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不倒不屈の不良勇者━ヤンキーヒーロー━  作者: トロ
第二章・第二部【SUPERYANKEE】
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第十五話【おれ゛ば! ばだやれぅ!】

 予想通りのセリフに苦笑する。そのセリフも腹立たしいから、返す言葉は勿論憎まれ口だ。


「うるせぇ。一番糞ったれな奴が何言ってんだよ」


 答えはなかった。でもわかる。きっといなほは今の自分と同じ表情を浮かべているだろう。

 それが不愉快に思えることを嬉しく思う。決別は一瞬で、この憧れはそのままに、この憧れはもう追わない。

 だから、そんな愚かを目指していたかつての自分のために戦った少女のために、今一度だけ、愚かな憧れを目指そう。

 情けないと思う。きっとネムネは、自分が挫けるのを支えるために、愚かな夢をもう一度見せようとしたのだ。

 その優しさが、皮肉にもキースに憧れを捨てさせることになった。

 でも挫けてはいない。踏ん切りは即座についた。ただし、そのせいで地に足がついていないので、さっきまでの自分より迷いや不安が多くて不安定だ。

 だけど代わりにどこまでも飛んでいける。地に足がついていないということは、大空へと飛び立てるということだ。何もわからない空は怖くて、しかも最初の一歩は手助けしてもらったという情けない醜態だけど。

 そして、その一歩を踏み込むための障害は、あまりにも強大だ。

 キースの覚悟を切り裂くように、鞘を走る刀の音が静かに響いた。

 ユミエ・カゼハナは常と変わらない、凛としたおぞましい殺気をその内側に孕ませてキースを見ている。


「アンタ、姉ちゃんはいいのかよ」


「あら、心配してくださっているの? お優しいのね」


「茶化すなよ。アンタ、よく平静でいられるな」


 確かにネムネの傷も重傷だったが、ハナの傷も相当なものだったはずだ。だというのに、リング外に出たハナの傷を気にすることなく、その勝利だけを祝福していた。

 ユミエはそっと後ろにいるハナを振り返る。傷は表面上治っただけで、未だに回復はしていないというのに、サラシ代わりにタオルを胸に巻いている以外は何もせずに、ハナは静かにそこに立っている。


「貴方の言いたいことはわかりますわ。身内を心配するというのは当たり前で、普通のこと……ですが、私たちは違います。肉親の情はあります、人並に心配もしましょう。けど、強者と戦えることの喜びはそれらのことを些細なものへとしてしまいますわ。ハナはネムネ様を、私はキース様を、そしてミフネ様はいなほ様を、私達の関心は今戦う貴方がたにしか注がれていません」


 故に、その戦いの結果を祝福こそすれ、それ以外は『今はどうでもいい』。


「狂ってやがる」


 唾棄するようにキースは吐いた。その言い分を、ユミエは是とする。


「えぇ、えぇ。私達は狂っている。貴方やネムネ様のように、襲いかかる理不尽に立ち向かうのではなく、今、貴方がしているように、目の前にある理不尽に立ち向かう。えぇ、意味合いは似ていても、そこには決定的な違いがありますわ。今の貴方が感じているだろうものがね」


 ユミエの鋭い指摘に身を竦める。事実、キースは今、ユミエという化け物に立ち向かうことを心底後悔していた。

 だが立ち向かわなければならない。せめてこの大会の間は、ネムネが見せてくれた愚かな自分を演じないと、今の自分と同じ気持ちを感じながら立ち向かったネムネに、顔を合わせることが出来ない。

 そんなキースを見るユミエの眼差しは羨望に染まっていた。


「白状しますと、私が貴方の立場になりたいですわ。圧倒的に実力の違う相手を前に、僅かな勝機を手繰り寄せるために正気を失って狂気に染まる。それはきっと楽しいですわ。きっときっと、楽しいに違いありませんわ。その果てに、擂り潰されてしまうことも、その相手の首を落とすこともどちらもきっと楽しいですわ」


