第五話【鋼の心、折れぬヤンキー】
まずは手始め、真っ直ぐに突撃してきたアート・アートの貫手を防ぐことが叶わず、そのまま直撃を受け、原形を留めることもなくいなほは爆散して死んだ。
次、先手必勝と突貫して渾身の左拳を放つが、それもろとも潰されていなほは死んだ。
次、こちらに歩いてきたアート・アートの顔面目がけて拳を放った瞬間、得体の知れない何かに切り刻まれていなほは死んだ。
次、部屋に乱雑に撒かれた物を吹き飛ばして障害物とするが、そんなことをしている隙に巨大な何かに燃やし尽くされていなほは死んだ。
次、部屋の中を縦横無尽に駆け巡りアート・アートの後ろを取ったいなほは全力の前蹴りを放つが、爪先が触れた瞬間、体が先から捻じれていなほは死んだ。
次、動く暇なくいなほは死んだ。
次、一撃目を防ぐために両腕で前面をガードしたが、そのガードを超えてアート・アートの手先から展開された紫色の魔力に切断されていなほは死んだ。
次、一時間近く手加減されて殴られ続けた挙句いなほは死んだ。
次、四肢を突然吹き飛ばされていなほは死んだ。
次、手加減されて放たれた一撃を腕一本を犠牲に防いで、返しの拳を放ったがいなほは死んだ。
次、突然視界が真っ暗になって、何があったのか理解も出来ないままいなほは死んだ。
次、己を貫いた手を抑え込み拳を放つが、見えない障壁に防がれていなほは死んだ。
次、魔力を解放して、筋繊維と骨が引き裂かれるのも構わず全力で放った一撃を優しく掴まれ、口から吐き出された紫色の魔力に飲み込まれいなほは死んだ。
次、魔力によって全開まで力を解放された体を持ってして撹乱行動をするが、それ以上に早く動いたアート・アートに背後を取られていなほは死んだ。
次、魔力解放は止めず、初心に戻って突撃をしていなほは死んだ。
次、顔を弾かれていなほは死んだ。
次、体が二つに千切れていなほは死んだ。
次、気付いたらいなほは死んだ。
次、光を認識した瞬間いなほは死んだ。
次、いなほは死んだ。
次、いなほは死んだ。
次、いなほは死んだ。
次、いなほは死んだ。
次、いなほは死んだ。
次、いなほは死んだ。
次、いなほは死んだ。
次、いなほは死んだ。
そしていなほは死んだ。
変わらずいなほは死んだ。
足掻こうともいなほは死んだ。
結局いなほは死んだ。
いなほは死んだ。
いつまでも死んだ。
未来永劫まで死んだ。
永遠に死に続けた。
「しかし、君も強情だよねぇ」
そして、世界は元に戻る。
「ッ……!」
目を開く。まずいなほが確認したのは己の体がついているかどうかだった。体全身を見渡し、怪我一つないことを確認する。
「大丈夫だよー。君が見たのは僕が気まぐれを起こしたときの未来であって、今はあぁなることはない」
それとも。そうアート・アートは笑って。
「いなほは死にたぁい?」
首を傾げながら、可愛らしくアート・アートは言った。汚濁よりも汚い瞳は、まるでそれでも構わないと言っているかのようだった。
あの光景が現実になる。どう言った原理かわからなくても、もしアート・アートが気まぐれを起こせばあの光景のいずれかが現実になることをいなほは理解していた。
少なくとも億を超える回数いなほは死んだ。刺殺、殴殺、射殺、抹殺、絞殺、瞬殺、暗殺、絶殺、ありとあらゆる殺戮をいなほはもしかしたらの世界でアート・アートより受けていた。
常人ならあの殺戮を経れば正気を失って当然の地獄絵図を、現実ではないとはいえ体感したいなほ。だが気絶なりなんなりしてもおかしくない経験をしたというのに、いなほは僅かに体を震わせると、
「あ? そりゃこっちのセリフだよ糞ガキが」
爛々と笑うアート・アートに右手を伸ばして、中指をおっ立てた。
だからどうしたといなほは笑う。確かに死んだ。確かに殺された。ありとあらゆる方法で、時には激痛に苛まれながら発狂して死んだ。
で、だからどうした?
