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(上)

 新幹線車内。

 いまどき懐かしい東海道新幹線(しかも、その車内チャイムからして、乗っているのは、ひかりかこだま)だと思う。

「(大あくび)。遠いなー」

『今日も新幹線をご利用いただき…』

 車内案内もそこそこに、ぼーっとしているこの、一見冴えない感じのする、出来の悪い二枚目を思わせる風貌の男、読者の視線に気づいたのか、

「ん? ああ」

 軽く咳払いをし、いかにも作為的なカメラ目線で、

「わたしの名は石勝チトセ。石に勝つと書く珍しい名字の、フリーのルポライターをしている。今回は、超一流鉄道雑誌である『月刊鉄道ジャンプ』の取材を請け負うことになったのだが」

 乗っている列車はいつの間にか在来線になり、懐かしい455系のボックスシートを陣取っていますが、

「(ため息)どれだけ田舎なんだ…」


 今回、石勝が訪れる【碧風高原鉄道】について説明しておく。

 旧国営鉄道、現在は民営化されている、JTR長浜境線三峰峠駅から分岐している、全長48.2キロの第三セクター鉄道だ。

 元はJTR長浜境支線だったが、その昔、大赤字を抱えた国営鉄道の経営合理化法に基づき、第三次地方交通線に選定されたが為に廃止の運命をたどる筈だったが、半官民間の手に委ねられ、今年で丁度20年目を迎えることになる。


 その後、

 色こそ塗り替えているものの、古さは隠し切れないキハ20形に石勝は乗り換えているらしく、列車はゆっくりと終点であるみどりかぜ高原駅の突端型ホームに進入してきた。

 重い音を立てながら扉が開く。

「やっっっと、たどり着いたか…」

 大きく背伸びする石勝。

 ふと、誰かの声に気付く。 

「まてまてェ!」

「だから悪かったってば!」

「悪いで済めば駐在さんはいらないんだあっ! お兄ちゃんの癖にぃ!」 

「な、なんだなんだ!?」

 石勝が周囲を見渡したまさにその瞬間、

「食らえ! 必殺クロハ特急きいいいぃぃっく!」

 制服姿の女の子が石勝に向かってとび蹴り!

 青年が止める間もなく、「クロハそっちは!」


 どかあっ!


「のおっ!」

 勢い余って吹っ飛ばされる石勝!

「きゃあっ!」

 反射的にビックリした少女。狼狽している青年は石勝に駆け寄り、

「だ、大丈夫ですか…っ」

「ああ、刻が見える…」

 暗転。


 ひぐらしのなく音で目覚めたときには、すでに夕方になっていた。

「あ、気が付きましたか」

 青年に覗かれる様に目を覚ます。

 石勝は自分の身体をチェックしながら、

「ああ、特に異常は…無いみたいだ」

「ほら、クロハ。ちゃんと謝らないとダメだよ」

 クロハと呼ばれた少女、青年の背中の後ろに隠れていたが、おずおずと出てきて、シュンとなったまま、今

にも泣きそうな表情で、

「ご、ごめんなさい…」

「大丈夫大丈夫。大したことないからね…。クロハ…?」

 石勝にじっと見つめられて、照れているクロハを見ながら、

「君はひょっとして、身延クロハちゃん?」

 いきなり名前を呼ばれてちょっとびっくり、

「は、ひゃいっ!」

 それ系のきらりんなBGMが流れたりして、なんか、鉄道むすめ的なそれを意識しながら、

「みどりかぜ高原鉄道駅務係兼客扱車掌、身延クロハ15歳ですっ!」

 元気満載。

 ちょっと幼い感じはするが、明るい元気な美少女である。

 そのクロハは隣の青年(結構優男)を指しながら、

「ええと、そんでこっちのスットコドッコイは…」

 汗ジトの青年を見て、石勝、苦笑しながら,

「お兄さんだね。身延ハガネ君?」

「あ、はい。そうですけど…。あなたは…?」

「私は石勝。石勝チトセ。ルポライターだ。今回は『月間鉄道ジャンプ』の取材でこちらにお邪魔すると…」

「ああ! あなたが! 親会社の広報からは伺ってます。ようこそ!」

 二人はがっちり握手を交わし、石勝は苦笑いしながら、

「こちらこそ。変わった歓迎、大変うれしいよ」

「だぁからゴメンナサイってばっっ(苦笑)」

 やわらかい雰囲気の中で笑う三人。

「ばうっ! ばうばうっ!!」

 縁側から、駅長の制帽を被ったでっかいラプラドール・レトリバーが吠えている。

「ハセベさん…。おっと。もうこんな時間か」

 取り出した懐中時計を見て、すっくと立ち上がりながら、

「じゃあ、僕は上り乗務に行ってくるんで、ゆっくりしていって下さい」

「そうか。ハガネ君は、運転士でもあったんだっけ」

「石勝さん! 折角ですから、発車送りしましょうっ!」


 こうして、みどりかぜ高原鉄道と、その周辺地域の取材は、幕を開けた…


 翌日。

 ちょっと靄が掛かっているが、清清しい朝。

 気動車のアイドリング音が静かに空気に溶けこんでいくようだ。

 大きく背伸びする石勝。

「ううーん! よし!」

 その背中越しに見えるのは、運転席(乗務員室)からホームにいるクロハとお座りしているハセベさんに、

何か指図しているハガネの姿だ。

「…というわけで、今日から石勝さんに同行して、あちこち案内してあげるんだよ?」

「うん! クロハにお任せだよ!」

「じゃあ、駅務はお願いします。ハセベさん」

「ばうばうばうっ!」

 その列車内。

 ボックスシートにいる、唯一といっていい乗客である会社の制服姿なクロハと、石勝が向かい合わせで座っている光景は、なんか銀河鉄道っぽいのだが、

「そうか。クロハちゃんはまだ生まれていなかったのか」

「そうなの。お父さんとお母さんは、クロハが生まれてすぐに事故で…。でも、物心も付いてない頃だから、悲しいとか、そういう思いはないんだ。それに、みんな居るもの!」

「そうか…。そうかそうか……」

 満面の笑みを浮かべた石勝、クロハの頭を思いっきり撫でくりまわす。

 こーゆースキンシップに慣れてないだろうクロハ、ビックリして顔を真っ赤にし、

「にっ! にゃにゃっ! な、何故にクロハの頭を撫でてるですかっ!?」

「いや、健気でかわいいなと思ってね」

 顔を真っ赤にして俯いちゃうクロハ。そこへ、

『まもなく、龍真神社、龍真神社。お出口は左側です』

 機械音声が終わる頃、運転席からハガネの声が。

「着いたよー」


 神社の境内。

 少女である。巫女である。黒髪ロングの美少女である。

 そんな娘が、箒で石畳を鼻歌交じりでさっさか掃きながら、

「♪わったっしぃは魅惑のかわいい巫女さん、黒髪ロングで萌えっ萌え~♪」

 なんとゆー歌を歌っているのだろう?(苦笑)

 階段を、フラフラになりながら上ってきたクロハと意外に平然としている石勝。

「うにに~。足がガクガクだよお~。石勝さん、よく平気ですねぇ」

「まあ、山道を歩くのも慣れているから…」

 それでも努めて笑顔なクロハは、巫女娘に向かって、

「綾ちゃん、こにちわー」

 綾、と呼ばれた娘、は、その声に、表情が強張り、


「お、おバカ妹!」


「なっ…! クロハ、バカじゃないもん!」

 いや、このやり取りを見る限り、クロハは十分におバカ娘の素質ありまくりだ。

「じー…」

 綾、クロハを睨みつける。

 が、隣の石勝に気付き、ちょっと戸惑いながら、

「そ、そちらの方は?」

「石勝さん。取材でこっちに来たんだって」

 石勝の大人の魅力というか、なんか気になったんでしょうね。態度を急変させ、

「あらあら。こんな遠いところまで…」

 社交辞令の笑みを浮かべる綾。ロングの黒髪も綺麗で、清楚な感じのする娘だ。

「わたし、ここの龍真神社の娘で、一之宮綾と申します。ええと、石勝、チトセ、さん、ですか?」

「ええ。よろしく。あ、済まないが、名刺一枚しかないんで…。で、君達二人は?」

 綾は自身とクロハを交互に指差しながら、

「そこのおバカ妹…いえ、身延クロハと同級生ですの」

「じゃあ、やはりここで働いて?」

「いいえ、わたしは学校がありますので、今日はお手伝いですわ。クロハは、お兄様であるハガネ様と、あの鉄道を維持するのに精一杯で、一応は同じ高校には居ますけど、彼女は通信制でガンバっていて…」

 訥々と語る綾。それをみていた石勝は優しい笑みを浮かべ、

「…クロハちゃんのこと、しっかり見てるんだね」

 綾は顔を真っ赤にして、

「か、勘違いしないでくださいまし! わ、わたしは、ハガネ様が御苦労なさっているから、あのおバカ妹 が精々手伝って苦労していればいいと思うだけで、あのコの心配なんか…」

「て、典型的なツンデレ娘だなあ」


 石勝、心の叫び(苦笑)


 そんな時、参道の階段から、軽く息を切らした女性の声が。

 なんか淫靡でちょっちエロチックな気もするが…。

 そもあれ、見た目は和服姿も似合っているし、日傘もキュートだし、フリル付きのメイドちっくなエプロンもこれまたフィットしている。

「はあ、はあ…ふう。ごめんくださぁい」

 その姿を見た二人、表情を明るくし、

「巴さん/巴おねーさん!」

「あら、二人して珍しいわねえ…」

 石勝に気付いた巴、一瞬戸惑い、

「ええと…」

「ええと、小諸、巴さん…ですね? この先の茜森温泉で旅館を営んでいる…?」

「え、ええ。そうですけど…あなたは一体……」

「観光協会のほうから取材の問い合わせが行っているかと思ったんですが…」

「ああ! あなたが…」

 どうやら合点が行ったようだ。

 和服姿にフリルエプロンが大変よく似合う(大事なことだから繰り返した)、清楚な感じのする巴、可愛らしい笑みを浮かべ、

「はい。始めまして。小諸巴といいます。こちらこそ、よろしくお願いいたしますね」

 その笑みをまともに食らい、顔を真っ赤にする石勝。

「こっ、こちらこそ、っ」

「石勝さん、顔が真っ赤…」

 クロハのツッコミに、更に狼狽し、

「そ、そんな事は…」

「照れない照れない。巴おねーさん、綺麗で美人でしょ~」

 そう言われて、ちょっと照れる巴は、

「クロハちゃん…そんな事は……」

 それを自然な形で遮ったのは、綾。

「ところで巴さん、今日は何か?」

「え? そうそう。神主さんに頼まれごとがあるって呼ばれて、ちょっと」

「父ですか? おとーさーん!」

 呼ぶ。

 暫くの間があり、「人間田中角栄」ポーズで現れた神主、スチャラカな笑みで、

「やーやーやーやーやー。ちょっと蔵を片付けていて、申し訳ない。今度の例大祭で色々仕込みだのなんだのをお願いしたいと商工会のほうから、ちょっとね。とりあえず社務所のほうに…」

「わかりました。では、又後ほど。失礼しますね」

 ペコリと頭を下げる巴。石勝はポーっとなったまま、

「あ、はい、ごきげんよう…」

「…チトセ様?」

 綾が石勝の顔を覗きこむが、あさっての方向を向いて、陶酔の世界に入っている。

「石勝さんてばっ!」

 クロハも呼ぶが石勝はやはりあさっての方向を向いて、陶酔の世界に入っている。

 無視された二人の少女、怒りに任せ、

「石破! 天誅だぶるぱんち!」


  ばきぃ!


「のおっ!」

 勢いよくふっとばされる石勝(苦笑)

 クロハはぷりぷり怒りながら、綾は腰に手を当て半分あきれ返りながら、

「んもう! これだから男の人って…」

「でも、ハガネ様は違いますわ!」

「なんで? お兄ちゃんだって同じだもん」

「そ、そんなはずありませんわ!!」

「あるもん! お兄ちゃんはスットコドッコイだからそうなんだもん!」

 いつしか、個人攻撃への口喧嘩に…

 ただ、雰囲気は子猫と子犬がじゃれ合っているそのものの、ほのぼのだが…


 そんなこんなで、列車内。

 どうやら停車中(交換列車待ち)らしく、ハガネも一緒にいる。

 ハガネに絆創膏を張ってもらう石勝、ちょっときつかったのか、

「いタタ…」

「ご、ゴメンナサァイ…」

 ショボーンとなって謝るクロハに、石勝は努めて穏やかに笑いながら、

「いやいや、こっちも悪かった。気にしないで(鳩尾にものの見事にクリーンヒットしたけど)。ところで」

「は、はい?」

 キョトン☆となるクロハをよそに、車内の上の方に張ってある路線図を指差しながら、

「ここの路線図には二羽黒山という駅があるけど、なんで、塗りつぶしてあるのかな?」

 クロハ、ニヤリと笑い、

「(雰囲気作って)聞きたいですか?」

「それはまあ、仕事だし」

「聞いてもいいけど、…オバケが出ますよ!」

「って、どんな脅し文句だよ!」

 背後に暗黒の雰囲気を背負ったクロハに思わずツッコむ石勝。

 てへっと舌を出して笑うクロハもお茶目に可愛いのだが。

「別になんでもないですよ」

「ハガネ君/おにいちゃん」

 箒を持って(多分、車内清掃でもしていたのだろうが)再びやってきたハガネ、その柄で路線図を指し、

「一度、駅自体が使用休止になったんですけど、そこに住んでいる人が居ると判ったので利便性を考えて駅利用を再開したんです」

「なるほど」

「基本的にその住民以外は使用しませんし、修繕費用もないので、そのままになっちゃってるんですけど…」

「なるほど。そういうことか」

 頷く石勝。遠くから、列車の音が近づいてくるのにハガネは気付き、

「おっと。交換列車が来た…。戻りますね……」

 乗務員室へ戻るハガネをよそに、石勝は路線図を指し示しながら、

「クロハちゃんは、ここを知っているかい?」

「モチロンです! クロハにお任せですよ!」

「じゃあ、明日にでも…!」

 冒険心わくわくの笑み交わす二人なのだ。



 翌朝。

 二羽黒山駅(といってもホームと簡単な待合所だけしかないが)にて。

 運転席の窓から身を乗り出したハガネは、

「じゃあ、行っておいで。石勝さん、よろしくお願いします」

「大丈夫。クロハちゃんがいるから(苦笑)」

「石勝さぁん! 早く早く~!」

 すでにホームの端っこにいるクロハは腕をぐるぐる元気に回しながら、石勝を呼びかける。

 まるで元気でやんちゃな小学生並み。

 あまつさえ、我慢できないのか走り出してしまう。

「今行くー。そんなに走ると危ないぞ?」

「ダイジョブダイジョ…うきゃん!」

 すべしい!

 すっ転んで顔からダイブ。

 二人は後ろ頭に汗ジト状態で、

「……(苦笑)」


 獣道までではないものの、山奥の道を歩く二人

 時折木の枝や草を掻き分ける、多少険しいハイキングコースのようだ。

「で、ここに住んでいる人というのは?」

「この山奥に、小日向さんの五人姉妹が住んでいるんです」

「しかし、また、なんでこんな山奥に…」

「さあ…。何回聞いても、理由は、絶対教えてくれないんですよう」

 あごをさすりながら思案に耽る石勝、クロハに呟きながら、

「何時頃から住んでいるとか、どこから来たとかも判らないの?」

「そーなんですよー」

「過去を語るは無用、聞くは無作法ってか。まるで外人部隊だな、こりゃ…」

 自然と好奇心の笑みを浮かべ、 

「しかし、それはちょっと、興味あるな…」

 それを気にもせず、クロハは先の方を指差しながら、

「あ、あれです!」

「あの、山の中腹に見える家かな?」

「そです! 行きましょ!」

 腕をぐいと引っ張る!

「ちょ、引っ張らないで! 山道は危ないって!」

 ずどどどどっ! といきなり猛ダッシュ!


