エピローグ【ここからとこれから】
その日、いなほはギルドの寄宿舎の一室で起き上がった。
全身の肉体をほぐすように動かせば、もう完全に傷は完治しているのが把握できた。
「うし」
語ることは語りきり、言うべきことも殆どない。
怪我が治るまでの日々は、いなほにしては穏やかな日々だった。毎日街を散策し、色んな人と交流し、あるいはちょっとした事件に巻き込まれつつも、いつもの面子でいつものように、何でもない毎日がそこにはあった。
平和という言葉がその毎日にはよく似合う。誰もが憧れる、不変で、飽きることのない日常の延長。それは確かにいなほの心を満たしたが、やはり、いなほにはそれだけでは足りなかった。
暫くはマルクに滞在することになったミフネと先日会ったが、その時「お主は修羅だよ。刺激的な日々こそ渇望している」と言った後に「安心しろ、この世界、お主を退屈させることはないだろうて」と締めくくった。
きっと、ミフネにとってのいなほがそうだったように、いなほにもまだ見ぬ極限の相手がいるのだろう。
だからここを出て行く。荷物は数日分の食料。金貨のたんまり入った袋が一つ。エリスが仕立てた着替えが数枚。そしてアート・アートからもらった地図と、永続的に使えるというライターに、開ける度に煙草が出てくる小さな箱。たったそれだけだ。
それらを袋一つにまとめて、いなほはこれまで暮らしてきた部屋を最後に一瞥して、そっと扉を閉じた。
早朝ということもあり、ギルド内も外もまだ静かだ。うっすらと光が照らし出差始めたばかりの廊下を抜け、階段を下りる。
「やぁ」
そこには、まるでいなほが来るのを予測していたように、待ちかまえていたアイリスが立っていた。
「行くのかい?」
その問いに、鞄を掲げて応える。「そうか」とアイリスは一言呟くと、いなほに一枚の紙を投げ渡した。
「何だこれ?」
広げた紙には、何らかの文字が書かれている。文字が読めないいなほには何が書いているのかわからなかった。
「迷宮都市シェリダン。火蜥蜴の爪先の本部がそこにある。そのギルドマスター当ての手紙みたいなものだ。どうせ君のこと、目的地なんて決めてないのだろ? マルクからなら、北西の街道を渡っていけば、そうだな……君の足なら一週間程で着くはずだ。丁度いいからそれ、届けておいてくれ」
「おいおい、別れの挨拶代わりにパシリ頼むなんざ驚きだぜ」
「くだらないこと言うなアホ。ふらふらしそうな君に指針をあげる私の優しさをパシリの一言で片づけるな」
「そういうことにしといてやるよ」
いなほは紙を丸めてしまいこむと、アイリスの横を抜けて歩いて行った。
「んじゃ、またな」
「あぁ、また会おう」
その別れはまるで明日にでもまた会えそうな気軽なもので。
いなほは背中のアイリスに振り返ることなく、世話になったギルドを後にした。
「……」
この数カ月で随分と慣れたマルクの街並みを目に焼き付けるように見渡しながら、いなほは初めてこの街に来た時通った門までの道を歩いて行った。
先日、明日出ると告げたエリスから、そこで待つようにと言われたのだ。何の準備があるか知らないが、面倒なことをするぜと肩を竦める。
そうこうしているうちにいなほは門を抜けて外に出た。
マルクの門を抜けた先には、丁度昇り始めた太陽が、広い草原の地平線から見え始めていた。
その幻想的な風景を見ながら、改めてこれまでのことを思い出す。
冗談のような毎日だった。事故にあったその後に、レコード・ゼロという謎の男によって飛ばされた異世界、そこで出会った沢山の仲間と、数々の激闘。
全てが鮮明な記憶となって思い起こせる。かつて、この世界に来るまでの、自分が過ごしてきた全てを塗り潰すくらいに激動の記憶。
そして、その中で出会えた唯一の相棒。
「いなほにぃさん!」
そして、いつもの頼りなくて、だが何よりも頼れる声に、いなほは振り返った。
肩で息をしたエリスが、いなほの前に走り寄る。そのまま抱きついてくるかと思いきや、エリスはいなほの前で止まると、膝に手をついて呼吸を整え、いなほを見上げた。
エリスから見ればいなほは逆光で眩しいのだろう。うっすらと目を細めながら自分を見る少女に「じゃ、行くか」と声をかけて、昇り始めた太陽に向けて歩き出し。
「待ってください」
