第六話【まっぱヤンキーと説明少女】
シャワーでは通じなかったのは流石に焦ったいなほだが、どうにか水浴びをしたいという意図が通じ、エリスの案内で二人は近場にある川に来ていた。
生まれも育ちもコンクリートに囲まれた世界にいたいなほの知る川とは、捨てられたゴミや様々な事柄が重なって生まれた底の見えない汚い水だ。そんなわけで当初は服を洗えればいいやというだけの考えだったいなほだが、目の前に広がる澄んだ水を見て、感嘆のため息を漏らしていた。
「こいつぁスゲェ」
「このくらいの川なら何処にでもありますよ?」
「俺のいた場所だとよ、底の石なんざ見えないくらい汚いのが当たり前だったんだ。その点この川のスゲェのはスゲェってもんよ」
「へぇ……そうなんですか」
いなほは道案内のために肩に担いでいたエリスを下ろすと、サンダルを履いたまま川に入った。
肌に鳥肌が立つくらい冷たく、芯に来るほど気持ちいい。熱に浮かされた肉体がつま先から冷却される感覚は言葉にもできない清々しさをいなほに与えた。
「そういえばいなほさんは、何処から来たんですか?」
「あー? 日本だよ日本」
「ニホン、ですか? それって何処にある国なんですか?」
「お前、日本語話してるのに日本知らねぇのか?」
驚いたとばかりに、水と戯れていたいなほはエリスに振り返った。川辺で適当な石に腰を下ろすエリスは、本当にわからないといった様子だ。
互いに首を傾げる。まぁ別にいいやといなほは結論した。面倒なことは考えない、というかだるい。
「まっ、話せるなら別に構わねぇか。つかエリス」
「は、はい」
「ここら辺のことについて知ってること教えろや。こちとら来たばっかで何も知らないんでな」
「ここら辺って……ならマルクのことでも話しましょうか?」
「マルクってーと……さっき言ってた町か?」
「はい! 近隣の村の収穫物は基本的にあそこで売買しているんですよ」
エリスはそう前置きすると、マルクについて語りだした。
そもそもはアードナイ王国の左端にあり、周りを様々なダンジョンや森に囲まれている都市だ。アードナイを含めた四カ国の国境に跨っていて、国家間の中立地帯となっている。だがすでに五年前、アードナイの現国王によって、四カ国同盟がなされているため、中立としての立ち位置は形骸化していたが、それでも昔から四カ国の交流の場として使われていたため、現在も国同士だけではなく、様々な種族も入り乱れる町として賑わっている。そしてトロールも含めた魔獣の現れる森やダンジョンが複数あることから(マルクの都市内にも地下ダンジョンが存在する)、いくつもの冒険者ギルドの本部や支部が設立されていることでも有名だ。
「他にも魔法学院という魔法を学べる処もあって、マルクに住んでいる子どもから、近隣の村や遠くの国から来た子ども達がそこで魔法を学んでいるみたいなんですよ。そして学びながらギルドに登録して実戦も経験する──っていなほさん何してるんですか!?」
語るのに熱中していたエリスがいなほを見ると、彼はいつの間にか服を全部脱いで川の水と戯れていた。
聞いてきたのはそっちなのに何で話聞いていないのかという苦情も浮かばない。慌てて顔を背けたエリスは「見ちゃった。見ちゃったよぅ……」と顔を真っ赤にしてぶつぶつと呟く。
いなほはといえば豪快なセクハラをかましたという自覚もないままに、汚れた服と体をせっせと洗っていた。ちなみにエリスの話など前置きの時点で聞いてはいない。
うーうー呻きつつ、エリスは顔を両手で覆いながらこっそり川へと目を向けては慌てて背けるを繰り返す。純朴で思春期な少女には、大の大人の全裸は刺激的すぎる。
「なんだエリス。さっきからチラチラチラチラとよ。言いてぇことがあるならさっさと言いやがれ」
「もう! いなほさんはそんな、ぜ、全裸で恥ずかしくなんですか!」
「侮るなよエリス。親からもらったこの五体、誇りはあるが恥ずべき点は何処にもねぇ!」
「私は恥ずかしいんですよぉ!」
ちょっと涙声になりながら叫ぶエリスではあるが、その乙女の叫びもヤンキーにはどこ吹く風。軽くシカトして血のこびりついた服を洗う作業を再開する。
初めて会った時のあの神々しい勇者への尊敬の念はすでにエリスにはない。理想の勇者の姿が崩れていくのを感じながら、エリスはさめざめと涙した。
憐れは乙女の妄想か。彼女が大人の女性になる日もそう遠くはないのかもしれない。
「もう! バカ! いなほさんのバカぁ!」
捨て台詞を吐いて、エリスは這うようにしてその場を後にした。痛む足がもどかしい。でなければこんなセクハラ現場には一秒だっていなかったのに。