 山間に、蒔割りのかこーんな音が響き渡る。

「ふう。」

 額を軽く拭ったショートカットな娘が、どうやら薪割をしているようだが、

「今の時期に薪割りって…しかも、割り過ぎたかな?」

 その背後には、家と同じサイズにまで山のように積まれている薪が。

 何者!?

 そこへ、

「あ! あやみおねーちゃん! こんにちわあー!」

 元気に歩いてきて挨拶するクロハに引っ張られたグロッキー状態の石勝を見ながら、 

「ありゃりゃ。クロハじゃない。コンチわ。…みんなぁ!クロハと変なのが来たよお!」

 石勝は目を回しながら、

「変なの呼ばわりかよ…」

 思わず、刻が見えそうになって気絶寸前。


 ぽん☆と場面転換。


 和室。どうやら茶の間のようだ。

「…というわけなんです。ええと…」

「あ。申し遅れました。私、長女のらえると申します」

 その微笑に顔を赤くした石勝が、すっと座る姿も美しい黒髪の娘に向かってその照れくさい感情を抑えつつ、何かを説明している。

 その、らえると言われた娘、は、静かに頷きながら、お茶を啜る。

 ほっと一息つき、

「そうですか。取材でわざわざ…」

 その横にいたポニーテールのめがね娘が、目を輝かせながら、

「ということは、写真に出まくりで特集なんか組まれちゃったりして、わたくし達がアイドルマスターに!? これは願ってもいないチャンスでは、あやみお姉さま!」

「そういうのじゃないんだってさ、めぐみぃ。つまり、この地域と、そこの鉄道を見に来た物好き? って、コラ! ほむら! 一人で差し入れのケーキを食い尽くさない!」

 めぐみの後ろに隠れるようにして、お土産に持ってきてるはずのケーキの箱に入っているミルフィーユをがっつく、ほむらと呼ばれて怒られてる娘は、悪びれる様子もなく、

「みるふぃーゆ、おいひい」

 全員、汗ジトで苦笑。

 それでもいち早く自我を取り戻した石勝は、再びらえるに向かい、

「ところで、一つ伺いたいのですが」

「あらあらなんでしょう?」

「なんで貴女方はこんな山奥に姉妹だけで住んでいて…」

「それは秘密です☆」

 石勝、身を乗り出し、

「そこを何とか…」

「呪いますよ?(はあと)」

 にっこり笑ったままの、らえるのトンでもない台詞。

 状況が理解できず、石勝は一瞬呆けてしまう。

「…は?」

 すっと一瞬、無表情になったらえるは、感情も抑揚もない声で、

「その理由は禁則事項です。現況で二級階層の存在者に説明する理由を持ちません」

 まるで暗黒の空間で言われたような雰囲気は一瞬で飛ぶ。

 らえるは再び笑みながら、素のボケを繰り出しつつ、

「それでももし聞きたいのでしたら、じっくりしっかりずんずんぶりぶり、誠心誠意力の限り、恐怖のズンドコを味わっていただきながら、呪いますよ~」

「そ、それは…」

 恐怖におののく(しかない)石勝。

 そこへ(屋根裏部屋からの)階段を下りながらの声が、

「らえ姉の呪い技は実際の話、洒落にならないからねー。命が惜しかったら、余計なことに深入りしないほうがいいっすよー。ふわあ(欠伸)」

「かのんちゃんだあ。おひさー」

 ぽりぽり頭を掻きながら現れたかのんという娘に気付いたクロハ、明るい表情で挨拶。

 が、かのんの寝癖というか、乱れた髪の頭を見ながら、

「にゃっ? また徹夜なの?」

『人間・田中角栄』ポーズで挨拶したかのんは、妖艶な笑みを浮かべながら、

「ちゃ☆クロハっ。今、新しい制御プログラムがいい具合に出来つつあって、ノリノリで書いてるんだー」

「そ、そなんだ…(汗)」

 かのんは普通の笑みな表情に戻り、

「そだ。来月提出するレポートあったじゃない? 後で一緒に纏めようよ。再来月のスクリーニングに行くんでしょ?」

「わかたー。後で勉強セットもって来るよう」

 和気藹々。

 石勝はそれとなく気になったのか、

「…みんな、仲いいのかな?」

 あやみは頬をぽりぽり掻きながら、言葉を選びつつ、

「それはまあ、この地元で同世代って限られますから。それにやっぱり、顔見知りですし」

 めがねをつつと上げながらそつない笑みのめぐみは、

「知り合いというより、みんな兄妹で、家族みたいなものですわ」 

「なかよし☆なかよし」

 握りこぶしをわきゃわきゃ振りながら軽い言葉で力説するほむら。

 かのんはキョトンとなっているクロハのおでこを突っつきながら、

「特に、ボクとクロハは同級生だから、なおさらかな」

 納得した石勝はウンウンと頷きながら、

「ナルホド。で、ここに住んでる秘密…」

「本腰入れて呪いますよ~」

 らえるのにっこりに表情を固くした石勝は慌てて、

「い、いえ!やっぱり結構です!」


 そしてあくる日。

 石勝は、JTR三峰峠駅の駅員事務室にいた。

 みどりかぜ高原鉄道の接続駅でもあり、他のJTR支線や幹線も連絡や接続していて、地方都市としてはかなり大きいターミナル駅であり、列車の往来も頻繁にあるようだ。

 巨漢の制服な人(腕に「指導運転士」の腕章をしている)が、なにやら紙の束(多分、原稿のゲラ)をめくりながら、

「へえ。よく調べてるよなあ。…ほお、小日向の娘さん達が良く取材に応じましたなァ」

 原稿を返しながら、

「うーん、ここまで色々発見してもらえていると、地元民としてはとっても嬉しいねえ。ねえ、地区駅長?」

「川島君、あまりミーハーを気取るのは…うぉっほん! とりあえず了解した。事実関係等のチェックをして、問題ないようなら編集部の方へ連絡させていただく。ところで…」

「はい?」

 地区駅長が襟を正す。石勝も雰囲気を感じたのか、若干身を固め、

「元々はこのJTR長浜境支線として廃止対象だったものが、第三セクターで分離、再生の道を歩んでいるとはいえ、あの碧風高原鉄道は、この地元になくてはならないものだと思っている。それを記事の中にふんだんに感じ取れていると思う、それは、うれしく思うよ」

「自分も、乗り入れや運転要員代務で高原線にしょっちゅう入るけど、運転してて安らぐ、清清しい自然の中を走る路線ってのは、何度走っても飽きませんな。いいモンですよ」

 石勝、表情が明るくなり、

「ありがとうございます。そう言って頂けると、物書き冥利に尽きます!」

 思わず最敬礼で頭を下げる。

 笑んだ顔の目じりには、思わず光るものが。


 そして石勝は無事取材を終えたようだ。

 455系のボックスシートに身を沈め、窓の外に視線を移す。

 こうして、石勝はこの地方を後にした。

 これで、又一つの仕事が終わったわけだ。短いながらも、強烈な思い出を残して。

「また来たいな。今度は仕事じゃなく、のんびりと、癒されにでも…」

 しかし…、まさか、数日後、あんなことになろうとは誰も想像していないのだ…


 首都東京。

 大ターミナル駅に隣接している高層ビルが、JTR本社だ。

 その一室。

 ノック音が響き、重厚な扉が片方だけ開き、

「失礼します」

 凛とした中に秘めた妖艶さが混じった、どうやら秘書が入ってきた。

「社長。出版社のほうから、ゲラ刷りが上がったと広報から届いてます」

 窓側を見ていた椅子がゆっくり回る。

 厭味感が見え隠れするが、一見は飄々としている感じの好青年。

 JTR社長、キハ・ヨウンジュウである。

 ややオーバーリアクション気味に腕を広げ、カタコトなのに流暢な言葉で、

「おー、サンキューですネ。そこに置いておいてクダサーイ」

「失礼します」

 机に書類の束を置き、楚々と頭を下げて部屋を出る秘書。

 扉が閉まる。

 社長の目が、ギラリ!と光る!

 紙をめくる音のみが室内に響く。

「…ナルホド。思ったとおりだ」

 先ほどの飄々とした雰囲気や変な言葉使いが幻だったかのようだ。

 社長は電話の受話器を取る。程なくして、

「……私だ。この電話を、国土交通省の真崎審議官に繋いでくれたまえ」

 しばしの間。

「……どうも。JTRのキハ・ヨンジュウです。例の件でお話したいことがありまして、今晩にでもお時間いただけませんかね? …ええ、じゃ、そういうことで」

 その後、2、3些細な相槌を打ち、電話を切る。

「…ふう」

 机にくみ上げた手で顔を覆い、思案に耽った様だ。

 ニヤリと笑う顔を上げ、

「…くっくっく。あの夫婦も、いい遺産を残してくれたものだ。精々、有効に使わせてもらおうか。はーっはっはっはぁ!」

 唯一人の笑い声が響く…


 多分、翌朝の午前中くらい。

 カーテンどころか雨戸を閉めて薄暗い、お世辞にも綺麗とは言いがたい室内。

 電子パルスの携帯着信音が鳴る。

 布団がごそごそ動き、

「…ふぁい、いへ、寝てましぇん、締め切りには…。あ、違う? …ええ、ええ。ええ! みどりかぜ鉄道が!? ちょ、ちょっと待ってください!(メモを取り)…すぐに伺います!」

 血相を変えて石勝が布団からガバっと起き出した!


 その、ほぼ同じ時間。 

 黒川駅(三峰峠の次の駅)が最寄り駅になる地元の公立高校。

 綾が全日制で通っているが、通信制の生徒も今日はスクリーニングで参加しているのだ。

 チャイムが鳴る。どうやら授業が終わったようだ。

 教室内が騒がしくなる中で、机につっぷくしているクロハは、頭から煙を出している。

「うにゃうにゃう~」

 情けない(苦笑) 

「あらあら。クロハってば頭から煙吹いちゃって…」

 学校なので、制服姿の綾が腰に手を当ててあきれ返っていた。

 いつもの格好(着の身着のままの姿に薄汚れた白衣)のかのんは、オバチャン風に手をパタパタさせて、「まあまあ綾っち。クロハはマルチタスクじゃないし、勉強苦手だからねえ」

「それでは困りますわ。いくらクロハやかのんさんが通信制の生徒だとしても、学生の本分は勉学に励むことですもの!」

 思わずガッツポーズで力説する綾。

 かのんは声援をかけるように手を口元にもっていき、

「お、力説するねえ、綾っちってば。よっ! さすが生徒会副会長っ!」

「茶化すものではありませんわ。こうして、滅多にないわたし達全日制との合同授業だというのに、一時限目で早くもおつむがオーバーヒートでは…」

「うにゃ~。数字がぐるぐる回るお~」

 目も回っているクロハ。おバカと言うよりアホの子のようだ(笑)

「大体、通信制でも学校に来るときには制服推奨ですのに…。特に二人とも」

「ちゃんと制服だもん。業務中はこの制服だもん」

 素に戻ったクロハ、半泣きの情けない表情で必死の弁明。

 確かに学校の制服ではなく、碧風高原鉄道の女性職員用制服のそれだ。

「いやー。学校の制服あるけど、ボクのサイズだと胸が苦しくてさー」

 てへっ☆と苦笑するかのん。MEGUMIと同じサイズだと言われる胸が揺れる。

「さ、さりげなく巨乳自慢ですの!?(綾、心の叫び)」

 綾が心の叫びを呟いているさなか、ふとかのんが何かを思い出したようで、

「そういえばさー。変なウワサ聞いたんだけど…」

「何/なんですの?」

「うん。みどりかぜ鉄道が、廃止になるかもしれないって…」

「えええぇぇぇぇ!」

 台詞が終わらぬうちに驚きの声を上げるクロハ。

「どういうことですの?」

「詳しくは知らないけど、ええと…」

 詰め寄る綾に、やや狼狽するかのん。

 そのしどろもどろで説明している中、クロハはもはや心ここにあらずだった。


 夜。

 どうやら夕食時のようだが、ドン!とテーブルをたたく音が。

「お兄ちゃん!」

 その先には、飛んできたご飯粒だらけのハガネが…(笑)

 多少困った顔でご飯粒をぬぐいながら、

「く、クロハ…。ご飯粒を飛ばすような食べ方は…」

「そんなことはどーでもいいの! この路線が廃止になるって、本当なの!?」

「まだ判らないよ。でもいずれはそうなるかも知れないってこと」

「そ、そんな…、どうして…?」

 狼狽するクロハをよそに、ハガネはのんびりお茶をすすりながら、

「この鉄道会社自体赤字だし、いくら自治体や親会社の補助があると言っても、過疎化が進んで利用客も減っているしね。お荷物が長く続くのを、嫌がっているんだろうね」

「だからって、そんな急に…」

「まだ決まったわけじゃない。それは、間違いないから、大丈夫だよ」

 今にも泣きそうなクロハの頭をぽんと触り、優しく言い聞かせるハガネ。

 そばにいるハセベさんも心配そうだ。

「う、うん…」

「きゅーん…」

「ええとね」

 ハガネはちょっと考えながら、

「この鉄道がJTRから生まれ変わって約二十年経ったわけだけど、その本社であるJTRは鉄道路線を含む、この地域の中・長期的な事業計画を近日中に発表するんだよ」

 クロハには難しくないかな? という若干不安の表情(おバカだからではなく、まだコドモだからと思っているようだ)を浮かべる。一応彼女なりには理解しているようで、

「そっか。なら、廃止じゃないんだ…。よかったあ」

「わふわふ☆」

 ほっとするクロハとハセベさん。

 にっこりしたクロハは、ハセベさんの頭をなでなで。

 が、次のハガネの一言で、

「そのこともあって、明後日、僕は本社に出向くことになったから…」

 クロハはいきなり迫りながら、

「クロハも行く!」

「駄目!」

「行くったら行くの!」

「駄目ったら駄目!」

 クロハの駄々こね攻撃を頑なに拒否するハガネだが、クロハも負けじとズズいと迫り、、

「なんで!? どうして!」

「鉄道運行は必要不可欠なんだし、誰も居なくなるわけにはいかないでしょ?」

「は、ハセベさんがいるもん! ハセベさんはクロハより立派だからいいんだもん!」

 どんな理屈だよ!(笑)

「…第一、クロハはまだスクリーニング中なんだから、学校にも行かなきゃいけないだろ?」

「で、でも。でもぉ…」

「ハセベさんと二人で、この鉄道を守って、しっかりお留守番してるんだよ。お土産だってちゃんと買ってきてあげるから。ほら。クロハの好きな都電最中とメイドサブレーを、全種類買ってきてあげるから。ね」

 学校、のキーワードでさすがに観念したのか、

「わ、わかったよう~。お兄ちゃんのケチケチ大魔王っ! ぷーんだ!」

 捨て台詞を吐いてどたどたと茶の間から走り去るクロハ。

 てか、あんたはワガママな小学生か(苦笑)

