第六話【もしゃもしゃヤンキー】
「ホントか!?」
「勿論さ。僕と君の仲に遠慮なんていらないだろ?」
「話がわかるじゃねぇか糞ガキ」
良い心がけだぜといなほは傲岸不遜に言った。
「でも、ただでというわけにはいかないな」
だがそこでアート・アートは人差し指を立てると、獣のように喉を鳴らした。
「ただじゃねぇとなると?」
「勿論条件付きよぅ」
そこで一旦区切ってから、アート・アートは一枚の紙を取り出した。
「僕はこれでもこの学院の理事長でね」
「それは知ってるっつーか、最初にお前が言ってただろ」
「あはー、君、意外に人の話聞いてるんだね。まっ、それはともかく、一応それなりに立場が上だから、この学院に問題が起きたら解決しなきゃいけないんだ」
でも面倒でねぇ。そうぼやいてから、アート・アートは手に持った紙をテーブルの上に置いた。
何やら文字の書かれている一枚の紙だが、いなほには文字が読めないので、ただそれを見て首を傾げるだけだ。
「何だそれ」
「何だって読んだとおり……あ、そういえばいなほ君ってば文字が読めないくらい馬鹿だったんだっけ」
「安心しな。日本語なら楽勝よ」
「あはは、この世界に日本語なんてねぇよ」
アート・アートはそう言いながら笑って紙を手元に引き寄せた。
「簡潔に内容をまとめると、闘技大会終了までにここの学生であるメイリン・メイルーを退学させなかった場合、学院迷宮の最下層に封印されている魔族、吸血王ヴァドを解き放って大会を滅茶苦茶にするぞっていう、言ってしまえば脅迫文だね」
「ふーん」
関心なさそうにいなほは鼻を鳴らした。その態度すら面白そうにアート・アートは笑って観察する。
「君ってさ。今からメタなことを言う僕が言うのも何だけど、普通もっと色々聞いてきたりして物語の重要項目の説明をさせようって気はないんだね」
「つか、お前の言った中でどれを聞けばいいんだよ。要は犯人見つけてぶん殴れってだけの話だろ?」
「間違っちゃいないけどさぁ。さっきのマドカとのやり取りもそうだけど、君ってホント説明回には向いてないよね。第三者はきっと知りたがっているはずだぜ? 見てる奴ら
気持ちにもなれよ」
「生憎と興味のあること以外には興味ねぇんだよ」
「あーん、そのストイックなところ、実に魅力的だね。どう? 僕の愛人になってくれるなら条件なしにしてもいいんだけど」
「それは最悪な条件だなオイ」
「愛があれば最悪なんて乗り越えられるさ」
「愛がねぇから乗り越えねぇよ」
「で、どうだい? もし君が僕のお願いを聞いてくれたら」
「茶髪にしてくれるんだろ?」
「ノー。永遠に茶髪になる魔法をかけてあげるよ!」
そう言ってアート・アートは晴れやかな笑顔で手を差し伸べた。
その手を即座に握り返す大きな掌。考える余地もなく、むしろいなほ的にはその案は破格の報酬に違いなかった。
「よし! 引き受けたぜ!」
「そういう欲望に忠実なとこ、惚れちゃいそう。というかもう惚れた。愛してるよベイベー」
頬を赤く染めてアート・アートはいなほを見つめた。その表情は言葉通りいなほに完全に惚れ切ったように見える。
握った掌に今にもキスでもしそうなアート・アートの雰囲気を感じ取って、いなほはそそそくさと握った手を解いた。
「あん、もうちょっとだったのに」
何がもうちょっとだったのか、この際聞くまい。
「でもよ。俺がそれを何とかするのはいいんだが、はっきり言って、お前なら直ぐにでもどうにかなるんじゃねぇのか?」
「言ったろ。面倒くさいってさ」
アート・アートはそう皮肉げに笑いながら答えた。
「まっ、でもいいだろ? おかげで君は茶髪になれるし。僕も面倒を解決することが出来る。互いに悪い話ではない。あ、煎餅食べる?」
ローブの裾から濡れ煎餅の入った袋を取り出して、いなほに投げた。
それをキャッチしたいなほは、感謝の言葉も告げることなく濡れ煎餅の袋を開けて食べ始めた。
「美味しい? 僕はそのふにゃった感じが苦手なんだよね」
「うめぇよ。まぁお子様にはこのふにゃりの触感はまだ早ぇかもしれねぇがな」
「んー。じゃあ大人になったらまた食べてみるとするよ。そのときはあーんしてね」
