(中)
一方。首都、東京。
大ターミナル駅に隣接している、JTR本社ビル。
最上階近いところにある社長室。
キハ社長が、立っている。
より正確には、ソファに座っている人物を前に立たされているという感じ。
トラディショナルなファッションに身を包んだ、金髪の美少女である。
出された紅茶に軽く口を付ける。
そう。
先日、ニセ巴に変装して、深夜のみどりかぜ高原駅を混乱に陥れた娘、シルク・D・ソレイユだ。
その娘を前に、社長はしどろもどろになりながら
「し、しかし…、マスコミ対策はすでに打ってありますし、自治体にも手を回しています。ソレイユ財閥のご令嬢であるシルク様が自ら動かなくても…」
「だからアナタは詰めが甘いと言っているのよ」
シルクは紅茶カップをテーブルにカチャリと置き、
「ソレイユ財閥は全欧、全米を中心に網を張る巨大コングロマリット。なかでも物流や人的移動の要である鉄道輸送は極めて重要な事業の一つ。それは、判っているわね」
「もちろんですとも!」
社長は大仰に手を広げるポーズをとり、
「旧国営鉄道を民営化し、いずれはソレイユ財閥の傘下に収められるべく、財務体質を改善し、合理化を進め、赤字路線の統廃合や新規需要路線の開拓など、寝る間も惜しんで…」
「判りきったことは聞かないわ!」
シルクに睨まれ、迫力に負ける社長。
「重要な事業だからこそ、人に任せるだけでなく、自らも把握する。すべての基本だわ」
シルクは、一息つき、
「…あの鉄道の最大の問題点は、何だと思っている?」
「構造的な赤字体質ですな。鉱山の閉鎖で過疎化が進んで旅客事業がままならず…」
「それはあくまでも一面」
綺麗な足を組み、
「あの鉄道は、極端に地元住民たちに私物化されていると言うことよ。だから、公共輸送機関としては、極めてごく一部でしか活用できていない」
シルクは社長をジト目で見上げながら、
「廃止するのは簡単。だが、それは無能者のやる事よ。この国の基幹鉄道網を掌握させるために雇ったアナタを無能呼ばわりはしたくないわよ?」
「……」
「そこで、よ」
シルクは書類の束を取り出して机に軽く投げる。
「読ませてもらったわ。悪くない案ね」
初めてシルクは軽く笑み、
「地域の一括リゾート開発と、鉄道路線を基礎に使った高規格有料道路の建設計画。既存の高速道路に接続し、更に新規連絡道路をターミナル駅付近に設置して高速観光バスを運行、道路使用料とリゾート事業での利益確保をめざす、か」
「既に、地元自治体、関連団体、行政には根回しが進んでおります」
社長もニヤリと笑う。
「将来的には高性能DMVを導入し、鉄・道一環輸送のパイオニアとして世界からも注目されるでしょう」
「…判ったわ。暫く任せます」
「ありがとうございます。大船に乗ったつもりで御覧いただきたい」
「大船に乗ったつもりが磯子行きだったなんてオチはない様に願いたいものだわ」
そして、
今まで無人だった名誉会長室に、シルク・D・ソレイユの名前が掛かり、みどりかぜ鉄道と周辺地域の大改造(乗っ取り)計画は、本格的に動くことになる――
一方ほぼ同じ時間。
堅苦しい格好は苦手だと称する石勝は、ネクタイこそしていないが一応はジャケットを羽織り、東京一の繁華街近くにいた。
訪れたのは、その繁華街近くにある南北新聞社。
全国でもトップクラスの発行部数を誇る全国紙の本社である。
折りしも、校了前と言うことで編集局は戦場もかくやといわんばかりの騒ぎに包まれていた。
「ああ! 判ってる! とにかく一面あけて待ってるんだっての、早くまとめてこい!」
窓際のひときわ大きいデスクで電話片手に怒鳴っている人物の前に、
「相変わらず忙しそうだな。伊勢崎」
「ああ!?」
不意に名前を呼ばれて顔を上げる、
「それとも、編集総局長とお呼びしたほうがいいかな?」
「…石勝!? 石勝チトセじゃないか! 懐かしいな! いや、こんな時分にどうした!?」
ビシタープレートを胸元に付けている石勝を見、思わず感嘆しているニヒルな笑みが似合っちゃっているのは、南北新聞社編集総局長、伊勢崎桐生だ。
いわば、全国有数の南北新聞の発行権に関する、実質的な最高責任者ということになる。
「ちょっと相談があってな。が…、校了前か。忙しそうだし、また今度…」
「何を言ってるんだ! 今の新聞は各局デスクがそつなくまとめてれば問題ない。それより、久しい『戦友』との再会のほうがはるかに重要だぜ!」
伊勢崎は椅子に引っ掛けていた背広を取り、
「ちょっと緊急取材に出る! なんかあったら携帯に連絡くれ!」
伊勢崎は石勝の肩をがっと掴み、その迫力にやや圧倒される石勝とともに、部屋を後にする…。
そして、
二人を乗せたハイヤーが、昭和通りから晴海通りへ入るところだ。
「で、いきなりやってきて相談とは? あ、前に借りた金ならまだ返せん。ウチも住宅ローンが厳しくてな」
「あ、それもあったな。すっかり忘れてたな(苦笑)」
墓穴を掘る伊勢崎、かーっ! と叫んで頭を掻く。
結構いい間柄だったと言う感じを髣髴とさせるのだ。
「簡単に言おう」
おちゃらけてた石勝、一瞬マジな顔つきになり、
「…大東京日報とJTRにケンカ売りたいンで、力を貸してほしい」
一瞬、言葉を失った伊勢崎。頬に一筋の汗が。それでも平静を装い、
「…喧嘩とは穏やかじゃないな。もちろん、理由は聞かせてくれるんだろうな?」
「当たり前だろ。俺のこの案に勝算があるかどうかもだ」
伊勢崎は運転手になにやら指示する。
ハイヤーはそのまま、霞ヶ関から首都高速に入り、海を目指す…
そして。
二人は、お台場にいた。
海の科学館が目の前にある、昨今、某人気ロボットが見えていた事で有名なロケーションで最近人気のレストランだ。
そこの個室を取り、まずはビールで喉を潤しつつ、石勝は苦笑しながら、
「相変わらず飲み食いに凝ってるみたいだな」
「さすがに昔と違って取材費で落としきれんが、まあそこそこな」
苦笑する伊勢崎。途端にまじめな顔になり、
「とりあえず、さっきの説明を聞こうか? 誇張なしでな」
「ああ、実は…」
石勝は今までのことをかいつまんで話した。
曰く、
フリーライターで鉄道雑誌の取材を引き受けていること、
碧風高原鉄道の存在を知ったこと、
JTRがリゾート法の名の下に大規模開発を狙っていること、
鉄道廃止が地域住民の本意であるかわからないこと、
大東京日報が管制報道に一役買っていること、
そこにかつての後輩だった吉祥寺美多佳がいること、
鉄道むすめや旅館の娘や神社の娘や謎の姉妹の長女がパネェ可愛いこと、
「最後のは余計だぞ」
伊勢崎にツッこまれる。頭で腕を組み、背をそらしながら、
「まあ、内容は大体わかった。して、その心は?」
石勝は紹興酒をあおり、
「生活の根幹は地元に住む人間が決めることだと思う。そのための適切な情報、適切な管理、適切な資源配分を行うのが『こちら側』の役割だと思うからだ」
「だが、難しいぞ?」
伊勢崎は睨みつけるように、
「大東京日報とのガチバトルはまだいい。公称発行部数は向こうが上だが、押し紙廃棄率はこっちは2パーセント以下、向こうは多いときには5割を超えるからな。世論認知度は互角かそれ以上だし」
かなりキワドイ話をしたが、それも気にせず、
「【目的のひとつは事案の真相を明らかにすることにあり】か。それと【事象の背景を掘り下げ、社会の不安を解消したり危険情報を共有して再発防止策を探ったりすることと併せ、捜査当局や各々の手続きをチェックするという使命】が、報道の原則だったっけな」
苦笑した伊勢崎は頭を掻きながら、
「参ったねどーも、現場を離れた奴に原則を唱えられるとは…」
「悪かったな(苦笑)」
唸る石勝。伊勢崎はすっと右手を差し出し、
「まあ、やれるだけのことはやってやる。理想論は、嫌いじゃないからな」
がっちり握手する二人。
「まあ、詳しいことは明日話し合おう。こっちも色々お膳立てしとく」
という言質をもらい、石勝はゆりかもめに乗っていた。
(タクシーチケットをくれると伊勢崎は言ったがそれは辞退したようだ)
夜とはいえ、かなり混雑している。
会社帰りのサラリーマンがいる、観光に来ただろうカップルや家族連れ、例の巨大ロボット像を見に来たヲタク達等、多種多様だ。
様々な考えや生き方をした人たちが一つの列車に詰まっている。
そんな社会的基盤を持つ、数少ないインフラなのだ。鉄道というものは。
石勝本人は、特に鉄道マニアというわけではない。
が、その重要さは十分に理解しているし、だからこそ、みどりかぜ高原鉄道に関わっていこうと思っているのだ。
こうして、身延兄妹が表の計画を始めたとすれば、裏の計画を石勝が始めたのだ。
その翌日。
クロハが相変わらず駅やホーム、列車の掃除に勤しんでいる頃。
東京、永田町。
石勝と伊勢崎、顔パス要員な南北新聞の政治部記者は、衆議院第二議員会館にいた。
「やーやー。お待たせして申し訳ない」
雑然とした狭い室内の応接間で待っていたら、貫録のある人物が陽気に手を振ってやってきた。
「どーも長良川先生。お忙しいところすいませんな」
名前を言われたのは、碧風高原鉄道の設立に過去関わった、地元選出議員の長良川かみお氏。
「あまり時間は取れないが、それでもよろしいかな?」
「ええ、今回はまず足跡残しだけですから」
伊勢崎は石勝を紹介し、同行してきた政治部の記者を外させ、
「単刀直入に伺いますがね、碧風高原鉄道を、そもそも第三セクターで残そうとした理由は、なんですか?」
「はっきり聞きすぎだねェ」
長良川は苦笑しつつも、
「鉄道の存在意義を、一番持っている路線だからだよ」
「なんか、抽象的過ぎるんですが…」
長良川は、書類棚の中から何かを取り出した。
『月刊鉄道ジャンプ』の最新号だ。
「記事を読ませてもらったよ」
そのページをペラペラめくりながら、
「あの鉄道には、地域の足、外へ向かう旅立ちの場所、還って来るべき故郷、訪れたい旅地、全てを内包しているのだよ。石勝さんは判っておられるようだが」
「そんな…。ただ、漠然と思っただけですが」
長良川はゆったりし、
「まあ、道路整備状況やその他を考えても、簡単に廃止は出来ないはずなんだ。自治体の補助金も営業欠損を埋めるに足りる額で間に合うと聞いているし」
そこであえて伊勢崎が反論を。
「しかし、赤字路線に対する財政出動は有権者に快く思われないのでは?」
「過疎化が原因の赤字だが、黒字転換の可能性を十二分に秘めているし、地域輸送の足は必要だからね。自治体を始め、そこは判っているはずだと思うんだが…」
そんな話を、予定時間を大分オーバーして繰り広げられた。
最後には、「何かあったら力になる」と言う言質をもらい、議員会館を後にした。
帰りの車内で、
「なあ、石勝」
「?」
「いっそのこと、お前が仕切ってみたほうが早いんじゃないか?」
「おいおい、俺は一介のフリーライターだぞ?」
伊勢崎、ニヤリと笑い、
「俺を介して動くのもいいだろうよ。実際、俺も楽しいしな」
「だったら…」
一転、顔をしかめ、
「が、それだといざと言うときには何もできないことも、ある」
伊勢崎はそれとなく視線をはずし、
「編集総局長って言えば聞こえはいいが、要は各局の調整役だ。押し続けるには限度もあるんだ。保身ととりたきゃあ、そう思ってもらってもいいがな」
「そんなことはないが…。だが、なら、どうすれば?」
「ああ。実は先ほど思いついたんだが…」
そして。
碧風高原鉄道黒川駅前で、呆然としている石勝の姿を見かけたのは、それから数日後。
黒川駅の出入り口、の、隣には『大槻文具店』の玄関が。
その更に角の、二階に通じる外の階段の柱には、『南北新聞辺境支社』の新しい看板が。
石勝は、呆然となったまま、先日の出来事を思い出していた。
(以下、回想)
「支局長? 俺が!?」
「当面の間、部下は無し、予算は雀の涙、そん代わり、他局長と同役職で上は俺のみ」
伊勢崎、ニヤリと笑い、
「いよいよヤバくなったら切り捨てて組織の温存を図らせてもらうが、それまでは好き勝手やれるポジションだ。それに、渉外にはある程度の肩書きが必要だろう?」
「そ、それはありがたいが…いきなり」
「なに言ってやがる。本来なら今の俺のポジションは、お前がなるはずだったんじゃねぇかよ! 俺はその余禄に預かっただけだっての!」
とかを思い出していた。
「ごめんくださーい」
大槻文具店の玄関を入り、挨拶をする石勝を迎えたのは、大槻文具店のおばちゃん。
「はいはいはい、まーまーまー遠いところを。早速二階に案内しましょ」
店の右脇にある階段を上ると、そのまま二階の廊下とぶち抜きの6畳間が二つある典型的な昔の家スタイルなのだ。
簡単な炊事場の所にも扉があり、外からの階段で上がるときはこちらを使うようだが、
「外の階段は半分腐っているから基本使ってない」
とのこと。
これでは単なる居候だ(苦笑)
