第七話【随分と好かれたものだ。ぬふふ】
「一回戦突破おめでとイ゛ェェェェェェェェェイ!!!!」
可憐な濁声と同時にクラッカーが一つ二つ鳴り響く。呆気にとられるキースとネムネを置いてけぼりに、突然待合室に現れたアート・アートと巫マドカは、流れるように持ってきたプレゼントをテーブルの上に置いた。
「濡れ煎餅でございます。お茶もご用意しました」
仕事モードのマドカは、メガネをくいっとさせるとそれぞれを席に座るように促した。
いなほとエリスは、一回戦の疲れよりも辟易した様子で席に座り、キースとネムネはやはり訳も分からないといった様子で、混乱したまま椅子に座った。
「えっと……で、誰?」
「こんにちは! マルク魔法学院の理事長のアート・アートです! 気安くアトちゃんとかアトさんとかアットットとか好きなように呼んでね!」
「その秘書のマドカ・カンナギです。お見知りおきを」
「は、はぁ……お、僕はキース・アズウェルドです」
「わ、私はネムネ・スラープといいますデス」
面喰ったまま、キースとネムネも自己紹介をした。
事は唐突であった。待合室に転移したと思ったら、いきなり洗礼のクラッカーを受けたというものである。
いなほとエリスは、まだ面識があったために直ぐ驚きから持ち直したが、アート・アートとマドカと初対面のキースとネムネは驚きから未だに戻っていない。
突然の祝福もさることながら、それが人間の美を超えた美しさを持つ二人に祝福されたのだ。無理もないと言えるだろう。
特にアート・アートの美しさは規格外だ。仕事モードのためか、マドカが空気のように雰囲気が薄いのもあって、二人の視線は必然アート・アートに移る。
その不躾とも取れる視線を感じながら、アート・アートの笑顔は崩れない。むしろ尻尾があったらぶんぶんと振っているくらいに嬉しそうですらあった。
「帰れ」
いなほはそう冷たく言い放った。しかもそんなことは言いながら、出された煎餅とお茶は図々しくも飲食してすらいる。
途端に落ち込んだアート・アートを見て、キースは「いやいや、流石に悪いだろ」と助け船を出した。
「だよね! 俺、居ても大丈夫だよね!」
瞬間、落ち込んでいたのが嘘のようにアート・アートの目が輝く。うわぁ、とキースは己の失敗を悟った。
「えへへー。ツンデレも行きすぎると傷つくんだぜいなほー。忙しいのを無理して折角来たんだからさぁ。もっと喜んでよぉ」
「頼んでねぇ。マドカ、差し入れサンキューな」
いなほはアート・アートを無視してその後ろのマドカに声をかけた。
静かに頭を下げたマドカといなほの間を遮るように、頬を膨らませたアート・アートが立ちふさがる。
「酷いんだ酷いんだひーどーいーんーだー! 意地悪ばっかしないでよ!」
怒ってるんだからねと腕を組んでアピールする。だがはっきり言って初対面の印象が最悪なことには変わりないので、いなほの態度も変わらない。
どうにも収集がつかなくなってきた状況で、ネムネがこっそりと手を上げた。
「えと、それで、結局何の用なんですか?」
「あ、そうそう、すっかり忘れてた」
怒っていたのは演技だったのか、まるで人が変わったように笑顔に戻ったアート・アートは、自身の胸元におもむろに手を突っ込んでまさぐり始めた。
「んーと……あった! はいこれ!」
そう言ってアート・アートが取りだしたのは、幾つもの魔法陣が描かれた二枚の札だ。
お菓子でも渡すように気軽に、アート・アートはちょっと湿ったそれをいなほに渡す。渡された時、不覚にも甘い良い香りに少し和んだのが許せなくて、いなほは眉を潜めてそれをキースに渡した。
突然、札を手渡されたキースは、そこに描かれた術式を見て唖然とした。
「音声隔離を転移術式で通した上に接続式を五つに……何だこの式は? 滅茶苦茶な術式ってレベルじゃねぇ……いかれてやがる」
あり得ぬ形で作られたその魔法陣は、しかしどういう理屈か奇跡的にかみ合っていた。その事実にキースは戦慄してアート・アートを見る。瞳には畏怖と異端を孕ませて。
もし仮にこの術式が世に出されたら、魔法を研究している王室の魔法使いなどは発狂するかもしれない。それはそういったレベルの異常な魔法陣であった。
「一応、何かあったらアレだろ? そろそろアイリスちゃんが来るはずだから、彼女に一枚渡して、もう一枚は君達が持っているといい。魔力を通せばもう一枚の札の方に音声を飛ばす……つまり電話みたいに使えるからさ」
「……ケッ。まぁ一応貰っといてやるよ」
感謝はしない。この化け物は自分達を使って遊んでいるだけなのだから。
ニタリと、気味の悪い笑みをアート・アートは浮かべた。いなほも釣られて笑う。あぁ、お前はその方がよく似合う。
「まっ、そういうわけだから頑張ってよ。俺も楽しみにしてるからさ」
「言ってろ糞ったれ」
鼻歌を歌いながらアート・アートとマドカは部屋を後にした。
場を包んでいた、言いようのない空気が霧散する。盛大な溜息を吐きだして、まずはネムネが肩を落とした。
