第九話【ヤンキー学園に帰る】
いなほがチームに参加することが決定したその翌日。とりあえずネムネにもそのことを伝えて、いつも通りに授業と放課後の特訓を終えたキースは、学生寮の自室に戻る途中で、廊下に人だかりが出来ているのを発見した。
また面倒事かと辟易したキースだが、何ともなしに興味を引かれ、ざわめき立つ男子学生の中を掻い潜り、その人だかりの中心に出た。
「あ、あの、私、ここ、で、その、おにいちゃん、待ってて……」
そこにいたのは、まだまだ幼いが、それでも将来はなかなかの美人になりそうな雰囲気のある少女だった。人見知りするのだろう、視線に晒された少女は、ぼそぼそと言葉を詰まらせて、怯えたように顔を伏せている。
そんな少女に学生達もどうしたらいいのか悩んでいるようであった。
そう言うのが良くないんだよ。キースは内心でぼやくと、手のひらを力強く打ち合わせた。
「ほら! この子怯えてるんだからさっさと散った散った! 後は俺が何とかするから!」
こう言う時、学年でもトップクラスの実力というのは役に立つ。キースの言葉に納得したのか、学生達は蜘蛛の子を散らすようにその場を後にした。
「ったく、これだから童貞野郎共は……」
「あ、あの……!」
呆れた風に悪態をつくキースに、少女が声をかけた。男子学生の平均程度の身長しかないキースから見ても頭一つは違うくらい小さな少女に視線を合わせると、少女は深々と頭を下げてきた。
「ありがとうございます。その、すみませんでした」
「そこまで感謝しなくてもいいよ。それより、ここは男子の学生寮なんだ。普通はこんなところに女の子が来たらいけないんだぞ?」
キースはそう言って少女を軽くしかりつけた。先程の言葉の通りなら、学生寮にいる兄に会いに来たのだけで、ここの生徒ではないのだろう。
だから知らないとはいえ、何となくそこは察しないといけない。そんな意味合いも含めたキースの言葉に、少女はしゅんと項垂れた。
「うぅ、ごめんなさい」
「わかればいいよ。それで? 君、お兄さんに会いに来たんだろ? 名前聞かせてくれたら案内するよ……あぁ、俺はキース・アズウェルドって言うんだ。よろしくね」
キースは打って変わって少女を安心させるように柔和な微笑みを浮かべると手を差し伸べた。
少女はその手とキースの笑顔を見比べてから、まだ陰りはあるものの、それでも可愛らしい笑みを返して手を握り返した。
「は、はいアズウェルドさん。よろしくお願いします」
「あぁ。それで、君の名前を聞いても?」
「あ、うぅ。すみません、すっかり忘れてました」
恥ずかしげに顔を伏せる少女。その可愛らしい仕草に、キースの微笑みも一層優しいものに変わっていき、
「私はエリスって言います。ここに早森いなほっていう人が来てるって聞いたんですけど」
その表情が一瞬で凍りついた直後、寮の入り口の扉がゆっくりと開いた。
「あれ? どうかしましたか?」
不思議そうに首を傾げるエリス。だがキースはそんな彼女の疑問に答えるでもなく、その名前と同時に寮の入り口から現れた男のほうに視線を奪われていた。
エリスもその視線が気になったのか、恐る恐る振り返る。だがキースとは対照的に向日葵のように明るい笑顔でその男を迎えた。
「いなほにぃさん!」
「ハ、ハヤモリぃ!?」
互いに真逆な感情のこもった言葉を浴びて、学生とはまるで見えない屈強な男、早森いなほは、ただ子どものように笑って片手を上げて二人に応じた。
「よう。ったくよ、アイリスの野郎がちっと五月蠅くてさっさと逃げて来たぜ」