ともあれ、こうして石勝チトセの、反撃の烽火は小さく燃え上がったのだが…
問題はほとんど時間がないこと。
役所や県庁、地元提携新聞、警察、消防、そういった地回りや支局事務所の開設準備や、しかもその合間を縫って大槻文具店の店番もさせられるという始末
伊勢崎曰く「それで家賃を割引してもらってるんだ」とのことで、実際、通学途中に文房具を買いにきた綾が思わず目を丸くしてましたが…。
かくして、殆ど現状の下調べも終わらないまま、キハ社長視察の日が訪れるのだ…
「うわー。憎々しいほどの晴天」
「お天道様に失礼だろそれは」
伊勢崎の台詞を、石勝がツッコむ。
時間はちょっと戻り、その視察前日。
地区駅長が取材用に行程表を公開したのを受け、確認に各マスコミが訪れていたのだ。
石勝の正式な初仕事(その前の数日は「地方特派員便り」という記事で、地方紙から提供された記事を編纂して配信した)になる。
「とりあえず、俺はもう面が割れているから、当日は支局でお茶でも飲んでるさ」
と、サボる気満々の伊勢崎。
多忙という点で言えば石勝の比ではないはずで、パワフルだ。
なら、折角だからということで、みどりかぜ高原まで石勝が案内することになった。
途中、下校途中の綾や買出し帰りのらえる&ほむらと列車に同乗したり、茜森温泉駅のホームを掃除中の巴に出会ったりして。
その状況を見て、伊勢崎がポツリと。
「…石勝。」
「?」
「相変わらず目利きの感度は早いが、手は遅そうだな」
「大きなお世話だっつーの!」
そんな、色々な意味で不器用な石勝はともかく。
列車は終点に着く。
と、
給食当番のような割烹着を着て、駅舎のペンキ塗りをしているクロハの姿が目に入った。
「クロハちゃん!」
「にゃっ!?」
その声に振り向くクロハ。目を輝かせ、
「にゃっ! 石勝さんだあっ! こにちわー!」
とてとてやってきてぺこりと挨拶。
が、
その隣にいる伊勢崎に気づき、元来人見知りの激しい田舎の子だから、シュッと本能的に柱に隠れる。
じとーっと見ながら、
「だ、誰ですかっ」
伊勢崎が自己紹介。
「石勝の味方」という台詞に納得したのか、ほっとしてにっこり顔でぺこりと挨拶。
「そうだ、三峰峠駅から預かり物が…」
石勝は窓掛け用のクーラーくらいある箱を渡す。
「ありがとおございますっ」
「ちなみにそれはなに?」
「明日の視察のとき、歓迎式典で渡す花束とか言ってました」
「ほほー」
クロハはやる気を目に込め、
「明日の見学でいいトコいーっぱい見てもらって、これで社長さんがちゃんと考えてくれれば、みどりかぜ鉄道が廃止にならなくて済むんだモン。がんばらなきゃですっ!」
「…健気だねえ」
そう言いつつ、伊勢崎はクロハの頭をわしわしと撫で付ける。
「にゃにゃにゃ! 何故にクロハの頭撫でてるですかっ!?」
顔が真っ赤なクロハに、伊勢崎は苦笑しつつ、
「いや、なんと言うか…。あまりに健気で、つい、かな」
「わかるぞその気持ち!」
感涙で共感する石勝。
まったく、このオヤジ共は…。
翌日。
特急【『スーパーはやぶさ』12号】から降りた、社長と大垣秘書、部下連中。
同行している取材陣に囲まれ相変わらずの大仰なポーズとインチキくさいイントネーションで応答している。
その、ちょっと離れた所にサングラス姿の石勝がいた。
睨むほどではないが、するするっと取材陣の中に紛れ込む。
「本日はご視察、お疲れ様でございます」
正装に身を包んだ地区駅長が敬礼してキハ社長一行を出迎える。
「OH! 今日はじっくり見させてもらいマースよ」
綺麗に塗装されているキハ58系(みどりかぜ仕様・2両編成)前で緊張しっぱなしのハガネが敬礼であいさつ。
が、視線の合った麗夏が微笑して軽く頭を下げた程度で、他は気づきもせず、ほとんど無視して車内に乗り込んでいく。
トラブルのなかったことでほっと一息のハガネ。
車内では早くも、大きなボード(沿線図や輸送データなど数枚ある)を前に、地区駅長が外を指しながら説明を始めているようだ。
「若旦那!」
列車監視中(退避列車乗務員は必ずホームに立ち列車監視する)の川島が、小走りでやってきた。
「川島さん!」
「だいぶ緊張のようですなー」
「そ、それは、まあ…」
「大丈夫大丈夫! いつも通りでやって、しかもいつも以上に遅くても問題ないですから!」
満面の笑み。てか、画面で見るとしたら顔しかない(笑)
緊張がちょっと取れたハガネ、運転席で深呼吸。
ブザーが鳴り、無線機から、
『こちらは輸送指令です。三峰峠駅構内付近にいる9001Dの運転士さん、応答どうぞ』
輸送指令管理の運転業務も初めてなので緊張しているハガネ、あわててマイク(電話の受話器のようなもの)を握り、
「9001D、運転士です」
『場内信号進行現示後、本線にて通過列車アリ。発車は駅係員の進行許可を確認励行してください』
「ええと、場内信号進行現示後、本線にて通過列車アリ。発車は駅係員の進行許可を確認励行する旨、了解しました」
通話機を戻し、大きく深呼吸。そこへ、
「なかなか、さまになってるじゃないですか」
その声に扉側を見ると、枠いっぱいに身を押し付けた川島が見ていたりして。
顔だらけの窓に、思わずビックリのハガネ。
てか、お茶目すぎるだろこの人(苦笑)
ホーム先端に信号旗を持った扱い掛が待機。
すでに臨時高速貨物列車(なんとM250系)が通過して行った。
何か合図をもらったらしい扱い掛、進行旗を振る。
大きく深呼吸したハガネ、汽笛を軽く鳴らし、
「発進!」
こらこら、ロボットじゃないっつーの(苦笑)
こうして、まずは順調な滑り出しを…したわけではなく、
スキンシップの一環、とか言いながら、社長は駅で列車待ちしている人たち(特に若いおにゃのこ)に握手するわハグするわ。
一応イケメンな社長なので大概はきゃーきゃー言いながら意外に喜ばれているのも、謎。
そんな中、同行している記者の一人が、
「とりあえず、第一印象として全体的な感想はありますか?」
と、質問してきた。
社長はイヤミったらしい笑みを浮かべつつ、
「観光資源に富み、しかもまだ発展の余地が手付かずで残っているネ。ただ、脆弱な交通システムがそれを生かしきれていない印象がありますネー」
「やはり、抜本的な開発はありうると?」
「総合的に、判断したいデース!」
どちらとも取れる言質だ。
地域住民代表、その一が待つ、茜森温泉駅で停車、町の商工会の人と、巴がいた。
さすがに手馴れているというか、天然なのか、社長に手を握らせる隙すら与えないのは、彼女の成せる業なのか? と、思わないでもない
「ここの旅館へはどういう方が?」
「そうですね、観光やお忍びでこられる方、秘湯巡り、グルメな方、様々ですね」
「もっとお客を呼ぼうと思わない?たとえば、もっとホテルとかがあれば人は…」
言葉を遮るように、
「この旅館は、亡くなった夫の形見のようなものです。ここが残るのであれば、あまり他のことは…」
表情を暗くし、言葉を濁す巴。
一瞬、石勝のペンが止まる。
色々な話は聞いているから、巴が若くして未亡人だというのは知っている。
が、それがどこまで世間的な興味に合致しているのか、憶測を呼ばざるをえない。
だがKYな社長は結構陽気に、
「ふむー。侘び寂びデスネー、ナイスな、ナイスな思い出ですなー」
なんか、某監督を彷彿とさせるのだが、若い人は判らないだろう(苦笑)
そして視察は龍真神社へ。
すでにホームには一之宮一家が。
綾の父が記者とやり取りしている。
「まあ、普段の参拝客は多くないですね。田舎ですから」
それ以前に立地条件では…? と、あの階段を思い出して複雑な笑みの石勝。
「有料道路から神社近くまで連絡道路を整備して、参拝客を誘致するのは?」
「うーん、秘境である事が清新さを保っているので、有り難味とか、そういうのが…」
記者とやり取りを続ける綾の父。
「お嬢さんは高校生だそうですね。通学とか不便さは?」
「あまり感じませんわ。同級生が大変な状況でも頑張っていますもの」
さりげなくクロハを気遣う綾。なんだかんだ言って、やっぱり仲良しなんだわな。
ともあれ、地域住民代表(の、一部)とはいえ、あくまでも個々人の意見でしかない。
事前に行われている自治体首脳陣との会談では地域住民の足としての鉄道存続は決して積極的ではないが、その辺は是々非々で論じているということになっているだろう。
補助金の支出には批判も少なくないが、費用対効果として見合っているという意見も常に一定数あるからだが。
「地域住民の大多数は廃止を望んでいない」というアンケート結果をあらかじめ石勝は突きつけているが、「代替交通機関や道路整備が進むなら選択肢として考えるべき」という意見も5割を超えており、あくまでも総合的な判断だと言われてしまったので、中々に幸先は厳しいといわざるを得ないだろう。
そうこうしているうち、視察列車は終着駅であるみどりかぜ高原にゆっくり滑り込んできた。
鉄道マニアやマスコミ関係者がちらほら待っており、30センチほど停車場所がずれたが、余り気にもされずに止まり、扉が開く。
大垣秘書が機先を制し、
「この後、総括の記者会見を開きますので…」
と、更にフラッシュが焚かれる。
そこには、ドキドキ感で緊張気味の、そんな姿が初々しい仕草満載な、花束を持ったクロハが待機していた。
「えと、えと…、ほっ、本日はっ、碧風高原鉄道のゴシサツ、大変お疲れ様でゴザイマシタっ! 職員一同、カンゲイいたしますっ、ですっ!」
「ばうっ!」
緊張のクロハと元気なハセベさん。
考えてもみてください。
素直で愛くるしいラプラドール・レトリバーがちょこんとお座りしてる図も十分絵になるのだが、それより何より、元気なやや幼い美少女が多少赤くした顔で見上げる仕草を。
C調なキハ社長でなくてもいじらしいと思うことでしょう。
しかも目の前にいるのは、制服姿もキュートに可愛らしい雰囲気満載のクロハの姿。
(注、社長の主観でかなりの脳内美少女的修正あり)
社長は一直線にクロハに向かったかと思うと、いきなりクロハをガバっと抱きしめ、
「おおう。萌え娘カネ! プリティープリティープリティーガールじゃないですかネ!」
「うきゃっ!」
顔を真っ赤にしたクロハ、一瞬何がおこったか判らず、ジタバタぢたばた。
パァン!
「クロハ通勤快速ビィンタっ! この変態ちっく者があっ!」
威勢のいい張り手の音が大空に響き渡る。
若干弱々しくなった、頬にクッキリ(クロハの)手形が付いているまま、それでも社長は何事もなかったかのように大仰な笑い。その後、軽く咳払いして、
「とにかく、細かいことは記者会見で述べるとしてだね…」
クロハは質問する小学生風に手を上げ、先ほどの怒りを言葉の勢いに残しつつ、
「社長さんにしつもーん」
「堅苦しい呼び方はノーサンキュー。ヨン様とでも呼んでおくれ、プリティガール?」
ニヤリと笑ってポーズを決める社長。思わず汗ジトなクロハは、不安げな表情で、
「この路線を立て直してくれるの? 廃止にならないで済むの?」
「ノープロブレム!」
勢い制す社長に一瞬表情を明るくするクロハ。だが、
「それ以前に、この地域を一大リゾート地にして根本から変えるのさ! 無問題だよ!」
「え、え? え!? それって…」
社長はクロハを見てニヤリと笑う。
「社長、詳しくは記者会見で」
「まーまーまー。少しくらいは、サービスサービスぅ」
社長は若干中腰でクロハに向かい、
「リゾート法を知っているかい? プリティガール?」
「り、りぞぉとほー…?」
頭にハテナマークが出まくりのクロハ、
「た、確か学校で習ったような気がしないでもないかも…」
後ろ頭に巨大な汗ジトが。察するに忘れていると見た。
社長は気にもせずステップターンをかまし、ピッ!とクロハを指差し、
「今から二十年前に出来た法律のことダヨー! この赤字でド田舎なこの地域を、一大観光地に大変身させるのさあ! みんなウハウハになれるネ!」
なんか、リゾート列車誕生させて収益増ウホウホの某JR九州社員みたいなニッコニコの表情で、ノタマウ社長のセリフを、クロハは、
「そしたら、そしたら…、この路線が廃止にならないですむの?」
不安と期待が入り混じる表情のクロハを見て、社長は【OH!NO】ポーズで苦笑いし、
「残念だけど、この鉄道ではアクセスやいろいろな点で効率が悪いのだよー」
社長のバックにはイメージとして、真新しい高規格道路や高速道路をドンドン走ってくる大型バスや自家用車が映像のように被り、
「だから、まずは路線跡を道路にして、都市から人を直接招くんだよ!」
クロハは目に涙を滲ませ、
「そんな…だったらこの路線は? 地元の人の生活だって…」
「気にしなーい! プリティーガールは私がお嫁さんとして面倒見てあげるからね!」
瞬間、社長はクロハの細い腰に手を回して顔がむちゃくちゃ近づいているではないか!
