業

  路線内で最高の営業係数(平成19年度の数値で3204(100円の営

  業利益を上げるのに約3200円掛かるという意味))であること、本線で

  ある宗谷本線の迂回ルートであるという路線経路の問題や、過疎化による

  路線沿線の人口減少などにより、今回廃止が決定されたもの。

  現在は一日で上下線各3本の列車が運行されているが、路線をほぼ平行し

  ている北海道沿岸高速道路を、高速観光路線バス『オホーツクはまなす号』が

  一日25本運行されており、旅客への影響は少ないと思われる。

                                (【政治部・吉祥寺】)


「ふうっっっん!」

 あくる日の朝、背伸びして起きてきた石勝、新聞を掴み、

「さーて、世界情勢は、っと」

 全ての全国紙には目を通す石勝が最初に見たのは、まさに大東京日報の先ほどの記事。

「な、なんだこりゃああああああ!」

 血相変えて怒鳴る石勝。

「ちょとお石勝さん! 朝っぱらかうるさいわよ!」

 大槻文具店のおばちゃんに怒られる(笑)


 階段をどたばた上って(そしてまた怒られた)、どうやら本社へ電話をかけたようだ。

「伊勢崎! 今、大東京日報を見たんだが…」

『ああ。どうやらあちらさんのスクープみたいだな。今、裏づけ取ってるんで朝からてんてこ舞いでな!』

「あ、ああ。だろうな。取り乱して済まなかった…」

『いいっていいって! この件でこっちは記者会見を今日やるんで、社会部の記者が行ってくるみたいだから、必要な内容は後で連絡するが、記事の再確認に過ぎないと思う』

「…わかった。何かあったら連絡もらえるか?」

 そういい、静かに電話を切る。


「ふーん。天南線が廃止ねえ…」

 朝食時、新聞に目を通したハガネがポツリと一言。

「困ったナリねー」

「なんで? なるおねーちゃん?」

 なるせの言葉をクロハが謎に思ったのか、聞いてみると、

「つまりね、赤字で借金が返せないのと、そもそも乗る人も少ないから、じゃあ廃止にしましょうっ事ナリよね。ってことは、同じ赤字ローカル線でもあるこのみどりかぜ高原鉄道だって、ひょっとすると例外じゃないかもってことナリよ」

「え!?」

 努めて判りやすいなるせの説明で理解したらしいクロハ、驚きを隠せない。

「もちろん、自治体からの補助もある第三セクターのウチとは一概に同じとは言えないから、簡単に廃止になるとは思わないけどね。売り上げだって着実に伸びているんだし」

 と、打ち消すようなハガネの台詞だが、まだ安心できていないクロハ、不安な表情いっぱいだ。

 実際、

 連日のようにテレビではこの廃止問題を取り上げており、乗務中のハガネとかには「この路線も廃止になるのか?」という乗客の世間話が紛れ込んでくる。

 ネット掲示板とかでは「天南線廃止反対」の論調も多く、報道後は鉄道マニアが大挙して押し寄せ、連日の混雑を記録しているが、時すでに遅し、という印象は拭えない。

 第一、天南線に乗るのに、中標津空港からの高速空港バスで北稚内駅へやってくるような連中がいくら増えたところで焼け石に水かも知れない。

 こうして、確実にみどりかぜ鉄道包囲網が出来上がりつつある頃、一つの小さな人事異動がJTR本社内であったことは、余り知られてない。


「あ。採用問い合わせが来てる…」

 本社からのFAXより、採用問い合わせに関する連絡があったのは、そんなさなかの事。

「むっ。アタシをリストラして新採用に踏み切るナリか!?」

「んなわけないでしょ(苦笑)」

 わざとらしく狼狽するなるせに、もはや苦笑しか出来ないハガネは、

「なんかの手違いで、応募告知のWEBページが更新されてなかったみたいで、問い合わせ来ちゃったから対応してくださいって、人事部の秘書室から来てるんだよ」

「案外ルーズナリね。さすが巨大企業ナリ」

「とりあえず今日来るみたいだから対応してくださいって」

 クロハは目を輝かせ、

「じゃあ、またひとり『みどりかぜ・がんがんガンバレ計画』を手伝ってくれる人が増えるんだ! クロハももっともーっとガンバらなきゃ!」

 ガッツポーズで張り切る雰囲気満載のクロハ。

 そこへ、上り列車がやってきた。

 路線知名度が上がってきてから、ハイキングの行楽客が若干ながら増えてきているのも幸先がいい証拠ではないかと。

「ごめんください」

 駅員事務室の引き戸が開いた。

 その人物を見て、ハガネは目を丸くし、言葉を詰まらせながら、

「あ、あなたは…!?」

「元・JTR本社総務部秘書室所属、大垣麗夏と申します。碧風高原鉄道の中途採用に応募しに来ました」

 麗夏は、斜に構えて頬を赤らめつつも妖艶な笑みを浮かべながら、

「お願いします。身延ハガネさん」

 茫然としっぱなしのハガネなのだった。


 時間も余ったし、遅いお昼の時間らしくということで母屋のリビングにて。

 律儀に履歴書を持参してきた麗夏の行動も謎だし、実際、クロハとなるせの視線は訝しげだ。

 ハガネは言葉を選びながら、

「えーと、応募の理由というか…、その、なんでなんですか?」

 暫く黙った麗夏、目を閉じたまま、

「必要とされなくなったから、かしら」

 そして、そのまま静かに、

「暫く、話させてもらえる?」


 短大を卒業して、JTRに事務職として採用された麗夏。

 おりしも新幹線の新線開業があり、かなり沸き立った雰囲気の時、キハ社長が就任。

『あの人はああいう性格だから、誰とでも気軽にスキンシップを取るけど、まだ私はその意味では世間知らずだったから、好意を抱くまでにさほど時間は掛からなかったわ』

 やがて、男女の関係に発展する頃、もっと傍で役に立ちたい、という麗夏の頼みを聞いたらしいキハ社長は、麗夏を秘書として傍に置くこととなる。

『楽しかった。単純な仕事に飽きていたこともあったけど、好きな人の傍に居て、何かしらの力になれていると言う満足感もあったわ』

 が、

『誰にでも気軽に触れ合ってくれる分、決して深くは踏み込ませてくれなかった』

 男女の関係においてさえ、性欲を満たす以上の思いはなく、そこに愛情を感じ取ることは、ついに出来なかった。

『私にも決して。どんな扱いをされていたとしても、でも、一緒に居れば満足だった』

 バレンタインデーであげたチョコが、デスクの傍らにあるゴミ箱に捨てられていたのを見たこともあったし、大企業の女性重役とプライベートを過ごすための理由で、土砂降りの中、途中で帰宅させられたことも、一度ならずあった。

『それでも「言葉に出してくれなくても想ってくれている」と思ってた。この前までは』

 先日報道された天南線廃止に急に触れたが、

『寿弥生って知ってるかしら? …知らないわよね。私が生まれた所』

 何もない、文字どおりの田舎の光景。

『それでも私にとっては故郷だった。そんな事を覚えていてくれたんでしょうね「仕事に一つだけ私情を挟んだ。キミの生まれ育った町を大切してあげる」って言ってくれて…』

「それで、今まで天南線の廃止が延期されていた、と」

『実際は複雑だけどそんな感じ。でも…』

 フラッシュバックされる。

 部外秘の書類が美多佳に渡される所が、

 印刷の輪転機が回る所に浮かぶ【天南線廃止へ】の見出し、

『あっけないものね。そんな純粋だった思いを、簡単に取引材料に使われたんだわ』

 …。静寂が支配する(クロワッサンを頬張って見入っているなるせを除く)リビング。

「それを知ったとき、復讐を誓ったわ。絶対に赦さない、って、でも…」

 麗夏はハガネを見つめて、

「この前聞かせてもらった、貴方の、妹さんへの純粋な思いに。それに共感してやる復讐なら、まだ後悔はしないと思ったのよ」

 ここで。

 時間は、ハガネがJTRの支社で麗夏に会った頃に遡る。

 会議室で、逆光の麗夏をハガネは見ながら、 

「身延ハガネさん、あなたに確認したいことがあります」

 と、切り出されたときのことだ。

「あなたは形だけとはいえ、JTRから出向している扱いになっています。労使協定上、碧風高原鉄道が廃止されたらそのままJTRへ召還されていくと思います。その意味で、本社と事を構えるのは適策ではないと思われるのだけど?」

「そうですね。確かに、そうかもしれませんけど」

 そうハガネは区切り、

「元々は、妹であるクロハの我儘で始まったようなものですけど、でも…」

 ハガネは麗夏を真正面で見ながら、

「もし、僕の両親がこの鉄道を託してくれたとするなら、それが地域のみんなに役立つ存在なのだとしたら、守らなきゃいけないものなんだと、思ったんです」

 ハガネは苦笑しながら、

「妹にお株を奪われっぱなしなのも、兄としての沽券に関わりますし(苦笑)」

 麗夏は優しい笑みを浮かべ、

「真っ直ぐで素直な人ね。ちょっと真面目過ぎる気もするけど」

 もし、出会ったのが彼だったら、あるいは…。


「もちろん、私がココに来たとなれば、攻防は更に熾烈を極めるかも知れないから、このまま無かったこととしてして貰っても構わないわ。一人でも、戦うつもりよ」

 その姿が一瞬、旅館を守るために戦うと言った巴と被った気がしたハガネ、何かを言おうとしたそのとき、

ずーっとなにかを言いたげで、やっと口を開いたクロハは、

「あの、あの、ひとつ聞いていいですか?」

「なにかしら」

 不安な表情を露骨に出しながら、

「クロハ達のやっていることは、良いことなんですか? 駄目なことなんですか?」

 目じりに涙をためながら、

「クロハ達、この鉄道を残そうって色々ガンバってる。でもいろんな大人の人たちが いらないんだいらないんだって…」

 麗夏はクロハをぎゅっと抱きしめ、

「大丈夫よ。それは大人のワガママ。この鉄道を残そうとお考えになったアナタのご両親は、大変に誇り高く立派な方だったと思うわ」

 優しい笑みでクロハを見、

「そして、その想いを担うアナタもよ。自信を持ちなさい」

 声を殺し、えぐえぐ泣くクロハ、

「麗夏さんて、なんかお母さんみたい…」

 コメカミに怒りのマークをだした無表情の麗夏、いきなりげーん! とげんこつ!

