第六話【次は拙者が魅せねばなるまい】
微エロ注意
「勝者、キース・アズウェルド!」
歓声が上がる。悠々とリングを降りたキースは、短杖を持っていない手を上げると、待っていたいなほ達とハイタッチをした。
「ラスト一勝だぜハヤモリ。緊張してるか?」
煽るように、託す。キースの挑発を、己の拳を突き合わせることで応じる。
「黙って見てな」
後は背中で全てを魅せる。いなほは堂々とリングに上がると、高まる歓声に向かって拳を突き出した。
漲る気迫は圧倒的だ。暴走寸前の火山を彷彿とさせるいなほの威容に、反対側のリングでは動揺の声があがっていた。
──こんなはずではなかった。彼らの脳裏に過るのはそんな思いだった。予選は悠々と超えて、本選まで勝ち上がる。そういう話だったはずなのに。
現実はこれだ。学生二人に敗北し、王手の掛けられた、決して逃すことが出来ない一戦にて現れたのは、見ただけでその戦闘力を感じ取れる男、早森いなほ。
決してその実力は、あの実況が誇張したわけではないのだろう。あまりにも鮮烈。あまりにも圧倒。この男はあまりにも危険すぎる。
キリは歯を噛み合わせて唸った。ふざけるな、ふざけるな。こんなところでみすみす負けるなんてふざけている。
「ふざけんな! こんなの反則だろ!」
キリは気付けば叫んでいた。無様にも目を白黒させて、叫ぶのは冗談にもならない滅茶苦茶な暴論に、熱狂に浮かされていた観客達の声が鎮まる。
そんな彼らのことなど気にせずに、キリは喚いた。
「Cランクだって? ありえないだろ! そんな化け物が大会参加なんて馬鹿げてやがる! ありえねぇ、認めねぇ、冗談じゃねぇ! 無しだ無しだ! そこの小せぇガキならまだしもよ、Cランクなんて化け物と一対一でやれるわけねぇだろ! 反則だ! あいつの反則負けだ!」
まさに暴論。敗者の喚き。キリは己の言葉こそ正しいと吼えるが、観客や、いなほ達かたしたらそれこそふざけた話である。
途端、そのくだらない言い分に、観客達の怒りが爆発した。
「ふざけてんのはテメェだろ!」
「今更怖気づいてるんじゃねぇぞ!」
「帰れ帰れ!」
野次と共にゴミが盗賊の被り物に向かって投げつけられる。だがキリはそんな彼らこそ間違っているとばかりに尚も叫んだ。
「上から見てるだけの奴らに何が分かるってんだ! 冗談じゃねぇ! は、第一Cランクだってんならよ、俺ら全員相手にしても勝てるはずだろ? そんなんが出てるのが可笑しいんだよ! もしもやるってんならな、残りの奴ら全員とあいつで戦うってのが筋ってもんだろ!」
馬鹿げた提案に観客達の怒りは膨れ上がる。罵声と怒声が連続して木霊する阿鼻叫喚。
そんな騒音ばかりの世界に、爆撃のような音と振動が割って入ってきた。
「……ったく、つまんねぇ奴らだ」
音の中心には、リングに拳を突き立てたいなほがいた。意外にもというか、リング事態には罅一つ入っていない。そこそこ本気で殴ったのに、傷一つ与えられなかったことへの不満も感じながら、静まり返った場内でいなほはキリ達をゆっくりと指差した。
「だったら望み通りやってやる。全員来いよ。まとめて潰してやる」
そして、握り拳を作って親指を真下に立てる。まるで問題ない。いなほはその提案をむしろいいアイディアだとばかりに喜んだ。
再び観客達が沸き立つ。幾らCランクと謳われていようが、残り全員ということは三人。普通に考えれば相手に出来る数ではないのだ。
その無謀な宣誓を聞いて、キリは醜悪にほくそ笑んだ。既に大会で得られる賞金への思いはない。無様にも恥をかかされたことへの恨み、それだけがキリの心を満たしていた。
「もう、その言葉は飲めねぇぞ」
キリはそう呟くと、残りの二人を引きつれてリングに上がった。
いなほは答えない。ビビったか? キリは無表情で、まるで遠くを見るようないなほを見てそんなことを思った。
まぁいいさ。どちらにせよ、こちらはいずれもHランク超えの精鋭。それが三人もいるのだから負ける通りがない。
「へへへ、何がCランクだ。どうせ嘘っぱちに決まってやがる」
正常な判断能力は奪われていた。熟練の冒険者にしては、と思うかもしれないが、あり得ぬ観客達の昂り、予想外の敗北、しかもそれが予選の一回戦というところで起きたのだ。魔獣との戦いに慣れているとはいえ、こういった舞台には慣れていないのもあって、キリ達の思考能力は明らかに低下していた。