 その後ろ姿を半ばため息交じりで見るハガネは、小声で、

「ハセベさん、ハセベさん」

「わふ?」

 とてとてとハセベさんがやってきてハガネの前にちょこんとおすわり。

 ハガネはハセベさんに耳打ちし、

「クロハをよーく、見張っていてね。あの分だとナニをしでかすか、判らないから」

「わん!」

 元気にお返事。

 ハガネは慌てながら、

「しっ! 声が大きいよ!」

「きゅーん、わふわふわふ…」

 何度も頷き、使命感に燃えるハセベさんなのだった。


 翌朝。

 キハ58型(みどりかぜ鉄道仕様)のアイドリング音が静かな駅構内に響き渡る。

 制服にハーフコートを羽織ったスタイルのハガネが、ホームの端で俯いたままのクロハに向かって、軽く笑みながら、

「じゃあ、行ってくるからね」

「…」

 ダンマリのクロハに、わずかながら苛立ちを募らせて、ちょっと表情を歪め、

「…行って、来るからね」

 運転席から、JTRの運転士である川島の声が聞こえてくる。

「若旦那! そろそろ発車時間ですぜ!」

 その声に振り向きながら、

「あ、はい! 今行きます!」

「…」

 クロハが何か呟いた。気がついたハガネは振り戻り、

「…何かあったら、すぐに連絡する、これ、クロハとの約束」

 そうだった。

 クロハはクロハなりに色々心配しているのだ。

 たった二人しかいない兄妹、それを蔑ろにしてしまいかねなかった行動に気づいたハガネ、ハッと気づいたのか、神妙な表情でシッカリと頷き、

「判った。約束する。…行ってきます」

「行ってらっしゃい…」

 胸元でちょっとだけ手を振るクロハ。

 今にも泣きそうな思いを必死に抑えている表情だ。

 不安がる気持ちが伝わったのか、ハセベさんが同じく不安げにクロハに擦り寄ってきた。

「きゅーん、きゅーん」

「ハセベさん…」

 クロハは腰をかがめ、じっと正面を見るハセベさんの首に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。

泣き声を必死に抑えながら、

「大丈夫だよね、大丈夫だよね…」

「わん! はっはっは…」

 元気に吠えたハセベさん、クロハの顔をペロペロ舐める。

「うにゃっ! は、ハセベさん、く、くすぐったいよ~」

 クロハにやっと笑みが。

「そうだよね。クロハもシッカリしなきゃ。あのお兄ちゃんですらガンバってるんだもん」

 そこへ、

「クロハおねーちゃん!」

「あ、おはよう!」

 声で振り向いたら、地元の元気な小学生だ。

「迎えに来たよ。途中まで一緒に、学校行こうよ!」

「そだった…。じゃ、ハセベさん、行ってきます!」

 元気に手を振るクロハ。ハセベさんも元気に、

「ばうばうっ!」

 二人を見守るホーム上のハセベさん。

「学校大変だよねー。あたまのらっぱがぷぅしちゃうよー」

「ズルイんだぜー、今日は女子だけで視聴覚室でテレビ見るんだってー」

「それはずるいよねー。差別だー」

 いやいや! アンタも小学生のときに見たはずじゃないのか!?(苦笑)


 首都、東京。

 大ターミナル駅の新幹線ホームが雑踏に包まれている中、ホームに新幹線が到着。

 ドアが開き、乗客が溢れる。

 その中の一人にハガネがいた。

 彼自身は良くも悪くも田舎者なので、人ごみは苦手なのだ。

 その人の多さに疲れ、軽くため息。そこへ、

「身延ハガネさん、ですね」

「あ、はい。ええと…」

 呼ばれたハガネが視線を移すと、いかにも妖艶と精悍な雰囲気が混在した女性が。

「私、JTR社長秘書の大垣麗夏と申します。お迎えに上がりました。早速ですが、記者会見会場に同行いただきます」

 その若干冷たい笑みで、一瞬冷や汗を感じるハガネなのだ。 

 

 ほぼ同じ時刻。

 都心にある超一流ホテルのロビー。

 プレス向けの記者会見受付で、緊張気味の石勝がいた。

「…はい。どうも。会場は向うですね。あ、時間まで入場できない? わ、わかりました。…ふう。どうも、こういう堅苦しい場所は、苦手なんだよな…」

 軽くハンカチで汗をぬぐい、

「それにしても、碧風高原鉄道の抜本的な政策転換か…。噂通りだとすると、あまり楽観した話ではなさそうだが…」

 思案に耽ったそのとき、背後から、

「おい! そこの冴えないルポライター!」

「ぶっ! な、誰だ」

 突拍子もない台詞を言われ、勢い振り返る石勝。

 目の前には、勝気さが表情にも現れている、腕組をした一人の女性がニヤリと笑い、

「かつての同僚を捕まえて、誰だとはご挨拶ね」

「き、キチウジョウジ、ミタカ…」

「キッショウジ! 何度云えば判るのよ! このへタレライターが!」

「脇腹を抓るな! 地味に痛い地味に痛い地味に痛い!」

 マジ怒り顔の美多佳にわき腹を思いっきり抓られる。

 しばらくして解放された石勝は、わき腹を押さえながら、

「…ったく。どこかの大正浪漫なゲームかっつーの」

 石勝の呟きを無視し、美多佳はジと目で石勝を見て呟きながら、

「それで言うと、どこかの駅名みたいだから止めてと、ずーっと言っているのに。…大方、名前の方の漢字も、ずーっと間違って覚えてるんでしょうが? アンタって人は…」

「悪かったな。人の名前を覚えるの、苦手なんだよ」

 視線をそらして頬をかく石勝。

 それを見ながら美多佳は軽くため息をつき、

「…まあ、いいわ。そうやって、都合の悪いところは適当に煙に巻くのも、昔からの癖って言いたい訳ね」

「その通り。…痛いところを…」

 美多佳は表情を素に戻し、

「それはそうと、こんな所に何の用? 経済誌の取材依頼でも受けてるの?」

「取材は取材さ。今、鉄道雑誌の委託で記事を書いている。今回もその一つ」

 美多佳はクスクス笑う。だが、決して気持ちのいいそれではなく、だ。

「ホビー系か。趣味の情報なんて、随分楽なメディアね」

「…マスコミだろうと、情報誌だろうと、真実を伝える重要さは、同じさ」

「…くっくっく、あーっはっは!」

 いきなりの高笑い。

 石勝は反論気味に声を荒げ、

「な、ナニがおかしい!」

「相変わらず青臭いこと言っているのね!」

「な、なんだと…」

「あたしたちマスコミの仕事は、真実を伝えることじゃないわ。あたし達の伝えることを、世の中に真実とさせるのよ。今回だって…おっと、これ以上はお預け」

 去ろうとする美多佳を呼び止めようと、

「おい、一体何が言いたい!」

 が、振り向きもせず、

「まあ、会見を見てなさい。見せてあげるわ。マスコミという虚像の存在が、真実を作り上げる瞬間を、ね」

「…」

 石勝は、ただ、その場に立ち尽くしたまま…。 


 一方そのころ、クロハの学校では。


 どうやら休み時間の様子。

 たわいない話の最中に、廃止問題のやりとりを思い出したのか、シュンとなっているクロハを見ながら綾が、若干同情しつつ、

「そうですの…。ハガネ様が東京に…」

「それって、これで行っているのかな?」

 かのんが持っていた新聞を綾に見せる。

「新聞? 番組欄に何か?」

「お昼くらいから、その報道記者会見が中継されるみたいだよ」

 勢い立ち上がろうとするクロハは、

「綾ちゃん!」

「いけませんわ! おバカ妹の考えている事くらいお見通しですわよ!」

 きつい表情で綾に制止されるクロハ。

 それでもクロハは不安げな表情をしても負けず劣らず、

「事情が事情なのおっ! 職員室でちょっとテレビを見させてもらえれば…」

 腕組をした綾は、それでも努めて声のトーンをおとなしくして、

「授業をサボるのは感心しませんわ。第一、職員室でも、授業中やお昼休みだって、ラジオも付けませんわ。それ以前に、職員室にテレビは無いですもの。あ、学校が貧乏だからではないのよ」

「でも、でもでもぉ…」

 今にも泣きそうなクロハやつれない綾に見向きもせず、かのんはなにか考えながら、

「…放送室なら、外部モニターが使える視聴覚設備があったはずだけど…」

 クロハは表情を明るくし、

「ホント、かのんちゃん!?」

「でもスクリーニングサボると後で厄介だよ? …んな、泣きそうな顔しないで。ま、なんとかなるでしょ」

「かのんちゃん!サンキュ! 三時間は恩にきるよっ!」

 なんなのこいつらの友人関係(苦笑)

 小走りで教室を出て行く二人。

 一人置き去りにされた綾は、はっと気づき、

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 授業をサボるなんて許しませんことよ!…もう! 仕方ないですわね!」

 綾も後を追う!


「か、勘違いしないでくださいまし! わたしはクラス委員として生徒会の役員として、例え通信制の生徒とはいえ、行動を見守る義務があるのですわ! 決して心配なんか…」

「はいはいツンデレツンデレ☆」

 忍者張りの雰囲気に浸っているクロハとかのんは忍び足で廊下を歩く。

 その後ろで綾が独白気味に呟く姿に、かのんは見向きもせずにツッコむのもお約束だ。

 程なく放送室前へ。

 が、ドアノブをガチャガチャさせながら、

「あ、あれ?」

「どしたの? かのんちゃん」

「鍵が掛かってる」

「当然でしょう? 授業中には使う必要のない部屋ですもの」

 それでもかのんは自信満々に、

「ま、なんとかなるって。ボクに任せて。ええと(ごそごそ)……あ、あったあった」

 服に手を突っ込み、胸元をごそごそ捜している(どこに隠しているんだかこの娘は!)と、程なくして何本かの針金らしき鉄製の棒が出てきた。

 その棒を鍵穴に差し込んで、ガチャガチャしている。

「?」

 キョトンとしている二人をよそに、程なくしてカチャリと鍵が開く音が。

「よし、鍵あけたよ」

「うわお。さすがかのんちゃん。ピッキングの腕前も天下一品だねー」

「ま、ボクが言うのもなんだけど、乙女のたしなみってやつかな」

 目を輝かせて素直に関心するクロハと、自身で胸を張ってデカイ胸がことさら強調されるかのん。

 その後ろで綾は呆けながら、

「あ、あのー、その、てゆーか、そんなの【乙女のたしなみ】ではありませんわ!」 

 おもわずツッコミ。そりゃそうだ。

 そんな批判もものともせず、

「ま、いいからいいかから。さ、入ろ?」

 扉を閉める。

 中室に窓はなく、勢い暗闇が。

 以下、場面を想像してお楽しみください。

クロハ「うー、暗いよ~」

かのん「ええと、スイッチはどこかなーっと…」

綾「きゃあっ! ドコを触ってるの!? わたし、そっちの趣味はありませんわ!」

クロハ「綾ちゃん、むねぺったん……。壁かと思った…」

綾「なんですってええ!クロハだって大して変わらないくせにっ!」

クロハ「綾ちゃんと違ってちゃんとブラしてるもん!」

綾「何ですってえ!?」

かのん「騒がないっ。お、あった」

 テレビのスイッチをつける音が。

 明かりに照らされる三人。

「…まだ会見の最中みたいですわね」

「間に合ったよー。なになに…」

 場面は、画面の中に映る、ホテルの宴会場を使った、記者会見会場だ。

 報道陣で溢れかえっている。

 お立ち台には、悠然とした態度で会見に応じている、キハ社長がにこやかに答えている。

「…で、併せて自治体と連携してリゾート法を活用することによってー、この地域の総合的な開発を目指すものでーす。ユーアンダースダーン?」

 マイクが司会者をしている秘書に渡される。

「ありがとうございました。次の質問で最後にしたいと思います。…ハイ」

 記者席中ほどにいた美多佳を指す。

 自信に満ちた態度ですっと立ち上がり、

「大東京日報の吉祥寺です。…つまり、総合的な開発に関しては、現状として存在している各種インフラ施設の整備や解体も含まれるということですね」

「そうでーす。現在あるインフラの整備だけでなく、新たな開発も視野に入っていることになりますねー」

 美多佳、ニヤリと口元が歪み、

「という事は、公共輸送の使命が終焉を迎えている、碧風高原鉄道の廃止もありうると言うことですね?」

 一瞬絶句した社長、意図的にちょっと思案する仕草を見せ、声を一回り大きく、

「…そう考えて頂いて、構いませーん」

「!」

 それぞれで驚く石勝とクロハ、

 石勝は記者席でいきり立ち、

「ちょ、ちょっとまったあ!」

 クロハは画面を見つめたまま、

「(かぶって)な、なんでぇ!?」

 会場内は、騒然となったまま…



 翌日の新幹線の車内。

 そこには、深いため息をついた、帰途についているハガネの姿があった。

「まさか、こんなことになるとは…」


 時系列はちょっと戻って、記者会見終了後。

 JTR本社ビルの、最上階に近いところにある、社長応接室。

 そこに、キハ社長とハガネがいた。

 正確には、薄ら笑みを浮かべたキハ社長に睨まれているのだ。

「確かに、碧風高原鉄道の設立には、旧国営鉄道、地元自治体、国土交通省…色々なところが絡んでいる」

「だからって、廃止なんて、そんな…」

 不安をかろうじて抑えつつも、なんとか反論したいハガネだが、

「皆、後悔は十年も前に済ませた。あとはどうやって片をつけるかだ」

「それは…幾らなんでも横暴なのでは!」

 睨まれて言葉を止めるハガネ。

 キハ社長はあざ笑うかのように、

「必要の無いものは切り捨てる。もっとも、再利用できるなら、話は別だがね」

「…」

 沈黙するハガネ。室内は、社長の高笑いに包まれる…


 時系列は現在時間に。

 三峰峠駅のホームで列車を待っていたハガネ。

 を、見つけて呼んだのは、

「おかえりなっしゃい! 若旦那!」

 でっぷりんぐ感満載! 巨漢の運転士、川島が、にこやかに乗務員室から手を振っている。

 ハガネは照れながら、

「川島さん…。その、ですから若旦那っていうのはやめてくださいよう…」

「いやあ、こっちのほうが慣れちゃってますんでね(苦笑)。あ、同乗扱いでいいですか?」

「ええ。お願いします」

 乗務員室に乗り込むハガネ。

 やがて、列車(JTR仕様の417系)は走り出す。

 

 山間部を疾走するJTR417系。

 運転席の川島と、なにやら談笑しているハガネが見える。

 と、列車が少し減速し、二人が視差呼称。

「制限60ヨシ!」

 川島のほうがコンマ数秒早いだけ、やはりベテランなのか。

 前方を見たまま、川島は、

「あまりに急な発表だったんで、駅務担当者も聞いていないみたいなんですよ」

「そうでしょうね。実際にはあの記者会見まで、僕自身も聞かされていませんでしたから」

 落胆気味のハガネ。川島も声のトーンを落としながら、

「それでもやっぱり予想通りの結果だったとは…」

「判っていたはいえ、辛いです」

 と、列車が少し加速し、二人が視差呼称。

「第4閉塞、進行っ」

 ハガネのほうがコンマ数秒遅いのは、やはりまだ新人だからなのか。

 前方を見たまま、ハガネは、

「廃止対象になっていた時って、元々、この碧風高原鉄道が元はJTR長浜境支線だった頃ですよね」

「国営鉄道再建法ってやつですな」

 電子笛(ボタンを押して鳴らす)を響かせ、

「本当だったら、この路線は第三次地方交通線に選定されたわけだし、廃止の運命を辿っていってもおかしくはなかった筈だったんですがねぇ」

「それを第三セクターという形で残したのが…」

「…当時、この地域の鉄道管理局長だった若旦那のご両親の、その行動がいいのかは判りま…いえ、語っちゃいけないことですよね」

 わずかながらの沈黙。

 ハガネは、ため息をつきながら、

「まあ、それから二十年、よくよく持ったほうだとは思いますけど…」

 自動音声が、終点を告げる。


 程なく停車。

 案の定、客は誰もいないわけだが。

 軽く一息ついて、列車から降りたハガネに向かって、一目散に駆けてきたのが、

「ばうばうっ!」

「ただいま。ハセベさん」

 中腰になって頭を撫でようとした途端、

「ばうっ! ばうばうばうっ!」

 ハガネの制服の袖を噛み、引っ張っていく。

「ど、どうしたの!? わっと、ととっ」

 思わずつんのめりそうになるハガネなのだが。


 引っ張られた先は、駅舎に隣接している自宅兼会社事務所。

 の、クロハの部屋の前。

 にいた、廊下を走る音に気づいたかのんが振り向き、

「あ、おかえりなさない&おじゃましてますー」

「ハガネ様っ!」

 のんびりかのん。方や大慌ての綾。

 それを見たハガネは、

「ああ、綾ちゃんにかのんちゃん。いったい何があったの?」

 二人は、語りだすのだが、かのんは要領を得ないし、綾は慌てて言葉にならない。

「ちょ…、ちょっと二人とも落ち着いてっ!」

 ハガネの声で、二人は正気に戻ったようだ。

 言葉を止めた。

 しばしの沈黙。

 そして、おもむろに言葉を発したのは、不安な表情たっぷりの綾。

「あの、実は…」

 改めて説明を始めた綾を、じっくりと見るハガネ。

 時間が経過。

 大体話したのだろう、聞いていたハガネは、

「そうか、例の記者会見を見たのか…」

「それでパニックになったみたいですの。学校を飛び出してお家に逃げ帰って、部屋に閉じこもってしまって…」

 かのんは相変わらずのんびりと、

「あくまでも可能性だから、今日明日の話じゃないって言ったんだけどねえ」

「わたしたちは一度帰りましたけど、あれから部屋から出てないみたいですの」

 ハガネは扉をノックしながら、

「クロハ?」

「…」

 中から返事はない。

「みんな心配してるよ? とりあえず出ておいで?」

 綾やかのん、ハセベさんも呼びかけているようだ。

「…」

 が、中から返事はない。


 どん!