 その考えが理解できない。いなほ以上に戦いに染まってしまったその思考は、最早一つの地獄だ。

 似ているだけなのだ。いなほとこいつらは、似ているだけで、決定的に違う部分がある。いなほへの憧れを抱いているキースだからこそ、その違いに今ようやく気付けた。

 いなほは、良くも悪くも自分勝手だ。ただやりたいことをやるために、進んで理不尽に突っ込む。だがいなほは己の勝利を疑っていない。だから無謀へと進むことが出来る。

 一方、こいつらは戦いしかない。勝つことを前提にしているが、その果てに自分が死ぬことを容認している。敗北すら喜びとして肯定しているのだ。

 その差が、キースには苛立ちとなった。だから、己の憧れすら、自分と同種だと吼えるユミエの言い分を、真っ向から否定する。


「よくわかったぜ。アンタらじゃ、ハヤモリには勝てないよ」


 短杖を構える。応じるようにユミエも静かに正眼に刀を構えた。


「心鉄刀匠、風花家が百三代目当主、ユミエ・カゼハナ」


 名乗りは言霊だ。倒すという宣誓。相手にとっての呪いの言葉。


「なんせ……」


「こちら、我が風花家が初代党首、キリエ・カゼハナが遺作の一。心身合刀『紅桜─べにざくら─』」


 試合開始の合図が響く。同時にキースは強化魔法と、短杖から刃を展開した。


「あいつは、自分が負けるなんて微塵にも思ってないからな!」


「まずは、一手」


 だから、ネムネの代わりに、早森いなほを証明してやる。


「『燃やし尽くせ、紅蓮の腕よ』」


 最初から手加減は不要だ。試合開始と同時にユミエの体から膨れ上がった攻め気を振り払うように、その短杖から巨大な炎を顕現させる。その総量は意志の力によって、過去最大の大きさにまで膨れ上がり、ユミエくらいなら飲みこめるほどの大きさだ。


「『変化』『操作』『蛇の首飾り』」


 さらにその炎を分割。総勢二十を超える炎の蛇が現れる。一匹一匹が触れた者を焼く脅威の魔法が放つ熱量にあぶられながら、ユミエはまるで動じていなかった。

 静かに待ちうける。最初から一貫とした相手の攻めを誘う攻勢防御。攻めを躊躇えば躊躇うほど正常な方法を失わせていくその魔技に対して、キースの取った手段はあまりにも単調でありながら、それ以外ないというものであった。


「食らいつけぇ!」


 炎の蛇を一斉に突撃させる。思考がはく奪されるよりも早く攻撃させる。愚直で単調だが、それゆえにユミエと戦うには適した方法だ。

 だがその程度のことで落とせるのならば、ユミエは伊達にE-ランクという超人領域には達していない。不規則に地を這って襲いかかる二十の蛇を前に、ユミエは動くことなくそれらを迎え入れた。


「はっ!」


 ユミエの太刀の圏内に入った瞬間、実体のない炎の蛇は根元から断たれて消滅した。実体のあるなしはそこには関係ない。斬るという一念は、無形ですらも斬り捨てる。

 想像を絶する技にキースは僅かに動揺したが、直ぐに気を引き締めて新たな蛇を展開した。


「『燃やし尽くせ、紅蓮の腕よ』!」


 さらに魔力を注ぎ込んで新たな火球を顕現させる。巨木すら一瞬で消し炭とする一撃を維持しながら、さらにキースは魔力を放出した。

 まだだ。この敵を倒すには限界ぎりぎりまで絞り尽くせ。もっともっと、余力を一瞬で叩きこみ、一瞬だけでもあの敵を超えろ。

 空いている左手を天に掲げる。呼応するように腕を這いずるようにせり上がる魔力を強引に維持する。炎の蛇二十、そして短杖から発生させた火球、これだけでキースの脳髄は悲鳴をあげていたが、まだ耐える。


