第十一話【学童学び舎】
鏡はないが、身だしなみがおかしくない手で触って確認する。初めて着た膝丈の短いスカートを触って調節、本当は股間の辺りがすーすーして落ち着かないので嫌だけど、アイリスが「君みたいな可愛い子はのミニスカは常識だ」と言って渡してくれものなので、今更変えるのは忍びない。首元のネクタイも触って改めてキュッと締める。首が苦しいけど、昨日読んだ校則にあった模範的な生徒の服装は、ネクタイをしっかり締めていたので、苦しいけど頑張ってきつくする。
「ふぅ……」
緊張から、呼吸が荒いし動きが落ち着かない。立っているのに無意識に体は揺れて、視線は色んな方向に飛び交ってしまう。
「えー、それで、本日は転校生が来ております」
目の前のドア越しに自分のことを話されて心臓が跳ねる。大丈夫と心の中で念じて、瞼を強く綴じた。小さく呼吸をして、最後に大きく深呼吸。ゆっくり目を開けて、「よしっ」と己に活を入れた。
「では、入ってきてください」
先生に呼ばれて、慎重にドアを開いて教室の中に入った。四十人程度だろうか。男女それぞれの視線が自分に降り注ぐ。折角落ち着いた心臓が再び強く鼓動を始めて、その音が耳に五月蠅く聞こえてくる。
自分の心音が外に漏れているのではないかというくらい鼓動を激しくしながら、壇上に立ち、背筋を伸ばして気をつけをする。
舐められたくんばかったら出会い頭が肝心だ。腹から声を絞り出せよ。いなほに言われた言葉の通り、大きく息を吸い込んで、教室中に響く声で自己紹介。
「初めまして! エリス・ハヤモリです!」
よろしくお願いします。そう叫ぶように言って、エリスは頭を深々と下げた。
さて、既にわかっているだろうが、ここはマルク魔法学院の高等部の教室だ。エリスの年齢と能力的に考えれば中等部からのほうがいいのだろうが、今回は調査をするので、こうして高等部に編入してきたのである。
ざわつく教室内の空気、エリスはどうしようかと思って、ビビったら負けだといういなほの言葉を思い出し、視線を前に真っ直ぐ固定した。
凛としていて、でも愛くるしさの際立つエリスの姿に、一層ざわつきが大きくなる。そこを絶妙なタイミングで、担任が手を叩いて場を沈めた。
「えー、エリス君はここの卒業生であるアイリス・ミラアイス君の推薦でここに通うことになった。皆仲良くするように」
アイリス・ミラアイスという名前に再びざわつき始める。担任がまた鎮めるが、それでもひそひそとした声は止まなかった。
その名前は、マルクに住み、そして冒険者になるために通っている学生からは知らない者はいないくらい有名な名前である。学院の卒業生にして、ここ十年では最高の成績を収めた冒険者。その推薦となれば、興味を持たないことのほうがおかしいだろう。
だが、その中で一人だけ別の興味を持っている少女が一人いた。マジマジとエリスを見つめるその瞳は、他の生徒とは違い、「え、ちょ、ハヤモリってことは、嘘デスよね」とぶつぶつ呟いている。
「ではそうだな……ハヤモリさんは窓際の席が空いているからそこに座ってください」
「はい」
教師に言われるがまま、エリスは窓際の席に行った。好奇の視線を気にして、でも意に介した素振りは見せずに、空いている席に座る。
「よろしくお願いします」
そして改めてホームルームが再開されたところで、エリスは隣の女子に小声で声をかけた。
「あ、あ、う、うん。こ、こちらこそよろしくデス。えと……」
「エリスでいいですよ。その、お名前を聞いてもいいですか?」
何故か恐ろしいものを見るかのような女子の視線を不思議に思いながらエリスは名前を聞いた。少女は僅かに声を詰まらせると、額に流れる汗を拭って答えた。
「えと、ネムネ・スラープっていうデス。あ、敬語じゃなくていいデスから」
「ネムネさん……ううん、ネムネね。よろしくネムネ。私も敬語じゃなくていいよ」
嬉しそうにはにかむエリスを見て「うん、やっぱしあり得ない」とネムネはぼやいた。
どうしたのかと、エリスはきょとんと首を傾げる。
「えと、どうしたの?」
「あ、いや、その、私の知ってる人と名前が似てるなぁと思って……」
「知ってる人って……」
まさか、とその人物を思い浮かべるエリスに、ネムネはさらに小さな声でエリスのほうに身を乗り出して言った。
「早森いなほって言うんだけど、知ってるデスか?」
「あ、うん」
予想通りの答えに、思わず手拍子で答えた。
ネムネの顔が凍る。そしてそんな彼女の変化がわからないエリスは、さらにネムネにとっての爆弾を投下した。
「私のお兄ちゃんだもん」
「うえぇぇぇぇぇぇ!?」
絶叫と同時にネムネは席から立ち上がった。
あり得ない。もしかしたらとは思ったけど、あの顔面凶器で肉弾兵器で筋肉要塞な男の兄妹!?
