第十七話【ヤンキー接敵】
マルクの街は普段はその特性上、周りを囲むように並び立つ商店のあるエリアが栄えており、次点で住宅街、続いてギルド街となっており、基本的にギルド街は商業区に比べてそこまで賑わうことはない。
だがこの時期だけは違う。まだまだ垢が抜けてはいないものの、ある程度の修練を積んだ各地の冒険者たちによって、マルクのギルド街は賑わっていた。
彼らは再来週より始まる、マルク闘技大会。その外部予選枠への参加申し込みをする者達だ。
まだまだ使い古していると言うほどではないが、それでも手になじんだ武器や防具を纏った冒険者が辺りに存在する。いなほはそんな彼らを眺めながら、心なし残念そうに表情を暗くしていた。
「なんだその顔」
どう形容していいのかわからないいなほの顔を、隣を並んで歩くキースとネムネが呆れた風に見上げた。エリスは両足を揺らしながら、先程図書館で借りた上級言語魔法の魔道書を集中して読んでいる。ぶらつく足がうっとおしいのか、いなほは両手でエリスの足を掴んで抑えた。
「いや……もちっと碌な奴がいねぇのかって思ってな」
肩に装着したエリスの両足を上下に振って手慰みしながら、いなほはつまらなそうに鼻を鳴らした。良いように振り回されるエリスはと言えば、そんないなほと対照的に随分とご機嫌である。
キースはいなほの肩すかしとも取れる発言を聞いて呆れて溜息を吐きだした。そうそう都合よく魔族をぶっ倒せるルーキーがいてたまるかという話である。
「まぁ、別にルーキーだけが参加するわけじゃないし、期待しといても損はないぜ? 大会に一度も参加してなけりゃいいんだからな。そういうわけだから、ギルドの名を上げるために、ここぞというまで温めたエースを投入するところも……ほれ、あいつなんかそうだよ」
そう言ってキースが指さした方向に釣られて視線を移して、いなほの表情が変わる。
五人組の男女のグループが、冒険者の人ごみを掻き分けて歩いている。先頭を歩くかっこいいというよりは、女性的な美しさを持つ中性的な青年は、ここに集まっている大部分のルーキーにはない独特な雰囲気を纏っており、身につけている鎧も魔力の籠った一級品。さらに腰に下げた目に鮮やかな赤と青の鞘の剣は、魔法に疎いいなほでも、内包する魔力がわかるほどであった。
その背後にいる男女も侮れない。巨大な戦斧を担いだいなほを超える巨漢の男。体を隠すように茶色のマントを纏った、小柄ながら鋭利な眼光の少年。膨大な魔力の籠った杖を持つ愛らしい少女と、そんな彼女とは対照的に凛々しい女剣士。
その五人の胸にはそれぞれ斧、杖、剣、ナイフ、弓が重なり合った、不思議なデザインのペンダントが輝いている。
「へぇ」
いなほは嬉しそうに喉を鳴らした。トロールキングとまではいかないが、彼ら一人一人がトロールを容易に超える実力を持っているのが見て取れた。
「あのペンダントは確か……迷宮都市シェリダムで一年前に結成された『戦意の行軍』っていうギルドの奴らだったっけな。ギルド員は全部で五人。一年間、迷宮で鍛えまくったって話だぜ?」
キースの説明が終わる前に、戦意の行軍は斡旋所の方角に消えて行った。
ふと意識を集中させて周りを注視すれば、ちらほらと上手く実力を擬態した者達の気配もいなほは感じ取った。
どうやら、まるで外れというわけではないらしい。溢れ出る笑みを殺すでもなく、むしろ殺気混じりに笑顔をいなほは浮かべた。
「こりゃ随分と面白くなっ……」
「いなほさん?」
突如、いなほは笑顔を凍りつかせた。そしてその目が戦意の行軍とは正反対の方角に向かう。
いなほに呼び掛けるエリスの声も届かない。心臓を鷲掴みにされたかのような感覚と、心すら凍てつかせる冷たい冷気が、いなほの体を一瞬吹き抜けていた。
その風が走った方角。雑多の人ごみに紛れて僅かにしか見えないが、いなほは確かに自分だけに気当たりをぶつける存在を感じ取っていた。
ゆっくりと黒い影がいなほに近づいてくる。冒険者たち間を、意識させることなく器用にすり抜けて行くそいつが迫ってくるのに合わせて、いなほの体は臨戦態勢に入っていく。
キースも含めた周りの者も、突然いなほが発しだした殺気を感じ取って距離を取り始めた。いなほを中心に円形状の空き地が生まれる。殺気を向けられているわけでもないのに、キース達、観衆はいなほに近づこうとは思わなかった。
