第三話【こんなもん関係ねぇ】
開会式は大会参加者と観客全員が収容できる巨大ドームに全員が転送されてから始められた。
大会参加者はドーム中央にそれぞれのグループによって集められている。誰もが入り口を抜けた瞬間、突然大勢の人間に囲まれた場所に転移させられたのだから、小さくないざわめきが起きていた。
それは観客席も同じだ。マルクの住人や、前大会参加者、その他前年の大会を経験している者たちは慣れたものではあるが、毎年このよくわからない技術が口コミで広がり、観客数を毎年増やしているので、必然驚きの声は多い。
いなほ達も小さくない驚きを覚えていたが、それでもこれから始まる戦いを前に直ぐに気を引き締め直す。周りの者達もやや遅れながら静かになりつつあった。
それを見計らったかのように、耳鳴りのような甲高い音が一瞬だけドームに響き渡ったと思ったら、次に耳を溶かすような甘い声音が会場に響き渡った。
「そもそもあのカエンの奴ってば俺が遊びに行くたびに喧嘩……え? もうマイク入ってる? ……やぁやぁ皆さまご機嫌よう。俺が大会の主催者にしてマルク魔法学院の理事長でーす。例年の通り名前は秘密だからそこは我慢してね」
もしも天使の歌声のような声でなければ、誰もがその嘲るような口上に不平不満を漏らしただろう。
だがその声には人々を黙らせる不思議な魅力があった。唯一例外をあげるなら、その正体を知っているいなほとエリス、そして本能でその存在を理解したミフネくらいか。
毎年恒例の理事長による挨拶は、こうしていつもふざけた調子で始まるが、誰もが真摯にその言葉に耳を傾ける。
「えーっと。これで第何回目だっけ? まぁいいや。結構な数行ってきたけど、今年も例年以上に観客や参加者が増えて、毎年企画している俺も鼻が高いよ。それに今年の参加者は、これまた例年以上に質がいいのが揃っている。きっと予選の時点から面白いカードとか見られるから、ギルドにスカウトに来た人も、今からでも遅くないから、色々と人集めて、どの試合も見れるようにしておいたほうがいいぜ。ま、俺個人の話は置いといて、いよいよ大会は始まります。ルールに則って、各自好きなように戦ってください。っても、ぶっ殺したりしないかぎりは、俺が厳選した優秀なスタッフが綺麗に治療してやるから、遠慮なくやっちゃっていいから。後、そうだそうだ。今年は人数が多くてドームが増設されました。現在君達がいるここ、本選用のドームの入り口が、この開会式が終わったら学院の空き地に現れる。それを中心にして、東半分が学生の予選会場。西側が外部枠の予選会場になっているから、くれぐれも間違えないように気をつけて頂戴ね。さてさて、お話が長くなったけど、観客は勿論、俺をしっかり楽しませてね皆、優勝者には金一封と、俺個人から賞品も贈るから、ちょっと頑張ればいいや、とかじゃなくて、必死に頑張ってくれよ?」
では、開始しまーす。という気の抜けた声の直後、タイミングを見計らって空に花火が打ち上げられた。
感嘆の声が上がる中、一人いなほだけは「運動会かよ」と愚痴っぽく呟く。だが賑わう場内の雰囲気を感じてすぐに機嫌を直すと、いなほは背後に並んだメンバーに振り返った。
覚悟は決まっている。再び転移の予兆の眩い光に包まれながら、いなほは高らかに拳を天に翳した。
そして直後に、再びいなほ達は待合室へと移されていた。
「……どういう理屈なんだろうな」
呆然と呟くキースの言葉にネムネも頷いて返す。入り口に入ってからここまで、好きなように転移をさせられているこの状態は、さながら何かの胃袋の中にいるかのような錯覚を覚える。
そんな二人の不安を振り払うように、いなほは鼻を鳴らした。
「んな理屈なんざどうでもいいだろうが。それよりも、他の奴らがどうなってんのか気になるからな。適当なチャンネルに回せネムネ」
いなほはネムネの傍にあるチャンネルを指差した。言われるがままにチャンネルを手に取ったネムネは、モニターの電源を入れた。
丁度映っているのは、これから始まろうとしている外部D枠の一回戦。いなほ達はE枠なので関係ないために、ネムネはチャンネルを変えよとしたが、「これでいい」といなほはそれを制した。