「クロハ!」

 めったに(たぶん初めて?)見られない、怒り顔のハガネが、扉を拳で叩く。

 びっくりした綾は狼狽しながらも宥めようとするのだが、彼のあまりにも意外な姿を目の当たりにして、言葉が出てこないようだ。

 が、その展開が功を奏したのか、部屋の中からクロハの泣き声が、

「…どうして!? この鉄道が無くなっちゃうんだよ!? そんなの絶対いやだもん!」

「いや、だからまだそうと決まったわけじゃ…」

 説明しているとき、なにやら突かれる感触に振り向くと、綾が顔を近づけて小声で呟き、

「あの、ハガネ様?」

「何?」

「とりあえず、しばらくほっときませんか?」

「綾ちゃんまでそんな…」

 綾は、努めて余裕ある笑みを浮かべ、

「クロハの事ですもの。落ち着いたら案外『おなかがすいたー』とか言って出てくるでしょうから、それほど心配いらないと思いますわ」

「…クロハの事、よく見てるね。しかも何気にモノマネうまいし(笑)」

 苦笑するハガネ。綾は顔を真っ赤にして、

「か、勘違いしないでくださいましっ! わたしはご飯を作って下さるハガネ様のご苦労が忍ばれるからと思うだけであの子のワガママに付き合ってなどいられませんわ」

 みんなも苦笑。

 そんな綾を見たかのんはヤレヤレといった感じで、

「とりあえず、ツンデレマスターもあきらめたみたいだし」

「誰がツンデレマスターかっ!」

「ぼちぼち下り列車来ますよね? じゃあ、帰りますねー」

「どうもありがとうね。わざわざ」

 ぺこりと頭を下げるハガネ。


 駅ホームには、すでに下り列車が発車待ちのようだ。

 どうやら迎えに来たらしいらえるが、楚々と礼をし、

「どうもお手数おかけしました。かのんちゃん、帰りましょうか」

「へーい。じゃあ、ハガネ兄ィもがんばっちゃって下さい」

 列車に向かうらえるとかのん。

 綾はまだ立ち止まったまま。

 深刻な表情でハガネに向かい、 

「でも、ハガネ様…」

「どうしたの?」

「本当に、この鉄道は無くなってしまうのですか?」

「それは…」

 言葉に詰まる。

 呟き気味で、独り言のように言葉を搾り出しながら、

「なんとも言えないけど、今のままならそうなってもおかしくないっ…」

 聞き取れなかったのか、綾がもう一度言い正そうとしたとき、列車から、らえるの呼ぶ声が聞こえてくる。

「綾ちゃーん、もう出発よー」

 振り向き、

「はぁい!」

 努めて元気な笑みを心がけた綾は、元気なかわいらしい声で、

「それではハガネ様。失礼いたしますわ」

 程なくして列車は発車していく。

 遠くに去る列車に向かい、敬礼で送るハガネの姿もりりしいのだが。

 既に日が暮れるころ。

 クロハの部屋の前に戻ってきたハガネは、今度は普通に扉をノック。

「…クロハ?」

「…」

 中から返事はない。

 が、今度はやや苦笑しながら、

「ごはんだよ。いい加減に出ておいで」

「……………や。」

 何だ今あった間は。

 ハガネはわざとらしく、

「せっかく、クロハの大好物な甘口抹茶小倉スパゲティを作ろうと思ったのにー」

 カチャリ、扉がゆっくり開く。

 顔を真っ赤にしたクロハ、ハガネを見た途端に、ものすごい腹の虫がなる。

 さらに真っ赤だ。

 ハガネは意地悪く笑いながら、

「…食べないの?」

 顔をまっ赤っ赤にして俯き気味のクロハ、それでもしっかり、

「…たべゆ☆」

 ハガネとハセベさんが、顔を見合わせて苦笑してしまった。

 食べ物の威力、恐るべし!

 というか、クロハは何故に『マウンテン』メニューが好きなのかは謎。


 そして夕食。

 リビングのテーブルは普段から作っているであろう煮物から、怪しげなメニューまで並んでいる。  それでも、昨日までと違い、雰囲気は穏やかだ。

 テーブルのそばの床では、ハセベさんも一緒にお食事中。

 クロハは箸(!)を止め、

「…おにいちゃん」

「なに? クロハ」

 不安げな表情を向け、

「…この路線が廃止になるって、やっぱりホント?」

「それも考えのうち、って事だけどね」

 クロハのおバカ脳でも判るらしい単語で答えてみる。

「そんな…どうして…」

「それは、この前も言ったとおり、赤字だし、過疎化が進んで利用客も減っているからね」

「でも、でも…。だから、クロハ達がしっかり支えているんじゃないの?」

 仮にも社会人たるハガネはまだしも、そういった意味ではまだ子供なクロハ。

 ただただ頑張れば何とかなると思っているのだろうか?

 ハガネは、ぽつりと、

「確かに。この鉄道が生まれ変わって二十年、それでもよくよく持った方だと…」

「いいわけない! いいわけないよ! ここが無くなっちゃうかもなんだよ!?」

「大丈夫だよ」

「ナニが!?」

 ハガネは、努めて優しい笑みを浮かべて、

「ここがもし無くなったとしても、本社に再雇用される予定だから、生活に困ることは…」

「そういうことじゃないよ!」

 クロハは狼狽しつつ、必死に訴える。

「赤字だからなんでしょ。だったらクロハお小遣い減ってもガマンする! なんだったら、ハセベさんのご飯ちょっと減らしてもいい!」

「ばうばうっ!?」

 クロハのあまりに突然な鬼畜発言にとばっちりを食った、びっくり仰天のハセベさん。

 ちなみにクロハのお小遣いは月に三百円。どこの子供だよ(苦笑)

(ただし、その他に給料がちゃんと出ている)

 ハガネは苦笑しつつも、

「その程度で済む問題じゃないって」

 一息つき、まじめな顔で、

「それにクロハだって、みんなと一緒にちゃんと高校に通えるんだよ?」

「ち、ちゃんとお勉強してもん! 通信制だけど」

「うーん、通信制が悪いとは云わないよ。僕も一時期いたからね。けど…。でもやっぱり、ちゃんと勉強をして、そして立派な大人になってこの鉄道を再建するって考え方も出来るんだよ?」

「…もういい! お兄ちゃんのドンカン!」

 クロハは勢い席を立つ!

「ちょ、ちょっと、話はまだ…」

 引きとめようとするハガネを見もせず、

「ごちそうさま! お風呂入ってくる! ハセベさんいこ!」

「ばうっ!」

「あ、ちょ…」

 一人、リビングに取り残されてしまった、そして…


 ちゃぽーん★

 湯気でなぜか意図的に見えないが、頭にタオルを巻いたクロハがお風呂中です。

 床に泡だらけのハセベさんが伏せてわふわふ状態な雰囲気。

「ぷう★」

「わふー」

「…ねえ…、ハセベさん?」

「わふ?」

 お風呂に腕を乗せてハセベさんを見てるクロハは、独白気味に、

「この鉄道は、お父さんとお母さんの、クロハ達に残された、たった一つの形見なんだよ…。それを、それを、そんな簡単になんで諦めちゃうの? なんで…。お兄ちゃんのドンカン」

「わふー。きゅーん、きゅーん」

 半泣きしそうなクロハに頭を撫でられているハセベさんはどことなく気持ちよさそうだ。

「無くなっちゃう。お父さんとお母さんの形見のこの路線が。生まれ育ったこの町が。大切な友達の住む場所が…。クロハはどうすればいいの…?」

 きゅーんと寂しそうな表情でクロハを見るハセベさん。

 そこへ、なにやら廊下をドタドタ走ってくる音が響き、お風呂の引き戸が勢いよく開く!

「クロハ! いい方法が…」

「きゃあっ!」

「あ、ごめん」

 素かよ!(笑)

 方や大慌てなのがクロハ。

 タオルでまだつつましい胸元を隠し、洗面器だのシャンプーの容器だのを投げながら、

「このどすけべい! スットコドッコイ! 変態兄貴っ!」

「そ、そんなあ~。だってそんな貧弱な妹の体見たって別に…」

(事実でも)その一言は言っちゃいけなかったみたい。

 地響きの怒りにまみれたクロハ、オーラが沸き立ち、

「…高速進行で星になってこーい!」

 ばきい!

 夜空に向かって飛んでいく!

「抑制信号だしてーー…!」

 何故か681系の汽笛を景気よく鳴らしながら星になるハガネ。

 と、お茶目な兄妹のコミュニケーションはともかく。

 場所はリビングに戻り、ふてくされたクロハはお茶を飲みながら、

「クロハだって好きでコドモっぽいわけじゃないもん。作者の陰謀だもん。大体…」

「だから悪かったってば」

 お約束の頭にバッテン印の絆創膏を張った、謝るしかないハガネも情けない。

 こういうところは妹に甘いのか。

 と、いつのまにか外にいたらしいハセベさんの鳴き声が聞こえてきた。

「ばうばうばうっ!」

 互いに顔を見合わせる二人。

「? 終着だけど、ハセベさんが騒ぐなんてめずらしいなあ」

「何かあったんじゃ…」

「行ってみよう!」

「そだね!」


 時間はちょっと戻る。 

 静かな夜半。

 鈴虫なんか鳴いちゃったりして。

 ホームの外灯に照らされたハセベさんがちょこんとおすわり。

 ハセベさんの頭のサイズにあった制帽も決まっています。

 きりりっと引き締まった(感じの)表情で、 

 右見て、

「わふっ。」

 左見て、

「わふっ。…わふ?」

 視線前方の空間が歪む。

「でた」

 その空間が戻った途端に、画面いっぱいに迫ったほむらのドアップ。

 威嚇モードでハセベさん吼える!

「ばうばう!」

 意にも返さず、コアラのようなつぶらな瞳でハセベさんを見つめるほむら。

「じー」

「きゅーん?」

 ハセベさんも、相手が一応知る人間だと気がついたのか、キョトンとして見つめている。

 ほむらはハセベさんの頭に手を軽く乗せる。

 なにやら呟く。

 小声というより、言葉が早すぎて常人では聞き取れない、所謂『高速言語』ってやつだろうか。

 同時に、ほむらの手が光り、光に包まれたハセベさんが、ぽん★とはじける音と共に光も弾けた。

 見た目は変わっていないようだが…?

「うわー。コアラが喋ったと思ってーってうわわわわわ!」

 パニックのハセベさんをよそに、ほむらは親指をぐっと立て、

「ぐっじょぶ☆」

 ハセベさん、喜びのあまりしっぽをばたばた振りながら、

「わ! 喋れるの!? ぼく、喋れるの!? ねぇ! 言葉! 言葉話せてる!?」

「せいこう」

「本当!? 大丈夫なの!? 妄想じゃない!?」

「ちゃんと」

「そうかぁ! ぼくハセベさんだから! ハセベさん犬だから人間語わからないから!」

「いまはだいじょうぶ」

「うん! でも言葉なんだ! そうなんだぁ! じゃぁ喋っていいんだよね!」

「色々聞きたいから」

「よかったぁ! じゃぁ喋るね! いっぱい喋るよ!」

「うん、まずは…」

「あぁ! 人間語だからお話できるね! ね、姉妹の人!」

「だから…」

「あぁー姉妹の人と僕は今会話しているよー! 進化驀進だねぇー!」

 ごっつん!げんこつ!

「きゃいん!」

 殆ど無表情だが、それなりにぷんすかしているほむらにゲンコツ食らった。

「話を聞く」

「しょぼぼーん…」

 しゅんとなるハセベさんも、それなりに愛くるしいのだが。

 そして、ほむらは中腰でハセベさんを見ながら、

「この鉄道を救う。それがアナタの役目」

「役目?」

「この鉄道が生き残ることは因果律で証明されているから」

「なら、何もしなくても大丈夫なんだねえー! 知らせなきゃ!」

「それはだめ」

 勢い走り出そうとするハセベさんの首輪をむんずと掴んで制止させる。

 一瞬咽そうになったハセベさんは、ほむらに前足をジタバタ乗せながら、

「何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で」

 げんこつ!

「きゃいん!」

 またしょぼぼーんとなるハセベさんが落ち着いたのを見て、

「因果律の証明は行動を伴うから」

「?」

 人語を解して、ついでに知能指数も上がった(元から高いのだが)ハセベさんなのだが、ほむらの抽象的な言葉に、首を傾げる。

 ほむらは、ハセベさんの瞳をじっと見つめ、

「つまり、自らの望みは、動くことでしか叶わない。そうでないと」

「そうでないと?何?何?何?何?」

 不安がるハセベさんに、必要最低限の感情でほむらは物言いをし、

「因果律が崩壊して、本来無いはずの、鉄道廃止後の世界が作り出される」

 指を鳴らす。

 音と風景がフラッシュバックし、空間が解き放たれた雰囲気。

「わふ? わんわんわん!」

 いつも通りのハセベさんだ。

 ほむらはポツリと、

「これから来る人間は、良くも悪くも使えるはずだから、役に立てて」

 ほむらの背後の空間が歪む。

 そこには、ぷんすかぷんとお怒りの様子なめぐみが。

「やっぱり! こんなところにいましたのね」

 ふと、何かに気付いたのか、鼻をクンクンさせて、

「…この空間に残る匂いは、まさか」

 めぐみはほむらを「めっ!」しながら、

「ひょっとして高速言語を使いましたわね! 現地時空間における禁則を破ってはいけないと『姉妹の約束』で、あれほどみんなで取り決めしましたのに!」

 怒りの剣幕も凄いめぐみ。

 ほむらはうるうるな瞳を向けて、あたかも子供が親にするように抱きかかえる。

「むぎゅ★」

「そ、そんな、しおらしく抱きしめられても誤魔化されませんわっ」

 つい照れてしまうめぐみをぎゅっと抱きしめたほむら、めぐみのわき腹を突っつく。

「むぎゅぎゅ★ぷにぷに」

「きゃあ! どこ突っついてるのよお」

「やあわかい」

 思わず快感に酔いしれてしまっためぐみ、真っ赤になった顔に手を当てながら、

「もう…ちょっと感じちゃったじゃないの…。さあ、帰りましょうか」

「了承」

 柔らかい動きの敬礼をポーズでするほむら。

 そして二人は歪んだ空間と共に消失した。

 まさに時間が動き出したようなその時、最終列車が入ってきたのだ。

 本来は誰もいない列車から降りた、一人の人間を見つけたハセベさん、いきなり吠え出した。

 そこへ、

 普段は吠えないハセベさんの違いに、ハガネとクロハがホームにやってきた。

 到着した三両編成の列車(JTR仕様の415系)を背にして、現れた姿を見て、

「!」

 二人は言葉が出ない。

「せ、せ」

「石勝さん!」

 そう。

 二人の前には、親指を立ててヨレヨレの背広姿で憔悴しきった石勝が!