「私はまだ20代!」

 そーゆーところでキレるんだ…(苦笑)

 てか、雰囲気ぶち壊しだろ(笑)


「でも、何となく判ったかな。その気持ち…」

 クロワッサンを頬張り終わったなるせ、コクコクとコーヒーを飲む。

 ハガネに奇異な目で見られたが

「あ、ハーくんのお嫁さんになれなかったからじゃないナリよ」

「だから!(苦笑)」

 なるせ、ちょっとうつむき加減で、

「アタシ、中学の時にイジメにあって、その時から引きこもりしてたんだぁ。ずーっと家に居たからやる事なくて、家事の手伝いしたり、ネットとかで色々見たりしててね。だからこのままじゃいけないと思って、高校行かずに大検受けて」

 ちらりと麗夏やクロハを見て、

「でもね、ずーっと一人で居たから、社会のどこに行ってもアタシの居るべき場所は無いって感じが、ずーっとしてて。だから勉強もしたし、資格も取り捲ったけど、どこかで誰かが『お前はいらない子だ』って、ずーっと言われてる気がしていたナリよ」

 ちょっと照れたのか、苦笑して頬をかきながら、

「だからアタシがアタシで居られるこの場所をスペシャル大切にしたいと、思ったナリよ」

 笑んだなるせは、麗夏に手を差し出し、

「一緒に、がんばりましょうナリ! いいよねハーくん!」

「決めるの、僕なんだけど…☆」


 こうして、みどりかぜ鉄道で唯一の総合職、大垣麗夏が加わり本格的な反撃の烽火は、打ち揚げられた…。


 と、思いきや。


「現状のままだと、残り約2年での抜本的な経営改善計画の実現は、恐らく無理でしょうね」

 決算書類を見ながら、麗夏が言い放ったのは、そのあくる日のこと。

「改札口でのお弁当販売とか、観光ツアーとかの収入もあるけど、それはあくまでも小手先の技ナリよ。もっと根本的な方策を採るべきって、ことナリか?」

「そういうこと。小遣い稼ぎって言うのは、失礼かもしれないけど…」

 今までの実績で、運転業務以外は営業補佐も兼ねている、なるせも渋い顔だ。

 花火大会ツアーや天体観測ツアー、文字通りの「手弁当」の駅や車内での販売(なるせは調理師免状を持っているので)なんかの関連事業収入も増えてきているが、まだ本体の鉄道運輸事業を補填するに至っていないし、累積債務の解消など、夢また夢だ。

 そこへ追い討ちをかけたのが…


「ちわー」

 石勝と安藤&スー、乗務休憩に来たハガネが駅員事務室に入ってきた。

「あ! 石勝さんだっ!」

 クロハ、もはや尻尾振って喜ぶ犬のそれな雰囲気。

 さらに入ってきたハガネは辺りを見渡しつつ、

「ちょうどよかった。麗夏さん、いるかな?」

 そして、

「ちょっと知り合いのつてで、業界紙のゲラをもらったんだが」

 石勝が数枚のFAXを出してきた。

「JTRが、みどりかぜ鉄道に対する相殺措置の厳格化を決定するらしいんだ」

 説明する石勝。

 瞬間的に言わんとしている事が判ったのはハガネだけだ。

「ハガネさん、説明してもらえる? クロハさん理解可能レベルで」

「え!? ええとですね…」


 それは文章的に地獄なので、要点をまとめる。


 第三セクター鉄道である碧風高原鉄道は県とJTRが30%ずつの出資を、碧風高原鉄道会社持株会で約10%、沿線にある4つの地元自治体が5%ずつ、その他、地元企業や銀行、投資信託会社や証券会社などが出資した、非公開株式の特殊会社という体裁をとっている。

 その中で、JTRは鉄道路線の整備と電車車両の乗入、電気設備の保守管理などを受けるが、これをみどりかぜ鉄道線の乗入れによる線路使用料とで金銭的なやり取りを相殺しているのだ。

 別にここに限ったことではなく、相互乗り入れをしている鉄道会社同士では、車両乗り入れの融通で、線路使用料と車両使用料を相殺しているわけで、それの拡大解釈で行われていた措置なのだ。

 これを、費用的に正確な数値をはじき出し、相殺しきれない費用を請求する、ということでJTR自体が抱えるこの路線の累積債務の解消に使いたいといった所なのだろう。


「…と、いうことなんだろうと思うんだけど」

「それによる経費増加とかは、どのくらいになるのかね?」

「詳しくは算出しないと判らないけど、今までの増収分なんか焼け石に水だわ」

 石勝の疑問を力なく答える麗夏。

「難儀なことですな」「まったく、おだやかやないなあ…」

 余りにも阿漕な手段を取られたことにあきれ気味の安藤&スー。

「幸いというか、みどりかぜ鉄道自体は気動車を使ってるんで、電気設備関係の費用は発生してないですけど、そこも引っ掛かるとなると…」

「その辺が案外打開策になるんちゃいます?」

 安藤が聞く。が、ハガネは困った顔のまま、

「乗り入れているJTRへの直通利用客も結構多いんですよ。その関係を壊してまで戦えないのも今まで動けなかった理由なんです」

「他のお店とかは出来ないの? クロハ、もっと色々やって、もっともっとがんばるから!」

「売店とか、コンビニを併設するとかだろうけど、費用的にそこまで大規模にはまだ…」

 麗夏が変わりに答える。

「でも、ひょっとしたら…」

 何かを思いついたのか、独白。

「何か? 麗夏クン」

 どうでもいいが石勝氏よ。

 なるせや麗夏みたいそれなりな年の女性を「クン」付けで呼ぶと年がばれるぞ(苦笑)

 話を戻して。

「本当かどうか知らないけど、ハガネさん達のご両親がここの鉄道管理局長だった時代に、極秘裏に作成され

た再生プランがあったとか、なんとか…」

 が、ハガネは、

「それこそ初耳ですよ。あれば僕でも知ってるはずだし。第一、その頃の父とかはここよりJTR本社に居た比重の方が多いはずですし…」

「…ちょっとまって!」

 クロハ、ハッとして、

「この前、使ってない室のお掃除をしてたら整理されてない書類がいっぱい出てきたの。もしかしたら…」

「探してみる価値は、あるんちゃいます?」

「探すとしても時間的には、余裕がきついわね…」

 何かに気づいたようで、

「それもそうだけど、ならば一つだけ、もっとも確実にあるかもしれない場所があるわ…」

 麗夏の、思案に耽る理知的な姿は、中々いいかもしれない。


 翌日、

 クロハは仕事の合間(正確にはその間、麗夏が駅務を補助している)を使い、小日向姉妹の住む家へ出かけた。

 丁度、バイトだか買い物だか用事だがでみんな出かけていて、家の裏手にある掘っ立て小屋、通称『かのんラボ』にいた本人だけを見つけたクロハ、

「かのんちゃん。こにちわー」

 何かオゾン臭漂うスパークがしまくりの何かをしていたかのん、顔を上げて振り向き、

「おおう、クロハじゃーん。お久しぶりー」

「あのね、ちょっと頼みごとが…」


 そして数日後、午後の早い時間。

 三峰峠駅のコンコースには、麗夏、なるせ、安藤&スーが居た。

「我がクロハたんはどうしたんや?」

「なんか『その筋の知り合いが居るから呼んでくる』とか言っていたナリー」 

 そこへ、

「おまたせー!」

 クロハがかのんをつれてやってきた。

「どうも。『その筋のもの』です」

「かのんちゃん、その自己紹介怪しすぎ…」

「これで揃ったのかしら?」

 麗夏が周囲を見渡し、

「それじゃ、準備は整っているようだし、詳細はおいおい話すわね」


 午後の遅い時間、一路東京に向けて驀進中の新幹線。

「えええぇぇ! それは大胆ですな!!」

「しっ! 声が大きい!」

 新幹線の三人掛けシート×2に居るみんな。

 スーの驚愕の声を麗夏が制止。

 冷凍みかんを一心不乱に食べ競争している、なるせとかのんも耳だけは欹てているが。

「実は、先日の天南線廃止に関する重要書類も、ごく一部の人間しか知らない金庫に閉まってあったはずなの。

あるとすれば、恐らくそこだ、と思う」

 その説明の中、何かうずうずして落ち着かないクロハ。

「…いいわよ、見てなさい。ちゃんと靴は脱ぎなさいね」

 半ばあきれた麗夏が苦笑しながら言うと、窓にへばりついて外を嬉々として見るクロハ。

 そういえば、クロハ自身が地元を出たことは殆ど無く、ましてや新幹線に乗るのも初めてだモノね。

 もはや完全な、おのぼりさん小学生状態。

「しかし…、JTR本社、それも社長室に潜入して、そこにあるはずの隠し金庫からその書類を奪ってくるですか。ちょっとしたキャッツアイでんな」

「確かに。せやけど、非合法手段でんなァ」

「アタシもそう思ったナリよ。でも…」

 クロハは外を見たまま振り向きもせず、

「クロハのお父さんとお母さんのものなら、それはクロハ達のだもん。だから返してもらうのは当然だからいいのっ!」

 全員、呆然となりつつ、

「じゃ、ジャイアニズム…!」

 麗夏は大きくため息をつき、

「なるほど、ハガネさんがクロハさんに振り回される理由がわかったわ」

「…ごめんナリ。アタシも一緒にハーくん振り回してる(苦笑)」

 クロハが鬼畜だというよりハガネがヘタレなのが判ったところで新幹線は一路東京へ…

 

