第十三話【一緒に戦おう?】
「……」
「……」
暫く二人は沈黙した。だがそんな空気を和ますように、キースは無理矢理わらった。
「ったくよ。言うだけ言って帰るとか、むしろ俺達のこと応援してないんじゃね?」
「あはー、そうかもしれないデスね」
互いに苦笑し合う。「気分転換に、外行かないか?」キースがそう提案すると、ネムネは頷いて立ち上がった。
そして並んで部屋を出て行く。待合室の外にはまだ大勢の参加者がいた。出来るだけ緊張をほぐそうとしているのか、場違いに空気は軽い。
二人もその空気に当てられたように落ち込んでいた気分を明るくさせていっていた。そうだ、相手が誰であろうとも、やってみるまでは決してわからないのだ。
そう決意を改めた直後であった。場の空気が一転する。誰もがその空気にあてられ、その発生源を見た。
そこには試合を終えて戻ってきたミフネとカゼハナ姉妹がいた。場の雰囲気とは違い、彼らはにこやかに談笑しながら気軽に歩いている。
と、その視線が立ちすくむキースとネムネに向けられた。本能的に走る震え、キースとネムネがどうしようか考えあぐねていると、カゼハナ姉妹が友人にするような気軽さで手を振ってきた。
「あらごきげんようキース様」
傍に近寄ってきたハナがしとやかに礼をする。キースが返礼も上手く出来ずにいると、ハナの隣にいたユミエがネムネのほうを見た。
「こちらは……あぁ、ミフネ様の気当たりで倒れてしまった……あの時は申しわけありませんでした。主人に代わってお詫びしますわ」
ハナとユミエはそう言うと、深く頭を下げた。それだけ見れば、珍妙な格好はしているものの、どこかの令嬢にしか見えないだろう。
だが場の空気に当てられて、ネムネもまた対応の仕方を決めあぐねていた。それに、モニター越しとはいえ、一回戦での戦いはまだ覚えている。
「これは……ねぇ姉さん。どうしましょ、私たち、ちょっと遊び過ぎたかもしれませんわ」
「そうね。皆々様に至っては驚かれている様子……もう少し抑えればよかったかしら?」
「でも私、ちょっとお茶目はしましたけど、可能な限り手加減いたしましたわよ?」
「私は……ユミエと違ってはしゃぎすぎてしまったかしら。でも私、子どもとのじゃれあいかたは知らなくて……」
静かすぎる空気にようやく気付いたとばかりに話しあうカゼハナ姉妹。そこに悪気はないのだろう。
だが明らかに下に見られていると感じたキースの自尊心は、ぎりぎりのところでその恐怖に打ち勝った。
「ふざけるなよ……!」
怒りのままにキースはカゼハナ姉妹に詰め寄る。意外とばかりに目を見開く二人を、怒りに震える手で指差して、吼える。
「子どもとのじゃれあいだ? 舐めんな。確かにテメェらにとってはガキかもしれないけど、あいつらも必死だったんだ!」
「……へぇ」
ユミエの目がその啖呵を聞いて刀のように鋭くなる。そこから僅かに漏れだす殺気だけで、キースは堪らず後ろに引きそうになって、負けん気を総動員して堪える。
それは確かに勇気ある行動だっただろう。いなほのように、格上にも恐れず向かう胆力は、物語としては輝かしい行いに違いない。
だが、それは勇気である一方で、蛮勇でしかなかった。ユミエの殺気が膨れ上がる。キースにとって最悪だったのは、ユミエはいなほという極上と戦えないフラストレーションが溜まっていたことと、ついさっきまで戦っていたということ。
瞬間、腰の刀が抜かれるのをキースは捉える事が出来なかった。最短距離で走る刃は、違えることなくキースの首をはねる軌道を描き。
「抑えろ」
キースの首に刃が吸い込まれる。その直前で刃は停止していた。
確実に首を飛ばす斬撃を止めたのは、いつの間にか隣まで来たミフネの大太刀であった。
「あ……」