エリスは、いなほの背中で止まったままだった。
肩越しに振り返ったいなほは、そこで気付く。エリスの手には何もなく、まるで今から旅に出ようとする格好ではないということに。
「私、アトさんに言われたんです。もしこのままいなほにぃさんと一緒に行って、本当にいいのかって。本当に、その力になることができるのかって」
どういうことだ。という疑問は、いなほの中には生まれなかった。
だから、次にエリスが言う一言にも、特に驚きなんてなかった。
「だから私、行きません」
エリスは強く断言した。共には行かないと、自分はまだここにいるという宣誓だ。
「だって、このままじゃ、私はいつまでもいなほにぃさんに頼りっぱなしになっちゃう」
それはいなほと過ごしてきた日々で、エリスが常に感じていたことだ。
命を助けられ、心を助けられ、在り方を支えてくれた。そんな強くて頼りになる背中は、頼るだけの自分を認めてくれて、家族にもなってくれた。
そんないなほの側に立つことを願いながら、エリスには単純な力が不足していた。あまりにも自分は頼りなく、その結果、悲痛な選択をあの日、迷宮でいなほ一人に選択させてしまったのだ。
気にするなといなほなら言うだろう。だがそれではいけない。今のまま共にいるだけでは、いつまでもその隣に立って戦うことが出来ないから。
「私、強くなります」
そう、あの拳に負けないくらいに、強く、強く。
「ここで、一杯一杯勉強して、頑張って、強くなって、必ずいなほにぃさんの隣に立って戦うから!」
だから、行けないのだ。
覚悟の籠った瞳をいなほは見て、小さく笑う。
そうだった。自分が望んだ相棒が、いつまでも弱いままで我慢出来るはずがないのだ。我が儘を通し、理不尽を砕くために必要な力、それを願うために、エリスはいなほとは違う道を決意した。
朝日は静かに昇っていく。眩しい光を背中にして、エリスと向き合ったいなほは、まるで光に立ち向かおうとするその姿に、目を細めた。
「俺は行くぜ。ここじゃない何処か、見えねぇ何か、掴める全て、全部全部、手にするためによ」
それが、メイリン・メイルーという少女への手向けにもなる。そのために、いなほは行くのだ。ひたすらに、足の赴くまま、風を切って、胸を張り。
だから、行くのだ。
「私、私も! ちょっとしたら追いかけるから! いなほにぃさんの隣に立って! 一緒に歩くから!」
だから今は。
「あぁ、待ってるぜ」
だから今は。
いなほは、強く己の胸を拳で叩いた。
「忘れるな。『ここ』は、いつでも一緒だ」
「……はい!」
胸に宿る熱と共に、新たな道へと歩いていこう。
朝日の昇る世界、男は手に入れた宝物の熱を抱いて行く。
少女も行く。いつかその場所に辿りつくために、手に入れた宝物の熱を抱いて進む。
今はまだ、共に歩くことは出来ない。互いが互いの行く道を踏みしめて誇るため、その足取りには淀みなく。
遠く、聞こえる風の音。そよぐ草木と、揺れ動く世界。
太陽の光はここに。目を開いてその先へ。
「エリス」
「いなほにぃさん」
再び出会えるその時まで。
「ありがとな」
「ありがとね」
握った拳を、空に掲げろ。
【Bless The Beast(Yankee) And Child(Hero)】
第二章【絶命ヤンキー】完
次章予告
マルクを旅立ってから早一週間、いよいよ着いたは新天地。学院迷宮なんて目でもない、大陸最高峰ダンジョン、B+ランク迷宮『墓穴の向こう側』によって賑わうその都市の名は迷宮都市シェリダン。ランク無しはお断り、弱肉強食こそ掟、屈強な冒険者ばかりが住む猛者の住処で、男一匹握り拳、ヤンキー一人が我を通す。
そんな彼が火蜥蜴の爪先のギルドマスター直々に渡された依頼は、猛者達ですら手をつけない曰くつきの難関依頼。それは、迷宮奥地にあるという、エデンの林檎と呼ばれるレアアイテムの採取依頼であった。
そして出会った依頼主は、猛者ばかりが蔓延るこの場所には、あまりにも似つかわしくない特徴のない普通の少女で……
今度の舞台は今度こその本格迷宮! 迫る魔獣と飛び出す罠! 何でも砕けばいいわけではなく、流石のヤンキーも悪戦苦闘?
全五十階層にも及ぶ、B+ランクの超難関迷宮に待ち受ける敵とは? そしてそのダンジョンの最奥を目指す少女の目的は果たして何なのか?
