第十三話【ヤンキーとあべこべ少女】
「ハッハー! 糞ゴブリン共がうじゃうじゃとご機嫌じゃねぇかぁぁぁぁぁぁ!」
モンスターハウス。筋肉フィーバーで阿鼻叫喚。
「何だこのスイッチ? お?」
落とし穴。敷き詰められた棘が筋肉によって粉砕。
「……ここ何処だ? めんどくせぇから掘って進むか」
ダンジョンマップ無し。筋肉が壁を壊しながら進む。
「お! なんか光ってやがる! ってうぉぉぉぉぉ!」
そして最後は強制送還さよならバイバイ。
「……つまんねぇ」
なわけで翌日、不満げに眉をひそめながら、いなほは再び迷宮に潜り込んでいた。
振り返るのは先日の迷宮での出来事である。アイリスの思っていた通り、いなほは道を遮る魔獣も、襲いかかる罠の数々も強引に突破していたのだが、途中で触ってしまった帰還用の魔法陣をうっかり起動させてしまい、迷宮入り口まで戻されてしまったのだ。
魔獣はランクも持っていない雑魚しか現れず、興味のないことへの学習能力が皆無ないなほは、悉くの罠に引っ掛かることで足止めを食らい、そのせいでストレスがたまっていた。
最も、迷宮に意志があるのだとすれば、片っ端から魔獣を殲滅し、罠のほとんどを筋肉一つで無効化し、さらに迷宮の至る所に穴を開けて突き進まれたのだから、迷宮こそこの筋肉馬鹿に不平不満を零したいところだろう。さらに後日、迷宮の壁に穴が開いたせいでマップが変化したために、何てことをしてくれたんだと教師達からアイリスが説教を食らうことになるのは、あくまで余談だろう。
ともかく、その日は結局地下五階までしか探索出来なかったので、今日はそういった物に引っかからないように、ある程度周りに気をつけながらいなほは歩いていた。
「しっかし陰気臭ぇったらありゃしねぇぜ」
壁に掛けられている灯りがあるとはいえ、薄暗く、日の光が差さない迷宮は何処かじめじめとしている。
出会う魔獣は拳一つで黙らせ、罠には気をつけてはいるものの、解除方法など知らないので、ごり押しで進んでいた。
そして特に何かが起こるわけでもなく、先日到着した地下五階に辿りつく。先日好奇心のままに触れてしまった階段近くにある転移陣には触れないようにして、一層暗くなってきた迷宮を進むことにした。
今日は学院が休日であり、上級生ならば迷宮に入り込んでいるとはいえ、地下五階になると学生レベルの人間は見つからない。話す相手もいないので、無言のまま突き進む。マップがないために突き当たりによく遭遇するが、そこはそれ、野生の勘で方向だけはどうにか把握しつつ進んでいると、通路の一部が盛り上がっているのをいなほは見つけた。
「ったく、くだらねぇぜ。まっ、ガキたらしこむならこんなもんか」
また罠か、とあからさまな配置に柄にもなく苦笑が漏れる。
全く、こんな分かりやすい罠なんざ、猿でもない限りハマるわけがねぇっての。
呆れ半分、面白半分、いなほはドヤ顔で盛り上がった個所を避けるようにして進み。
カコン、と、何かを踏み抜いた音が静寂の迷宮内に響き渡った。
「あぇ?」
そして、突如の浮遊感。真下に空いた暗がりを認識した直後、全身の血液が頭に昇り、体が一気に下に引きずられる。
さもあらん。罠を避けた先に、隠された本物の罠が仕組まれていたというだけの話であった。
「やりやがったなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
空洞に声を響かせながら、いなほの体が真下に開かれた落とし穴の暗闇へと消えていく。木霊する叫び声はさながら阿呆の鳴き声。
もしもこの場にアイリスがいたなら大爆笑していたに違いない。どころか感動のあまりにむせび泣いたかもしれない。
それほど見事なドヤ顔垂直地下落下。
まさにテンプレ通りの展開を地で行くいなほであった。
だが悲劇はそれで終わらない。いつもの落とし穴なら、数メートル落ちたところで槍衾のトラップがあったのだが、数メートルは超えたというのに地面が見えない。
落ち続けている。いなほはどうにか空中で姿勢を正すと暗闇を睨んだ。
「こ、のぉ!」
