第四話【こちとら乙女デスよ?】
戦いの前にすることは変わらない。まずはサンダルを脱ぐ。そして、体中に呼気を取り込んで、全身の筋肉に酸素を運ばれていくのを実感しながら、指を一本一本、丁寧に折りたたみ、拳を作る。
万全。どころではない体の昂りに、いなほは不思議と笑いさえ起きなかった。全身にみなぎる気は体から溢れ出るくらいで、指先の神経すら鋭敏に感じ取れる。
理由は、きっとあいつだろう。試合表を見なくても何となくわかった。直ぐか、あるいはその次か。動物的な本能が、ミフネ・ルーンネスとの対峙を直感していた。
「まっ、つまずく訳にはいかねぇよな」
だから、まずはこれから始まる戦いに全力を捧げよう。試合開始直前、光に包まれて転送される直前に、いなほはそんなことを呟いた。
意識を再び外界に向ければ、聞こえてくるのは賑やかな歓声だ。興奮冷めやらぬといった感じの浮ついた雰囲気は、お祭り騒ぎが好きないなほには堪らぬ空気である。
どうせならド派手に決めて、もっと沸かせてやるぜ。
そんなことも思いながら、アート・アートの実況の声が騒がしい場内の空気をさらに盛り上げるような勢いで響き渡った。
「お待たせしたぜテメェら! 続いてのカードは外部E枠、一回戦第三戦! 西のゲートからは、正体は不明! どっから来たのかわからねぇ謎のチーム! 盗賊の被り物だぁ!」
アート・アートの声と同時に、いなほ達のいるゲートの反対側から盗賊の被り物のチームは現れた。見るからに柄の悪そうな雰囲気の男が五人。見た目は何処にでもいそうな風貌の者達だが、しかし、彼らが纏う雰囲気は決して素人のそれではない。
盗賊の被り物のメンバーはそれぞれが不敵に笑っていた。まるで素人しか出ないこの大会に、自分達の敵はいないと言わんばかりの余裕である。自分達はそんな有象無象とは違うという自負。
事実、彼らはそれぞれ新人などではない。どころか、大会参加が初めてというわけではなかった。
過去、かつてアイリス・ミラアイスが率いるチームに予選決勝で負けた古兵。彼ら五人は全員が熟練の冒険者であった。
「へへ、流石『変わり身の絵柄』だな。ここに来るまで誰も俺達のことなんて気付きもしなかったぜ」
盗賊の被り物のリーダー。バット。本名キリ・ルイグはそう言って、胸元のペンダントを撫でた。
見れば、彼ら全員が同じペンダントを首からかけていた。着用者の顔を強制的な幻術で変貌させるそのペンダントの力によって、彼らは大会にエントリーをしていたのであった。
計画はここまで完璧である。彼ら全員が、ランクHの実力を持つこともあり、後は順当に勝ち進んで大会本選に出て賞金をかっさらう。楽なガキと新人を相手にするだけで大金が手に入るのだからぼろいものであった。
強者故の驕りがそこにはあった。そんな嫌な雰囲気を感じたのか、観客達の彼らを応援する声は少ない。
僅かに嫌な空気が流れだしたその時、アート・アートの、いつもよりさらに喜色に染まった声が鳴り響いた。
「東のゲートより対するは! さぁ皆さまお待ちかね! 優勝候補の登場だ!」
その紹介に、盗賊の被り物の表情が僅かに引き締まる。腐っているとはいえ彼らも冒険者の端くれ、優勝候補という言葉を聞いて警戒しないわけがない。
だが、同時に疑問が生まれていた。大会参加者の中で、警戒するべきチームはあらかじめ調べていはいたが、今回相手するチームの情報は、『何故か』彼らの耳には入っていなかったのだから。
対して強くないのだろうと思っていたのが、ここで優勝候補という紹介。疑問は加速する。そんな彼らの疑問を他所に、アート・アートの熱がこもった実況は続く。
「マルクの奴ら! 遂に! 遂にお待たせだ! およそ数か月以上前、魔性の森にて現れた蛮族の王! トロールキングの脅威! その恐怖がマルクを襲う前に、未然にそれを防いだ英雄! その立役者!」
盗賊の被り物のメンバーの表情が曇る。それと反比例するように、会場のボルテージは上限なしに上がっていっていた。そして直後、会場の至る所から断続的に聞き慣れぬ単語が飛んでくる。
「その拳はまさに鋼! その心もまさしく鋼! 最早疑うところなんてねぇ! 火蜥蜴の爪先が超期待のエース! 前人未到のCランクの最強人類!」
その単語は会場の熱気と共に大きくなっていく。そして遂に、その単語「ヤンキー!」という声援が会場の観客全員に伝染した。
