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不倒不屈の不良勇者━ヤンキーヒーロー━  作者: トロ
第二章・第二部【SUPERYANKEE】
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第十六話【耳が長けりゃ強いのかよ?】

 そして、対峙の時は来る。


「……ようやく、だ」


 いなほは闘技場に上がると、既に不動の姿勢で立つミフネ・ルーンネスと向かい合った。フードを被り、さらにその上から耳当てまでした彼の奥に隠れた表情は見抜けない。しかし、僅かに覗く眼光が、鋭くいなほを射抜いていた。

 立ちこめる赤色の魔力は、そのままミフネの気迫の大きさだ。天を突く勢いで溢れ出る魔力は炎。それ自体に熱量があるのではと錯覚する程、彼の魔力は膨大であった。


「『風林火山』」


 ミフネの魔力が収束する。身体強化魔法の上位、その簡略式を、言語のみで容易く使用したミフネの体が、その言葉の通りに強化される。四肢の皮膚を流れるように赤い波が幾つもその体を走っている。血流と化す魔力、血肉へと沁みこむ魔法。開始の合図を待たずに、彼は情け容赦なくいなほに対峙する。

 いなほは、試合開始よりも前に魔法を行使したミフネに対して何か文句を言うでもなく、それどころか嬉しそうに笑って見せた。あの日であった偶然。そして感じた強者の予感。

 確信する。こいつは、トロールキング以上の強敵である、と。


「……嬉しいねぇ。テメェみたいな奴が、初っ端から全力かましてくれるたぁ、嬉し過ぎて笑えてくるぜホント」


 軽口を叩き、余裕の態度を取るいなほだが、その実、細胞すらも前へ前へと出ようとするのを抑えるのに必死だった。その証拠に、体からは汗が溢れ、手はぴくぴくと開いたり閉じたりを繰り返している。

 我慢ならない。だが、我慢する。何故ならこの相手を前に、唯前へ出て我武者羅を行えば、忽ち体の何処かが泣き分かれするのが目に見えているからだ。

 いなほは笑いながら静かにサンダルを脱いで裸足になると、いつも通りに構えて見せた。呼吸するよりも自然な状態に持ちこめば、心も体も幾分かは落ち着く。

 そして静寂。観客の誰もが、これより襲いかかる嵐を前にして言葉を発することが出来ない。その両者に試合開始を告げる審判すらも、固唾を飲んでいなほとミフネ、二人の動きを黙って見ていた。

 最早この戦いは試合ではない。強者と強者、鬼と鬼。強き者だけを追い求めてきた飢えた獣が食らい合う殺し合いの場。審判が生存本能のままに場から出た。

 合図すら送らない。送れない。戦いを始められるのは、両者のどちらかでしかないのだから。


 そして静寂を引き裂いたのは、鞘を走る刀の音。


「神楽逸刀流、ミフネ・ルーンネス……」


 背中の鞘から抜きはらった刃を天高く掲げ、ミフネが眼光をさらに鋭くしていなほを睨んだ。物理的な圧力を伴って襲いかかる眼力。いなほの背筋が凍る。あの日、高層ビルを超える大きさを誇る、トロールキングの掲げた剣すら霞む程の威圧感が、その刃とミフネにはあった。

 大太刀。いなほには及ばぬとはいえ、それでもかなり背の高いミフネですら背中に背負わなければならぬほどの大太刀は、反りは殆どなく、ミフネの愚直な姿勢を現しているかのようであった。