一方、いなほはといえば、当然この状況を楽しんでいる。とにかく目立つのが大好きな男である。出来るだけド派手に、出来るだけ最高に、熱くなれば熱くなるほど、それ以上に熱くなれる男であるいなほのボルテージは最高潮だ。
だが突然いなほの表情は険しくなっていた。流石に三人同時厳しいと感じているのか。そう考えた観客達の思いは、まるで見当違いだ。
「ミフネ……」
いなほが見つめる先、観客席にミフネは居た。その両隣にいるカゼハナ姉妹も、欲情しきった眼差しでいなほを見つめている。
だがしかし、熱烈なそのアプローチはいなほには届かない。狙いは唯一人、ミフネ・ルーンネスのみ。
魅せろよ。そう、言外にミフネは視線で訴えてきた。
上等だ。いなほは笑った。折角だ、存分に見やがれ。俺の自慢の──
「他所見してんじゃねぇぞぉ!」
獣のように唾液をまき散らしながら、キリとその仲間がいなほに向かって走り出した。いつの間にか開始の合図は行われていたのか。強化の魔法をかけ、三人それぞれがその上に言語魔法すら展開していなほを取り囲む。
右手側からは炎の散弾が逃げ道を封じるように迫ってきた。
左手側からは土の塊。人一人は容易に押しつぶす巨大な質量が、弓矢の如き速度でいなほに影を落とす。
そしてそれに僅かに遅れるようにして、両腕に紫電を纏ったキリが襲いかかってきた。
芸術的なコンビネーション。トロール等には出来ぬその連携攻撃に捕らわれたが最後、例えGランクの魔獣ですら逃れられぬ死を享受するしかあるまい。
だがいなほは、そしてその仲間はまるで動揺していなかった。
「クハッ!」
抑えきれぬ野性が吐き出された。大腿が盛り上がり、刹那の間に膝が沈んだ。
本来は回避も不可能な一連を、正面から打ち破る。いなほは右側から感じる熱源の数々を睨みつけると、下半身を一切使わずに、ただ己に直撃する散弾のみ、速射砲の如き右拳の雨で消滅させた。さらに駄目押しに振るわれた拳が、炎の担い手に空気の砲弾を叩きつける。そして、男は何が起きたのかわからず、見えない何かに押しつぶされて場外へと吹き飛んで行った。
だがそれでも攻撃は終わらない。重力を無視して場外へと滑空する炎使いが落ちる僅かな間に、上空から迫る巨大な土の塊はいなほへと叩きつけられ──破壊された。
さらに暴風が、上空にいた土の使い手を巻き込んでもみくちゃにする。何が起きたのかわからないといった様子で、土の使い手は目を見開いた。たった一撃、膝を跳ねてその力すらも使ったいなほの拳が、数百キロは超える質量に速度が加わった砲弾を、真っ向から打ち破っただけ。言葉にすれば簡単だが、それを強化の魔法すら使っていない生身の人間が行った狂気。常軌を逸する事態とはこのことを言うのか、土の残骸と共に二人目も場外へと飛んでいく。
キリはそんな異常事態が連続する状況で、最早止まれぬ己の身の不幸を呪った。総身を支配する死の予感に、ようやく思考は冷静さを取り戻したのであった。全ての動きがスローモーションで動いていた。極限の集中状態、死を予感したから得られたその極地は、今はキリを絶望させるだけの代物にすぎなかった。
いなほがゆっくりとキリに向き直る。交差する視線を感じながら、キリは直感した。想像を絶することだが、目の前のこの男は、キリがこの死の間際の状況に追い込まれてようやく到達した集中力に自力で到達している。
一体、どうすればそんな境地に至れるのか。物理法則を打ち破ってゆっくりと吹き飛ぶ仲間達を見ながらそんなことを思い、理解する。
これがCランク。一体で戦場を支配し、小国家ならば落とすとされる異常者の領域。
ならばどうして勝てるというのだろうか。コマ送りで進む己の体とは違って、僅かにしか速度の落ちていないいなほが構えを正してキリへと踏み込む。
瞬きよりも早く、リングを震わせる振動が襲いかかる。だが振動よりも早くいなほの拳は空気を割った。
生まれてからこれまでのことをキリは思い返していた。一秒よりも早く全てを思い返して、これが走馬灯なのだと気づく。
目の前の鬼は楽しそうだった。走馬灯でしか入れない領域に、嬉々としてはいりこめる人間の人外の左拳は飢えていた。
死が迫る。死が来る。死が食らいにやってくる。
練られた力の経路を知覚する。いなほという芸術的破壊兵器の体を光速で突き抜けるエネルギーの奔流。魔力とは別種の、暴力という力。