でも、とエリスは父以外に初めて見た男の人の裸を思い出して顔をさらに赤らめた。白状すれば、いやらしい意味ではなく、いなほの裸はとても綺麗だった。鍛え抜かれた鋼の肉体は、一重に何かを叩くということに特化しているからこそ『美しい』。恥ずかしさもあったが、それとは別に悔しい感情がエリスにはあった。異性で体を比べるのも変な話だが、いなほに比べ、エリスは自分の肉体の貧相に落ち込みを隠せない。
「薪、集めよう……」
足は痛むが、走るといった無理をしなければ大丈夫だ。先程のことを忘れることも兼ねて、エリスは川の近く、あまりいなほのいる場所から離れないように薪になる木を探し始めた。
こうして薪を集めれば、つい昨日まで当たり前だった日々が甦る。涙目になりかけて、エリスは慌てて目元を拭った。思い出したら、辛くなってしまう。でもやっぱし思い出さないようにしても、家族の顔、友人の顔、優しい村の風景が脳裏に浮かび、涙腺を刺激する。
でも今は我慢しないといけない。まだ生きている人もいるかもしれない。その希望があるから、あの惨状を見ても、エリスは何とか踏ん張っていられる。普通では考えられない心の強さだ。エリスは確かにただの田舎の村人だが、人一倍優しく、そして人一倍心が強い。
だけどやはりただの少女なのも事実なのだ。うっすら目じりに浮かんでいた涙が、一つ、また一つと、薪を拾う度に零れ落ちる。
「泣いちゃ駄目。泣いちゃ駄目」
自らに言い聞かせるように呟きながら少女は薪を集め続ける。苦しいけど、悲しいけど、そこで泣き崩れたほうが楽なのも知ってるけど、倒れたら前に進めないのがわかるから、エリスは決して膝を折らない。
そうして暫くして、彼女がその手一杯に薪を持って川に戻ると、ちょうどいなほも水浴びを終えたのか、下着一枚で川辺に寝そべっていた。
「いなほさーん!」
危なっかしい足取りでエリスが歩いてくる。いなほは立ち上がりエリスの元に行くと、持ってる薪を半分受け持った。
「ありがとうございます」
「気にすんな」
エリスは花のように微笑むと、手慣れた手つきで川辺の石をどけて、薪を組み立て始めた。
「何するんだ?」
「寒くないですか? ここの水、年中冷たすぎるので村の中じゃ常識ですから、今火をつけますので温まってください」
下着一枚とサンダルだけのいなほを見てエリスは言った。実際にはそこまで寒くないいなほだが、好意を無碍にすることもあるまい。「おう」と軽く頷くと、火のつけかたなどわからないいなほは、エリスの作業を興味深く見た。
せっせと積み上がる薪は、いなほにはさっぱりではあるが火が付きやすいように組み立てられている。積み木を見ているかのようで、見てても飽きない面白さがあった。
「よし……後は」
エリスは両手を軽くはたくと、静かに目を閉じた。何をするつもりなのか、いなほがその様子を見ていると、エリスの体から蛍の光のような緑色の粒子が溢れだしてきた。エリスはこぼれだす光を集めるように右手を掲げると、人差し指と立てる。光は意思があるかのようにエリスの指先に集まると、淡い輝きを一層強くした。
幻想的な風景にいなほが言葉を失っていると、ゆっくりとエリスが目を開いた。
「『一握りの灯火よ』」
まるで世界中にでも響いたかのような、それでいて何処までも穏やかな声音と共に、エリスの指先の輝きが小さな炎に変貌した。
「おぉ!?」
これで何度目の驚きか、突然の怪奇現象に声のないいなほを他所に、エリスは指先の炎を維持しながら、そっと薪に点火した。
ゆっくりと火が燃え広がり、エリスが指先を放して指先の火を消せば、薪の火は暖かい熱を伴ってゆらゆらと空に向かって伸びていく。
「さぁ、体、温めてください」
薪を両手に持ちながら笑うエリスを、いなほはしげしげと見つめた。
舐めるような視線に晒されて、エリスはどうしたものかと右に左にと視線をやり、「あのー、いなほさん?」と声をかけた瞬間。
「テメェ! やるじゃねぇか!」
その逞しい両手で、がっしりと肩を掴まれたのだった。
「え? えぇ?」
混乱するエリスに、いなほは続けて「なんつうかスゲェ」とか「やるじゃねぇかスゲェ」とか「全く予想外にスゲェ」等、エリスの体をゆすりながらスゲェスゲェと連呼する。
「あぇ!? あぇぇぇ!?」
だがゆすられるエリスとしては堪らない。自分は火をつけただけなのにどうしてこんなに体を滅茶苦茶にされなくちゃいけないんだとか、というかスゲェって一体何が凄いんだとか混乱の極みだ。
暫くそこでは下着一枚のマッチョに両肩を掴まれゆすられる薄幸少女の図が繰り広げられたのだが、いい加減目が回ってやばくなったエリスが「や-めーてー」となさけなく訴えたことにより、いなほの意図しない危険行為は誰に見られることなく終わるのだった。