 鈍く光る鋼が太陽の光に濡れて輝く。磨きあげられ、鍛え抜かれたその刀身は、肉や骨はおろか、鉄鋼ですら容易に切り裂く鋭利さを誇っている。

 これこそ、全世界最高の刀匠が生涯を賭けて作り上げた百の名刀が一つ。神すら切り裂く至高の刃を模して、この世から失われた神話の鉄を用いて作られた異能の贋作品。


 それは、濡れ滴る月光の牙。規定を破る狼『ガルツヴァイ・ルールカウンター』より生みだされた七本の爪を模した出来損ないの一本。


「刀匠キリエ・カゼハナが遺作の一。劣化心鉄金剛『断斬─たちきり─』」


 銘を告げ、構える。この世にあらざる刃を手にして、この世にあり得ぬ構えを持って。

 頂上突破の大上段。己こそ頂点だと高らかに告げる勝利宣言に違いなく。


「いなほ殿。まずは神楽一式……馳走」


 断、とミフネの立っていた場所が踏み抜かれ、瞬きの間にいなほとの距離がゼロになった。


「ッ……!?」


「ハッ!」


 懐、より手前、長大な大太刀故に、いなほの間合いより一歩手前に現れたミフネをいなほが知覚した時には、既にその刃はいなほの頭頂部目がけての軌跡を辿っていた。

 決着はついたも同然であった。いなほ以上の技量を持つミフネが、魔法の力を使って、いなほ以上の身体能力を持って油断なく全力の一撃を最初からぶつける。もしいなほが生き残りたいのであったのならば、ミフネが闘技場に上がったと同時に、覚醒筋肉を使用するべきだったが、全ては遅すぎた。

 残像すら残さずに疾駆するミフネの刃。知覚が遅れたいなほには応じる時間はなかった。

 だがしかし、あくまでいなほが反応しなかっただけであり、体はミフネという規格外の化け物の動きに対応していた。

 大太刀の動きに合わせるかのようにいなほの体が沈む。全力で背中から倒れこんだいなほは、その勢いのまま後ろに転がって間合いから逃れた。


「見えねぇかよ!」


 悪態をつきながら胸から流れる赤い血をいなほは手で拭った。避けきれなかった。脳を介さない雷光の超反応を持ってしても、ミフネの動きは尚速い。だが対処の方法がない現状を打開する案を考える暇もなく、刀を振るったミフネが再びいなほに向かって飛びかかってきた。


「神楽、二式」


 次は下段から上へ。完璧な縦の軌跡を描いて走る刃の切っ先を、いなほの体が考えるよりも早く反応して避ける。勢いよく横に飛んだいなほは、無様にも再び床を転がって飛び起きた。

 次は右手より出血。避けきれない。大袈裟に避けても尚追いすがる神速の太刀筋に心胆が震えあがる。恐怖? 否、歓喜だ。


「神楽、三十五式」


 ミフネの体が視界から消える。それでも肌を焦がす殺気を頼りに、真横に現れたミフネを察知、横一文字に振るわれる太刀を後ろに飛んで回避──再び胸に傷。

 早すぎて反撃の機会すら見つからない。無様に逃げ惑うしか今のいなほには許されない事実に、強敵への歓喜とは別に不満が込み上げてくる。それは一方的にやられることへの怒りだ。

 幾度目かの構えをとるミフネに、いなほは無謀と知りながらも一歩踏み出し、敵が動くよりも速く、今度は自ら間合いを詰めた。盛り上がる上腕の筋肉。固められた左拳に血流が溢れだす。体内時間は一秒を千秒へと変貌。流れる風の動きすら知覚して、いなほは緩やかに動く世界を疾駆した。

 間合い。まずはリーチの長いミフネが先手。千秒にまで分割された世界だというのに、ミフネの刃は速く走る。今度はぎりぎり見える速さだが、見えるからと言って避けれるのは同義ではない。自身の動きも遅い世界で、彼我の速度差はレーシングカーと自転車レベル。回避は不可能。そして当たれば絶殺終了。ミフネの袈裟切りは完璧なタイミングと軌道でいなほの体に吸い込まれていく。