「私達のブロックの試合じゃなくていいんデスか?」
「別に。どうせ勝つんだ。関係ねぇ」
「あはー。私は勝てるかどうか微妙なんデスけど……」
ネムネの小さなぼやきはいなほの耳には入らなかった。モニターでは、先日遭遇した『戦意の行軍』の試合が始まろうとしていた。
「一回戦外部D枠! 迷宮都市シェリダンで鍛え上げた実力は伊達ではない! 優勝候補が筆頭、ギルドランクは何と創設一年にしてE-ランク! チーム名もギルド名そのまま! 我らこそ看板! 我らこそが最強! 脅威の実力を誇る新進気鋭の『戦意の行軍』がまずは入場だ!」
アート・アートによる中継と観客の声援と共に、戦意の行軍のメンバーが闘技場のゲートを抜けてリングへと近づく。その様子はリラックスしたもので、チームのリーダーらしき男は観客に手を振る程の余裕があった。
戦意の行軍が出るということもあり、このD枠のドームはかなりの人数が動員されている。それほどの注目度を誇る彼らの実力は、勿論折り紙つきだ。
「そして対するはマルクの中堅ギルド! 魔獣狩りや護衛任務、家の草むしりまで何でもござれ! 街のお助け係『猫の小手先』の新人グループ、『猫の足首』の入場!」
こちらも負けじと声援が飛んだ。各種多様な依頼をこなす猫の小手先は、マルクでの人気はかなり高い。そういう意味でも彼らを応援する人々は多かった。
そして互いがリングの上で対峙する。如何にも屈強な立ち振る舞いの戦意の行軍に気圧されているのか、猫の足首の面々の面持ちはこわばっている。
決着などこの時点でついているものだったが、それでも暇つぶしにはなるだろと、いなほはそのまま映像を眺める。何度かお世話になったのだろう、ネムネとエリスが「猫さん頑張れー」と声援を送っていた。
まぁ、静かよりは賑やかな方がましである。ましてや、実況がこのうざい声であるのならば、なおさらであった。
「えー、各自にらみ合いが終わって、まずは先鋒からですね。あ、実況はこの『僕』、理事長がお送りしてまーす! イェーイ! いなほ見てるー?」
「……分かってるくせして、あのカス」
「えと、チャンネル変えますデスか?」
事情は知らずとも、いなほを名指しで呼び、それに不快感を覚えていることを察したネムネがそう気を使うが、「どうせどれ回しても一緒だろ」といなほは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
そうこうしているうちに、先鋒が闘技場に上がる。戦意の行軍からは巨漢の大男。そして猫の足首からは特徴のない青年だ。
「えー、戦意の行軍の先鋒はダルタネス・ヴァイス。ふむふむ、どうやら巨人族とのハーフみたいだね。巨人の怪力と人間の魔力を合わせ持った良いとこどりのハイブリッド。ランクはG! 手に持ってる斧でトロールを一撃で真っ二つだってさ」
自己紹介を受けたダルタネスは、その巨大な斧を軽々と片手で持ちあげると、高らかに空に向けて吠えた。びりびりとした圧力が会場を、そしてモニター越しに響き渡る。既に開始前から、相手側の戦意は萎え切っているのが目に見えた。
「あ。相手の猫は、マーク君19歳。一念発起して一年前に猫に入って、コツコツと実力を伸ばしていたけど、魔獣との戦闘経験はゴブリンとかバウトウルフ。ランクは勿論ないってさ!」
アート・アートは嬉しそうにマークの紹介をすると、爽やかな声で「頑張れマークー!」等と、会場を煽るような声援を飛ばした。
結果、奮起したマーク君はあえなく撃沈。
勝利を吠え叫ぶダルタネスに恐れをなしたのか、猫の足首はその後試合を棄権するのであった。
「結局、戦意の行軍について見れることは殆どなかったか」
キースは大した戦闘もなく終わった先程の試合を見てそうぼやいた。ミフネ・ルーンネスとカゼハナ姉妹程ではないにしろ、注意するべき相手だ。おそらくこのまま順当に行けば本選まで勝ち上がることになるだろう。
だがまずは後の敵より目先の敵だ。直後、試合開始ぎりぎりまで開示されることのなかった試合表が、何処からともなくテーブルの上に現れた。
今更驚くこともないのか。キースもネムネも慣れた様子でその紙を見る。
外部E枠の試合表だよ!
