エピローグ【ヤンキーとヒーロー】
一週間後、トロールキング討伐の報は、忽ちマルクの街全域に行き届いた。号外が飛び交い、斡旋所のほうには幾人もの人が殺到する。その処理に斡旋所の人間が苦労し、各地の証人やらギルドも騒然としている。この情報は近隣一体所か、国を超えて様々な場所にまで届いた。
何せ、トロールキングを倒したのは、貴族でも、有名な冒険者でもなく、つい最近冒険者になったばかりの男だと言うからだ。
曰く、その男は拳一つでトロールの群れを殲滅した。
曰く、指先一つで大抵の魔獣を滅殺できる。
曰く、実は人間の皮を被ったドラゴンである。
等と、真偽の入り混じった情報が殺到したが、他の場所ではともかく、身近に破滅の危機が迫っていたマルク近隣の村々の人々は、一様に安堵のため息を漏らしていた。
そして、その功労者である男を表彰すべきだとか、英雄として祭り上げるべきだとか騒ぐ人間もでたりして、マルクは一挙お祭り騒ぎになっていた。
しかし、そんな騒動が何よりも好きで、しかもその中心にいるはずの男、早森いなほはと言えば、自分が最初に目覚めた森に来ていた。
「……ウシ、こんなもんか」
とりあえず腐敗して臭かったトロールの死体を全部埋めたいなほは、軽く手をはたき、トロールを埋めるのに使った樹木を地面に突き刺し、改めて最初と同じように寝転がった。
「……なんか、疲れた」
珍しく弱気な言葉がいなほの口から零れ出した。燃え尽き症候群とでもいうか。出せるものを全て吐き出した喜びはあるが、逆にすっきりしすぎてなんか虚しいというかなんというか。
こうして初心を思い出すために来たが、やはり胸に空いた穴は埋まらない。いなほは左腕を縛る包帯がうっとうしくなり、一気に全部解いて捨てた。その下に合った傷跡はもうない。戦いの後、反動からか重度の筋肉痛となり、最初の一日は起き上がれないほど深刻ではあったが、そこは持ち前の筋肉。数日もすれば起き上がれるようになり、つい昨日包帯を至るところに巻いたアイリスがお見舞いに来た時には腕立てをしていて呆れさせたものだ。
「……」
そよぐ風が気持ちいい。空いた穴を通りぬける感触が、その一瞬だけでも胸の穴を埋めてくれるようである。
いなほはここに来てからのことを思い返していた。レコードという謎の人物にここに吹き飛ばされ、それから色んな体験をした。
魔獣という人外との激闘。エリスを初めとした愉快な仲間との出会い。どれもが楽しいことだったが、全てが楽しいわけではなかった。
村の壊滅という死の現実。殺し合いを楽しむ自分への恐怖。決して戦いが楽しいというだけではないということを突きつけられ、それでもいなほはそんな自分との折り合いをつけて、一つ成長することが出来た。
と、そこで思い出す。そういえば一番大事なことを忘れていた。空気の当たり前だからこそ忘れるのも無理はない。それはもう、いなほにとって、在って当たり前なのだ。
直後、そんないなほの気持ちを察したかのようにタイミング良く人の気配。苦笑。どうしてわかるのか。でも理屈抜きでわかるだろうというよくわからない確信。
「見つけましたよ、いなほさん」
「よう、エリス」
いつだって隣にいるのが当たり前の少女がそこにはいる。そう、一緒に前を見て、一緒に真っ直ぐを貫くこの少女が、いなほがここに来て一番の宝物。
そんないなほの内心を知らずに、エリスは可愛らしく頬を膨らませた。どうやら怒っているらしい。
「もう! 幾ら動けるからって一人で勝手に出歩かないでください!」
「ケケ、無理に決まってんだろ」
「ハァ……全くこの人は」
エリスが溜息を漏らして頭を下げた。今更どうにもならないことがわかってはいるが、呆れずにはいられない。そんなエリスをいなほは起き上がって手招きした。そうすれば、何の抵抗もなくエリスはその懐に収まる。まるで猫だな、いなほは笑った。
「見てな」
そう言うと、いなほは地面に指を突き立てて、汚い日本語で『早森』と書いた。当然そんな文字が読めないエリスは首を傾げる。
「なんですかこれ?」
「日本語で早森ってんだ」
「ハヤモリって……いなほさんの名前?」
「応よ」
そう頷くいなほの真意がわからないエリスの疑問は深まる一方だ。だがこれはいなほにとっても大切な儀式である。笑顔もそこそこに、いなほは顔を引き締めてエリスの頭に掌を置いた。
「エリス。お前の家族は、死んじまった」
「……はい」
たちまちエリスの顔に影が射す。いなほがエリスを虐めるためにそんなことを言っているのではないとわかっていても、エリスにとって両親の死は未だ解決していない問題だ。
だからこそ、いなほにとってその事実は再確認する必要があった。
「なぁエリス。俺は、親の顔ってのを知らねぇんだ」
「えっ?」
驚きの事実にエリスが顔を上げた。そこには遠くを見つめ、何かを堪えるような男の顔。