唯一、肩に乗ったエリスだけがいなほから離れないとばかりに、その頭に両手を回して強く抱きしめた。
僅かな沈黙。さっきの充満する重苦しい状況の中、新米とはいえ経験を積んだ冒険者すら近寄れぬいなほの殺傷圏内に音もなく現れた。
「……」
大きなフードで体をすっぽりと隠した長身の男だ。何かを隠すかのように頭から被ったフードの上にからさらに耳当てまでしている。背中には、戦意の行軍のリーダーらしき青年が持っていた華やかな剣とはまるで正反対の、染色を一切していない長大な灰色の鉄の鞘に収まった刀を担いでいる。
いなほの前に立った男は、フードの下から射抜くようにいなほを見上げた。視線が鋭利な刃となっていなほを刺す。背筋を抜ける死の予感は唯の気当たりでしかない。思わず飛びのきそうになった体を抑えつけて、凍りついた笑顔を普段の不敵なそれに戻した。
「不躾じゃねぇか」
嘲るようにいなほが男を挑発する。剥き出しの殺気はさらに膨れ上がり、観衆の円がさらに広がった。
だが男はまるでいなほの殺気を意に返さないどころか、フードの下の口を僅かに綻ばせてみせた。
「すまぬ。拙者、器用な方ではない故に、このような手でお主を見定めるよりなかった」
清流のように緩やかな男の言葉を、いなほは大袈裟に一笑した。
「なぁにが見定めるだテメェ」
そして男の前に踏み込むと、顔を近づけて睨みつけた。
玄人でも目を逸らすようなその眼光を、男は真っ向から見つめ返す。交差する視線の間に火花でも散りそうな剣呑な空気が滲みだした。
「端からここでやれるならやるつもりだったんだろ? 何上品な言い訳並び立ててんだよ」
この戦闘狂が。まだ会って数分もたっていない男のことをそう断言するいなほ。
男はフードの下の影よりも暗く、深い笑みを浮かべた。
「然り。然りよな。いや失礼、拙者、ここ暫くまともな敵手と見えることがなかったものでなぁ……」
だから、そう世間話をしているかのように自然な口調と共に。
「なぁ、お主、ここは一つ殺しあわぬか?」
全てを切り裂くような殺気を当たり構わずまき散らした。
「ッ!?」
「うぇ!?」
いなほは顔をしかめながらも踏みとどまり、エリスも驚きの声を上げながらそれでもいなほから離れない。
いなほはともかく、その頭にしがみつくエリスが気絶もしなかったことに男は目を丸くして感心した。ランクも持たないような者なら、自分がぶちまけた威圧感を、余波とはいえ真っ向から受けて意識を保てるわけがない。
現に、ギャラリーの内の半数は、男の放った余波に意識を手放し、残りの半分の殆ども慌ててその場から逃げ出していた。
残ったのは意識を手放したネムネを抱えるキースや、大会参加の新人のお目付けとしてきたような熟練の冒険者程度。
残った理由はそれぞれだが、彼らは共通して、目の前の黒衣の男が戯れに攻撃を開始すれば、残った全員が死ぬのを確信していた。
誰もが顔色優れず、滂沱の汗を流している。必死に歯を食いしばって立っている彼らを軽く一瞥して、男は感心するかのように何度か頷くと、目の前の二人を見上げた。
「けけっ」
「……ッ」
その二人の表情は、周りのギャラリーの浮かべる死相とはまるで正反対だ。
浮かぶ笑みと、負けぬと見据えてくる勇気ある眼光。
「お主、いい女を連れているなぁ」
「おう、でもやらねぇ。こいつは俺の兄妹だ」
「成程、将来に期待といったところであるか……おい娘、名は?」
「……エリス・ハヤモリです」
殺気はまだ垂れ流されたままだ。それを真っ向からぶつけられながら、エリスは視線を逸らすことも、言葉に詰まることもなく言い返した。
「覚えた。その名、我が愛刀に刻もう」
そう言うと、男は打って変わって柔和に表情を緩めると、静かに殺気を収めた。体を押しつぶすような圧力がなくなり、周りから安堵のため息が次々に漏れだす。
だがいなほは彼らとは逆に、つまらなそうに口を尖らせた。
「んだよ。やっぱしハッタリか」
「ハハハ、許せよ。拙者、これで分別はついている方でな、街中でやり合う程阿呆ではない」
「まっ、そりゃそうだよな」
朗らかに言う男のセリフに頷くいなほだが、周囲の反応は、むしろあんな殺気をまき散らす時点で既に分別がついているなんてあり得ないというのが、彼らの思いであった。