「こら、ホームルーム中だぞ!」
「ありえない! あんな暴力が主食な野獣に、こんな天使のような妹がいるなんてあり得ないデスよ!」
担任の注意も耳に届かないくらいにネムネは混乱していた。そういえば噂で子連れヤンキーというものがあったが、もしかしてあの子連れヤンキーの子とはエリスのことであったのか。でもじゃあなんで兄妹? 娘じゃないのか? いやでも子どもならそれはそれでもうなんだかおかしいというか。
「そもそもいなほさんに妹がいるなんてあり得ないデスよ! 顔というか種族が違うじゃねーデスか!」
「あ、それよく言われる。でも顔が似てないのも当然だよ。兄妹になったの一か月前だもん」
などと叫び散らすネムネに怯むことなく笑って答えるエリス。
へ? と疑問を口にして数秒。ポンと掌を叩いた。
「成程、じゃあ血は繋がってないというわけデスね」
「そういうこと。でも血なんか関係ないよ」
「そんなものなのデス?」
「そんなものだよ」
誇らしげにエリスが頷くと、納得したのかネムネはとりあえず席に座った。無論、担任の注意を聞いてのことではないので、壇上の担任の額にうっすらと青筋が浮かんでいる。
哀れ本日の授業の的にされることが決定したネムネだったが、そんなことはいざ知らず、エリスに対して軽く頭を下げた。
「改めてよろしくデス」
「こちらこそお願いします」
エリスも応じて頭を下げる。そして二人同時に顔を上げて目を合わせるとお互いに笑い合った。
村での出来事より、同年代の友人を全て失ったエリスにとって、ネムネはここに来てから出来た初めての友人といってもいい。ギルドのメンバーやいなほなどの親しい者はいるが、それら全員がエリスよりも年齢が上だと言うこともある。
なので普段は見せないような茶目っけのある笑顔をエリスは自然に浮かべていた。
「オホンッ!」
と、和み始めた二人の間の空気を引き裂くようにわざとらしい大きな咳ばらいが教室内い響いた。
二人の体がその音のほうに向く。そうすれば、そこには不機嫌な面持ちで二人を睨む担任がいた。
「ネムネ、転入生と早速仲良くなるのは構わないし、エリスも馴染んでくれたことは嬉しいが……今は授業中だ」
表面上は穏やかにだが、低く唸る獣のような声に二人は冷や汗と苦笑を浮かべた。
周りの生徒たちはそんな二人を横目に、担任に怒られたらかなわないと我関せずの態度を示す。
とまぁ羞恥に顔を赤らめて俯いてしまうという情けない形で、エリスの学院生活は始まるのであった。
「それじゃエリスは教科書をネムネに見せてもらって、今日は昨日の続きから始めるぞ」
軽く手を叩いて場の意識を切り替えさせた担任教師は、片手に教科書を持って、黒板に強化の言語魔法の文字を書く。
「戦いの力をこの身に。というこの言語魔法は、去年の内に習ったとは思うが、この魔法は戦闘では基本的な魔法であるがゆえに、習熟を怠ってはならない」
そう前置きした担任教師は、黒板の強化の言語から下に矢印を引くと、そこに新たな文字を書いた。
「例えばこれだ。『向上』。この文字も、理解をすれば強化と同等の効果が発揮される。当然ながら短縮された分一字一字への理解をしっかりとしなければならないため、難易度は桁違いだ。戦いの力をこの身に、という詠唱も短く使いやすいが、突然の奇襲には向上という詠唱はかなり友好的だ。僅か一秒にも満たない時間短縮だが、緊急のためには覚えておいて損はない。続いては──」
再び強化の言語魔法から下にではなく今度は横に矢印を引く。そして黒板に書いた文字は、先程のはおろか、元となった文字よりも遥かに長大だった。
「風の如く地を駆け抜け、林の如くしなやかに、火の如く強く、山の如く堅牢な力をこの身に。長大かつ複雑術式だが、この詠唱によって得られる強化は倍違う。とはいえこれはさらに魔法陣、あるいは刺青と言った補佐術式も必要なため、効果のわりに難易度が高い魔法とされている。しかし効果は強力なので、魔力量に乏しい者は覚えておくと良いかもしれないな」
そして、今更なことだが、と担任教師は続けた。