「おう、悪いなエリス。いやー、生まれてこの方光る人間も指から火を出す人間も見たことなくてよ。柄にもなく興奮しちまったぜ」
「え、と……いなほさんは、もしかして魔法を見たことないんですか?」
「マホウ? 何だそりゃ、武術かなんかか?」
全く知らないと言ういなほに、今度はエリスが驚く番だ。
「え!? 魔法を知らないって……いなほさんいつもどんな生活してるんですか?」
「あー……あれだ、ムカつく奴をぶん殴って……つか俺のことは別にどうでもいいだろ!」
「ひぃ!? ご、ごめんなさい!」
「わかりゃいいんだわかりゃよ」
いなほの剣幕に思わず謝ったエリスだが、実際は喧嘩して巻き上げた金で生活してましたなどと言えるわけのない、いなほの見栄のために謝る羽目になったとは露とも思っていないだろう。
ともあれ、魔法を知らないといういなほの言葉はエリスとしても驚きだった。
「この国、いえ、私の知る限りの世界だと、大なり小なり、魔法を使えるのは当たり前なんですよ」
「あ? じゃあつまり、ここの奴らは誰でも指から火ぃ出したり、体を光らせたりすることができんのか?」
「えぇまぁ……というか、そもそもいなほさんの言う光は、魔力って言うんですよ」
「魔力?」
「はい、魔力は誰にでも備わっている、魔法の源になるエネルギーです。例えば、この薪を魔力としますね」
エリスは片手に薪を持ち、ぷらぷらと揺らした。
「そして、その魔力に形をもたらすのが『式』です。先程私が呟いた詠唱。あの言葉に魔力を込めることによって」
手に持った薪をエリスは火の中に投げ込んだ。音をたてて薪が燃え上がる。エネルギーは炎という形を得た。
「このように、魔法としてこの世に顕現します。でもただ詠唱するだけでは駄目なんです。詠唱する言葉に込められた意味を理解することで、適切な形に組んだ式に、魔力という何にでもなりうる力を通して実態となす。普通は私のように火を出す魔法や、水を出す魔法程度なら、駐在してる兵士さんや親に、大きな町に住んでいたら魔法学院で教わるんです。」
「あー……つまり、その魔力ってのがあれば、俺も火を出せたりするのか?」
「正しくは魔力単体だと意味はないんですが……いなほさん、魔力出せます?」
疑うようなエリスを、いなほは「ハッ」と鼻で笑った。
「んなのやり方わからねぇのに出来るわけねぇだろ」
「ですよね……」
堂々と言うべきことではないだろう、と内心でエリスはぼやく。
だが正直な話、エリスはいなほが魔法を使えないとは思っていなかった。何せあのトロールの群れを一人で殲滅したのだ。魔法を使った感じはしなかったが、もしかしたら無意識で魔法を使っているのかもしれない──とまで考えて、やっぱしそれはないなとエリスは断じた。
魔法はただ魔力があればいい話ではない。膨大な魔力があれば越したことはないが、魔法には後にも先にも理解が必要不可欠だ。魔力とは、何かの形になる前のエネルギーである。それ単一は外界に光として現れる程度の影響力しかない。だが、魔力を扱う術者がそれに形を与えることで、外界に強い影響を与える力となるのだ。最もポピュラーな魔法は、言語魔法と呼ばれる、先程エリスが使った言葉に魔力を込めて、その言葉の意味に合った何かを顕現するものである。日常的に使っていて、最も簡単に理解が可能な言語魔法は、一番使われている魔法でありながら、奥が深い魔法である。ちなみに、強い言葉を顕現させるには強い魔力が必要である。他にも、体や道具に刻んだ刺青を媒体とする魔法等の、言語に頼らない魔法も幾つも存在する。
魔力を込めるものへの理解と、それらを組み立てて式とする応用力。単純な魔法ならともかく、魔法は優秀なものであればあるほど、より深い学びが必要になってくる。それとは別に、ただ魔力を与えるだけで効果を発揮する魔法具という物品も存在する。
閑話休題。では魔法を使えないといういなほは、ただ嘘をついているのか。と言えばそれも考えられない。半日程度の付き合いだが、エリスはいなほという男が嘘をついて人を騙すといった男には見えなかった。
「じゃあ何でいなほさんはトロールを倒せたのかしら?」
思わず零れた疑問、慌ててエリスは片手を口に当て言葉を飲み込もうとするが、吐いた言葉は掬えない。いなほはやはり得意げに笑うと、自慢の腕を軽快に叩いた。
肌と肌が弾ける乾いた音。「こいつ一本であいつら何ざ余裕だったぜ」力瘤の浮き出る腕をこれ見よがしに見せていなほは言う。
それから誰も頼んでいないのに、昔行った喧嘩について語りだすいなほを、エリスは生温かい眼差しで見守りつつ、こう思った。
あぁ、この人には魔法なんて必要ないや。
ぶっちゃけ、自分の魔法よりいなほの筋肉のほうがよっぽど魔法らしいと、エリスは感じずにはいられなかった。
次回、感傷に浸るヤンキー