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不倒不屈の不良勇者━ヤンキーヒーロー━  作者: トロ
第二章・第二部【SUPERYANKEE】
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第十四話【笑うとこ、好きだよ】

 戦いはその後問題もなく進んだ。

 ミフネたちのチーム剣客神楽は、人数は大会規定最低人数の三人でありながあら、その大会屈指の実力で、他のチームを圧倒して勝ち進み。

 いなほのチーム鉄の心も、ネムネは苦戦しつつも勝利を重ね、キース、いなほは危なげなく勝利することで、エリスに出番が来ることもなく勝ち進む。

 となればそれは出来レースの結果ともいえた。そして、大会に来ていた誰もが、この両者の戦いこそ、この大会全てを含んだ決勝戦であると感じていた。

 決勝戦とはいえ、所詮は本選に上がる代表を決めるものでしかない。なので本来は精々闘技場の半分程人間が入ればいいのだが、この戦いだけは本選と同じように、全席が埋まるという人数の観客が入っていた。

 マルクを救った英雄率いるチームと、謎の刀使いチームの対戦。現在最も注目されている二つのカードが、もうすぐ始まろうとしていた。


「……」


 リングの外でいなほ達は静かに向かい側のミフネ達を見据えていた。

 ここまで呆気ないといえば呆気なかったが、それも当然かといなほはミフネから視線を外さずに思った。

 結局、この大会は終始ミフネ・ルーンネスとの対峙のみを追い求めていたのだ。だからここに至る過程には意味もない。

 ミフネもまたいなほと同じようなことを考えていた。ここまで呆気なく、味気なく、しかし時間だけは長かったような気がする。

 しかし待つ時間もあと少しだ。直ぐにでも最高の戦いは始まるのだから。

 なので、ゆるりと楽しむといい。ミフネは静かにハナとユミエに笑いかけた。


「まぁ、折角ですし楽しませていただこうかしら」


「……仕方ないわね。ユミエ、今回は譲ってあげるわ」


 ユミエの視線はキースに向けられている。その視線の意味を感じたハナは、小さく溜息を吐きだすと、リングにゆっくりと上がった。

 それだけで恐怖が襲いかかる。キースはあの瞬間の絶望を思い出して、体が震えるのを抑えられなかった。

 駄目だ。駄目だ。殺されない? 試合だから大丈夫? そんなの都合のいい言い訳だ。あれはちょっとした拍子でこちらを殺しにかかる。

 だから戦わなくていい。無様に這いずりまわって、相手を飽きさせれば殺されなくてはすむはずだ。


「ネムネ……!」


 キースは震える体でネムネを止めようとして、それおりも早くキースの体を温かい何かが包み込んだ。


「やだなぁ……」


 キースに抱きついたネムネの体も震えていた。声もか細く、情けない。怖くて、駄目で、逃げ出しそうで。

 でも、繋ぎとめてほしい。いっそう力を込めてキースを抱きしめたネムネは、キースから伝わる震えを強引に止めた。


「震え、止まったデスね」


「ネムネ、俺……」


「いいじゃないですか。怖くて、情けなくて、逃げようとしても、いいデス。もしキースが自分でそれを選ぶなら、それでも私は、変わらないデス」


 まくしたてる。そうしないと弱気な心が出て、キースがまた揺らいでしまうから。


「ねぇキース。今更デスけど、私、初めて会ったとき、キースのこと嫌いだったデス」


「なぁ、ネムネ。俺、俺さ」


「でも、あの依頼から頑張ってきたキースは、大好きデスよ」