「な、な! なな!?」
状況が理解できず、顔を真っ赤にしてパニック状態のクロハ。
生理的恐怖と様々な不安が混じり合い、不意にうにゃあと泣き顔になり、
「うわあああああん!」
突然の泣き声に一瞬身を離す。
クロハはその場でへたり込んで、大声で泣き出してしまったのだ。
ハセベさんが割って入り、威嚇モードで吼えているが、そんな様子をニヤニヤしながら見ている社長は悪びれる様子もなくおちゃらけているままだ。
「くっ!」
握りこぶしを震わせていた石勝が、吶喊しようと動くまさにその刹那、
ばきい!
怒りの無表情という一番怖いそれで、ハガネが鉄拳をヒットさせた!
いままでのお茶目モードとは違い、雰囲気がダンチだ。
「な、ハガネ君!」
石勝の驚きの言葉を遮り、
「謝れ!」
「ハァ!?」
「僕の大切な妹を泣かせたんだ! 謝れ!」
互いに睨む二人。
「…はいはい、謝ればイインダロ、ごめんねごめんねー♪」
まるで某漫才コンビ的なトンでもないオチを付け、社長は取り巻きを伴い、駅舎に特設された記者会見会場に向かって行った。
嗚咽を漏らすクロハの前に、膝を立ててハガネは座り、
「びっくりしたよね。でも、もう大丈夫だから」
えぐえぐ泣くクロハ、顔を上げてハガネを見る。
ぶわっと涙を流し、
「うわあああああん! おにいちゃあああぁぁぁぁん!」
ぎゅっと抱きしめて思いっきり泣き声を張り裂けんばかりに叫ぶ。
軽く抱きかかえたハガネは、やさしくクロハを撫でてあげる。
それを見ていた石勝は、そばにいたハセベさんを見ながら、
「いい絆で結ばれてるよな、お前のご主人様たちは…」
「ばうっ!」
そして。
翌日の各紙、主に第二社会面や経済面だが、碧風高原鉄道の社長視察に触れた赤字第三セクター鉄道の存続に関する否定的な論調や、リゾート開発による大胆な地元振興策のアピールが成功したという感じの記事や、ハガネの暴力(?)に対して特に法的措置を考えていないという懐の広さをアピールした社長だの、そう言った内容で占められていた。
ただ一紙、南北新聞が同じような紙面の所に、
【セクハラ社長がパワハラ!?・子会社視察時に】
JTR(大日本鉄道公社)のCEO(最高経営責任者)、キハ・ヨンジュウ氏が
関連子会社に当たる第三セクター『碧風高原鉄道』を視察時に、同社アルバイト
の身延クロハさん(15)に、路線存続に期待感を持たせる言質を確約させる際に
性的嫌がらせ(セクシャル・ハラスメント)を強要した、と複数の関係者の証言
で明らかになった。
第三セクター鉄道としては赤字路線である碧風高原鉄道の現状視察時における
歓迎式典時に、スキンシップの一環だとする破廉恥行為を強要した疑いがある
というもの。
同社は廃止を含む抜本的な改革策を計画中であり、路線存続を訴えるクロハさん
に対し、現状維持を支える交換条件としてハラスメントに及んだのではないかと
見られている。
『身延クロハさんの話』
男の人に突然迫られてびっくりしました。でも、私が従うことでこの鉄道が残せ
るんであれば、とか、色々考えてしまいました。
現在は平静を取り戻し、行き過ぎたスキンシップに対する謝罪を受け入れいて
いるのですでに事態は解決している。
『「インフラ確保は重要」長良川かみお氏(衆議院議員)』
地域住民の貴重な公共交通機関として認識している。自治体が補助をして運営
する第三セクターとしての組織体系はそれを担保するものだ。今後も基幹イン
フラとして活用してもらいたい。
(記事責任【辺境支局、石勝】)
そして、南北新聞だけが唯一、写真を掲載している。
そう。
泣きじゃくるクロハの姿のそれだ。
この記事が出て、それを見たある一人の人物がいた。
新聞を握り締めた手を震わせながら、
「こ、こいつは…まさか!」
そいつは、パソコンを何やらwebサーフィン中。
『みどりかぜ高原鉄道の人たち』というホームページを見ている。
そう。綾がひっそりとやっている、例のWEBサイトだ。
そこに、にっこり笑うクロハの顔が。
その画像と新聞の写真を見比べ、
「あかん!いてもたってもおられんぞ!」
メガネをギラリと光らせたそいつは、某巨大掲示板に一つのスレットを立てた。
【クロハは】みどりかぜ鉄道を残さないか?【俺の嫁】
これが、後々にあらゆる所を巻き込む騒ぎの発端になるなんて事は、当の本人も判っていなかったわけで。
その騒ぎから数日後、
「…というわけで、JTR本社総務部秘書室の名前で、正式な謝罪文が出されたよ」
三峰峠駅員詰め所で、地区駅長からFAXを見せてもらうハガネ。
「こっちも気が動転してしまって…。どうもすいませんでした」
ぺこりと頭を下げるハガネ。
「で、どうだね? クロハちゃんの様子は」
「はあ…。何事もなかったように、元に戻ってます(苦笑)」
「まあ、元気になっているならよしとして良いのではないかな?」
「はい」
「で、だ。これが良い知らせ」
地区駅長は一息つき、
「今回のことで対抗心を深めたのだろう。建前を強化した事から、中・長期的計画の一環で、赤字路線や第二種鉄道事業への抜本的な業務改善計画が決定されたよ」
「……」
「碧風高原鉄道は今後三年間の経営推移を判断材料とし、第三セクターとしての提携を破棄するか、JTRに再度併合した上で廃止するかを決定するそうだ」
地区駅長はそれでも口元に笑みを浮かべ、
「悪い知らせかもしれないが、だが、前回の一件で、地域住民の路線存続運動が活発化したのは事実だし、これからが踏ん張り時だ」
ハガネの肩をぽんと叩き、
「頑張りたまえ。表立っての支援は難しいが、応援はしているよ」
「はい! 頑張ります!」
優男ハガネの引き締まった表情は、綾とか見たらうっとりしそうだ。
ともあれ、
ついでというわけではないが、と付け加えた地区駅長は、
「向こうへ帰ってからで構わないから、一度電話をしてほしいそうだ。秘書室長の大垣麗夏さんは知っているね? 彼女宛に」
「? はあ、判りました…」
よくその当人を判ってないなー?
駅ホームで車両目視点検中のハガネに、
「若旦那!」
「川島さん。ですからその若旦那ってのは…」
「さっき、茜森温泉駅で若女将から手紙を預かってますよ」
「小諸さんから、手紙…? どうもありがとうございます」
ハガネは川島から巴からの手紙を受け取った。
「なんだろう…?」
中身を見ようとしたが、発車ベルが鳴ってしまった。
「おっと、出発だ」
ハガネは手紙を制服の内ポケットにしまい、運転席に乗り込む。
「はい、まいどありー」
レジ前の縁台に腰を下ろし、店番をしている石勝。
傍らにおいてあるノートパソコンというスタイルで、どうやら仕事もしているようだ。
一息ついて、茶をすする。
「ふう…。案外、こういった平穏な日常も、いいものかも知れないなあ、って」
がばっと威きり立ち上がり、
「んなわけあるかあっ!」
これじゃほのぼのコメディじゃないかっ! とか思っちゃう石勝。
と、その時、上の部屋の電話のベルが鳴る。
慌てて階段を上がってみると、一枚のFAXが。
「…な、なんと…?」
妙にテンションの低い驚きの内容とは?
「驚きってほどではないな。予算が取れたんでバイトを雇ってもいいって連絡だな」
誰に話している?(苦笑)
みどりかぜ高原駅に着いたハガネは駅員事務室に駆け込んできて、
「あ、おかえりお兄ちゃん」
「仕事中は乗務終了ご苦労様です、でしょ(笑)」
「ぶー。細かいんだから…」
ハガネは専用電話を取り、
「ええと、本社秘書室をお願いします…」
かなり長い連絡のようだ。
「判りました。ありがとうございます」
程なくして電話を切る。
「?」
キョトンとした目で見るクロハ。
に、気づいたのか、
「ええと…なに?」
クロハはぺーん☆と無表情でハリセンツッコミ。
「ぶー!☆」
「判ったよ、説明するってば」
ハガネの前にちょこんと座るクロハとハセベさん。
こほんと軽く咳払いしたハガネは、なんか新米先生みたいな口調で、
「こんど、この鉄道に新しい人が来ます!」
「新しい人?」
「きゅーん?」
首をかしげる仕草のシンクロが妙に可愛い中、
「うん。本社を通じてだけど、中途採用の社員募集を出してくれたんだよ」
ハガネは説明を続け、
「人材不足なこの鉄道の充実化を図ることが、表向きの理由なんだろうけど」
「表向きって…」
「そう。実際は人件費の負担増を図る気なんじゃないかな? クロハだってバイト料としてお給料が出てるでしょ?」
「うん。だからお小遣いが月300円なんだけど」
「…根に持ってる?」
「うん。かなり☆(笑)」
「そ、それはともかく」
汗ジトのハガネ、ハセベさんの頭を撫でつつ、
「この鉄道の正社員は僕しかいないし、ほかの人はみんな嘱託やアルバイトとかだから、もう一人くらい、業務に責任を持つ人を入れてくれって話なんだよ」
「な、なるほど」
と、
クロハが納得したらしいころ、
「つまり、碧風高原鉄道に正規採用枠従業員の必要を要請した、と?」
「はい。現状ではあまりにも我社の負担が大きいので」
JTR本社にて、麗夏が社長を前に説明中。
「ふむ…」
「人件費上昇による経費圧迫や責任分担権の委譲などによる責任問題の転嫁も可能です」
「なるほど。一見良いこと尽くめのヨウデスガね」
「もちろん、OJTには協力しなくてはいけないでしょうけど、業務完熟化までには時間が掛かります。その時間差も考慮に入れていると」
「OK、OK! グッショブとしておきましょうかネ!」
社長は書類にでん!とはんこを押す。
「それでは、失礼いたします」
すっと頭を下げた麗夏。だが、口元にニヤリとした歪みが出ていたのを知るものはまだいない。
こうして、それぞれの思惑が交錯する中で自体は動き出すことに…
そのあくる日。
三峰峠駅で、でっかい紙袋(どうやらお買い物帰りのようだ)を持ち、前が見にくい感じでよちよち歩く、なんかいかにもドジ装備してそうなお姉さん系ちっくのらえるを見たのは、そんな午後。
「ま、待ってぇな安藤ちゃん」
「はよせんかいスーさん! もう列車が出ちまうやないか!」
関西弁でやりとりしているのは、ひょろながメガネな安藤と、天パーイケメンのスー。
どうやら、まもなく発車するらしいみどりかぜ鉄道線に乗るみたいだが。
と、その目の前に、りんごが転がってくる。
「なんや、この街ではリンゴが転がる名物でもあるんかいな?」
その目の前にはあらあらと狼狽しながら袋から落ちまくる野菜や果物を追いかけるらえるが。
思わず後ろ頭に汗ジトの二人。
ともあれ、野菜やら果物やらを拾いまして、
「全部あります?」
「ええ、大丈夫みたいです」
微笑のらえる。
「どうもありがとうございました」
ぺこりと頭を下げた途端、
ぼたぼたぼた。
またもや袋から果物だの野菜だのが零れ落ちる。
汗ジトで固まる三人。
「きゃあああん!」
「ひ、拾えー! 拾うのだスーさん!」
「オノレも拾わんかい!」
そんなお茶目もあったりして。
「ほほー。そんな山奥に姉妹だけで住んでらっしゃる、と…」
「ええ。詳しい理由はお話できませんが」
とか話しているうち、すぐに黒川へ着いてしまい、
「ほな、またいつかお会いできることを」「しつれいしますー」
安藤&スーは名残惜しそうに何度も振り返りつつ列車を後にした。
そのまま駅の隣へ。
「たのもう!」「道場破りか自分!」
このコンビは…
「どちらかな?」
相変わらず大槻文具店の店番をしている石勝に、
「ええと、南北新聞社のアルバイト募集の広告をみて、連絡したモンですけど」
こうして、怪しい二人組が石勝の部下(?)になるわけだが…
一方、
茜森温泉駅にやってきたハガネ。
「ごめんね、手紙貰ってたのに、うっかりポケットにしまたまま忘れちゃってて…」
「気にしないで。急ぎではないから…。いえ、むしろ今日なら…」
何やら弱々しい笑みの巴、
「ちょっと、付き合って、くれるカナ…?」
旅館の裏手になる山の中に入っていく巴を、半歩後ろからついていくハガネ。
10分ほど歩いたろうか、この温泉の源泉でもあり、隠れた名所でもある間欠泉がある谷にやってきた。
その隅には、真新しくはないが綺麗に掃除されている墓があった。
「あ…」
ハガネも気づいた。
そう、巴の亡くなった旦那さんの墓で、今日が命日だったのだということを。
腰を屈めて拝む巴。
その後ろで立ったまま手を合わせるハガネ。
「…えと、小諸さん…」
巴は空のほうを軽く見上げ、
「私ね、色々あったけど今が満足。でも、過去の絆がこの旅館しかないのもホントなの」
巴は、ハガネに向かい、
「私、ハガネ君の事が好きだった、ううん、今でも好きだと思う。だから振られた勢いであの人と一緒になったけど、それは後悔してないの。だから…」
すっと頭を下げ、
「あの人の思い出と旅館を守るためには、鉄道廃止を受け入れるかもしれない…」
すっと顔を上げる。今にも泣きそうな瞳を潤ませ、
「ハガネ君たちが鉄道を守るために戦うのと、同じくらい、私も過去のために戦うの…」
走り去る巴を、追いかけられずにその場で立ち尽くすハガネ。
そして、特に何もなかったまま数日が過ぎ、
「よいしょ、よいしょ」
唐草模様が動いている。
より正確には、どデカイ風呂敷を背負ったそれだ。
「ふう。相変わらず遠いナリねー」
妙な口癖がちょっと気にならないでもないが、一見、メガネっ娘だが結構レベルの高い美少女に見える。
しかも、かなりのデカチチ娘だ。
あまつさえ、持っている紙袋はなんか萌えキャラ描いてあんぞ。
ぽっちゃりというよりは肉感的な感じで、要は何気にエロい感じが漂うのだ。
その娘が、みどりかぜ高原駅に降り立つ。
待機がないらしく、列車はすぐに折り返して発車して行った。
しーん。………静か。
娘は改札口に向かった。
が、誰もいない。
駅員事務室への引き戸をカラカラ開け、中をきょろきょろ見ながら、
「ごめんくださいナリー」
誰もいない。
「む。」キラーンと目が光る。
机の上にお茶菓子があるのだ。
「誰も居ないなら、食べちゃうナリよー?」
戸棚から急須とお茶っ葉(しかも高い奴)を手馴れた感じで取り出して、お茶入れて一服。
そして、そばにあった応接用のソファに寝転んで、いつしか転寝をしてしまうのだが…
1時間ほどたった後でしょうか。
「ふぃー。お腹いっぱいだね、ハセベさん」
「ばうっ」
制帽を被っているハセベさんから想像するに、列車に便乗し、どうやら街(ここでは徳那賀)のほうへ出て、お昼を食べたようだ。
「?」
戻ってきて、駅員事務室の引き戸が開いていることに気づいたのだ。
首を傾げる二人。
「ままま、まさかドロボーさんとかじゃ…」
おびえるクロハ、じーっと室内を見るハセベさん。
忍び足で室内に入る、その時、ゴミ箱に足を引っ掛ける
どんがらがっしゃあん!
