第七話【今と未来】
「ん。確かに解決を確認したよ。御苦労さま、いなほ」
いなほからの報告を受けたアート・アートは労うように優しく微笑んだ。
人知れず行われた魔族との激闘から今はもう二週間経過していた。大会のほうは一週間程前にもう終了しており、すでに日常の風景は戻りつつある。
メイリン・メイルーの死については、アート・アート自身によって、迷宮内で事故死したという表向きの理由が説明された。メイルーの家にもそのように説明が行われたらしい。
事実を話すべきだとアイリスには言われたが、いなほは頑なに事実を語るのを断った。あの二人が迎えた最後を、そこに追い詰めた家に教えるのがいなほには堪らなく不快だったのである。
勿論、それはいなほのエゴでしかなく、アイリスもアート・アートがいなほに賛同したからこそ渋々納得したが、最後まで同意することはなかった。
大会のほうは戦意の行軍が当たり前のように優勝を果たしたらしい。そんなことをアート・アートから聞いたが、いなほにはもう興味はなかった。
何もかもが後味の悪い終わり方だった。消化不良のものは腹にたまったままで、体の怪我が治っても、いなほはいまいち調子が悪いのを自覚していた。
そして現在、正式に依頼の完了を理事長室で行ったことにより、この事件はひとまずの解決を迎えることとなった。
「疲れているね」
そんないなほの様子を見て、アート・アートはローブの裾から濡れ煎餅を取り出していなほの前に置いた。
だがそれに手をつけることもなく、いなほは無言でアート・アートを見る。
「メイリン・メイルーは子どもだった。今回の事件は頭の良い子どもが適当な理由で暴れただけの話だ」
その冷たい言い方にいなほは反論しようとして、押し黙る。
「全ての物語に救いがあり、目的があり、誰にでもわかるというわけじゃない。そして、物語ですらそうなのに、どうして現実の僕達の紡ぐ物語に正当性や救済が必ずあると言えるんだい? 世界は常に流転して、最良の結果も、最悪な結果も、どこにだって転がっている」
それだけの話なんだと言うアート・アート。
それでも、いなほは歌う。
「俺は、俺のままだ」
「それでいいと思うよ。メイリンがそうだったように、君も、君のままであるべきだ」
答えにはなっていない、不器用な宣言だった。だがアート・アートは、メイリンの死を超えて、自分を貫こうとするいなほのあり方を良しとした。
「それで、どうするつもり?」
だから、アート・アートはそんなことを聞いていた。いなほがいなほであるということは、つまり進み続けるということだ。
ならば、その歩みは、ここで終わるわけにはいかない。
「とりあえず、適当にどっか行くつもりだ」
ミフネがそうしたように、まだ見ぬ強者を追い求める。その道中に立ちふさがる全てをいなほは貫くつもりだ。
その言葉を待っていたとばかりにアート・アートは無邪気に頬を緩めると、ローブの裾から今度は一枚の紙を取り出した。
それは、年代物の紙であった。ところどころ黄ばんだその紙には、この世界の地図がおおまかに描かれている。
いなほが興味深そうに覗きこむと、その視線に反応するように世界地図の一部が拡大されて、マルク近辺の地図と、点滅する黒い点が現れた。
「今自分がどこにいるかを勝手に判断して見せてくれる、僕特性の『賢い世界地図』だ。今回の事件解決のおまけってことで、それあげる」
「おう、こりゃいいな」
いなほは地図を掴むと簡単に丸めてポケットにねじ込んだ。その乱暴な扱いに怒るでもなく、むしろアート・アートは寂しそうに目を伏せた。
「あーあ。これでいなほとも暫くお別れかー」
「まっ、怪我が治るまではもう少し厄介になるからよ。仕方ねぇから少しは相手してやるよ」
「ホント!? キャー! いなほが デ レ た !」
滂沱の涙を流してオンオンと男泣きするアート・アートを面白そうにいなほは笑った。
「うー。ところで君、一人で出かけるつもり?」
「ん? あぁ、とりあえずエリスは連れてくつもりだ」
濡れ煎餅をかじりながらいなほは答えた。
「まぁアイリスは仕事人だし、ネムネはキースにぞっこんだし、キースは平平凡凡を望んだからねー。でも安心して! 僕ならいつでもいなほのハーレムに加わってあげるから!」
「マジ止めろ」
「えー。でもこういうのって色んな女の子に囲まれてキャッキャウフフがお決まりだろー?」
「そもそもテメェ女なのかもわかんねぇじゃねぇか」
「うふ。今なら確かめてみてもいいよ」
「死ね」
本気でどん引きしつつも、そういえばエリスを連れてくるのを忘れたなとか考えていた。
そんないなほの心を読みとったかのようにアート・アートは不敵に笑うと「へい、エリスちゃんカモン」と言って指を鳴らすと、突然いなほの頭に慣れ親しんだ重量が発生した。
「ぎょえ!? こ、ここ何処?」
「エリス?」
「いなほにぃさん!?」
いつもの肩車ポジションに現れたエリスが、股の間にいるいなほを見て驚きの声をあげて、続いてアート・アートを見て何処か納得したように頷いた。
「もしかしなくてもアトさんが?」
「そだよー。僕だよ」
ドヤ顔で胸を張るアート・アートはなるべく見ないようにして「それで、どうしたんですか?」と聞いてきた。
「ん、ちょっとな。エリス、旅に出るぞ」
「あ、はい」
手拍子に返事をして、首を傾げる。
「何処か長期の依頼でも受けたんですか?」
「なわけねぇだろ。普通にそのまんまの意味だ」
「あ、成程」
「ともかく、行くぞ」
「あ、はい……じゃなくて! えぇ!? 何ですかいきなり!」
耳元で騒がれたものだから、いなほはわずらわしそうに顔を顰めた。
「うっせぇなぁ。そんなに騒ぐなよアホ。で? 行くのか、行かねぇのか」
エリスの股の間ですごむいなほの頭に手を乗せながら、エリスは少し悩んだ素振りをみせる。
だが答えは決まっていた。当然、共に歩くと決めたのだ。
「はい! 勿論行きますよ!」
「うし、決定だな」
互いに笑い合った二人は、置いてけぼりにされてふてくされたアート・アートを見た。
「つーわけで、サンキューなアト」
「……うん。感謝されるなら許す!」
「どういう理屈ですかそれ」
ともかく、これで後はアイリス達に説明すれば、晴れて旅に出ることが出来る。
善は急げだ。いなほは何かを振り払うように立ち上がった。
「うし、そんじゃ早速アイリスのところに行くぞエリス」
「はい!」
「あ、エリスはちょっと待って」
理事長室を後にしようとする二人をアート・アートは呼びとめた。
「えと、私に何か用ですか?」
「用ってほどじゃないんだけど……まぁでも、君のためにはなる話だ」
意味深な物言いにエリスは首を傾げるが、聞くだけならいいだろうと、エリスはいなほの頭から器用に滑り落ちた。
「直ぐに終わる話か?」
「ちょっと時間かかるかな?」
「あ、じゃあいなほにぃさんは先にギルドのほうに行っててください」
後から行きますから。その言葉にいなほは頷くと、理事長室を後にした。
そして残されたエリスは、先程までいなほが座っていた椅子に座る。
「それで、どんな用ですか?」
「用って言うほどじゃないんだけどねぇ……何て言うか、気まぐれ?」
微妙にはっきりしない言い方に疑問が浮かぶが、考えていても仕方ない。エリスはアート・アートに続きを促した。
「大した話じゃないんだけど。聞きたいことと、提案することがあるだけさ」
次回、各々のエピローグ。