 だから、見ていて。

 ネムネはキースから離れると、何か言おうとして言葉に詰まるキースに背を向けて、リングに上がった。


「青春ですわねぇ。羨ましいですわ」


「……そんなこと、思ってるわけでもない癖に」


 ネムネの辛辣な物言いに笑うハナ。その笑みは、ネムネの言い分を肯定していた。

 ハナ・カゼハナは戦いに欲情し、戦いに恋している。ともすれば、普通の青春なんて、取るに足らないものでしかないのだ。


「別に、くだらないと思ってるわけではないですよ?」


 自分にはそんなものが入る余分がないだけで。


「ただ、私の生きがいは、ミフネ様に仕えること」


 腰の短刀が引き抜かれる。

 同時に、心胆を凍らせる殺気がネムネにぶつけられた。

 冷や汗が滲みでて歯が上手く噛みあわない。それでも踏みとどまるネムネの姿が、ハナの頬を赤く染め上げさせた。


「そして、貴女のような強い人を斬ることだけだということ」


 この愛刀には、強き心と体が相応しい。

 弱いながらも、それでも抗おうとするその心は、ハナが斬るに値する輝きだ。


「心鉄刀匠、風花家が百三代目当主、ハナ・カゼハナ」


 今、再びその名乗りが謳われる。それはミフネ達が敵と認めたものへとする最大限の敬意にして、敵対者への死刑宣告。

 美しい歌を最後に、せめて最後は美しく散れ。


「初代当主、キリエ・カゼハナが遺作の一。心身合刀『打雪─うちゆき─』、そして同じく心身合刀『咲風─さきかぜ─』」


 試合開始の合図がされる。ネムネは咄嗟にガントレットに魔力を込めて爪を展開し、強化の魔法も唱えた。

 だがハナはそんなネムネとは違い、二刀を構えただけで静かに、しかし隙が微塵もない立ち姿で踏み込んだ。


「そんな……っ」


「では、一手」


 決して目を放してはいなかった。なのにネムネの目の前にはハナが立っていて、その小太刀は両方とも翼のように左右に広がっていた。


「馳走いたしますわ」


 見えぬ斬撃がネムネを襲う。容赦もなく放たれた一撃は、ネムネに何の抵抗もなく敗北を送る。

 だがその未来は、ネムネが掲げたガントレットによって阻まれた。

 ハナの小太刀が鈍い音を響かせる。その音にネムネとハナ、両者は等しく驚きを覚えた。

 名はなくとも、頑強さだけで言えばトロールの一撃を何度受けようがビクともしないそのガントレットが、辛くもネムネを救ったのだ。


「う、」


「っ……」


「わ、ぁぁぁぁぁぁぁ!」


 先に動いたのはネムネだった。理性で動くハナとは違い、生存本能が脊髄反射でネムネを突き動かして先手を取らせたのだ。

 強者が見せる僅かな隙、決してネムネを侮っていたわけではない。だがハナはよく見ればわかったはずのガントレットの性能を見るのを忘れ、強化の魔法はする必要はないと判断した。

 それが決定的な弱点となる。奇跡の積み重ねが生んだ唯一無二の絶好。

 単純な力の差がそのまま表れ、ユミエの両腕が大きく弾かれた。まるで抱擁するように広げられた手の内側に反射的に動いたネムネの体がするりと入りこむ。

 魔力が収束した。桃色の光はネムネの背後で巨大な魔法陣となる。その光に目を奪われ、ハナは絶句した。

 あり得ない。光速化した思考でその魔法陣を読みとる。それは、端的に言えば射出の魔法陣だ。たったそれだけの、それ以外の用途はない魔法。

 だがこの場合、状況が最悪だった。魔法陣自体は、学生にも出来る簡単なものでしかない。しかし、ハナの経験則から来るこの後の展開予測は、まさに彼女が瞬時に思いついたままの通りに、最悪な道筋をなぞる。