 それでもいなほはさらに踏み込んだ。一瞬だけ加速する肉体が、ミフネの刃に追いすがる。


「ッ!?」


 見開かれるミフネの目に映るオレンジ色の光。太陽の輝きがいなほの体に取り込まれる。

 瞬間の百パーセント、覚醒筋肉。

 ミフネの完璧が、いなほの予想外の動きに崩壊した。刀身の腹に右手の甲を添えて横に逸らし、遂に己の射程距離へといなほが踏み込む。零距離空間。長大な大太刀の死線を越えたいなほの左手が音すら置き去りにした世界を走った。


「オラァ!」


「神楽、八十式」


 そして世界は等速に戻る。一瞬とは言え覚醒筋肉を使ったいなほは、その体より血をまき散らせながらも遂に渾身の一撃を放った。それに対して、一転窮地に追い詰められたミフネは、断斬から片手を放す。

 その手には、いつの間にか掌サイズの小太刀が握られていた。半分になった断斬の柄がいなほの視界に一瞬映る。柄の中に仕舞われた陰刀。距離を詰められることすらもミフネにとっては敵を陥れる罠にすぎぬ。

 どちらもが互いの胸に目がけて刃と拳を放つ。

 打ち抜いたという確信。

 突き抜いたという確信。

 打ち抜かれたという確信。

 突き抜かれたという確信。

 両者が互いに互いの死を予感。

 そして交差するようにぶつかり合った腕は、その威力によって反発しあい、弾かれるようにして二人の体は後ろに飛んだ。


「っう!?」


「ぬぅ!?」


 闘技場の床を砕きながら、どうにか着地した二人は即座に構えを取った。いなほはそのまま突撃し、ミフネは迎撃を選択する。

 強い。迫りくるいなほの巨漢を見据えて、冷たい双眸の奥でミフネは驚愕していた。

 たかだか二十年そこらしか生きていない人間だというのに、上位身体強化魔法を全開にしなければ追いつかない素の身体能力と、長き研鑽をした己に迫る武の技量。何より先の一合で見せた謎の強化魔法を使用したときは、体捌きのみで自分の袈裟切りの速さに肉薄した。

 代償として体から出血はしているものの、あの動きを見せられては迂闊な攻撃は出来ない。陰刀も一度見せたので、次は先程のような相討ちにはならないだろう。

 強い。この武者修行の旅の中で出会った誰よりもこの男は強い。


「故に、魅せよう。拙者の神楽、存分にな!」


 拳と刀が交差する。そして、再び状況は戻り、いなほは気を更に引き締めたミフネの猛攻に晒されることになった。

 一撃を放てたのは覚醒筋肉を使用した時だけだ。直後、神速の太刀筋によって、いなほは避けることしか叶わなくなる。上から来た太刀の刹那に下から来た太刀が振り切られた刹那よりも速く右と左から走り迫る絶技の刃。全ての斬撃が一度に来たような錯覚、そして受ければ受けた所が切り裂かれる魔技を前にして、いなほは防戦一方になりながらも、その動きは先程とはまるで違う。

 出血、出血。刃が走る度に鮮血が舞い散り、いなほの体に切り傷が刻まれる。

 だが、先程まで大袈裟に避けていた太刀が、一分もすれば後退しつつ避けるようになり、そしてそれから数分もすればその場から動かずに、皮一枚で見切り、避けきれない場合は神速の太刀の腹に手を合わせて逸らすことで、辛うじて踏みとどまっていた。

 恐るべきはその成長速度にあった。師を持たずに、我流で達人すら絶句するほどの技量を得たいなほは、この僅かな戦いの間で、ミフネの太刀を見て、覚え、研鑽し、自身の血肉と化してその技量をどんどん向上させていた。

 幾ら神速とはいえ、所詮は技術。学び、癖を覚えてしまえば、予測したうえで防ぐことは可能だ。

 だがアイリスとエリスを除いたその戦いを見ている誰もがいなほの敗北を確信している。追い詰められているのは己の呼気を読まれ始めているミフネであることには誰も気づいていない。唯一、アイリスだけはいなほとミフネの間で行われている技巧をこらした絶技の応酬をおぼろげながら理解していた。


