第四話【不安と決意】
カルファ・ヘキサゴンは純粋なハイヒューマンの貴族である。
平民とは隔絶した実力ゆえに、当然と平民を下に見る。そんな典型的な貴族思考を幼いころから教えられてきた彼は、基本的に他人と接するときは常に嘲笑しながらというのがお決まりだ。
だがそんな傲岸不遜な彼の態度を咎めるような気の強い人間などほとんどいない。同じくハイヒューマンの教員くらいが、彼にそれとなく態度を改めるように言うだけで、殆どの者は彼と関わらないようにするか、あるいは従属するかであった。
「だから、早森の兄貴もあんまし関わらないほうがいいですって」
「そうっすよ。マジカルファは面倒っすからね。勿論、兄貴が負けるとか思ってないっすけど、ほらあいつ、貴族ですから問題起こしたら、ねぇ?」
そう言って再びカルファへの愚痴を続ける少年たちを見ながら、何となくいなほはカルファとという少年に感じたイメージが間違っていないことを悟った。
現在いなほがいるのは寝泊まりに使っていた男子寮のリビングである。座るいなほを囲むようにしてあーだこーだと呟く少年たちの中心で、大股開きでソファーに座るいなほは、ゆっくりとポケットから煙草を取り出して一本を口に咥えた。
即座に近くの少年が『一握りの灯火を』と呟き、指から小さな炎を発現させる。
「兄貴、どうぞ」
「おう」
煙草に火を点けたいなほは、ゆっくりと紫煙を肺に含むと、同じようにゆっくりと吐きだした。
そして喉を潤そうとジュースの入った瓶を持ったが、中身がないので再び机に置くと、ポケットを漁って銀貨を一枚取り出す。
「ちょっと買ってこい」
「了解っす」
銀貨を渡された少年は駆け足でその場を後にした。
僅か一週間かそこら、たったそれだけの期間で、いなほは男子寮に住む何人かの少年をさっさと舎弟に取りこんでいた。後に『ヤンキー怒りの日』と呼ばれる出来事がその前後にあったりなかったりしたが、今は置いておく。
「ともかく、あいつはいけすかねぇガキだってことだな?」
彼らの意見をまとめたいなほに、少年たちは頷きを返して答えた。
いなほは肺に溜まる紫煙を楽しみながら、ポケットの銀貨を全て取り出す。
「それはともかくとして俺ぁカルファの奴と話がある。テメェらこれ持って外で飯でも食ってこい。パシリに行ったヤスもちゃんと捕まえておけよ?」
「えっと。でもこんなに金……」
「俺の奢りだ。ヤスに渡した金も全部やるから、好きなもん食ってこい」
「あ、あざーす!」
少年たちは立ちあがって深々と一礼すると、駆け足で寮を後にした。昼を僅かに過ぎたこの時間帯には男子寮に残っている者は少ない。途端に静かになったリビングでいなほは一人煙草をふかして時間を潰していると、賑やかな声と共に玄関のドアが開く音が響いた。
「ではカルファ様。また夕食のときに」
「あぁ、下がって良し」
そう言って入り口で少女たちと別れたのは、いなほが待ち望んでいたカルファその人だった。数人を従えてリビングに現れたカルファは、一人ソファーでくつろぐいなほに気付く。
「ん? お前は確か……あぁ、メイリンの犬か」
嘲るようにそう言ったカルファは、そう言ってその場を後にしようとした。
「待てよ」
そんなカルファをいなほは引き止める。カルファに対する物怖じしない態度に、従っていた数人の男子生徒が怒りを露わにした。
だがいなほはそんな彼らを一睨みして黙らせる。あまりの圧力に後ろに下がった彼らをカルファはゴミでも見るような視線で見てから、彼らを追い抜いていなほの前に立った。
「カルファ様!」
「黙ってろ。僕を煩わせるなよ?」
後ろの男子生徒達を一睨みしたカルファは「さっさと消えろ」と言って彼らを下がらせると、改めていなほを見下ろした。
「何か用か平民。僕を呼びとめるなんてよっぽどじゃないと出来ないぞ?」
「おうおう、貴族様は随分と忙しいのか? そりゃ悪いな。生憎と平民様は暇を潰せるなら貴族様にでも声をかけるんでな」
「口の減らない男だ。メイリンの犬が、つけ上がったか?」
口とは裏腹に、カルファはいなほの対面のソファに腰掛けていなほに応じた。
やっぱしな。といなほは内心で確信する。こいつはやはり、そういった奴だ。