俺はここにいる。ここにいて立っている。だったら全部はまやかしで、だとしたらあんな未来になることなんて絶対にあり得ない。
故に億を超えて尚いなほはあり得る未来の中で戦い続けた。無限に続くかに見えたおぞましい敗北を超えて、しかしいなほは揺るがない。
己の勝利を、眼前の化け物から勝利をもぎ取る結末を信じて疑っていない。
「あ……」
いなほのあり得ないその態度に、アート・アートの目がまん丸に見開かれた。彼をしてもいなほのその行為は意外だったのか。驚愕するその顔を見て、いなほは内心で嘲り笑ってみせた。してやったぜ糞ガキが。
その直後、アート・アートは見る見る内に顔を崩して頬を赤く染めていくと、悲鳴のような笑い声をあげた。
「くひゃ、くひゃくひゃくひゃ! ウハッ! 君、ホント面白いね! くひっ。いやはや、流石あの陰険な奴が選んだ隠し玉なだけはあるよ! うんうん! やっぱしそうでなくっちゃね!」
「テメェ……俺を舐めてるのか?」
嘲るようなその言い方に、いなほが怒りに顔を歪めて一歩踏み込んだ。それは、初めの絶殺と似た一歩。しかし躊躇いなく己の死に踏み込んだいなほのその姿に、アート・アートは笑い声を上げることを止めて、常人なら発狂しかねない笑みでいなほを迎え入れた。
「わかって踏み出したの?」
「知らずに踏めばよかったかよ?」
拳の骨を鳴らしながらいなほが一歩一歩確実に死への階段を上っていく。だがアート・アートからすればそう見えるが、いなほからすれば、ムカつくガキに一撃をかますために距離を詰めているだけに過ぎない。既に、あの想像を絶する悪夢のような死亡劇のことなど頭から抜けていた。
というか、ここまでに来る間、マドカとの出来事や、自身の髪のことに対してのストレスもあったために、いなほの怒りは自分が負けるなんて言うあり得ない未来まで見せつけられたことにより、臨界点を突破していた。
とりあえず、俺が負けるなんていう不愉快な映像を見せた回数だけぶん殴る。
次にマドカに受けた精神的ストレスの分だけぶん殴る。
そんで、髪染めが上手くいかなかった分だけぶん殴る。
後、エリスが泣きそうになってたからぶん殴る。
ともかくだ。
「どういうやり方だか知らねぇがよぉ! こちとらストレス溜まりまくりまくってるってのに、あんなテメェが最強っていうあり得ない公開オナニーショーまで見せつけられたんだ! ガキだろうが何だろうがもう関係ねぇ、キちまったぜ? おぉ!?」
いなほの堪忍袋はここに、完全に切れた。
下手な中二展開もいい加減飽き飽きだ。ここから先は、ヤンキーのヤンキーによるヤンキーのための撲殺筋肉ショーと洒落こもうじゃねぇか!