蹴躓いて大変なことに。
その音で娘が起き出し、不意にクロハと目が合う。
思わずびっくり
「うにゃにゃにゃー!」「うきゃきゃきゃー!」
互いにジタバタ大慌てだ。
そこへ丁度、ハガネが帰ってきた。
「な、何だなんだ!?」
そこには部屋のあっちゃこっちゃでぢたばたしているクロハと侵入娘、宥めるように吠えまくるハセベさんの姿が。
てか、なんかお茶目でコミカルなんですけど…
そして。
「いやー。ごめんナリよー。誰も居なかったから中で待たせてもらおうと…」
「だったら、母屋の方で待っててよ!(苦笑)」
苦笑するハガネにツッコまれる娘。どうやら、知り合いのようだが。
「それはそうと、一体どうしたの?」
「ああ! コレコレ!」
娘はなにやら書類を取り出して、
「みどりかぜ鉄道で中途採用募集って書いてあったから、雇ってもらおうかと」
まじまじと迫る娘。
ハガネは受け取った書類を見ながら、
「じゃあ、面接でもやってみる?」
「OK牧場!」
古いよアンタ!(笑)
そして、そのまま駅員事務室の一角に。
位置的には、編集者と作品を持ち込んだ新人漫画家みたいな構図で座っているんですが。
そのちょっと離れたところでクロハが見ているという情景で、
「ええと、まず名前から」
「知ってるくせにー」
「一応、面接だからさ」
早くも困り顔のハガネを尻目に娘はこほんと咳をして、
「町田なるせ。見てのとおりのめがねっ娘ですナリ。てか、従兄妹に堅苦しいぞ」
「…(汗)。えっと、志望の動機は…?」
「ハーくんのお嫁さんになりに(はあと)」
照れるなるせ。ぶーっと噴出すハガネとクロハ。
ハガネはあからさまに狼狽しながら、
「な、な…何を突然!?」
「子供のころ、言ってくれたよね。『アタシをお嫁さんにしてくれる』って」
「そ、それは、子供のころの…」
「そしてアタシは初めてのアレをハーくんに…きゃん☆」
「アレって何だよ!」
もはや反射ツッコミしかできないハガネ。
と、背後から怒りのオーラが。
「おーにーいーちゃーん…!」
「待ったクロハ! 色々あっちゃいけない誤解がある!」
「問答無用!」
クロハの右手が大きく開き、
「クロハ快速ビンタ!」
「そう、初めての指きりげんまんを☆きゃっ☆」
べちん!
ものの見事にヒット(苦笑)
「…で、」
頬に手形がシッカリついたハガネは、情けないオスマシ怒り顔を混ぜつつ、
「志望の動機は」
「だからハーくんのお嫁さん…」
「がっ!」
さすがにツッコむハガネ。
「むー。ハーくんノリが悪いなりー」
そういう問題?
「えーと、オカンが『いつまでもニートや引きこもりするな』って言うから、かな」
おい(苦笑)
そもあれ、中途採用の正社員、ハガネのいとこである町田なるせ(ハガネと同い年)が、
【なかまになった】(どこのRPGだよ!)
その翌日。
取材に訪れた石勝と安藤&スーは、駅の普段使われていないはずの引込線に止まっている貨物列車に気づいた。
しかも、何やら母屋のほうが騒がしい。
ともかく、改札口に来た時、目に入ったのは改札前の駅員事務室で頭から煙吹いて机に突っぷくしているクロハの姿が。
どうやら勉強中のようだ(笑)
台をコンコンと叩く石勝。
「にゃ? わ! 石勝さん!」
軽く手を上げる石勝に気づいたクロハ、表情が明るくなったその間に、
「はじめまして自分は安藤。支局長の部下ですわ。クロハちゃんですな。いやー、思ったとおり実物はもっと可愛い! やっぱりこりゃ萌えーですわー」
いつの間にか石勝とクロハの間に入っていた安藤がクロハの両手を握って挨拶。
あまりにも突然の事で目を丸くするクロハ。
「いきなりナニしとんねん! 彼女、目ェ丸くしてるやないか」
ぺしっとツッコむスー。
「すまんのうー。安藤ちゃんにとってはクロハたんは嫁らしいんでな」
なんと!(苦笑)
「オマエら…」
石勝苦笑。
「それはともかく、この騒ぎは、何?」
「なるおねーちゃんがお引越ししてきたの」
「引越し、それであの貨車か…。で、その御本人は」
「今、研修中。お兄ちゃんと沿線確認に行ってるようー」
「なるほど…」
そんな時。
黒川駅で学校からの帰り半ばな綾が、ホームで列車を待っているとき。
向かい側のホームにみどりかぜ仕様の下り列車が入ってきた。
乗務員室からハガネが下りてくる。
「あ!ハガネ様…!」
声をかけようとしたら、更にもう一人降りてくる。
それが添乗研修中のなるせなのだが、もちろん綾はまだ知らないので、ずいぶん巨乳のめがねっ娘を見て、「な、なんですの!? おバカ妹がいきなり性徴したの!?」
それなら育ちすぎだろ(苦笑)
しかも、線路図表を見て何やら説明をしているのだろうが、綾にはずいぶん寄り添って仲睦まじく何かいちゃついているように見えたのだろう。
ホームの柱に隠れながら、悔しそうに、
「こ、これはどう考えても盗み聞きしなきゃですわ!」
こら(笑)
綾はカバンで顔を隠しながら、こそこそ近づいてみる。
「にゃるほどー。下りからも上りからも本線ミクに進入できるナリねー」
「そうそ。でも、下りはともかく上りは構内制限を受けるんだよ」
「なんと!、まことナリか!」
大仰に驚くなるせ。
「でもなるほどナリー。だから逆に今は下り列車が待避するナリよねー」
「そうだけど…。そこまで判るの?」
「昨日、構内配線図とか線路図表を確認したからナリっ」
だからと言って、見ただけで簡単に把握できるのか、と、思わず目を丸くするハガネ。
そこへ、
「ハガネ様ー」
業を煮やした綾が、さも見つけましたよ的な登場。
「あ、綾ちゃん。こんにちは。今帰り?」
「そうですの。今日は生徒会で遅くなってしまって…。で、あの、そちらの方は?」
その、綾の、何となくある嫉妬の目つきというか、恋敵なのでは? みたいな雰囲気をなるせは悟ったのでしょうか。いたずらっ子みたいな口元の歪みが。
「あ、ああ。今度正社員で配属になる…」
「ハーくんの、フィアンセなの☆」
ハガネの首元に手を回して密着するなるせ。
ちゅどーん!
綾は思わずパニックになり、
「ななな、なんですってなんですって!? 認めませんわ認めませんわ! ハガネ様がっ」
突然の出来事で、ハガネも顔を真っ赤にして慌てながら、
「なな、なるちゃん! 何言ってんだよ!?」
「えー、ほんの乙女のお茶目なギャグなのにー」
げんこつっ!
「ううう、痛いナリー」
「自業自得ですっ!」
ツッコむハガネ。頭に絆創膏なお約束スタイルで頭を抱えるなるせ。
それでもハガネはなるせを優しく指しながら、
「この子は、町田なるせ。僕のいとこだよ」
「…は、いとこ、ですか?」
若干呆然となった綾。どうやら気は治まったようだ。
「そ。そして今、正社員の研修中なの」
「そーナリよ☆」
綾は胸を撫で下ろしながら、
「そ、そうでしたの…。さすがにビックリしましたわ」
「あ。でも、いとこって結婚出来るんだよね?」
「またなるちゃんはそう言う事をっ!」
なるせに弄ばれているな、ハガネ(苦笑)
なんか釈然としないものを感じたまま、綾はやってきた列車で帰って行った。
「うっしゃっしゃ。いやー、若い子をからかうのは面白いナリね」
「なんだってなるちゃんはあんな事を…」
「そりゃ、綾ちんがなんでこんなのが好きなのか判らないけど、からかうのは基本ナリよ」
「えええ! あ、綾ちゃんが、僕を!?」
顔を真っ赤にして驚くハガネ。てか、今更ニブ過ぎるぞ!(笑)
「だ、だって、綾ちゃんはクロハの親友だし、僕にとっては妹みたいな感じだし…っ」
「ハーくんてば…、相変わらず恋に関しては朴念仁ナリねー」
なるせはハガネを見つめてにっこり笑いながら、
「まあ、そこがハーくんのいい所なのかもしれないナリけどー」
なるせの人差し指で鼻を突付かれ、つい生理的に赤くなるハガネ。
ともあれ、新入社員、町田なるせの一日はこうして暮れていくのだが…。
その日の夜。
乗務から帰ってきたハガネがリビングで見たのは、手の込んだ料理の数々。
「あ、お帰りお兄ちゃん。見てみて!」
「ま、まさかクロハが作ったの!?」
悪夢がよみがえる。
数年前。
「お兄ちゃんもお仕事大変だから、クロハがごはん作るー!」
かくして、ビーフストロガノフを作っていたらしいのだが…
大爆発でオチ、ビーフカタストロフになってしまったというお約束の展開だが。
「ううん、なるおねーちゃん」
「あ、お帰りナリー」
台所から、エプロン姿のなるせが出てきた。
ワイシャツにスカート、その上のエプロンで体のラインが強調されていつも以上に艶めかしいのだが…。そんなことを微塵も感じさせない、すまなそうな雰囲気で、
「急だったから、冷蔵庫の余り物しか使ってないけど…」
でも、見た目からも美味さが良くわかる。実際、
「いっただきまーす!」
三人と、床にはハセベさん(ハセベさんは人間の食事は体に悪いのでドッグフードが基本)がいて、全員手を合わせていただきますをする。
ハガネが一口パクリ。目が丸くなり、喜びの顔が。
「おいしい! すっごい美味しいよ!」
「クーちゃんは、どかな?」
「…おいひい」
でも、どことなくふてくされ気味なクロハなのだが。
そんな中、ハガネはクロハに、
「そうだ、本社からなるちゃんの研修日程表が届いてたよね」
「あのFAXだったかな…?」
とてとて走って取ってきた。
ハガネはそれを見ながら、
「当面は業務内容を把握してもらうけど、落ち着いたら運転士の免許取らなきゃ。来月から暫く慌しくなるだろうけど、頑張ってね」
「あ、動力車操縦者免許証でしょ? 持ってるナリよ」
思わず噴出すハガネ。目を丸くするクロハ。
「な! そんな莫迦な!?」
「もちろんアレだけど」
そういい、なぜか胸元を弄るなるせ。
(何処にしまってるんだよ!(苦笑))
そして、合皮のアレ製な薄い手帳式の、動力車操縦者免許証を取り出したではないか!