「これが……天災レベルの戦い、か」


 アイリスも、マルクでは天才と呼ばれてきた強者だ。だが、アイリスは天才であって、個人で国を落とせるかもしれない天災級の才能は持っていない。あくまで人という枠組みの中での強者。しかし、本物の強者とは、そういった枠組みでは収まりきらない。

 一撃が城壁を打ち砕き、一閃が兵士の首を十も百も切り裂く。個人では成しえぬ異常の戦技。これがCランク以上の実力者のスタンダードだ。

 この中でいなほとミフネ、両者の間で行われている想像を絶する戦いを理解出来る者は存在しないだろう。自分も、本質は理解できてはいない。ただ漠然と、すさまじい攻防が繰り広げられていることしかわからない。

 だが、分からないなりに分かってしまう。防戦一方に見えるいなほの一挙手一投足全てが様々な手をこらしたものであり、速すぎることだけに目が行くミフネの刃も、その実、いなほを斬るために一刀一刀に様々な細工を凝らしているのだろう。

 恐ろしくも美しい絶技の応酬。誰もがそれを見守る中、遂に防戦一方だったいなほの拳がミフネに向かって放たれた。

 だが見当違いの方向を抉った拳はミフネを捉えることは叶わない。剣戟の僅かな隙間に拳を通そうが、唯隙間を通しただけの拳はミフネには届くはずがない。

 いなほの謎の行動に、ついにやけっぱちになったのかと観客は思ったが、その拳を見たミフネは背筋を凍りつかせていた。


「もう見切られたか……後十分は保つと思ったのだがな」


 剣戟の隙間を見切られた。つまり、目にも止まらぬ刃の死角を見つけたということだ。例え今は見当違いであっても、防御を行えて、反撃できたという事実はいなほにもミフネにも大きい切っ掛けだ。

 見えぬ切っ先を髪を僅かに道づれにして避けたいなほは、ようやく見えた突破口を前に、瞳を喜悦で濡らした。


「これでようやく対等だぜオイ!」


 試合が始まる前よりもさらに速くなったいなほの拳が剣戟の合間に次第に重なっていく。ミフネの体捌きを自分の中に組み込んだいなほの動きも加速していた。その動きは、恐るべきことにトロールキングを相手に覚醒筋肉を使用したときに迫る程だ。それを今、いなほは覚醒筋肉もなしに、この試合で研鑽された技量を持って再現している。

 天才を超える異才。最早人外魔境よとミフネは内心でいなほを詰った。認めよう。この男の才能は自分を遥かに上回る。いずれは世界の頂にすら、この男なら想像を絶する鍛錬と死線を越えた果てに辿りつくことだろう。

 だが、それでも。

 故に、だからこそ。

 この男を斬ってみせれば、己は最強だ。

 刀と拳が交差する、ミフネの烈火の気を込めた突きが飛んだ。雷の如き踏み込み。断斬と一体化して、一つの刃と化したミフネの鬼気がその先端にまで込められているようであった。

 見えない。一秒では当然。百秒でも残像。千秒に停滞しても未だ見えず。体感時間を停止させても見えぬ刺突だが、当たるより他なきその速さに嬉々を持って答えるがいなほだ。

 迅雷の一振には、激流の一撃で応じよう。

 容易く自慢の肉体を抉る切っ先の軌道を予測する。見えぬ刃の動く先を思い描く。

 外せば死。しかし、経験と勘で作り上げた想像しか今のいなほにはミフネを見切る術はない。だがその術は、この僅かな間で積み上げた新たな技量の結晶だ。己が作り上げた己自身の力を信じないわけがない。おそらく突き抜けてくるだろう切っ先の軌道は正中線上、体を半身にしていなほは予測された絶殺を回避する。

