第八話【ヤン車、疾走中】
慣れない寝床での就寝だったために、いなほは若干寝不足気味だ。エリスが何度も悲鳴を上げながら飛び起きたのもそれに拍車をかけていた。
互いにうっすらと隈を目じりの下に浮かばせた二人は、まだ残っていた食料で食べれそうなのを適当に選び出し、朝食を取りながら今後のことについて改めて話し始めた。
「んでよ、普通に道進めば半日でマルクってぇとこには着くんだな?」
「は、はい。私は後から行くので、いなほさんは先に──」
「アホ、担いでくに決まってんだろ。ここら辺のことはさっぱりなんだ。テメェは黙って俺の道案内をしやがれ」
照れ隠しに悪態をつきながら、いなほはエリスの足を見た。
エリスの痛めた足首は現在、トロールの腰布を川で洗浄し、適度な形に破いた物を使って固定してある。動かさない分には痛まないだろうが、半日を歩くには心もとない。
なので基本方針は、いなほがエリスを担いでマルクを目指す。こういう方向で決定した。
「おし、善は急げだな」
「わわっ!」
食べ物を胃に詰め込み終えると、いなほはネコでもつまむような手軽さでエリスを持ち上げ、その両足を自身の首にかけた。所謂、肩車というやつだ。思春期ど真ん中のエリスとしては、大人の男の首を足で挟むというのは抵抗のある行為だったが、そんな気持ちも、高くなった視界から眺める景色を見てすぐに吹き飛んだ。
「わぁ! 高い高い! すっごい高い!」
「へっ、気に入ったかよ。おら、行くぜ?」
「はい! ごーごー!」
天高く片手を突き上げて、エリスは元気よく声を張り上げた。気合いのこもったいい叫びにいなほもご機嫌だ。「悪くねェ一歩だ」と呟くと、村の入り口から遠くに続くろくに舗装されていない、ただ草の生えていない道へと踏み出す。
空は快晴で、雲一つもない。うっすらとだが五つの月の姿も見れるのは異世界ならではだ。視界一杯に広がる広大な草原を眺めがら歩くだけでも飽きが来ない。道を中心に左右百メートルは草ばかりで、その向こうに森が広がっている。時折感じる気配は森のほうからのものだ。
おそらくは魔獣というものだろう。だが襲って来ないのならばこっちからわざわざ出向く必要もない。左右への警戒は最低限にとどめ、目の前の果ての見えない道を見据える。彼方まで広がる道と、彼方まで続く空。どちらも地平線を超えて続いている。
「まずはこの道を歩いて、癒しの森に入ります。あっ、癒しの森っていうのはここらの人の言っている別名で、本当は第三十二制圧森林っていうらしいです。なんでも国が森に入る危険な魔物を排除して、魔獣の嫌う匂いを放つ魔法具と、結界を周囲に展開して、いるのはちょっとした動物くらいなんです。資源も豊富ですし皆から重宝されているんですよ」
当然だがエリスの話をいなほは全く聞いてはいない。「ふーん」と投げやりに返事をしつつ、サンダルを脱いだ。そしてエリスを落とさないようにそれを拾うと、よくわかっていないエリスにサンダルを持たせ、
「走るぞ!」
突然走り出した。
「キャア!?」
「しっかりつかまってろ!」
どうでもいい説明を遮るために走り出したが、思いのほか効果はあったらしい。速度は抑えてはいるものの、馬に乗ったかのように過ぎゆく景色を見てエリスははしゃいだ。
ともすれば、馬の脚力をそのまま維持してしまったいなほは日が頂点に登る前に癒しの森へとたどり着いたのだった。
大きく、存在感のある立派な木々が並び立つ森の一部に、ぽっかりと穴が空いたように道が続いている。どうにも甘ったるい匂いがするので、いなほは不快だと顔をしかめた。この匂いが魔獣の嫌う匂いだというのか。しかし、魔獣の侵入を防ぐという結界は何処にも見当たらない。
「なぁ、その結界って奴はどこにあるんだ?」
「結界は目に見えませんから、確かここにある結界は魔獣を弾くとかじゃなくて、何となく行く気を削がせる特殊な術を張っているとか」
「ようは入り口に糞撒いて来させないようにしてるわけだな」
「……最低な例えですけど概ねその通りです」
気落ちした面持ちでエリスは肩を竦めた。下品すぎる。会ったことはないが、盗賊とかって皆こんな風なのだろうとか考える。
いなほはエリスの表情も心も知らず、彼女が落ちないように、座りやすいい位置にしようと体を揺すり、ちょうどいい感じに収まってから森に入った。結界というがどういったものかわからず緊張したが、特に何も起こらず入れて些か拍子抜け。
「エリス! 飛ばすから枝には気をつけろよ!」
「わかりました! ごーですいなほさん!」
「おう!」
再び勢いよくいなほが走り出す。最初、いなほがエリスを担いで走った森と違い、ちゃんとした林道となっているため速度を落とすことはない。はしゃぐエリスは気付かぬが、まさかいなほが現在標準的な馬の速度以上のスピードで走っているなどわかるわけもないだろう。
言うなれば筋肉という鉄壁に覆われた戦車。立ち塞がる物をことごとく排除する無敵の陸上兵器といなほは化していた。
「馬よりもずっと速―い!」
「ハッ! 馬程度に俺が負けるわきゃねぇだろうが!」
無敵の人力ヤン車が、少女の声をドップラー効果で響かせながら森を行く。後に様々な場所で『怪奇! 肩車魔獣』と呼ばれる七不思議となることを、この時の二人は当然知るよしもないのであった。合掌。
次回、新しい現地住民とヤンキーの異文化交流