「無軌条電車と、第2種磁気誘導式のそれだから、持っているって言っても(苦笑)」
確かに、一般的に動力車操縦者の免許はその教習機関で取得できるが、それらはほぼ全てが鉄道会社にしかないものだ(無い鉄道会社もあるがそれは大手鉄道会社に教育を委託している)。
但し、
前記の無軌条電車(代表的なのはトロリーバス)や磁気誘導式(代表的なのは愛知万博でのIMTS)のこれらは、電車というよりまんまバスなので、大型2種免許を取得していれば当時(2009年11月まで。省令改正でこの特権は廃止された)は申請だけで取得できるから、一般人のなるせが持っていても不思議ではないのだが。
「それならナットク。クロハもびっくりしちゃった…」
「ちょ、ちょっと。ということは、なるちゃんは大型2種の運転免許持ってるわけ!?」
なるせはサラッと、
「にょー。モチロン運転免許はフルピットナリよー。全部試験場で取ったナリ☆」
逆にその方が凄いって! と、目を丸くするハガネ。
(真のフルピット免許をやるには、小型特殊で引っかかる。もちろんなるせは取得済み)
その後、
お風呂に入っているクロハ(ハセベさんは構内巡回中)。
なぜか大きくため息。そこへ、脱衣所の引き戸が開き、
「ばわーん。クーちゃん☆」
元気な笑顔でなるせが入ってきた。
肉感的な姿態で、クロハとはなんか正反対。
羨ましそうな視線(特に胸)で見ていたクロハ、ついと視線を外してしまう。
「…」
「どしたのかなー、クーちゃん?」
「え…?」
なるせはなるべく笑顔を絶やさずに、
「さっき食事のとき、落ち込んでたみたいだったから、何かあったのかなーって」
クロハはその時の自分の気持ちをポツリと打ち明けた。
曰く、
突然やってきたなるせが何でもできるのに、自分は何にも出来ていないんじゃないか?
仕事も半人前だし、お料理も爆発オチだし、と。
そんな事を聞きながら、なるせは優しい笑みを向けつつ、
「そっか…。でも、気にすることないと思うナリよ」
なるせはクロハの頭に手をポンと乗せ、
「アタシはハーくんと同い年だから、クーちゃんより七つも年上なんだもの。いくら引きこもりやニートだったとは言っても、クーちゃんより色々経験してるナリよ」
「そーなの、カナ…」
「アタシがクーちゃん位の時は、それこそ何も出来なかったし、してなかったナリよー」
なるせはにっこり笑い、
「クーちゃんは凄いよね。学校の勉強もやってる上に、ここでのお仕事もしてるもの。出来ないことを出来るって自慢するより、出来ることをちゃんとやるほうが、クリティカル凄いことだと、思うナリよ」
ふと、思い出したように、
「そだ、お風呂から上がったら、凄いモノを見せてあげるナリよ」
「?」
「凄いよー。無修正ナリよー」
いきなり何を言い出すのかこの娘は(苦笑)
お風呂から上がって浴衣に着替えたクロハは、まだ引越し荷物の片付いていないままの、なるせの部屋にやってきた。
なるせがこっちゃこいやっている。
とてとてとやってきたクロハ。なるせの手には、まさに今ダンボールから取り出した、アルバムが。
「いらっしゃいナリー。さ、ご開帳ー」
アルバムを開く。クロハも覗き込む。
そこには、見た目も体型もクロハにかなり似ている、内気で暗い感じが表情にも表れている、お下げの女の子が一人で写っている。
どうやら、学校の校門前で撮ったもののようだ。
「にゃ? 中学校の、卒業式の写真…? クロハに似てるけど、でも何か違う…」
なるせは自分を指差し、
「アタシアタシ。今のクーちゃんと同じころの写真☆」
「えええええぇぇぇ!」
なるせとクロハでは、まったく違う。
一体、途中に何があったのだろう? それには一切触れず、
「ダイジョウブ。ちゃんと育つ育つ☆」
実際、いまはほんのりな胸しかないクロハだが、成人式の時にはFカップのグラマラスボディになっている、かも知れないが、その事実はまだ誰にも判らないわけで…
同じころ、
「だいたい、マスメディアの有効性は、その影響力を行使できるかやないですかー?」
「相変わらず青臭いこと言うのうー」
黒川駅前にあるチェーン居酒屋で、管巻きまくりの安藤&スーに、意外にご満悦な石勝。
会って早々「クロハは俺の嫁」などと言い出すのには面食らったが、往々にしてヲタというのはのめり込めばその本領はものすごいものがあるわけで。
『とりあえず今日、有名ポータルサイトのいくつかと、動画配信サイトでみどりかぜ鉄道の存続に関するアンケートを出してみて、その結果が近日中に出る』という技をこの二人が企てたのだ。
廃止か存続かはともかく、問題提議を発し続けることを新聞以外で出来て、なおかつ共時性が保てるという流れは、かなり有用なのだ。
しかも、その出てきた情報の取捨選択は最終的な発信側が持つのも魅力だろう。
石勝はどちらかと言えば昔気質のジャーナリストという線を越えているわけではないから、今現在の情報戦を駆使できるこのバイトの有能さで見直したようなのだ。
それが、この沿線のに住むおにゃのこに萌え感情で直情径行な行動をする原動力だといっても(苦笑)
「ところで、二人に聞きたいんだが」
「なんですか?」声がハモる。
「私見でかまわない。この鉄道を、どう見ている? 萌え以外の理由でな」
「おっとお、いきなり最大の理由を封印結界されましたなー」
安藤は苦笑したが、素の顔に戻り、
「クロハちゃん達のガンバりや沿線自体の観光的な魅力は、かなり高いと思いますがね、如何せん、鉄道需要をまかなうだけの沿線人口が乏しいのは、やっぱり問題やと思いますわー」
「人口の自然増を狙うにしても、そうなると都市基盤全体の成長が必要やしね」
「そやなー」
スーの認識に納得せざるを得ない安藤。スーは更に石勝に向かい、
「沿線の観光スポットを紹介するような企画は仕掛けられませんのですか?」
石勝は癖なのか顎をさすりつつ、
「自治体の協力とかがあれば…。観光資源と言っても自然資源だから、商業活用は難しいのが実態なんじゃないかと思う。だから、JTRはリゾート開発を考えているわけだし」
「となると、完全公営か、みどりかぜ鉄道自体での完全民営を目指すのが、適策でっか?」
「そりゃ、難しいんちゃうか?」
安藤の意見をスーは否定しつつも、
「田舎の赤字ローカル線とはいえ、その資産を収めるにはかなりのキャッシュフローが必要になるはずやろ? そこまでの利益が期待できるなら融資や地方債の肩代わりも出来そうやろうけどな」
「そやな。まずは当の本人が、この鉄道をどう残していきたいかって話が先やと思いますわ。いくらクロハちゃんがやる気でも、最終的には感情論だけでは成り立たんでしょうし」
その討論を聞き、安心の中でも思案に耽る石勝なのだった。
あくる日。
「そんじゃあ、まずはマスコンハンドルが非常停止位置にあることを確認してー」
三峰峠駅の構内にある電留線。
そこにあったE531系の運転席に座っているなるせ。
その隣には川島がいた。
動力車操縦者の限定免許をひとまず取るため、空いている時間を使って研修中なのだ。
(なお、限定免許とはこの場合、正確には「駅区限定免許」と言う。電車区や工場内での入換運転や入出庫運転等、本線以外の決められた範囲で運転できるもの)
ちなみに、この川島氏。
「指導運転士」の腕章をしていることからも実はかなりのベテランなのだ。
動力車操縦の免許は動力機関(蒸気、電気、内燃車とか)の種類ごとで違う上に、同じ免許でも電車と機関車では別に講習や試験を受けなきゃいけないのだが、それもクリアしているらしい。
驚くべきことに、蒸気機関車や新幹線のそれも取得しているという。
(もっとも、新幹線電気車運転免許所持者であっても在来線の電気車は運転出来ないが、前提として在来線の運転から入るから、どっちも持っているのは無理ない話だと思う)
実際、左遷(本人はそう感じていない)される前は、毎日のように東京と新大阪を行き来していた時期もあったそうだ。
ちなみに、
SLは今の体型的に機関室に入れない(苦笑)のと、その暑さで目を回すので実質、指導にあたるだけだ。
なお、蒸気機関車運転士は、操縦者免許のほか、ボイラー技士の資格が要るはずだ。
むむう。
只の巨漢なキャラではなかったのか(笑)
(モデル本人元ネタ自重wwwww)
ともあれ、ハガネは甲種内燃車運転免許を取得している関係上、なるせは甲種電気車運転免許を取得してバランスを取りたいと申し出たらしいのだ。
(おまけながら、乙種は「軌道」(いわゆる「路面電車」)を運転するのに必要な資格)
そして、現在に至るわけで。
川島はATCを示唆呼称し、なるせに向かって、
「じゃあ、安全確認が終わったら、前方を確認して、マスコンを一ノット入れて」
「らぢゃナリ!」
かくんと一段、AT車のシフトレバーみたいなマスコンハンドルを引くと、インバーターの音が甲高くなり、ゆっくり車体が動き出す。
なるせは目を輝かせ、何かのモノマネで、
「こいつ…動くぞ…!」
おい(苦笑)
ま、そりゃそうでしょう。操作方法はモ●ルスーツよりは簡単でしょうし。
「はい、戻してー、ブレーキ3段入れてー」
10数メートル動いた所で、程なく停止するE531系。
「まだ415系とかも使ってるから、本来ならツーコンハンドルで基礎感覚を付けなきゃいけないんだけど、これからはこっちが主流になるだろうから。しばらく同時進行でね」
「了解ですナリ!」
まるで新しい玩具を与えられた子供みたいに、目を輝かせているなるせなのだった。
でもまさか、
たった二ヶ月で限定免許すっ飛ばして正規免許取得できるとは思わないじゃないですか(苦笑)
(注。実際には最低でも年単位の時間が掛る)
そして季節は、初夏。
「あーつーいー」
机にうだーっとしているクロハ、なるせ、ハセベさん。
妙に動きがシンクロしているのは何故?
そこへ、
「ただいまー。ふう、今年は暑いね…」
雑務から帰ってきたハガネ、机でうだーっとしている三人(正確には二人と一匹)に思わずびっくり。
三人(正確には二人と一匹)は空のコップを出し、
「お兄ちゃんジュースー」
「ハーくん麦茶ー」
「わふわふーん」(水皿をずずいと押す仕草)
汗ジトで困り顔な苦笑のハガネ。
ほとんど下僕扱い…。
で、
「ふぃ~。生き返ったよー」
氷入りの冷たいジュースを飲んで、ニッコニコのクロハ。
「まったく…。いくら暑くても、仕事中なんだからダレてちゃいけません!」
ハガネが全員に「めっ!」する。
しょぼーんとなる三人(正確には二人と一匹)。
「それはそうと」
なるせが話を切り替える。
「この前出した企画、どうなったのか知りたいナリ」
話は、一週間ほど前に遡る。
「ししょー」
工場にやってきたなるせは、徳那賀を訪ねてきた。
「おお、なるなる! どうしたのじゃ?」
徳那賀がなるせを「なるなる」と呼ぶのはまだしも、なるせが徳那賀を「師匠」と呼ぶのは謎。
「ええと、ちょっとご相談があるナリー」
そして、
「ふむ…。黒川大橋の完全複線化ねえ…」
「実際に複線化する必要はなくて、いやいや、出来ればそうなら完璧ナリが、とりあえずは両方向から進入できて本線から閉塞できる引込線を作りたいって意味ナリが…」
「まあ、出来ん事ではないと思うが、しかし一体何故…?」
なるせはにゅふふと笑い、
「実は…」
という事が。
「工場長から連絡が来て、技術的には困難ではないけど、路線工事だから最終的にはどれだけ人的資源を投入できるか、だって。それに、その工事費用はやっぱりどうするかって言う話に…」
「ダイジョブナリ!」
自信満々の笑み。で、クロハを見たのも、謎。
そして、数日後の早朝、
黒川駅に、続々と下車してくる学生たち。
「はーい、明治鉄道高校の皆さんはこちらでーす!」
「南天工業高校土木科のかた、いますかー!」
「栃木工業高校電気科の皆さーん!」
(最後の実名自重www)
地元の建設会社と思われる現場代理人や工事監督が書類片手に大声を張り上げている。
モチロン、その人山の片端には光景を撮影している安藤、アンケートを取っているスー、取材している石勝がいるのだが。
「しかし、大胆な事を考えましたね。路線工事建設と工業高校の実習を組み合わせるとは」
若干汗ジトで尋ねるハガネ。
徳那賀は悠然と腕を組み、
「こういった実務は何より経験になるからな。実際、この計画を各校に打診したときは引く手あまただったぞ? その中で、向こう側が旅費負担で参加してもらえる所をピックアップしてくれたのだ」
「くれた?」
「この計画の大元はなるなるだよ。何でやりたいのかはよくわからないが」
「でも、そのなるちゃんがいませんけど…?」
「なんか、旅行会社へ行ってるらしいぞ?」
徳那賀は複雑な感情を表したニヤニヤ笑いで応える。
「総監督ぅ!」
現場代理人の一人がやってきて、
「総勢350名、全員いるみたいですな」
徳那賀はうむ、と頷き、拡声器を片手に、
「よく、集まってくれた! 篠原、泉…」
「どこのパクリだ!」
全員の壮絶なツッコミ。
かくして、手弁当の人海戦術による大胆な路線改修工事は、その幕を開けたのだ…。
実際始まると、学生だけに手際は悪いし、動きもまだまだだが、別に完璧を求めるわけでもないし、費用対効果的に、これでも十分だと弾いたのだろう。
(モチロン、この小規模な民族大移動は少ないながらも営業利益をもたらしている)
また、動きのいい生徒なんかは監督や代理人がチェックしている。
後に青田買いするつもりなのだろう。
また、中にいる大人の人は、どうやら教師のようで、やはりチェックに余念がない。
(多分、これを実習扱いにして単位評価するのだろう)
どうやら、双方に利益があるようだ。
こうして、わずか三日で複線引込み線の分岐線路工事が終わったのは、前代未聞。
「ただいまナリー」
工事が終わった翌日、なるせが帰ってきた。
両手に持っている紙袋も謎。
「ああ、これ?」
なるせは若干の苦笑いを交えているものの、ニッコニコで、
「せっかく東京へ出向いたから、買い物を…」
中には大量のマンガ本が(苦笑)
「一体、何をしてきたのさ?」
ハガネが不安げな表情で聞く、
「ふふふのふ☆ じゃーん!」
背負っていた風呂敷から丸めていたポスターを取り出し、
「ええと、【黒川大花火大会観覧ツアー】?」
「そ。だって…」
なるせはクロハに向かい、微笑して、
「クーちゃん前に、浴衣着て花火見たいって言ってたもんね☆」
「…にゃ? そ、それは…」
ようはこうだ。
ツアー用の臨時列車を運行し、それを引込線として作った黒川大橋上で停車させ、車内から花火大会を観覧する、という計画を立てたらしい。
その為に、旅行会社や印刷所とかを訪問していたらしいのだが。
「もちろん、夏祭りだから乗務してる車掌さんも浴衣姿で☆」
「ほ、ホント?」
「もちろんナリ! あ、でもお仕事もやらなきゃだけど」
クロハは感涙しながら、
「うわあん! ありがとうなるおねーちゃん!」