「うぁぁぁぁぁぁ!」


 桃色の魔法陣が白熱して発動する。

 ネムネはハナの腹に刃を添えると跳ねるように前方へ吹き飛んだ。

 強化の魔法のみでは足りぬと考えていたからこそ考え出した、ネムネに今出来る最大の攻撃。

 本来、普通に撃ったとしても、軽くいなされるだけだっただろう。零距離で撃とうにも、その時には自分は切り裂かれているはずだった。

 だが奇跡が重なって、必殺の機会はネムネの元に転がり込んできた。

 着物を突き破り、ハナの腹に深々と合計六つの刃が突き刺さった。それだけでは止まらずに、弾丸となったネムネは、勢いを止めずに木の葉のようにハナの体を吹き飛ばした。

 リングを転がるように吹き飛んだハナの飛んだ後には、血の道が続いている。確実にダメージは刻まれ、最早ハナの敗北は確実に見えた。


「……ガハッ」


 特攻をしたネムネも、反動でリングを転がり、切った口から血を吐きだした。

 射出の魔法は、単純であるがゆえにその威力は絶大だ。そこそこの質量の物を射出すれば、城壁に穴を穿つこともできるだろう。

 だが、射出された物もただでは済まない。ネムネは両腕を走る激痛に顔をしかめて蹲った。

 ガントレットには傷はないが、それを纏う両腕、そして体中に走る痛みは、耐えがたい痛みをネムネに与えている。

 それでも立ち上がらなければならない。勝ったんだと、運の要素が強すぎて、実力での勝利とは言い難いけど、それでも無謀の先にある勝利はここにあるんだとキースに言おうとして。


「くひ」


 聞こえてきたのは、恐るべき冷気の宿った笑い声だった。

 痛みの走る半身を何とか起こしたネムネは、その笑い声の方向を向いて、愕然とする。


「痛いですわ。痛いですわ。痛いですわ。痛いですわ」


 幽鬼のように起き上がったハナが、まるでダメージなどないといった様子で笑っている。

 いや、それはないはずだ。現に彼女はネムネの特攻によって、腹を抉られ、溢れ出る出血は一向に止まってはおらず、口からも鼻からも眼球からすら出血している。

 そのまま放っておけば死ぬような重傷だ。

 それでも笑っている。痛い痛いと言いながら、悪魔のように笑っている。

 特攻によって、ハナの着ていた着物はズタズタに吹き飛んでいた。辛うじて被っているニット帽と、帯も含めた下半身の着物部分は残っているが、それでも上半分の着物は使い古した雑巾のようにリングの外へと漂っている。

 白く、細く、芸術品のように美しい上半身は隠すところもなく晒されている。だがそれを見る観客は誰も欲情するでもなく、むしろその恐ろしさに震えていた。

 腹に刻まれた六つの傷跡から流れる血と、張り付けられた壮絶な表情が、彼女の美しさを狂気の鬼のそれへと変貌させていたのだ。

 解き放たれた青い魔力は、色の通りの冷気を放っているようだった。ハナは吹き飛ばされたと同時に強化の魔法を唱えることで、ぎりぎりのところで致命傷を避けたのであった。

 それでもダメージは大きい。腹の傷はどうにか塞がってきたが、それは表面上のことでしかない。

 次々に口に熱血が込み上げてくる。その味を堪能しながら、震えながらも立ち上がったネムネへと惜しみない称賛の念を送る。


「油断、慢心、手心。あるいはそれ以外の何か……結果的に、私は貴女という人を見誤っていたようですわね」


「ッ……」


 ネムネは震える足で、少しでも時間を稼ごうと後ろに下がる。

 それを負うようにして、一歩一歩ハナは歩み寄る。攻撃をした側が追い込まれ、攻撃を受けた側が追い込むという非常識な構図。

 だがそれも当然だ。強化の魔法を使っていなかったとはいえ、ネムネの相手はE-ランク。本来、相対した時点で敗北が確定する化け物なのだから。

 キースはもう我慢が出来なかった。もういいだろうと、あの化け物をここまで追い込んだのだ。それでいい、充分だ。だから棄権してもいい。そんなことを叫ぼうとリングに詰め寄ろうとして、いなほの手がその動きを遮った。

 キースは怒りの形相でいなほを睨む。何で、もういいだろ、もう十分だ。


「どけよ! ネムネは頑張っただろ!? でもあいつは立ちあがっちまった! 奇跡は二度も起こらないんだ!」


「……」


「ハヤモリ!」


 いなほは答えない。その表情はネムネのみに向けられていた。

 釣られるように、キースもまたネムネの背中を見た。震えながらも、怯えながらも、それでもまだ持ちあがった両腕。キースやいなほにはまるで届かない細く弱いその体で、手負いの化け物とまだ対峙するその背中。