「『燃やし尽くせ、紅蓮の腕よ』!」


 左手からも炎が噴き上がる。流石に維持までは出来ないのか、不規則に暴れ狂うその炎は数メートル以上の火柱となった。

 まるで巨大な蛇のごときその炎を、左手を突き出すようにユミエへと向ける。


「受けとれぇぇぇぇぇ!」


 螺旋を描く極太の火柱が、無数の蛇を従えて走った。キース渾身の連続攻撃は、最早ユミエであっても決して容易に受けられる一撃ではない。


「あぁ、楽しいわ」


 だが笑う。限界を絞り出すキースの熱意を敏感に感じ取って、ユミエは紅桜を構え直すと、見えぬ斬撃を解き放った。

 発生する風圧すら切り裂いて、炎の嵐が一刀で消滅した。燃える残滓に燻ぶる空気を眺めながら、ユミエは紅桜を振り抜いた勢いで走り出した。

 強化の魔法を使用したその踏み込みは、一秒もかからずにキースとの距離を埋める。だがそれを許さぬ蛇の群れがユミエの進路に立ち塞がった。


「アハっ!」


 ユミエが走るだけで蛇が消える。そういう風にしか見えぬ程、ユミエの斬撃の速度は異常だ。

 近づかれたら終わる。分かりきっていたことを改めて思い知ったキースは、だが襲いかかる敗北に決して退いたりはしなかった。


「馳走しますわ!」


「逃げるかぁぁぁぁぁぁぁ!」


 残り一歩、斬撃空間に巻き込む喜悦を表すユミエに対して、必死の形相のキースは短杖の炎を向けた。


「『爆発』!」


「なっ……!?」


 炎が膨張する。一瞬で限界まで膨らんだ炎は、両者の視界に巨大な光をまき散らす。

 閃光と爆音が鳴り響いた。自身の身を顧みないその自爆攻撃は、奇しくも先程ネムネが行った一撃に似ていた。

 犠牲なくして奇跡はつかめない。己の放った熱量に体をなぶられながら、キースは燃える炎を掻い潜る。

 まだ終わらない。自身の魔法ということもあり、ダメージはある程度軽減されているがゆえに、キースはここで踏み込みを選んだ。服はおろか肌すら焦がし、熱量に喉すら燃やしてキースは吠えた。

 その向こう、同様に踏み込んでいるユミエがいるのを信じたから。


「ッ!?」


 ユミエにとっては予想外だっただろう。熱風の嵐の只中、あえて突き進むような狂気的な選択を行う男ではないと踏んだからだ。

 だから一手遅れる。互いに熱量に体を灰にさせながら、キースは右手の短杖をユミエに向かって全力で投げつけた。

 反射的にユミエはその切っ先を払い、燃える視界で笑う。これで相手の攻撃手段は──


「『収束』」


 絶句。その距離は僅かに数歩、ユミエならば一瞬で詰め寄れる距離を跨いで、キースは潰れた喉でその右手に未だ熱量の収まらぬ炎をかき集めた。

 ユミエの本能が悟る。あれは危険だ。特大の熱量を、掌に収まるまで圧縮した業は、彼女の生存本能すら刺激する脅威。


「『収束』!」


 二人は同時に踏み込んだ。当然、速度で勝るユミエだが、先程の迎撃によってその差は殆ど皆無といってもいいくらいに縮まっていた。

 互いの必殺が炎の渦を砕いていく。燃える思考、キースは右手の熱をなりふり構わず突き出した。

 斬撃と炎が激突する。あまりの熱量と意志力によって質量を得た炎は、遂に見えぬ斬撃を正面から受け止めた。


「あ、は、はははははは!」


 渾身の袈裟切りに拮抗する灼熱。これまであったことのない異常な激突にユミエは発狂したように笑い狂った。

 これがある! 限界を振り絞ったその先、自分の限界を決めつけていたのは自分であって、本当の限界は限界のさらに向こう側なのだ。それを発揮した者には、最早規定の枠など意味はない。

 ランク? スキル? 経験? そんなのは二の次だ。精神論はクソだというリアリストに叩きつけてやろう。本物の覚悟と決死は、時として圧倒的な理不尽にすら拮抗するのだ。


「羨ましいわ! 羨ましいですわ!」


「『収束』ぁぁぁぁぁ!」


 互いに弾き合った刀と炎、再び振るわれる切っ先を、今度は左手に集めた質量ある炎で迎撃する。

 意識などないに等しかった。キースの体は本能で動いている。それが見えぬ斬撃を見切り、E-ランクとG-ランクという組み合わせに拮抗をもたらしていた。戦えているという意識すらない。爆炎が消え去る数秒の間を、二人は無限のときに伸ばして剣戟を交わしていた。

 だが拮抗しているとはいえ、それは一方的なものだ。速度で劣るキースは全ての斬撃に防御に回ってどうにか炎のように荒々しいユミエの怒涛を防いでいるにすぎなかった。

 炎が四散する。爆発より現れた二人が、その爆発内で尚戦っていたことに驚いたのは観客のみだ。いなほとミフネ、それぞれの陣営はそれを当然と受け止めていた。


「行け」


 熾烈な激闘だった。格下の限界値が、格上の通常の限界値に追いすがる。己の肉体を崩壊させ、放出する魔力によって精神を擦り減らし、脳髄を発狂させ、自身の魔法で体を焦がしながら。