「そうしな。ただし勝手に食え」
「もう、少しは僕に優しくしてもいいんだよ? ……で、それ、何処で手に入れたのか気にならない?」
「あ? 日本で買ってきたんじゃねぇのか?」
「いや、まぁそうなんだけど……ねぇ、日本で買って来たんだよ? それ」
「あぁ、そうだろうな。で、なんだよ?」
「わぁお。これを読んでいる読者からの『それ結構重要なところだから説明のために突っ込めよ』っていう声が聞こえてくるようだ」
どうしたものかなぁと、メタ発言を織り交ぜてアート・アートは困ったように苦笑した。
普通ならここで、というかマドカの自己紹介と渡された濡れ煎餅の時点で、『どうして異世界なのに日本のがあるんだ!?』とか驚きそうなものなのだが、いなほはと言えば、事ここに至ってまで、そのことを質問するところか驚いた様子すらない。
うーん、主人公が鈍感なのは女子の好意ってのが通説じゃないのかぁ。等とメタな思考をしながら、アート・アートは濡れ煎餅を「うめ、うめ」と言いながら食べるいなほを呆れ気味に眺めた。
これ以上はもう埒が明かない。ここはもう皆様のために僕が人肌脱ぐとしようアーメン。
「ねぇいなほ。お願いがあるんだけど」
「何だ?」
「『な、なんでここに日本の食べ物があるんだぁ!?』って言ってくれないかな?」
「? どうしてだよ」
「いいから」
「んなのだるいからパスだ」
「今なら何ともう一袋!」
「うぉ!? 何でここに煎餅があるんだ!?」
買収されやすく、かつ意外にノリの良いいなほであった。
遂にいなほの言質を手にしたアート・アートの目が光った。やっとドヤ顔で説明が出来るよ。
「ふふん。やっぱし疑問に思っただろ? ここは地球とは位相の違う異世界なのに、どうして日本のお菓子があるのかって!」
「おい、それより煎餅寄越せよ」
「あ、うん。はいあげる──ククク、実はね。僕は地球とこの異世界アースセフィラを行き来することが出来るのさ」
「うめ、うめ」
「ねぇ、お話聞いてよぅ……」
「だったら濡れ煎餅あるだけ寄越しな」
「う、うん! その代わり僕の話ちゃんと聞いてね!」
「任せとけ」
「わーい! じゃ、全部あげるぅ!」
アート・アートは子どものように無邪気にはしゃぐと、ローブの裾からビニール袋ごといなほに残りの濡れ煎餅を渡した。
そして咳払い。目を輝かせて、アート・アートは往年の悪役のような笑みを浮かべる。
「だがこれは普通の人間に出来ることではない。世界と世界を渡り歩くなんて真似、僕の他にも数人しか行うことが出来ないのさ」
「ふーん」
濡れ煎餅を食べながら、いなほはどうでも好さそうにアート・アートの言葉に合槌を打った。そして、止めとばかりに大きな欠伸をする。
静寂。咀嚼音と「うめ、うめ」という声。
アート・アートは机の上に体育座りをして蹲った。
「もういいやぃ……別にいいもんねぇ。そりゃ確かに君にとって僕は必要ないからさ。別にぃ、ぶぇつぅにぃ、シカトされたって別にいいもん。地球と異世界の関連性とか、実はこのアースセフィラってすっごいとんでもない世界なんだとか、別に話さなくてもいいことだもんね。うん、いいもんいいもん、悲しくなんてないやい」
「なぁ、それより早く茶髪にしてくんね?」
「うわぁぁん! でもそういうとこ大好きだぁぁぁ!」
そう叫ぶやいなや、アート・アートは涙目のまま人差し指を立てると、その指先に紫色の魔力光を溜め始めた。
その怪しくも魅力的な輝きにいなほの目が奪われる。それがちょっと嬉しかったのか、「えへへ」と照れ臭そうにアート・アートははにかんだ。
そして、拳大の輝きが集まった所で、アート・アートは力ある言霊を紡ぎ始めた。
「『リリカルピーリカテクマクマヤコン。いなほの髪よ、永続的に茶髪になーれ』」
とてつもなく適当感の漂う詠唱によって収束した魔力が霧のように薄く広がっていき、いなほの頭に降り注ぐ。
すると、徐々にだがいなほの髪の根元から、真っ黒の毛髪が色鮮やかな茶色へと変貌していった。
「はい鏡」
そして、完全に茶色に染まった所で手鏡をアート・アートはいなほに手渡した。
