第四話【ぷっつんヤンキー魔獣狩り】※グロ表現あり
タイトル通りキツい表現があるので閲覧には気をつけてください。
「皆……!」
いなほの肩に担がれたエリスは、指をさして村の方向を示しながら、はぐれてしまった家族と友人を思い、焦燥感に駆られていた。森をまるで猿のような軽快さで駆けるいなほも、そんなエリスの横顔を見て、一層速度を速めた。
喧嘩で熱くなった思考はすっかり冷えている。改めて思えば、あのトロールはこれまでいなほが戦った生物で一番強かった。それでもいなほの敵にはならなかったが、問題なのは、あれが複数来た場合、はたして普通の人間が相手できるのかということだ。
いなほの中でのトロールの位置づけは拳銃で武装した人間よりも高い。走りながら、先程エリスの気晴らしになればと考えトロールのことを聞いたが(この状況の当事者についての話をする時点で気晴らしにはまるでならないが)、どうやらトロールはHランク相当の敵で、一体倒すのに武装した兵士が幾人も必要らしい。
そんな魔物が群れで襲ってきた。頭の悪いいなほだが、野獣の如き本能が状況が危険であることだけは理解した。
「間に合えよ……!」
加速しながらも、木々にエリスが当たらないように気を配りながら進むいなほ。エリスの焦りをわかるからこそ、彼の内心は逆に冷静になっていた。そして、話を聞いた上で、最悪な状況も脳裏に描く。
そして、遂に抜けた森の先に広がる光景は、いなほが思い描いた以上に最悪な結果そのものだった。
視界一杯に広がるのは、質素でありながら、それでも穏やかな空気と、暖かな人達が暮らしていたエリスの生まれ育った村の姿ではない。そこにあるのはトロールの群れによりなすすべなく蹂躙され、荒れ果てた村のなれの果てだ。
家屋は倒壊し、作物等を育てていた田畑は荒れ果て、その崩壊した村を、優しかった村人ではなくトロールが闊歩していた。その周りには村人達の見るも無残な死骸が転がっている。一撃で頭を砕かれた死体は、まだ幸せなほうだったかもしれない。
手足を潰された少年の苦悶に満ちた残骸。
破られ、最早身にまとう衣服ではなくただの布切れを体に羽織り、トロールのであろう汚い体液に穢された、この世で最悪い近い蹂躙を受けて絶命した少女の骸。その周りには少女とおなじように、トロールに嬲られ死んだだろう女達の死体が積み重なっていた。
張り付けにされて体中を殴られ死んだ者もいた。
もう死んでいるのにトロールに振り回され遊ばれている者もいた。
棍棒の代わりに使われ、それを持ったトロール同士の試合に使われている者もいた。
「あ、うぁ……」
エリスはそこまで見て、これ以上見るのに耐えられず嗚咽を漏らしながら目を閉じた。
トロール達は笑っている。下衆な鳴き声を轟かせて、村人達が大切に育てた食料を乱暴に食べ散らかし、村人達を『遊び道具にして』笑っている。
これが魔獣だ。人間が恐怖する魔獣の姿だ。躊躇なく人にとっての絶望を振りまく最悪の天敵。
「う、うぇ……」
肩に担がれたままのエリスが、我慢できずに嘔吐した。手で押さえるが、溢れた内容物はいなほの体を容赦なく汚した。だがエリスにはそのことを謝罪する余裕もなかった。手で押さえる気遣いが出来ただけでも上等だ。
そしていなほは、体を汚されていることを気にする余裕もなく──憤怒していた。
「テメェら……テメェ……テメェら……! やったな……やりやがったな……!」
エリスが目を瞑っていたことは不幸中の幸いだっただろう。もし今少女がいなほの顔を見ていれば、あまりにも壮絶な険相い意識を手放していたに違いない。最早、いなほの形相は鬼のそれだった。だがどうにか残る理性でエリスを下ろすと、蹲る彼女には目もくれず前に、地獄を具体した村へと踏み込む。