 行くのだ。キースは行った。憧れを否定した今だからこそ、その憧れにようやく追いついたのだ。


「行けぇぇぇぇぇ! キィィィィィス!」


 いなほが叫ぶ。その声に応えるようにキースの目が再び輝きを取り戻した。

 もっと、もっと、まだまだ先へ。飛んで行け、足がつかないなら、この空の先の果てすら超えて行く。


「はぁぁぁぁぁ!」


 キースの渾身が、腕を切り裂かれながらもユミエの斬撃を吹き飛ばす。それでも、一撃を弾いただけで、ユミエには傷一つなく、キースのダメージは甚大だ。

 だがそれによって得た一言程度の時間が千金以上の価値となる。


「『収束』!」


 再びの収束は、正気の沙汰ではない。焦がされた体を、収束する炎がさらに焦がす。両手の指は炭化すらしていた。

 だがキースはまだ行けるという確信を持っていた。肉体は崩壊しても、脳髄が激痛を訴えていても、まだ一つ、限界への道筋こそ。

 白色に輝く異端の炎が現れる。自然界に存在する炎を越えたその力は、あらゆる異能を燃やし尽くす全焼の魔。術者の限界へと到達したその白炎は、顕現しただけでキースの体を溶かしていた。


「そこまで来ましたか!」


 だがユミエは臆さない。その余波にあぶられながら、殆ど露出した顔を赤く染め上げて真っ向から白炎とぶつかり合う。

 ぶつかり合った刹那、燃える白が飛び散り、紅桜の刀身が悲鳴をあげるように赤く熱を持った。

 まだ届かない。限界を迎えたキースの炎ですら、ユミエの全力には一歩も二歩も遅れていた。終わりは近いだろう。余力のあるうちに限界へと到達したキースは、後は落ちるしか出来ない。

 敗北の決まった出来レース。それでも持てる全てを叩きつけて、キースはユミエの魔技に追いすがる。


「もっと! もっともっともっとぉぉぉ! いいわ! 楽しませてくださいまし! さぁさその熱く滾るそれで私を貫いてくださいな!」


 狂乱の女剣客が加速する。キースの限界に引き上げられるように、ユミエもまた己の限界に向けて加速を始めていた。

 死を覚悟して、己を顧みず、でも届かない高さがある。意識のなくなった思考で、上から見下ろすようにキースは自分とユミエのそんな戦いを見つめていた。

 ほら、馬鹿げている。こんな戦いに喜ぶ奴らなんて極大のマゾだ。少なくとも、こうしてやりあっている今、二度とこんなことはしたくないと思う。

 でもこんなこと一度でもやってしまえば、死ぬ以外の選択肢なんてないも同じではないか。徐々に追いつけなくなった体が斬られていくのを見ながら、漠然と近づく死にキースは恐怖しつつも、呆れてしまった。

 ネムネ、もしまた会えたら、普通でいようぜ。分相応に、普通に普通を謳歌して、どうしようもない理不尽があったときだけ、立ち向かおう。自ら進んでこんなところにはいかないさ。

 本当に怖い。近づく死が怖い。激痛も怖い。もう嫌だと、逃げ出したい。でもとりあえず、今だけは、もう少しだけは、あいつのように、なってみよう。


「は、はは」


 声が漏れだす。斬られながら、燃やされながら、キースの口から漏れるそれは。


「あははははは!」


 歓喜の笑い、の出来損ないだった。無理矢理、強引に笑っている様は、激痛を訴える悲鳴にも似ていた。

 血反吐すら燃やしてキースは駆ける。痛覚は振り払った。肉と骨が弾けて砕ける音をBGMに、熱量の限りを尽くして再び追いすがる。

 ユミエの剣戟は加速する。キースは死の間際に至った全ての動きが停止しているような空間でも、辛うじて目で追える程度にしか遅くならぬ斬撃を、白い炎で受け止め、弾き、一秒後の生存を手繰り寄せる。