「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 悪を倒せと俺を呼ぶ 聞け、若者ども! 俺は正義の冴えないルポライター、石勝チトセ! お呼びでなくても即参上!!」

 ニヤリと笑う石勝。

 が、余りにも似合わないその雰囲気に、取り返しのつかない間が(爆笑)


 第一、このネタが判る人は年齢がバレる。


 ともあれ、全員が汗ジトな雰囲気の中、なんとか自我を取り戻したハガネが、

「石勝さん。こんな時間に一体…」

「あ、ああ。話はちょっと複雑でね…」


 時系列は、例の会見騒ぎにて。

 あの記者会見が終了した後、追いかけた石勝は颯爽と歩く美多佳の肩を掴み、

「おい吉祥寺。なんて事を…」

 振り向いて石勝の腕を振り払った美多佳は、顔をくいと上げ、見下すように、

「誤解しないで頂戴。私は取材対象者の言葉を聞き、記事にするだけだもの」

「その為に誘導取材をしてもか!」

「【取材をして裏付けを取り事実を報道する】ことが【報道の原則】よ。決して間違ってないわ。今回もね」

 石勝は握りこぶしを震わせ、出来るだけ感情を抑えながら、

「特定の立場からの主張を、否定もしくは肯定する意図で、直接・間接的な情報操作をする。中立公正の絶対原則を無視して、か。それこそが偏向報道じゃないのか?」

「それも必要なら当然のことよ。世の中、何かで導くことが必要なこともある、って」

「……」

 押し黙る石勝。美多佳は妖艶な目つきで、

「判ってるはずよ。かつてのあなたならね。これはあなたから教わったことだもの」

「…過去は過去だ。振り返るべきものじゃない」

 それとなく視線を合わせられない。

 美多佳は腕を広げる大仰な仕草をし、

「そうよね。思い出すわあ。無実の一般人を毒薬散布事件の加害者として報道したアナタのすさまじい能力は、とてもとても純情可憐で無能なアタシなんかでは…」

「言うな!」

 石勝のその目には怒りが。

 あるいはもう古傷をえぐるなという懇願のそれにも見える。

「…」

 互いに睨み合う二人。

「…言っておくけど」

「…なんだ?」

 唇を意識するほど顔を近づけた美多佳は、石勝の耳元で囁き、

「碧風高原鉄道の廃止問題を『罪滅ぼし』の意味で廃止反対を訴える気なら」

「…気なら?」

 すっと離れた美多佳は親指で首を切り落とす仕草をしながら、

「ヘタレな元先輩なんて同情無しに、完膚なきまで叩き潰させてもらうわ!」

 高笑いしながら去っていく美多佳を見ながら、ただ立ち尽くしているしかない石勝。


 そして時系列は戻って。

 石勝は組み合わせた手で俯く顔を押さえながら、

「せめてアイツは、ジャーナリストとしての道を踏み外して欲しくはなかったんだがなあ…」

 静寂が支配するリビング。

「それで、いても立ってもいられなくなってね…」

 一区切りついた雰囲気を察したのだろう、クロハはなるたけ年相応な雰囲気で、

「お茶、どぞっ」

「どーも」

 子供が淹れたお茶に喜ぶ親のごとく笑んだ石勝。

 一口飲んだのだが、思わずぷっと吹き出し、

「あんま美味しくないねこのお茶、葉っぱ変えた? それとも出がらし…? こほん」

 つい本音が。

 身延兄妹のジト目を、咳払いして誤魔化す石勝だが、

「ところで石勝さん。でもこんな夜中に、いったい…」

「ハガネ君。この鉄道の輸送密度は?」

 いきなりの質問にちょっと面食らったハガネ、ちょっと呆けてしまい、

「断面輸送量ですか? ええと…」

 書類棚からファイルブックを取り出し、紙をめくりながら、

「国営長浜境支線だった頃は、それでもギリギリの4千人くらいですね。今はその半分あるかないか位です。それでも、かろうじて輸送量は横ばいを示していますけど、これは自治体の利用補助金が出ているからで、実際は微減傾向が続いていますね」

 石勝は目を閉じ、思案しながら

「当時、廃止を逃れた理由は、やはり道路整備の問題もあるわけだね?」

「そうですね。路線を全て通る道路はないですし、山間部を通る関係で道路整備は遅れているようですね」

「観光需要としての要素は?」

「ここ、みどりかぜ高原をはじめとする周辺地域も、一応は観光資源として見られているようですが…」

 ハガネは路線図を指し示しながら、

「長浜境に近い黒川や集落から歩ける距離の徳那賀とかでしたら通勤の需要もありますし。沿線開発で需要増も期待されたんじゃないでしょうか?」

「ふむ…」

 石勝は考えるポーズ。独白しつつ

「廃止の決定的要因はインフラ整備と過疎化をメインに、か…。行財政改革で税金の無駄使いをアクションに使ったのか…?」

「石勝さん」

 不安げな表情のクロハに、石勝は出来るだけ余裕を見せて、

「なにかな?」

「クロハ達のお父さんとお母さんは、何でここを残そうとしたんですか?」

 質問の意図がいまいち理解できないハガネと石勝はいぶかしげる。

「…?」

 クロハは俯きながら、わずかに泣き声が混じりつつ、

「クロハにとってこの鉄道は、クロハが生まれてすぐに事故で死んだ、一番大切なお父さんとお母さんの形見だもの。だけど、残しちゃいけないほどに、みんなに迷惑なものなの?」

「そんなことない!」

 どん! とテーブルを拳で叩く石勝!

 ハガネとクロハは突然の迫力にびっくり

「!」

 床で臥せっていたハセベさんも、突然の音にびくつき、石勝を見る。

 刹那の静寂。

「…大声を出してすまなかった」

 大きく深呼吸をし、

「…今回、取材に訪れてね、君達や地域の人たちの素朴さ、純粋さ、共同性、親切心、色々と大変すばらしいものだと思ったよ」

 石勝は二人を見ながら、

「この地域も、都会と比べると決して派手ではないし不便だろう。が、社会に疲れたとき、何かに思い当たったとき、そんな時に、ふと、また来たいと思う、帰りたいと思う場所…そう、故郷みたいなところなんだと」

 語り続ける石勝を見つめるクロハとハガネ。

 石勝は静かに目を閉じ、

「そして、そう云ったところに哀愁を感じ、そんな誰かの想いを乗せて乗るべき、暖かい想いに満ちることで答えられる一番大切な列車をその手で残しておきたい…」

 石勝はハガネの頭にぽんと手を乗せ、軽く撫でながら、

「君達のご両親はそういった思いを抱いていたんじゃないだろうか?」

 目じりに涙を溜めながら、石勝の手をちっこい両手で掴み、明るく微笑んだクロハ。

 ハガネは何かを黙考していたようで、

「そうだったのか…」

「ハガネ君?」

 ハガネはクロハやハセベさんなんかに刻々と視線を移しながら、

「この鉄道が父さんと母さんの手で生まれ変わった時、僕が七つ、クロハはまだ生まれたばっかりだった。確かに、考えれば、僕たちに残された二人の最大の想いだったんだ…」

「ハガネ君…」

 石勝も次に来る言葉が浮かばない。

 ハガネはクロハに振り向き、

「クロハ」

「おにいちゃん?」

 ハガネはクロハを見て、元気よく笑んだ表情で、

「守ろう! 僕たちの鉄道を! この街を! 父さんと母さんの夢を!」

「…うん! クロハがんばる!! ハセベさんも一緒にがんばろうね!」

「ばうばう!」

 涙を拭いてにっこにこになるクロハに抱きしめられたお座りしていたハセベさんも元気良く答えるのだ。

 その時突然、リビングの引き戸が勢い良く開く!

「話は聞かせてもらったよ!」

「うわあっ!」

「ち、地区駅長さん!?」

 そこには、腕を組んで仁王立ちで立っている地区駅長の姿が!

「い、いきなりなんです!太陽に●えろの山さんですかアンタは!」

 その辺のネタを知っているのは最早アラフォー世代である(苦笑)

 そんな石勝のツッコミと、そのツッコミの意味が判らずキョトンとしている兄妹を全く気にせず、悠然と構えた貫禄たっぷりの表情で、

「至急に伝えたいことがあってね。試運転列車を回してもらって来たんだが…、それはそれでいい。こちらの事情だから。ああ、挨拶はいい。夜分にすまなかったね」

 そして。

 若干緊張気味にお茶を差し出すクロハ。

「お茶、どぞっ★」

「ああ、ありがとう」

 特に味に文句は言わないみたいだ。

 一息置き、ハガネは、

「ところで、火急の用件とは?」

 地区駅長は軽く咳払いをし、

「突然だが来週、社長が碧風高原鉄道と、その沿線の視察に訪れる」

「社長…ですか…? JTRのキハ・ヨンジュウ社長がですか!?」

「無論だ。名目だけとはいえ、この碧風高原鉄道の社長も兼務されておられるからな」

「それはそうですけど…。しかし、急と言えば急ですね」

「それに関して、通常とは違う運行計画の連絡と確認を…」

 みょーな視線を感じた先には、まるで宝物を見つけた子供のように目をウルウルさせたクロハが。

「うるうる~★」

 多少のことには動じない地区駅長も、後ろ頭にジト汗を醸し出し、

「な、なにかな?」

「社長さんに、この路線のタイヘンぶりを訴えることもできるわけですよね!」

「ま、まあ、それはそうだが…」

「この鉄道のいいところを一杯一杯見てもらえば、もっともーっと援助してもらって、そうばれば、この鉄道が廃止にならなくて済むってことですよね!?」

「断言は出来ないが、可能性としてはありえない話ではないと思うんだが…」

 きゅぴーん!

 クロハの瞳に怪しく輝く炎と更に怪しいオーラを全身に纏いガッツポーズ!

「こ、これはセンザイイチグウのチャンス! これでこの路線も残せるんだっ! やたっ!」

「千載一遇もカタカナ言葉かよ…。勉強不足な我が妹よ…」

 別の意味で落ち込むハガネ。

 仕方ないです。この手の妹はおバカと相場が決まっているのです(苦笑)

 それはさておき。

 石勝はハガネに向き、ニヤリと不敵に笑み、

「だが、またとないチャンスかもしれない事は確かだね。頑張ろうハガネ君!」

「はい!」

 元気に答えるハガネ。若さって、いいねえ!

 そこへ。

 どうやら自宅の玄関の方から声が聞こえた。

「ごめんくださーい」

「あ。あの声は、巴おねーさんだ! どぞー!」

 とたとたと無邪気で元気に廊下を走って行くクロハ。

「おにーちゃーん!」

 クロハが呼ぶ。

 玄関の三和土には、いつもの和服にエプロン姿の巴がいたのだが。

「こんばんわあ。ごめんなさいね急に。あの…ハガネ君?」

「小諸さん…こんな時間に、何か…?」

「ちょっと込み入った話が。ここでは、その、ちょっと…」

 神妙な表情をする巴。

「じゃあ、外にでも」

 そう言いながら、わずかに雰囲気が違う、ハガネなのだが…


 夜半、というか、深夜に近い時間のホーム。

 最終でやってきた三両編成の列車(JTR仕様の457系)が電源を落とされてひっそり佇んで、地区駅長が乗ってきたと思われる試運転列車(JTR仕様のキハ181系)がエンジン停止(運転士は駅舎にいると思われる)で、これまたひっそりと佇んでいる。

 両列車にはさまれたやや暗い照明のホームを、俯きかげんで静々と歩く巴。

 ハガネはその後ろをつかず離れず歩き、

「小諸さん? どうしたの?」

 歩みを止める巴。

 振り向く。見上げる仕草も可愛らしい。

「ハガネ君…。実は……」

 衣類がこすれあう音が。

 するりするりと、巴はあっという間に着物を解いてしまう。

「こ、小諸さん! いったい何を…!?」

 顔を真っ赤にして思わず顔を覆うハガネ。

 もちろん、隠した手をちょっと開いて覗き見するのはお約束だ。

 雲が動いたのか、月明かりで照らされたそこには、腕を交差させて胸を隠しただけの、生まれたままの姿で佇む、白い肌が月明かりで輝き美しく笑う巴の姿が。

 ふわあっと手を広げた巴は、絡めるようにハガネを抱きしめる。

「あ、あの、あの…!? 」

 状況が理解できず、ハガネは半ばパニック状態だ。

 そりゃそうだろう。未亡人とはいえ幼馴染みの娘が、あられもない姿で自分を抱きしめているのだから。

 が。

 何か鋭利な痛みが!

 途端にハガネの瞳孔が一瞬開く。

 抱き絡めた巴の右手に握られている注射針がハガネの首を刺していたのだ。

「な、なに、どうした、の…」

 直立不動で動けないハガネ。

 巴は口元に不敵な笑みを浮かべ、

「ふふ…。案外、簡単に騙されるのね」

「な、なんで…」

 巴は固まったままのハガネを軽く押す。

 程なくして倒れこむハガネの胸元に手を押し付けつつ、騎上位でまたがりながら、ハガネを見下ろし、

「気づいていたようね。最終列車後に現れた私を謎に思わないわけないものね。でも…」

 巴は月明かりに照らされた妖艶な笑みを浮かべ、

「状況は、利用させてもらうわ。今この段階で、結束感を固めるわけにはいかないもの」

 巴はハガネの顔を蠢くような手の動きで擦りながら、

「本当なら、この変装に使った貴方の幼馴染と入れ替わって、既成事実を作っても良かったのだけど、それはあまりにも非効率だわ」

「き、キミは一体…」

「だから、不協和音を作り上げさせてもらうわ。ふふ…」

 巴は数歩離れ、ホームにわざとらしく寄れ掛かったかと思ったその瞬間、大きく息を吸い、


「きゃあああああぁぁぁぁぁ!」

 いきなりの悲鳴!


「な、なんだなんだ!?」「ばうばう!」「むむっ! 破廉恥だな!」「お、おにいちゃん…!」

 どたどたと駆けつけたみんな。

「ハガネ君! 一体何を!!」

「ばうばうばう!!」

 血相を変える石勝とハセベさん。

 地区駅長は腕を組み悠然と見ているし。

 そしてクロハは…

「…こ、こ」

 物凄い怒りのオーラが!

「このスットコドッコイがああぁぁっ!」

 クロハの回し蹴りがハガネの横腹に見事にヒット!

「うおっ!」

 どすん!

 反動で吹っ飛ばされ倒れた瞬間、

「あ…体が動く…!」

 手足をわきゃわきゃ動かす。

「しまった! 薬の効きが弱かったか…!」

 舌打ちをして呟く巴。

 だが、それは誰にも聞かれていないようだ。

 怒りのみんな(マイペースな地区駅長を除く)がにじり寄りつつあるが、ハガネは、

「ちょ、ちょっと待ったみんな!」

「この状況で何を言おうというんだね!?」

 石勝の言を止め、

「この小諸さんは、本物じゃない!」

「!?」

 そりゃそうだ。どこのロシアの秘密警察だってやり口だぞ?

「一体何を…」

 余りにも突拍子もないハガネの言い訳に、さすがに二の句が告げない皆。

 が、

「…ふっふっふ」

 巴(の、偽者?)は、ユラリと立ち上がり、

「ほーっほっほっほ! バレては仕方ないわね!」

 いきなり高笑い。

 ようは素っ裸の巴がタカビーお嬢様よろしく、仁王立ちで笑っている光景。

 石勝なんかはすでに呆然。

 が、

 どこから取り出したのか、ニセ巴はボール大のものを握り、それをホームに投げつけた!

 ぼん!

 ものすごい勢いで、ホーム上が煙幕に包まれる!

「うきゃ! なになに!?」

「ばうばうばうばうっ!」

 全員が咳き込んだりジタバタしているようだ。

 そんなホームの下、煙が来ない線路上をニセ巴がちょこまか四つん這いで逃走準備中だ。

 ホームの端まで来たところで背後を振り返る。

 ホーム上はまだ煙で充満中だ。

 軽く舌打ちし、線路が延びる闇に消えつつ走り去るニセ巴。

 走りながら、ニセ巴は顎の辺りに手をかけると、なんと顔の皮(?)が変装マスクだったのか、綺麗に取れてしまったではないか。

 丹精に綺麗な顔立ちと言ってもいいだろう、金髪の美少女である。

 耳に装着している、恐らくハンズフリーの携帯電話をこつこつ叩く。

 誰か出たようだ。

「私だ。ソレイユだ」

『シルク様!』

「ファーストネームで呼ぶなと言ったろう!」

『失礼しました。…今、どちらに? 作戦の結果は??』

 電話の声だが、場面が一瞬変わる。

 電話の主は、リムジンの後部シートに身を沈めているキハ社長ではないか!