いなほは生まれてこのかた死体を見たことは片手で数える程度にしかない。それですら事故にあった仲間や、抗争の結果頭を強く打つなどして運悪く死んだ奴と言った程度だ。このような直視すら難しい死体を見たことはない。なら普通はエリスのように吐いて、泣いて、蹲って、どうしようもない現実に打ちのめされるはずだ。
だがいなほは怒った。悲惨に憤怒し、激昂した。体の内側から沸き起こる感情の波は、いなほはひたすら前へと押し出す。気分を速度で表すなら既に音速は振り切った。白熱する鼓動と、連動して盛り上がる血流、五臓六腑を疾走する音速の鮮血は、いなほの骨と肉に際限なく沁み渡り起動を促す。
心臓がライブハウスのバンドの音楽のように五月蠅い。だが騒音のビートが今の自分には似合っていると頭の片隅でいなほは思った。なんせこのゲロを吐きたくなるような状況だ、狂った音が相応しい。
「ゴキゲンだ……随分とユカイな光景じゃねぇか……!」
吐きだす吐息も熱を帯びている。浮かぶ笑みと言葉とは裏腹に、赤く沸騰するマグマのような心は奴らへの絶殺をすでに確定していた。
ようするに、いなほはこの状況に驚くでも怖がるでもなく、単純に『キレてしまった』のだ。
眼下の地獄へゆっくり歩み寄る。いなほの周りに浮かぶ怒気に感付いたのか、村で好き放題していたトロール達が一斉に森から現れたいなほを見た。
「ここが何処かもわからねぇ。お前らが何なのかもわからねぇ。でもよ……」
一歩一歩、踏み出す足はサンダルを脱ぎ棄てている。素足のままの歩行は、その一踏みごとに大地を揺らし、土を抉っている。土に沈む足はまるで雪原を歩いているかのようだ。それほどの踏み込みで歩くいなほの心境は、最早筆舌も出来ない。
燃えるような怒りを、殺戮を決定した筋肉が指し示す。抉れる大地は貴様らだと、足蹴にせんといなほが行く。
語るまい。告げる言葉は後一言だ。
「瞬殺だぜテメェらぁぁぁぁぁ!」
言葉に偽りはない。初速で最速、大地を抉る脚力の踏み込みは、いなほの近くにいたトロールにあった十メートルの距離を瞬く間にゼロにした。
そのトロールからしたら、まるでいきなりいなほが消えたように見えただろう。懐に潜り込んだいなほは、握りこんだ拳を腰だめにすると、バネ仕掛けのごとき勢いでトロールへと解き放った。
吹き飛ぶ──であったらまだよかっただろう。トロールの腹に直撃したいなほの拳は、その肥え太った腹を貫通していた。背骨も砕き背中から飛び出た拳にまとわりつく生温かく、腐臭を放つ臓腑を意識もしない。回復は絶対にさせないとばかりに、捻じりながら拳を引き抜くと、空いた穴から血が噴き出していなほを染めた。しっかり赤いじゃねぇか。狂喜するいなほは鮮血を頭から浴びて嘲る。
「ガァァァァァァァァ!」
そこでようやく他のトロールも気付いたのか、二十を超える魔獣の群れが同胞が死んだことに憤り咆哮する。それまで遊び、または蹂躙していた村人をゴミのように放り出す様に、いなほの怒気がさらに膨れ上がった。
その尋常ではない狂気に気付くことはない。本来なら有象無象の人間など、トロールにとって相手ではなかったはずだ。だが、この瞬間大勢は決まる。刈られる対象こそが己だと理解した時には、トロール達は全ていなほの人間の範疇を超えた理不尽すぎる筋力の暴虐によって、ものの十分もせずに壊滅するのだから。
殲滅に至る過程には意味はない。逆に蹂躙される側になったトロール達は、先程森でいなほの強さに怯え逃げた者と同じように、半数が容易く葬られた時点で逃げ出した。だが怒りに猛るいなほはその超人的な脚力で、鈍重なトロール達に追いすがり、今度こそ逃がすことなく殺し尽くした。
「ふっ……ふっ……はぁぁぁ……」
流石に疲れたのか、顔に付着した血を拭いながらいなほは肩で息をして、周囲への警戒を行いながら呼気を整えた。村にはトロールと村人の死骸が転がっている。戦いの最中、周囲に無事な人間がいるか確認したものの、無事に思える人は確認できなかった。