 もっと加速しろ。ノロマな体がもどかしい。あの速度に追いすがれ、ここまで来たんだ。体にある全部を全部、持って行ってしまえばいい。


「たまりませんわ!」


 言葉にならない意志が炎を通じてユミエに伝わる。感情を超越した意志の昂りに応じるように、ユミエは興奮のあまり刀を交える度に絶頂していた。

 気が狂いそうだ。普通の人間が、僅かな意地だけで狂気の思想に普通のまま拮抗する奇跡。そうだ、この少年は奇跡だ。宝石になろうと足掻く路傍の石。そして磨かれた石ころは、この域にある。己を擦り減らして削りきって、磨き上げた小さなナイフの光。

 それを手折れる歓喜をユミエは感じていた。強者を葬る歓喜も、弱者の限界が見せる光を砕く歓喜も、彼女にとっては等しく尊い喜び。

 さぁ殺してあげよう。微塵の容赦もなく、私の限界さえ見せてくれる貴方に感謝の斬撃を送ろう。もう、試合の領域を超えた。ユミエの思考は一点に飛び立つ。

 すなわち、キースの絶殺。少年の奮闘は、最悪な方向に狂気の修羅を引き上げてしまった。


「味わってくださいな……私の愛を!」


 遂にキースの集中力をユミエの斬撃速度が上回る。捉えられない一撃を白炎で受けられずに、キースの二の腕が深く切り裂かれた。

 その衝撃にたたらを踏むキースとの間合いを詰めて、柄を鳩尾に叩きこむ。九の字に曲がったキースの口から血と胃液の混ざったものが吐き出された。それでも容赦なく、ユミエは紅桜を掲げると、一気に振り下ろす。

 右手の白炎を炎上させて、辛うじて一撃を逸らすが、その代わりに顔面を蹴り飛ばされたキースはリングの上をゴミのように転がった。

 無意識で立ちあがる。直後、目の前にはユミエの姿。


「っ!」


 炎は間に合わない。限界を迎えた体はとうとう主の言うことを裏切り。


「あ、はぁ……ん」


 ユミエの口から扇情的な声が漏れた。ぶるぶるとその体は震えて、その足元には血液とは別の液体が静かに赤色と混ざっていた。肉を突き刺す歓喜にユミエは口から唾液を流すのを止めることもできなかった。キースの腹部に刺さった紅桜は、血を吸って背中から飛び出している。

 決着だ。重傷の上に刻まれた決定的な一撃は、試合の決着はおろか、キースの生命にすら終止符を打つほどだった。

 結果だけを見れば、キースは全身を隙間なく破損したにも関わらず、ユミエは爆炎にあぶられたことによる僅かな火傷があるくらいだ。衣服ごと強化してみせたユミエとキースの決定的な差。分かりきっていたランクという高い壁。初手から全力だったE-ランクに、数分にも満たぬとはいえ拮抗してみせたことこそ、冗談みたいな奇跡だった。

