第九話【ヤンキーの威を借る少女と女騎士】
女冒険者、氷結の騎士の二つ名を持つ女性、アイリス・ミラアイスは、長丁場だったゴブリンキング率いるゴブリン軍団の討伐を終えて、マルクにある自宅に帰る途中であった。
Fランクの実力者であるアイリスとはいえ、ゴブリン達の拠点の入念な調査に、その間にも村を襲うゴブリンから村を守る警護。一か月もの間それらを行っていたため、ようやく終わって気が抜けたせいか、やや疲労の色が濃かった。
「ふぅ……さて、この調子なら日が落ちる前にマルクには着くか……時間的にギルドへの報告もできるし、面倒はさっさと片付けるに限る」
着いてからの予定を言うことで、気を引き締める。
とは言っても精神的な疲労は積もっており、少しばかり気を緩ませてしまうのも無理はないだろう。魔獣が出ない森の中というのも緩みに拍車をかけていた。まぁ、盗賊に襲われる危険はあるが、ランク持ちの盗賊などそうそう現れるわけもない。油断してても、盗賊程度なら軽くあしらえる自信がアイリスにはあった。
暫くは依頼も受けずのんびり休もう。そうしよう。絶対に一週間は家でごろごろする。脳裏で描くのは自堕落な生活だ。周りからは規律に厳しく、己や他人にも確然とした態度で接しているため、頭の固く凛々しい人間だと思われてはいるが、本人からしてみれば心外である。ただ単に女だからと舐められないように厳しくしているだけで、私生活では自分に甘いアイリスである。
甘い物を一杯食べて、ご飯は出前で適当に頼む。そういえばまだ読みかけの小説があったはずだ。ついでに帰る途中に小説も何冊か買って帰ろう。浮かれて逸る気持ちを抑えようとはせず、緩んだ笑みが顔に浮かぶ。
「よしよし、俄然やる気が……ん?」
ふと、葉の擦れる音と鳥の囀り以外の何かが耳に響き、アイリスは後ろを振り返った。
地鳴りと、甲高い──笑い声だろうか? が聞こえてくる。馬車か何かが来ているのだろうか。ならば邪魔にならないように横にどこう。
次第に大きくなる地鳴りのような足音を聞きながら、アイリスは道の端に移動して、馬車が来るのを待つ。
音はどんどん近付き、少女のらしき笑い声も大きくなる。楽しげな声に思わず口元が緩んだアイリスは、途端、笑顔を凍りつかせた。
「な、な……」
「もっともっとー!」
「飛ばすぜぇ!」
姿を現したのは馬なんかではない。少女を肩車した見たこともない服を着た長身の男だった。それだけならまだ何とか動揺はしなかったかもしれない。
こちらに向かってくる男は、魔法を使っている様子もないのに、煙りを巻き上げて馬以上の速度でこちらに迫ってきていた。出鱈目だ。あんな身体能力、人類であるはずがない。いや、それでも氷結の騎士と呼ばれているアイリスなら動揺しなかっただろう。だが視力がよく、戦闘経験も豊富なアイリスは、迫る男の顔をはっきりと捉えていた。
まるで獲物を狙う野獣のような獰猛な笑み、細く延ばされた眼は、背筋を凍らせるほどの威圧感を放っていた。怖い、怖すぎる。アイリスは混乱した。しかも見ただけであの魔獣如き男が、アイリス以上の戦闘能力を保有するのがわかってしまった。というか強化の魔法も使ったように見えないのにあの速度を出してる時点で、人間でないのは明らかだ。エルフでもドワーフでもないだろう。あれは鬼とかそういった類の化け物だ。
そう、氷結の騎士、アイリス・ミラアイスは、楽しそうな笑い声を上げる少女を肩車して物凄い速さで駆ける男、早森いなほの姿を見て、あまりに人間離れした姿に恐怖したのだ。
「な、なんだあれは!?」
見たこともない物─サンダル─を両手で振り回しながら笑う少女を肩車して、加速しながら向かってくる物凄く怖い笑みを浮かべた男。怖い。何が怖いってもうあれだ、怖いのだ。
「た、『戦いの力をこの身に』!」
慌てながらも身体能力を上げる魔法を瞬時に展開すると、青色仄かな光がアイリスの体を包んだ。そしてこっちに来る化け物に向けて剣を抜きはらう。逃げようにも速度からして追いつかれるのは明白だったので、最早迎え撃つしかないと思ったのだ。
「魔物はここに来ないんじゃないのか……!」
悪態をつくアイリスは恐怖とない交ぜになった敵意を迫る魔獣に向けた。まさか依頼を達成して気が抜けていたこの瞬間に襲撃とは。
覚悟を決める。すぐにでも切りかかれるように剣を構えるアイリスに対し、魔獣扱いされているいなほはといえば、やはり獣染みた本能で敵意を察知。アイリスの剣が届く範囲外で急停止した。
「何だテメェ」
未だエリスを肩車しながら威圧してくる姿はシュールだ。だがそんなシュールを感じる余裕のないアイリスは、魔力も伴わないただの眼力に冷や汗をかいた。間近で対峙してみて改めてわかる。醸し出される強者の威圧感。ランクにしたらD、いや、もしかしたらCランク相当だろうか。自分には勝てる要素がほとんどない。ならば狙いは少女を肩車している今だろう。僅かな隙を見つけ出し、一瞬に全力をかけて、一撃でケリをつけるしかない。