 夜。

 大ターミナル駅近くの道路に止まっている一台のワンボックス車。

「…で、こっちがエレベータ運行配置図、これがセキュリティーマニアの友人から仕入れてきた、JTR本社の基本的な機械警備配置図ですわ」

 安藤が一枚の図面を全員に見せる。

「大元は目立ビルシステムとココムの標準的な警備システムやから、普通に建物内に入る分にはまず問題ないと思うで」

 スーが追加説明。

 全員、思わず目が点に。

 麗夏は渋い顔で、

「最近のブンヤさんはそんな情報も扱うのね…」

「ちゃいまんがな。趣味でっせ」

「そうそ。関西で『超ヲタ連合・安藤&スー』といえば、ちっとは知られた存在なんやが、…まあ、この分やと知られて無いみたいやな」

 その通り(笑)

「では、状況を改めて説明します」

 麗夏は全員に向かい、

「安藤&スーの二人は車内で待機、すぐに逃げられるように準備して」

「了解/らじゃー」

「かのんさんとなるせさんは、現場で状況に応じての行動をお願いするわ」

「へーい/らじゃナリ!」

 そしてクロハに向かい、

「もう一度聞くわ。大事になったら今までの全てが無駄になるのよ。それでも、やるのね?」

 こっくり頷くクロハ。

「…かわいい司令官が決断したわ。行きましょう!」


 車は職員通用口の建物裏側へ回ったが、四人は堂々正面から入っていく。

「今の時間なら、レストラン街は一般開放されているから、変な動きさえしなければ怪しまれないからね」

 と麗夏は言うが、緊張でカチンコチンのクロハ、人の多さとそのトラウマでパニック症状が出かかる寸前のなるせ。いきなりかい(笑)

 エレベーターに乗り、一気に最上階近くまで上る。

「案外、バレないものナリね」

「そもそも、侵入者なんて普通は想定しないでしょ…」

 最上階よりちょっと下の階。

 エレベーターを降りた先に、すりガラスっぽい不透明の扉がある。

 どうやら、カードキーが無いと先に進めないようだ。

「よっしゃ。早速やってみようかね」

 腕まくりで舌なめずりするかのん。

 胸元をごそごそとまさぐって、ポケコンと電極グリップを取り出し、15センチほどの薄い板をカードリーダーにはめて、板の両端をクリップで止める。

「ええと、多分IDカード認証だと思うんだけど、元秘書さんのIDは?」

「とっくに使用不可になってると思うわね…」

「そーでなくて、それを元にダミーデータを作るから」

「確か…」

 麗夏は6桁のIDナンバーを言い、何か暗算を呟きながら、時折ポケコンに入力していくかのん。

「よっしゃ。ひらけ、ゴマ☆」

 ENTERキーを押すと、ロックが外れる音と、ピピッという電子音が鳴る。

「よしよし。案外簡単じゃーん」

「さすがかのんちゃん。乙女のたしなみに磨きがかかってるね!」

「まあね☆!」

 …なんだこの妙なノリ(苦笑)

 が、

「ちょっと待つナリ」

 なるせが制止。

 親指と人差し指を使って、目線で何か計っているみたい。

「麗夏さん?」

「なに?」

「この階って、向こう側に隔離されてる部屋か何かあるナリか?」

「え、それって…?」

 なるせは首をひねりながら、

「他の階と違って、向こう側までの壁の距離が微妙に近いナリよ。方向的に建物横方向だから配管ダクトが走っているとは思えないナリが…」

「さあ、さすがにそこまでは…。倉庫か何かじゃないかしら? 細かいことは判らないわね」

 そう言い、

「でも、それほど気にしなくても大丈夫だと思うわ」

「了解ナリっ」

 そして、一番右端の扉に。

 クロハはビシイッ! と指差し、

「かのんちゃん、出番ですっ!」

「がっ!」

 どこの鉄人だよアンタ!(笑)

 まさぐった胸元からいつぞやのピッキングセットを取り出し、殆ど鍵を使って開けるような時間で簡単にロックを解除してしまった。

「うーん、もはやここまでくると一種の芸術ナリねー」

 さすがになるせも苦笑。


 そーっと入る。

「ここは?」

「受付の秘書室よ。私がかつていたところ…。その奥左手の扉が社長室」

 扉の鍵はかかっていないようだ。

 社長室に入った途端、麗夏の動きが止まる。

「ああ…、帰って、きちゃったんだ……」

 薄暗い中、麗夏の頬に伝う涙に気づいたものは、いない。

「麗夏おねーさん、この先は…?」

「え? ああ。そのデスクの後ろのスライド本棚が動くはずよ」

 本棚の柱に沿って埋め込まれているスライダーを軽く引くと、本棚が少し浮き上がり、さほどの重量感を感じさせず、引き戸のように動かせた。

 壁の中に埋め込まれた金庫の扉がある、が、奇妙な鍵穴が一個あるだけ。

か「なんじゃこりゃ?」

な「…えと、多分、三点電子ロック式の点圧鍵が必要だと思うナリ」

麗「そういえば、普通とはまったく違う鍵だった気がしたわ…」

 考える三人。

 クロハは情けない顔で、

「ダメ…なの?」

「なる姉、この三点電子ロック式の点圧鍵ってどういうタイプ?」

 なるせは記憶を引っ掻き回しながら、

「簡単に言うと、高級車の電子キーってあるでしょ? あれを3本組み合わせて、其々に電子データ合わせて、それが合った時に奥の鍵穴が開いて開錠できるって感じみたい、かな。パルス値やそもそもコード判らないと無理っぽナリ~」

 かのん、考えて、

「…じゃあ、クラックさせたほうが早いかな? 後で開けるときは壊れたか何かと思わせればいいか…」

 そして。

 鍵穴に針金を三本、Y字の頂点に引っ掛かるように掛けポケコンに繋いでいる電極コードを其々接続し、なにやら入力。

「ひょっとすると壊れて開かなくなる可能性もあるけど、そうしたら、諦めてね」

「ダイジョブ。クロハ、かのんちゃんを信じる」

「お、うれしいこと言ってくれるね…。よし、準備完了」

 かのん、振り返って、

「高周波出るから、耳塞いだほうがいいよ」

 そして、ENTER!


 ピイイィィン! と甲高い音が響き、鈍い爆発音がした。

 金庫の鍵の電子ロックが壊れたようだ。


「開くかなー…」

 扉に付けた吸盤を引っ張ると、ゆっくりと扉が、開いた。かのん、ニヤリと笑い、

「成功、かな」

「さすがかのんちゃん! 10時間は恩に着るよっ!」

「短っ!」

 二人のいつものやり取りにツッコむ麗夏。普通ならそうだわな。

 開けた金庫の中に、箱のついた書類ケースがいくつかある。

 かぱっと開くと、更に幾つもの封筒が入っている。

 が、その中でひときわ古い封筒があった。

 何かの直感を感じたのか、震える手で中身を開けるクロハ。

 手書きで、『みどりかぜ・ずんずんぶりぶりプロジェクト』と書かれたそれを。

 ぎゅっと抱きしめる、涙顔のクロハ。

「そうか、クロハちゃんのネーミングセンスは叔父さん譲りだったナリか…」

 なるせの感想に、思わず納得してしまったふたり。


 ラジオから流れる『毎日ご奉仕』を聞き入る安藤&スー

「やっぱり、『あうあう』の“毎日ご奉仕”は名曲やな」

「迷曲とも言うかも知れへんがな」

 またエラいマイナーな作品聞いてますな!(苦笑)

「…お、戻ってきた」

 正面玄関のほうから走ってくる四人を見つけ、ドアを開けて車を急発進!

「お疲れ!」

 駆け込んでくるみんなの腕を引っ張って車内に引きずり込む安藤!

「ええで!」「よっしゃあ!」

 急加速して走り去るワンボックス車…!

