第十話【ヤンキーもぐら】
マルク魔法学院ある地下迷宮は、マルクという都市の中央部分に入り口を構えている。ダンジョンとしては最大でGランクの魔獣しか出ず、階層も地下二十階と深くはないので、ランク持ちの熟練の冒険者であれば、そこまで苦戦することはないランクの迷宮だ。
だが当然、ランクを持っていない学生には難易度の高いことには変わりなく、普段、学生は授業以外では迷宮に潜ることは高等部の学生以外は禁止されている。
高等部の高学年のランク持ちは、今後のために己の実力を磨くため、教師より特例で許可をもらって使用しているが、それ以外の学生でここを使う者はほとんどいなかった。
だが、この迷宮には、アート・アートやマドカ、そして一部の教師しか知らないが、その最下層に凶悪な魔族を封印している。吸血王ヴァド。吸血種と呼ばれる魔獣の長だ。現在は紆余曲折あって地下深くに封印されているが、かつてはその身に宿す膨大な魔力と、驚異的な不死性を用いて人々を恐怖に陥れた。
今からいなほが会いに行くのはそんな化け物である。だが勿論いなほの中に恐怖心などというものはない。むしろ期待に心を躍らせる子どものようにそわそわと体を動かしながら、迷宮へと向かっていた。
「ケケケケケ。腕が鳴るぜ、なぁオイ」
不運にもいなほの近くを通ったために迷宮までの道案内をされることになった生徒を引き連れ(現在授業中である)、いなほは笑いながら指の骨を鳴らした。
「うぅ……今日、小テストなのにぃ……」
「気ぃすんな。俺なんざテストなんて全部サボってたぜ」
そう言う問題ではないんです。と呟く学生だったが、その呟きはいなほの上げた感嘆の声によってかき消された。
「おぉ! こいつが迷宮って奴か!」
中庭を抜けた先、学院の校庭のすぐ傍にある地下迷宮の入り口は、その暗そうなイメージとは裏腹に、立派な門によって壮大なイメージだった。鉄製の巨大なドアには、至るところに見事な装飾が施されており、その直ぐ隣には人一人が入れる程度のカプセルのような物が何十個も並んでいる。
門はそれ自体が巨大な封印門となっており、トロールの一撃すらびくともしない仕組みとなっている。この迷宮は、全ての階層に魔獣よけの結界の施された部屋が幾つも存在し、許可された者しか使えない脱出ゲート件再突入ゲートも至る所に建てられている。確かに迷宮としての旨味は殆どないが、それでも迷宮というものを体験するにあたり、これほど安全に体験できるところはあまり存在しないだろう。
いなほの傍から学生が全力で逃げ出したが、いなほは気にせず迷宮の姿を眺めていた。だがまぁいつまでもそうしているわけにもいかず、いなほは門に近づくと、先日アイリスに渡された指輪を取りだした。一番大きなサイズでもいなほに合わないので、とりあえずポケットに突っ込んだ物である。
「えーと……魔力解放っと」
いなほはその指輪を掲げると、魔力を解放した。すると、オレンジ色の魔力が小さな指輪に吸い込まれていく。
そして、輝きが限界まで増したところで、指輪から一筋の光が門に向って伸びていった。
ゆっくりと門が開かれる。僅かに開いただけで門は止まったが、それでもいなほ一人なら悠々と通れるほどには開いた。
早速いなほが入ると、それを感知して門が自動的に閉じた。
「へぇ。こいつぁスゲェ」
門が閉まるが、しかし中は決して暗いわけではなかった。体育館一つ分くらいの大きさのスペースは、床はそのままでこぼこした砂利の混ざったものであり、壁も粗削りな岩ではあるが、天井と壁には部屋全体を照らすように光源が付いている。さらに他にもベッドや各種治療道具に、練習用の防具に刀剣類、そして非常食の入った倉庫などが整理されて置かれており、さながら中世の戦場キャンプのようであった。取ってつけたような無い袖はあるが、しかし綺麗で実用的なその道具類にいなほは舌を巻く。
「──なので、トロール等、ランク持ちの魔獣は厄介ではあるが、そんな上のことを考えていても今の君達には意味がない。この迷宮では主にゴブリンが現れるので、まずはこの代表的な魔獣についてしっかりと知識を身につけ、実戦を行えるようになることだけを考えてくれ。上ばかり見て足元をすくわれたら意味がないぞ」
と、奥にある迷宮下層への入り口にて、聞き慣れた声が聞こえてきた。
奥のほうなので光源があるとはいえ姿はやや暗く、しかも後姿なのでしっかりとあ確認できないが、あの口調に凛とした佇まいは間違いなくアイリスだろう。
「では、まずは班に分かれて行動する前に、私が実際に魔獣と戦ってみせる。突発的な魔獣の襲撃への対応策なので強化魔法は使用しない。このケースは今後何度もあるだろうから、よく見て学びを……」