 走りっているのに息がほとんど乱れていない、ニセ巴、いや、シルク・D・ソレイユという娘は、

「状況が変わったわ。今、転進中」

『…察するに失敗ですか』

「転進だと言ったでしょう! とりあえずピックアップして」

『わかりました。現在地は?』

 一瞬言葉が止まり、

「終点の駅から線路沿いに走っている。さっき大きなカーブを曲がった」

 数瞬の間が空き、

『もうしばらく行くと、左にカーブした先のトンネルを抜けた先に信号場がありますんで、そこの崖下で待機してます』

「了解」

 ハンズフリー携帯をコツっと叩く。

「あンの似非外人が…!」

 顔をしかめて、闇に消えていく。

 その、通話を切られた、結構ラフなスタイルのキハ社長は、軽く舌打ちをし、

「フン、小娘のくせに……。…出してくれ」

 山中の未舗装道路をリムジンが走り出す。

 一方、

 やっと煙が晴れた駅ホームでは、クロハが涙目で咳き込みながら、

「うう~、一体なんだったんだよお~」

「ばふっ! ばふっ!」

 目が×印になったハセベさんもくしゃみ(?)だか咳き込みが止まらないようだ。

 石勝は涙目をハンカチで拭いながら、

「それにしてもハガネ君、よくさっきの巴さんみたいな人が偽者だと気づいたね?」

 ハガネは煙を手で払いながら、

「それはまあ、最終過ぎてるのに来るのも変だと思いましたし…」

 制服についた煙の粉を叩きながら、

「思わず抱きしめられたけど、小諸さんはあんなに胸無かったしね」

 無意識に苦笑しながら答えちゃう。

 が、背後に怒りのオーラが。

「ほほーう」

 どす黒いオーラを纏い悪魔よろしく目だけ不気味に光るクロハのバーサーカーモード発動。

「おにーちゃーん…。まーたそーゆースットコドッコイなことを~~!」

 ずんずん強襲!

「ま、待ったクロハ!」

「問答無用!」

 ああっ! クロハにスピード線がっ!

「ATC解放っ!!!!」

  ばきい!

 クロハの「特快ぱんち」炸裂!

「制限解除―――――!」

 派手に223系の汽笛を響かせながら、ハガネは星になった…。

 ちなみに。

 本物の巴は、自宅でもある茜森温泉旅館で、お笑い番組見ながらお茶していました☆


「…っと」

「イタタ…」

 リビングにて。

 頭にタンコブこしらえたハガネが、石勝に絆創膏を張ってもらっていた。

 テーブルの向かいには、腕を組んでお怒り中のクロハ。

 石勝はハガネの肩を叩きながら、

「とりあえずは来週の視察で、どれだけ印象を変えられるかだね」

「はい! がんばります!」

 二人はクロハを見る。

「わ、わかったよう。クロハだってガンバルようー」

 こうして、夜は静かにふけていく。



 翌朝。7時ちょっと前。

 ハセベさんが何か看板を引っ張ってきて、改札口前に広げる。

 そこには『ハセベ駅長改札中。乗車券は車内でお求めください』の文字が。

 確かに、ハセベさんは犬なので、切符販売までこなせるほど器用ではないだろう。

 ので、古めかしい有人改札口に器用に登り、そこにちょこんとお座り。

 やがて、少数だが、通勤や通学に列車を使う人たちがちらほらと。

 みんな、ハセベさんに挨拶。

「わふっ」

 時折、

「ばうっ!」

「あ、定期切れてた…。ゴメンゴメン。車内で買うからね」

「わん!」

 てなやりとりもほのぼの。


 一方、

 ホームでは、3両編成のキハ20形(実際はキハ52形も含んだ混成連結車)がアイドリング中。

 通勤ラッシュ用に増結しており、このときはクロハが車掌として乗り込むのだ。

「よしっ☆!」

 腰に手を当て気合十分のクロハ。

 制服に制帽はもちろん、白手袋もなかなか決まっているぞ。

 ホーム上には、手荷物を持った石勝が、乗務員室から身を乗り出しているハガネと、なにやら話しているようだ。

「とりあえず、一度戻ってみようと思う。私なりに色々動いてみようと思うから」

「わかりました。よろしくお願いします」

 笛が鳴る。

 クロハが大声で

「まもなく発車しまぁす!」

 改札口に向かってぐるぐる手を回しながら声を張り上げる。

 その姿は、ほとんど落ち着きのない小学生並み。

 ともあれ。

 ボックスシートの一角に座った石勝は、目を閉じ、眠るように考えに耽る。

 途中、

 龍真神社駅から乗ってきた綾とクロハが口げんかしたり、茜森温泉駅前の真向かいになる旅館の濡れ縁に日向ぼっこしている巴が座ってウトウトしていた姿を見てハガネが苦笑したり。

 やがて終点の三峰峠に到着する頃には、車内はかなり混雑している。

 が、

 よく見ると判るのだが、圧倒的に通学客である中高生などの姿が多い。

 つまり、通勤の足としての役割を担いきっていない、ということになるのだろうが。

 ともあれ。

(JTRの)駅員詰め所に休憩でやって来たハガネとクロハ。

 ハガネはともかく、娘や孫の年の差になるクロハは大人気だ。

「クロハちゃん、ほれほれ、お菓子食べなきゃ」

「わ☆ありがとお」

「おーいクロハちゃん、お茶淹れたからこっち来て飲もうよ」

「はぁい! 飲む飲むー」

 嘱託やパートの人から見れば、完全に素直で可愛い孫扱いだ(苦笑)

 一方でハガネは、地区駅長や運行管理者なんかを交えて、社長視察に関する運行計画の話し合いを立ち話で行っている。

 その筋(どの筋かは不明)では『若いのに結構やり手だが決断力がまだ初心者』と言う触込みだ。 

 そんなほのぼのひと時な時間が流れていたとき、カウンターに置いてあった目覚し時計が鳴る。

 ハガネは無意識に懐中時計を見、

「おっと、ぼちぼち時間だ」

 ペコリと頭を下げるハガネ。それに気づいたクロハも立ち上がる。職員の一人はちょっと寂しそうな声で、

「なんじゃ、もう行ってしまうのか。さびしいのう」

「今日から『みどりかぜ・がんがんガンバレ計画』を始めるのっ! だからクロハも大忙しなんだよ」

 クロハの台詞にぶっと噴出すハガネ、目を点にしながら、

「な、なにそのネーミング…?」

「だって、この鉄道を無くさないようにドンドンガンバなきゃいけないんだし、かっこいい作戦名が必要だと思って」

「かっこいい、ねえ…」

 第一に、具体的な作戦内容なんか何も決まってないじゃないか(苦笑)

 ともあれ、

 上り列車(碧風高原鉄道は起点駅の方面が上り)になる、今度は単機のキハ20形がホームにひっそり佇んでいる。

「それじゃクロハ、今日の予定はわかったかな?」

「うん! まずは駅とかをキレイに掃除するんだよね」

「そう。社長が来たときに、少しでも印象を良くしておかないとね。この後の列車は大体1時間間隔だから、列車を待つ間に駅をきれいにしていくのを暫くやる、OK?」

「らぢゃっ☆」

 ぴっと敬礼。これがなぜか可愛いのだ。そんなクロハもノリノリである。

 JTRの職員パートのおばちゃんから、清掃用具一式を借り、ゴミ袋だのの消費材を乗務員室に積み込んでもらう。

「あらあら、支線を綺麗に掃除だって? 頑張ってねクロハちゃん」

「うん! クロハガンバる!」

 地元の人は愛着を込めて、昔の名称である「支線」で呼ぶ。

 それだけ愛されているのだろう。


 そして、列車(一両でも正式には列車)は走り出す。


 三峰峠駅はこの地方の中核駅で、複数の路線が走っており、しかもかつては貨物扱い(今は休止)もしていたので駅構内は広い。

 構内配線の関係で駅舎から一番遠いホームからの発車になってしまったが、かつては駅舎から一番近い1番乗り場が、支線の発着ホームだったことを考えると、寂寥は感じられる。

 もっとも、この発着線変更で本線進入にポイント通過がなくなり、速度制限がなくなったのでそれなりに好意的には解釈されているようだ。 

 前は、構内進入前に本線通過列車がある場合は信号停止を余儀なくされていたのだから。

 三峰峠付近の本線群(通称、山側本線と海本線(長浜境線のこと))は1時間に上下各5本の特急が走る、いわゆる「特急街道」で、さらにタウン快速や地元輸送列車、新幹線連絡急行などもあり本線の列車密度はかなり高い。

 それがみどりかぜ鉄道の遅延原因にもなっていたくらいだ。


 風景観察に戻ろう。

 単複々線が暫く続くと、一組の複線(海本線(長浜境線))がぐぐいと離れていく。

 同じ駅を2分後発している特急【『スーパーワイドビューさくら』67号】の683系が、あっという間に追い抜いて行った。

 更に暫く定速(55キロ)で走ると、市街地が寂しくなりはじめ、もう一組の複線から単線である碧風鉄道線が大きく左にカーブを切り始めると、一気に建物が少なくなり、田園風景の中を走り出す。

 子気味良いレール継ぎ目の通過音と、架線柱の風を切る音が心地よい。

 少し高低差が続く。

 左手に富山とみやまという小さい山が見えたとき、路線は大きく右に曲がり、通称、黒川大橋を渡る。

 その名のとおり、この黒川が存在したことで市街地が分かれてしまい、歴史上では渡り舟があったとか。

 鉄道最盛期の計画ではみどりかぜ線は複線化される予定で、橋そのものも複線対応出来るままで、レール自体は引かれているものの、完全に遊休線路になってしまっているようだ。

もっとも、周辺線路も複線可能な用地が残ったままになっているが。

 橋を渡ってすぐに、黒川駅に到着する。

 所謂、旧国鉄型ホームの駅で、駅舎側の片ホーム(直線路)と一番端が突端型になっている島型ホームの組み合わせで、殆どは片ホームのみが使われているが、行き違い可能になっている。

 また、ラッシュ時に使う多編成列車はこの空きホームに滞留することが多い。

 黒川駅はこの市街地の最外縁部で、三峰峠と黒川間の利用もかなり多い。

 これは、三峰峠側が鉄道を中心に発展した宿場町で、黒川はどちらかと言えば古い過疎地だったことで逆に開発余地があったこと、また、一昔前に高速道路が通り、物流施設や大型ショッピングモールが相次いで出来、新興住宅地として整備されてその地元駅としての乗降客が増えたことなどもあった関係もある。

 実際、収入の半分近くはこの短区間の旅客収入に偏っていて、JTRの折り返し運転もこの区間を境に倍以上の差があるのだ。

 そして、書類上では本社を除いて唯一の駅員配置駅になっている。

 もっとも、みどりかせ鉄道は実質稼動人員の正社員はハガネしかいないので、駅舎に併設されている『大槻文具店』が委託業務を受けているのだ。

 列車が到着し、大多数の人が降り、数えるほどの人が乗る。

 時間調整で数分止まる間、ハガネが大槻文具店のおばちゃんに、今回の経緯を説明中。

「そういうわけなんです」

 おばちゃんはにっこり笑い、胸をどんと叩きながら、

「大丈夫さね。暇見ちゃちょこちょこ掃除してるし、ウチの旦那は日曜大工が趣味みたいなモンだからね。ついでにあちこち手入れしてるからね。ドンと来いって!」

「ありがとうございます。いつもすいません」

「なぁに。あたしだって子供の頃からここに住んでるからもう家みたいなものさ。そう。思い出すねえ。あれはあたしが中学の頃に今の旦那と列車の中で出会ってさ…」

 うっとり話し始めるおばちゃん。

 どうやらいつものことらしく、思わず汗ジトのハガネ。

「あ、もう時間だ、じゃ、じゃあお願いしますっ!」

 ダッシュで戻ってすぐ発車。中々に侮れない(苦笑)


 線路はゆっくりと右手に曲がりながら、徐々に谷間のように掘り下げられた平地を進んでいく。

目の前の山の谷間を抜けていくからだ。

 制限速度は解除されているが、みどりかせ鉄道は気動車が原則のときは最大75キロ、JTRが電車で乗り入れるときは95キロが事実上の速度制限になっている。

 谷間が深くなった先端の鷲宮隋道を通る。

 元々は深い谷間だったが当時の工事中に土砂崩れがあり、その対策も兼ねてトンネル化したと言ういわく付きの難所だ。

 隋道内で徐々に勾配が上がっていく。

 みどりかぜのキハ20形は改造によりエンジン出力が上がっているが、昔は時折、歩った方が早いほどに速度が落ちたこともあるという。

 トンネルを抜けると、うっそうとした森をわずかに抜け、目の前には一気に平原が広がる。その中を疾走していくのだ。

 若干左に曲がり、秋桜が丘駅に到着。

 島形ホームに待合室の掘っ立て小屋と小さい物置小屋、古い自動販売機がぽつんとおいてある無人駅で、一応は行き違い可能ではある。

(但し、実際の列車交換は一日で一回しかない)

 今の季節的には単なる草原だが、夏が終わると一面にコスモスが広がり、その時期には行楽客がかなりいるという。

 また、山間で直通道路が無いこともあって、冒険感覚のハイカーからも評判は悪くないらしい(黒川の端から沢沿いにハイキングルートがある)。

 クロハが掃除用具とかを持って下車。

 ハガネは運転席から身を乗り出し、

「じゃあ、折り返してくるまで掃除しててね」

「大丈夫っ! クロハにおまかせだよっっ!」

 ぶんぶん手を振りながら、列車を見送るクロハ。

 排気を上げながら、それでも鈍重に去っていく列車。

「…ふむ。それじゃ、お掃除しちゃうぞーう!」

 ガッツポーズのクロハ。

 …まずは定常業務。

 待合室につっくいている物置小屋を開けて、備品や在庫品(自動販売機に補充する飲み物)を確認し、メモっておく。

 次に、自動販売機に飲み物を補給。

 季節外では、たまに来る行楽客が時折買うくらいなので、数本補充して終わり。

 ついでに、自分もちっこい財布を取り出してオレンジジュースを所望。

 待合室外のベンチに腰掛け、お日様がぽかぽか当たる中で一息。

「ふう。暖かくて気持ちいいですのうー」

 スーパーの買い物袋(のゴミ袋)に、今飲んだやつと、自動販売機に併設してあるゴミ箱から空き缶(一個捨てられている)を取り出す。

 ちゃんと分別するのはお約束。 

「さて。やりますか!」

 元気に笑って腕まくりするクロハ。

 鼻歌交じりで待合室内をはたきでほこりを落としたり、窓や引き戸に潤滑剤を塗ってあけしめしたり、窓や室内の縁台ベンチみたいなものを拭いたりして。

 小さいので、それほど手間も掛からずに終ろうとしたとき…、

 天井をじーっと見つめる。

「電球が切れてる…」

 もちろんクロハはちっこいので、脚立を使ってもなかなかに届かない。

 ぽん☆と手を打ち、

「うん。これはお兄ちゃんに押し付けよう!」

 こら(苦笑)

 チェックリストに書き込み。

 そんなことをしていると待合室と自動販売機は、光り輝くほどではないが、古いなりに綺麗になった。

「壊れたところがないから、とりあえず大丈夫みたいだね」

 柱をさすりながらニッコリ。

「よっし。次いってみよー」

 ホームのごみ拾い(と言ってもいかにも的なゴミはない)や、竹箒でホームを掃く。

 ホーム自体は10両編成分あるので、結構広い。

 お日様の日差しがあるが、湿度が低いのと風が心地よいので、汗ばむこともなく、某レレレのおじさんよろしく箒でホームを掃いて、時折ちりとりで取り、でっかいゴミ袋にそれをまとめていく、と言う作業を続けて、三分の一位が終わったところで、上り列車(JTRのE531系・5両編成)がやってきた。

 運転席から顔が出る。

 より正確には、でっぷりで乗務員室から身体を出しきれていない川島の姿。

「頑張ってるね!」

「あ! 川島のおじさん!」

 川島は制服のポケットをごそごそして、

「疲れるときには甘いのがいいんだよ! 暇見て食べて!」

 そう言いながら、何か袋を投げ、クロハがキャッチするタイミングを見るまもなく、運転席に戻って発車して行く。

「?」

 クロハが受け取ったもの。

「にゃ! 苺みるくのキャンディだ!」

 元気元気! てか、喜びすぎだろ(笑)

 早速袋を開け、包みを一個解き、頬張ってみる。

「甘~い☆おいひい!」

 美味な味わいにクロハはニッコニコだ!