ふざけたタイトルと、手書き感あふれるその試合表から、キースとネムネ、そしてその二人の間から覗きこむようにエリスが、自分達の名前を探し当てる。
「えっと……私達は……あ、三試合目だ」
エリスが表の名前を指差した。そこには確かに『鉄の心』というチーム名が確かに書かれていて、キースは内心で安堵の溜息を漏らした。いやホント、あんな名前じゃなくてよかった。
「それで相手は……『盗賊の被り物』? 知らないな」
キースは聞き慣れないチーム名に首を傾げた。大抵のチームは、所属するギルドの名前をもじったチーム名を使うので、そこから推測が出来るが、盗賊という名前を使ったギルド名に心当たりはなかった。
もしかしたらマルクではない、別の街から来たギルドかもしれない。
「何か、また緊張してきたデスね」
相手の名前を見て、ネムネの表情がやや固まった。キースも内心の緊張は隠せないのだろう。真剣な表情で、他のチームの名前を見ようとしたところで。
大きな掌に、その試合表は奪われた。
「…ふーん」
「あ、おいハヤモリ」
返せよ。と、興味なさそういなほの手から試合表を奪い返そうとした時。
「こんなもん関係ねぇ」
いなほは、何の躊躇いもなく、試合表を握りつぶした。
「ちょ、おま!?」
キース達が驚く傍らで、試合表の紙がいなほの右手に包まれて潰されていく。果たしてどれほどの力を込めているのか、血管すら浮き上がる程に握られたその拳がゆっくりと開かれると、飴玉サイズまで小さく丸められた紙片がその手から零れ落ちた。
あろうことか、紙片は床に落ちると、紙にはあるまじき硬質な音を響かせる。
それを恐る恐る拾ったキースは、広げようにも、まるで一つの塊になったかのようにどんなに力を入れても開かない紙の塊に呆然とした。
「固!? お前! これ、どうな、ってんだよ!」
顔が真っ赤になるまで力を入れようがビクともしない。鉄の剣を粘土のようにこねくり回すいなほの超絶握力によって生まれた、紙で出来た鉄球は、キースの細腕ではどうにもすることが出来ないのであった。
「おい! これで次の相手も誰だかわからなくなったじゃねぇか!?」
当然の怒りをいなほにぶつけるキース。
だがいなほの態度は変わらない。そも、怒りたいのはこっちだと言わんばかりに、いなほはキースを睨み返した。
「勝つんだろ?」
そして、強烈な一言は何よりも雄弁で、キースの二の句を抑え込んだ。
そうだ。勝つと言ったのだ。最初の誓いを思い出せ。負けないと言った己を。
あぁクソ。だとしたら開会式直前のアレも駄目だ。引き分けに持って行く? 違うだろ。俺がなりたい俺は……
「だったら、相手が誰かなんか気にしてビクついてんじゃねぇ」
真っ直ぐにキースを見るいなほの視線に腹をくくる。そうだ。動じるな。慌てるな。何があっても。
浮かぶ笑み。
「それでいいんだよ」
いなほも笑い返した。ビビったら負けだ。どんなに敵が未知数でも笑っておけ。滅茶苦茶な論理で、普通の考え方なら、いなほのやり方は間違っているだろう。勝つことに最善を尽くすなら、相手を調べ、現状を超えた次へも思考を伸ばす。
それが普通だ。だが、そういう賢いやり方が正しいからといって、悪い方を選んだら駄目と言う訳ではない。
少なくとも、ここにいるいなほとキースとエリスはそういう類の馬鹿であったが、あくまで一般的な感性、ネムネからすれば、男臭いアホな考えには違いなかった。
「……あー、私。新しい試合表貰ってくるデスー……」
まぁ、やり方に口を挟むこともあるまい。そういう点で空気を読めるネムネであった。
次回、ネムネとかキースとか。
どうでもいい説明。
マルク闘技大会会場=腹をすかした大食らい(アバドン)
説明。アート・アート、その驚異のメカニズムにて作られた不思議空間。この空間内では、アート・アートはありとあらゆる行動が可能であり、あらゆるアート・アートが存在する。理事長役アート・アートに、食事係アート・アート、売り子アート・アート、保健室アート・アート、実況アート・アート、俳優アート・アート、観客アート・アート、舞台設定アート・アート、大会運営を行うありとあらゆる職をアート・アート本人が担当している。だが何故か審判だけは一般の人を採用している謎仕様。ちなみに、一般人が自分を見た瞬間に卒倒しないよう魔法で存在を希薄にする配慮もしっかりしている。人間が大好きなアート・アートによる大会サポートは、アート・アートの存在を理解するような者以外には高評価である。
端的に言うと人間大好きな化け物としては最高の奉仕空間。