覚悟を決めたアイリスの構える姿に隙はない。面白そうな女だ、警戒心剥き出しのアイリスに、凶悪な笑みをいなほは向ける。
一触即発の空気、切っ掛けがあれば即座に戦いが始まる張りつめた空間。だがそんな空気を壊したのは、いなほの怖すぎる顔を見ていないエリスだった。
「こんにちは」
以前までなら、冒険者に簡単に声をかけるなどエリスにはできなかっただろう。だが虎の上にいるハムスターというだろうか、強者に守られ、そして体験したこともない楽しい経験に昂った心が、エリスに見知らぬ冒険者に自分から声をかけるといった行動に移させた。
呆気にとられたのはアイリスといなほだ。互いに臨戦に入ったからこそ、エリスの間の抜けた言葉は、闘争の雰囲気を盛大にぶち壊しにしていた。
「……あぁ、こんにちは」
返事を返して、何やってんだと脳裏でぼやく。幸いだったのは、依頼後に気が抜けていて、なお且つ馬以上の速度で走る男と担がれて笑う少女というよくわからない光景に出くわしたために、彼女を持ってしても混乱していたことだろう。いなほはと言えばすっかりやる気を削がれて、つまらなそうに欠伸をしていた。
挨拶を返されたエリスは可憐に微笑む。
「今日はいい天気ですね」
「そうだな。まぁ、冒険にはもってこいだろう」
「わぁ、もしかして冒険者さんですか?」
「あぁ、そうだが」
「凄い! 私、冒険者さんとお話するの初めてです!」
「そ、そうか。いや、そんな尊敬の眼差しを受けるほど、私は大層な人間ではないのだが」
「そんなことないですよ! 凛々しくてかっこいいです!」
「ハハッ、照れてしまうな」
「あ、そう言えば自己紹介がまだでしたね。私、エリスって言います。それで、この人は早森いなほさん」
ペチペチといなほの頭をサンダルで叩く。いなほの顔の血管が浮き出たのを見て、アイリスは逆に血の気が引いた。止めて、お願いだから私のために彼を叩くのを止めて。
「……私は、アイリス・ミラアイスだ」
「よろしくお願いします! ほら! いなほさんも!」
「……おう」
何というか、毒気を抜かれた。ニコニコ笑うエリスをしり目に、アイリスといなほは互いに視線を合わせる。
そういうことだ。
そういうことか。
どっちがどっちというわけではないが、アイコンタクトは成立した。アイリスは魔法を解除し剣を鞘に収める。いなほも改めてアイリスのことを見た。
エリスよりも明るい金色の髪は首元で短く揃えられていて、とても柔らかそうだ。目鼻はくっきりとしており、吊り気味の目は深い青色の瞳も相まって冷たい印象を覚える。身長はいなほの肩程度、膝まで覆うマントの下には、要所に鉄の鎧らしきものを付けており、腰にはよく使い込んだ剣が一つ。荷物は肩に担げる程度の荷袋だけか。
そんな美しい女性剣士に対し、喧嘩してぇなというのがいなほの感想だ。彼にとって容姿はさして重要ではないのだ。エリスなんかはかっこいいだの騎士様みたいだの騒いでいる。頭の上で五月蠅い。いなほの苛立ちがさらに膨れ上がった。
不穏な空気を察したアイリスが慌てていなほに声をかける。
「すまない。何せ馬よりも速く走る人間と、それに担がれ笑う女子など見て驚いてしまってね」
「気ぃすんな。俺としてはそのまま喧嘩でもよかったんだがな」
「ハ、ハ……君は怖いことを言うなぁ」
アイリスは苦笑した。正直、冒険者としての勘がこの男と真っ向からの戦いをするなと訴えていたから、その冗談は洒落にもならない。
実は本当に喧嘩したかったと知ったら、アイリスは全力でこの場から逃げただろう。
「で、見たとこ君は不思議な格好をしているが、何処から来たんだい?」
「あぁ、日本から来た」
「ニホン? すまない。知らない土地だ」
「仕方ねぇよ。ずっと遠くにあるしな」
男くさい笑みを浮かべたいなほは、「それより」と笑顔から一転威圧的な眼差しで肩車したエリスを両手で掴むと、自分の真正面に持ってきた。
よくわからないと言ったエリスの背中の部分の服を掴むと片手でそのまま持って、
「俺の頭を気易く叩くんじゃねぇ」
出来るだけ手加減して、その額にデコピンをかました。
「ぎゃひゅ!」
少女にあるまじき悲鳴とともにエリスの顔が勢いよく後ろに仰け反った。手加減しようが筋肉ダルマのデコピン。ただの少女でしかないエリスには強烈すぎたのだろう。そのまま脳震盪を起こして気絶してしまった。
「……彼女、大丈夫?」
「手加減したから問題ねぇよ」
いや、手加減したとかそういったレベルの問題じゃないだろう。と、喉元まで出てきたがアイリスはその言葉を飲み込んだ。
触らぬヤンキーに祟りなし。変な奴らに会ってしまったなぁと、自身の境遇に嘆かずにはいられないアイリスであった。
次回、街到着