第十四話【サムライハート】
太刀を振る。それだけで敵と呼ぶにはあまりにも弱小な者の命が終わる。
男の周りに死山血河は完成していた。茶色の大地が赤黒く変色するほどに積み上げられた狼の群れ。それはランク無しの魔獣、バウトウルフの死骸だ。それが辺り一面に百を超える数が積み重なっている。例えランク無しの魔獣とはいえ、それをたった一人で作り上げた男の実力は、疑うべくもなく高いとしか言いようがない。
いや、それだけならまだ唯の強者というだけですませられただろう。ギルドのエースクラスならば同じ芸当は可能である。
だが、そこに三頭のクイーンバウトの死骸が転がっているとなれば、話は違う。そして、男の前には、狼の王、キングバウト。Eランクという、ギルドのエースランクすら勝つのは難しい相手が、血だらけで立っているのだ。
キングバウトを含めた、バウトウルフの群れを一人で討伐する場合、最低でもDランク以上の実力が必要となる。それでも、どうにか可能というだけであり、群れを壊滅させ、その王すら傷だらけにせしめた男は、幾つか裂傷があるものの、戦闘に支障が出るほどの怪我はまるで負っていなかった。
ともすれば、このままさらにもう一回群れを討伐することすら可能である。男は、己に残った体力と怪我の具合を鑑みて、そう結論づけた。
「……」
心が躍らない。振るう刃の精彩は欠けてはないものの、それを振るう心こそが欠けていた。
心技体の心が足りぬ。恥じるべき事実だ。敵を求めるだけの修羅に陥ったがゆえに、飢えが己の大切なものを殺す。
別に殺し合いがしたいわけではないのだ。ただ、互いの命すらも燃え上がらせて擂り潰し、壮絶な死闘の果てに得られる栄光の勝利が欲しいだけなのだ。
常人に言えば狂気ともとれる思考だが、男にとっては夢見る乙女のように、他人に話すには恥ずかしく、しかし尊い願いである。
己を殺しきれる実力を持つ強者を欲する。しかもただ強いだけではなく、心も強靭たる、願うは文字通りの鋼。
そんな男の内心の揺れを感じとったのか、キングバウトの巨体が跳んだ。クイーンウルフよりもさらに一回り大きい体躯でありながら、その速度は残像すら残すほど。開けた平地であるというのに、強化魔法を使用した人間ですら目では追い切れぬ速度だ。
だが相手は桁違いの人外。容易には目で追えぬ速度を容易に目で追う。男にとっては、キングバウトの踏み込みなど造作なく見切れる程度のものでしかなかった。
男が右に軽く飛ぶと、先程まで男がいた場所をキングバウトが通り過ぎる。その一瞬に合わせて男の持つ刀が走った。
神速の太刀。キングバウトの突撃の速度を倍しても尚届かぬ閃きがその巨体を切り裂いた。
痛みに呻きながらキングバウトが突撃の勢いのままに地面を転がり滑る。満身創痍の体に深々と入った太刀は致命的だ。最早、この場で男に勝ったとしても、生存は叶わぬ。それほどの重傷。
それでもキングバウトは立ち上がった。駆逐された群れの王として、敗北した王が故に、キングバウトは立ち上がる。
「獣の矜持か……その意地、見事」
男は一言、傷つきながらも屈しようとしない王の姿に敬意を表すると、一層眼光を鋭くして満身のキングバウトに対して、油断なく構えをとった。
「刀匠、キリエ・カゼハナが遺作の一。劣化心鉄金剛『断斬━たちきり━』」
太陽に照らされた長大な太刀から、鬼気ともとれるものが溢れだした。
それは、濡れ滴る月光の牙。規定を破る狼になれなかった出来そこないの一本。
しかし、月光に挑む資格を持った究極の刀剣が一つ。
その威圧感に晒されながらも、キングバウトは全軽姿勢を取る。残された全ての力をその四肢に込めて、更迭すら引き裂くその牙で敵を食いちぎらんと殺気を充満させる。
「いざ、尋常に」
男はキングバウトの殺気を自然体のまま受け流して待ちかまえた。
来い。獣の王の最後の散り際、魅せてみよ。
王の体が低く沈む。合わせて、男も僅かに膝を折って溜めを作った。
一閃集中。
「神楽……七十七式」
キングバウトが最後の攻勢に出る。手負いの獣が放つ最大最強の突撃。だが男は深々と被ったフードの下の眼光は冷たいままに、手に持った太刀を合わせた。
百以上の獣を葬りながら、まるで斬れ味が衰えない名刀が、速度だけならばトロールキングすら凌ぐとされるキングバウトの突進が男に当たるよりも早く振り抜かれる。