「……見届けろ」


 いなほは、静かに呟いた。観客の声にかき消されるように小さい声だというのに、その声はどうしてかキースの耳に響き渡る。

 ありがとうと、ネムネはこの時だけいなほに感謝して、再び魔法陣を展開する。


「二度も通じるとお思いで?」


「一度も通じると思ってなかったくせに」


 ハナは口元を絞るようにして笑った。能面のように冷たい微笑みだ。

 その体に刻まれているダメージはネムネのそれを遥かに超えているというのに、震えるネムネと違ってハナは微動だにしない。

 先程までも、決して戯れのつもりはなかった。結果としてあり得ぬ事態が起きているのであれば、やはり自分は油断していたのか。

 どちらでもいい。ハナは堂々巡りになる思考の一切を手放した。口の三日月と同じ軌道を右腕の小太刀がなぞって翼のように肩の高さまで掲げられた。

 腹から滴る血を、空いた左腕の小太刀で掬いながら、ハナは見せつけるようにその体に刃を這わせた。真っ赤な腹を抜けてから、小さくも存在を主張する乳房の間を通り、口元に持っていた刃に付着した赤を舐める。


「どうしましょう……!」


 官能の刺激にハナは背筋を震わせた。どこにそんな血液が残っていたのか、青白かった頬は再び情欲によって真っ赤にほてる。

 異常者の痴態は、狂乱の舞踏だ。体の傷に構わずに、ハナはその場で何度か小太刀を振るった。

 その速度はネムネには追えない。重傷を負って尚衰えぬ速度ではない。

 重傷故に限界を超えた速度。狂信的な戦闘への渇望。手負いこそが戦闘者の絶好調。

 止めなければいつまでも続くか思えた見えぬ斬撃の演舞は、停止ボタンを押したように突如として停止した。


「イっちゃった」


 その言葉と共に、ハナ・カゼハナの斬撃がネムネの体に無数の傷をつけた。

 体の至るところが引き裂かれ、鮮血が舞うその瞬間を見ても、ネムネは自分が切られたということに気付かなかった。

 いつの間にかハナが目の前にいて、いつの間にかその小太刀が彼女とは別の血で濡れていて。

 激痛。


「ひ、ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」


 痛みに気絶することすら許さない。そのぎりぎりを見極めた斬撃の雨は、ハナにとって心地よい歌を、他の者にとっては聞くに堪えない歌を会場に響かせる。

 ネムネは痛みに気絶することもできずに膝を屈した。きっと今の自分は、斬られていないところを探すほうが難しいくらいの重傷を負っている。

 激痛に塗り潰される思考の中、凶刃を翻すハナを視界の隅に見つけ、ネムネは咄嗟に展開していた射出の魔法陣を発動した。

 ハナの二撃目が来る前に、ネムネはリングの端まで飛んだ。石の床で強かに体を傷つけ、切り裂かれた傷が開いて、総身を再び痛みが突き抜ける。


「──ッッ!」


 今度の悲鳴は声にすらならなかった。体を抑え込んで痛みに耐えるネムネの姿を、嗜虐的に楽しむハナ。

 朦朧とする意識の隅で、ネムネは必死に恐怖と戦っていた。

 怖い怖い。試合だというのに殺される。何であんな見栄を張ったのだろう。やはりあの時キースが言った通りに棄権していればよかった。あんな化け物と戦うなんて愚かすぎて笑えない。自殺志願者ですらあんな化け物には立ち向かわないだろう。本当に馬鹿だ。こんな意味のないことを、意味のないままに続けて。もしかしたら勝てるかもとか思ったけど、そんなことは幻想でしかなかった。この結末は当然だ。Hランクの自分が、E-ランクに挑むことこそが可笑しい。もうやめよう。逃げてもいい。私は頑張ったよね。頑張ったから、もうここで。