「世界最強ここにあり! 鉄の心が最強リーダー!」
絶叫のような声援の中、東のゲートから花火の破裂音と共にいなほ達は躍り出た。
「っしゃあ!」
いなほは一つ気合いを入れると、鳴りやまぬヤンキーコールを一身に受けているというのに、まるで威圧されずに拳を上げて声援の中を歩きだす。むしろその後ろをついていくキース達のほうが、その声の圧力とでもいうものに押されていた。
唯の音が体はおろか大地すら揺する。重なったそれは暴力に近かった。心胆を揺する。恐るべきは期待という重圧。
だがいなほはむしろそれを喜んでいた。過大な評価? 分不相応な声援? そんなことは微塵も思っていない。
むしろ足りないとすら思っていた。もっとだ。もっと叫べ。ここの中心は俺だ。俺こそが中心だ。
「おらぁぁぁぁ! 声が足りねぇぞぉぉぉぉ!」
会場の声の荒波にすら負けない遠吠えが響く。その、たった一人でこの会場の声に負けぬパフォーマンスに、会場のボルテージは一層上がり、今や熱狂の渦が逆巻いていた。
マルクを救った英雄。誰もがその正体を気にしながら、噂のみが尾ひれも背びれもついて出回っていた人類の希望。
曰く、少女を担いだ厳ついヤンキー。
曰く、森を疾走する一陣のヤンキー。
曰く、素手でトロールを圧殺するヤンキー。
囁く噂は数あれど、共通している言葉は一つ。
曰く、そいつはヤンキーだ。
「ヤンキーヒーロー早森いなほの入場だぁぁぁぁぁぁ!」
アート・アートの言葉が最後の決定打となった。鳴りやまぬヤンキーコール。冷めやらぬ絶叫声援。唖然とその姿を見る哀れな不正者チームが一つ。
いなほ達はリングを挟んで盗賊の被り物と真っ向から対峙した。キースとエリスも、リング辿りついたころには腹をくくったのか目つきが鋭くなっている。唯一「あばばばば」と混乱するネムネを置いて、いなほとその仲間は、対峙する敵を正面から睨みつけた。
堪らず盗賊の被り物のメンバーの足が一歩後ろに下がる。いなほとキースはそんな彼らの姿を鼻で笑った。
「よぉハヤモリ。俺、喧嘩って初めてだけどさ。何となく、最初にやることがわかったみたいだ」
「それでいいぜキース。要は相手を、ビビらせたほうが勝ちなんだよ」
冷静になればエリスの睨めつけなど、むしろ小動物染みて癒しすら覚えるはずだが、会場の声援と、それすら意に返さぬいなほの態度に、エリスにすら怯む程彼らは委縮していた。
いなほは振り返ると、緊張して固まっているネムネの頭を乱暴に撫でつける。
「あば!? な、何するデスかいなほさん!」
「見てみろネムネ」
非難の声を気にせず、いなほは後ろ手で盗賊の被り物達を指差した。
そこでようやくネムネも、彼らが予想外の事態に怯み、慄いていることに気づく。ハッとしてネムネはいなほを見上げた。
破顔一笑。拳を掲げて、いなほは言う。
「やっちまえよ。テメェが俺らの鉄砲玉だ」
「……もっと、こう、普通な言い方出来ないもんデスかね」
でも、震えは確かに止まっていた。
ネムネがゆっくりとリングに上がる。両手に付けたガントレットを改めて締め直して、それに遅れてリングに上ってきた相手の男を臆することなく見た。
「まずは先鋒! マルク魔法学院の期待の新人のその一! 堅実な戦闘が売りの少女戦士ネムネ・スラープ選手対、当然ながら素性は不明! ケビン選手の戦いだぁ!」
再び湧き立つ場内。だが眼前に集中しきったネムネにはその声は届いていなかった。
決して、キースのような上を目指す気持ちがあった、というわけではない。ネムネはどこまで行っても唯の少女で、たまたま強力な魔法具を手にしたから学院に入学しただけでしかない。本当に、いなほ、キース、エリスのような才能なんて一つも持ち合わせていないし、それでいいと思っている。
だけど、それでもあの依頼を経てから、キースの修行に付き合った。最初は、キースという学年でもトップクラスの人間と仲が良くなればいいという打算。それは仲間意識に変わって。
白状しよう。ネムネがここにこうして立っているのは、キースがそうしたいから、それだけの理由でしかないのだ。
「……まっ、私のことなんて興味ないと思うけど」
自嘲するように口の中でぼやく。ちらりと振り返れば、キースは真っ直ぐに自分を見ていた。