「で? 忙しい僕を呼びとめた退屈極まる平民君は何の用だい?」
「俺は早森いなほだ貴族様」
「ふん。そういうお前こそ僕を貴族などとひとくくりに呼ぶな。僕はカルファ。カルファ・ヘキサゴン。最近の生ぬるい貴族共とは隔絶した、古く貴き誇りある男だ」
「そいつは悪かったなカルファ」
「次はないぞハヤモリ」
剣呑な言葉の応酬をしながら、二人は不敵に笑ってみせた。
互いに互いをぶつけ合う様子見は終了だ。いなほもカルファも、互いが互いをある意味で認めあった。
「単刀直入に言うが、テメェ、学院に送られた脅迫状に心当たりはあるか?」
「知らん」
「そっか。ならいい」
そのやり取りをアイリスが聞いていたら文句の一つでも言っていただろう。
だがいなほはそれ以上追及する気はなかった。むしろ当然の反応だとすら思っていた。
「学院に脅迫状が送られて、それをお前とアイリス・ミラアイスが調査している。そんなところか?」
不意にカルファはそう呟いた。
驚いた素振りを見せるいなほ。そんな彼を馬鹿にするように鼻で笑って、カルファは言葉を続ける。
「この程度気付かずに貴族を名乗れないさ。僕は個人的に情報網を持っているからな。お前が迷宮に入っている事や、アイリス・ミラアイスが教員や生徒に探りを入れていることくらい直ぐに知った。そして今の発言……さしずめ、時期的に考えると大会運営に関することか?」
「そんなとこだよカルファ。ケッ、賢い奴はこれだからうぜぇ」
「鈍麻な馬鹿に言われるのは癪だな。不敬だぞハヤモリ……ふん、まぁいい。それで? その脅迫状、僕が犯人だと疑われた根拠は?」
「メイリンを大会に出すな。出したら魔族を出すって内容だよ」
投げ槍に内容を言ったいなほから視線を切って、カルファは「下衆が」と一言吐き捨てた。
「下らんやり口だな。程度が知れる。第一内容が本気だとして、平民共を巻き込みかねん脅迫が気に食わん」
「あ? なんだテメェ、平民なんてどうでもいいんじゃねぇのか?」
「吼えるなハヤモリ。平民は貴族にひれ伏すが当然。そして貴族はその平民を従え、守り、導くのが当然だ」
それは、貴族という生まれながらにして上位種族である彼らの古い誇りだ。
「貴族はハイヒューマンとして、人の上に立つべき者である。最近の貴族はそれを無視して平民にも気を使うなどくだらないことをしているからな。上位種として、平民をひれ伏せさせ、哀れな奴らを正しく導くという使命を忘れるとは、全くもって嘆かわしい……」
平民に愚痴を漏らすとはまだまだだな。とカルファは自嘲するように肩を竦めた。
「にしてはメイリンの奴を随分いじめてるみてぇじゃねぇか」
「焚きつけるためだ。そこそこの実力がありながら卑屈になる態度が気に入らない。仕方なくこの僕がわざわざ受け皿になってやろうとしているのに……あの馬鹿は反撃どころか、終ぞ口答えすらしなかった」
カルファなりにメイリンのことは考えているのだろう。
とはいえ、あえて憎まれ口を叩くことで、反骨心を煽ろうとするそのやり口は気に入らないが。いなほも嘲るように笑うと、口に咥えた煙草を掌の中に閉じ込めた。
僅かに肉を焼く音とともに煙草の火が消える。とはいえその程度の熱量でいなほの掌が火傷するわけもなく、開いた掌からは潰れた吸いがらが虚しく散った。
「そういうのな、世間様じゃいじめって言うんだぜカルファ?」
「ふん。それで潰れるような女なら端から相手などしてなかった」
それはある意味で信頼の表れなのだろう。だが信頼に反して、何故かメイリンは反抗してこない。
「僕としては、お前のような反応をメイリンがしてくれたら嬉しかったのだがな」
「平民はひれ伏すのが常識なんじゃねぇのか?」
「強き者よ貴族たれ、僕の持論だ。そういう能力があるものは、上に立つべきなんだよハヤモリ。弱者は強者の影に隠れて然るべきだ。彼らが育み、僕らが攻め守る。当然、危険に身を投じるのだ。僕たちが優遇されるのは当然だがね」
「そういう点で、あいつは合格だったって?」