やけっぱちに伸ばした右手が壁を掴む。土砂をまき散らしながら、右手一本で落下スピード減殺。しかし自身の重量と落下速度の二つが混ざり合い、壁が崩れて止まらない。
「うおらぁぁぁぁ!」
そこでいなほは壁を思いっきり蹴りあげた。壁を蹴ることで一瞬でもいいから速度を零にし、その間に壁にしがみ付こうと考えたのだが。
誤算は、動揺のあまり力加減を誤ったことにあった。
蹴り足は壁に反発するでもなく、豆腐か何かを砕くかのように土壁を掘削する。そのまま天高く振り抜かれた勢いで、いなほの体の天地がひっくり返った。
「あら?」
完全な暗闇とはいえ、上下が逆さになったことくらいは分かる。何の抵抗もなく壁を壊した事実に、柄にもない素っ頓狂な声が漏れた。
「クソがぁぁぁぁぁぁ!」
落ちる。落ちる。ある程度減速出来たはいいが、しかしそれだけで、結果として落下するのであれば意味はない。
天地が逆さになったことにより、真下の暗がりの奥、うっすらとした輝きを確認することが出来たのは不幸中の幸いだろう。とりあえず受け身とるしかねぇかと、常人なら着地と同時に絶命確定の速度で落ちながら気楽に構えるいなほ。
光がどんどん近付く。そして数秒もせずに地面がはっきりと確認できた。
「せーの!」
地面に触れる瞬間首を竦め、両手で白い骨が積まれた地面をはたき、接地と同時に真横に飛びながら体を丸めて大地を転がりつつ受け身をとる。
驚異の筋肉故になせるありえぬ受け身技。ドヤ顔落下を挽回する完璧な受け身をとりつつ、負傷もなくいなほは立ち上がった。
「へっ。よ、余裕だぜ、オイ」
内心ではちょっぴり驚きながらも、誰に言うでもなくそんなことをいなほは呟いた。
辺りを見渡せば、自然の土をくりぬいて出来た通路ではなく、職人の手によって作られた石壁によって通路は構築されていた。
数秒、様変わりした迷宮の様相を眺めていると、いなほが落ちてきた穴がゆっくりと閉じて行く。
人食いトラップといったところだろう。突然落下して、石の地面に叩きつけられ絶命する。穴の真下に積み上げられた白骨が、この罠が過去食らってきた人の数を物語っていた。
とはいえ、今回は相手が悪かったとしか言いようがないだろう。過去、トロールキングによる超高層ビルを叩きつけられるような攻撃すら迎撃したいなほには、驚きこそあれ、それ以上のものは与えられなかった。
「ふぅ……」
深呼吸を一つ。呼気を整え心も落ち着いたところで、いなほは軽く拳を作ると、背後の薄暗い通路の向こうを睨んだ。
「見世物じゃねぇぞ?」
「……あの芸当、見世物でも通用すると思いますが?」
返ってきたのは何処か乾いた印象を受ける少女の声だった。暗がりより現れたその少女は、まるでしわがれた老婆のように覇気のない雰囲気を纏っていた。
達観、というより傍観。そんな眼差しにいなほの眼光が苛立ちに揺れる。エリスにですら負けそうなくらい弱々しい面持ちの少女でありながら、内在する戦力の桁がそれに反比例するかのように強大であった。
偏り過ぎている。一言でまとめると、その少女はそうだ。老婆のような少女で、弱者の雰囲気を纏う強者。
自然、怒気という名の闘争心がうずくのも無理はないというものだ。隠すこともなく剥き出しの戦意を放ち始めるいなほに対し、少女はくたびれたように目を細めると、容易くいなほの射程距離内に足を踏み入れた。
戦意が膨れ上がる。物理的な圧力を持ついなほの威圧を、少女は柳に風とばかりに受け流した。
「怖い人ですね。今、私を殺そうとしました?」
「……変な奴」
吹けば飛ぶような笑みを浮かべているというのに、地中深くに根を張っているかのように微動もしない。いなほは率直な印象を少女に告げていた。
飄々としていて掴みどころがない。真正面からのぶつかり合いが最も好みのいなほにとって、最もやりにくいタイプの一人である。
だが敵というわけではない。見た目の印象にばかり目がいっていたが、少女の服装はここの学生が着ていたものと同じだ。
むしろこの場合、不審者なのはいなほのほうだろう。出会った早々に殺気をまき散らして臨戦態勢に入る、学院の者には見えない風貌の男。普通なら逃げられるか、魔獣と勘違いされて攻撃されてもおかしくない。