「どうせ俺のことなんざ捨てちまったしょうもねぇ親だ。まぁそれはいいんだよ、今更どうだってな……ともかく俺ぁ、家族ってのを知らねぇんだ」
「いなほさん……」
エリスの表情が暗くなる。今にも泣きそうな表情。
「だから、この早森って名前をお前にやるよ」
その表情は、いなほのそんな一言でたちまち消し飛んだ。
「えっ?」
言ってる意味がわからないといったエリス。いなほは気恥ずかしそうに頬を掻くと、少し声を荒げてさらに続けることにした。
「今日からテメェは早森エリスになれって言ってんだよ。俺がお前の兄貴になってやる。そうすりゃよ、俺たちは兄妹っていうドギツイ鎖で繋がって、どんなに離れても傍にいることが出来る」
「えと、その……」
「……嫌なら別にいい」
「そ、そんなことないです!」
エリスは慌てて首を振った。
「その、ホントあんましいきなりだからどうしていいかわからなかっただけで! ……私が、いなほさんの兄妹になっていいんですか?」
「いいも糞もあるか。どうだって聞いてんだよ」
投げやりないなほ。だがその表情は僅かに不安の色が見えるような見えないような。
エリスは笑った。あぁ、この人が私を助けてくれてよかった。エリスの顔に、太陽のような笑顔が戻る。
「不束者ですが、よろしくお願いします!」
「オイ、結婚するんじゃねぇんだから、んなにかしこまる必要はねぇっての」
「あれ? いなほさん、私に惚れてるって前に言ってませんでした?」
「アホ。誰がテメェみてぇなちんちくりんに惚れるかっての。俺が惚れこんだのはテメェの男気に決まってんだろうが」
「えー! 私男じゃないですよぅ! そうやって乙女心を弄んで楽しいんですか!」
「勘違いしたのはテメェだろうが!」
「うるさいバーカ! 筋肉バーカ!」
「この! 糞ガキが!」
「って頭をぐりぐりは駄目でイタタタタタ!」
まるで昔からの家族であったかのように、二人の姿は見ていて心穏やかになるようなものだ。決して血が繋がっているだけが家族ではない。二人を繋ぐのは血よりも濃い魂の絆。
変わることのない永遠の誓い。
「ところで、なんで名字のいなほじゃないんですか?」
「名字は早森に決まってんだろ」
「え? 普通、名字って後ろに来ませんか?」
「あ? 名字は前にだろが」
「……あれ、もしかしていなほさん。皆にそれ言ってなかったりしてます?」
「当たり前だろ。それがどうした?」
「多分皆いなほさんの名前のこと勘違いしてるだろうなぁって……」
始まりの場所で、変わらぬ絆を二人は繋ぐ。何処までも強い男と、何処までも強い少女。この先何があっても、絶対に離れることのない二人の始まり。
終わらない始まりを。
「んじゃ帰るか」
「帰ったら皆にまず名前の話ししましょうよ」
「今更俺の名前のことなんざどうでもいいだろ」
「違います!」
いなほの肩には、心地よい重さがいつだってある。そしてエリスは、いなほという大きな力に負けない心の輝きを持って、いつもその肩を支えていくのだろう。
「んじゃなんだよ?」
「そんなの決まってるじゃないですか……」
村を出ていけば、遥か遠くまで草原が広がる。明るく照らし出された草原は、まるでこの先の無限に広がる未来を暗示するかのようだ。
そしてまずは大きくて小さな一歩。描く未来はきっと、稲穂畑のような暖かい黄金風景に決まってる。
「私の名前が変わったことですよ──いなほにぃさん!」
何故なら前を行く時、いなほはもう一人ではないのだから。
第一章【その男、ヤンキーにつき】完
次章予告
エリスと兄妹の契りを交わしてから一カ月。トロールキングを倒したヤンキーは、次々と依頼を受けては次々と変な具合に解決してお金は余裕が出来るくらいには稼ぎ、なんやかんやで異世界生活にもだいぶ慣れてきていた。
だがそんな日々の中、ヤンキーの身を異世界ならではの影響が蝕んでいた。ゆっくりと、しかし確実に変貌していくヤンキーの姿にいつ泣くかわからないエリス。変わっていく己の姿に流石に焦りを見せるヤンキー。そんな時アイリスが提案したのは、魔法学院主催のトーナメントくらいにしか現れないという魔法学院の理事長に頼むことだった。
一方、平和を取り戻し、年に一度の闘技大会も近づいていることもあり賑わうマルクの街の裏、策謀の闇は確実に仮初の平和を食い散らさんと迫ってきていた。
迷宮下層へ強制アクセス出来る不正なパスコードの噂。
誰も姿を知らぬ理事長の正体。
迷宮の奥深くで牙を研ぐ謎の存在。
学院に届けられた脅迫文。
そして開始される四カ国合同のトーナメント。
様々な謎と期待と不安が入り乱れる中、ヤンキーに出来ることはやっぱし拳で殴ることだけ。
そんなこんなで荒唐無稽のマッスルヤンキーファンタジー。次章の舞台は魔法学院。陰謀蔓延る学び舎で、男の拳は天を突く!