「……そんなところだな。僕としては、メイリンが己に襲いかかる理不尽に立ち向かう貴族としての在り方を目指してほしかったんだ。貴族とは、血統も大切だが、何よりも必要なのは武力だ。強いということは偉いということ。偉いということには責任が伴う……予選の戦いは見させてもらった。今更だが、やはりお前は貴族に相応しい実力を備えている。そしてあるべき傲慢と、カリスマもな。どうだ? 僕の家に来て一つなりあがってみないか?」
「話がそれてるぜカルファ。俺たちが今話してるのは、メイリンのことだ」
「失礼……だがいなほ、考えておけ。お前の生き方はまさに上に立つべき者の生き方だ。喜べいなほ、他ならぬこの僕が、いつでもお前の来訪を待っていよう」
「なんつーかテメェ、意地でも偉そうにしてなきゃ気がすまねぇタイプか?」
「それが貴族だ」
胸を張って答える。
堂々としていて気持ちいいくらいだ。いなほは目じりを僅かに緩めると、直ぐに眼光を鋭くして、先程から気になっていたことを聞くことにした。
「ところで」
「ん?」
「なんで、メイリンの奴を諦めたような口ぶりなんだ?」
その指摘に対してカルファは驚くでもなく、ただ静かに「気付いていたか」と諦めたように苦笑した。
いや、おおよそだが想像はついている。アイリスにもエリスにも言ってなかった一つの可能性。
何故あえてメイリン・メイルーを名指しした脅迫状だったのか。
子どもの悪戯だ。そう教員の一人が言い。
まるで脅迫状の内容を行うのを犯人は躊躇っているかのようだとアイリスは呟き。
犯人は最低でも魔族の封印を解ける程の実力者であるという予測は立てられていて。
いなほはあの日、普通に最下層に潜るのではなく、罠を使用して最下層に到達していた。
その帰りの転移の際、部屋には帰還の魔法陣以外なかった。そう、上に上がるはずの階段が存在していなかったのだ。
そして、いなほが罠にはまって落ちたとき、まるで『いなほより前に罠から落ちたかのような場所に彼女はいた』。
その事実を、照らし合わせる。そして得られる一つの可能性は……
「おそらく、その脅迫状の犯人は……」
カルファが静かに口を開く。その次に続く言葉を、何故かいなほは聞きたくなかった。
しかし言葉は紡がれる。憶測でありながら、最もこの状況下で妥当な一つの可能性の話を──
「……」
その可能性をカルファから聞いたいなほは、静かに瞑目した。心の中にある何かを整理するように、静かにゆっくりと呼吸を繰り返し、恐る恐る目を開く。
「行くのか?」
カルファはいつの間にか手にしたコーヒーを口にして、やはり相変わらず傲岸不遜な態度でいなほを見ていた。
いなほもその視線を真っ向から見つめ、そして僅かに視線を逸らし、揺らぐ瞳を無理矢理正して、これもいつの間にか目の前に置かれたコーヒーカップを手に取った。
黒い液体にうっすらと映る自分の姿が僅かに揺らいでいた。
「限界は目に見えていた」
カルファはまるでひとり言をいうかのように語り始めた。
「僕が彼女と出会った時は、恥ずかしい話だがその実力に驚愕し、すぐに追いついてやると意気込んだものだ。だが、僕は家柄上、貴族と呼ばれる強者を幾人か見ていたためにすぐに気付いたよ。彼女は必死に己を鍛えて、鍛えて、血反吐を吐くほど鍛えて、そして培った実力に……限界がきていたことにね」
それでも、G+という実力は凡人から見れば充分に素晴らしい能力値だ。そこが限界だとして、どうして恥じることがあるだろう。
しかし、メイリンもまた、貴族ではないにしろ強者を輩出する家に生まれた者であった。
「……ヒューマンでありながら強くある珍しい家だということは調べればすぐにわかった。そして、もしも彼女の家が貴族としての実力にこだわりを持つなら……たかがG+ランクで終わるような秀才など不要だろう」
語っているのは、いなほとは別の視点からの推理。あるいは、今から全てにケリをつけようとしている男へ送る贈り物か。
あるいは、覚悟を促す歌か。
「だとしたらどうする? あの年でG+は貴族でも優秀な方に入るだろう。そのまま伸びゆくならあるいはCランクにすら届くかもしれない。そういった期待の中、己の限界を知ってしまった彼女ははたしてどうだったんだろうな。これは憶測にすぎないが、もしも幼少時、ランクが低く、両親から見捨てられそうになった彼女が、必死に己を磨いて親の関心を引こうとして、その結果周りの期待が想像を超えるものに膨れ上がったのだとしたら」