わなわなと震えるキースの手を解いて、エリスはいなほに駆け寄るとその体に抱きついた。いなほも慣れたもので、エリスの突進の勢いをそのまま利用して、自身の体を這わせるようにその小さな体を肩まで運ぶ。ちょっとした見世物のようなその動きだが、見る人が見れば、勢いを上手く利用して肩にまで誘導したいなほの絶技に目を白黒させただろう。
とはいえそんな絶技の対象となっていることなど露知らずに、エリスの両足がいなほの首にかかる。いつも通りの肩車になってから、エリスはちょっと怒った風に頬を膨らませた。
「もう! どうせいなほにぃさんのことだから遅刻してアイリスさんに怒られたんでしょ? あれほど早く来てっていったじゃないですか」
「仕方ねぇだろ。ルドルフの旦那がうめぇ飯どんどん出してきたんだからよ。あれ食わなかったら後悔するってもんよ」
「あー! ずるい! 今度行く時は私も連れてくって言った!」
「ケケケ、代わりに食ってきたから安心しろ」
「いなほにぃさんの馬鹿!」
痴話喧嘩にもならないやり取りをする二人。そこでようやく再起動を果たしたキースが、混乱もそのままにいなほに向かって歩み寄った。
「いやいや! 何でアンタがここにいるんだよ!?」
用事については先日済ませたはずだ。これ以上この学院に来る必要性などないというのに、どうして学院に、しかも男子寮などに来ているのか。
キースの疑問も最もで、現に先日のいなほ大暴走を見ていた学生は、また何事か騒動を起こしに来たのではないかと、いなほを見て不安に駆られていた。
「機嫌直せよエリス。次は連れてってやるよ」
だがキースの疑問をいなほは軽く受け流す。とりあえず未だ怒っているエリスの体を片手で掴み、器用に胸元に担ぎ直すと、その頭をぐりぐりと撫でた。
聞いちゃいねぇ。普段はクールな学生で通っているキースの額に青筋が浮かび、怒りの形相へと変貌する。渾身の力で作られた握り拳は、ぶつける先を求めて虚空を漂った。
「いちゃついてないで答えろよ! どうして、アンタが、ここに、いるのか、説明しろ!」
いなほを指差してキースが叫ぶ。「んなの用事があったからに決まってるだろ」いなほはそう答えると、ようやく機嫌が良くなったエリスをお手玉でもするように何度も胴上げした。「わーいわーい」と無邪気にはしゃぐエリスを見て、遠巻きにその光景を見ていた学生達がざわめき立つ。
「オイ、あれってもしかして噂の子連れヤンキーじゃね?」
「間違いない。可愛らしい少女を連れた魔族もビビるマッスルヤンキーだろ? 知ってるぜ、噂だと少女にホイホイ釣られたロリコンをぼこぼこにするみたいだな」
「それなら俺も知ってるぞ。森の街道で馬すら置き去りにする速度で走る光速ヤンキーの噂。可愛らしい女の子の声が背後から聞こえたと思って振り返ってみると、スッゲー恐ろしい形相のヤンキーが来たのをうちの学生が見たらしくて、あんまりにも恐ろしいもんだから三日寝込んだらしいぜ」
「で、ところでヤンキーってなんだよ」
「さぁ? きっとどっかの国の最強戦闘民族の名前なんだろうよ」
勝手に色んな噂話を本人の前でする学生達。意外に図太い精神の持ち主なのかもしれないが、現状キースといなほにはその話は聞かれてはいなかった。
いなほのあんまりな態度に、むしろ一層怒りを増したキースはさらに詰め寄った。エリスが落ちてくる間にバランスを整え両足を広げ、いなほがそれを肩で受け止める。またも肩車に戻ったいなほは、いい加減しつこいキースをうっとうしそうに睨んだ。
「だったらその用事について話せよな!」
「だから用事は用事だって言ってんだろ」
二人の視線がぶつかり合う。かたやH+ランク、学生トップクラスのキースと、かたやCランク、マルク最強戦士のいなほの二人が一触即発の空気の中、こそこそと逃げ出す学生達。