その動きに感嘆した。死の間際に神を見たようだった。爪先より発生した力は、常人ならその一割も取り込むことなく、ただただ外界へ四散させるしか出来ないだろう。
だがいなほは違う。おおざっぱな見た目からは想像できない器用さで、震脚で発生した殆ど全てを爪先から暴食するように取りこんでいた。
人間なら留めるどころか、内側から破裂させられる力を、至高の肉体はさらに増幅させる。表皮の内側、筋繊維の動きはそのまま力を加速させる動力だ。連動する下腹部、己へと押しこむように回った腰が、栓を絞ったチューブから放たれる水のように、下半身の力を上半身へと打ち込んだ。
それは激鉄だ。拳という弾丸が白熱する。肩と肘から熱量が吐き出されたように、拳が際限なく加速した。走馬灯の集中力ですら捉えきれぬ速さ。見えない弾丸は、砲弾を超えて、局地的な弾道ミサイル。破壊力を余すことなく目標内部に叩きつけるそれは、狙った対象を消滅させる点だけでいうならミサイルの威力すら上回る。
当たれば死ぬ。分かりやすい帰結だった。唯一の救いは、苦悶することもなく楽に逝けることだろう。きっと、間違いなく跡形は残らない。撃ち込まれる異常は、苦しみもなくキリを飛ばすだろう。
「あばよ」
聞けもしない声を聞いたような気が、最後にした。
直後、キリは寸止めされたいなほの拳が巻き起こした風圧によって吹き飛んだ。皮の鎧は紙のように吹き飛び、観客席に向かっていった。
だが、ぶつかれば死傷者すら出る人間砲弾は、その威力を観客席で発生させることなく止まった。
何かにぶつかった音すらしない。いなほは観客席に向けて指差す。
そこには、背中の大太刀を器用に使って、気絶したキリを絡め取ったミフネが立っていた。
「……」
「……」
二人は無言で睨みあった。数秒、鼻を鳴らして笑ったいなほは踵を返す。宣戦布告はこれですんだ。
そしていなほがリングを降りてから、ようやく観客達は思いだしたかのようにいなほに向かって地響きすら起こす声援を送った。
「本当に、羨ましいですわ、ミフネ様」
ミフネの隣に座ったハナが、熱のこもった吐息を漏らした。ユミエは、目の前で見せつけられた圧倒的な実力を前に、言葉すら失って肩を震わしている。
あぁ、あの人なら私を簡単に擂り潰してくれる。きっとぐちゃぐちゃのどろどろだ。前後不覚に陥って、容易に絶頂まで引き上げてくれるに決まってる。
恐怖に震えた。恐ろしい化け物の深淵を覗きこんでしまったような錯覚。震えて爛れて……もしも、そんな怪物を切り裂けたのなら、それはどれだけ素晴らしいことだろうか。
ユミエは興奮のあまり下腹部をしっとりと濡らしてさえいた。冷静を保っているが、ハナも同じようなものだろう。頬を真っ赤に染めて、舌舐めずりをしながら腰に下げた鞘を舐めるように手で摩っている。
「全く、戦闘狂の変態が……だがなお主ら何度も言うが……止めとけよ?」
ミフネの視線が僅かに険を放った。すると、まるで飼い主に叱られた子犬のように、カゼハナ姉妹は背筋を震わせて、ミフネに対して頭を下げていた。
「も、申しわけありません!」
「許し、許してくださいミフネ様!」
先程までの興奮なんて消え去っていた。僅か滲ませただけの怒り、それだけで人斬りの戦闘狂の姉妹は震えるだけの哀れな小娘へとなり下がる。
ミフネは彼女達の謝罪を受けて、その目に浮かべた怒気を引っ込めた。安堵する二人から視線を外して、会場を去っていくいなほ達を見つめる。
「そそるなぁ……」
片鱗は魅せてもらった。強化の魔法を使用していないというのに、人間を超えた身体能力。そして、見る者が見れば弟子入りすら志願するだろう至高の体捌き。
まさに、望んでいた敵だった。武者修行に出て、ようやく会うことが出来た好敵手。疑うまい、己に比肩する実力を持った斬り潰したい宝物。
「ならば、次は拙者が魅せねばなるまい」
それが返礼となり、宣戦布告となる。
ミフネは手に持った試合表を放り投げた。そして静かにキリを降ろすと、ゆったりとした足取りでその場を後にする。
空を漂う試合表。太陽に照らされたそこに書かれていたのは、外部E枠の最終試合に書かれている『剣客神楽』の名前。
本選まで待つ必要はない。今日、この日、互いに最強を吼える男と男は激突する。
次回、イ゛ェェェェェェェェア!
または
アイリス「ぬふふ」