Next chapter【絶命ヤンキー】
「よしわかった。君が僕のお願いを聞いてくれるなら」
「……聞くなら?」
「永久的に茶髪になる魔法をかけてあげるよ!」
「良し! なんでも言え!」
peace out!
(なお、予告の内容には一部誇張した表現があります)
以降、長い後書きとなります。
十五万文字以内。戦闘描写練習。その他もろもろというちょっとした私個人の理由によって、この第一章は執筆がスタートしました。まぁ結局ちょっとしたラノベ一冊分である十五万文字以内については達成することが出来ませんでしたが。こんなことになるなら、省いてしまったその他の描写も追加すればよかったとか思ったりもしますが、そんな微妙さも含んで第一章【その男、ヤンキーにつき】であったと思います。誤字脱字等も本当にお世話になりました。にしても書いててホント楽しかったです。やりたい放題に戦闘を書きなぐれたこともそうですが、こっそりと有名なセリフをパロったものや、わかったらニヤリとするだろうネタも仕込めました。伏線っぽいのを上手く張れなかったのが心残りでしょうか。
さて当然わかっていると思いますが、この作品の不倒不屈という言葉は造語です。意味としは不撓不屈のほうが強いとのことなのですが、主人公であるいなほは、作中でもその心がよく揺らいだりしました。そして今後も色んな出来事で動揺したり苦悩したりで、不撓不屈というには実は弱いメンタルをしています。むしろその言葉はエリスにこそ合うかもしれません。その代わりいなほは悩んで苦しんで、それでも倒れませんし屈しません。それは肉体でも心でもなく、もっと別の芯が倒れず屈しないということです。このことに関しては、もっと物語が進むにつれて追々語られることになると思うので、今は置いておきましょう。
まずこの小説を語る上で何よりも重要なのは主人公の早森いなほでしょう。我を押しとおす筋肉と、その筋肉に裏付けされた強靭な自負。この小説は彼の独壇場といってもいいでしょう。というか一章はそうなるようにしました。戦闘が、特に格闘が欲しかったんですよ。しかし今思えばかっこいい技とか使うわけでもないので、そういった演出面でみると地味だったかもしれません。なんにせよ、いなほという他のキャラまで食ってしまう主役が引っ張ってくれたから、こんなにも早くこの一章を終わらせることが出来たと思います。
続いてエリス。エピローグを読んでもらってわかっていただけたと思いますが、エリスはヒロインではなく、いなほと道をともにするヒーローです。一章では出番は少なかったですが、主役の一人といっても過言ではありません。そして、いなほという化け物じみた人間と対をなす化け物でもあります。たかが村娘であったにしてはあり得ない精神力。しかも彼女の恐ろしいところは、そこには何の理由もなく、ただ普通に育った過程でその精神力を得たというところです。そんな彼女の本当の活躍はすっごい後になったりしますが。暫くはいなほの頭装備です。
他のキャラも語りたいですが、これ以上は正直蛇足以上のなんでもないでしょう。ともかく、今回の一章では戦闘などがメインとなり、ストーリーという点では誰にでも思いつくようなものでしかなかったと思います。二章以降は、戦闘のクオリティは今以上に高めつつ、文字制限なんかは今度は気にせずにストーリー的なものも楽しめるような作品にしたいと思います。
ではでは、長々とした一章と長々しい後書きまで読んでいただきありがとうございます。それでは次章、絶命ヤンキーにてお会いしましょう。あ、その前に幕間とかもあるのでそっちも読んでくれたら嬉しいです。
それではまた、重ね重ねありがとうございました。