「まさに時間通りですな」安藤が一言。

「痕跡消去に時間かかったけど、大丈夫みたいね」

 ワンボックス車は首都高速に乗って、一路逃走の道へ…


「…で、クーちゃんが抱きしめて離さないのが、その書類、が、入った封筒ナリよ」

 汗ジトで苦笑しているなるせが、ぎゅっと握って固まったクロハを指して弁明。

 夜を徹して高速道路を爆走し、始発の上り列車で戻った6人を、みどりかぜ高原駅で関係者が待っていてくれたのだ。

「クロハ。もう大丈夫だよ」

 取られたら大変! と、ずーっと抱きしめていたのはいいが、そのために逆に硬直したままのクロハは、ハガネの一言で正気に戻ったようだ。

「とにかく、ここからは時間の戦いよ」

 険しい表情で、麗夏が言う。

「何故? これを精査すれば、経営改善が軌道に乗るんじゃないのか? なら着実に…」

 そう聞く石勝に弱弱しく苦笑しながら、

「言ったでしょう? この書類やその隠し場所はごく一部の人間しか知らないって。だから、遅かれ早かれ、嫌疑の目が私の所に向けられるまで、そう時間はかからないわ」

 俯き、

「そうすれば、実力で阻止してくる可能性も、否定できないわ」

 安藤はバン! と壁を叩き、

「くそう! あれだけ苦労したのに無駄骨って事ですかい!」

「だから、時間の戦いだと言ったでしょう? つまり…」


「…つまり、既成事実を作ってしまえと?」


 その声にその場の全員が振り向く。

「すみません。ウチのかのんちゃんがお邪魔していると思って迎えに来たのですが、つい一部始終を聞いてしまいました」

 そこには、らえるを先頭に小日向姉妹達が。

 もちろん、何故全員で来たのかとか、そもそもここに居ることを何故知っているのかとか、謎はいっぱいあるが、そんなことを詮索している心の余裕は無いだろう。

「そこの黒髪ロングの人は、理解してくれたようね」

 麗夏がらえるを見て、ちょい安堵。

「ええ。つまりですね…」

 らえるが説明した所によると。

 その『企画書』をできるだけ早く精査し、相手が実力行使を行う前に行動して事実を作ってしまえば、それ自体が攻撃の抑止力となるのではないかと。

「そういうこと。よくできました」

 麗夏はハガネに向かい、

「この計画書の内容は、できるだけ早く要旨をまとめておきます。お仕事中に出来るだけ負担の無いように連絡させてもらいますので適宜判断してください」

「ええ。でも…」

 ハガネは、クロハの肩を叩いて、

「号令は、クロハが掛けます」

 一瞬、目を丸くしたクロハだが、ハガネはクロハを真正面で見て、

「この鉄道を、この町を守りたいと一番初めに動き出したのは、他ならぬクロハだよ。もうクロハだけの思いじゃない。少なくともここに居るみんなの思いなんだから、しっかりやらなきゃね」

「…う、うん!」

 クロハ、大きく息を吸って、

「クロハ、みんなのために、がんがんガンバる! だから、力を、貸してくださいっ!」

 全員の歓声と驚喜に包まれていく…


 ひとしきり落ち着いた頃。

「そして、もう一つ重要なことがあります」

 麗夏が、ハガネやクロハを見つつ、

「どんな行動を起こすかにせよ、地域住民の意思確認が最重要課題ではないでしょうか」

 石勝が自信満々で割って入り、

「つまり、路線の必要性や廃止反対を訴える世論喚起だな。任せろ!」

 らえるはすいと礼をし、

「では、わたし達は民間人として出来ることをやってみましょう。微力ながらお力に」

 そして、ハガネはなるせに向かって、

「僕達は何より、平静を装っておかないと。バレないようにね」

「らじゃナリ!」


 そして。

 あくる日の、南北新聞に掲載されたコラムより。


【我等が故郷のアルカディアを守れ!~路線存続に署名活動】

   「お願いします!」ターミナル駅である三峰峠駅前で朝から元気な声が

聞こえてくる。

    この街から列車で30分ほど行った山奥に住む小日向あやみさん(17)だ。

    道路事情により鉄道が生活の足となっているこの地域で、突如湧き上がった

碧風高原鉄道の廃止問題。

「このままでは生活もままならない」として、路線存続の署名嘆願書へ記入

をお願いしている元気な姿に、通勤客も足を止め「頑張ってほしい」「応援

している」などと励ます姿も目立っていた。

    碧風高原鉄道とは。

JTR三峰峠駅から分岐している、全長四八.二㌔の営業路線を持つ民間

ベースの第三セクター鉄道。元はJTR長浜境支線として四丸鉱山の採掘

物資輸送路線の意味で開業、その後は観光ブームなどもあったが、過疎化

が原因となる沿線人口の減少等もあり、国営鉄道経営合理化法(通称鉄道

再建法)で第三次地方交通線に選定されたが為に廃止の運命をたどる筈

だったが、紆余曲折の末に第三セクター鉄道として維持存続が図られた

もので、自治体と本社系列であるJTRの補助を前提とする赤字ローカル線

である。

「本当に何もない。せいぜい自然くらいしか。でも、それが絶品なんです」と、

地元に住む住民の一人は語る。

    不便かもしれない、もっといい生活があるかもしれない、しかし、ここにしか

ないものもふんだんにある。

    一人の少女が始めた活動は、地域を動かそうとしている。

                           (【辺境支局・安藤】)

                    

 さらに。

 某巨大掲示板の、とあるスレッドより。


【おにゃのこ】みどりかぜ高原鉄道を見守るスレ~47【大杉】

215 名前:名無しでGO! :2009/07/27(月) 12:56:13 ID:JeGX4LknO 


公式HP出来たみたいだぞ喪前等!

http://www.yashikino.com/iags/radio/gwr


(注。まだ作ってません!(苦笑)(担当者・談))


 という仕掛けを考えたわけ。

 しかも。

「というわけで、クロハは文字通りの客寄せパンダならぬ「客寄せクロハ」として素材作りに協力してもらう。

なるせさんから『萌え無制限』許可は貰ってるし、容赦しないよー」

 デジカメを手に持ち、怪しい笑みのあやみ。

 さらに、アルバイト扱いでねじ込んだほむらにも、みどりかぜ鉄道の制服を着させ、あまつさえ「日常の職場風景」と銘打ったプライベートショットのアルバムを掲載。

 ブログとまではいかないけど、一言集をかなりの高頻度で更新していくのも凄い。

(実際は、両人からでた話をまとめてスーがゴーストライターとして適宜再構成)

 それらデータを、かのんがどんどんプログラム作ってホームページを更新していく。

 いきなりサーバーダウンするほどにアクセスあったのだから成功なのだろう。

 また、

 らえるは県議会に提出する請願書を作成中、めぐみは関係各所への交渉に出向いている。

 こうして、事態は一気に動き出していく…


 数日が経ち、

 例の『みどりかぜ・ずんずんぶりぶりプロジェクト』を見ていた麗夏は、順次内容の抜粋した項目をハガネに伝えていき、その内容を元に、乗務中の空き時間や休みの日に色々動いたりする。

 そんな今日も。ハガネは梶取操車場に来ていた。

「改造、なあ…」

 眉間にしわを寄せて困り顔の徳那賀は、キハ20形をしげしげと見ながら、

「ええ。何とか出来ませんか?」

「うーん!」

 徳那賀は腕を組んで考えながら、

「正直、難しいぞ?」

 車体をあちこち指しながら、

「元々のDMH17エンジンから、すでにSB型と同じくらいの馬力であるくらいのほぼ倍にしてあるし、排気管過熱対策もしてあるから「5ノッチ・5分」制限も実質なくなってる」

 しかし、と念を押し、

「車体自体の老朽化、全体的な金属疲労はさすがにいかんともしがたい。これ以上エンジン出力を上げると、車体や台車が持たない可能性があるな…」

 うーんと更に考え、

「小型高出力のエンジンに乗せかえることも出来なくはないが…、しかしなあ、このエンジン独特のサウンドは捨てがたいしのう」

 そう。

 三連符を刻む空気圧縮機と「コロンコロン」「カランカラン」と表現される特徴的な軽みのあるアイドル音、加速時の噴射音やエンジンそのものの激しい唸りなどで、意外にこれを好むファンが多いのも事実だ。

「しかし、何故また急に?」

「例の『計画書』での理想的な項目です」

「なになに…。『新型車による所要時間の短縮化、高性能車両によるJTR路線への相互直通乗り入れ実施、構造的コスト削減による利益確保…。』確かに理想だわな」

 徳那賀はこめかみをこつこつ叩き、

「じゃがこれは、資金運用がある程度可能になっての話だと思うぞ?」


「…って、言われてきました」

「まあ、そうでしょうね」

 駅員事務室で、落ち込み気味のハガネの話を麗夏は苦笑しつつ聞く。

「いきなりステップアップは無理でしょう。これをやるには、鉄道事業自体の先見性が確保できるなり、自治体なり民間金融機関なりの出資が可能になるかの前提が必要です」

 麗夏はメガネを外してハガネを見上げながら、

「時にハガネさん。今の新型車両一台、いくら位か知っていますか?」

「え? ええと…」

 虚を取られ、考えてしまうハガネ。麗夏は諭すように、

「大雑把ですが、一台で約1億です。しかも、列車は一両ではないですよね?」

「そ、そんなにするんですか!?」

「ですから、大体の中小鉄道は車両を長年使ってコスト回収したり、大手私鉄から中古車を買ったりするわけですよね?」

 椅子を回しハガネに向かい、綺麗な足を組む麗夏は、

「そのすり合わせは私やなるせさん、らえるさんがやっていますから推移を見守ってください。それより…」


 その日の夜、徳那賀駅前の集会所に、幾人かがはせ参じた。

「風力発電?」

 説明役である麗夏、進行役のハガネ、技術関係者としてなるせ、徳那賀、かのんがいる。

「より正確には、地元インフラを使って発電事業をやる、という感じらしいんですが」

 説明を麗夏が引き継ぎ、

「『計画書』には、地元インフラの整備策を関連事業としてやるようなことを推し進めていまして、その一つが、電力事業なのだそうです」

 全員、聞き入るようだ。

「これは元々、JTRから繋がっている饋電線に端を発しています。これでJTRは従来どおりに電車の乗り入れが可能になっているわけですし」

「そして、こちら側は車両更新に当たって電車を選択するときにはJTRへの施設使用料が発生するかということになるわけで……、てか、なるちゃんとかのんちゃん。一心不乱にポップコーンを食べるのやめてくれる? 映画館じゃないんだから(苦笑)」