キースは首に感じる鉄の冷たさと、僅かに裂かれた首から滴る血の熱さに恐怖すら感じられずに固まった。
「ユミエ……」
ミフネが冷ややかにユミエを見下ろす。僅かに体を震わせたユミエは、それだけで委縮してすぐさま刀を仕舞った。
「全く、駄々に反応するな……だからいつまでたっても神楽すらろくに使えないのだ」
「……うぅ。申し訳ありませんわ」
「謝るなら彼に。すまぬなキース殿。この通り連れはいつ暴走するかわからなくてな。あまり刺激しないほうが、身のためだ……それと、お主のために言っておくが──お主のそれは、英雄の真似をする子どものそれでしかない。身の丈に合わぬ無謀を吼えるには、いささか以上に覚悟が足りぬし、お主はあまりにも、まともすぎる」
返す言葉はなかった。その通りなのだろう。いなほのように覇を唱えるには、キースの心は普通すぎる。
決して弱いわけでも、悪いわけでもない。だがキースのそれは分不相応だ。いなほは、例えどれだけ敵が強くても、心の底から己のほうが強いと信じている。だから容易く挑めるし、逃げもしない。
しかしキースはそれに憧れているだけだ。己をわきまえているし、出来ないことは出来ないと心の奥底では理解している。
それを指摘された。わかっていて、薄々と気付きながらも、それでも認めずに強がっていた全てを見抜かれている。
だがそんなキースをミフネは笑ったりも、怒ったりも、呆れたりもしなかった。
それゆえに、いいのだと。その不相応を肯定する。好奇心という名の戦意がキースに叩きつけられた。
「愚かしく、だが真っ直ぐなその在り方を拙者は好む。これは試練だ、キース殿。今、ユミエと拙者が現実をお主に教えた。それでも尚、馬鹿げている思想に取りつかれるのなら……」
お主は、拙者の敵になる。
そう言ってミフネ達はキースを追い抜いてそのまま歩き去っていった。
「……正直、あいつらと戦うって前提が間違えてたのかもしれない」
いなほに喝を入れられたときとはまるで逆の言い分だった。本物の殺意を受けたことのあるキースはわかる。
いなほのように啖呵を切って、そのせいで殺されかけたあの瞬間、キースは本物の絶望を味わった。そこには恐怖すらない。死ぬことへの空虚、突きつけられる終わり。未だ血が流れる首筋を触れて、ようやく震えが走る。
これが絶望だ。恐怖を超えた何か。最悪である死を抗いようもなく振り下ろされる現実。いなほの行う啖呵は、常にこれと同一なのだと気づいた。
格上に挑むとは、死が確定しているということに違いない。そして、ミフネの言葉が、自分は憧れを抱いているだけで、いなほにはなれないのだということを無理矢理理解させられた。
「ネムネ。お前は棄権しろ。多分、殺されたりはしないだろうけど、負けるとわかってる戦いに突っ込むのは、あぁそうだ。さっきの俺がそうだったように、ただの無茶で無謀で、蛮勇だ」
その言葉に、ネムネは驚くでもなく、それが普通だと納得した。だがその苦痛にまみれた顔を見て、返す言葉はなかった。
きっといなほはキースのこの決断を許さぬだろう。無茶も無謀も、だからこそやるのだと、そう言うのだろう。
だがそれは愚かなのだ。強者だからこそ言える真理なのだ。
「よくわかったよ。アトさんの話を聞いて、あいつらに俺の現実を見せつけられてわかった……俺は、あの場所へは行けない」
キースは己の領分を知った。世界は理不尽で、その理不尽に理不尽な方法で立ち向かえる者なんて、殆ど存在しない。
「畜生……」
キースはそんな自分が許せなくて悪態をついた。わかった事実を認めたことが屈辱だった。いなほのいるところへ行くと決めた。その思いは嘘ではないのに、その思いが無謀で無茶だと理解してしまう。
悔しかった。何より、こんなことを呟いた今の自分をいなほに見られて、呆れられるのが辛かった。
「キース……」