だがもしかしたら家屋の中にいるかもしれない。
「……その前に、だな」
いなほは森の手前で未だ蹲るエリスへと歩み寄った。
体を震わせ、亀のように縮こまる少女の肩を叩こうとして、その手が赤く染まってることに気付き、寸でで止めた。
「おい」
変わりに、彼にしては比較的穏やかに(普通の人からしたら威圧的ではあるが)声をかけた。
だがエリスからの返事はない。何事かを呟きながら、一向に顔を上げようとはしなかった。
「……あいつらをあのままにはしておけねぇからよ。墓ぁ作るから何かあったら呼べ」
かける言葉が見つからないとはこのことだろう。普段相手にしている悪ガキなら叩いて無理矢理起き上がらせるが、相手は少女、しかも育った村の人間が蹂躙されているのを見たとなれば話は別だ。
居づらそうに眉を潜めたいなほは、辺りを警戒しながらも、トロールの持っていた棍棒を拾い、素手で真ん中から『引き裂く』と、適当に開いた空き地で裂いた棍棒をスコップ代わりにして穴を掘り始めた。
「ったくよ。俺ァ何やってんだかね」
事故にあったと思ったら、よくわからん奴のいるよくわからん場所に飛ばされ、少し話したと思ったら光に包まれ。そして光が収まったと思えば森の中、さらに見たこともない巨大で醜い豚もどきとの盛大な殺し合い。
「そんで、やったこともない墓作りたぁ、俺もヤキが回ったか」
水でも掬うかのような手軽さで土を掘りつつ、自分の境遇に苦笑する。これまでも喧嘩に明け暮れた生活だったために、決して非凡な人生だったとは言えないが、こうも滅茶苦茶なことは人生で初めてだ。
あっという間に人一人分の穴を十個作れば、空き地に穴を掘るスペースはなくなってしまった。とりあえず掘った分だけ埋葬しよう、そう決心したいなほが振り向くと、そこには未だ泣きながらも立ち上がり、足を引きずりながらもいなほの傍に近づくエリスがいた。
「あー……大丈夫か?」
すぐ傍に来たエリスは、下を向いていなほを見上げようとはしない。
だからガキかつ女は苦手なんだ。髪を乱暴に掻き毟り、二の句を告げようとした瞬間、エリスは勢いよく顔を上げた。
「あ、あの!」
「お、おぉ!?」
身を乗り出しながら叫ぶエリスの迫力に、さしものいなほも驚いたのか一歩後ろに後退した。
エリスの瞳は、さっきまで蹲っていたとは思えないくらい強い意志が見て取れた。いなほが穴をせっせと掘っている間に一体何が起こったというのか。
「私も、私にも手伝わせてください」
「手伝うってーと……墓か?」
「は、はい」
何度も頷くエリスに、いなほは先程と違った驚きを感じていた。何か知らないが、必死に目の前の死を受け止めたのだろう。そのいなほより遥かに小さく、弱弱しい細い体で、親しい人と、住み慣れた村の破壊を見て、しかし立ち上がった。
内心を知ることはできない。おそらくはやせ我慢だろうし、ただ単純に現実を理解することを手放しただけなのかもしれない。でも、立ち上がれたことは事実で、いなほはエリスに最初感じた弱いというイメージを訂正した。
彼女はその心の在り方が強いのだ。
だからこそ、少女の下した決断に対して、いなほは確然とした態度で、
「駄目だ。足怪我してんだ、邪魔だから失せろ」
そう言って、エリスの足首を指差した。
「あっ……でも、私……」
言われて、確かにただでさえ肉体労働もできないのに、足を怪我しているとなれば、邪魔以外の何者でもない。
それでも何かしたいと目で訴えてくるエリスに、困った風にいなほは頬を掻いた。
「思ってろ……」
「え?」
「死んだ奴らを、思ってやれ」
目をまん丸に見開いて、エリスはいなほの言葉を聞く。
柄にもないことをしたな。いなほは恥ずかしさを隠すようにエリスに背中を向けると、空いてる空き地に向けて逃げるように歩き出した。
次回、暫くの世界説明