「あなたも私とは違った意味で相当変人でしょうに」
故に、少女の言葉は正しい。強者と見れば誰振り構わず喧嘩を売るいなほと、そんないなほの喧嘩を緩やかに断った少女。どちらも変人でなくて何と言おう。
そも、今現在彼らのいるこの階層には、常人レベルは立ち入ることすら叶わない。
地下二十階、最下層。アイリスすら油断出来ぬ危険領域。そんな場所にたった一人でいる者がまともなわけがあるまい。
少女はふと思い出したかのように手を差し伸べた。握手をしようと言外に、いなほはその意図を理解して、その手を握り返した。
死人のような冷たい感触でありながら、仄かに感じる生の暖かさ。
滅茶苦茶な女がいたものだ。疑念を隠すことなく表にだすいなほを見返して、少女はその雰囲気にはまるで似合わぬ、向日葵のように暖かな笑みを浮かべた。
「私はメイリン・メイルーと言います。マルク魔法学院の生徒です、泥棒さん」
「早森いなほ。泥棒じゃねぇ。ちゃんと許可とってここに来てる」
「あら、失礼しました。よろしくお願いしますハヤモリさん」
柔和な笑顔が不気味である。天秤がどちらにも傾いていると言えばいいのか。
初めて会うタイプの人間だ。というか、こんな人間がこの世に存在したのかという気持ちになる。
だがまぁ思い返せば、ここに来てから、もっと化け物らしい化け物には会っていることをいなほは思い出した。
レコード・ゼロ。巫マドカ。そして極限の狂気、無敵の魔人、アート・アート。あの化け物共に比べれば、遥かに人間らしいというか……
「ん? メイリン・メイルーって言えば……」
「はい?」
脳裏に引っかかる名前に首を傾げる。アート・アートからの依頼。その内容──
そうだ。こいつ、脅迫状で脅されていたはずだ。
「思い出した。テメェ、ここで一番強ぇ奴らしいじゃねぇか」
「……そうでもないですよ」
いなほの手を放すと、メイリンは自嘲した。
謙遜という感じではない。心からそう思っているかのような響きに、いなほは不愉快そうに鼻を鳴らすと、伏し目がちのメイリンの頭にその大きな掌を乗せた。
「くっだらねぇ。ガキは自信過剰くらいがちょうどいいんだよ」
そのままぐしゃぐしゃと頭を撫でる。成すがままに撫でられるメイリンの表情は、固さはあるものの、穏やかなものに戻っていた。
「……ハヤモリさんって幾つ?」
「あー……20くらいだ」
撫でられながらメイリンが笑う。
「おかしいわ。そんなに年も違わないのに、ハヤモリさんたらおじさんみたいなことを言うんですね」
「うっせ」
掌を退けて、いなほはメイリンに背を向けた。いなほの子どもっぽい仕草にメイリンの微笑みがさらに深くなり、小さな笑い声も漏れてきた。
「ともかくだ。とりあえず、ここが何処だかしらねぇか?」
「知ってるって……あぁ。ここは迷宮の最下層ですよ」
「そりゃ好都合だな」
いなほは笑って見せると、「じゃあな」と告げると、メイリンに背を向けて歩き出した。
そんないなほのシャツを掴む掌。振り返って何すんだと言外に睨みつければ、それはこちらのセリフだとばかりに睨み返された。
「ここ、ランク持ちの魔獣が闊歩してる危険区域ですよ? 一人で出歩くのは危ないです」
「お前は一人じゃねぇか」
「私はいいんです」
「なら俺も大丈夫だな」
そう言うと、再び歩き出すいなほだったが、掌は未だに離れない。
うざったらしい糞ガキだ。だが無碍にするにも気が削がれているいなほは、溜息を盛大に吐き出すと、どう言ってメイリンを引っぺがすか考えた。
まぁ、考えるまでもなく、素直に目的を話すしかあるまい。
「ヴァドって魔族が最下層にいるみてぇなんだよ。俺ぁそいつをやりに来たわけ」
「……成程」
「じゃ、わかったらさっさと離せ」
「なおさら逃がすわけにはいかなくなりました」
どうせ危ないから行かせるわけにはいかないというやつだろうと、いなほはあたりを付けた。
だからそういう心配はいらないと、いなほはメイリンに告げようとして、それよりも僅かに早く、メイリンは意外な言葉をいなほに言うのであった。
「だってここ……何もありませんよ?」