アート・アートのローブを掴んで虚空に持ちあげたいなほは、額に血管を浮き上がらせて、唾を飛ばしながら叫んだ。
「オラ、射程距離だぞ男女ぁ!」
そのままアート・アートをいなほは虚空に放り投げる。
そして、いなほの独壇場が開始した。
両膝を曲げると同時、両足を踏みしめることで莫大なエネルギーを練り上げる。そのあまりの衝撃に、踏みしめた個所が崩壊して、地響きのような震えが部屋一帯に響いた。乱雑に置かれた物が倒れたり震えることで、雑貨による音色が響き渡る。その刹那だ。
音が鳴るよりも早く、いなほの動きは完結する。局地的な地震を発生させたその両足より得たエネルギーは、バネ代わりの両膝に一旦留まる。いや、全身がまるで襲いかかる前の猫のように丸まっていた。膝を曲げ、背筋を丸め、肘も曲げて、首も下げて、それでも狙いは曲げずに虚空を漂うガキへの最短。
溜めた力を射出する激鉄代わりに、大地に根付いたいなほの足が跳ねた。唯でさえ凹んだ足元が、ついにただの踏み込みによって崩壊する。だが構わずに真上に飛んだいなほはの膝が跳ねて、いなほを飛ばすロケットエンジンのように体の中を駆け巡る。
普段の力が螺旋ならば、今回の力はまさにロケット。重力を振り切って、ひたすら上に、ひたすら上にと、吐きだす先を求めていなほの体をせり上がる。
伸びあがる力は、跳ねるように真っ直ぐになった背骨へと伝達した。生体電流代わりの、大地から得た雷光のインパルスが背骨を駆け抜けて、脳の代わりに打倒を命ずる。ただ上へ、目指すは上へ、駆け抜ける神速をゼロ秒の内に感じながら、握りこんだ左の拳が下から掬いあげるように頭上目がけて飛んだ。
そして力と力が合流する。加速し続けた大地の力と、人体の限界なんて嘲笑う筋肉の力。この二つが今、達人すら平伏する技量の武術をもって、合流するだけではなく、互いの力を向上させながら、鋼の拳に収束した。
「死ねやボケェェェェェ!」
最早、何処から生じた恨みか分からぬ恨みの拳が、アート・アートの腹部に炸裂した。内臓を破裂させる、強烈なマッスルアッパー。人体など爆弾で吹き飛ばされるより酷い状態にするだろう一撃。
だが、そんな一撃を受けたというのに、アート・アートは吹き飛ぶでもなく、その体でしっかりと受け止めていた。
それどころか、いなほの左手をその両手で握り返してきた。
「ッ!?」
「アハっ、やっと驚いてくれたね」
驚くいなほを、悪戯が成功した少年のように得意げに見つめるアート・アート。その口調は無理をしているというわけでもなく、本当に、あの戦車の主砲すら超える一撃を食らって、まるでビクともしていないのが分かった。
いなほの歯が怒りのままに食いしばられる。冗談じゃねぇ。もういい加減そういったよくわからねぇ展開は腹一杯なんだ。
「まっ、僕もマドカも君には不必要だから、いい加減遊びは止めることにしよう。ふふん、何せ僕は空気を読めるのに定評があるからね」
アート・アートはそう言いながら重力を無視して空に浮かび上がると、羽毛のように柔らかに椅子に着地した。
再び襲いかかろうとするいなほだが、アート・アートは「まぁ待ちなよ」と言って指を鳴らした。出鼻を挫かれた形になり、いなほはうやむやになった握り拳を振りかぶり、僅かな逡巡の末に降ろしたのだった。
「さて、と……早速だけどいなほ君。君の硬いそれが僕のぷにぷにお腹の奥にじゅんと響いたところで、お話をしようじゃないか」
テーブルに肘をつけてアート・アートはそう言った。同時、指を鳴らすと、アート・アートの向かい側に椅子が出現する。
「座って頂戴」
「……チッ」
渋々といなほは椅子に勢いよく座った。ついでに両足を机の上に派手に音を鳴らしながら乗せる。「それで、どんな用なんだっけ?」とアート・アートが言う。いなほはバンダナを掴むと、一気に解いた。
「俺の要件ってのはこれだ」
バンダナの下、いなほの髪は、ちょうど茶色と黒のツートンカラーになっていた。鮮やかな茶色の一部が真っ黒だが、その色合いが中々に絶妙で、いなほが恥ずかしがるわりには存外、その色合いも似合っていた。
「んー……痛んだ髪でも柔らかくしてほしいの?」
「お前なら俺の髪を茶髪に戻してくれるって聞いたんだ」
「あ、成程ね。確かに、茶髪にする人間なんて、この世界じゃ珍しいだろうさ」
「で、出来るのかよ?」
足を降ろして体を前のめりにして、いなほがアート・アートを睨む。そも前提として殴りつけたうえに睨んで恐喝まがいのお願いをして、その願いを聞き入れる人間などいるはずがないという思考は、いなほの中にはなかった。
そして、いなほにとっては幸運なことに、目の前の男のような女は、人間というには異常な感性の化け物で。
わざとらしく悩みこんだアート・アートだったが、すぐに笑顔に戻ると得意げに答えた。
「うん。いいよ」
次回、濡れ煎餅>かつての故郷。