「……って、わけにもいかないデスよね」


 弱気を振り払って、ネムネは痛む頬を無理矢理笑みに変えてみせた。

 そうだ。キースの代わりに無謀を歌うと決めた。それはつまり、自分はあのいけすかない筋肉ヤンキーにならないといけないということだ。

 だったら笑え。どんなことがあっても笑え。大胆不敵に、傲岸不遜に、笑って笑って……起きあがれ。


「ぎ、ぃぃぃ、ぁぁぁぁ!」


 渾身の力を込めて立ち上がる。歯を食いしばって、全身から血を噴出させながら、ネムネ・スラープは立つ。

 笑って、笑って、泣き顔で笑う。恐怖は浮かんだまま、逃げ出したい気持ちもそのまま、それでも笑えば、踏み止まるくらいは出来た。


「すてき」


 ハナはその姿に感動した。あらゆる絶望の感情が手に取るようにわかる。その様々な感情をおさえつけ、それでも笑うネムネの極限のやせ我慢にハナは震えた。

 ランクなど関係ない。こうなった人間の強さは無限大だ。


「全く、私の目も節穴でしたわね」


 そも、あのいなほが選んだ人間が普通であるはずがない。その可能性にもっと早く気付いていれば、もっと楽しい戦いができたはずだ。

 それも含めて時の運だが。今はこの状況に感謝しよう。


「青春っていいわね」


 その原動力に感謝を。ネムネと再び対峙したハナの剣閃が走る。立ち上がるだけで精いっぱいなネムネには、もうそれに応じる余裕などどこにもなく──

 肩から下腹部まで走る閃光。遅れて吐きだされる命の赤。


「あ、わた……」


 落ちる体を支えられずに、ネムネはついに倒れた。

 劇的なものなど何処にもない。最初のそれこそ劇的ではあったが、所詮は奇跡的な隙が生んだ偶然。それがなくなった時点で、この呆気ない結末はわかりきっていたことだった。

 キースにはそんな光景が舞台の上での出来事のように、遠くの出来事に感じられていた。

 だが落ちる体と、そこから零れ落ちる血が、その何もかもが現実であることを如実に伝えていて。


「ネムネ……」


 糸の切れた人形は動かない。意志という鋼の糸を断ち切られたその体は、死人のように指先一つ動かなくて。


「ネムネぇぇぇぇぇ!」


 キースは堪らず走り出した。試合終了の合図も聞いてはいない。縋りつくようにネムネへと駆け寄ったキースは、急いで回復魔法をネムネにかける。


「あ、キー、ス……」


 回復魔法の暖かい光とキースの体に包まれて、ネムネは朦朧とした意識を辛うじて繋いでいた。

 エリスも駆け寄って回復魔法をかけるが、ネムネの霞んだ瞳の色はゆっくりと、だが確実にその色を失い始めていた。


「ネムネ! おいネムネ!」


 必死の呼びかけに笑って答えるネムネ。どうして、どうしてお前は笑っていられる。あんな目にあって、結局どうにもならなくて。


「どうして……!」


「えへ、へ……やっぱ、私、は、いなほさんには、なれなかった、デスね」


「俺、俺が大会に誘ったりしなかったら……」


「……違う、デスよ。キースは、悪く、ないデス」


 涙を浮かべて懺悔するキースの頬を、ネムネは血に濡れた手でそっと撫でた。

 それだけが限界だったのか、ずるりと滑り落ちた掌の軌跡に沿って、キースの頬に赤い線がつく。

 温かみの失われた血液は、冷え冷えとキースの体温を奪った。血の赤の生ぬるさを感じない。ネムネを抱き上げたその体にも血液は溶けていく。

 これでは、自分がネムネの命を吸い取っているようではないか。そんな馬鹿げたことに恐怖して、キースは喉を引きつらせた。

 そんなキースを安心させるように、ネムネは可能な限り笑ってみせる。霞む意識の中で、せめて、彼がその憧れを否定しないように。もう少しだけ愚かな夢を見られるように。


「笑って」


「え?」


「笑うとこ、好きだよ」


 眠るように、ネムネの瞼はそっと閉じられた。


「ネムネ……! おいネムネ!」


 最悪な事態を想像してキースが必死にネムネに呼びかける。そんな彼の動きを止めたのは、野太い腕だった。


「気絶してるだけだ」


 いなほは僅かに上下するネムネの胸を見てそう言った。出血は酷い、だがそれもキースとエリス治療によって傷口はふさがっている。血が足りなくて意識を保つことが出来なくなったのだろう。