「入学当時から何度も言ってきたが、言語魔法は理解力に優れたものならば様々なことが可能となる。だが当然、この理解というのは生半可な理解ではないことを忘れるな。一つの魔法の習熟に、あるいは単語一つの起源から理解する必要もある。なので学生という名前の通り、学ぶことを怠るな。この科にいる君達はいずれは魔獣と戦う職に就くことになるだろう。だから学べ、己のためにな。では、今日は基本に立ち返るという意味も踏まえて、改めて一人一人の強化の魔法を見て行くぞ」
全員が担任教師の言葉を聞いて立ち上がる。エリスもやや遅れながら立ち上がると、不安そうにネムネを見上げた。
「大丈夫デスよ。強化の魔法を使うだけデスからね」
「いや、えと」
「ほら、無駄口しているとまた怒られちゃうデス」
小声で話を打ち切ったネムネは、前を向き魔力を解放した。他の生徒たちも魔力を解放して魔法を構成する。だが一人だけ強化の魔法を使用出来ないエリスは、ただ目を泳がせてその光景を見るしかできなかった。
そんなエリスにクラスの視線が集まる。突き刺さるような視線に晒されて、エリスは殻にこもるかのように身を縮めこませた。
恥ずかしさと、魔法等火を灯すことしか出来ないことへの無力感と、アイリスの紹介ということで来たからには、無様は見せられないという焦り。それらがない交ぜになってしまい、声を出すことすらままならない。
「えっと……その……」
とりあえず、やるだけあるいかあるまい。エリスは意を決すると体からなけなしの魔力を解き放った。同年代のクラスメートと比べてもうっすらとした緑の魔力光。
エリスはまず周りからの視線を切り離す。思い出すのはトロールキングの放った殺気だ。あれに比べればこの程度、何て言うことはない。
そうすればすぐに自己に集中が出来る。収束する魔力は、まず言語魔法の基本である、言霊への魔力注入、すなわち脳裏に思い描いた言語とイメージに魔力を流し込むことから始める。
描くのは先程教師が黒板に書いた上級の強化魔法。打算的な考えだが、いっそ複雑な術式で失敗すれば、この場は何とかごまかせるのではないか、という情けない考えがあるのは否めない。
だがそれ以上に、不思議と成功する確信があった。全ての意識を強化魔法の術式に注ぐ。描くのは基礎となる言語、風林火山。
「……」
風の如く。
林の如く。
火の如く。
山の如く。
そして何よりそれ以上を。
いつの間にか閉じていた瞼を開く。揺らぐ魔力の行く先。通路を作り、流し込む緑の力。
そして、その向こうには、脳内で構築された膨大な言語の構成を僅か四つにまとめた、短縮言語。
「『風林火山』」
エリスが言語魔法を唱える。力ある言葉として解放された言葉は、その意味するところの通りにエリスの体を包み込み、僅かな魔力でありながら、通常の強化魔法よりも遥かな効果を発揮した。
「わぁ……凄いデス」
ネムネが、隣で眩い光を放つエリスを見て思わず呟いた。そしてそれはクラス全員の気持ちを代弁していた。
強化魔法の上位を、短縮して使用する。最早一般の生徒が出来るレベルではなく、上位の冒険者などしか使えないその魔法を、ネムネ達とそう年齢の変わらないエリスが使うという異常。
天才。と誰もが思った。アイリス・ミラアイス。マルク指折りの冒険者が推薦するほどの少女の実力を甘く見ていたわけではないが、ここまでとは、生徒はおろか、教師すら考えていなかったに違いない。
「凄いデスねエリス! もしかして結構勉強とかしてたりしたデスの?」
いち早く回復したネムネが、驚きながらも尊敬の眼差しをエリスに向けた。
「う、ううん。そんなことないよ。偶然出来ただけだって」
普段は向けられない羨望の眼差しに、慌てて恐縮するエリスを、クラスメイト達も一人、また一人とほめたたえた。
「流石アイリスさんの推薦だな」
「こんなにちっちゃいのに凄いんだね」
「エリスちゃん! 今度私に魔法教えて!」
「あ、ずるい! 私が先よ!」
一気に慌ただしくなる教室内。教師もこればかりは仕方ないかと諦めムードでその様子を見守る。
その騒動の中心で、今まで感じたこともない、言葉に出来ぬ幸せを感じて、ここに来て良かったと思ったエリスであった。
次回もエリスちゃん。
その頃のヤンキー。
ヤンキー「あ? なんだこの部屋」(扉を開く)
ゴブリン「■■■■ッッ!」(小さなフロアにひしめくゴブリンの群れ)
ヤンキー「ヒャアっ! 笑えんぞテメェらぁぁ!」
モンスターハウス大量殺獣事件開始。