「うぉーい!」
「……ん? げぇ!」
後ろからの声にアイリスは振り向くと、いなほの姿を確認してらしからぬ悲鳴を上げた。
気にせずいなほはアイリスに近づくと、何事かとざわつく生徒を無視してアイリスに話しかけた。
「よぉ。んだよお前、こんなところでよ」
「それはこっちの話だいなほ。君、一時間前には迷宮に入りこんだんじゃなかったのか?」
「食堂のおばちゃんが面白くてよ、朝飯食う前についつい話こんじまった」
そのやり取りを思い出して笑ういなほにどう言ったものか、アイリスは額に手を当てると溜息を漏らした。
「君が迷宮に入っていく時間を見計らって来たのだがな。君が時間を守るなんて考えていた私が愚かだったか」
「そう凹むなよアイリス。つかよ、あれだ。そもそも迷宮ってのは一体どういったもんなんだ?」
「むっ……いや、すまない。それは完全にこちらのミスだ。そういえば君はここの常識などについては殆ど知識がなかったのであったな。ちょうどいい、今から彼らと共に迷宮一階に入るので参考にしてみてくれ」
「あいよ」
「では──これより迷宮に入りこむ。私が前を先導するので、決して傍を離れないように。装備の確認も忘れるなよ!」
アイリスは腰の剣を抜きはらうと、迷宮下層への階段に入っていった。
いなほと学生たちもその後にならって階段を降りていく。壁には灯りが付いているものの、むしろその暖かな光が一層奥の闇の冷たさを引き出していた。
初めての実戦、初めての迷宮を体験する学生達は、奥に引きずり込もうとする迷宮の薄暗さに、不安と興奮の入り混じっているためか、動きがややぎこちない。
「……何かぱっとしねぇガキ共だな」
アイリスの隣で並んで歩くいなほが、そんな彼らを見て呟いた。とはいえ、口とは裏腹に、いなほはそんな彼らを微笑ましいものでもみるかのように見ていた。
アイリスもいなほのそんな表情から、特にその言葉に突っ込むことなく微笑みを返す。
「初の実戦だからな。原則、高等部からしかここには入れないが、彼らは来年からその高等部に入る。なので実習という名目で、教師が付いていくのを前提としてここには入れるんだ。しかし、あぁいった姿を見ると、君も懐かしい気持ちになったりしないか?」
「ケッ。ノーコメントだ馬鹿野郎」
「ふふ、そういうことにしておこう。私は最初の戦いは緊張もしなかったな。家では訓練の毎日だったし、その延長線上で……うん、自惚れていたといってもいい。敵を嘲り、迷宮も一人でくぐり抜けられる自信があった」
「へぇ、意外だな。お前、昔は俺みたいに調子のいい野郎だったのか?」
「どうやら君も自分のことが分からぬといったわけではないな」
これはいいことを知った。アイリスが笑い、いなほも釣られて笑う。
そして、いなほ達は階段を降りて迷宮の一階に辿りついた。通路は戦闘行動にも充分対応出来るほどに大きな通路が広がり、幾つもの道に分岐している。しっかりとマッピングをしなければ直ぐにでも迷子になってしまいそうだ。
階段の傍には、入り口でも見たカプセルのようなものがある。「こいつは何だ?」いなほがカプセルを小突いた。
「それは迷宮脱出用のゲートだ。君にも渡した指輪と連動していてな。魔物が使えないように指輪の所有者しか使えない仕組みになっている。万が一にも指輪を失くすなよ?」
「ふーん……」
「それも含めて色々レクチャーしてやる。ではこれより迷宮での演習を行う。この迷宮には学生が入れる階層までには罠はないが、魔獣が奇襲を仕掛けてくることがあるので、くれぐれも警戒を怠るな」
アイリスは後ろの学生達に告げると、改めて迷宮の仕組みについて説明を始めた。
そもそも迷宮というものがどういう条件で作られているのかは分かっていない。魔力溜まりともいえる、自然に魔力が集まりやすい場所に現れる可能性が高いということは分かってはいるが、新しく出来た迷宮も、いざ潜ってみるまでは何が出るのかまでは不明だ。
迷宮には幾つもの宝物や魔獣が現れる。一説では魔に連なるもののコミュニティーとも言われているがその真偽は定かではない。ただ場所によってその難易度は違い、ここの迷宮のように宝も発生しなくなり、魔獣も弱い者ばかりしかいない、深度の浅い迷宮もあれば、百年以上経つというのに、未だ最奥が見えず、至る所に様々な宝が自然発生し、凶暴な魔獣が出てくるような迷宮までピン切りだ。
この迷宮にはさらに深い場所に行かなければないが、本来の迷宮は罠等も設置されており、そのため、事前に知識を深めておくか、または専門の人間を連れて行くのが迷宮攻略のセオリーである。