 いなほはキースの手からネムネを預かった。「あっ」とキースが何か言おうとするが、それを遮っていなほは背中越しに語る。


「ビビってるな」


「……」


「ケッ、つまんねぇ奴だよテメェは」


 吐き捨てるようなその言い方に、キースは胸の内側から込み上げる何かを感じた。


「それの何が、悪いんだよ……! ビビって悪いのかよ!?」


「あぁ、そんなのカスがすることだ」


 いなほは無慈悲にそう断じた。余計に怒りが沸き上がる。


「テメェは! テメェは!」


「んだ? 文句でもあんのか?」


 振り返ったいなほの顔には、隠しきれない侮蔑の表情が浮かんでいた。

 つまらない奴を相手にするのも疲れる。その視線がキースを縛っていた恐怖を、一時とはいえ忘れさせた。


「離せ」


「あ?」


「テメェみたいな奴に、ネムネは任せられない」


「ハッ、何を言うかと思ったらなんだテメェ。こんないい女をテメェみたいな不抜けに任せるほうがありえねぇよ」


 当然だとばかりにいなほは主張する。カスはカスらしく黙ってろと。

 その暴虐な態度にキースは食いかかった。短杖を掲げて、魔力を充実させていなほに突きつける。

 肌に感じる確かな殺気。それを感じて黙ってられるほどいなほは穏やかではない。たちまち、キースが放つそれより遥かに圧倒的な殺気が充満し始めた。


「冗談って言うんなら、まだ間に合うぜ?」


 本気だ。キースはいなほの全力の殺気を受けて、勢いよくしぼんでいく己の闘志を感じて、でもどうしようもなく吹き出す汗と震える手を抑えられなかった。


「結局そういうことだよ。テメェはまともな坊っちゃんでしかねぇ」


 返す言葉がない。悔しかった。それは事実で、自分は不可能に立ち向かえる程いかれた神経は持ち合わせていない。

 どこまでも小市民。どこまでも優等生止まり。


「だから、どうした」


 だというのに、口はいつの間にか反抗の狼煙を告げていた。


「だから、どうした!」


 震えながら、怯えながら、涙さえ堪えながら、だからどうした。

 そうだ。だからどうした。俺は俺で、アンタじゃないんだ。ビビって、震えて、逃げ出そうとして、ネムネを見ることしかできなくて、そんな彼女が意識をなくす間際の言葉すら無碍にしようとして。

 だからどうした。俺は俺だ。


「カスはテメェだハヤモリ。いかれた思考するくらいならな。利口な坊っちゃんのほうが比べるまでもなく最高に決まってるじゃねぇか!」


 早森いなほの価値観では、確かにビビっている自分は情けなく、つまらないのだろう。

 でもそれはアンタの価値観だ。俺はアンタの価値観に捉われた都合のいい糞ガキになるつもりはさらさらない。

 だからその手を離せ。無言で睨みつけてくるキースを暫く見つめたいなほは。


「ほらよ」


 特に何か言うでもなく、あっさりとネムネをキースに手渡した。


「え、どわ!?」


 突然ネムネを投げ渡されてバランスを崩すが、どうにかその場で踏みとどまる。

 唖然とキースはいなほを見た。一体、何が起きたというのか。


 その顔には弟の成長を喜ぶ兄のような、そんな暖かな笑みが浮かんでいる。


「わかってきたじゃねぇか」


「はっ?」


「いいんだよ。俺にカスだなんだ言われても、それを直す必要なんてねぇ。つーかテメェの言うとおりだよキース。俺や、あいつらみたいなやり方はな……いかれてる。まともじゃねぇ」