「何だって?」
驚きと疑念がいなほの心中で渦巻く。何もないという言葉の意味をどうとるか。二の句を迷ういなほを他所に、メイリンはさらに理由を述べて行く。
「それにこの先は幻惑系の罠が幾つも張られています。失礼な話ですが、落とし穴にかかるくらいにうっかりなハヤモリさんでは、幻惑の罠にハマったら逃れられない可能性が高いですよ?」
「むっ……」
あまり納得のいかない話ではあるが、メイリンの言葉は、先程の理由よりかは納得がいった。
迷宮の敵に関しては問題ない。アイリスの言葉が正しいのであれば、最大でもCランクの魔族であるヴァド。次点はそこからさらに離れて、トロールやオークといった魔獣だ。なので戦う分には良いのだが、罠に関してはいなほは学生にすら劣る。
ここまで筋肉の不条理で罠もごり押してはいたが、幻覚に何処まで通用するかは分からないのだ。
「……だけどよ。俺ぁヴァドって奴に会わなきゃならないんだよ」
「どうしてですか? 仮にハヤモリさんの言う魔族がいたとして、どうして戦う必要があるんですか?」
「そりゃ……」
メイリンの質問に馬鹿正直に応えようとして、思いとどまる。狙われている当人にそれを話すのは、注意を促すという意味ではありかもしれないが……
直感がわなないている。この女は、『ろくでもない』。
「趣味だよ。俺はついででここに来たからな。暇つぶしに強い奴と戦えるなら最高だろ?」
「もしかして戦闘中毒者ですか?」
「何だその堅苦しい呼び方。俺ぁただのヤンキーだよ」
「ヤンキー?」
聞き慣れぬ言葉どころか世界が違うので、メイリンが知ってるわけがない。いなほはニタリと不敵に笑ってみせた。
「不良、最低、クズ、カス、下衆、クソったれ。他にも色んな意味があるが、そういうやつのことだよ。つまりテメェの前にいる奴はな、そういうしょうもねぇ奴なんだ」
「つまりハヤモリさんは犯罪者なの?」
「おう、気に入らねぇ奴は殴って金むしり取ってきた糞ったれだよ。どうだ? 最高だろ」
だからさっさと離れろ。そう続けようとして、いなほとメイリンは同時に二人を挟む形で漏れだした殺気を感じ取って口を閉じた。
「獣臭いですね」
「鼻がひんまがるぜ」
無意識で二人は背中合わせになった。一本道の通路の両方から、通路を照らす光に照らされて六つの異形が現れる。
「■■■■……」
言語にならぬ鳴き声をあげるのは、ぶ熱厚い筋肉と脂肪の両方を持つ豚のような顔をした魔獣。H-ランク、オークだ。
装備は腰布と石を削りだした棍棒といったお粗末な装備だが、前述した通り、分厚い筋肉と脂肪はそれだけで充分な鎧と武器の二つの役割を果たす。体躯はトロールよりも低く、丁度成人男性よりやや大きいくらいだが、トロールよりかは敏捷性に優れ、何より、トロールよりも集団で行動することで知られている。
集団を相手どるにはGランク程度の実力は必要であり、常に集団であることから、その討伐の難しさはトロール以上とさえ言われているのだ。
だが、唯の冒険者なら遭遇するだけで死を覚悟せねばならぬ相手だとしても、今回ばかりは相手が悪かったとしか言いようがない。
メイリン・メイルー。家族全員がランク持ちという名家であるメイルー家の長女で、高等部一年ではナンバーワンの実力を持つ才女。高等部一年にして、既にその能力はG+ランクという、アイリス・ミラアイスに匹敵すると言われている招来有望な学生。
彼女だけでも、五体のオーク程度では、善戦こそすれ容易く敗北するだろう。
そしてこの場にはさらにもう一人、最強の人類が存在しているのが、オーク達最大の悲劇だったと言えよう。
「ひひ! ゴキゲンだぜオイ!」
踏み出した足が迷宮を揺るがした。石造りの通路の天井から砂が舞い落ちる程の揺れ。一歩の衝撃で通路が一部クレーター状に陥没する。
そう、脅威はメイリンではない。この男こそ最強の脅威。トロールの集団を容易に打ち貫き、遂にはトロールキングすら倒して見せた史上最強の男。
Cランク。天災級。
「行くぜ豚共。豚らしい悲鳴を聞かせろや!」
早森いなほが、ここにいる。
次回、サムライハート。