哀れなことだ。カルファは静かに視線を落とした。きっと、想像を絶する鍛錬をこなしてきたのだろう。才能の限界は、本来長い年月を重ねてようやく届く領域だ。そこにあの年で届くために、彼女は何を犠牲にして、何を代償にしてきたのか。
だからこそカルファは、期待に追い詰められている彼女を罵倒してみせた。安易な優しさが彼女をさらに追い詰めるなら、悪意こそが今の彼女には必要だと思って。
「そして、この大会だ。ここで結果を残せば、それは決め手になるとでも思ったのかもしれない。だが敗北することは家族や周りの期待を裏切ることになる。膨らみ続ける期待を恐れ、その期待が崩れるのも恐れ、板挟みに苛まれ、葛藤して、しかし立ち向かうことも逃げることもしなかった。悲しいことだ。そんな期待と不安など、それこそ強さに取りつかれた家庭のみの業で、周りが全て失望するなど、そんなことあるはずないというのに……もしも僕の予測が当たっているのであったら、彼女の動機は……単なる被害妄想から来るものでしかない」
人が聞けば、あまりにもくだらない理由だろう。その程度のことで、と蔑むかもしれない。
だがこの大会で自分を偽ってしまえば、もう終わりだと思うくらいに、彼女は追い詰められていたのだろう。ただの八つ当たり、ただの妄想、そう断じることは容易いが、もしも彼女が過酷な幼少期を過ごしていて、誰もそれを咎め、矯正し、導くことをしなかったのなら。
そのくだらなく、理解もされない理由は、理由足り得るのではないだろうか?
「後二年、いや、一年早く出会っていればな……証明の仕方は、一つだけではないと教えられたかもしれないのだが」
「いや、それは無理だ」
静かな呟きに、いなほは顔を伏せたまま反論した。
黒い液体に揺らぐ己を見据えながら、まるで自分に言い聞かせるように続ける。
「あいつは、一つしかねぇんだ。ガキの頃から、クソだって言われ続けて、それでも一つ、たった一つだけの力に頼って……それだけが、あいつの信念だ」
何故か断言できる。いや、同類だから断言できる。
己もまた、たった一つの拳しかなかったから。
「……お前と彼女は、似ているな」
違うとするなら、いなほはの一つは全てを覆すほど強くて、彼女の一つは全てを覆すには弱かった。
たったそれだけの、それでありながら決定的な違い。
「んなわけねーよ」
伏しながら、否定する。空いた左手を握り拳にしながら、否定する。
「あいつは、多分、逃げちまう」
開いた掌には、何もない。
「なら、どうする?」
いなほはコーヒーを一息で飲みほした。口と喉を焼く苦さは、様々な意味合いを持つ苦さだ。
それを胃の中に流し込んで、立ち上がる。体に走る痛みも無視して、行く先はもう決まっているから淀みなく。
「俺は、あいつに見せるって約束したんだよ」
己を押しとおすことを、立ち向かうということを見せると。そしてその約束は、まだ継続されている。
「なら、好きにするといい……僕はここで静かにコーヒーでも飲んでいよう。後僕に出来るのは……彼女は今、学院の練習場にいる。場所はわかるか?」
「校庭のとこか?」
「その隅に小さな鍛錬場がある。この時間帯は奴の貸し切りだ。さて……後はお前に一任しよう。励めよ、ハヤモリ」
カルファは座ったまま、いなほを見ることもなく目を閉じた。
いなほは振り返ることなく歩き出す。そして、静かに札を取り出してアイリスに連絡を取った。
「なんだ?」
「アイリスか。ネムネはいるか?」
「あぁ。今一緒に食事をしているが……代わるか?」
「いや……」
いなほはそこで言葉を切ると、何かを躊躇するように、静かに口を開いた。
「札、預けておいてくれ。これから……」
決着を、つける。
次回、最後の安息。緩やかに、死に至る。
例のアレ
カルファ・ヘキサゴン
ヘキサゴン家に生れた待望の男子。親の優秀な血を存分に受け継ぎ、そして貴族として上に立つことのなんたるかを教えられたために、実年齢よりもはるかに精神年齢が高い。
メイリンのことは努力で極限にまで至った平民として高く評価している。そのために彼女が立ち向かえるように煽ってみせたが、いなほとの会合でそれが失敗だったことを悟り、己の過ちを嘆くことに。