 直後、恐るべき速度で放たれた突きが、コンマ以下の時間差でいなほの頬の肉を僅かに撒きこんで駆け抜けて行った。

 空振り、その事実に目を剥く余裕はミフネにはない。伸び切った体は殆ど動かすことは出来ない。必殺込めた一撃の後に生まれる、一秒にも満たない僅かな隙、しかし、生まれてしまったその隙を狙って、いなほが鮮血を夜の闇に流れる赤いテールランプのように引きつれて走った。

 必殺の刺突に合わせる、極上のクロスカウンター。隆起した肉体と鋼よりも固い拳が空気の壁を引き裂いた。踏み込みの力が脊髄を駆け登り、肉体を駆け抜ける血流に乗って拳へと集まっていく。一点に集まった全ての力は、必殺の機会を逃さずに、刀身をなぞるようにして、その先にあるミフネの顔目がけて駆け抜けて行く。

 迫りくる死を前にミフネの体を恐怖が疾駆した。全力で放った一撃を完璧なタイミングで避けられて、さらに逃れようもない状態で放たれる攻撃。技巧を尽くした両者の一閃は、ここで遂に天秤がいなほに傾いていた。

 切り刻まれて遅滞した時間の中でいなほの拳を見る。回避は出来ない。不可能。先程まで突きつけていた死が突き返されて手元にある。

 死ぬ。

 否。


「ぎぃ!」


 悲鳴のような声を上げて、ミフネは無理矢理首を捻じった。本来なら動かせないはずだった体を無理矢理動かしたために、首の肉が嫌な音をたてて引き裂かれる。鼓膜を揺るがし弾ける筋繊維。しかし、それ以上の破壊をもたらすはずだったいなほの拳は、首を逸らしたことによって、ミフネの耳当てを弾くだけで終わってしまった。

 その勢いのままに、被っていたフードも風に煽られて脱げる。

 直後、これまで黙っていた観客の誰もが声をあげた。


「おい、あれって……!」


「マジかよ……」


「え? 嘘……私、初めて見た……」


 ざわざわと湧き立つ場内。最も近くにいるいなほも、当然ながらこれまでフードに隠れていた彼の顔をようやく見ることが出来た。

 耳元まで伸びている若草色の髪と、切れ長で意志の強い髪と同じ色の瞳の青年の顔は美しい顔立ちであった。

 だがそれも当然だろう。ミフネが綺麗な顔立ちなのも、これほどまでに強いのも全員が納得した。

 観客たちが見るのは、ミフネの顔の横、人間よりも長く尖った耳。


「あいつ、エルフだ」


 観客の誰かがそんなことを呟いた。

 エルフ。人族でありながら、魔にも近き特性を持つ種族である。長い寿命に美しいその姿、そしてある程度成長するだけでランク持ちになるという、異常な戦闘力を持つのが彼らだ。

 普段は彼ら独自の国から殆ど出ることはなく、大陸の端っこで細々と暮らしているので、滅多にその姿を見ることは出来ない。

 そんな人間を超える超越種がここに、人間の闘技場にいるという事実。


「……勝てるわけねぇじゃん」


 観客の内の一人がふとそんなことを呟いた。

 合ったことはなくても、話を聞いたことのある者なら誰でもわかる。エルフは普通に生活するだけでもランク持ちになるというのに、そんな奴が鍛錬をして強くなったのだとすれば、一対一で人間が勝てる道理がないのだ。

 そして次々に観客たちが声を上げる。「無理だ」「あり得ない」「なんでエルフが人間の闘技に出てる」等々、本人たちは闘技場に立つミフネに聞こえないように言ってるつもりだが、強化の魔法で研ぎすまされたミフネの聴覚はその全てを聞き取っていた。