 それはそれでいいのだが、一袋丸ごとを持ち歩いている川島氏って一体…?

 そんな小休止を繰り返しつつ、掃除もホームの半分を大分超えたとき、ハガネの運転する先ほどの列車が下りでやってきた。

 クロハの目がキラン☆と光る。

 列車は停車して、ハガネは運転席から出てきながら、

「進み具合はどうかな…」

 ハガネが言うが早いか、クロハは腕をぐいと引っ張り、

「お兄ちゃんちょっと来て!」

 そして先ほどの待合室。

 やっぱり届かないので、ハガネに肩車してもらっているクロハが電球を替える羽目に。

 が、ハガネはふらふらして安定感まるでなし。クロハは不安定感を怒りながら、

「ちょ、ちょっと動かないでよお!」

「は、早くして…」

「ええい! お兄ちゃんのくせに~!」

 考えてみればわかるが、ハガネにしてみれば、クロハ程度とはいえ軽いわけではないのが肩の上で暴れているわけで、しかも未だ成長途中だがそこそこに柔らかい太股に首を挟まれるというとんでもない情景になっているのだから。

 それでもなんとか、不安定な状態ながら何とかカントカ、切れた電球の交換をした。

 ハガネは「今度の折り返しで次の駅に行こう」と言い残し、色々な意味でどっぷり疲れた表情を残して出発して行った。

「まったく…。まともに役に立たないんだから」

 ため息交じりのクロハ、無意識とはいえ何気に鬼畜な小悪魔だと思う。

 ともあれ。

 丁度ホームの掃除が終わった頃に、さらに折り返してきた列車が戻ってきた。

「おまたせ! お、大分綺麗になったね?」

 掃除のあとを見てハガネは笑んで、クロハの頭をクシャクシャ撫でる。

「うにゃにゃっ!」

 ちょっとビックリしたが褒められて素直にうれしがるクロハだ。

「よし、とりあえず次の駅へ行くよ?」

「らぢゃっ!」

 ゴミ袋と掃除用具を持って、乗務員室にクロハが乗り込み、程なくして秋桜が丘駅を出発する。


 駅を出てすぐに左に曲がりながら急勾配の短いトンネルを通り、カーブを曲がった出口で、二羽黒山沿いの川に沿って右にカーブし、山と川に挟まれた中を進んでいく。

 曲線も多く、しかも落石検知装置が旧型なので、トンネル出口から暫くの間は50キロ制限(しかもかなりの区間で35キロ制限や15キロ制限も)が続く。

 そうして山間をゆっくり走っていく。

 二羽黒山をほぼ半周回った谷間に臨時停車場として設けられているのが、今の二羽黒山駅。

 元々は黒川沿いで渓流釣りをする釣り師や、山を手入れする林業関係者、山の中腹には林野庁の現場事務所があったこともあり、仮の乗降場として設置されたものだ。

 鉄道事業法の改正で、臨時停車場は悉く駅に格上げされた際に、ここも臨時停車場所から駅に格上げされたまさにその時、現場事務所の閉鎖や林野事業の凍結などで乗降客がいなくなり、一度廃止されたのだ。

 が、

 その現場事務所付近に集落があったらしいと情報があり、そこに小日向姉妹が住んでいることが判ったので、利便性を考え、駅を復活させた。

 もっとも、片面でしかも1両分しかホームはないし、対向ホームは、乗務員乗降用に学校の朝礼台を改造したもので、数メートルの長さもない簡便な作りのものがぽつんと。

 待合室はもちろん無い(ベンチはある)し、駅らしい施設は駅名の看板と、そこに備え付けられた規格型の外灯くらいしか目立った施設はない。

 そこに、

「はにゃ。らえるおねーさん!」

 ホームのベンチには、佇むように座って読書中のらえるがいた。

「あらあらクロハちゃん。それにハガネさんも」

「どうも。列車待ちですか?」

 らえるは本を閉じ、軽く微笑み顔を上げて、

「ええ。街でちょっとお仕事が。その後に買出しをして帰る予定なのですよ。今日はクロハちゃんは、お兄様のお手伝い?」

「ううん、今ね『みどりかぜ・がんがんガンバレ計画』を実行中なの!」

「あら。何か面白そうな秘密の作戦みたいね」

 らえるの可愛い、いたずらっ子みたいな笑み。

「えと、えと」

 クロハはかいつまんで今やっていることを話す。それをハガネも。

「そんなわけで、掃除の時にでも構わないので、このチェックリストで確認してもらいたいんです」

「なるほど。なら、この駅を後でみんなで調べて、修繕項目とかを出しておきましょう」

「わ。ありがとう!」

「掃除は時折やっているから、今やらなくても大丈夫でしょうし」

 考えを交えながら、独白気味で語るらえる。

「それが『契約の条件』でもあるし…」

 そのつぶやきは聞こえたのかは謎。 

 運転席の目覚まし時計がジリジリ鳴る。

「おっと、ぼちぼち出発しなきゃ。じゃあすいません、お願いします」

「わわ、待ってよお兄ちゃん! らえるおねーさんさよーなら!」

 ハガネに急き立てられるようにクロハも列車に戻る。

「ごきげんよう、頑張ってくださいね」

 ベンチに座ったままのらえるが、ニッコリ笑って軽く手を振る。

 その柔らかい仕草がとても可愛らしく似合っているが。

 列車を見送りながら、すっと無表情になり、

「…現状での因果律修正は無理だって言いたいけど、禁則事項ですし……」

 二羽黒山駅を出ると、山沿いに右に曲がると、左手から迫る千代の富士せんだいのふじとが織り成す谷間を抜けていく。

 掘削されてはいるものの、実際はかなり狭い。建築限界はクリアしているが、複線の取れる空間は無いみたいなのだ。

 その谷間の28.3パーミルというかなりの急勾配(セノハチより急勾配)を登っていく。

 やがて、なだらかになった林の中にやや広い空間がある。

 行き違い施設になる高見盛信号所だ。

 二羽黒山―茜森温泉間は、山の谷間を縫うように走るので複線化も難しく、また、両駅共に元は臨時乗降場だったこともあり施設拡充に問題があったことがあげられる。

 すでに対向列車である先ほどのE531系が停車中。

 運転席には川島が手を上げて挨拶。

 ハガネも応答し、キハ20側も側線で一旦停止。

 双方警笛を鳴らし、同時に発車。

 対向車を確認することで衝突事故を回避するために行う安全確認ということになっている。

 対向列車の遅延に影響されるが、これを励行して、三峰峠支線設立(より正確には、身延テツミチ氏(身延兄妹の父君)が当地の鉄道管理局長に就任して安全改革を施行後)以来、無事故を更新しているのだ。


 路線は、ゆっくりと左のほう、千代の富士の裾野に沿って曲がっていく。

 途中、若干広くなっている部分である鷲宮峠駅跡(現在は緊急用資材置き場)を通過し、片方が崖を掘削した跡のような半地下の森林を抜けると、茜森温泉駅。

 ここもかつては臨時乗降場だった関係で単線の片面にしかホームはないが、通常ダイヤで運行される5両編成が停車できる長さになっている。

 ホームの線路側は崖のような絶壁だが綺麗に削られて大きい壁のような印象だ。

 ホーム内側は竹垣が綺麗に手入れされており、駅というよりは家の前と言った感じで、それもそのはず、この駅の出入り口は質素な歌舞伎門になっており、そこをくぐると目の前の散策道のすぐ向かいが茜森温泉旅館の玄関前という立地条件なのだ。

 歌舞伎門をホームから見ると、欄間の所に『茜森温泉旅館へようこそ』という看板が、反対側には統一ロゴが施された『茜森温泉駅』の看板と、柱のところにA3サイズくらいの額に入った時刻表があるのがかろうじて駅っぽい。

 列車がホームに入る時、すでに駅出入口には、和服にフリルエプロン姿という、何となく和メイドを髣髴とさせる巴が笑顔で出迎えていた。

「お疲れ様。クロハちゃん」

「巴おねーさん! こにちわー!」

 ぴょんと乗務員室から飛び降りる元気なクロハ。

 その行動が何となく落ち着きの無い小学生に見えないことも無いが。

 運転席からハガネが身を乗り出し、

「ごめんね小諸さん、変なこと頼んじゃって…」

「大丈夫大丈夫。お昼くらいならいつでも準備してあげるよ。遠慮しないで」

「じゃあクロハ、とりあえずお昼休憩しておいで」

「うん!」

 ハガネは軽く手を振り、列車は発車していく。

 それを見送るクロハと巴。

「駅のお掃除ですって? 大変ねー」

「だいじょうぶ! クロハ、元気がとりえだもん!」

 優しい視線で見る巴、クロハは軽くガッツポーズ。

 一見は優しい姉とお茶目な妹のよう。

 が、巴は済まなそうに

「あ、それでね、ちょっとハプニングが…」

 と。

 クロハが通された、庭園と森林が混然となった風光の良い個室にて。

 まずはボーゼンとなっているクロハの姿。

 豪華料理の数々(しかも数人前)がかなり大き目のテーブルに所狭しと並んでいるんですが。

 それを見て思わず面食らったわけだ。

「あ、あのー。こ、これは一体」

「あ、あのね…」

 巴は困り顔のまま、

「今日、昼食会の予約を入れていたお客さんが急にキャンセルになっちゃって。代金はキャンセル料ってことできちんと頂いているんだけど」

 大きくため息をつき、

「もう作っちゃって、このまま無駄にするわけにはいかないのよっ」

 巴はうるうる泣きながら、クロハの肩をガシッと掴み、

「お願い! 食べられるだけ食べていって! ね☆」

「えええ!?」

 しかも、その料理の端の方に、おにぎりとたくあんが載っているお皿がちょこんとありまして、クロハはそれを指差しながら、

「ゴメン。それがクロハちゃんに用意してたお昼なの。できればそれも、食べて欲しいな☆」

 てへっと笑う、意外にお茶目な巴。

 クロハは改めてデーブルを見る。

 山の幸である山菜系を始め、地元の猟師が仕留めてくるという猪肉、川魚も岩魚、鮎、今は幻となった沢蟹なんかもあって、その他10何品かの贅を凝らした料理が並ぶ。

 特に好き嫌いのないクロハだが、だからと言ってこういった「大人の料理」が好きかと言うわけではないだろうし、しかも、この手の料理は、一つ一つの量はさほど多くはないが、ものすごい腹に貯まるのだ。

「よおし!」

 腕まくりをするクロハ。覚悟を決めたようだ。


 そして…、数十分後。

「うにゃう~☆もう食べられにゃい…」

 目を回して大の字で倒れこんでいる。

 巴は苦笑しながら、

「折角だから、残りは折り詰めにしてあげるから、みんなで食べてね」

「ひゃ~い~」

 ぐるぐる目が回っているクロハ。

 やがて、 

「ふいぃ~。やっとおなかが落ち着いたよー」

 お茶とお茶菓子を飲み食いしているクロハと巴。

 と、汽笛が小さく聞こえてきた。

「あら、ぼちぼち列車が来る時間だわ」

「巴おねーさんありがと。ごちそうさまでしたっ」

 ぽむぽむ☆と、なぜか柏手を打つクロハ(苦笑)

 もちろん、やってきたハガネがその折り詰めを見て目を丸くしたのもお約束(苦笑)

 軽く挨拶をして列車は走り出す。

 ホームで見送る巴、軽く手を振る。

 が、はっと気付き、

「あらやだこんな時間。そろそろ夕方の準備しなくちゃだわ」

 ぱたぱたとホームから駆けていく、女将度満載だ。


 茜森温泉駅を出た列車は、ゆっくりと山沿いに左へ曲がりながら、徐々に下っていく。

 木々の間隔が少しずつまばらになって、沿線沿いに光が差し込む。

 山の裾野を削って作った短いトンネルを抜けると、廃墟や解体途中で放置された台地を疾走、やがて、稼動しているらしい工場がこの鉄道の車輌整備工場になる。

 この工場横を通り抜けると、数本の線路(滞留線)と併走し、線路が集約された先くらいにあるのが梶取操車場駅だ。

 JTRの車輌が留泊することも多く、また、車輌交換も多く、一面二線の島方ホームと、今は使用していない(書類上は休止中)10両編成分の片島ホームがある。

 元々は四丸鉱山という中堅どころの鉱物採掘会社だったが、近代の国際競争力に負けただの、公害問題だので閉山に追い込まれ、その運搬操車場跡を改修して駅として共用が開始された。

 今は、この車輌工場や周辺の小工場に勤める人間や近くの集落での旅客需要がある。

「停車時間は5分くらいあるな…。そうだクロハ。さっきの折り詰めを一個、工場長に届けておいで」

「わかたー」

 それでもでっけえ重箱サイズの、先ほどの折り詰めを抱え、

「ちょっといってきまーす!」

 ホームを飛び降り、工場の方へ走るクロハ。

 扉が開きっぱなしの工場に入ると、右手の詰め所に人の気配が。

「徳那賀のおじさーん!」

「こりゃ嬢ちゃん! 勤務中は工場長と呼ばんかっ」

 ヨレヨレの作業服に白衣姿と言う、かなり奇抜と言っていい格好で、ここの工場長であり『徳那賀万能科学研究所(同敷地内)』所長という、趣味の世界を満喫している人物が現れた。

 クロハがおじさんと言うくらいだから、それなりの年齢だと思うが、実際には年齢不詳っぽい。

 ズバリ言えば、マッドサイエンティストの風格漂う、なんと兼業農家(先の集落で昔、庄屋で大地主だったそうだ)という、一体何者なんだか状態。

「と言うか何のようじゃ?」

 そう尋ねる徳那賀に、クロハは例の折り詰めを差し出し、

「巴おねーさんの旅館で作ったお料理なの。残り物だけど、たくさんあるんでおすそわけ」

「おおっ、これはサンキューじゃ!」

 がしっと受け取り、

「とりあえず冷蔵庫に入れとこうかの…。そうじゃ、お返しにジュースでも持っていくがいい。確か普通のやつがあったはずじゃ」

 クロハを詰め所にこっちゃ来いする。

 てか、普通のジュースって、一体…。

 その詰め所。

 工程表を始め、各車の整備スケジュール表だの、予定表の黒板に色々書いてあるが、それ以上に数台が繋がっているパソコンだのコンピュータ類が所狭しと置かれ、書類や機材が散乱して殆ど足の踏み場もない。

 そんな獣道を行くと、ちゃんと事務机だのソファだのが一角にある。

 徳那賀は冷蔵庫から冷えたジュースを取り出し、

「ほれ。あんちゃんの分も持ってけ」

「ありがとっ」

 ふと、近くのテレビが気になるクロハ。

「おお、後は定時まで急ぎの仕事はないから、休憩兼ねて新作アニメ見てたんじゃよ」

「?」

 クロハはあまりその手のアニメに詳しくないらしく、きょとーんとしっぱなし。

それ以前に、その山積みになってるブルーレイディスクは一体?(苦笑)

 と、事務机の電話が鳴り、

「おお、どうした……、うむ、判った」

 電話を切る。

「ど、どしたんですか?」

「ウチの牛が産気づいたみたいだと連絡がな。とりあえず今日は上がるとするか」

 冷蔵庫にしまったばかりの折り詰めと何か得体の知れない道具が入ったカバンを取り、

「よし、帰るか。ほれ急げ! そろそろ出発じゃろ!」

「わわ! まっ、まってよおじさん!」

 せかす徳那賀、慌てるクロハ。

 二人は走りながら、

「業務時間外はハカセと呼べと!」

「ややこしいわい!」 

 確かに(笑)