 白炎は失われている。キースは燃え尽きて、紅桜の支えがなくなった瞬間に地に伏した。

 誰も、何も言えぬ。試合の枠を超えた殺し合いを見せつけられた者は、審判すらもその決着を告げることなく呆けて。

 だから、まだ終わっていないのだ。ユミエは血の池に沈むキースの指先が動くのを見て愉悦を感じた。


「ネ、ムネ、ば、だだがっだ……!」


 喉に詰まった血と、焼け焦げた器官では発生すらままならない。放っておけば死に至りさえするというのに、しかしキースの白濁した瞳は未だ闘志を燃やしていた。


「おれ゛ば! ばだやれぅ!」


 意地と執念が、震える体を焚きつける。

 面白いとユミエは笑った。まだ楽しませてくれると言うのか。まだ行けるというのか。

 ならばこのまま行かせてもらおう。喜びに笑い、ユミエは必死に起き上がろうと足掻くキースに、止めの一撃を振り下ろした。


「止めろ」


 その一撃が、横合いから伸びた手によって止められた。神速の斬撃を振るう手を容易に掴んだ男は、恐ろしい殺気をまき散らしてユミエを睨んでいる。

 早森いなほは、笑うユミエの腕を放すと、横たわるキースの前に立った。

 ゴミ屑のように汚く、芋虫のように這う醜悪さ。その姿を無言で見降ろして、ぶつぶつとうわ言のように何かを呟くキースを優しく抱き上げた。


「待ってくださいな」


 そのままリングから出ようとするいなほの首に冷たい鉄が添えられる。振り返れば、珍しく憤怒の様相を浮かべたユミエが立っていた。


「それ、どけろよ」


「いやですわ。むしろいなほ様こそどいてくださいまし。その手に持つそれは、私の獲物ですわ」


「これ以上は必要ねぇ」


「彼はまだ戦いたがってますよ」


「これ以上は意味がねぇ」


「私と戦いたがっているのですわ」


「それ以上……吼えるなよ?」


 刹那、キースの体が空に舞い、ユミエの体が砲弾の如き勢いでリング外の壁に激突した。

 観客には一体何が起きたのかわからなかっただろう。辛うじて見えたのはアイリス、そして全てを正確に把握しているのはミフネといなほだけだ。

 僅かな間にリング上では想像を絶する死闘が行われた。いなほの戦闘態勢を察知したユミエが、見るに堪えぬ笑みのような形相でいなほに添えた紅桜を真横に振るった。

 だがそれよりも早くキースを上に放り投げたいなほは、屈むことで神速を回避すると、ユミエの反射神経を凌ぐ踏み込みでその懐に入り、手加減抜きの拳を放ったのだ。

 壁に埋もれたユミエは動かない。ミフネはちらりとその様子を見て、煙幕の向こうのユミエが、とりあえず生きているのだけ確認した。


「もう、ユミエったらずるいわね」


「まぁ、いなほ殿に怪我がなかったのは行幸といえよう。これで傷でもついていたら折檻していたがな」


「うふふ、だったらやっぱし私も突っ込めばよかったですわ。ホント、羨ましいユミエ、あんな戦いをした上で、いなほ様の熱い熱いアレを突っ込んでいただけたのですから……」


 クズのように吹き飛ばされたユミエへの思いはその程度でしかなかった。

 いなほは頭上に放ったキースをキャッチすると、リング外に出る。慌てて駆け寄ってきたアイリスとエリスは、キースの怪我の具合を見て言葉を失った。


「これは……」


「そんな……」


 両手の指は末端が完全になくなっていた。そうでなくても体中が裂傷と火傷まみれで、無事な部分など一つもない。辛うじて呼吸をしているが、一分もすれば絶命にいたるだろう。

 手の施しようがない。その事実に愕然とするアイリスだったが、いなほは別に焦った様子も見せずに、静かに「アト。いるんだろ?」と呟いた。


「預かっておくよ」


 まるで最初からいたかのように、いなほの隣にアート・アートは現れた。驚くアイリスとエリスは置いておき、いなほはアート・アートにキースと、ついでにネムネのことも頼んだ。

 アート・アートは無言でその場を後にする。普段のアート・アートからしたら珍しいが、それを気にかける程の余裕など、彼らにはなかった。

 アイリスはここまでの試合、という名目の殺し合いを見て、既にこれが大会の域を超えていることを察していた。


「いなほ。これはもう……」


「わーってる」


 全部、問題ないとばかりに、いなほは気軽に応じた。観客達も沈黙している始末だ。誰もが薄々と気付き始めているのだろう。

 これは健全な互いを高め合う戦いではないという事実に。

 それでも無言の空間でいなほは悠々と準備体操を始めていた。

 ここまでの戦い、いなほ側は結果を見れば二敗している。後がない状況で、最後の敵は最後にして最強の敵だ。


「いなほにぃさん……」


 エリスはそっといなほの手を握った。不安からではなく、ネムネとキースが見せた思いと共に、自分の気持ちも託すように。


「私は、まだ見てるだけしか出来ないけど……」


「あぁ、ここは一緒だ」


 リングの上にはミフネがもう立っている。審判も立ってはいるが、その顔はミフネが吐き出す物理的な圧力のある殺気によって蒼白となっていた。

 これより先は、これまで以上にまともではない。その予感を会場にいる全ての人間が感じた。

 そしていなほは歩き出した。同時に、あぁ糞ったれ、あんなことがあったのに、口元を抑えることが出来はしない。

 糞ったれは自分だ。そうだよキース、俺はクズだ。お前が、ネムネが、あんな目にあったってのに、今はもうこんなにも戦いに焦がれている。

 だから正解なんだよ。お前は、そうやってまともになってればいい。そうして後ろで、俺が振り返る景色を彩ってくれ。

 馬鹿は、もう足りている。今は小さくて情けねぇが、とびっきりの馬鹿が俺の傍にはいるから。だからお前は安心してまともでいろ。

 歓声はない。予選の大一番は静寂の中、二人の男だけが歓喜の声を、低く、鈍く、冷たく発していた。






次回、筋肉ヤンキーVSサムライ〇〇〇

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