そんな周囲を置いてけぼりに、男はまず軽く一礼をした。
「不作法をまずは謝罪する。拙者、遠く東の大陸より来た、ミフネ・ルーンネスと申す。よければお主の名も聞かせてもらえぬだろうか?」
「いなほだ。早森いなほ」
「名字は早森で?」
「あぁ」
「もしやと思ったが、刀匠の部族と同じであったか……ではいなほ殿、と。エリス殿もよろしく頼む」
「は、はい」
先程とのギャップが強いせいか、エリスは少々困惑するも返事はどうにか返す。
「んだよ……あいつは……」
そんな彼らの様子を見て、小さく、いなほ達には聞こえない声音でキースはそんなことを呟いた。
圧力が解かれると同時に、キースはネムネを抱えたままその場に膝を屈していた。もしも、クイーンバウトの圧力を直に浴びてなかったならば、自分も意識を飛ばしていただろう。僅かな慣れの差が、キースとネムネの現状の結果として現れていた。
だがしかし、今のキースはネムネのように意識を飛ばせたらどれだけ良かったかと、恥ずかしい話だが思ってしまっていた。
一分にも満たない間に放たれ続けていた殺気。アレはクイーンバウトの比ではなかった。いや、最悪な話だが、間違いなく。
「あいつ……ハヤモリよりやべぇ……」
最強だと思っている早森いなほよりも、恐ろしかった。
自分ですらそんなことがわかってしまったのだ。ならば当然、いなほもあの男、ミフネの強さを感じ取ったはずだ。
なのに笑っている。その差をまざまざと見せつけられ、キースが次に感じたのは、ただ膝を屈するしかない己への羞恥心だった。
「悪いなネムネ。ちょっと置いておく」
キースはなるべく優しくネムネを横たえると、震える足に力を込めて立ち上がった。
立ち上がれる。なら次は顔だ。触れば、馬鹿みたいに歯が噛みあっていない。下唇を噛みちぎりながら歯を食いしばる。唇を走る痛みが今は心地よかった。震えを消すなら、痛いくらいがちょうどいい。
続いて、立ち上がったはずなのに、棒のように動かない足を、両手でひっつかみながら無理矢理いなほ達に向けて踏み出させた。
地面に張り付いた足が剥がれ、ゆっくりとだが一歩。それだけで全身から再び汗が吹き出し、本能が逃亡を警告する。
「黙れよ……」
逃げて、どうするんだ。追いつくと決めたのなら、まずはあいつみたいに……笑って見せろ。
「何、世間話、してんだよ」
上手く言葉は出ただろうか。それすらも曖昧になりながら、キースの言葉にいなほとミフネ、二人の視線がキースに向く。
「ッ……」
背筋が凍る。だが止まるわけにはいかなかった。口を濡らす鮮血を拭って、無理矢理に笑みを作り出す。
「往来で、あんな殺気だしてるだけで分別なんてないも一緒だろ」
「……それは、そうかもなぁ」
ミフネは面白い玩具でも見つけたかのように目を光らせキースを観察すると、再びいなほを見上げた。
「あの童もお主のか?」
「あぁ、俺の舎弟だ」
「誰が舎弟だ! なった覚えもねぇよ!」
叫ぶと同時、キースの頭はいなほの大きな掌に包まれていた。
「ってわけだから。テメェ、手ぇ出したら殺すぞ?」
ミフネを見据え、軽い口調で、しかし絶対の意志を持って告げる。
こいつも俺のだ。だから手は出させない。ミフネの中に芽生えていた、好奇心という名のキースへの殺意を感じたいなほは、釘を刺すようにそう言った。
ミフネは呆れた様子で肩を竦めた。
「強欲がすぎるぞお主。二匹のモコモコピッピーを追っては一匹も得られぬと言うだろ?」
「生憎と、俺は握力と速力にも自信があるんだ」
「そうさなぁ……なら、この二人をいただくには、まずお主を最初に片付けねばならぬか」
「あぁ。まっ、無駄だがな」
「ほう?」
「勝つのは、俺だ」
「いいや、拙者だよ」
言葉が再び止まる。直後、静かに響きだした二つの哄笑は徐々に大きくなって、遂には高笑いとなって辺りに響き渡った。
「ハハハハ! こうも真正面から啖呵を切られたのは久しいぞ! 愉快痛烈! これほど心地よいのは久しきかな!」
「ケケケケ! 俺もテメェみたいな糞ったれに会えて最低な気分だぜ!」
そうして暫く笑いあった二人は、ようやく普段の落ち着きを取り戻したギルド街の道の中心にいつまでもいるわけにもいかないというエリスとキースの提案に乗り、斡旋所に向けて共に歩き出した。
次回、チーム名決定。