 困った顔のハガネに言われて、わざとらしい舌打ちもシンクロして食べ止める二人。

「しかし、簡単に言ってはくれるが…」

「そうでもないナリよ。主流の1mwクラスだって電力換算すれば一般家庭約250世帯分の年間電力量に匹敵するし」

「風力発電は、再生可能エネルギーの中で最も採算性が高いものの一つだし。悪くはないんじゃないかなー」

 徳那賀の疑問を、なるせとかのんが肯定的意見で返す。

 麗夏は、書類をめくりながら、ハガネは言葉を選びながら、

「この電力事業を通じ、地元への電力供給や電力会社への販売等への事業化を進め、鉄道自体で賄う電力を生産するのが計画の骨子ですね」

「あくまでもこの想定を元にした数値ですが、標準型の風力発電機を20機設置すると、沿線家庭全世帯の供給はもちろん、新型電車3編成が同時起動しても十分おつりが来ると。この技術的計算は、今お手元に配った資料を見てください」

 三人は資料に目を通しながら、

「適正風量約6m…。12ノットって位、風力4ってとこかの。あの高原なら十分使えるな…」

「建設予定場所って、これは…」

 かのんの疑問、さらになるせが、

「みどりかぜ高原の谷側と山沿いに乱数配置ナリか…。環境活動派の絶好の標的ナリね…」

「じゃが、風力発電は文字通り風任せじゃぞ?」

 麗夏は別の資料を見せ、

「なので、前に自治体の方で出されていた、茜森温泉に地熱発電所の建設計画と合わせてやれないかということで、専門家が調査しています。ですが…」

 言葉を濁し、

「地権者の許可が、得られていないので…」

「というと?」

「あの山の源泉は茜森温泉旅館の私有なんです。ですから」

 全員を見、

「簡単に言うと、小諸巴さんが首を縦に振らないと、この計画は中途半端なままに」 

「なら、ともちゃんに頼めばいいんじゃないナリか?」

「でも、それはそれで問題なんだよ」

 ハガネは、巴に関する事情を話した。

「むう。ともちゃんもハーくんが好きナリかー。なんかモテモテですのう。どこのギャルゲーな主人公だって話ですわな」

「な、なんでそんな話になるの!?」

 笑いながらなるせは言う。ものすごい曲解(でも図星)されて大慌てのハガネ。

「…でもそれは、ちょっと問題ですね」

 麗夏が不安げな表情で、

「この鉄道存続においては、周辺地域住民の意思統一は不可欠です。JTR側もその点は理解しているはずですし、そこに付け入られてしまうと…」

「僕がもう一度話してみます」

「いえ、多分ダメでしょうね」

 麗夏は出来の悪い息子を見るような母親のような目つきで、

「女心はそう簡単ではないのよ。ハガネさんの素直な所は大変すばらしいと思いますけど、それだけでは…」

 ですから、と、言葉を掛けて…


 あくる日。

 茜森温泉駅前の旅館の玄関の三和土をいつも通りに掃き掃除していた巴。

 そこへ、列車がやってきて、何人かが降りてきたのだ。

「あら、こんな時間にお客様かしら…?」

 そこには、クロハ、麗夏、なるせ、らえる、ハセベさんの姿が。

 普段では余りありえない組み合わせだが、それでも知り合いなので、

「いらっしゃい。今日はどうしたのかしら?」

 クロハがおずおずと、

「あの、巴おねーさん。クロハ、お話したいことがあるの」「ばうっ!」

「お話…?」

 クロハをはじめ、みんな深刻な顔(相変わらずのほほーんななるせを除く)。

「…でしたら、庭の方にでも…」

 建物の内側にある、山に隣接している綺麗な庭園。

 そこに縁台があり、外でお茶が飲めるようになっている、結構風流な光景。

「はい、お茶どうぞー」

 全員のお茶を持ってきた巴。屈んでにっこりし、

「ハセベさんはお水でいいかしら」「わん!」

 深皿に入ったお水も一緒に。クロハの傍らで伏せて、お水飲むハセベさん。

「あの…。巴おねーさん」

「はい。なにかしら?」

 クロハは、真っ赤に照れてる顔で巴を見つめ、

「クロハの、お姉さんになってくださいっ!」

 ぶーっとお茶を吹くなるせ、目を丸くする麗夏とらえる。

 なるせは咽て咳き込みながら、

「ストレート過ぎるナリよクーちゃん!」

「だって、だって…」

「マッタク…。ゴメンナサイね。つまりね」

 麗夏は手帳のメモらしきものに目を通し、巴に、

「JTRのリゾート開発計画に賛同してるようですね? みどりかぜ鉄道の廃止を条件にした…、間違いないですね?」

「え? え、ええ…。でもそれは…」

 巴は、ちょっと俯きかげんで、

「前に、JTRの社長さんが来られた後のことかしら。会社の関係者って方が来て、この旅館の保全と経営支援を約束してくださいました。その代わり…」

「…JTRが進める総合リゾート開発事業や、碧風高原鉄道の路線廃止に賛同すること、ですね。確か、そんな動きが経営会議でなされていたはずなのですが」

 ざっ…! と風が流れ、

「ここの旅館は、亡くなった主人の、たった一つ残してくれた肩身のようなものなんです。それを無くすわけには…」

 巴は一息おき、

「会社の人の話だと、裏手にある源泉の使用料も出していただけるそうですし、道路整備も景観や環境に最大限配慮くださると。指定観光旅館の手続き等、様々に…」

「それは、でも、その担保は、信用できるのですか?」

 真っ直ぐな瞳で見つめるらえるが言う。巴は、視線を外し、

「言われました。『みどりかぜ鉄道がそのまま無くなれば、最悪の事態は避けられない』と」

 巴は、麗夏をうっとりした目で見て、

「社長さん…、すばらしい方ですよね。真摯な目で『仕事に一つだけ私情を挟ませてもらいましょう。貴女の大切な思いを残してしてあげる』と…」


「それは違う!」


 麗夏は必死な形相で、巴の肩を掴み、ガクガクゆすりながら、

「それが彼の手口なの! だまされちゃダメ!」

 麗夏の俯いた顔から滴が零れ落ち、声は嗚咽交じりで、

「騙されるのは、私が最後でいい、から…、だから……」

 なるせにそっと身をゆだねられ、ぎゅっと抱きしめられて背中をぽんぽん叩かれる麗夏。

「きゅーん、きゅーん…」

 ハセベさんが、だらりと垂れ下がった麗夏の手を、ペロペロ嘗める。

 それなりに心配してくれているようだ。 

 ぐっと握りこぶしでいきり立った半泣きのクロハは、巴を睨み、

「巴おねーさん、クロハのこと、嫌いになっちゃヤだ!」

「クロハちゃん…」

 クロハは、巴にすがり付いてボロボロ泣きながら、

「クロハ、巴おねーさん、大好きだよ。この旅館も、温泉も、駅も大好き。でも、この鉄道イラナイって、巴おねーさん言ってる。クロハも、クロハもイラナイ子なの?」

「そ、そんなことは…」

 明らかに狼狽している巴。

 その間、目を閉じて静かに聴いていたらえるが、

「巴さん。一つ、聞いていいでしょうか?」

「?」

「巴さん。ご自分に嘘をついているのは、何故なのですか?」

「!?」一瞬、巴の表情が硬くなる。

「話を伺っていると、一つだけ、話のシナプスが繋がっていない気がして…」

 らえるは巴の瞳を真っ直ぐに見ながら、

「茜森温泉旅館を守り抜きたいという巴さんの気持ちは判ります。でもそれは碧風高原鉄道を引き換えにする理由としては、もう一つ何かある、そのような気がしてならないのです…」

「……」

「ひょっとして、誰かの、何かの、あてつけ…ですか?」

「!」ハッとする巴。オドオドして、視線を確保できない。

「巴おねーさん」

 クロハは、収まった嗚咽を少し引きずり、

「それは、お兄ちゃんなんですか…?」

 沈黙する巴。麗夏は真剣な表情で、

「差し出がましいのは承知の上、何があったか聞かせて? 私達で解決できるかは判らないけど…」


 しばらく、過去と現在が交錯する。

 碧風高原鉄道が、かつてJTR長浜境支線、更に国営長浜境支線だった頃にまで遡る。

 それが、今から約20年くらい前。

 当時の国営鉄道は累積債務の返済もままならぬ、組織として末期症状に陥っていたことから、準民間企業としてJTRが発足、まさにそんな混乱期。

 にも関わらず、身延ハガネ、そして小諸巴は、幼馴染としてそれ以上でもそれ以下でもない、仲の良い仲間たちの集まりのそんな中の一組だった。

 そんが今から15年位前の話。


 が、

 JTR長浜境支線が第3セクター鉄道『碧風高原鉄道』として新たに発足し、地域再生の切り札として期待されて、しかもその目処も明るかったまさにそのとき。

 連日続いた豪雨だの、路線整備の未了だの、未だ原因すら特定されていないが、それが元で二羽黒山沿いの崖を走る沿線で、大規模ながけ崩れが発生したのだ。


 走行中の列車がその土石流に巻き込まれ、多数の死傷者が出たという。

 その中には、身延夫妻が含まれていたというのだ。

 ハガネも巴も小学校に入ったばかりで、「人間の死」というものをまだ完全に理解していなかったが、それでもハガネは気丈だった。

 変な落ち込みもせず、泣き崩れることも無く。

 それというのも、生まれたばかりのクロハがいたからだ。

 兄として妹を守らなきゃいけない使命感があったかもしれないし、たった二人だけの残された身内だった気持ちもあったかもしれない。

 そして、地域住民やJTR地元職員、様々な人たちがこの兄妹の面倒を見たことは、とりもなおさず身延夫妻の人徳があったからだろう。

(現にクロハは未だに娘や孫扱いされていたし)

 そして何より、小諸一家がわが子のように面倒見ていたことも、巴とハガネ達が兄妹のように中むつまじくなった原因でもあったろう。

 が、事態は思わぬ方向に。動く。

 巴が高校を卒業する頃(この頃ハガネは定時制にいて、JTRでアルバイトをこなしてもいた)、巴の両親が、流行り病で相次いで他界する。

 そして…

 きゅっと握った手を震わせた巴は、僅かながら涙声を引きずり、

「ハガネ君はどこまでも優しい人で、クロハちゃんのため、おじ様達のため、お世話になっている皆のためにどんどんがんばっちゃうから、ここでわたしが泣きついたら、きっともっと無理しちゃうと思ったの。だから、私だけ甘えちゃいけないんだ、そう思って…」

 卒業式前日、

 きっかけは、些細なことだった。

『これで、やっとひとりで生きていけるんだ』

 そんなハガネの科白。

 高校を出てJTRに正社員としての採用はほぼ確定しているので、これからは自活できる、そのくらいの意味だったのかもしれないし、色々な人にお世話になってしまっている自分の不甲斐なさを切り替える位の気持ちだったかもしれない。

 が、巴は

『じゃあ、私が居なくてもいいってこと!? 今までずっと一緒にいて、これからもずっと一緒に居てほしかったのに!』

 そんな些細な言葉の誤解。

 思わず謝るハガネに、更に

『何で謝るの!? そんなに嫌々いてくれなきゃならないの!?』

 ハガネ君なんか嫌い、ダイキライ!