ネムネはそんなキースの弱気な発言に応える言葉がなかった。
別に、棄権することは問題ない。ネムネ自身も、あんなあっさりと殺しにかかろうとする殺人鬼がいるミフネ達のチームと戦うなどはっきり言ってお断りだ。だからそれ自体はいい。
いいのだが。
「……クソ」
項垂れるキースは、いなほを意識しすぎている。あんなように強くなりたいと願っている。そんな彼にただ手拍子に「キースの言うとおり棄権するデス」などとどうして言えようか。
ネムネは、キースとは違う悔しさを覚えていた。そして同時に、キースをこんなにした早森いなほという男への怒りも覚えていた。
確かに、これまでいなほを目標としてひたむきに努力をしてきたキースは魅力的で、その目標となったいなほには感謝もしている。一緒に依頼を受けるまではいけすかない男だった彼をここまで変えたのはいなほの圧倒的な実力と、その実力を元に行われる行動力だ。
だがそれが今キースを追い詰めている。いなほのようになりたいのに、それは無理で、自分がいなほのようにはなれないことに、キースは苛まれている。
自分はいい。個人的にはいなほのことは苦手なので、嫌われることへの恐怖はない。でも、キースは違うのだ。口ではなんや言っていても、憧れを覚えている。
だから悩んでいる。逃げることを忌避している男を目指しているから。
伝える言葉が分からない。逃げてもいいんだよとはいえないのだ。キースは生まれ変わった。憧れる対象は間違えたけど、それでも好まれる人間へと成長した。だからこその悩みなのだ。成長したからこそ出た答え。それは成長したから得られる正しい選択なのに、憧れがそれを阻む。
いなほの価値観は毒だ。その生き方は鮮烈で、圧倒的で、こうありたいと願われる。
だがそれは究極のエゴでもある。不可能の壁へ立ち向かい、打ち破る様は、なるほど、物語に語られる勇者のそれだろう。
しかしそれは決して正しくはない。不可能は避けるべきで、無謀は行うべきではなく、無茶は極力控えるのが、正しい人間の生き方だ。
キースはそれに気付いただけなのだ。その考えは決して間違ってはいない。だが、それは英雄の価値観にはそぐわない。
成長の切っ掛けとなった水が、芽吹いた花を焼く毒の水。だがもうキースはもうその水なくしては生きれらないのだ。
そんな彼に自分が出来ることは何だろう。沈黙と空白、数分ほどの静寂の後、ネムネは静かに口を開いた。
「私は……」
結局、言葉は思いつかなかった。泣きそうな表情で自分を見るキースを見て笑う。
その間違えを正すなら、ネムネはキースと共に棄権するべきだ。その後、キースは暫く落ち込み、自棄になるかもしれないが、自分がしっかり支えてあげれば、いつか再び立ち上がる。彼は愚かなことを愚かだとわかった。そんな彼だからこそ、きっと立ち上がることは可能で、その時、彼は人間として大きく成長するだろう。
あわよくば、支えている間に彼ともっと深い関係になれるかもしれない。そんな打算も浮かんで、ネムネは自嘲した。
それでも、彼が挫ける姿を見たくないのは、きっと私の我がままなのだろう。
「戦うよ。キース、私、戦う」
私にはキースのような己の身すら壊す愚かで綺麗な願望も、いなほのような強靭な力と信念も、エリスのようにありのままな強さも、アイリスのような経験も、全部が全部足りないけど。
それでも、君のためならちょっぴり頑張れる。
「ね? 挫けないで、一緒に戦おう?」
キースが己の矛盾に悩むなら、その矛盾を共に砕こう。
また、愚かな願いを求められるように。私が無謀を歌ってあげる。
ネムネはそっとキースの掌を握った。
いつか、本当の自分を見つけられるまで、私が君を支え続ける。
だってそれが、私の戦う理由なんだ。
次回、勇気ではないけれど。
決戦、開始。