思わず抱きついてきた。うーむ、なんだこの姉妹感覚…。
ハガネはその事実にちょっと慌てながら、
「ちょ、ちょっと待って。じゃあ、この間の路線改良工事って…」
「そ☆ この為に企てたナリよ」
にゅふふ笑いするなるせ。
「工事自体は殆どオカネ掛かってないはずだけど? まさか赤字になっちゃった…?」
一瞬不安げな表情のなるせ。
「いや、その報告はまだないみたいだけど…」
「ほっ☆ よかったナリー」
「じゃあ、詳細を発表しちゃいまーす!」
8月最初の土曜日。
JTR三峰峠駅は時ならぬ混雑。
もとより、黒川大花火大会は地元でも有名な祭で、地元近隣はもちろん、隣接近県からの観光客も多く、メイン会場になる黒川駅へ向かう人波で溢れていたのだ。
JTRも折り返しの臨時列車を数多く設定しているようで、次から次へと発車していく。
駅の5番乗り場も例外ではない。
珍しく、10両編成(うち2両がグリーン車)のJTR485系が停車している。
車両正面では時ならぬ撮影会。
ヘッドマークの撮影だけでなく、制帽を被っている浴衣姿でノリノリのなるせ、顔を真っ赤にして緊張気味のクロハ、若干照れているハガネや表情の引き締まったハセベさん達がいるからだろう。
「ええい! 撮影は順番や! クロハたんはワイの嫁なんじゃ!」
安藤が全力で仕切っているのも凄いが。
「大盛況だね、ハガネ君」
「あ、石勝さん! こんばんは!」
取材の腕章を付けた石勝に挨拶。
「しかしこれは凄いね。冷房の効いた車内、しかも旧型のこの特急なら窓も開けられるから花火の音も楽しめるし、車内販売の体制も整っているわけか…」
「JTRでは車両更新が進んで、旧型車両が余ってますから。今回はそれを貸してもらいました」
「準備できたナリよー」
移動して運転席から顔を出したなるせが、手を振ってハガネに合図。
「運転士はなるせクンか」
「電車はなるちゃんの役目ですね」
18時30分、
三峰峠駅5番乗り場から『【花火鑑賞しtai!】号』が汽笛を響かせて発車。
運転席で手を振るなるせや、車掌室にいるクロハ、車内で客扱中のハガネに向かって、フラッシュの嵐。
これもひとえに、
「なにしろ、みどりかぜスレが20超えとるから(苦笑)」
安藤の不敵な笑み。
『(がさごそと紙を広げる音が聞こえ)ほ、ホンジツは、みどりかせ高原鉄道をご利用いただき、ありがとおございますっ。この列車は、地域一番の大河、黒川の橋梁上で停止し、終わりまで花火大会をタンノウしてもらっちゃうものですっ!乗務員一同、至らぬ点も多々あろうかと思いますが、セイイッパイ、お世話いたしますっ!』
ヲタ系の客が歓声で表現。
黒川大橋橋梁上で停車し、両方向のポイントが本線進行に戻され、列車は滞留扱いに。
そして、19時。
川の中島から上がった花火に、列車が照らされる。
とたんに沸きあがる拍手。
車内販売やツアー客の対応に追われるハガネやクロハも、時折手が止まるが、それでも順調に(特に飲み物とおつまみ販売など)仕事をしているようだ。
もちろん、ハセベさんも写真撮影や子供たちや動物好きの客に撫でまくられている。
そして、なるせは。
運転席の窓を開けて冷たいお茶を飲みつつ、花火を見るのもそこそこにカバンから漫画本をを取り出し、
「一度、花火の光の中で本を読みたかったナリよー」
嬉々として本を読み始めるのだ。
かくして、【黒川大花火大会観覧ツアー】とその関連イベントは一応成功裏のうちに幕を閉じることになるのだが…。
「ふう。今日も暑いねー」
乗務終わって休憩で帰ってきたハガネなのだが、駅員事務室の机でうだーっとしている三人(正確には二人と一匹)にまたもやびっくり。
三人(正確には二人と一匹)は空のコップを出し、
「お兄ちゃんコーラー」
「ハーくん烏龍茶ー」
「わふわふーん」(水皿をずずいと押す仕草)
「ああもう! またそうやってダレてる!」
汗ジトで困り顔な苦笑のハガネ。さすがに今度はツッコんだ。
「まったく…来週からお盆なんだから。一応、帰省や行楽客で多少は忙しくなるんだから」
「ウィ!」
なるせがオードリー春日風に挙手。
「休みの予定」
「うん。聞いてるよ。調整は済んでいるから大丈夫だけど、でも、理由聞いてないけど」
なるせは何故か汗ジトで、言葉に詰まりながら、
「ええと、一度、実家に帰省するから、かな?」
そして、次の日の朝。
「じゃあ、来週までお休みするナリー」
「行ってらっしゃい! お土産お土産っ!」
クロハのおこちゃまチックなお土産攻撃に、デニムのワンピースにカンカン帽子という、見ようによってはそこそこ良家のお嬢様に見えないこともない笑みのなるせ、小さめのキャリーバックを引き、キハ20形の客席に乗り込んでいたわけ。
ほぼ同じころ、
「帰省?」
「です」「同じく」
南北新聞辺境支社(ようは石勝の居候先)では、安藤&スーが休暇のお願い。
「連絡先さえ確保しておいてくれれば構わんよ。お盆時期は忙しくはなさそうだし」
そして、
列車が黒川駅に入ってきた。
「おつですー」「はよーんナリー」
安藤&スーとなるせ、合流。
円陣を組み、
「いざ、聖地巡礼にしゅっぱあっっつ!」
おい(苦笑)
そして、身延家母屋では、連日届くなるせ本人宛の段ボール箱に悩まされる事になる…。
てか、どんだけコミケで同人誌買ってんだよアンタ!(笑)
そして。
クロハ(と、ドサクサ紛れに押し付けられたハガネ)が学校の課題で四苦八苦している頃、なるせが帰省(実際はコミケ(爆笑))から帰ってきた。
「ただいまーナリー」
パンパンに膨れているキャリーバックはまだしも、いつの間にか持ち歩いている、目一杯膨らんでいる紙袋は一体…(笑)
「はぁい。クーちゃんにおみやげナリよ☆」
なるせはそう言い、「はろうきてぃお台場レインボークランチ」を一箱(仕入!?)。
「あ、ハーくんにもおみやげあるよー」
そう言い、東京タワーのペナント(今時!?)と、「電車でD」の同人誌詰め合わせを。
「もちろんハセベさんにもー」
そう言い、ドンキホーテのタグテープが張ってあるドックフードを。
三人(正確には以下略)はザッと集まって円陣を組み、ひそひそ話。
「なるおねーちゃんの実家って、どこ?」
「確か、横浜の相模原市だか町田市だか、とにかく神奈川県の方じゃなかったカナ…?」
「でも、お土産がミョーに偏ってるよね」
「わふわふっ」
ハガネ達は汗ジトのまま振り向き、
「あ、ありがとうね…☆」
深く詮索しないことにした。
ちなみに石勝は、『東横のれん街』の包装紙に包まれた京漬物セットと和メイド(巴に激似なキャラ)の18禁同人誌(しかも凌辱系)を大量に安藤&スーからもらい、目を点にさせていましたとさ。
こんなノリで、季節は秋に代わり…。
事務所の黒板を前に、神妙な顔のハガネと、同じく真剣な表情のクロハとなるせがいる。
「と、言うわけで、自治体のほうから、秋桜が丘の行楽シーズンに関連して、臨時列車運行の要望が、出てるんだけど…」
「ど?って、どしたのおにーちゃん…?」
「車両運用上の問題で、JTRは直通乗り入れの臨時列車を運行できないって連絡してきたんだよ」
「それってやっぱりイヤガラセなのかな…」
「そーじゃないナリー」
なにか書類に目を通しながら、なるせはぽりぽり柿ピーを食べつつ、
「この時期はどこでも観光用の臨時列車を運行してるから、余剰車両がトコトンないんじゃないかなーとか思うナリね」
「そ、そうなんだよ。表向きは、確かに…」
ハガネ、軽いため息。
と、そこへ業務用のFAXが届く。ハガネは目を通しながら、
「ふむ…」
そのハガネをジト眼で凝視するクロハに、
「とりあえず、ウチの列車が臨時にJTR路線へ乗り入れるのはOKみたいだね」
「それって、いいこと、なの…?」
「悪くはないんだろうけど…、ただ…」
ハガネは深いため息をつき、
「こちらで臨時列車を出すにしろ、気動車の運転士って僕しかないし、JTRから電車が借りられないとなると、なるちゃんの出番もないし…」
「となると、折り返し運転のレスポンスを極限まで高める必要があるナリね?」
「そ、それはそうだけど…。なにその怪しい笑みは…」
「にゅふふふ☆」
翌日。
「はあ、はあ…」
ややシルエットっぽいが、うな垂れているハガネは荒い息遣いで汗がこぼれる。
その情景だけだと、妙にエロさ満点。
が、全体を写してみましょう。
そこには、体操服姿で中腰の格好のままうな垂れているのだが。
「ま、まだ走るの…?」
「まだまだあっ!そんなんじゃ世界は狙えないナリよ!」
「狙わないっての!」
ハガネがバラスト(線路の砂利)上を必死に猛ダッシュ中。
ジャージスタイルで体育教師に見えないこともないなるせが檄を飛ばす。
なるせは腰に手を当て、
「極限まで折り返し時間の短縮をして、臨時列車の間合い運用をしないといけないんだし、だからってホーム上を激走するわけにはいかないナリよね?」
「だ、だからって、線路上を走るのは…」
「文句言わないでキリキリ特訓するナリよっ!」
ヘロヘロになりながら線路の脇をダッシュするハガネを見ながら、なるせは顔を伏せてほくそ笑み、
「くうっ!汗まみれで荒い息使いをするハーくんとな!たまりませんな!」
こら(笑)
その様子を、キョトンとなったままのクロハが見ていたりするのだが。
気づいたなるせ、クロハを撫でまわしてニヤリと笑みを浮かべ、
「クーちゃんも大人になればこの喜びが判るようになるナリよ☆」
判らせるな(苦笑)
こうして、
通常運行のさらに間合いを使い、JTR路線の臨時乗り入れから直通運転で、三峰峠―秋桜が丘間の臨時ダイヤを組み込むことができたのも、この怪しい特訓の成果があったことはあまり知られていない…。
そうして、季節は冬になり、
只でさえ道路整備状況が貧弱な上に雪が降ると、文字通り唯一の交通機関となる碧風高原鉄道なのだが。
一応、正月の初詣輸送なんかもかつては行ってはいたりすることもあり、三峰峠―龍真神社駅間で終夜臨の運転を、今年になって再開したのだ。
龍真神社自体は地元レベルを超えてそこそこ有名な神社であるところに以て、そこの一人娘である一之宮綾と言う美少女の巫女がいたりするわけで、それがネットやマスコミに知れ渡っていることもあり、参拝客の予測が増えた(三峰峠へ行く特急列車の指定席予約が尋常でないくらいに激増したそうだ)ので、試験的に大晦日の終夜運転を再開したということになる。
「たっだいまーナリー」
大晦日の遅い夕方、ちょっと帰省休暇(という名の冬コミ参加)を取っていたなるせが帰ってきた。
相変わらず両手いっぱいのパンパンに膨らんだ紙袋の中身(今回は主に東方関連の18禁、特に凌辱鬼畜系が大半を占めてたのでww)は言及出来ない微妙な雰囲気はともかく。
「おかえりなさいっ! なるおねーちゃん!」
それでも元気に挨拶しちゃうのがクロハらしいが。
「じゃあ、早速お仕事するナリー」
パワフルですな(笑)
そして、下り列車の乗務員室に同乗したなるせは、ハガネに向かい、
「じゃあ、いっちょ出かけませう!」
「そ、それはいいけど、今夜は徹夜になるはずだよ? 大丈夫?」
なるせはぐっ! と親指を立て、
「三日や四日徹夜したくらいじゃなんともないナリよ!」
って、コミケもフル参加だったのかよ!(苦笑)
そして。
大晦日も夜が更けて地元が一息ついたころ。
すでにホームには、駅務中のハセベさんがいる。
クロハはハセベさんの頭を撫で回しながら、
「じゃあ、一緒にお仕事がんばろうね!」
「ばうばうっ!」
ハセベさんとクロハが車掌室に乗り込み、21時54分、下りの通常最終列車として最大編成のキハ20形がみどりかぜ高原駅を出発して行った。
最終とは言っても元より乗降客が少ないので、実際には快速列車と言っても差支えなく、徳那賀に停車した後は茜森温泉駅まで通過するのだが、本日は龍真神社駅に臨時停車する。
しかも、龍真神社駅のホーム上はそこそこ人で溢れている。
そこに…
「はにゃっ。あやみおねーさん!」
ホームの出入口(兼待合室)に、巫女装束姿のあやみが、小さい出店を構えていた。
「お、クロハじゃない。お仕事お疲れさまっ」
あやみは数個の紙コップを用意し、
「良かったらどーぞ。甘酒」
「わわ☆ありがとうっ!」
「大丈夫!アルコール入ってないから、ハガネさんとかもどーぞ」
「じゃ、いただきます」
「むむ! 美味すぎるナリ!」
すかさず飲むの早いな、相変わらずなるせは(苦笑)
「それにしても、こんなところで…」
ハガネの質問をやや遮るように、
「今日は参拝客が多いらしいんで、あたし達も神社でバイトなんです」
あやみは視線を巡らしながら、
「らえ姉は上で綾ちゃんと売り子しているはずですし、かのんとほむらは今の時間だと、参道で誘導や警備をしてるのかな?」
そこへ、
「お姉様~。追加の食材が届きましたわよ~」
やっぱり巫女姿のめぐみが、段ボールを抱えてやってきた。
「ありがと。そこに置いといて」
「わかりましたわ!」
結構みんな、慌ただしく動いているようだ。
「ばうばうっ!」
ハセベさんが吠える。
「あ、もう発車時間か…じゃあ、また後で!」
列車は発車していく。
黒川駅に列車が着いたのは、22時42分。
既に上りホームには参拝客であろう地元の人たちで溢れ返っている。
なるせは乗務員室から下りて、
「じゃあ、また後で。向こうで合流できるナリねー」
そう言い、ホーム向い側に滞留している回送列車(473系の3両編成)に乗り込んだ。
三峰峠へ回送し、向こうからの臨時列車として龍真神社へ向かうことになるのだろう。
そしてハガネ達は、ここから一足先に地元客を乗せて出発することになる。
(但し、車両運用の関係で、みどりかぜ高原まで快速運用する)
既にホームは人だらけなこともあり、クロハとハセベさんが旅客を誘導し、順次車内に乗せていくことになるのだが、田舎なので顔見知りも多く、ハセベさんは撫でられるわ、安藤やスーがまたもや対クロハの写真撮影を仕切ってるわで、別の意味で混乱しているんですけど(苦笑)
ともあれ、近年稀に見る大混雑である。
3分遅れで列車が出発。途中、茜森温泉と龍真神社からの各駅に停車する。
先行列車も車両交換もないので、順調に遅れを取り戻しながら進行していく列車が、茜森温泉駅に滑り込んできた。
そこには、参拝に行く宿泊客に交じって、何やら風呂敷包みを持っている巴がいた。
「にゃっ! 巴おねーさん!」
「こんばんはクロハちゃん。お仕事ご苦労様★」
巴はホーム監視中のハセベさんを軽くあやしながら労いの言葉を言う。
「巴おねーさんも初詣ですか?」
「それもあるけど、神主さんにケータリングをお願いされたの」
風呂敷包みを軽くたたき、
「夜はまだまだ長いから、精のつくものを、いっぱいね★」
一見豪勢なおせち料理。
ただ、ところどころにスッポンだのヤツメウナギだのが見えているのが、なんとなく別の意味での精がつくんじゃないんだろうか?