 時間ギリギリでやってきた二人と同じくして、交換列車が到着したので列車が動き出す。

 梶取操車場駅を発車するときいきなり大きく揺れて左の線路へ。

 まっすぐ伸びている線路はかつての採掘現場に繋がっているが、現在は使用されていない(書類上休止中)。

 そのまま直進し、ゆっくりと勾配を上りつつ、五国峠トンネルに入る。

 この鉄道で一番長く、数少ない速度制限が解除される区間である。

 が、トンネル出口手前で速度制限と場内分岐信号がある。

 その出口直後、より正確には今のトンネルと先のトンネルの間に僅かにある地上部分に設けられているのが龍真神社駅。

 一面ホームのみだが、臨時列車発着用の引込線がある。参拝客などの波動需要に備えた施設だが、過去2回しか使用されていない。

 それもそのはず。

 駅(待合室を兼ねた小屋)の目の前がいきなり鳥居で、その先に見上げるほどな山の階段が連なる。

 龍真神社はこの山の頂上近くにあるので、この長い階段を永遠と上る猛者は稀としか言いようはない。

 ちなみに、この神社の一人娘でクロハの同級生である一之宮綾は、毎日これを上り下りしていることを考えると、実はとんでもない女の子なのかも知れないが。

「よし、作戦再開だあっ!」

 トコトン元気なクロハ、箒を片手にガッツポーズ。 

「この駅が終わったら、続きは明日にしとこうね」

「わかたー。クロハがんばる!」

 ハガネを見送り、早速掃除の開始。

 小さい待合室は改札口も特になく、きっぷ回収箱が出入り口に置かれている。

 JTR関係の旅行ポスターや自治体のお知らせが掲示板に張られていたりするのが割と目立つだけで、これと言って他には何もない。

 クロハは天井や壁の埃を箒で掃いたり、ベンチを拭いたり、床を水播きしたりするが、ちっこい待合室はさほど時間がかからず、すぐに掃除が終わってしまった。

 ホームを掃こうとしたとき、ふと、何かに気付いた。

「ありゃ? なんかキレイ…?」

 古いのは変わらないが、目立ったごみが落ちているわけでもなく、落ち葉や草が目立ったいるわけでもない。

そう。キチンと掃除されている感じ。

 そんな謎を考えつつ、掃除をやっていたら、上り列車がやって来た。

 トンと降りるときに綺麗な黒髪がふわっと舞う、制服姿の女子高生が、一人、降りた。

 学校から帰ってきた綾だ。

 そんな綾が、ホームで蠢く掃除に熱中している鼻歌交じりのクロハを見つけるのはさほど時間が掛からなかったわけで。

 状況が一瞬判らず、何かの陰に隠れてじっと見ながら、

「な、なにをしているのかしら…?」

 お客らしき気配の存在に気付いたクロハ、営業スマイルで振り向き、

「ご利用ありがと…にゃっ、綾ちゃんだ。おかえりー」

「た、ただいま…。そうではなくて!」

 クロハの無邪気なにっこりパワーに一瞬気圧されたが、ツッコむのもお約束。

「ここで何をしているの?」

「今ね、『みどりかぜ・がんがんガンバレ計画』を実行中なの! だからクロハ大忙しっ!」

「な、なんですの、そのおバカ妹特有な頭の悪そうなネーミングは」

「くっ、クロハ、ばかじゃないもん!」

「だから説明をしなさいと言っているのよっ」

 綾にこめかみをゲンコツでグリグリされながら無常にツッコまれて半泣きのクロハ。


 で、かいつまんで抽象表現だらけなクロハの説明を受ける綾。

 汗ジトで困りつつ、

「…大体判りましたわ。つまり、クロハなりに何か頑張りたいと」

「そうなの。クロハの出来ることをしようねって、お兄ちゃんが」

「ンもう、ハガネ様ったらおバカ妹に甘いんですから…っ」

 綾、独白。テンションを取り戻し、

「で、それはそうと、ここで何を?」

「うん、全部の駅のお手入れをするんで、ますはお掃除からしようと」

「ほほー。ずいぶん殊勝な心がけですこと」

「はにゃ? クロハ総理大臣じゃないよう。あ、そうじ大臣てダジャレかな…」

「それは首相! まったく、このおバカ妹は…」

「だからクロハばかじゃ…」

「はいはいそこまで!」

 綾は、待合室の陰に置いてある業務用のロッカーから箒を取り出し、

「帰るまでの間なら、ちょっと手伝って差し上げますわ」

「綾ちゃん…」

「か、勘違いしないでくださいまし! 駅の清掃はお手伝いの一つに入っている、いつもやってることだからで、別にクロハの為に力を貸してあげるわけじゃないんですからね!」

「えへへ…☆。ありがと綾ちゃん」

 クロハにっこり。思わず顔を赤らめる綾。

 ツンデレの上におバカ萌えとは、ある意味で重症ではないかと思う(笑)

 そして二人は、ホームの掃除をあらかた終わらせ、ホームのベンチに座って列車待ち。

「そだ。さっき徳那賀のおじさんからジュースもらったんだ」

 二つ。

 察するに、ハガネの分をちょろまかしたと見た(苦笑)

 それを飲みながら、話は先日、ハガネと喧嘩した際のことに。

「でもクロハは、本当はわたし達と同じく、学校に行きたいんじゃないんですの?」

「そ、それは…」

「まあ、クロハのようなおバカ妹では、授業の度に頭から煙吐いちゃうでしょうけど」

「うー、クロハだって一生懸命お勉強してるもん」

 汗ジトで弁解するクロハを、綾は顔をそらしながら、

「ですから、学校でキチンと勉強して、碧風高原鉄道を支えられるだけの知恵なり学力なりを身につけるべきだと思いますわ。それは、今しか出来ないことですもの」

 正論だ。

 二の句が告げずに黙り込むクロハ。

 木々を抜ける風の音が静かに聞こえるだけ。

「でもね、綾ちゃん」

 クロハは優しい笑みを浮かべながら、

「この鉄道を守り抜くのも、今しか出来ないことなんだもん」

 足をぷらぷらさせながら、

「クロハのお父さんもお母さんは、生まれてすぐに居なくなっちゃったから、悲しいとか寂しいとかはよく判らないしそう思わないけど、でもね、この鉄道はそんなお父さんとお母さんが残してくれたものなんだァ。

その残してくれたものが、ここのみんなを繋ぐ絆になってるなんて、最高だよね」

 綾に向いてにぱっと笑い、

「だからクロハは、クロハの出来ることをまずやろうと思ったの」

 とん、と弾みをつけてベンチから立ち上がり、

「みんなと一緒に学校行けないのは、ちょっと寂しいけど。ダイジョウブだよ」

 ホームの端のトンネルから汽笛が聞こえる。

 3両編成の気動車が駅に滑り込んできた。

「おまたせ、クロハ。あれ?綾ちゃん」

 運転席から身を乗り出したハガネが気付く。

「あ、ひょっとして綾ちゃんも手伝ってくれたの?」

「それほどでも、わたしはクロハがサボらないよう見張っていただけで…」

 不意に、ハガネに頭を撫でなれ、

「お手伝い、ありがとうね」

 思わず顔を真っ赤にする綾。

「ぶー。クロハも一生懸命お掃除したもん!」

 片やふてくされるクロハ。アンタはわがままな小学生か。

「と言うか、クロハは仕事じゃないか(苦笑)」

 そりゃそうだ。

「じゃねー、綾ちゃん!」

 乗務員室に乗り込んだクロハが、ブンブン腕を振る。

 振り向いて、目の前のトンネルに入るまで元気に手を振っちゃうのだ。

 山筋一つ分の、結構長いトンネルを抜けると、裾野が広がる台地の頂上付近に顔を出し、山筋に沿って左に曲がると徳那賀駅。

 元々は列車が通過するだけの集落で、利用する人たちは山道を歩いて龍真神社駅まで行ったものだが、ここの大地主である例の徳那賀平蔵氏がどさくさ紛れに自治体に請願して認められた、みどりかぜ鉄道発足後唯一の新駅になる。

 そう。

 先ほど梶取操車場駅の車輌整備工場に詰めていた工場長であり、ここの集落の大地主であり、マッドサイエンティストであり、大農場主で牧場主、碧風高原鉄道嘱託技術顧問兼工場長、クロハをして徳那賀のおじさんと言わしめた、その人のわがまま(しかも大半を自費)で出来た駅なのだ。

 もっとも、ここに駅が出来たおかげで、黒川や三峰峠方面の交通の便が格段によくなり、過疎化が進むこの地域で唯一、人口が増加しているところでもあり、それがこの鉄道の事業を支える一端にもなっているのだが。

 そのホームには、一見品の良いご婦人が。

「おーい! クロハちゃーん!」

「あ! 徳那賀のおばさん!」

 先ほど渡した折り詰めの重箱を持ち、

「ありがとうね。中身詰め替えたから重箱持ってきたわ」

「じゃあ、巴おねーさんに返しときますっ」


 つかの間で列車は発車。


 そのまま直線で切通しを通過にかかる。

 昔は、ここをトンネルにし、道路を併設して交通の便を良くしようとしたのだが、この切通しを抜けた途端、山の中腹に掛かる、上軽備鉄橋(じょうかるびてっきょう。美味そう?)が控えているからだ。

 高低差数十メートル、全長188メートル有り、その空中を浮く感覚は紅葉の時期は絶景なのだが、常に浮き風が吹いており、時には列車の運行に支障が出るほどで、乗用車程度の重量では飛ばされる可能性があるので、現状では道路建設関係の計画は頓挫してしまっている。


 鉄橋を渡り終えたところにある小菅峠信号所を本線通過(行き違いが無い場合は上下線共に本線進行をする)し、若干の上り勾配で深い森林やいくつかのトンネルを抜けて、勾配が続いている中で大きく左にカーブし、勾配解除した直線から、終点であるみどりかぜ高原駅の構内になる。

 突端式の島形ホームと片島ホームの三番乗り場まであり、ホームの無い引込み線が一本ある。

 これは、元は貨物輸送をしていた名残で、書類上は扱いをしていることにはなっているが、第三セクター移行後は貨物列車の運行実績は殆ど無い。 

 ホームはほぼ平面に位置し、吹き抜けで改札口と待合ホールを通じて出入り口までほぼ導線はL字型になっている。

 そこにくっつくように駅員事務室があり、二階はかつて職員事務室があったが、今は物置同然。

 駅に隣接している2階建ての一戸建てが身延家の母屋。

 実際には事務所もこちらに移管してしまっているのだ。


 この、みどりかぜ高原。

 標高920mの高地にあり、年間ほぼ晴天。

 夏の避暑や天体観測に重宝されるが、建物と言えばこの駅舎しか付近には無い上、一番近い集落まで地元民の慣れた徒歩で1時間以上掛かるので、普段の利用者は少ない。

 駅前も玄関付近を改造した自転車置き場があるが、そもそも車が走れる道が殆ど無いので人の行き来は多くない。

 もっとも、

 この秘境駅感覚は一部の鉄道マニアには知られているようで、時折、路線全体が鉄道雑誌に取り上げられることが少なくないし、JTRとの提携で、普通列車が乗り放題の「青春謳歌きっぷ」に幾ばくかの追加料金を払って使用できる区間と言うこともあり、夏休みには結構賑わうみたいだ。

 この、自然と特異環境に富んだ、全長48.2キロの路線を表向き預かるのが、身延ハガネなわけだ。

 そして、空気輸送の列車が滑り込む。

 時間はもう夕方近い。太陽が大分落ちかけている。

「ふう。場内、停止。よし」

 一息つき、示唆呼称で停止を確認。

その後は40分後に折り返し、宵の口に戻ってきて、本日の行程は終わるはずだ。

 ホームに降りて背伸びするハガネを見つけたのか、

「ばうばうばう!」

 ハセベさんが駆け寄ってきた。

「はっはっはっ」

 舌を伸ばして荒い息をしながらちょこんとお座り。ハガネはそんなハセベさんの頭を撫でながら、

「ハセベさんもお疲れ様。今日も何も無かったかな?」

「わん!」

 元気にお返事。

「ふっうううううん!」

 列車から降りたクロハも大きく背伸び。

「じゃあ、僕は今度の折り返し乗務で一先ず終わるから、そしたらご飯にしようか」

「うん! じゃあ、クロハお留守番してるぅ!」

「駅務待機と言いなさい!(苦笑)」

 ハガネが列車の点検や掃除、改札業務(と言っても客はいない)をしている間、仕事モード終了のクロハは、自室で着替え中DA!

 ブラウスのボタンを外そうとしたとき、こっちを見て、

「見ちゃ、や!」

 真っ赤な顔で、どこからか出てきたカーテンを閉める。

 てか、読者サービスは?(笑)


 ともあれ。

 Tシャツにハーフパンツという、あまり女の子を意識しない格好は元気なクロハらしいが、なまじ制服姿がプリーツスカートなので、結構違和感がありまくりだ。

「ハセベさん、お散歩行こっ!」

「ばうばうっ!」

 一応マナーなので、リード(綱)を付け、駅を出る。

「おにーちゃーん! ちゃんと仕事しなきゃだめだぞお!」

「してるっての!」

 どんな裏のリーダーなんだよクロハってば(苦笑)


 駅の周り、と言っても一面の草原で、集落へは轍になっている細道を永遠歩くことにもなるし、とりあえず駅舎が見えなくなる位まで歩いてみる。

 もっとも、ハセベさん自体は、空いている時間は周辺を徘徊している(犬だから)から、散歩するほど運動不足ではないはず。要はコミュニケーションではないかと。

 と、

 遠くから警笛が聞こえるから、ハガネが乗務する下り列車が発車したのだろう。

 折り返して戻るころには夜になっているだろう。それまで何もトラブルがなければ、だが。

 お散歩袋(手提げの買い物袋。スコップやおやつ、小銭入れ、ビニールシートなんかが入っている)から、敷き用のビニールシートを取り出して敷き、そこにコロンと寝転ぶクロハ。

 大きく背伸びをし、

「ううーん、気持ちいいね、ハセベさん!」

「わふぃー」

 クロハの隣でお座りしているハセベさんも、表情が緩んでいるようだ。

 心地よい風と一人の少女と一匹の犬を照らす夕日を見ながら、

「こんなにいい所なんだから、社長さんもきっと判ってくれるよね」

「ばうっ」

「そだ。フリスビー持ってきたから、取ってこいしよ!」

「ばうばうっ!」

 クロハ、フリスビーを構えて、

「そぉれっ!」

 ハセベさん猛ダッシュで追う!

 フリスビーが着地寸前に飛び上がって口でキャッチ☆

 咥えて戻ってくる。

「わひゅわひゅ」

「ハセベさんすごーい! えらいえらい」

 頭をなでなで。

 基本的にハセベさんはレトリバーだから頭はいいはずだし、ご主人様の命令もしっかり聞くいい子なのだ。

 それを素直に喜んじゃうクロハだっていい子。


 ちなみにその日の夜のことだ。

「まったく…なんでわたしが、あんなおバカ妹の幸せを考えなくちゃ、いけないのよ…」

 綾の自室。

 パソコンのモニター光が、浴衣姿な綾の顔を照らしている。

 綾は不機嫌そうに呟くが、手は休めていない。

 目を凝らして見る画面は、HPのデザインソフトらしきモノが立ち上がっているようだ。

 その画面には『碧風高原鉄道の人たち』というタイトルが振ってあり、敬礼している制服姿のクロハが映っている所に、綾は手馴れた手つきで『健気に元気なクロハちゃん』と、入力しているようだ。

 ふと、チラリと横を見る。

 デスクの右手に、小学生時代のクロハと綾が二人。仲良く写っている写真立てがある。

 綾は一息つき、頬を赤くしながら自分に言い聞かせるように、

「か、勘違いしないでよね。クロハの元気な姿が、愛するハガネ様が元気になる全ての元であって、だから協力してあげるんだから。それだけなんだから…」

 気が付くと綾は頬や耳まで赤くなって、

「我ながら恥ずかし……寝よ…」

 布団をかぶり、行灯形のデザインを模した電気スタンドを消して、

「クロハ、ガンバりなさいよ、このわたしが応援してあげてるんだから……」

 そんな陰ながらガンバっている綾だって実は優しいいい子。

 果たして、これからどうなっていくのか…


                               (続く)

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