罠ありバトルありラブコメあり? だけど謎ない第三章! やるべきことはただ一つ、ともかく地下へとゴーゴーゴー!
Next chapter【やんきー・みーつ・ぷりん】
「おいおい、この俺がそんな簡単にはいそーですかと承諾すると思ったか?」
「んー。いなほは、何だったら承諾してくれる?」
「へ、まぁ誠意ってもんをみせてくれや」
「じゃあ全部終わったら、美味しいプリン、作ってあげるね」
peace out!
(多分、題名に偽りはありません)
ここからは長い後書きとなりますので、そういうのが苦手な方は読み飛ばしてください。
第二部でも少しは触れましたが、全体的なテーマを考えると、第三部のみで充分だったと言えます。といっても、あえて作中では説明が曖昧になるようにぼかしはしましたけど。
メイリンがこの結末に至る過程は、作中でも少し触れましたが、しかしこの理由は彼女が結末に至る一つの側面でしかありません。その心情はあまりにもちぐはぐで、動機も行動も滅茶苦茶、故に彼女はありきたりな理由で説明出来はせず、全てが想像の中、死した者は語らず、結局どうしていなほに惹かれ、ヴァドを求め、脅迫状というあまりにも稚拙な行為に走ったのか、その根本的な理由は、彼女自身にもわかりません。というか、彼女を設定するうえで、家族に評価されず、周りのプレッシャーに耐えきれなかったということは考えましたが、それが何故ちぐはぐな行動へと走らせた理由について、あえて考えたりはしませんでした。
誰にも共感されない個人でありながらも、その中身を想像することで共感される個人。メイリンはそういったキャラとして作りました。ですが、出来ればこの第三部を読んで、「結局、どういうこと?」と疑問に思っていただけたのなら、それは作者としても狙い通りだったりします。
そんな彼女を意図せずとはいえ殺めてしまったいなほの心には、いつまでも彼女の残滓が残り続けることでしょう。彼もまた、理解されぬ感情で、メイリンに共感してしまったのですから。
さて、これ以上語るのは、それこそ私個人が狙っていたことを私自身が台無しにするので、止めておきます。
で、ここからは作品全体のまとめ。
テーマ云々はあえて置いといて、私が今回やろうとしたのは、数部に分けて、それぞれ十万文字以内でおさめること、そして日常会話を可能な限り行うことでした。そうすることで起承転結を上手くまとめることが出来るかなとか考えたのですが、これが思いのほか難しくて、結局一章と同じくそこら辺は不満の残る形でした。いやホント、書き手としては恥ずかしい話ですけどね。ろくに起承転結が上手く出来ないってのは。
しかしそれを含めてやはり第二章、絶命ヤンキーという作品の味なんじゃないかって、勝手に自己解決しとく、むむむ。
そんなことはともかく、はっきり言って、簡潔に言うと私には都合がよすぎる第二章でありました。というのも、その最大の要因となったのは、世界観中、最も危険な存在の一人である化け物、アート・アートの存在です。ヤンキーヒーロー全体の物語には不要な二章であったからこそ出たこのキャラは、あらゆる面で作者にとってもキャラにとっても都合がいいキャラでした。
何故なら、問答無用でこいつは何でも出来ます。なので、物語の進めやすさでいうなら、一章よりも遥かに楽でした。だって、何かあったらアート・アート使えばいいし。
このキャラを出した理由としては、いずれいなほが至る場所への布石と、エリスの超強化フラグです。一章の時点からそうでしたが、エリスはあまりにも弱いです。なので、このままいなほについて行っても意味はないと思いました。物語全体を見た場合の二章の役回りは、その程度でしかありません。
何か結構前から二章のことをディスってる私ですが、そも物語には不要キャラであるアート・アートが提案した依頼から始まった時点で、二章は不要であると暗に示していたつもりだったので、まぁこんなものなのです。
それはともかく、この二章で、いなほはこれまでのキャラ全てと決別し、たった一人で新たな新天地に向かうことになりました。次章から静かに、ですが確実に物語は進んでいきます。その只中に巻き込まれていくことになるいなほが、これから出会う新たな仲間、そしていつか追ってくる相棒と共に、どう立ち向かっていくか。
なんてかっこよく閉めようとしていますが、次の章はプリンとヤンキーが出会うだけのお話です。第三部の憂鬱な気分を振り払うくらい分かりやすい冒険となりますので、よければ楽しみに待っていてくださいね。
ではでは、第三章、やんきー・みーつ・ぷりんでお会いしましょう。