「ハァ……やっぱしこうなっていたか」
そんな空気を壊したのは、凛と響く氷のように冷たい声。だが何処か疲労が見える。
二人の視線が入り口に向かう。そこには苦笑を浮かべたアイリスが立っていた。
「アイリスさん!?」
「げ、説教はいらねぇぞアイリス」
どちらも驚いた様子で唐突な来訪者を迎え入れる。アイリスは軽く手を上げて応じると、とりあえずいなほの隣に立った。
そして、キースに向かって頭を下げる。
「すまない。連れが迷惑をかけたようだな」
「ちょ、えっ……連れって……?」
「あぁ、実はな。明日より大会本選が始まるまでの間、臨時講師として雇われたんだ。それでいなほは私の助手として、彼女、エリスは私の推薦で学院に通うことになったんだよ」
キースの疑問に丁寧に応えたアイリスは、「それはともかく」と怖い表情を浮かべて隣のいなほを睨んだ。
「遅刻したあげく来た早々に喧嘩を始めようだなんて、君には良識というものがないのか!?」
「不良に良識なんざ笑える冗談だぜアイリス」
「あぁもう! いい! さっさとエリスから鍵貰ってさっさと部屋に行ってさっさと寝ろ!」
「あいよ。行くぜエリス」
「はーい」
言われるがまま、いなほとエリスはその場を後にしようとするが、「ちょっと待て」とアイリスがいなほを止める。
「んだよ? まだ用でもあるのか?」
「いなほ、エリスは女子寮に連れていく」
「えー!?」
驚きの声を上げたのは、いなほではなくエリスであった。暇があれば常にいなほの肩の上に乗っていて、寝るときも常に一緒、風呂と仕事とトイレの時以外は殆ど一緒のエリスからすればその言葉は受け入れがたい言葉であった。
アイリスはエリスの驚きを受け流しつつ、「第一な」と続ける。
「ここは男子寮だ。本来、私も含めてここに入ってはいけない規則になっている。普段はどうか知らないが、学院に通う以上、規則には従ってもらう」
「だ、だったらいなほさんが女子寮に来れば……」
「それだけはいけない」
「それだけはいけない」
アイリスどころかキースも同じくエリスの案を却下した。
ありえない。魔獣を羊の群れにぶち込むよりも恐ろしい結果になるのは目に見えている。阿鼻叫喚も生ぬるい結果が待ち受けているはずだ。
「なぁ、テメェらなんかスッゲームカつくこと考えてねぇか?」
「ともかく、エリス、君はこちらに来るんだ」
いなほのぼやきを無視して、アイリスはエリスに手を伸ばした。エリスは暫くその手を見つめ、次にいなほの頭を見る。
茶色の髪は答えないし、いなほはこちらを見上げない。
でも、好きにしろっていう言葉だけは確かに聞こえた。
エリスは意を決してアイリスの手を掴む。
「わかりました。行きましょう。アイリスさん」
「あぁ、この際だ。親離れは早い方がいいぞ?」
「い、いなほにぃさんはお父さんじゃなくてお兄ちゃんですよ!」
からかうようなアイリスの言葉を、真っ赤になって否定する。そのまま手を引いてエリスを降ろしたアイリスは、エリスをその胸に抱きとめた。それを見届けてから、いなほは「んじゃ俺は部屋戻るわ」と手を振ってその場を後にした。
アイリスは哀愁漂うその背中を見てニタリと笑う。
「くくく、エリスを取られたのが随分とお冠みたいだな。男の嫉妬は見苦しいぞいなほ」
「それはないですよアイリスさん。いなほにぃさん面倒になってきたからさっさと逃げただけですって」
アイリスの見当違いな発言を否定するが、そのくらい思わないとやってられないのがアイリスの心境だ。エリスの言葉を都合よく無視して、内心でザマぁみろとほくそ笑む。