深夜1時過ぎ。
徳那賀からの下り臨時最終になったキハ20形の最大編成が停車しているところに、臨時ホームに滑り込んできた、E531系。
運転席からなるせが手を振っているのが見える。
スムーズに停車するそれは、ひょっとするとハガネより上手いのでは…
(新型車は自動電磁ブレーキだし、コンピュータ制御だから簡単。向こうのほうが運転は大変ナリよ、とは、なるせの結構真面目な御言葉)
「なるちゃんお疲れさま」
「無事到着ナリー」
列車監視中のハガネがなるせを出迎える。
「ふに? クーちゃんはどしたの?」
苦笑してハガネが指さした先には、待合室のベンチにちょこんと腰かけて、うつらうつら居眠りぶっこいてるクロハの姿だ。
それを…
「おーきーなーさーい!」
「わぴっ!」
綾がクロハの耳元で大声を張り上げる。びっくり目が覚めるクロハ。
「まったく…。おバカ妹はてんでおこちゃまなんだから…」
「ぶー!何するんだよぉ!」
にゃーにゃー喧嘩するのもなんか愛らしいのだが…
こうして、正月の初詣輸送を無事に切り抜けたハガネ達なのだった。
そうして、あくる日。
カレンダーに様々な予定だのが書き込まれているが、2月14日のところに、これでもかと言わんばかりに、ぐりぐりと丸が付いている。
「?」
キョトンと見るクロハ。
「なんだろう…?」
一方、南北新聞辺境支社では。
「おっと! 皆まで申さずとも結構! 来週の2月14日には不肖このワタクシ目がみどりかぜ高原駅の取材に同行いたしますぞ!」
やたらハイテンションな安藤に、ちょっと辟易気味の石勝なのだが。
「いや、だからその日は…」
と、そこに電話が。
「はい、…ええ、…なるほど…解りました」
程なくして電話を切り、
「残念だが、その日は県議会へ取材に行くことになったな。まあ別にその日でなくても…」
「嘘や!」
なんか、某ヤンデレキャラばりにいきり立つ安藤。
「てか、今時このネタは、どーやの?(苦笑)」
ちょっと苦笑気味のスー。
「支局長。様はあれですよ。バレンタインデーやないですか」
「で?」
「安藤ちゃんは、察するにクロハたんからのバレンタインチョコが欲しいんとちゃいまっか?」
「スーさんたらそんなあからさまにアナタって子わっ!」
デレデレの安藤。
「しかし、しばらくは行く用事もないしなあ…」
「わかりました! 僕一人で取材に行かせてください!」
と、押し切られそうな石勝なのだが…。
一方。
「確かこの日は、小諸さんをお呼ばれに呼ぶ日じゃないかな?」
と、カレンダーを前に事情を把握していないハガネが答える。
「ほら、お正月とかにもいろいろ御馳走になったでしょ。そのお礼に…」
「にゃっ☆」
なんか、頓珍漢な様相になっている気がするんですが…
そして当日。
「はい。ハーくん(はあと)」
『熱愛!(表向き社交辞令)』と書かれたどデカいハート形のチョコを差し出したなるせ。
「こ、これは…」
「なにって、バレンタインデーのチョコ☆」
「あ、ありがと」
ちょっと怪訝そう。さすがになるせも不機嫌そうな表情で、
「…嬉しくないナリか?」
「そ、そうじゃないけど…」
ハガネが後ろを指すと、複数のみかん箱一杯に山のように入っているラッピングの包み紙が。
「さっきの乗務中に、沿線にある中学や高校の子たちが、次々と…」
大きなため息。
「むう。みんな物好きナリね」
アンタが言うな(苦笑)
「それに、チョコってあまり好きじゃないんだよね…」
「そう言えばそうだったナリ…。あ、じゃあ、いつもはどうしているナリか?」
「クロハが全部食べてる、かな?」
「にゃ。呼んだ?」
どこからともなく現れるクロハ。
「クーちゃんは、チョコ好きナリか?」
コクコク頷きながら、
「大好きっ☆でも、お小遣い少ないからあまり買えないのっ」
でもねっと表情を明るくし、
「何でか知らないけど、一年に一回、お兄ちゃんがたっぷりチョコレートくれるの!」
元気なクロハ。
なるせはハガネにぽつりと、
「…あれ?」「…それ」
なるせはちょっと襟を正し、
「クーちゃん。それはきっと、ハーくん宛にきたバレンタインデーのチョコなりよ」
「はにゃ? ばれんたいんでーって、何?」
キョトンとしっぱなしのクロハ。
に、目が点になるなるせ。
途端になるせはハガネの胸座をつかみ、
「ハーくん! いったいどんな教育をしてるナリか!?」
「ええええ!? ぼ、僕に責任をなすりつけられても!」
なるせは大きなため息をつき、
「仮にもメインヒロインで若干幼いとはいえ一応元気な美少女で形だけでも元社長令嬢のお嬢様なのに愛の儀式を蔑ろにするなんてなんというご都合主義!」
そこまで言いますか(苦笑)
「ともあれ。クーちゃん」
「なに、なるおねーちゃん?」
「今日は、おにゃのこが男の人に愛情を偽善化したチョコレートを社交辞令で配る日ナリよ」
「そこまで言う!」
なるせのあまりにリアルな言葉に目が点のハガネ。
その日の午後。
お昼休みに茜森温泉にやってきたクロハなのだが。
「バレンタインデー?」
あまりに突然に、しかもなるせの台詞を聞かされて、逆に目を点にする巴。
「そ、それは、まあ。義理とかでもあげるけど…」
巴は静かに目を閉じ、やたら乙女ちっくというか、少女マンガのパターン丸出しで、
「本当は、「好きです」って気持ちを伝えるのにチョコレートをあげる、愛の行事なのよ」
「そ、そうだったのかあっ!」
今更!?
「クロハちゃんは、好きな人にチョコあげたりしないのかしら?」
軽い笑みをしながら巴のいかにも女の子っぽい意地悪い質問。
「クロハの、好きな人…」
もやもや想像している。
なぜか、ハセベさんにご飯をあげている構図が。
「ちゃんと、あげてる、かな…」
ちょっと待て(苦笑)
が、こんな些細なことで、午後の仕事が手に付かないクロハ。
「クロハの、好きな人…?」
モヤモヤ考え、顔が一気に真っ赤になる。
ハガネも朴念仁だが、クロハもそういう意味では世間知らずなので、恋愛感情など全く考えていなかったようなのだ。
でも、
「うーん、よくわからないや」
それだけ!?
第一、そんな無責任考えをしておきながら、ハガネが貰ったはずのチョコとちょこちょこ食べていたりするわけですが。
午後。
書類を三峰峠駅に持ってきたクロハが帰る途中、県議会から取材帰りの石勝と遭遇したのはそんなさなか。
「にゃっ☆石勝さんだっ! こにちわー!」
殆どなついてる猫状態のクロハだ。
「そだ。えと、えと…」
鞄をまさぐると、なんか一杯お菓子が入ってるんですが、その中から、何故かハガネが貰ったはずのチョコを取り出し、
「今日はバンアレン帯の何とかで、お世話になってる人に社交辞令で渡すんだ、ってなるおねーちゃんが」
「ひょっとして、バレンタインデーのことかな?」
「それそれ!」
クロハ無邪気に笑いながら、
「どぞ!」
ちょっとドキドキしてる石勝。
それでも無造作に包みを開けると、
『呪い(はあと)』
後ろ頭に大きな汗ジト状態の石勝。
「こ、これは…」
「さすがに食べきれなくなっちゃって」
と、そこで石勝は事の経緯を聞くことになる。
「な、なるほど…。ハガネ君の…」
それでも普通に食べちゃう石勝なのだが、ふと、ここでも、
「ところでクロハちゃんは、誰かにちゃんとしたチョコをあげたりするのかな?」
一瞬間が空き、顔からぼっと火が出て、思わず倒れちゃう。
「わーっ!しっかりー!」
で、
石勝にパタパタとバインダーで煽られて、ベンチに寝かされてるクロハが。
「うにゃうにゃう~@」
目を回しております(苦笑)
ともあれ、石勝にジュースを奢ってもらい、火照り顔でもニッコニコのクロハ。
恋愛感情がまだ未発達なところが判った一方で。
「落ち着くのよ、落ち着くのよ…」
黒川駅のホームの端っこにて、チョコの包みを持ってドキドキしている綾を見かけたのは、午後も遅くなったころ。
「今度の列車はハガネ様の運転なさる列車ですわ。ちゃんと運用情報を確認しましたもの。停車時間もあるし、この手作りチョコをハガネ様にっ!」
(注。列車両の運用情報を駅や車両基地に確かめるのは、本当に迷惑だからよい子はマネしちゃ絶対駄目だよ! 綾ちゃんとかの地元住民は地元鉄道を私物化しているって設定なんだからね!)
とにもかくにも緊張の綾。
そこに、列車が入ってきた!
相変わらず微妙にずれる停車位置。まさにハガネ運転の列車だ。
「今ですわ!」
綾ちゃん吶喊!絶叫しつつ、
「わ、私の気持ちを、チョコに託してっ! は、ハガネ様っ!! わたしの気持ですわっ!」
バッと差し出す!
「にゃっ! クロハ女の子だようー!」
気付いた綾がハッとして顔をあげた先には、びっくりして頬を赤らめているクロハが。
奥の運転席でハガネが訳もわからずにキョトンとしていますが(苦笑)
そして夕方遅く。
「ゴメンね、こっちが用意してなきゃいけないのに、なんか変なこと頼んじゃって…」
「大丈夫大丈夫。気にしないで」
ご招待のはずなのに、結局、食材を買ってきた巴が、身延家の母屋にやってきたのは、バレンタインデーの騒動も終わりを迎えた夕ご飯どき。
「トモちゃんも通い妻状態ナリねー」
「そ、そんなことは…っ」
なるせの一言で、思わず無意識に照れちゃう巴。
「私達は、そ、そう。家族みたいな、ものだから…」
一瞬、言い淀んだのは、何故?