 己の闘争本能のままに、己よりも強い者を欲しがる。それは確実に破滅をもたらす。物語の主役でもない限り生き抜けない地獄の道だ。

 だから、いなほはネムネやキースのような、自分の価値観と相いれない者でありながら、それでも本当の理不尽には、怯えと震えを抱きながらも立ち向かう強さを持った彼らが好ましかった。


「だからよ。テメェはテメェのやり方でやれ。やるのも勝手だ。逃げるのも勝手だ」


「……逃げたらどうすんだよ」


「鼻で笑ってやるよカス野郎」


 だが、それに左右されることはないのだ。誰に何と言われようとも、自分の中にある信念だけは変えてはならない。それに伴う行動なら、例え逃避であろうとも恥ずべきことではないのだから。

 詰られても、蔑まれても、それでも信念を変えないこと。それだけは、万人に必要な共通の在り方だ。


「……笑えってさ」


「……」


「こいつ、俺が笑ってるの、好きとかさ……クソ。ホント勝手な奴だよな」


 でも、託されたのだろう。

 なぁネムネ。俺、わかったんだ。この憧れを目指すことは間違いで、いや、そもそも憧れは目指すものではないってことに気づいたんだ。憧れは指針にもならない。憧れは、いつまでも憧れで、道を進むための燃料にしかならない。

 俺には俺の道があるんだ。誰に呆れられても、それでも貫ける道があるはずなんだ。

 もしかしたらその道はつまらなくて、ありきたりなものかもしれないけど。


「笑う、か」


 あぁきっと、笑うということはそういうことなんだ。

 修羅のように笑うことも。

 慈愛の女神のような微笑みも。

 どちらも、信念に基づくのなら、きっとその笑顔の在り方は一緒なんだ。

 貫いているから笑える。その生き方に悔いがないから笑える。


「難しいな」


 今は無理だ。そんなことが一朝一夕で出来るわけがない。理不尽を笑うという理不尽。その意味を理解しても、実際にするには、俺の心はまだ右往左往していて。

 でも、真似ごとだけは出来るはずだ。

 リング外にネムネを運んだキースは、いつの間にか来たのか、目の前に現れたアイリスにそっと手渡した。


「キース……」


「あの依頼から、変わったんですけどね俺……やっぱし、また間違えていたみたいです」


 再びリングに向き直る。アイリスは何も言わなかった。いや、言う必要がなかった。

 その背中は、少しだけ大きくなっていた。今でも逃げたい気持ちはあるのに、それでも今の彼を突き動かすのは、少女の残したかけがえのない言葉。

 リングに上がったところで、降りようとするいなほとすれ違う。


「勝てよ?」


「そりゃ無理だ」


 いなほは不愉快そうに眉を潜めるが、直後にキースの背中を軽く小突いた。


「ホント、気に入らねぇカスになったぜテメェ。ケッ、つまんねぇの」


「ぶっちゃけるけどよ……俺、アンタになりたかったぜ」


 言うのもはばかられていた思いは、簡単に口から出た。

 そして返ってくるのは、やはり当然な呆れ声。


「そりゃ無理だ。俺は俺で、他の奴らは全員カスなんだよ」


次回、立ち向かうということ。または理不尽の現実。



魔法の説明


射出。

初歩の魔法だが、使い勝手のよさは結構な物で、攻撃手段としてはそこそこに優秀。ただし質量が増大するごとに魔力量は増え、さらに射出ごとに魔力を消費するため、最終的には強化の魔法を使って殴ったほうが効率的にもいいのがわかるため、使う者はほとんどいない。

とはいえ、今回のネムネのやり方のように、時と場合によっては格上にすら十分ダメージを与えられるほどの威力を瞬間的にだが出せるので、ある意味学生レベルの切り札的魔法。

ただし、普通は持っている武器を射出するとかそういうものであり、ネムネのように自らを飛ばすというやり方をする者はほとんどいない。

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