ちょっと待て、そこでいなほはアイリスの説明を中断させた。
「何だ?」
「罠に対する知識なんぞ俺ぁ持ってなんかいねぇぞ?」
「それは重々承知だが、ここの迷宮の難易度はG-ランクであれば最下層にぎりぎり行けるという程度で、私ならまず容易く攻略が可能だ。そしていなほ、君のランクは既にCランク、確かに知識はないが、ここにあるトラップなら力任せに攻略が出来るだろう。それに危なくなったら君の場合頭上を掘り進んで脱出すればいい」
「そりゃ随分無責任な話しだぜ」
「普段無責任な君には言われたくないよ」
楽観的なアイリスの言葉だが、しかしそれはいなほの戦闘力に対する信頼の現れである。ちょっとやそっとの罠では、いなほは無理矢理にでも超えてみせるだろう。それに最近はいなほを無理に抑えつけることの無意味さを悟ったアイリスだ。情報収集もいなほに期待するのは無意味だろう。ならば日中は迷宮で暴れてもらっていた方がむしろ安心できるというものだ。
要は迷宮という檻でいなほを封じている間に真犯人を探し出そうというのがアイリスの考えである。
「まっ、心配はしないから頑張ってくれよ」
アイリスは本心を言うでもなくいなほを激励した。無責任な対応だが、それでもいなほなら迷宮の奥地に眠っているかもしれない魔族を何とかしてくれるという期待は当然あるのだ。
いなほもその激励に拳を掌に叩きつけて応じる。力強い音が迷宮内に響き渡った。強者の証明は、たったそれだけの行動で、アイリスはおろか彼を知らない学生にもいなほという男を理解させた。
「言われるまでもねぇ。魔族だろうが何だろうが俺に任せときな」
「あぁ、任せておくよいなほ……早速な」
「ん?」
アイリスの目が細まり、暗い通路の先を見た。いなほも釣られて視線をアイリスと同じ方向に向けて、嬉しそうに歯を剥く。そしてそれに遅れること暫く、ようやく学生達もそれの存在に気付いたのだった。
「■■■■……」
「■■■■!」
獣の唸り声を上げながら現れたのは、緑色の皮膚、小さな子ども程度の人型の魔獣、ランク無しの魔獣のゴブリンだ。手には石を手に掴めるサイズに加工しただけの不細工な棍棒が握られている。
学生たちが慌てて武器を取り出そうとするが、それよりも早くアイリスといなほが前に一歩踏み出した。
「よし、早速だがゴブリンとの戦闘方法を教える。いなほ、一匹寄越せ」
「わかったよ。こいつら弱ぇし、なんなら二匹共譲ってやろうか?」
「おや、君ともあろうものが獲物を譲るなんて殊勝な心がけではないか」
アイリスはわざとらしく鼻を鳴らすと、剣を肩に担いで流し目で隣のいなほを見上げた。
いなほは視線を前に固定したまま笑う。指の骨を鳴らし、直後、学生たちの視界から消えてなくなった。
「安い挑発だ。乗ってやるよ」
次に学生たちがいなほを捉えたのは、その声がゴブリンの目の前で聞こえたときだ。この中ではアイリス以外いなほの動きに全く反応出来なかった。虚空にはいつの間にか脱ぎ捨てられたサンダルが二足。それらが宙を舞う中、いなほは血管浮き出る右腕の筋肉を隆起させて手刀を作る。そして己の半分程度の体躯しかないゴブリンの真上に刃を振りあげると、ただ茫然とそれを見つめるしか出来ぬゴブリンの頭に振り下ろした。
迷宮の冷たい空気を引き裂いて、一気に真下まで振り抜かれる筋肉の刃。それは何も斬らなかったかのか、虚空を縫うように一直線に放たれた。
静寂。
そして、刃を受けたゴブリンは、時間を置いて体の真ん中から綺麗に左右に分かれて絶命した。
「見事」
アイリスの称賛を背に受けて、「じゃ、俺は行くぜ」と言い残し、隣のゴブリンがようやく戦闘態勢に入ったことすら意に介さず、そのまま迷宮の奥へと進んでいった。
相手が何人でも襲いかかるような知能のないゴブリンすらも、無防備なその背中に攻撃をしようという愚行はしない。ひたすらに、理由もなく圧倒的な男。そんな化け物に攻撃などすれば、絶命は確実だ。
学生たちも、いなほが放った絶技を前に、周りを警戒することも、武器を構えることすら忘れて呆然としていた。神がかりとはあのことを言うのだろう。誰もが、いなほは高ランクの人間なのだと本能で理解していた。
あれがランク持ちの実力。しかもHランクといった、ランク無しでも抗えるような存在ではなく、目の前のアイリスと同じように、どう足掻いても勝つことなど不可能な存在の実力。
そこに言葉は不要だ。いなほは背中を向けると、無言で迷宮の闇に消えていく。
「ケケケ、んじゃ迷宮にかちこむとするか」
鼻歌交じりに男は行く。魔獣すら震えあがらせる野獣が、迷宮という混沌に放たれた瞬間であった。
次回、エリスちゃんと魔法の解説。