 ミフネの刀が唐突に下がる。さっきまであんなにも漲っていた気迫も、強化の魔法の消失とともに失われた。


「……所詮は、これか」


 達観した物言いをして、ミフネは突然戦意を失くした自分の姿を呆然と見るいなほを他所に断斬を鞘に収めると、フードを被って背を向けた。


「おい、なんだそりゃ」


 その態度にいなほが怒りを露わにした。ふざけるな。何があったかしらないが、ここまで上り詰めといて『それはないだろう』。

 しかし、いなほの怒りにも気付かずに落ちた耳当てを拾って付け直したミフネは、フードの下の口を自嘲するように歪めてみせた。


「エルフはずるいんだろう? 拙者、無学ではあるが、これまでの旅で、よくそんなことを言われた故、な」


 思い出す。初めのころの記憶。武者修行に出た直ぐの頃、ミフネは人間と戦った。

 一対一の正々堂々とした戦いのはずだった。実際、戦いが始まるまでは、そのつもりだった。

 だが、戦いが始まり、ミフネが一瞬で間合いを制して人間を詰ませたとき、そいつはこんなことを言った。


「エルフにはやっぱ勝てないか」


 正々堂々だと思っていたのは自分だけで、相手は初めから自分に勝つつもりなどなかったのだった。それからというもの、素顔のまま戦おうにも、戦えるのは知能なき魔獣ばかり、武芸者との戦いは、自分がエルフだというだけで出来なかった。

 そして、それから彼は自分の姿を隠すようになった。フードを被り、耳当てをして、自分の素性をひた隠しにして、彼はようやく戦えるようになった。

 だが、所詮は己を隠したままの戦い。幾ら戦えど、本当の自分と戦ってくれる程の武士には出会えなかった。


「皆、拙者の耳に恐れおののく」


 諦めを含んだミフネの言葉は、武者修行に出てから得た達観だ。そんなものだろうと決めつけた歪んだ答えだ。

 だから、そんな言葉がいなほに届くはずがなかった。


「あ? 耳が長けりゃ強いのかよ?」


 いなほの言葉に、ミフネの肩が僅かに揺れた。恐る恐るミフネは振り返り、そしてようやく気付く。あぁ、この男は、まるで戦意を失ってなんかいない。

 堂々とした佇まい。気迫の籠った鋭い眼光。エルフという種族を前にして怒りを剥き出しにしたその体。

 そこには、戦う前と変わらない、いや、戦う前より気迫に満ちた早森いなほがそこにいた。


「関係ねぇだろ? 耳が長いから? ハッ、そんなんを負けの理由にする奴なんざチンカス以下の糞ったれだ」


 それに、といなほは周囲を眼光鋭く睨んだ。


「テメェらさっきからなんだ? エルフだから負けて当然? 勝てねぇのが当たり前?」


 肩を揺らして笑い飛ばす。そして、憤怒の表情で観客達を見た。


「ふざけんじゃねぇぞ?」


 その迫力は、観客はおろかミフネすらも一歩引かせる程だった。そんな威圧感に、遠くからとはいえ晒された観客はたまったものではない。誰もが息を飲み、腰を引かせ、中には悲鳴を上げる者すらいた。

 だがいなほは構わず態度を崩さずに続ける。彼らの考えている馬鹿げた考えが気に入らないから。


「誰が負ける? 俺が負ける? この俺が負ける!? 耳が長けりゃ偉いってのか! この負け犬根性のカス共が! テメェらはそこで縮こまって震えてやがれ!」


 言うだけ言うと、いなほは驚きに目を見開くミフネに再び向かい合い「脱げよ」と言った。

 何が、とは言わない。いなほの言っていることの意味がわからないほどミフネは呆けてはいない。しかし、これまでの経験がミフネに躊躇わせる。期待と、それと同じくらいの不安。