 そう言って、その場を泣きながら走り出してしまった巴。


 だが…、巴は号泣しながら、

「でも本当はその時引き止めてほしかった! 捕まえてほしかった! 離さないで欲しかった! 『わがまま言うんじゃない』ってハガネ君自身のワガママを私にぶつけて欲しかったのよ! なんで謝るの!? ハガネ君を独り占めしたかった、私の傲慢な想いを理不尽にぶつけたのに…、なんで、なんでそこまで優しいのよ!」

 泣き崩れてしまう。

 その場の誰もが、掛ける声が見つからない。


 …そんな喧嘩のすぐ後だ。

 たまたま慰めてくれた、のが、巴の旦那さんだ。

『あの人は判ってくれた、そんな気がした。親を流行り病で亡くした境遇も似ていて、互いが互いを必要と感じるまで、それほど時間はかからなかった。けれど…』

 その、身内だけで質素に行われた結婚式のとき、

「どこか寂しい笑みで『おめでとう』って言ってくれたハガネ君を見たとき…」

 一息整え、

「この結婚はハガネ君への当てつけなんだ、そして、もっとも大切に思っていてくれた人を、私自身の手で失ってしまったことに気づいたの…」


 風が一瞬吹き抜ける。

「それはあの人も判っていたのかもしれない。子供でもいればまだ心の整理もついたかも知れないけど、でもあの人は決して体の関係を求めることはしなかったわ。それがいいことなのか悪いことなのかは今も良くわからないケド…」

 巴は、庭園の竹林を見上げ、

「あの人が、源泉の点検工事のとき、不慮の事故でいなくなった時、もう私には、あの人と一緒に住んでいたこの旅館しか、私には思う場所がなくなっていた…。わずか2年の結婚生活、だけど、心の隙間を埋めるには十分すぎる時間だったわ…」

 雰囲気に呑まれ、えぐえぐ泣いちゃうクロハ、気持ちに共感してしまった麗夏も、うっすら滲んだ瞳をハンカチで拭う。

 なるせですら、どう返していいか判らない様で、表情が硬い。

 が、今まで静かに聴いていたらえるが、すっと巴を見て、

「巴さん」

 らえるは、静かに、

「ハガネさんは、巴さんを赦しています。いいえ、赦す赦さないではなく、そうまで追い詰めてしまった自分自身を責め、それでも最後には依る、大切な存在の人だということは、変わらないと思いますの」

 優しく笑み、

「ほんのボタンの掛け違いがあったかもしれないけど、一緒にいた絆を断ち切っていないのは、ハガネさんも同じではないでしょうか?」

 らえるはクロハを優しく撫でながら、

「ハガネさんはクロハちゃんを大切にしているそれと同じくらい、巴さんに一緒に過ごして欲しいというワガママを、クロハちゃんを通して無意識に醸し出しているのは、傍から見ていて良くわかりますもの」

「…あ、それは何となく判るナリよー」

 なるせが記憶を回想しつつ、

「お昼ご飯とかお願いする時って、ともちゃんへのリクエスト率、圧倒的だモノね」

 麗夏は、巴を抱きしめ、

「一度、ハガネさんとじっくり話し合いなさい。互いの想いをぶつけ合うのもワガママよ」

「…はい」

「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいいわ。特に恋愛はね」


 そして、駅ホームで列車待ちの皆。

 巴は、とりあえず気持ちを整理したいと、旅館に引きこもったので、見送りはナシ。 

「そういえば」

 クロハが不思議な顔をして、

「いつも妙な大活躍するはずの、なるおねーちゃんが、今日は静かだった気がした…」

「え? ああ。それはね」

 なるせはてへっと笑い、

「アタシ、恋愛とか、その手の話題、からっきし駄目ナリよー」

 ずっこける皆。

「じゃあ、何しに来たのよアナタわっ!」

「うにー。いざとなったら、催眠術で洗脳しようかな、なんて…」

 何かを隠した。

「ばうばう!」

 ハセベさんが発見! 更にクロハが確認、

「あ! なるおねーちゃんが怪しいトンカチ隠し持ってる!」

「一体ホントに何をする気だったのよ!」

 とことん、お約束なコですな。町田なるせという娘は…(苦笑) 


 その日の夜。

 ハガネは、床の間に正座させられていた。

 目の前には、クロハ、なるせ、麗夏がいる。

 なにこの怒られている子供の構図。

「…と、いうことよ」

 麗夏が、巴から聞いた一部始終を話した。

「鉄道廃止賛成派だとか、そう言った事はちょっと差し置いて、私は一人の女性として、この小諸巴さんというハガネさんの幼馴染を、放ってはおけなかったのよ」

「そうですか…」深刻な表情。

「とにかく、考えさせてください」


 翌日、黒川駅下りホームで列車交換待ちのため、運転席で待機中のハガネ。

 昨日言われたことを考えていたようだ。

 と、

 上りホームの方で、なんか人が居る。

 それに気づいたハガネは視線を移す。

 そこに居たのは顔を真っ赤にしている綾。

 一緒に居るのは、同じ学校の男子生徒のようだ。

 何かを話しているらしい男子生徒の顔をまともに見てないで、俯きかげんだ。

 男子生徒が何かを渡した。

 それを受け取らず、頭を下げる綾。

 と、そのあたりまで見たとき、交換列車がやってきて、視界が塞がれた。

「うーん、きっと、委員会だか生徒会で忙しいのカナ? 放課後まであんな感じで…」

 あのー、

 普通なら、告白されて困っている綾がゴメンナサイしている光景だと思うぞ?(苦笑)


 その日の夜、

 食後で寛いでいた時、ハガネは何気に駅で見ていた光景を話した。

 だけど、なるせは困った笑みで、

「それは、告白されて困っている綾ちゃんがゴメンナサイしている光景だと思うナリが…」

「そ、そうなの!?」

 今更!?

 ハガネは顔を赤くしながら、

「クロハ?」

「何?おにーちゃん」

「ひょっとして、綾ちゃんが僕のことを、その、す、好きだったって事、知ってたわけ?」

「ええぇ! お兄ちゃん今更!?」

「だ、だって…、この前なるちゃんに言われるまで知らなかったんだよ!」

「ハーくん…。だからそれは、男子としてはダメダメナリー」

「そーゆーイイカゲンだから、お兄ちゃんはスットコドッコイなんだよ!」

「そうですよ。ここは、きちんとけじめをつけてあげないと、何より綾さんも巴さんも可哀想です。ハガネさんの優しさは、時として罪ですよ?」

 女性陣から総攻撃されるハガネなのだ。


 そして、翌日。

「大事な話がある」として巴に呼び出された、休日のハガネ。

 旅館の周辺を散策しながら、巴は、先日話したことを、遜色なく(かなり言葉に詰まりながら)語り、

「家族みたいな関係で幸せなら、それでもいいと思ったの。今もそうだし…。でも、それじゃだめなんだとも思って、心の中がグチャグチャになっちゃっていったの…」

 立ち止まり、ふと、空を見上げ、

「ハガネ君はどこまでも優しい人だから、私がワガママ言ったらきっと…。だからわたしもハガネ君離れしなきゃなって」

「そんなことない!」

 ハガネの強い声に、巴の動きが止まる。

「ずっと一緒に居てくれて、僕は小諸さんが、居てくれたから…だから…」

 瞬間、ハガネは巴を思い切り抱きしめ、

「遅くなってゴメン! もう、離さないから! 巴!!」

 ハッとなった巴、瞳を潤ませ、

「やっと、やっと名前で呼んでくれた…」

 ハガネの胸元へ顔を寄せ、

「ずっと苗字で呼ばれてて、ああ、ハガネ君は最後の心の壁は越えてくれないんだ、ってずっと思ってた。とても不安だったから、だから諦めようと思ってた…。でも、でも…」

 抱きしめる力をこめ、

「巴! 巴!! ずっと一緒に居たい! 僕のものになってほしい! 僕と一緒に生きて欲しい! ワガママだって判ってる、でもでも、もう僕は…」

 言葉に詰まり、背けた顔から光るものが零れた。

 沈黙する二人。

 風だけが抜けていく。


 やがて、


「…すれ違いの5年間、家族だった10年間、これから一緒に変えていこう」

「…はい。陳腐だけど、あなたと一緒なら」


 そうして、ハガネの頬を軽く押さえた巴は、背伸びをして、ハガネの唇を自ら重ねた。

 巴の突然の行動に、思わず目を丸くするハガネ。

 しばらく、清々しい風が見守る中。

 やがて、素に戻った二人、

 だが、

「といっても、何も突然変わるわけじゃなかったわね(苦笑)」

「あの…、物凄い恥ずかしいんだけど…」

 マイペースの二人は、改めて出発することになる。


 で、ある以上、もう一方のけじめをつけなきゃならない。

 そう考えるハガネはやっぱり律儀で真面目なんだわ、と。


 数日後。

 黒川駅のホームで、学校帰りの綾を見かけた。

「綾ちゃん!」

「クロハ。どうしましたの?」

 クロハは言葉に詰まらせながら、

「あの、あのね、お兄ちゃんがね」

「ハガネ様が…?」

 綾は、ハガネが呼んでいるといわれて、思わずびっくりする。逆はあってもだけど。

 黒川の川原、鉄橋下で待っていたハガネに、

「ハガネ様ー」

 小走りで来た綾。てか、橋梁の影で見ているクロハとなるせは一体何故(笑)