鏡を覗きこめば、そこには一月前のあの茶色の痛んだ髪が鮮やかないなほの姿がそこにはあった。
「おぉぉぉ! やるじゃねぇか糞ガキ!」
「アハハ、まぁこの程度僕にとっては朝飯前ってね」
興奮するいなほに対して、胸を張りながらアート・アートは言った。
「うし。んじゃ次は俺が約束果たす番だな。で、手がかりとか何かないのか?」
「そだね。おそらく、メイリン・メイルーに恨みのある誰か、もしくは大会参加者の誰かってところだろうさ。君の知り合いもここに通ってるみたいだし、どうせなら事件解決までここに住んでみたらどうだい?」
と、アート・アートは気軽に提案してきた。
それを快諾するいなほは、だったらとさらに続ける。
「そりゃいいな。早速エリスの奴も誘ってくるぜ」
善は急げといなほは席を立ち上がると、煎餅片手に部屋を後にした。
帰り道のことなど全く気にしていないその背中を見送って、アート・アートは一人ぼやく。
「しかし面白い男だね彼。あんな光景見せつけられたっていうのに、逆にそれに怒りを感じて突っ込んでくるとはさ。やっぱしチューくらいしとけばよかった」
本当に愉快だと、アート・アートは笑う。小悪魔のように悪戯っぽい笑みの奥には、悪魔すら恐れおののく暗黒を携えて、化け物はゆっくりと振り返った。
そこには、いつ頃から居たのか、あるいは『最初から居たのか』、マドカがつき従うように佇んでいた。
その顔には、いなほと対峙したときのような感情豊かな表情はない。あくまで冷たく、鋭利なまま、アート・アートのひとり言に対して答えた。
「歴史上、二人目、いえ、人間では初の補完ですからね。その程度出来なければ、世界の意志を捻じ曲げることは不可能でしょう」
他者が聞けば、まるで意味のわからない答えに首を傾げるかもしれない。しかし、そのマドカの答えは、アート・アートを満足させるには充分な答えであった。
「そうだね。でもこれもまた運命ってやつかな。こんなタイミングで彼がここに来たということ、くひっ、果たして運命は何を思って彼をここに寄越したのか。あるいは何も考えずに寄越したのか」
もしくは、運命を彼が選んだのか。そのアート・アートから見れば矮小極まりない手で、アート・アートすら逃れられない運命に手をかけたと言うのなら、それはきっととても愉快なことなのだろう。
笑うアート・アートを横目に、マドカは僅かに表情を崩して笑みを作った。予備知識を置いておけば、この化け物は遊びを楽しむ子どもと一緒だ。見ている分には心も和む。
それよりも、マドカはアート・アートがいなほに条件として提示したことについて疑問があった。
「さて、そればかりは本人に聞くより他ないでしょう。それより、『既に犯人もわかっている』のですから、私に任せていただければ直ぐにでも解決しますよ?」
そう、既にこの件の犯人は割れている。いなほがこの件を聞いたときに言った通り、アート・アートにはもうこの事件を解決する手立ては出来ている。実際、マドカもアート・アートに言われるでもなく、この件のことについての調査を済ませていた。
そして、アート・アートが動くまでもなく、マドカが動けば、半日もかからずに犯人もろとも全ては解決するだろう。
マドカにはそこが疑問だった。同時に、短くないこの化け物との付き合いから、アート・アートがどうしてそのようなことをしたのか、薄々感づいてもいた。
アート・アートは、マドカの問いに首を横に振った。生徒を諭す教師のように優しくも厳しい眼差しを彼女に向けて、その理由を答える。
「駄目だよマドカ。それじゃいけない。こういうのはね、僕達みたいな圧倒的な強者が解決すると面白くならないだろ? 必死に足掻く人間が問題に直面することで、そこに面白さが、物語が生まれるんだ。その結果この街が崩壊したとしても、それはそれで楽しむべき事実だよ。それに」
「それに?」
「この事件を使って、彼のことを見極めたいからねぇ。もしかしたら……」
彼は─僕私俺己我自分儂etc─に届くかもしれないんだから。
あぁ楽しみだ。化け物は、静かに笑った。
次回、今章のラスボス側。
またの名を暗がりへの逃避行。