「ミフネぇぇぇぇぇ!」


 そんな躊躇いを振り払う、大きな男の大きな叫び声。

 自分の名前を呼ぶその声。体を抜けて、魂まで響き渡るその言霊が、ミフネの中にあった迷いを全て振り払った。


「クハッ!」


 歪んだ笑みを浮かべると同時に、迷いと共に耳当てを投げ捨ててフードを脱ぐ。狂喜に濡れた眼のままに、ミフネは再び断斬を背中の鞘から抜きはらった。

 耳に心地いい音を響かせて、鋼が今一度現世の空気に晒される。主の迷いなき意志に感化されたかのように、その刀身が光を反射して透き通る輝きを知らしめた。

 あぁいなほ。早森いなほ。我が敵にして我が友よ。


「済まぬな。僅かにまどろんでいたようだ」


「気ぃすんな。今すぐツケは返してもらうんだからよぉ!」


「しかり、この借り、今すぐ刃に乗せて返上いたす! 『風林火山』!」


 ミフネの赤い魔力が体を疾駆する。先までの迷いが晴れた今のミフネは、間違いなく先程よりも遥かに強くなっているだろう。

 だがいなほはそれが嬉しかった。耳の長さは違うけれど、ようやく初めて出会えた同じ人間で自分と互角以上に渡り合える化け物。そいつがさらに強くなることが嬉しかった。

 何故なら強ければ強いほど、勝った時のカタルシスは最高のものになるのだから。

 そしてそれはミフネにしても同じこと。むしろもう諦めていた人間という種族への傍観を消し去ってくれたいなほを倒せば、この武者修行の答えが得られると思っている故に、勝利への執念はいなほ以上かもしれない。

 絶対に勝つ。目の前の敵が自分よりも強いから、だから絶対に勝つ。ふたりは互いにそう誓った。


「ミフネぇぇェェェ!」


「いなほぉぉぉぉぉ!」


 二人が同時に駆けだした。磁石のように引かれあい、恋人のように惹かれあう。与えるのは共に凶器。殺し合うことこそ愛の証明。

 拳と刀の演舞が始まる。既に両者は周りの雑多な者のことなど見てはいなかった。見るのは己を貫こうとする殺意のうねりと、その代行たる拳と刀。

 まずは神速たるミフネが先手。小手先もなく、ただ歓喜の赴くままに振るわれた上段は空気の壁も引き裂いていなほ目がけて行く。額が焼けるような錯覚。異常な行動予測にて、いなほは右手で太刀筋を逸らして懐へと入りこむ。

 剛拳が吠えた。左手一本、神速には及ばずとも威力では勝るとも劣らぬ破壊の鉄槌。その拳に、引いた刀の柄を上から叩きつけていなすと、ミフネは引くのではなくさらに密着して、あの小さな陰刀を抜きはらった。


「神楽、八十三式」


 寸分の狂いなき軌道を描き、ミフネの刃がいなほの腹を狙う。だがいなほもお返しとばかりに右手を刀の上から叩きつけて下に逸らした。

 激突。互いに密着状態になり、互いの額がぶつかり合う。剥き出しになった二人の犬歯の間から漏れる呼気は熱湯よりも熱かった。


「くひっ!」


「ハハッ!」


 笑む。熱に浮かされ正気を失ったかのように、目は爛々とほの暗い輝きを発光。だが二人の頭は見た目の狂気的な様相とは裏腹に、冷たすぎるほどに冷静だった。

 とれない。絶技の限りを尽くして尚、この男はまだとれない。両者の実力はここに来て完全に拮抗していた。

 ならば勝敗を喫するのは経験の差。どちらがより多くの引き出しを持っているかとなる。

 そして、いなほが我流に対して、ミフネは遥か昔より延々と語り継がれてきた神楽逸刀流が剣客。

 言わずともわかるだろう。才能の塊であるいなほに唯一欠けているもの。積み重ねてきた年月の重さ。

 身体能力、魔力量、全てが人間を上回り、さらには長寿を誇るエルフ。そんな化け物が長年の研鑽の果てに得た刃。


 全てはそう。初めからこうなることは予測されていたのであった。




 直後、早森いなほの体から、鮮血が舞った。






次回

アート・アート「あれは……!」

マドカ「知っているのか?」

アート・アート「あれは伝説のむにゃむにゃ」

こんな話。




あれな話。

ガルツヴァイ・ルールカウンター

詳細・キモい。ウザい。胡散臭い。の三拍子が揃った奴。

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