 綾は軽く息を切らせながら、

「お、お呼びだそうで。遅くなって申し訳ありませんでしたわ」

 ハガネは心ここにあらずといった感じで、川の方を見て動かない。

「あの、ハガネ様?」

 やっと気づいたハガネ、が、努めて笑っているのだろう、寂しい笑みだ。

「あ、ああ。ゴメンね。急に呼び出したりして」

 まだ真意の読めない綾は、きょとんとしっぱなしなのだが、

「ええと、その…。聞いたんだけど、綾ちゃんが僕のことを、好きだったって、ホント?」

「!」

 目を丸くして驚く綾。

 が、思わずデレデレとし、

「も、もう~。あのおバカ妹はお節介なのですわ。ちゃんと自分の口で言えますのに~」

 が、ハガネは表情を硬くし、

「綾ちゃん。大切な話があります…」

 ハガネの真摯な瞳。

 夕陽の逆光に照らされて向かい合う二人。が、顔は見合っていないままだ。

 ハガネは、巴との事を言ったのだろう。


 綾の目が撥ねる感じ。


 しばしの沈黙。

「…そ、そうですか。巴さんが、そのー…」

「ゴメン! 僕は…」

「それ以上言わないでくださいまし!」

 とんと軽く突き飛ばず綾。

「そう。わたし、気づきましたの。気づいてしまいましたの」

 堰を切ったように喋りだす綾はそれでも言葉を弾ませ、

「ハガネ様の事、大好きです。でも、それはひょっとしたら、クロハと同じくお兄様として好きなんだって」

 綾は、にっこり笑い、

「それに、巴さんとならやっぱりお似合いですわ。まさに世間もうらやむカップルですわ」

 その笑みなのに、涙が零れる。

「あ、あれ、何で、なんで?」

 顔を背けて、涙を拭いながら、

「おかしいですわおかしいですわ。嬉しいのに、嬉しくなきゃいけないのに、なんで、なんで涙が止まらないんですの…っ!? 止まりなさいっ! わたしの涙っ!」

 笑んだままの涙が止まらず、ついに泣き声が混じり、

「ハガネ様はわたしのお兄様で、ハガネ様が幸せになるなら、それはわたしの幸せなのに、なのに」

 泣きじゃくる綾を、ハガネはぎゅっと抱きしめて、

「ゴメン。もうちょっと早かったら、もしかしたら綾ちゃんの気持ちに答えられたかもしれない。でも、巴と一緒に居たいのは、僕の、ワガママだから…」

 顔を伏せたまま、綾はハガネからゆっくり身を引き離す。

 後ろを向いたまま、

「わたし、気づいてましたわ。ハガネ様が巴さんを大切に思っているんだ、だから親しい馴れ合いが出来たのだろうって」

 もう泣いていない綾は、笑顔で、

「それでもわたしは、ハガネ様をお兄様としてお慕い申し上げますわ。お二人の仲を、応援いたします!」

 ぺこっと頭を下げ、

「もうこんな時間! では、失礼いたしますわ」

 走り去る綾。ハガネは追うことなく、ただ頭を下げるのみ…

 が、

 橋梁に隠れて見ていた二人に気付く様子もなく、そのまま橋脚に当て身をするように寄りかかり、

「うう、うう…、泣いちゃだめ、泣いちゃだめですわ。わたしは笑って…」

「綾ちゃん…」

 クロハはそっと近づき、肩を抱こうとしたのだが、


「触らないで!」


「!」

 びくっとなったクロハ、一瞬動きが止まる。

「ご、ゴメ…、もうちょっと待って…、大丈夫、大丈夫ですわ」

 力なくそれでも必死に踏ん張って壁に向けて俯き、肩を震わせている。

「やっぱりだめ!」

 ばっと振り向いたかと思うと、クロハに寄りかかり、

「う、うわあああああああん!」

 思いっきり泣き出してしまった綾。

 その声は、夕陽の川に響いていく…


 夕陽がまもなく沈むころ。

 ひとしきり泣いて、落ち着いたのだろう。

 綾、クロハ、なるせは、川の土手沿いを駅方面に向かって歩いていた。

「落ち着いたナリか? 綾ちん」

「え、ええ。ゴメンナサイ。取り乱してしまって…」

 なるせは笑いながら、まだ落ち込んでいる綾の肩をパンパン叩き、

「大丈夫大丈夫。15年越しの片思いが、目の前で打ち砕かれた人だっているんだし」

 それを聞いたクロハ、なるせのなぜか自信満々な顔を見て、

「それって…」

「だから、面接のときに言ったじゃない。『ハーくんのお嫁さんになりに来た』って」

「ええ! あれ、ホントだったの!?」

 目を丸くして驚くクロハ。

「そうナリよー。しかも恋敵本人の目前で恋愛成就を見てなきゃだったよねー」

 なるせはうーんと、腕を組み、苦笑しながら、

「そう考えると、皆の心を奪ってるハーくんて大悪人だよねー。ルパン三世もびっくりだ」

 思わず笑う綾。

「やっと元気になってくれた、かな?」

 綾の顔を覗き込むなるせ。

 綾は弱い笑みで、

「まだ気持ちの整理は…でも…」

 すんと泣き鼻をすすり、

「ハガネ様の幸せはわたしの幸せですもの。だから、多分…」

「そっか。ちょっと安心。でも、クロハはこの結果で、良かったかも」

「な、なんで?」

「だって、クロハ、綾ちゃんをおねーさんだなんて、呼びたくないっ!」

「なんですってえ!」 

 どどおっと怒りの、でも何か嬉しそうな綾なのだった。


 翌朝。

 カーテンが閉まって薄暗い綾の部屋。

 目覚まし時計が鳴る。

 すぐに手が伸びて目覚ましが止まったかと思うと、ばっと起き出し、カーテンと窓を一気に引いて開く!

 綾は、ガッツポーズで自信に満ちた笑みで

「よっしゃあ! 一之宮綾、完全復活ですわ!」

 その証拠に、

 通勤時間帯で混み合う列車が、黒川駅へ滑り込んできた。

 が、このときになんかタイミングがずれたらしく、停車位置を大分外して停車。

『こぉらお兄ちゃん! なにへちょいコトしてンのよ!』

 アナウンスマイクで怒鳴るクロハの声が車内中に響きわたる。

 案の定、正規位置に停車後、最後尾から運転席に向かって走ってきたプリプリ怒りまくっているクロハが、ハガネに食って掛かろうとしたまさにその時、

 どん!

「うきゃん!」

 誰かに寸前で突き飛ばされる。

「イタタ…あ! 綾ちゃん!」

 そこには、ハガネの腕を取って寄り添っている綾が!

 綾はハガネを見上げ、

「ドンマイですわお兄様。あの程度、おバカ妹一人以外、誰も非難する者はいませんわ」

「ぶー。なにするんだよォいきなり! 大体お兄様って何!?」

 綾は自信満々の笑みで、

「わたし、昨日のことで判ったんですの。ハガネ様は、わたしにとってお兄様のような憧れの存在だと、それを恋愛だと思い込んでしまっていたのですわ」

 クロハは反撃で腕をぐるぐる回すが、手を伸ばす綾のリーチのほうが長いようで、一向に届かない。綾はそのまま若干陶酔モードに入り、

「つまり、ハガネ様にとってわたしは妹の様な存在。となれば」

 綾はドン! と反撃に出たクロハを突き飛ばして、ハガネの腕を更にしっかり抱き、

「このおバカ妹のオンリーポジションを狙う事も出来るわけですわ! ね。お兄様☆」

「ええええ!?」

 クロハはジタバタしながら綾の腕を取ってハガネから引き離そうとし、

「だめえ! お兄ちゃんはクロハのものなの!」

「もの扱いかい…」

 呆れるハガネに対し、にゃーにゃー騒ぐ二人。

 ペロッと舌を出して笑う、綾なのだった。

 こうして、わだかまりが一つ一つ解決していったわけで。


 そんなあくる日のこと。


 夏も盛りのある日。

かつての新生当時を思わせる、旅客で大分賑わう駅ホームも鮮やかに見える中、

「ふう…」

 大きくため息をつくクロハ。

 黒川駅で列車を降りようとした綾が、そんなクロハを見かけたのはまさにそんな時。

「どうしましたの?」

「あ、綾ちゃん…」

 そんなクロハ、頬を赤らめて綾を見つめちゃうのだ。

「な、なんですの…、そ、そんな恋する乙女のような…」

 ふうっと垂れかかり、綾の胸元に身を寄せてしまう。

「きゃあっ! そんなイキナリなんて事をっ! わたし達女の子同士ですのよ!!」

 クロハの突然の行動に思わずドギマギする綾だが、

「で、でも、クロハがどうしてもと言うのなら…」

 なんか、別の意味で覚悟を決めてる綾の性癖はともかく(苦笑)