ともあれ、
リビングには、果物やフランスパン、その他様々な食材が一口サイズでたっぷり用意されている。
テーブルの中心には、何やら煮立ってる鍋が。
「うわあ! チョコフォンデュだあっ!」
クロハ、満面の笑み。
「チョコが大量に余っているっていうから、これなら皆で食べられるでしょう?」
あ、そうだ、と言い、
「はい。ハガネ君。クロハちゃんにも」
そう言いながら、巴はみんなにハート形のおせんべいを差し出した。
「ハガネ君ってチョコとかって苦手だったはずだし、クロハちゃんももう今日はいっぱい食べたでしょ?」
床では、伏せてるハセベさんが早速ガシガシ齧ってますね。
なるせも至福の表情で頬張ってます。
「おいひ☆しかもチョコつけて食べるともっとおいひ☆」
巴はお母さんみたいにニッコリ笑い、
「さあ、いーっぱい食べてね☆」
甘くて楽しい夕食なのであった。
一方。
「せやから、早く寝ようやー」
「まだや! 2月14日はまだあと6分ある! 今にもほほを赤らめて恥ずかしがりながら我らがクロハたんがワイにチョコを持ってやってくるんや!」
安藤とスーが同棲している下宿にて、安藤が布団で半泣きしながら絶叫中。
スーは石勝がクロハからもらった例のチョコを何気に食べつつ、
「せやから、クロハたんはワイ達が住んでるところも知らんだろーに…」
さすがにちょっとあきれるスーなのだった。
そんな厳しい冬も通り過ぎ、春の輩が現れ始めたころ。
「うう…」
項垂れている半泣きのクロハを見かけたのはそんな時期。
「ど、どうしたのクロハ!?」
思わずビックリして狼狽するハガネ。
泣きながらクロハが見せた紙には、
『おバカ!』
とデカデカ書かれてますが。
ハガネは詳細が書かれた書類に改めて目を通し、なるせが軽く苦笑しながら、
「つまり、今度の追試をクリアしないと、落第しちゃうナリか…」
「うう~っ」
なるせに撫でられながら情けない声を出すクロハ。
翌日の夕方、綾がやってきた。
「そんなわけで、クーちゃんのお勉強を一緒に見ることになったナリ」
「ちょっと! わたしそんなコト聞いてませんわ!」
いきり立つ綾。
「でもでも、ここでクーちゃんが無事進級できれば、綾ちゃんのハーくん突撃網が緩くなるかも知れないないナリよー」
なるせの悪魔のささやき。
ほほ赤らめ妄想する綾。
『(無事おバカなクロハも綾ちゃんのおかげで進級出来たよ!ありがとう)』
『(わたくしは愛するハガネ様のご苦労を忍んだだけでございますわ☆)』
(ハガネは綾をラブストーリちっくな妖艶な抱擁をし、)
『(これはもう、結婚してもらうしかないよねっ!)』
『(ああ、ハガネ様はこれで私のものですわっ!)』
…暴走爆発してデレデレの綾だが。
結局、
意識してお澄まししつつ、
「し、仕方ないですわね。ここは親友としてクロハの落第を防ぐために、微力ながらお手伝いさせていただきますわっ!」
こうして、綾が学校帰りに寄り道をすることになるのだが…
「ありゃー。クロハが赤点かあー」
三峰峠駅のホームで、らえるの買出しにつきあってたかのんが、綾から状況を耳にしたのは、そんな矢先のこと。
「そうですの。そこで、かのんさんも一緒にお手伝い願えないかしら、と」
「うーん、ボクは理系しか得意分野がないんだけど…、まさか…?」
「そのまさか。体育を除く全科目追試ですのよ…」
「むぅー。まるでウィンドウズMe並みのダイナミックさだね、こりゃ」
腕組みして渋い顔のかのん。
「まあ、ボクに出来ること位だったら…。そだ。いっそのこと、らえ姉にカテキョしてもらえば?」
そう名指しされたらえるはホームの端で大量のハトに囲まれて襲われ怯えまくりだ。
思わずボー然の二人。
ともあれ、時間のある時だけでいいのなら、という約束を取り付けたあくる日の夜。
「たっだいまーナリー」「お邪魔いたしますわ」
乗務終了したなるせと、一緒にやってきた綾。
「で、どこまで進みましたの?」
「ぅぅ…。漢字の書き取りが半分」
「ナニその小学生並みの課題は!?」
「追試の代わりのレポートなのっ」
つまり、ある意味で小学生レベルのクロハに合わせた内容もある、と(笑)
なるせはプリントをめくりながら、
「とりあえず、レポートとかはハーくんをこき使って作らせてるナリね。イケナイ事だけど、緊急事態だから今回は目をつぶってね綾ちん」
「し、仕方ないですわね」
顔か若干赤いのは、ハガネとの関係強化を含まれた洗脳をなるせから受けているのだろう。
「問題は、追試のテストですわね。こればかりはクロハ本人が頑張らないと…」
が。
数学の教科書を開いてちょっとしたら、頭から煙吹いてダウン。
「うにゃうにゃう~」
「早っ!」
綾がインド人並みにびっくり。
「でもでも、うーん」
何か渋い表情のなるせ、クロハの頭を撫でながら、
「クーちゃん自体は、決して頭の悪い子じゃないはずナリが…」
「そんな、このおバカ妹が…」
ふと閃いたなるせ、
「クーちゃん」
ちょっと一拍置き、
「『3月4日にハーくんとトモちゃん、見た目で小学生ってごまかしたクーちゃんが、直江津で「はくたか5号」のグリーン車に乗って越後湯沢へ行って、そこで「とき320号」の普通車指定席に乗って東京駅まで行きました。アタシがいろいろ頼みものをしたので、秋葉原とか池袋とか渋谷とか中野とかを回るんで「東京フリーきっぷ」を購入しましたの』さて、幾らで…」
「3万3630円」(※注。2010年3月現在)
その素早い回答と正解に、思わず目を丸くする綾。
「凄いじゃないですのクロハ! あ、じゃあ、三つのリンゴと一つのみかんを足して…」
途端に頭から煙が(苦笑)
「…何となくカラクリが判ったナリ」
とりあえず一服。
「クーちゃん」
いつになく真剣な表情のなるせ。それでも軽く優しい笑みを浮かべながら、
「クーちゃんて、『お勉強が大変だから嫌い』が身にしみているんだと思うなりよ」
「……」
「お仕事とか、自分がちゃんとしなきゃだとなら、ちゃんと出来てるナリし」
「そうですわね。先ほどの計算はちょっと凄かったですものね」
「そこでっ!」
なるせはクロハをニヤリと見つめ、
「学校のお勉強じゃなくて、すべて仕事の役に立つと思っての勉強だと思うナリよ!」
「にゃにゃ!?」
クロハ、ぢたばたぢたばた。
「慌てない慌てない。いいナリか?」
逃げ出そうとするクロハの首根っこを掴んだなるせは、そのまま英語の教科書を取り出し、
「外国人のお客さんが困ってます。クーちゃんそんな時、言葉話せないと、どうお手伝いしていいか判らないナリよね?」
更に地理のテキストを開き、
「お客さんから旅行先の事を聞かれたら、どう案内するかとか、あるナリよね?」
そう言いながら、綾はぽつりと、
「そうですわね。学校の勉強って、ただ知識を詰め込むだけのものではないですもの。それが自分の役に立つということも、重要ですわよね」
「クーちゃんだって、鉄道運輸規則とか運賃約款とかはしっかり覚えてるナリでしょ?」
「それは、だって、お仕事で必要だから…」
「そう!」
ぱん! と手をたたき、
「学校の勉強も、それと同じナリよ!」
ハッとなるクロハ。
「そ、そっか…。クロハが頑張って一杯お勉強すれば、一杯お仕事も出来るってことだよね!」
元気にガッツポーズし、
「よおし!クロハガンバる!」
そしてさらに翌日からは、らえるのカテキョ(英語、国語)、かのんのお手伝い(理数系一般)、なるせの様々なアドバイス(と、社会)、ハガネのレポート代筆など、そのピッチが格段に上がっていくのだ。
そして…
「うにゃあああぁぁぁ!」
「どうしたのクロハ!?」
クロハの絶叫で、びっくりして駆けつけたハガネ。
「お兄ちゃん!こ、これ…」
おずおずと差し出した紙。
『よくできました☆』
のハナマルがデカデカと。
詳細が示された書類では、いずれの科目も合格点が示されているのだ。
ハガネ、優しく笑み、
「うん。よく、頑張ったね」
「うにゃにゃ☆」
頭をくしゃくしゃに撫でられて、ニッコニコのクロハ。
季節も春になり、どうにかこうにかクロハも無事に進級できるのがわかった頃。
JTR本社ビル最上階の名誉会長室にて。
「なんなのこれは!」
響き渡るシルクの怒号。
インターホンで言葉も荒く、キハ社長が呼びつけられた。
本人は状況が判っていないらしく、鼻歌交じりで名誉会長室に入ってきたが、シルクが投げつけた新聞が顔面にヒット。
「な、何事ですか!」
「あなたが無能だということよ!新聞を見なさい!」
投げつけられた「南北新聞」の経済面だ。
【みどりかぜ鉄道、単年度営業黒字へ】
第三セクター『碧風高原鉄道』が前年度比約40%の増収により、単年度
ながら営業黒字を確保したことが年度末決算報告書で明らかになった。
独特の観光ツアーや知名度上昇による観光利用等の不定期利用客が増加した
ことで運送収入が増加し、小規模ながら関連事業収入も利益増加に貢献した
と見られ、更なる増収増益が期待できると関係筋はコメントを発表している。
自治体は補助金の供給を続けるが、営業欠損の補填ではなく事業発展の起爆剤
として有効活用を期待したいとしている。
『早くも聖地巡礼候補』
「聖地」(オタク用語で言う特別な場所を指す)にふさわしい場所。貴重な列車
群はモチロン、駅員が実に萌えなんですわ(「萌え」愛らしい女性や少女に対す
る感情を端的に表すオタク用語と思われる)。
(記事責任【辺境支局、石勝】)
「そもそも、赤字ローカル線だからいつかは泣きつくといったのは、貴方のはずよね?」
「モチのツモ、いやロンです。ソレイユ様」
「信用した私が愚かなのかしら? 大船に乗ったつもりが磯子行きどころか東神奈川止まりだったなんて情けないオチになるとは思わなかったわ!」
「まさかまさかデース。ほら。だってこっちは…」
そう言い、そばで目に付いた「大東京日報」の第2社会面を指差し、
【累積債務対策に廃止を含む抜本的対応を表明】
JTR(大日本鉄道公社)のCEO(最高経営責任者)、キハ・ヨン
ジュウ氏が関連子会社に当たる第三セクター『碧風高原鉄道』の
累積債務に関し、自治体と協議の上抜本的な改善策を講じる準備
があると記者会見で発表した。
第三セクター鉄道としては赤字路線である碧風高原鉄道は廃止を
含む抜本的な改革策を計画中であり、業務改善計画が進んだ結果
として単年度黒字を僅かながら確保したが巨額な累積債務の返済
には目処が立っていないと予想されている。
『国民負担になる前に精算を』
地域住民においての公共交通機関である意味合いは重要だが、その
負債は最終的に利用者以外の税負担という形で相殺され、税の公平
性という観点からも問題がある点は否めないのではないか(国土交通省関係者)
なお碧風高原鉄道は業務改善計画から三ヵ年を目処に抜本的見直し
を行うとされている。
(【政治部・吉祥寺】)
「主だったマスコミも大東京日報の記事を追って各特集を組んでいますし、世間的な風評としては廃止やむなしの意見が依然として多いのも事実かと」
「本当にそう思っているの?」
シルクは、南北新聞の論調がネット世界で大勢を占め、みどりかぜ鉄道擁護の声が強まっていることを指摘しなかった。
ネット世論を信用していないからか、あるいはキハ社長の方をか、だが…。
そんなやり取りの後、社長は自室に戻って執務中なのだが。そこへ、
「失礼します」
麗夏が社長室に入ってきた。
「どうしました? そう言えば最近落ち込んでるようですが、何かありましたかネ?」
陽気な社長に対し、暗い顔というか、無表情で、
「実は、急なのですが2.3日休暇を頂きたいのですが」
「随分急ですネー」
一瞬、言葉を飲み込んだ麗夏、表情を余り見せないまま、
「その、身内に不幸がありまして…」
「それはそれは…。たまには親類孝行してきたらよろしいでしょう!」
と、何かを含んだ、社長秘書大垣麗夏が向かった先は…
「ハガネ君!」
「あ、はい! 何でしょう? 地区駅長」
三峰峠駅に到着したハガネは、ホームに出張ってきた地区駅長に呼ばれる。
「急なのだが、午後は乗務から外れて、本社の人間と会ってほしいと連絡が来ている。代務乗務員の用意はしてあるから、行ってきてくれないか?」
そしてハガネは、三峰峠駅からJTRの特急で30分程した所にある中核都市のJTR支社へ。
会議室に通され、そこにいたのは、
「お久しぶり。身延ハガネさん」
「あ…」
サングラスをして表情は見えないが、大垣麗夏がそこにいた。のだが、
「えーと、どちら様でしたっけ…?」
思わずコケる麗夏。
「ま、まあ無理もないわね…。殆ど面識ないし…」
判ってんじゃん(笑)
「身延ハガネさん、あなたに確認したいことがあります」
この時の麗夏の言葉は、後々に大変な事態を引き起こすことになる…。