一閃。雷光の煌めきにも似た一刀がキングバウトの体を真っ二つに引き裂いた。
断末魔もなく、地面に落ちるまでに絶命するキングバウトの最後を確認もせずに、180は超える男ですら、背にしなければ持つことも出来ぬ太刀を、背中の鞘に器用に収めた。
「つまらぬなぁ」
心は踊らない。微かに裂かれた頬から溢れる鮮血を拭うその表情は、どことなく暗かった。中々刺激のある戦いだったが、所詮は犬畜生との殺し合い。技巧を尽くし、技量を吐きだし、絶技を応酬し、死の果てに限界を超えるような心躍る戦いにはまるで届かない。
せめて魔族と戦えれば違うのかもしれないが、魔王戦争後、平和となってしまったこの大陸では、そのような猛者と戦うことは叶わない。
「見事にございました」
男の戦いが終わって数分後、それを見計らったかのように、戦場の跡地に二人の少女が現れた。どちらも腰には立派な刀を帯刀し、黒のニット帽を目元まで被っている着物の少女という、アンバランスな出で立ちだが、ニット帽の影に隠れたその顔は、そんなアンバランスな服装も似合う程美しい容貌だ。
男は彼女達が差し出したタオルと水を受け取ると、自分達以外に誰もいないのを確認してから、耳当てを外し、フードを脱いで汗を拭い水分を補給した。
戦いで失った水分が喉を潤す。それでも、心の渇きばかりはどうにもならなかった。
飢えは一向に満たされない。足りぬ、足りぬのだ。以前いた大陸ではついに会えなかった猛者を求めてここに来たと言うのに、未だに猛者とは巡り合えぬ。
風の噂で聞いた猛者は遠い。傾いた天の城と呼ばれる無敵のギルド。エヘトロス帝国が最強の女帝とその配下。そして今いるアードナイ王国が王族を筆頭とした四カ国連合の貴族達。
だが、傾いた天の城のギルド員は何処にいるかわからず、エヘトロスは遥か北。四カ国の王国の貴族達は、そもそも自分のような流れの剣客を相手になどしない。
今男に出来るのは、こうして手慰みに魔獣を狩ることだけであった。
つまらぬ。ひたすらにつまらぬ。食うことしか能のない畜生を斬るためだけに、己は自身を鍛えたのではないのだ。
「……ここより北東にあるマルクという街にて、闘技大会が近々行われるとのこと」
そんな男の気持ちを察してか、少女の一人がマルクの大会についてのことを話す。
だが男の表情は優れない。内容を聞けば、出れるのは大会に参加したことのない者だけだというし、集まるのはマルクの学生や、各地の期待の新人達だという。それにルールがあるというのがいただけなかった。確かに、公で人対人の戦いを行えるのは魅力的だが、殺意を欠いた戦いなど自分は望んではいなかった。
だが慰み程度にはなるだろう。そう考えた男の表情の曇り具合を見てか、少女は「あくまで風の噂ですが」と前置きしたうえで「マルクに、魔族を一人で倒した男がいるとのことです」と言った。
「何と……それは、真か?」
「あくまで、噂にすぎませぬ」
男の期待に満ちた表情を汚すのは嫌ではあるが、それでもあくまで噂だということを強調する少女達。だがしかし、男はそんな噂にすら縋りつきたい程、強者に飢えていた。
願わくは、まだ見ぬ猛者がいることを祈ろう。そっと背中の太刀を鞘越しに触れる。
お前も望んでいるだろう。いつまでも畜生の血ばかりでは足りぬ故。
「ククク」
ふと、男は笑った。いやしかし、結局なんやかんやと取り繕って見せてはみたが、猛者と会えるとわかっただけでこうなる自分を取り繕うことに一体何の意味があるというのだろうか。
「所詮、拙者も犬畜生よな」
結果、血を欲しているのだからどう違う。
己は、肉を欲する代わりに猛者を欲している。唯それだけの違いしかないと言うのに。
そして、男はマルクを目指す。見果てぬ敵を、居るであろう強者を求めて。
奇しくも、その敵もまた、強者を求めている飢えた獣であるというのは何たる偶然か。いや、これは偶然ではあるまい。
男の名を、ミフネ・ルーンネス。恐るべき修練を積み重ねた狂気の剣客。
目指すは北。待ちうけるのは史上最強の不良勇者。
出会うべくして出会う必然。
運命は、男と男を駆り立てた。
次回、クロスポイント。
人物説明
ミフネ・ルーンネス
詳細・美少女二人侍らせたリア充。焼きそば大好き。
劣化心鉄金剛
詳細・文字通り、心鉄金剛を模した劣化贋作。性能はオリジナルに比べて超劣悪。詳しくはウェブで。