それに、いなほとエリスも、ネムネを見る瞳に不安はまるでない。敵わないな、とか思った。自分は、彼らのように、心も、体も、決して強くないけど。
いなほは、やっちまえ、と言った。
エリスは、信頼の眼差しで背中を支えている。
そしてキースは、私を見ている。
「こちとら乙女デスよ? むさいオッサンに負けてたまるかってやつデス」
ガントレットに魔力を込める。拳の先より伸びる三つ又の刃を構えて、ネムネは審判の開始の合図を聞いた瞬間、強化の魔法を唱えながら突撃した。
「やぁぁぁぁ!」
ケビンが両手剣を構えたそこに、渾身の刺突を叩きこむ。桃色の魔力の尾を引いた一撃は、ネムネより一回り大きな体のケビンを数歩後ろに後退させた。
体勢は当然崩れている。強化の魔法を遅れて発揮させるが、体勢の崩れた状態ではまともに受けることは出来ないだろう。ネムネは一気に詰め寄ると、両手の刃を同時に突き出した。
「ぐぅ……」
ケビンが苦悶の声を上げて、刀身で刺突を受け流す。だがそれでも左右同時にきた刃を完全には受け切れずに、ケビンの両肩が、装備している皮の鎧ごと浅く切り裂かれた。
そのまま密着状態に移る。咄嗟にケビンはネムネの腹を蹴りあげるが、ネムネは焦らずに両手でそれを受けると、お返しとばかりに回し蹴りをそのわき腹に突き立てた。
「ぐぁぁ!」
ネムネの放った重い一撃に、泡を吐きながらケビンが吹き飛ぶ。リングを転がるその様を見て、観客達が沸き立った。
やった! 確かな手ごたえにネムネの表情が僅かに緩む。
「馬鹿野郎! まだ終わってねぇぞ!」
そこにキースの助言が飛んだ。しかし、ネムネが気付いた時には遅い。ケビンの掌には拳大の火球が顕現していた。
「おらぁ!」
それを躊躇いなく解き放つ。当たれば瞬時に炎上して敵を焼き尽くす業火の魔法は、ネムネが想像したよりも早く、咄嗟に横に飛んでかわすしか出来なかった。
そこに、両手剣を構え直したケビンが、最初のお返しだとばかりに突撃してくる。加速の勢いを殺さずに突き出される刃の切っ先。胸を焼く殺気の感触の予感に、ネムネは両手を胸の前で交差した。
「キャァ!」
互いに強化の魔法をかけていれば、体格の差が歴然と表れる。体重などないように突き飛ばされたネムネは、成す術なくリングの上を転がった。
「ネムネぇ!」
キースの絶叫。だが受け身を取り損ねたネムネは、立ち上がりが遅い。そんな隙を逃すわけもなく、ケビンは年下の子どもに良いようにやられた怒りを込めて両手剣を振り下ろした。
衝撃。ガントレットで防いだものの、リングと板挟みになったことで、衝撃が余すことなくネムネの全身を突き抜けた。
「ぎっ!?」
「このガキがぁ!」
真下に向けて刺すように、両手剣が迫ってくる。狙いは胸部。激昂したケビンは、最早ネムネを殺すことすら厭わないのか。その切っ先には相手の急所を貫くことに迷いがない。
どうにかガントレットで弾くが、その度に体が衝撃に悲鳴をあげて、視界が揺らぐ。後、四か五か、それくらいしか受けられないな、とどこか達観した考えが浮かんでいた。
怖い。という気持ちがないと言えば嘘になる。向けられる切っ先と、殺気に染まって血走った眼差し。怖気と震えが同時に来て、もしも防げなかったことを考えてしまうというのに、眼は咄嗟に閉じかけてしまう。
だがそれ以上に、ネムネを突き動かす気持ちがあった。だから、震えるけど、怖いけど、ネムネは瞳を逸らさない。
「いい加減にしろやぁぁぁぁ!」
ガントレットを突破出来ないことに、ケビンがしびれを切らして、溜めを大きく作った。
好機だ! ネムネはガントレットをケビンに向けると、残りの魔力の半分をそこに注ぎ込んだ。
直後、ケビンの剣が落ちるよりも早く、魔力を吸ってさらに伸びたネムネの刃がその腹部を突き刺した。
「なっ?」
だが勢いよく伸びただけの刃は、皮の鎧を貫くには至らない。それでも、後ろに押し出すことにだけは成功したネムネは、跳ねるように起き上がると、渾身の飛び蹴りをケビンの右手目がけて振り切った。
「はぁぁぁぁぁ!」
ケビンが反応するが、遅い。痛烈にケビンの右手を蹴った勢いで、両手剣が手から離れて空に舞った。
着地、激痛に手を抑えるケビンにガントレットを突きつける。
鎮まる場内。直後、歓声が一気に沸き上がった。
次回、キースとか。