第五話【墓掘りヤンキー】
いなほの馬鹿みたいな怪力のおかげで、この村にいる人間、全員分の墓は日が傾く前に完了していた。襲撃が起きたのが朝方だったというのもあり、今はちょうど正午を少し過ぎたといったところだ。
「……」
一つ一つの墓に、エリスといなほは黙祷を捧げる。いなほは彼らとの面識はないが、その死を心に刻むために、こうして祈りを捧げていた。
エリスは果たしてどんな心境なのか。横目で目を閉じて祈る少女を見るが、神ならぬいなほでは少女の心の中までは分からない。
そうして全ての墓に黙祷を終えたとき、エリスは無数の墓をじっと見据えて、躊躇いがちに口を開いた。
「助けてもらったうえに、お墓も作っていただきありがとうございました」
「感謝される言われはねぇよ。俺が勝手にやったことだしな」
「でも、ありがとうございます」
「ちっ……そういうの、くすぐってぇんだよ」
感謝の言葉には慣れていない。憎まれ口は照れ隠しだ。エリスはそっぽを向くいなほが可笑しくて小さく笑った。
不意に大きな風が凪いだ。未だ村に籠る肉と血の匂いが二人の鼻を擽る。訳もなくいなほは眉を顰めた。「もしかしたら、生きてる人がいるかもしれません」と、風が収まると同時にエリスはそんなことを言った。
「多分、半分くらいは逃げたと思います。その内の何人かが、もしかしたらマルクっていう大きな町に向かっているかもしれません……」
唐突に語りだしたエリスの言葉は、地理を知らないいなほには希望的な意見か、現実的な意見かの判断はつかない。
「それに、死んじゃった皆の中にお母さんとお父さんはいなかったんです」
「……そうか」
「もしかしたら私のこと心配して探してるかも知れません。もしかしたら明日にはマルクに着いて、すぐに人を連れてここに戻ってくるかもしれません」
「……エリス、そいつは──」
「だか……ら。私、私……まだ皆、生きてて、生きてるって……私……生きてるんだって……!」
次第に穏やかだったエリスの言葉は途切れ途切れになり、遂にはへたり込んで大声で泣き始めた。ダムが決壊でもしたかのように、止めどなくエリスは泣きじゃくる。
いなほはどうしようか悩んで、エリスに手を伸ばし、その手に乾いた血のついているのを見て、少女の細い肩を抱こうとした手を途中で引っ込めた。何でも通してきた自分の手が、この時はどうしようもなく頼りなく、小さい。
いなほは、思い出したかのように唐突にポケットをまさぐると、ありがたいことに入っていたタバコの箱とライターを取り出した。そして、タバコを一本口に咥えて、ライターを先端に近づける。火の灯ったライターに、タバコの先が燃やされた。そのまま息を吸い込み、タバコに火を点ける。
同時に口の中に広がる紫煙を、内に潜む無力感と共に肺へと取り込み、ため息をするように吐き出した。
「……うるせぇよ、エリス」
悪態は嗚咽するエリスには届かないし、聞かせる気もない。追いつかなかった現実が、いなほもようやく実感できた。
人が死んだ。他人だと割り切るには難しいくらい、あまりにも無残な形で人が死んだ。もし自分がもっと早くここに来ていたら、そんな仮定の話をどうしても考えてしまう。それは弱気だ。いなほはありもしない可能性を紫煙に紛らわせた。感傷など、らしくない。
今になって体に付着した血肉の臭いが嫌でも鼻についた。己もまた、初めて生き物を殺した。エリスの話では、あれは人間ではないらしい。それでもいなほは、躊躇いなく奴らを刈り尽くした。
そのこと自体には後悔はない。トロールもまた殺意を持って自分に接してきたのだから、あの場面でもし自分がビビっていたら、墓にいる野郎共と同じ末路を辿っていただろう。
だが殺したのだ。殺害、かつての世界なら逮捕され、罰を受ける重罪。犯してはならない禁忌。それをいとも容易く実行した自慢の五体。
心に引っかかることは何もない。それこそが、いなほの心になによりも引っかかることだった。
「うぇ……えぅ……」
まだ肩を震わせてはいるがエリスの鳴き声は次第に収まりを見せていた。涙で腫れた目がいなほを見上げる。
何も考える必要はない。タバコを咥えたまま口を弧に吊りあげて、いなほはエリスの視線を真向から受ける。
「とりあえず体が臭くてたまらねぇ。シャワーかなんか貸してくれや」
今はこの、小さいながらも強い少女の傍にいよう。いなほはそう決心した。
次回こそ世界観についての説明。