「な、なんだったんデスかあの人達……理事長とか言ってたけど……えと、あんな小さい子が理事長って……いや、でも、納得デス」
見た目だけなら少年少女にしか見えないアート・アートだが、その圧倒的な美しさは、問答無用で全てを納得させる説得力があった。キースも気持ちは同じなのか、むしろこれまでの魔法陣を嘲笑う術式を見せつけられて、納得するしかなかったというべきだろう。
「アンタも大概な知り合いがいるもんだな」
「……タチが悪ぃって点で言うならそうだろうよ」
疲れた風に嘆息するいなほを見て、これはよっぽどだなとキースは失笑した。
そうしていなほ達はマドカが持ってきた濡れ煎餅とお茶を飲食して時間を潰していると、暫くして控え目なノックの後にドアが開いてアイリスが入ってきた。
「一回戦突破おめで……何だ、その変な顔は」
「いや、なんつーか、なぁ?」
アイリスは入室と共に向けられた生ぬるい視線に首を傾げ、いなほは同意を求めるようにエリス達を見渡した。
誰もが微妙な笑みを浮かべている。「何かあったのか?」そうアイリスが聞くと、代表してキースが先程のことを話し始めた。
「随分と好かれたものだ。ぬふふ、いやホント君もそんな表情を浮かべるのだな」
いなほが困っている姿を見て、嬉しそうにアイリスはによによと笑った。彼女のファンクラブの人間が見たらショックで失禁するレベルに気持ち悪い笑顔だが、生憎と疲れた彼らにはアイリスのそれに突っ込む余裕もなかった。
「それで、このあり得ない術式の魔法陣を使えと……ふん、気に入らないが、一応サポートするつもりはあるということか」
しかし常軌を逸する術式である。同じ効果を得られる魔法陣ならば、少し時間はかかるがアイリスにだって組み上げることは出来る。だがそれを掌サイズのお札で、しかもほとんど魔力消費もない代物となれば話は別だ。そんなの、王都の研究者にだって出来はしない。
まるで理解できない、言語を超えた冒涜的な術式は、じっくりと観察すればそのまま飲みこまれてしまうだろう。アイリスはそれ以上札を観察することは止めて、懐に仕舞いこんだ。
「まぁ考える必要はないだろ。使えるのなら使う。これはそれだけのものでしかないしな……で、当然だが私がここに来たのはそれに関することだ」
「んだよ。仕事仕事って大会突破した俺達への労いはねぇのか?」
「だったらよくやったと言いながら優しく抱きしめてキスしてやろうか?」
「気持ち悪ぃ……」
「言ってて私も吐き気がきたよ……ともかく、現状、大会の警備のほうは問題ない。メイリン自体にも被害は出ていないし、何か迷宮のほうで異変が起きたというわけでもない」
アイリスはエリスの隣に腰掛けると、全員が食べているのを見てから煎餅を口に含んだ。
「だがそれでも完全に異変がないと言えば嘘になる。迷宮では上の階層のほうでオークの姿が確認されているらしい。今のところは教員達の活躍で被害はないが、まるで上層にまで逃げているようだ。というのが彼らの見解だ」
「そりゃつまり……」
「あるいは、吸血王ヴァドの目覚めは近いのかもしれない……おそらく予選中は大丈夫だろうとは思うが、仕事は山積みだ。予選が終わり次第、君には動いてもらうぞ?」
「へっ。人使いが荒い奴だぜ」
だが満更でもないのか。いなほは嬉しそうに喉を鳴らすと、一口でお茶を飲みほして立ち上がった。
ついていくのはエリス一人だ。いつも通りの定位置に乗ると、二人はそのまま何も言わずに待合室を後にする。
「なんつーか、いつも大変そうですよねアイリスさん」
二人のやり取りを見ていたキースが労うように追加のお茶をアイリスのコップに注いだ。
アイリスは苦笑すると、お茶を一口飲む。小さくため息を吐きだすと、疲労の溜まった肩をゆっくりと回した。
「あの馬鹿が来てから大変じゃなかった日はなかったよ。放っておくと何かと騒動起こして、いつも尻拭いは私の役目だった」
だがそれでも、目まぐるしく過ぎて行った日々であった。無意識に浮かんだ小さな笑みが、アイリスの心境をそのまま表していた。
「私は、どうやらあぁいったタイプの人間が嫌いらしい」
しかし、それ以上に強く惹かれる。理由はわからないけれど、アイリスがいなほに感じている言葉に出来ない信頼感は、きっとそこから生まれたものなのだろう。
口で言っていることと正反対の表情を浮かべるアイリスを見て、キースは呆れたような、しかしどこか納得した気持ちになった。
きっと、親愛ですらないのだろう。恋愛感情でもないし、愛という感情はそもそもどこにもない。
だが、早森いなほは信じられる。自分達が駄目だったとき、諦めそうな場面のとき、きっと最後に頼れるのがいなほという男だった。
「変な奴ですよね。あいつ」
「全くだ」
愚痴りあう二人の表情は晴れやかだ。
全く、素直じゃないんだからと呆れつつ、ネムネは一人静かに煎餅をかじった。
次回、発情戦闘狂。その一。