 そんなドキドキの綾が、クロハの顔を見た途端、クロハはその場に倒れこんでしまった。

「クロハ…?」

 顔面蒼白になり、大きな悲鳴を上げる綾。

 そして…


「クロハちゃんが風邪を?」

「そうなんですよ。今年の猛暑で体調を崩したみたいで」

 三峰峠駅のホームで、ハガネのそんな話を聞いた石勝。

「ああ見えて、小さいころは身体が弱かったんですよ」

 今はどう見ても健康優良児だが(笑)

 ともあれ、云々カンヌンとかとか、色々な説明などをハガネから受け、

「そうか…。うん。後で時間があったらお見舞いにでも行ってみよう」

「ありがとうございます。クロハも喜びます。何しろ石勝さんになついてますから」

 動物?(苦笑)


 みどりかぜ高原駅に隣接してる身延家母屋。

 自室ではなく、庭に面している和室に敷かれた布団で寝ているクロハがいる。

 高原なので、湿度はそれほど高くはないので、冷房をかけるよりは日陰である室内で風通しを良くした方が良かろうということらしいのだが。

 クロハの枕元で、制服姿も新鮮な麗夏が体温計を見ながら、

「うーん、まだ大分熱があるみたいね」

「うー」

 今にも泣きそうな、情けない顔のクロハ。麗夏は軽く頭を撫でながら、

「とにかく少しゆっくりしてなさい。まずは風邪を治さないとね」

「うー、わかたようー…」

 薬が効いてきたのか、うつらうつら眠りに耽ていく。

「きゅーん、きゅーん…」

 尻尾をパタパタ振るハセベさんも、ジーっと心配そうに見ているのだった。


 夕方近くなってきて。

「たっだいまーナリー」

 なるせが帰ってきた。

「クーちゃん具合はどうナリかー?」

「なるおねーちゃん。うん。大分楽になった感じ」

「それは良かったナリ」

 頭をくしゃくしゃに撫でられて、

「うにゃにゃっ!」

 ちょっとビックリするクロハ。

「でも、クロハちょっと安心したよっ」

 クロハ、にっこり笑い、

「ちゃんと風邪引いたから、クロハはもうバカじゃないんだからねっ」

 なんか、胸張って威張ってるし(笑)

 なるせは困った笑みを浮かべ、

「えと、昔から『夏風邪はバカしかひかない』って言われてるナリが…」

「え!?」

 クロハの代わりに車掌乗務から戻ってきた麗夏が、どうやら話を聞いていたのか、

「確か、昔の夏風邪の原因はお腹の冷えにあったからじゃないかしら」

「そ、それって…」

「エアコンのない時代、あまりの暑さに体に何も掛けずにお腹を出して寝てしまったり、冷たい物を飲み過ぎたりした結果、体を冷やして風邪をひくことになったという訳よ」

 想像してみてください。

 掛け布団を蹴っ飛ばして、パジャマが乱れまくっておなか丸出しで爆睡するクロハを。

 ダルダルの雰囲気のまま、乗務で疲れてる兄に冷たいジュースをねだって氷入りの冷たい飲み物を至極の笑みで飲み干すクロハを(本編参照)。

「そういうふうに考えなしに行動してしまう人が風邪をひくので、バカしかひかないと言われるようになったんじゃないかしら?」

 そう言い、怪訝な表情で見つめる麗夏、苦笑で二の句の告げようがない表情のなるせ。

 呆然となったクロハは、どどおっと号泣しながら、

「クっ、クロハばかじゃないもおおぉん!」

 夕景に響くクロハの絶叫。


 そして、もう夏が終わって季節が秋に変わる、そんなあくる日の午後、 

 麗夏が電話を受け、乗務から戻って休憩に来たハガネに。 

「はい?」

『ハガネ君か!』

「石勝さん! どうしたんですか!?」

 電話口からは堰を切ったように弾む石勝の声。

『今、県議会の本会議場にいるんだが、今しがた【みどりかぜ鉄道関連法案】が賛成多数で可決されたよ!』

「本当ですか!」

 明るい顔のハガネに、喜ぶみんな。


 そう。

『特定準公営企業の経営改革促進と周辺地域総合開発に関する4条例』。

 通称、【みどりかぜ鉄道関連法案】。

 内容は大きく分けて、みどりかぜ鉄道が関わる前提で、

 1.半官半民の電力事業会社を設立すること

 2.現状の環境保護に最大限の配慮をした開発を促進させること

 3.成長性が期待できる特定企業への資金投資および金融機関への特別信用保証の実施

 4.碧風高原鉄道の民営化に向けた経営再生に最大限の協力をすること

 というもの。


 細則としては、

 まず、大規模な風力発電機を建設し、碧風高原の観光スポットの目玉として、活躍してもらうこと。

 風力発電だけでは電力生産に安定性が乏しいので、茜森温泉の源泉を活用した地熱発電所も建設する。

 この二種類の発電システムによる電力事業『のほほん電力公社』(仮)を設立し、みどりかぜ鉄道及び沿線地域への電力供給事業を行う。

 その事業収入及び売電(JTR及び電力会社)による財政安定化を図る。

 そして、資金に余裕が出来たら車両更新や沿線整備、保守管理を充実させていき、最終的には独立採算で関連公営企業の民営化を図っていく、というような中身。

 JTR側との協力関係は表向き残しつつ、リゾート開発に距離をおきたい、そんな思いが最大限に生かされた中身だ。


 麗夏やらえるが全知や経験やらを活用しまくった法律素案作成、南北新聞辺境支社や本社を巻き込んでの情報発信、めぐみやほむらの議員陳情だの各関連組織への渉外活動や脱法的(ほむらの「呪文」使用)行為による請願組織強化、徳那賀やかのんの技術研究(最大4MW風車と対流型地熱発電により、8円/kwhを実現し、コスト的に電気料金の3割引販売を実現予定)、綾や巴なんかの署名嘆願書作成活動、、、

 そしてなにより、クロハやハガネの廃止反対のお願いが、地域住民を動かした。

(勿論、安藤や綾がやっているネット情報も多大なる貢献をしている)

 かくして、

 今までと違い、各新聞(特に経済紙)は従来とは異なった路線での報道が目立った。

 環境共生を生かした地方活性化策としてかなり好意的な注目をしているし、ゴシップや週刊誌はクロハやなるせをその容貌で取り上げ、ネット社会以外での認知度も高まっていった。

 の、だが、


「アナタを信用していた私が愚かだったわ!」


「お待ちくださいというのに!」

 JTR本社ビル最上階、名誉会長室。

 シルクの卒倒せんばかりの怒号と、逆切れに等しい声をあげてキハ社長の反論。

「何か!?」

 社長はニンマリ笑いながら、

「それもこれも、想定内だからデース」

「何故!」

 社長は、笑いながらも、冷徹な笑みを浮かべ、

「考えても見てください。ある程度軌道に乗せれば併合後も楽ですし、ここで取り返しのつかない事態になれば、今の関係者ではダメだとなってお払い箱にする理由にもなります」

「…それで?」

 ジト目で見るシルク。社長は無表情になり、

「今から10数年前、あの沿線で大規模な土砂災害があり、身延夫妻が不慮の事故死を遂げたわけですが、はっきり言いましょう。あれは人為的な結果です」

「なん…だと…?」

 余りにも意外な言葉に、虚を取られるシルク。社長は刻々と位置関係を変えつつ、

「詳細は省きますが、その結果、あの鉄道は再建計画に頓挫し、JTRへの傾倒が増した、ということですよ。

もし、今回も同じようなことに、巨額の投資が認められた矢先にそんなことに陥れば自治体側は本来の予定通りに手を引き、我が方で好き勝手出来るでしょう」

 シルクの握りこぶしが震え、

「…アナタ、自分が何を言っているのか判っているの!?」

 怒りの目で睨むシルクは、

「任せるとは言ったわ! でも、やっていいことと悪いことがあるで…」

 ギラリと目が光った社長、シルクの口元を力任せに手で掴む。

「!」

「いきなり腰砕けになるなよ、小娘!」

 その迫力のショックで反撃も逃げることも出来ないまま、

「目的が達せられれば、どんな手段でも合法化されるんだ!」

 社長は冷たいイヤミったらしい笑みで睨む顔を近づけながら、

「些細な障害を排除できて、理想的な形でソレイユ財閥にJTRを身売りできる、まさにシルク様がノタマワレタ通りの展開ですよ。いや、お父上からの要請、かな?」

 怯えが目に表れているシルク。

 それを見て更に嫌らしい笑みを口元に浮かべ、

「ソレイユ財閥令嬢などと言っても所詮は世間知らずの小娘、大人たちの手のひらの上で支配者ごっこをやれて悦にいっているのでしょうが、所詮は操り人形でしかない」

 力任せに抑えられているがそれでもフルフルと首を横に振る涙が滲むシルク。

 ともあれ、と、社長は目を見開いて睨み、

「関係者の命とともに、碧風高原鉄道を完全操作出来るようにしますよ。シルク様」

 渾身の力を込めて、掴まれていた手を引き離したシルクは社長を突き飛ばし、

「離れなさい汚らわしい!」

 己の身を抱えて震えるシルク、社長は視線を合わせもせず、

「まあ、仕上げをごろうじろというやつですよ。楽しみにお待ちください」

 高笑いをしながら社長は名誉会長室を後にした。

 室内で一人になったシルク、その場にへたり込み、静かに嗚咽、

「このままでは、流石に…。もし最悪の事態に陥ったら、私の責任だ。なんとか、なんとかしなくては…」

 シルク・D・ソレイユ十七歳、自分が置かれていた世界の闇に触れ、心の奥に今まで無い炎が灯った。

                                   (続く)                           

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