幕間【新人医師ミリア・テテニアスの悲劇】前夜と一日目
キング討伐からエピローグまでの一週間のうちに起きた悲劇の話。
別名【ヤンキー入院中】
中立都市マルク。現在は四カ国同盟が成立したことにより中立という言葉は半ば形骸化してはいるが、それでも四カ国の人々による交流が盛んな町ではあるのに変わりない。
そしてここには幾つものギルドがあり、幾人もの冒険者と呼ばれるものが、日々様々な依頼をこなしている。
そんな彼らが自分ではどうにもできない怪我を負ったとき訪れるのが、この町で唯一といっていい診療所、マイゼン診療所である。そこの治癒魔法使いとして先月から働くことになった若き女性、ミリア・テテニアス。
以降に記された内容は、彼女が初めて受け持つことになった重傷患者との間に起きた、僅か一週間程度の悲劇の話しである。
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先日、院長先生からマルク全体を崩壊させるかもしれない問題のことについて聞いた。なんと近隣に魔族が現れたというものである。未だ一般市民には知られていない問題をどうして私達に話したのかというと、私達は、本日出撃したマルク有数のエースを集めた部隊が帰還したときの治癒を任されたからである。まず間違いなく怪我無しに帰ってくることはないと思われるので、万全の態勢を持って事に及ばなければならない。
任された仕事の重さに私は内心でどうしたものかと混乱したが、先輩方に励まされてまずは目の前のことを頑張ろうと決意する。
そしてその日の夕方、彼らは無事帰還を果たした。誰もが魔力を使い果たしボロボロではあるが、それでもどうにか帰ってきたことを喜び、治療を行う。とはいっても私に出来るのは先輩たちのサポート程度でしかなく、何とか状況についていくので精いっぱいだっただけなんだけど……
結局、全員が安静したのは深夜になってからのことだった。帰ってきた冒険者と魔法学院の教員は眠ったままだ。うわ言のように「まだ彼らが戦っている」という人もいたので、もしかしたら魔族は倒せていないという可能性だってある。不安に包まれる私達だったが、その日はそこで当直の私以外が帰宅することになった。
峠は越えたので、私一人だって彼らの面倒を見ることくらいは出来る。そうして見周り行いながら一夜を過ごしていたとき。
あの人は、やってきたのだ。
「ふぅ」
マルクの外れにあるマイゼン診療所の周囲は、夜になると静寂に包まれる。私はこの静寂の時間を五つの月を見上げることの出来る宿直室で、コーヒーと共に過ごすのが好きだ。とはいっても退屈なことには変わりないんだけどね。
「それにしても、今日は忙しかったなぁ……」
全員が魔力が底をついてボロボロ。よくあんな状態で町まで戻ってこれたものである。流石は高ランク持ちといったところね。私だったら直ぐに根を上げてしまいそう。
でもそんな彼らでも魔族を倒すことは出来なかったのかしら。あのうわ言が私や先輩達の間で重く圧し掛かっている。
おそらく、戦っているというのは、氷の騎士の異名を持つアイリス・ミラアイスさんだろう。帰ってきたメンバーでいないのは彼女と……
「えっと……ハーモニーいなほだっけ?」
なんというメルヘン。なわけがあるまい。名簿を見れば、ハヤモリイナホと書かれている。変な名前というかなんというか……
「ってD+!? 何それ! 何処の貴族よ!」
私はそこに記されたいなほのランクに目を疑った。D+だなんてこのマルクでは一人もいないレベルだ。もしかして援軍が間に合ったのかもしれない。
いずれにせよ帰ってきてないのはこの二人だ。おそらく戦いは決着しているだろう。帰って来ないのは魔族に敗北したか相討ちになったか。
「いずれにせよ。楽観はしないほうが……ん?」
と、静かだった診療所にノックの音が響いた。こんな時間に来訪者? 急患かしら?
「……良し」
私は仕事モードに切り替えると、傍らのメガネを装着して入り口まで早足で向かった。こういうのは時間が大事。一秒でも早く患者の様子を見なければ!