「えと……とりあえず、一体どういうことなんですかね?」
そこでキースがおずおずとアイリスに問いかけてきた。
「むっ、確か君はいなほと大会に出ることになってるんだったよな?」
先日、酒場で事の顛末を聞いていたアイリスは、暫くエリスを抱きしめながら思考すると、「よし、ではこちらに来てくれ」と言って、男子寮の入り口から外に出て行った。
遅れてキースもアイリスとエリスに付いていく。外はそろそろ日が落ちそうな時間帯だ。赤やけに染まった世界を、三人は静かに歩きだす。
そして、人の少ない場所に来たところで、アイリスは辺りに人がいないのを確認してからキースに言った。
「実は、ここに来たのは依頼の一環でな」
「そうだったんですか」
「おや、驚かないのかな?」
特に驚いた様子のないキースを見て意外だと目を開くアイリスに、キースは乾いた笑みを返す。
「いや、アイリスさんとエリスちゃん、でいいかな? の二人だったら、期待のエースと、そのエースに見染められた若手が現れたってだけだと思いましたけどね。ほら、あいつ、ハヤモリがいるなら話は別じゃないですか」
「あー……うん。そうだね」
キャラすら崩壊させて、キース共々アイリスは遠くを見るような眼差しをした。まだ学院の学生たちはいなほという人物をそこまで知らないので、まぁ巷で有名な冒険者がアイリスと共にやってきたとしか思わないだろう。
だが、あの暴虐非道、悪鬼羅刹、弱肉強食を体現したような人間の皮を被った筋肉の本性を知ったら、きっとろくでもないことがあるのだと予測するだろう。
そう思うと、秘密裏にことを運ぶというのは難しいかもしれないなとアイリスは考えを改めた。いっそ、いなほを目立たせることで、己の行動を目立たなくさせるほうが有益かもしれない。
閑話休題。ともかくだ。
「ま、何となく話がわかっているなら話は早い。それで先に確認するが、君の他に大会に参加するメンバーを聞いてもいいか?」
「はい。とりあえず俺と筋肉馬鹿のハヤモリと一か月前、一緒に依頼を受けたピンクのデス野郎のネムネの三人です」
「うん、まぁそこはかとない悪意を感じるがそこはいいとして。ふむ、ネムネが仲間なら話は早いな」
「と、言うと?」
「実はなキース。君にも手伝って欲しいことがあるのだが」
そう前置きしてから、アイリスはこれまでのことをかいつまんでキースに説明した。
「つまるところ、俺たちは参加者の立場として探ってほしいってことですね」
「あぁ、報酬は払うぞ?」
そう言うアイリスの言葉を、キースは笑って断った。
「いいですよ別に。俺らに手伝えることなんてそれこそ微力ですが、一応俺とネムネのほうからも学院の調査をしてみます」
「頼む。しかし、現地の味方がいるのはやはり助かるな」
安堵するアイリスに、ところでとキースは聞く。
「その、ハヤモリの奴はどうするんですか? 正直、勉強なんてする奴でもないでしょ?」
「それについてはだな……」
アイリスは胸元のエリスの頭に顎を乗せて、深々と溜息を吐きだした。むず痒そうにエリスが身震いするが、そこはそれ。兄妹なのだから、兄の暴走分は払ってもらう。
そう内心で言い訳してエリスを愛でながら、アイリスは答えた。
「いなほには、明日から単身学院の迷宮に潜り込んでもらって魔族の調査をしてもらうことにしたよ」
帰り道。
「ところでアイリスさん。私、鍵まだ渡してないんですけど」
「だったら俺が渡しておくよ」
「あ、ありがとうございます」
「えーと……303号室ねぇ……」
ハハハハ。
「俺の部屋の隣じゃねぇか!」
次回、さらばゴブリン! 学園迷宮最後の日!
ヤンキーが迷宮に入るんだってさ。