私は急いで廊下を進み、玄関のドアを開くと、そこには凄惨極まる光景が広がっていた。
「う、あ……」
目の前の床には、固まった赤を全身に付着させた少女二人と、半裸の男が横たわっていた。どうやらノックをした時点で力尽きたのだろう。半裸の男を下敷きに、折り重なるようにして倒れている。
意外に人間混乱したときは冷静な物である。ちょっとばかし状況を説明した私の頭は、わなわな震える口とは裏腹に動揺はなかった。それでも体は正直なようで、震える体で三人の一番上、小さな少女の首にそっと手を当てた。
トクンと脈打つ血流を感じる。生きている。
続いてその下の綺麗な女性の脈も……オッケー。
そして……
「……ゴクリ」
等とわざと唾液を呑み込む音を言いながら筋肉が目にきつい男の首にそっと手を当てた。一番血にまみれた男の脈は……この中で一番元気に鼓動している。
「よかった」
全員生きてる。そのことに安堵しながらも、私はまず彼らの身に怪我はないのか、検査を始めた。
夜の闇も深くなってきたそんな出会い。
その翌日から、私の常識は崩壊することになることを、この日の私には知る術もなかった。
【一日目】
「ミリア君には、彼、早森いなほ君の治療を行ってもらいたいと思う」
翌日、眠気眼を擦りながら院長先生からの呼び出しを受けた私は、そんなことを深刻そうな面持ちで告げられた。
曰く、見た目の怪我は殆ど見られないが、全身の骨が砕けており、内臓も幾つか損傷、彼の肉体は見た目以上のダメージを受けているとのこと。先日、私の検査では問題ないと見たので、言われた私はそんな彼に治療をすることが出来なかったことをとても悔んだ。
そんな私の肩に手を置き、院長先生は優しく言う。
「彼の診察に君の落ち度は見られないよ。内部検査の魔法を君はまだ扱えないのだからね」
「でも……私が先日いち早く気付いて治療を行っていれば、もしかしたら……」
「それは違うよミリア君。彼の怪我は取り返しのつかないところまで来ていた。おそらく応急処置が上手くいったことにより一命は取り留めたが、最早彼は日常生活すらすることが困難な体になっている」
それはきっと魔族との壮絶な死闘の結果なのだろう。今朝、いち早く目覚めた昨夜の三人のうちの二人、アイリス・ミラアイスとエリス・ハルネリア。彼女たちの証言により、どうやら彼は一人でCランクという化け物を倒してしまったらしい。
英雄。そう呼ばれる人間なのだろう。だがその代償として彼は二度と立ち上がることも許されぬ体になってしまった。
「……私、彼をきっと立ち直らせてみせます」
私は院長先生にそう宣言した。最初は落ち込むだろう。荒れてしまうかもしれない。だが、彼が町を救った英雄ならば、私は彼を救ってみせる。
そんな使命感を燃やす私に、院長先生はにっこりと笑って見せると、「では、ミリア先生。よろしく頼むよ」と言ってきた。
「はい!」
力強く答える。夜勤の疲れもなんのその。私は早速彼のことを見ようとその場を後にして病室に向かうのであった。
「えと……ここだ」
診療所というにはかなりの個室がある病院内の廊下を進み、私は目的の病室に辿りついた。話を聞く限りでは、どうやら今も眠っているらしい。早ければもうすぐ起きるかもしれないということで、私は深呼吸を一つすると、静かに病室のドアを開いた。
「失礼します」
なるべく音を立てずに入ると、広い個室の中央に置かれたベッドには、点滴に繋がれ、ギブスで体を固定された患者、いなほさんが静かに眠っている。
言っては悪いが犯罪者っぽい顔は、寝ていれば何処か少年を思わせるような優しい表情を浮かべていた。私はベッドの側によると、そっとその額に手を置く。
「熱は……ないみたい」
それにしても、全身の骨を骨折したうえに内臓損傷をして生きているという奇跡には驚かざるをえない。院長先生いわく、超高密度の筋肉が彼の体をなんとか生きながらえさせているらしいが、にしたって魔族を倒す人間とはこうも化け物染みているのか。
ゆっくりと呼吸を繰り返すいなほさんを見ながら、私は治癒魔法の準備に取り掛かる。ただ顔を見に来たわけではない。こうして治療を行い、少しでも痛みを和らげる手助けをしなければと思ったのだ。
だがこれも結局は付け焼刃でしかないだろう。彼の怪我は私はおろか、この診療所の魔法使いでは治療が不可能なレベルだ。王宮仕えの魔法使いでもはたしてどうだろうか。いっそ幻の秘薬と言われるユグドラシルの雫でもあればいいのだが、などと考えながら治癒を続けていると、いなほさんの目がゆっくりと開いた。
「んぁ……ここぁ?」
「気付きましたか。安心してください。ここは病院ですよ」
私が話しかけると、いなほさんは目線だけを私に向けた。ちょっぴり緊張。ギブスで拘束されているのに、すっごい威圧感。
でも怯むことなく私は笑った。安心感を与えるのがまず初めのお仕事なのである。
「痛みはないですか?」
「……体が動かねぇ」
「そうですか……」
いなほさんの言葉にドキッとしつつも、曖昧に言葉を濁して軽く流す。今は事実を言う時期ではないだろう。
「大丈夫です。ゆっくりと治していきましょう」
ゆっくりゆっくり。とてつもない戦いを終えた後だからこそ、今はゆっくりとしましょうね。いなほさん。
なんて思ってたこの時の私が、いなほさんの常識外れな行動に驚くのは、この翌日のことであった。
惨劇の幕開け。エピローグと比較しながらご閲覧してください。